IS 首輪付きの死刑囚   作:桜大好き野郎

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30話

 

 

「ん………」

 

 

 ゆっくりと、意識が浮上する楯無。目に映るのは白い天井、少し首を動かせば左右には視線を遮る為のカーテン。つい先日も同じ光景を見たな、と内心で溢す。

 

 身体を起こせばやはり、そこはIS学園の医務室。予想通りと言うべきか、腕からはコードが伸びており、その先は各種モニタリング機器と点滴が。

 なぜこうなったのだ、と記憶を掘り起こすまでもない。自身の油断が招いた結果だと楯無は把握している。そして、朧げながらそれを救ってくれた人物もまた、覚えていた。

 

 

「………ナナくん、いるんでしょう?」

 

 

 カーテンの向こうから感じる、人の気配。夕陽が差し込んでいる事からシステムは復旧したのだろうと当たりをつける。

 暫くの沈黙。そうして一向に動こうとしないナナに痺れを切らした楯無が強引にカーテンを開けた。差し込んだ光に一瞬目が眩むが、やはりそこにいるのはナナ。

 

 床に座り込み、膝を抱える姿は見るからに落ち込んでいる様子。楯無からは見えない様にベッドに背を向けているが、その表情も相応のものなのだろうと当たりをつけた。

 

 

「どうしたの、ナナくん?」

 

 

 柔く、甘い声で疑問を口にする楯無。それが自身の罪を浮き彫りにする様で、ナナは必死に顔を見られまいと膝に顔を埋める。

 

 

「ナナくん」

 

 

 理由はわからないが、これは重症だと苦笑いを。声をかければビクリと身体を震わせる彼に、楯無は自身のベッドを叩いて着席を促す。

 暫しの沈黙。動こうとしないナナに再度、着席を促せば決心が付いたのだろう。顔を見せない様にしながら、その縁に腰をかけた。その背中に頭を預ける楯無。意外と広いナナの背中がまた、ビクリと震える。

 

 

「助けてくれて、ありがと」

 

「…………助けなンざ、しちゃいねェ」

 

 

 礼も感謝も、今のナナには心臓をナイフで刺されるに等しい。

 何せ、裏切ったのだ。忠告を聞き流し、ただ己のために最愛の存在を忘れていたのだ。あの時一夏が止めなければきっと、ナナは男を殺していた。側に転がる楯無の容体など眼中になく、もしかすれば楯無はこの場にいなかったかもしれない。

 

 それを考えると、ゾッと背筋を悪寒が走る。男を殴った感触が蘇り、耳元で過去が囁く。殺せばいいだろう、と。一切合切、向かってくる者全て、殺して、殺戮して、鏖殺してしまえばいいだろう、と。

 そうすれば難しい事は考えなくて済む。九分九厘死ぬだろうが、関係ない。己の心が晴れる事が最優先。どうせ泥の中で苦しみながら死ぬ運命なのだから、欲のままに生きればいい、と。

 

 そんな悪魔の様な幻聴を、頭を振って追いやる。けれど、纏わりつくヘドロの様にそれはナナから離れてくれない。

 

 

「ナナくん」

 

 

 楯無から紡がれる自身の名すら、今は毒だ。

 それは楯無も感じているのだろう。あからさまなナナの態度は何があったのだろう、と想像させるには容易い。自身の傷の事を連想するが、それだけではこうはならないのは先日の無人機の件で経験済み。ならば問題はもっと奥、ナナ自身の深い場所だと当たりをつけた。

 

 

「………何があったの?」

 

「…………」

 

 

 口を噤むナナに、楯無は焦れる様子はない。ナナの腹に腕を回すと、その背中を抱きしめる。

 

 

「何を悩んでいるか、私は知らない。けど、大抵のことは受け入れる器量はあるつもりよ。だから、お願いナナくん。私に打ち明けてちょうだい」

 

 

