「ん………」
ぼんやりとした意識のまま、楯無は2回ゆっくりとまばたきをする。
白い天井が夕日のオレンジに染まっていた。
「お、お姉ちゃん………」
呼ばれて、視線を声の方に向ける。
楯無が目覚めるまでずっと待っていたのだろうか、簪が椅子から立ち上がっていた。
「気が、ついた………?」
「うん………。ここは………?」
「学園の、医療室………」
「保健室じゃないのね………いたたた」
まだぼーっとした頭で、楯無は身体を起こそうとする。すると、背中に走った激痛と慌てた簪に止められた。
「う、動いちゃ、ダメ………命に別状はないけど………傷、浅くないから………」
「うん………あ、ナナくんは⁉︎ッ〜〜〜‼︎」
自身よりも重い傷どころか、死んでいたはずのナナ。心配と不安が重なり飛び起きようとするが、再びの激痛でベッドへと沈む。完璧な姉の意外な姿に瞠目する簪が、落ち着かせるように口を開いた。
「あの人なら、精密検査………でも、元気そうだったよ………」
「そう、それなら…………」
簪の脳裏に浮かぶのは千冬に連行されるナナの姿。気絶していたのは確かだが、目覚めた瞬間に楯無の容体を酷く気にしていたのだ。看病すると言って聞かないナナを、千冬は容赦なく締め落とし検査室へと連行。
もう少し手心を加えてもいいんじゃないか、と思ったが口に出すのが怖かったので大人しくそれを見送ったのは記憶に新しい。
そんなことは露知らず。安心したのか肩の力を抜いた楯無がベッドに身を預ける。それから楯無も簪も無言のまま、しばし時が流れる。
ーーーこうして姉妹ふたりきりで話すのは何年振りだろう。
そんなことを、2人とも考えていた。
ずっと妹に気を遣っていた姉。
ずっと姉を恐れていた妹。
でも、そんなことはまるで嘘だったかのように、2人は自然な沈黙に浸っていた。
そうして10分ほど経って、簪が何度かためらったあと、思い切って言葉を口にした。
「あ、あの、ね………お姉ちゃん………」
「ん?」
「い、今まで………ごめんなさい………」
「気にしなくていいのに」
「で、でもっ………」
勝手なイメージで、勝手に壁を作って、ずっと避けていた。簪はそんな今までの自分が恥ずかしくて堪らなくなる。
「私………ダメな妹だから………」
「そんなことないわ」
楯無は痛みに耐えながら身体を起こすと、今にも泣き出しそうな簪を抱き寄せた。
「あなたは、私の大切な妹よ。とても強い、私の妹」
頭を撫でられ、それまで我慢していた簪の目から一気に涙が溢れ出す。
「お姉ちゃん………おねえちゃぁん…………」
「ん」
ふたりだけの医療室。そこではやっと長年の蟠りが解けた姉妹が、お互いの存在を確かめ合う。
その扉の前、中から聞こえてくる声に耳を傾けながらナナは壁に身体を預けて深く息を溢す。精密検査から抜け出して楯無の見舞いに来たはいいが、流石にこの雰囲気に割って入る程の胆力は持ち合わせていない。また日を改めるしかないだらう。
(にしても、だな)
ちらり、と視線を向けるのは自身が身に纏う検査着。その胸元から中を覗けば、そこには火傷どころか傷ひとつない身体がある。
あの時の事はうろ覚えであるが、まず間違いなく無傷で済むはずはない。だが、現に致命傷どころか擦り傷ひとつも負っていないのだ。ふと、脳裏に浮かぶのは千冬の告白。究極を求めて作られた、デザイナーベイビーの存在。
「随分と便利な身体になったモンだ」
皮肉気にそう呟き、胸元から視線を外す。流石に致命傷を治療できるほどの回復力は今回限りだろう。だが、傷の治りが早いというのはナナにとって大変ありがたい事である。多少の無茶をしても構わないという事なのだから。
まぁ、やったらやったで楯無から心配と怒りが入り混じった表情で詰め寄られる事は目に見えているので、滅多にできないだろうが。
何にせよ、この身体のお陰で生き残ったのだ。デザイナーベイビー様々である。
(あぁ、そういや………)
うろ覚えの中で、ふと思い出した事がひとつ。誰かの声が聞こえたのだ。男とも女とも取れない、聞き覚えのない声の主。あれは一体誰だったのだろうか、と背中を壁から離してナナは歩き出す。