 背中越しの暖かな体温が、ナナにゆっくりと伝わる。それは怯える心を少しずつほぐし、ゆっくり、ゆっくりと喉の奥に詰まる言葉を吐き出させた。

 

 

「…………オレはお前を、見捨てようとした」

 

 

 まるで救いを求めるように、腹に回された手にそっと手を添えながら言葉を溢す。恐る恐ると、口元を戦慄かせながら紡がれたそれに、楯無は動揺した様子はない。「うん」と相槌を打って、その先を促した。

 

 

「お前が怪我してる事なンざほっといて、殺しに走ろうとしたンだ…………」

 

「そう」

 

「一夏がいなきゃ、どうなってたか…………だから、感謝なンざいらねェ。オレは、オレはーーー‼︎」

 

 

 所詮人殺しだ、と続けようとした言葉は、再び喉の奥に詰まる。どれだけ言葉を尽くそうと、愛を謳おうと、彼女と共に生きる事は不可能だと、そう認めたくなくて噤んだ言葉。その代わりに溢されたのは涙だ。

 

 ぽろぽろと、目尻から零れる涙は頬を伝い、顎まで流れると楯無の手の上へと落ちる。閉じ込めようとした想いは嗚咽に変わり、医務室に暫くの間それが響いていた。

 

 そうして、それが漸く落ち着いてきたころ。それまでずっと沈黙を貫いていた楯無が口を開く。

 

 

「ねぇ、ナナくん」

 

ズピッ………なンだ」

 

 

 流すものを流して、少し落ち着いたのだろう。幾分か怯えの消えたナナの背中に、楯無は頭を預けたまま続ける。

 

 

「貴方がどれだけ自分の事を嫌いになろうと、私がその分好きになるわ」

 

 

 ナナの自己嫌悪は薄暗い過去が起因している。それを嫌わないで、と言う事は容易い。だが、それで解決するものではないのだ。ナナに、新しい人生を歩み出そうとしている彼に、それを受け入れられる余裕がまだないのだから。

 

 身体を少し揺らせば、ナナの身体もそれに釣られて揺れる。リズムはゆっくり、安心させるように続けながら、慈愛を込めて言う。

 

 

「過程がどうであろうと、貴方は私を救ってくれた。それで十分よ」

 

「………オレは、お前を裏切ろうとした」

 

「でも、裏切らなかった。例え裏切られようと、それでも私は貴方を愛するわ」

 

 

 浮気は例外だけどね、と冗談混じりに付け加えて微笑む。背中越しだと言うのにそれを察して、ナナもなンだよそれ、と言って薄く笑った。そうしてナナの背中から楯無の体温が離れる。

 

 

「ナナくん、こっち向いて」

 

 

 離れた体温に一抹の寂しさを。それでも顔を見るのはまだ少しの恐怖が。もしも本当は失望されていたら、と思うと動きが鈍くなる。

 けれども、あの言葉は嘘ではないと信じたい。その気持ちを糧に、勇気を出してゆっくりと振り返る。その瞬間ーーー

 

 

「ーーー」

 

 

 互いの唇が触れていた。

 

 突然の事でナナの頭の中は混乱して、言葉を失う。狙いを定める為なのか、両頬を包む掌の暖かさも、超至近距離で見る楯無の顔も今は理知の外へ。ただただ、唇に触れる感触と暖かさだけが錯乱する脳に伝わっていた。

 

 それがどれだけの時間だったのか、定かではない。1分だったような気もするし、5分は経っていたかもしれない。もしかすれば10秒程度の出来事だったのかも、ナナには把握できない。惚けたままのナナが再起動する頃には、唇は離されていた。

 

 キスなんてもの、殺し屋時代に何度も経験した事はある。ターゲットの愛人だったり、恋人役だったりとシュチュエーションは様々だが、それこそ数えられない程してきた。

 

 だが、これは。楯無とのそれは今までとは違う。まるで生娘のように顔を真っ赤にすると、唇を抑えてベッドから転げ落ちる。壁を背にバクバクとうるさい心臓の音を耳にしながら、楯無の顔を見た。

 そこに悪戯が成功したような無邪気さはなく、ナナにも負けないくらいに顔を真っ赤にした憂いの表情。自然と口元に視線がいってしまうが、その場合ではないと必死に視線を逸らす。

 

 

「………これが、証明よ。言っておくけど、初めてなんだからね」

 

 

 愛している、といくら言葉で届けてもきっとナナの心にしこりは残る。だからこその行動での証明。1番手っ取り早くて、1番わかりやすい手段であるが、やはり覚悟していたよりも恥ずかしいのか、ナナの方に視線は向けられない。

 

 

「これからもきっと、ナナくんは自分が嫌いになる事があるでしょう。でも、忘れないで。貴方を意地でも愛する人がいるってこと」

 

 

 忘れたくても忘れられない、と言えたらどれだけよかったか。

 未だ混乱と余韻に浸るナナに言葉を紡ぐ事はできず、出来る事と言えば顔を赤くして情報を整理する事だけ。

 

 

「………わかったら、返事」

 

「あ、あぁ………」

 

 

 漸く口に出せた言葉と一緒に、理性が戻ってくる。それでも先ほどの事を思い出してしまい、再びどこかへと逃げる理性を必死に抑えるナナ。

 ならば良し、とカーテンの向こうへと姿を隠す楯無。これ以上は恥ずかしいと言うのと、再び目が合えばもう一回と言いたくなる欲望を抑える為だ。

 

 

「…………入院はいつまで?」

 

「…………少し長引くって話だ」

 

「そう………じゃあ、毎日お見舞いに来る事。いい?」

 

「おう………なら、また明日………」

 

「ええ。その、また明日………」

 

 

 ドギマギと、甘酸っぱい雰囲気を垂れ流しに。区切りを付けなければ互いにまずいと思い別れを。けれど、後ろ髪を引かれる思いでちらちらと、名残惜しそうにナナは出口へと。10mもない距離を何度も振り返りながら退室し、扉が閉まると同時に楯無は枕を抱いて顔を埋める。

 

 衝動的に身悶えすれば腹の傷に響き、動きが止まるがそれも一瞬。その代わりと言わんばかりにぎゅっと枕を抱きしめた。

 

 

「やっちゃった………」

 

 

 枕の隙間から溢れる楯無の本音。いつか、いつかと思っていた事をついにやったのだと言う達成感。それと予想を遥かに超える羞恥心。先ほどの場面を思い出して、耳まで真っ赤にした楯無の呻き声を枕が吸収する。

 

 初めてのキスはレモンの味、なんて言葉があるが緊張のあまりそんな事を気にしている余裕はなかった。枕から顔を上げた楯無がそっと唇に指を這わせる。

 

 ナナの感触が、体温が、まだ残っている気がして、ほぅと甘い吐息を溢す。ああ、ダメだ、と冷静な理性が告げる。これはダメだ、と。二度目以降は癖になると警鐘を鳴らしていた。

 

 それでももう一度、と願ってしまうのは我儘だろうか。

 

 

「失礼します、お嬢様」

 

 

 ノックと同時に入室するのは虚。その手には入り用になるであろう下着や着替えの入った入院セットだ。返事がない事に訝しげに、しかしまだ寝ているとしたらナナがいない理由がわからない。後悔と懺悔を内混ぜにした彼が、そう易々と席を外す事はないだろうと遠慮なくカーテンを開ければ、惚けたまま虚空を見つめる楯無の姿。

 

 ああ、何かあったな、と当たりをつけるのは容易い事だった。それも日頃のイチャつきを超える、甘い甘い展開が。

 

 

「お嬢様」

 

「ひゃっ⁉︎う、虚⁉︎い、いつから⁉︎」

 

「先ほどですよ」

 

 

 声をかければ現実に引き戻される楯無。それを少し惜しく思いながらも、体裁を整えようと咳払いをひとつ。まぁ、全ては後の祭りなのであるが。

 そんないじらしい姿を、虚は見て見ないフリ。下手に薮を突く趣味はないのだ。

 