向かう先は決めていない。何せ、精密検査が逃げ出したのだ。戻ればただでさえ口うるさい保険医の説教は確実だろう。だからこそ逃げるようにその場を後にしようとするナナの肩に、手が置かれた。逃すまい、と力を込めて握られた肩からミシリと嫌な音が。
「見つけたぞ」
「ち、千冬………」
ナナにここまで接近を許す相手など、千冬を除いていない。恐らく逃げ出した自身を捕えに来たのだろう、と当たりを付ける。効果覿面だよ、ちくしょうめと内心で吐き捨て、逃亡を諦めた。
そも、肩を掴まれている時点で逃げ出す事は不可能だ。全てを察したナナは大人しく裁きを受け入れる。
「まったく、何のための精密検査だと………それと、織斑先生だ」
ゴッ、と鈍い音がナナの頭の上で鳴る。そのまま意識を失って倒れるナナの襟首を掴むと、千冬は検査室へとナナを連行するのだった。
◇◆◇◆
「酷い目にあったヨ………」
「あー………それはご愁傷様」
結局のところ、精密検査にて異常はなかったものの様子見る事となり一晩の入院が決定されたナナ。ベッドの上で仰向けになり、面白くないと天井を睨むナナの隣にいるのは一夏だ。
同じく一夏も精密検査を受けたが、こちらも問題なし。入院が言い渡されなかったのは、一重に信号が途絶えたか否かの違いである。
今回の事件、当然学園側は状況を把握するためにISから発せられる信号を受信していた。その中でもナナは一時的にロストしたのだ。入院させられるのも無理はない。
この入院生活も苦痛ではあるが、何より苦痛なのは一夏の視線。言うべき事があるだろうと雄弁に物語るそれは、ナナにとって心当たりがある。だが、上手い言い訳が思いつかないからこそ、放置しているのだが。
「Ahh………一夏、他のみんなはどうだったカナ?」
「怪我は酷いみたいだけど、ナノマシン治療で二、三日もすれば動けるってさ。今は大貧民してる」
「Why?」
「なんでも、ペアを組まなかったから俺に何か命令したいらしい。流石に全員は無理だから、大貧民で勝った奴の話を聞くって形になったけど。それよりナナ、他に言う事あるんだろ?」
どうにか話題を逸らそうとしたが、そうは問屋がおろさない。目を逸らすナナに止めとばかりにその話題を口に出す。
「………本当はちゃんと喋れるんだろ?」
なぜ隠していたのだ、とそう問いかける口調はどこか鋭い。そも、コミュニケーションは取れるからいいだろうという話ではないのだ。友人として接するに当たって、隠し事はあまりされたくないと思うのは至って当然。
ナナとしても気持ちはわかる。だが、馬鹿正直に一夏と接点を広げるためだとは言えないのだ。何せ、最初は鹵獲するつもりで近づいたのだから。
諦めたナナは有り合わせの嘘を命一杯含んだ言葉を、ため息と共に口にした。
「別に、smartには話せるヨ。けど、口が悪いからネ」
「そんなの、別に気にしないのに」
「少なくとも、first contactには支障が出るヨ」
初めましての挨拶で、いつもの調子で話せばまず間違いなく警戒される。当初の計画を考えればそれは避けたい所であり、ナナとしては絡みやすい口調で接していたのだ。
「だからサ、それで今は許してくれないカナ?」
「…………わかった」
力無く笑うナナの顔を見て仕舞えば、一夏として告げる言葉はない。何となく、隠し事があるのだろうとぼんやりと察してしまうのだ。それはきっと、ナナのとっておきの秘密。話したくても拒絶された時の事を考えて話せなくなる、特大のものだ。
それを無闇に暴こうなどと、一夏も思っていない。今回も、口調を態と崩す理由を知りたかっただけ。これ以上踏み込めばきっと、友人として接する事はなくなるだろう。
ただ、いつかその秘密が話された時、それを受け入れる心構えを作っておく事が今の一夏に課せられたものだとは理解した。「thank you」とナナが告げて、この話題は取り敢えずの終わりを。そう言えば、と思い出したようにナナが告げた。