 

「ど、どうしたのかしら?」

 

「入院生活が長引きそうなので、着替えを。そして、今回の報告です」

 

 

 その言葉に、先ほどの浮ついた雰囲気はどこへやら。更識家の当主として気を引き締める。

 

 

「まずは今回の侵入者。こちらは全員が無国籍でしたが、アメリカの特殊部隊と言う事が判明しました」

 

「でしょうね。被害は?」

 

「こちら側はお嬢様の負傷ですね。あちら側は負傷者2名、どちらも復帰は難しいみたいです」

 

 

 利き手を撃たれた隊員は勿論、楯無を攫おうとした隊員が一番の重傷。膝の骨折は治るだろうが、タコ殴りにされた影響だろう。片目の視力を失ってしまったらしい。

 それについて学園側が謝罪も賠償もする必要はなし。例えアメリカが文句を言おうと、あくまでこちらは侵襲された被害者。正当防衛の範疇である。

 

 

「そう………。ハッキングしてきた相手は?」

 

「そちらは不明です。現在織斑先生が出ておられるので、心当たりがあるのでしょう」

 

「電脳ダイブしたみんなは?」

 

「全員が敵の罠にかかりましたが、織斑くんの助けもあり無事です。精密検査の結果も問題ありません。ただ、織斑くんは未だ目を覚さないようです」

 

 

 と言っても、バイタルサインは問題なし。後は意識の覚醒を待つだけなのでそこまでの大事ではないのだ。報告は以上だと虚が告げれば、思案顔のまま楯無はそう、とだけ呟いた。

 

 ハッキングを仕掛けた者が何を狙っていたのか、楯無にもわからない。それに、生徒会長にさえ秘匿されていた地下施設。この問題に、千冬にいくら掛け合おうと全てを教えてもらう事は出来ないだろう。

 

 

「何を隠してるのかしらねぇ………」

 

 

 敵も味方も、手札を見せないのだから対策の打ちようがない。ふぅ、と一呼吸置いてベッドへと横になる。疲労も溜まっているのだろう、身体を起こす気力さえ湧かない。

 

 

「今日はもう休むわ。後はお願い」

 

「畏まりました。簪さんが酷く心配していましたが、面会は明日に?」

 

「そうねぇ………会いたいのは山々だけど、ね」

 

 

 楯無が怪我をした、と聞いて1番取り乱したのはナナであるが、それに負けず劣らず慌てたのは簪だ。一度見舞いに、と来ていたが先客のナナに気を遣って退室、というのは建前。本音はなぜ守れなかったのだ、と苛立ちをぶつけてしまいそうだったからである。

 そんな簪のメンタルを早めに回復させてあげたいが、流石に優先度は楯無の体調の方が高い。彼女には無事だ、ということを伝えておく事を虚は決める。

 

 

「それではお嬢様、私はこれで」

 

「ええ、いつもありがとう」

 

 

 虚が退室した後、仰向けのまま楯無は思考する。

 今後の動き、身の振り方、そしてナナの事。それらをどう捌くか考えているうちに、楯無の意識は暗闇へと落ちていくのであった。

 

 

◇◆◇◆

 

 

「はぁ、今日も疲れた……」

 

「お疲れ様だネ、一夏」

 

 

 ハッキング事件から後日。一夏の昏睡もそこまで酷くなく、その日の夕方には意識が覚醒。精密検査の結果問題なしとされめでたしめでたし、と言うわけにはいかなかった。

 

 昏睡から目を覚ました一夏を待っていたのは事情聴取という名の拘束。何せ、技研によるオールメンテナンスを放り出して来たのだ。その辺も踏まえてかなり絞られたらしい。

 

 肩を落としながら歩く一夏の隣で、ナナは笑う。電脳世界の中で何があったのか、世間話混じりで一夏から聞いている。それぞれ一夏自身が登場する物語の主人公になっていたらしい。

 

 勿論、それが嘘混じりの真実である事は察しているナナ。大方、それぞれが希望するシュチュエーションでいちゃついていた、と言う所だろう。流石にそのような現場を見て、意識が芽生えたのだろう。最近の一夏は箒たちを避けている。

 

 

「それにしてモ、一夏。なンで学園に駆けつけられたのカナ?」

 

「いや、それがさ。嫌な予感って言うか………誰かに呼ばれたって言うか………うーん、説明が難しいんだよな」

 

「成程、Love Messageが届いたンだネ。一体誰のだろうネ?」

 

「ばっ‼︎別に、そんなんじゃ………」

 

 

 わかりやすく顔を赤して否定する一夏の姿を、ナナは笑う。

 今回の件は、彼に本当に救われた。それについて感謝を述べれば一夏は言うのだ。「無事でよかった」と。

 

 てっきり情けない自身を責めるとばかり思っていたが、それも軽く注意された程度。思わぬ肩透かしに困惑したナナだったが、きっとナナ自身が深く反省している事がわかっているからだろうと当たりをつける。

 

 更に救われてしまった、と苦笑いをひとつ。お礼を、と考えたが言葉だろうと物だろうと、頑なに受け取ってもらえないだろう。だからこそ、ナナは一夏の幸せを願う。

 恋愛がその一歩、だとは思わないが、せっかく意識する相手がいるのだ。全力でサポートしたいと思うし、俗に言うハッピーエンドを迎えて欲しいとも思っている。

 

 

「あ」

 

 

 さて、どうするべきか、と考えながら向かう先は食堂。けれど、その入り口に待ち構えていたのは箒、セシリア、鈴、シャルロット、ラウラの5人。どうやら待ち構えていたらしい。

 

 

「………Hey、一夏。オレ、楯無のお見舞いに行くヨ。Just do your best(後はガンバ)

 

「待て、さっき行ったばっかりだろ‼︎お、俺もお見舞いに………」

 

「逃すか!」

 

 

 これは絶対に面倒な事になる、と足の向きを180°回転。その場を去ろうとする2人だったが、箒たちに捕まえられる一夏。1人になって溜まるものか、と伸ばした一夏の腕はナナのズボンを掴んだ。

 

 

「今日こそ、なんであたしたちのこと避けてるのか、聞かせてもらうわよ!」

 

「そうですわ!レディーに対して失礼ですわよ!」

 

「一夏、手ェ離してヨ。ぬ、脱げる………‼︎」

 

「逃すか‼︎絶対離さないからな‼︎」

 

 

 一夏の幸せをサポートする、と決めたナナだが、これは別件。犬も喰わない痴話喧嘩に巻き込まれるほどお人好しでもないのだ。

 倒れ込む一夏の手を解けばいいのかもしれないが、それをすればズボンは間違いなくズレ落ちるだろう。大衆の面前でパンツを曝け出す趣味もない。

 

 そんな奮闘するナナに近寄る影がひとつ、簪だ。それを認識した瞬間、心の中でうげっと声を漏らすナナ。何せ楯無を傷つけた原因の一端はナナにもあるのだ。暴言こそ吐かれていないが、その視線はかなり冷たい。

 

 仕方がないと思いつつも、将来の義妹の反応にかなり心にきているナナ。簪の顔を見るたびに楯無の件を思い出して、どうしても自己嫌悪してしまうのだ。

 出来うる事なら会いたくない相手は、けれど意外な事にいつもの険の籠った視線をぶつけられることはなかった。

 

 

「その………ごめん、なさい」

 

「What?」

 

「………貴方の事、邪険して」

 

 

 俯いて、こちらを見ようとしない簪の声に、渋々と言った感情は感じられない。けれど、なぜ謝られるのだと疑問符を浮かべるナナを察したのだろう、簪から事の経緯が説明された。

 

 