「さっき聞いたケド、明日取り調べあるみたいヨ。一夏、何話すか考えておきナ」
「げっ⁉︎マジかぁ………明日、蘭の中学の文化祭と箒とディナーの約束があるんだよなぁ」
何ともまぁ、事件が起こりそうな予定である。殺し屋として潜入していた時だって、ナナもそんな経験していない。冗談や比喩でなく、刺されてもおかしくない所業だ。
「一夏、まさかとは思うケド、文化祭に箒を連れていかないよネ?」
「いや、なんか招待客しか入れないみたいだぞ。まぁ、女子校らしいからな」
裏を返せば、招待制でなければ一緒に連れて行くつもりだったのだろう。目の前の男はまず間違いなく、善意で人を集める。招待した乙女の気持ちなど一切気にせずに。
「一夏、正座」
「え?突然どうした?」
「いいから、正座。君には乙女心を、少し理解してもらうヨ」
そんな大袈裟な、と言葉を告げようにも、有無を言わさないナナの視線に黙って従う。蘭とナナは正直、そこまでの絡みはない。精々数回顔を合わせた程度の仲だ。それでも、この様な事が今後も起きると思うと早めに釘を刺して置かなければならないと決意した。そうでなければ彼女たちが余りにも哀れである。
硬い床の上、律儀に正座する一夏はくどくどと、埒外の説明にただただ困惑するばかり。情報を処理しようにも、脳がそれを噛み砕こうとしない。まるで知らない言語で話されている気分だ。話を切ろうにも、それを許すナナでなく、視線ひとつで制していた。
下からベッドの上のナナを眺めながら、その表情がどことなく千冬に似ているなと現実逃避気味に考える一夏なのであった。
◇◆◇◆
翌朝。
(い、言っちゃった………!)
廊下を全力ダッシュする簪は、耳まで真っ赤になっていた。まぁ、それも無理はない。何せ一夏に告白したのだから。
楯無の差し入れにと手に取ったアニメDVDの数々。魔法少女からロボット、恋愛、そしてヒーロー物と幅広いジャンルを用意したのは何が好みかわからないから。
その道中にちょうど一夏の部屋の前を通り、元々の予定であった取り調べを一緒に受けようとしたのだ。邪魔をするような専用機持ちたちは全員医療室のベッドの上。引っ込み思案の簪にとって、これ以上にないチャンスであった。
そうして一夏を誘い取り調べへと向かう道中、偶々一夏の知っていたアニメが紙袋の中にあり、膨らんだ話題の勢いで言ったのだ。好きだ、と。
人通りのある廊下での出来事だった為に集まる衆目、そして恥ずかしさから駆け出した簪は答えを聞いていない。だが、元より唐変木と名高い織斑一夏。自身の思いの丈をぶつけたところで、返事が貰えるとは思っていない。
(で、でも、ちゃんと………大好きって、言ったし……………あれ?)
これならば誤解などないだろうと淡い期待を寄せ、先ほどの事を思い出して更に顔を赤くする簪。だが、ふと感じた違和感に足を止める。
思い出した告白シーンの前に、確かアニメの話をしていた。そして一夏が問うたのだ。「好きなのか?」と。それに対して好きだ、と返したのだが、これはもしかすれば、と嫌な予感が背筋をなぞる。
「あ、アニメが、好きって………言っただけ、なんじゃ………」
口に出して反芻してみれば、間違いなくそう解釈されたに違いない。別の意味で恥ずかしくなった簪が駆け出し、向かう先は楯無のいる医療室。せめて愚痴を聞いて貰わなければ取り調べなどまともにできる気がしない。幸いなことに、指定された時間までもう少しだけ時間はあるのだ。
楯無の入院部屋までたどり着くと、呼吸を整える。姉にまで無様な格好を見せた暁には、間違いなく羞恥のあまり動けなくなってしまうだろう。差し入れの紙袋は一夏に渡してしまったので手元にないのだが、そこに気が回るほど簪のメンタルは回復していない。
「お姉ちゃん………」
「あら、簪ちゃん」
「ン?Hi」
スライド式のドアを控えめに、覗き込むようにして部屋に入ればそこに先客がいた。楯無が背中を預けるベッドの横、簡易的な椅子に座って手元のリンゴを剥くのはナナだ。
入院しているはずのナナがここにいることに困惑をひとつ。楯無とナナの顔を交互に見る姿に、ナナは苦笑いを。こうして面と向かうのは初めてであるが、話に聞いているよりも存外わかりやすい性格だと判断した。
「どうしたの?何かあった?」
「え?ぃや………な、なんで、彼がいるの?」
「お見舞いだヨ、お見舞い。ほら、楯無。リンゴだヨ」
「ありがとう。ん〜、美味しいわね、コレ」
「虚が買ってきた、普通のリンゴだヨ?」
「わかってないわねぇ。こう言うのは誰がやってくれたか、までが重要なのよ」
「そう言うもノ?」
「そう言うものよ」
仲睦まじく会話を広げているが、待ってほしいと言うのが簪の本音である。
ナナと楯無の関係は、噂に疎い簪でも周知しているところ。偶にクラスメイトの会話が聞こえてくるのだ。その時は何ともなく思っていたそれだが、流石に目の前で繰り広げられると違う。想像の倍以上に空気が甘ったるい。
傷心の簪にとってこの空気は毒だ。それを身内がやっているとなると余計に。羞恥からくるものか、それとも一夏とそこまでいけない悔しさか。無意識のうちに簪は自身の胸を掴んだ。
「簪ちゃん?大丈夫?」
「ッ!う、うん………なんとも、ない………お姉ちゃん、元気そうでよかった………」
楯無の声にハッと気がついた簪。これ以上ここにいても辛いだけだと判断し、誤魔化しの言葉を吐いて退散しようとする。しかし、そうはさせないと口を挟んだのはナナだ。
「Oh、そうだっタ。この後、事情聴取あるンだヨ。簪、君もだロウ?Good timingネ。一緒に行くヨ」
「え?」
「それじゃあ楯無、また後でネ」
「はいはい。一応言っておくけど、簪ちゃんに手出したら承知しないわよ?」
「HAHAHA、キリストがルート66をチョッパー乗ってぶっ飛ばすくらいあり得ないネ」
そんな会話をひとつして、簪の反応などお構いなしにその手を引いて部屋を後に。困惑するままの簪の前で手を振って、ようやく意識が戻る。事情聴取が行われる生活指導室にはまだ少し距離があるが、それでもかなりの距離を手を引かれていたらしい。
廊下に自分たち意外の人通りもなく、未だ少し混乱する頭で簪はナナを見る。
簪にとってナナはよく知らないが、身内の彼氏と言う立ち位置。漸く仲直りした姉を掻っ攫おうとする、よくわからない相手。繋がれていた手を乱暴に引き剥がし、その反応は予想通りなのか肩を竦めるだけのナナをキッと睨んだ。
「………なんの、つもり?」
「警戒されてるネ。悲しいヨ、オレは」
「誤魔化さないで………」
身振り手振りを大袈裟に、さながら道化役者のように泣き真似をするナナに強く言い放つ。嘘は通じないと判断したのだろう、ナナは再び肩を竦めた。
「別に、下心はないヨ?ただ、仲良くなりたいのサ」
「………懐柔?」
「……ホント、傷つくくらいに疑われてるネ」
警戒心全開に、最初より一歩引いた距離で簪はナナを睨む。流石にそこまで警戒を露にされては堪えるものがあるのだろう。苦笑いに少し傷心の感情が混じっていた。
まぁ、無理もないだろうとナナも理解している。これまで接点と言うのはまったく無かったのだ。そんな相手が突然仲良くなろうと言い出すのは、罠か何かを疑って然るべき。
当主になれない簪ではあるが、そこら辺は更識家の者らしい考え方である。
「本当に、裏なンてないヨ?強いて言えば、楯無との関係を認めてほしいだけだヨ」
「………それが本音?」
「まぁ、そうだネ」
「……………………それは、貴方次第じゃないの?」
的を得たその返しが、ナナの胸を貫く。簪の言はもっともであり、言い逃れできないくらいの正論だ。
将来的な義妹と仲良くしておきたい、と言うのが本音であるが、流石に口にはできない。というか、ドン引きされる未来しか見えない。
正直な所、ナナとしても簪の様なタイプはどう接すればいいのかわからないのだ。だからこそこうして性急な判断をしてしまった。
その結果として得たのは更に警戒を露にする簪という最悪。どう巻き返したものか、と内心で頭を悩ますナナであったが、ふと妙案を思いつく。十中八九、巻き返すことができる完璧に近しい提案が。