「お姉ちゃんから、聞いたの………今回は、自分の油断だって………後、当時の状況も…………守れる、状況じゃないって事、わかったから………」

 

「………Non。謝罪は不要だヨ」

 

 

 あの惨状を許せないのは、他ならぬナナ自身だ。簪の怒りは正当だと思うし、暴言を吐かれないだけマシだと思うほど。だからこそ、その謝罪は受け取れない。簪には引き続き、自身の罪を浮き彫りにして欲しいのだ。

 だが、ナナの願いとは裏腹に、簪は頭を横に張る。

 

 

「………ちゃんと、謝らなくちゃダメ………失礼な事、だったから………」

 

「Ahh………」

 

 

 そういえば意外に頑固だったな、こいつと脳裏を掠める簪の過去。誰しもが諦めろ、と言っていた専用機の開発を一夏と出会うまで独力で続けていたのだ。その頑固さは折り紙つき、身内が楯無だと言う事も更に拍車をかける。

 

 

「………うン、許すヨ」

 

 

 結局、折れたのはナナの方。ここで話し合いを重ねても結果は変わらないのだ。それならば、素直に受け取った方が賢い選択だろう。

 後ろから「お前ら俺でどんな妄想してるんだよ!」「わ、忘れろと言ったはずだ!」「忘れられるか、あんなもん!」と騒ぎ立てる声が聞こえるが、この際聞こえない事にする。

 

 

「………ありがとう。お姉ちゃんを、助けてくれて………」

 

It's my pleasure(どういたしまして)

 

 

 遠慮がちにそう告げた簪に、ナナは微笑みを持ってそう返す。けれど、それは次の瞬間に起きた。

 

 

「うおっ⁉︎」

 

 

 ビリビリと、布が裂ける音。一拍遅れて倒れ込む一夏。首筋の産毛が逆立つ様な嫌な予感がナナを襲う。嘘であってくれ、と心の内で願うが抵抗のなくなった両手が無常にも現実だと教えてくれる。

 

 

「「きゃあああ‼︎」」

 

「ッ………‼︎」

 

 

 悲鳴にも似た、周囲からの黄色い声。顔を両手で覆うが、その隙間からチラチラとこちらを伺う様子は突き刺さる視線でわかってしまう。そして、見る見るうちに顔を赤くする正面の簪。下の惨状が怖くて見れないが、確認するまでもなくズボンが破けた事は、風通しの良くなった脚が告げてくれた。

 

 声にならない悲鳴と共に繰り出された簪の右ストレート。思いの外鋭さを持つそれは、過不足なくナナの股へと直撃。さしものナナも呼吸が止まり、地面へと倒れ伏す。

 

 

「ナナ⁉︎大丈夫か、ナナ⁉︎」

 

 

 ナナが醜態を晒したことで自由になったのだろう、拘束を解かれた一夏が駆け寄るが反応はなし。あまりの激痛に意識を手放し、白目を剥いていた。

 

 

「ほ、保健室‼︎」

 

 

 ナナに肩を貸して、一夏は走り出す。同じ男として、その痛みは想像を絶するものだと知っているから。心の底から悪い、と謝罪をしながらナナは保健室へと運ばれるのであった。

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 亡国機業が根城としているホテル、その一室にて。一級の調度品に囲まれた中で行儀悪くテーブル方肘を付いてそこに頬を乗せるフェリス。対面には優雅に紅茶で喉を潤すスコールの姿。

 

 いつもなら近くにいるはずのオータムは別任務。そしてフェリスのペアであるエムもとある事情でこの場にはいない。正真正銘2人きりである。

 

 コツコツと、爪で何度もテーブルを叩いて不機嫌を表すが、スコールに動じた様子はない。そうして紅茶がティーソーサーに置かれると、フェリスが舌打ちを溢した。

 

 

「何のつもりだニャア?」

 

「何の事かしら?」

 

「しらばっくれんニャよ、スコール。何で、篠ノ之束と手ェ組んだニャア」

 

 

 裏社会で生きて身についた、ドスの効いた視線と声。小柄な女性からは想像できない圧に、普通ならば尻込みするだろう。けれど、スコールには関係なし。この程度ならば慣れている、とばかりに微笑みを浮かべると両手を組んで顎に乗せる。

 

 同性さえ魅了する魔性の笑みと仕草。仮に相手がオータムならば初心な乙女のように顔を真っ赤にしていただろう。しかし、今回の相手はフェリス。その手は通用しない。

 

 

「計画に必要だからよ」

 

「ハンッ‼︎利用しようとして利用できる奴じゃニャいだろ、アレは」

 

 

 フェリスの言う通り、スコールは束の事をたかが学者だと侮っていた。娘の様に可愛がり、今回のIS学園ハッキング事件の立役者クロエ。彼女を人質に取り交渉を有利に進めると画作していたが、結果は惨敗。

 

 もし、エムの存在を束が気に入らなければ、あそこで亡国機業は壊滅していただろう。今は専用機の作成のために席を外しているエムを利用すれば、とも考えるがそれは棄却。

 束にとってエムは興味を惹く対処と言うだけであり、そこまでの執着は見られないだろう。

 

 

「態々私がいねェ時に交渉するニャんざ、随分舐めた真似してくれるじゃあねェの」

 

「あら、いつから貴女のお伺いを立てなければいけない立場になったのかしら?」

 

「篠ノ之束の現在地を割り出したのは誰かニャア?」

 

 

 組織としての立場で言えば、スコールは圧倒的にフェリスよりも上だ。けれど、こと技術力だけで言えばスコールはフェリスに及ばない。

 今回の対談も、フェリスがその所在を明らかにしたから実現したこと。スコールの人脈を使えば可能だったかもしれないが、無駄な手間を増やす事になる。そう言った意味ではフェリスは使い勝手のいい手駒だ。こうして噛みついてくるのは玉に瑕であるが。

 

 

「ええ。貴女の尽力のお陰よ。でも、そんな貴女でもISを作り出す技術力はない」

 

「チッ………!」

 

 

 確かに、フェリス1人でISを作り出す事は不可能。それこそ、1人で作り出せる束の方が異常なのだ。

 痛いところを突かれた、とばかりに舌打ちするフェリス。組織の事を考えたら、束の手を借りる事は最重要。それはフェリスもわかっている。これが感情論からくる否定だと言う事も。

 

 しかし、許せないのだ。己の矜持が、目的が、全て足蹴にされた様で我慢ならない。

 

 

「貴女の目的は、知ってるわ。けど、今回は目を瞑ってもらえないかしら?」

 

 

 お願い、と微笑みを浮かべるスコール。反論しようにも、それがただの感情論から来る我儘だと1番理解しているのはフェリスだ。

 何度か口から出そうになる言葉を嚥下して、胃の腑へと落とす。そうしてそれらを消化すると、深いため息を溢した。

 

 

「ハァ………アイツと私を合わせニャい。それならいいニャ」

 

「あら、先方は気にしてたわよ?所在を掴んだ貴女の事を」

 

「知ったこっちゃねェニャ」

 

 

 「私の居場所を掴んだのは、君かにゃー?」と曰う姿を想像して、忌々しいとばかりにそう吐き捨てるフェリス。椅子から降りると、スコールを振り返る事なく去ろうとする。

 

 

「ああ、フェリス。今後とも、よろしくね」

 

「チッ‼︎」

 

 

 背中越しに投げかけられた言葉に、舌打ちで返事を。今度こそ部屋を去るフェリス。その背中を眺めながらスコールは満足げに笑った。

 もう少しだと。あともう少しで悲願が達成するのだと、クリスマスを待つ子供の様に笑うのであった。

 

 





「ねぇ、ナナくん?簪ちゃんに下着を見せつけたって本当?」

「待て、落ち着け。一度話し合おう。まずはその拳を下ろしてからだ」

 そんな会話があったとか、なかったとか
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