「コホン。何、別に今すぐってわけじゃないヨ。今後のオレの動きを見て、判断してもらえるかナ」
「それは、当然………」
「thank you。お礼に、そうだネ………一夏とのお出かけ、斡旋するヨ」
その言葉にぴくり、と簪が反応する。お出かけ、と濁してはいるが完全にデートを指していると察したからだ。
計画通り、と内心でほくそ笑むナナ。誘惑に揺らぐ今が好奇と更に畳み掛ける。
「一夏、よく遊びに誘ってくれるからネ。簪もどうだイ?勿論、それとなく提案する形になるケド、確率は高いンじゃないかナ?」
またもやびくり、と簪が肩を揺らす。脳内にあるのは一夏とのデート。ナナも一緒だと言っているが、まず間違いなく頃合いを見て姿を消すだろう。
引っ込み思案な簪にとってそれは魅力的な提案。思わず飛びつきたくなるが、そこはグッと堪える。頭を振って馬鹿な考えを外に追いやり、ナナを睨んだ。
「何が、目的なの………?」
楯無と自身の関係を認めてもらうだけにしては、中々に必死だ。実際、簪の意見などあってないようなもの。本家で声を上げようとそれを拾おうとする者の数は少ない。味方に取り込むメリットも特にないのだ。
それに対し、ナナは今度も同じ様に肩を竦めると簪に背を向けて歩き出す。向かう先は生活指導室である。
「認めてもらいたい、ってのはホント。後はネ、一夏には幸せになって貰いたいンだヨ」
「幸せ………?」
「Yes。彼は良い人間だからネ、それが報われて欲しいンだヨ」
それより時間だヨ、と告げるナナに言われて時計を見れば確かに、事情聴取の時間が迫っていた。これに遅れれば拒否したと見做され、政府からの監視と千冬の特別訓練が待っている。それは簪としても望むところではない。
ナナと距離を空けて、ゆっくりと後を尾ける簪。歩きながら、ナナは言葉を続けた。
「彼が誰を選ぶのか、オレは知らないヨ。オレが押し付けるわけにもいかないし、選ばない選択肢だってアル。それは一夏次第サ。デモ、友人の幸せを願うのに、理由はいらないデショ?」
「………お姉ちゃんは、どうでもいいの?」
「それこそまさか、ダネ。彼女の事は、死ンでも幸せにするサ」
「………それは、ダメ」
軽快に脚を進めていたナナが、ピタリと止まる。後ろを歩く簪からはその表情を伺えないが、ナナの表情に悲しみはない。寧ろそれは予想していた範囲内の感想。
だからそこにあるのは落胆。深くため息を溢したいところであるが、簪の手前それは押し留める。頑固さは姉譲りと言うべきか、中々言いくるめられない事にそろそろ飽きが来たのだ。
次なる手を打とうにも、こうも頑なであればそれも難しい。いっその事なぁなぁの関係で済ませておけば良いのかもしれないが、信頼の有無は自由度にも繋がる。楯無とデートする度に簪が監視する様な事は避けたいのだ。
さて、どうしたものかと悩むナナの背中に、簪は声をかけた。
「死んだら、お姉ちゃん悲しむ………。だから死んじゃ、ダメ」
その言葉に振り返ったナナ。予想外のそれに困惑するナナに、今度は簪が畳み掛ける様に言葉を紡ぐ。
「貴方が、お姉ちゃんを大事にしてる、それはわかった。けど………まだ、認めることは、無理。だけど、お姉ちゃんを悲しませたら………許さない」
弱々しい引き篭もりだと思っていた最初の印象とは違う、決意を秘めた視線。それが本来の簪の持ち味なのか、それとも一夏の影響なのかはナナは知らない。だが、随分とまぁ良い顔をするようになったものだと嘆息を。ナナの中で簪の評価を改めた瞬間である。
「肝に命じておくヨ」
それじゃあ、お先にと言って、ナナは今度こそ振り返る事なく事情聴取へと赴く。残された簪はその背中をじっと見定めるように睨むのであった。
◇◆◇◆
とある部屋の一室。
夜の帳が下りているというのに照明もつけられず、部屋の中の唯一の光源であるモニターの明かりだけが頼りであった。
その光源を遮るように座るのはフェリス。モニターに映し出される映像は今回の無人機襲撃事件のもの。燻らせていた紫炎を灰皿へと落とし、また新たなものに火をつける。気怠げな表情と仕草であるが、次々と映し出されるモニターの内容はちゃんと記憶しており、万が一にも忘れる事はない。
チリチリと勢いよく短くなるタバコ。そうして肺いっぱいに含んだ煙を吐き出すと同時に、勢いよく部屋の扉が開かれた。
「チッ、このオータム様をパシリに使いやがって………オイ、フェリス!荷物だぞ!」
「あー、そこに置いといてニャ」
「そこにつったって………」
ダンボール一杯に入った電子機器。それらを置こうにも部屋には何らかの設計図やゴミ類、何かの部品などが散乱しており足の踏み場もない。よくもまぁここまで汚せるものだと逆に感心してしまうほどである。
「汚ェな、オイ。掃除くらいしろ」
「これでも整理してるつもりニャ。あ、それ踏むニャよ」
それ、と言われても床に物が散乱しすぎてどれを指しているのかわからない。クソッタレ、と吐き捨てて荷物を適当に置くと視線は自然とモニターへ。
「オイ、何見てんだよ」
「IS学園の無人機襲撃映像ニャ」
「は?無人機?ってか、その映像どっから仕入れたんだよ」
「勿論、ハッキングだニャ」
なんて事ないとばかりにそう吐き捨て、タバコを灰皿へと捨てる。山の様に積み重なった残骸に目もくれず、また新たな一本を口にするフェリス。
馬鹿なことを言い出した、と呆れるオータムの表情を見ることなく、フェリスはモニターから視線を逸らすことなく言葉を紡いだ。
「前にIS学園に乗り込んだじゃニャい?そん時にバックドアをいくつか仕込ませてもらったニャ」
「は?だったら何か?学園のシステム掌握も可能って事か?」
「流石に無理だニャ。けど、こうして盗み見する事くらいはできるニャ」
まぁ、それも残り数回が限界だろう。用意したバックドアの先はいくつものダミーを経由しており、追いかける事は難しい。だが、不可能ではないのだ。今回のこの映像もかなりの攻防の末に手に入れたもの。秘匿される前に入手できたのは僥倖である。
「にしても無人機ねぇ………んなもん、何処が造ったんだ?」
「んニャの、あの化け物にしか造れニャいだろ」
フェリスの脳裏に浮かぶのは天才にして天災と呼ばれる篠ノ之束。他の努力を無碍にして、笑いながら片手間で先を歩く人でなし。その道端の蟻でも見る様な、無価値なものを見る視線を思い出してフェリスを口元のタバコを噛む。
切り替わったモニターには第二次移行を果たしたナナが無人機を追い詰める姿が映し出される。一方的に、苦戦することなく破壊するナナの姿を見て溜飲を下げたのか、口元のタバコを吐き捨ててフェリスは笑う。
「順調みたいだニャア………」
「テメェが気にかけてるクソ野郎か。チッ、今度会ったらただじゃおかねェ」
ナナと楯無に良い様に転がされた件は、未だオータムの中に残っている。その屈辱も、怒りも、風化することなく鮮明に覚えているのだ。その借りは必ず返すつもりであり、フェリスが何と言おうと止める気はない。
それはフェリスも察しているだろうが、止めるつもりはない。精々殺されないように気をつけな、と皮肉を溢すくらいだ。
「どうかニャ、オータム。酒に付き合う気はあるかニャ?」
「なんだよ、突然」
「あの化け物の手先が無様に破壊された記念ニャ」
まぁ、破壊される事が前提であるだろうが、痛快な事には変わらない。そも、束が何を計画しようとこちらには関係がないのだ。
テーブルの下をゴソゴソと漁り、取り出すのは年代物のウイスキー。景気良く蓋を開け、そのまま豪快に口をつけて飲む。
アルコールが喉を焼くが、それにも勝る幸福感。口を離して一息吐くと瓶をオータムへと差し出した。一瞬の迷い、だが毒はないようだと判断したオータムがフェリスからそれを奪うと、同じ様にして口をつける。
「待ってろよォ、蛇。お前はこっち側ニャんだからニャア」
獲物を狙う猫のように、瞳孔を開いたフェリス。呟いた言葉を飲み込む様に、オータムから受け取った瓶をまた呷るのであった。