遠距離恋愛中の元担当トレーナーが妹を担当することになって情緒がやばい誘導ウマ娘の話 作:CK/旧七式敢行
東京競馬場のスタンドは、異様ともいえる熱気に包まれていた。
超満員のスタンドを見下ろす来賓席へ、松葉杖をつきながら一人のウマ娘が姿を現した。
元は真ん中だけ黒かった芦毛は、もうライトグレイと言って良いほど色素が薄くなっている。
「ゼファー、勝てるかな」
ターフビジョンに映るのはゲート近くで号令を待つ水色の勝負服を着たヤマニンゼファーだ。
『東京第11レース、まもなく発走です』
芦毛のウマ娘は先にいた鹿毛のウマ娘に声をかけた。
「勝てるよ、だってお姉ちゃんと併走したんだもん」
ファンファーレが流れ、勝負服のヤマニンゼファーがゲートへと向かう
『ヤマニンゼファーはゲートの中、体勢完了』
『スタートしました!』
場内放送とほぼ同時に聞こえたゲートの開く音に、二人のウマ娘の耳がピンと反応する。
これは、一人のウマ娘の物語ではない。
これは、一人のトレーナーの物語でもない。
これは、ウマ娘達とトレーナーが約束を果たす物語。
玄関の呼び出し音が鳴る前に、そのウマ娘はソファーから立ち上がっていた。
「書留でーす!」
インターホンに映るのは郵便局の配達員。
「はーい」
ぱたぱたとスリッパを鳴らしながら玄関に駆けていく彼女の足取りは軽い。
「ヤマニンアピールさんですね、こちらにサインかはんこをお願いします」
借りたペンでさっとサインを記入すると、ヤマニンアピールは満面の笑みを浮かべて配達員を見送った。
リビングに戻った彼女は送り主をもう一度確認する。
トゥインクルシリーズを主催するURAのロゴが大きく印刷された封筒はずっしりと重い。
傷つけないよう慎重にハサミで開封したアピールはテーブルの上に中身を広げる。いくつものパンフレットや返信用封筒の一番上に、それはあった。
『内定通知書』
「やった!」
その表題が目に入った瞬間、彼女は叫んだ。
『ヤマニンアピール殿、このたびは当会への就職内定おめでとうございます。今後のスケジュールについてはーー』
以下、長々と続くお役所構文をすっ飛ばして彼女はスマホのロックを解除してLANEのアプリを開く。
「トレーナー」をタップし『今通話できますか?』とだけ送信する。
すぐに既読がつき『5分だけだぞ』と少し前に流行った映画のスタンプが返ってくる。
『もしもしアピール、どうした?』
「トレーナーさん、私……URA受かりました!」
『アピールは名前も売れてるし絶対入れると信じてたよ。配属が決まったら教えてくれ』
「はい、もちろん!」
6月末、URAの初期研修期間が終わるといよいよ新入職員にとって悲喜こもごものイベントである配属先発表の日がやってきた。
「小倉は嫌、小倉は嫌……」
「中京とか絶対無理」
「北海道だったらどうする?」
ざわつく新入職員たちが、壇上に上がった人事部長の姿を見るや水を打ったように静まり返る。
「皆さん、初期研修お疲れ様でした。それではこれよりそれぞれの配属を発表します」
そして終盤にようやくヤマニンアピールの順番が回ってきた。
『ヤマニンアピール、京都レース場業務部誘導課』
「きょ、京都……」
ヤマニンアピールの配属先は晴れ舞台の中山でも、東京でもなく第4希望の京都だった。
『頑張ってくださいね』
「は、はい……」
理由は明白だ。京都レース場としては、障害の看板レースである京都大障害を直近で春秋連覇したウマ娘に来てほしい。
それにヤマニンアピールの現役時代はずっと西のレース場で走ってきたのだから当然ともいえる。
『ーー以上をもって配属発表ならびに初期研修を終わります。それぞれの配属先で、皆さんのURA職員としての活躍に期待します』
人事部長が退室すると、新入職員達は先ほどよりもざわめいた。
「福島とか何もねーじゃん!」
「うるせぇ桃食わすぞ」
「新潟よりマシでしょ」
「中京とか車ないとどこも行けないじゃん!」
「いやローカルは全部そうだろ」
ローカル場に配置の決まった同期達のやりとりを横目に、ヤマニンアピールはバッグからスマホを取り出す。
画面には、元担当トレーナーからのメッセージを知らせる通知が浮かんでいた。
『お疲れ様、配属発表どうだった?』
「京都の誘導ウマ娘になります」
すぐに既読がつき、相手のステータスが「入力しています」に変わる。
『おめでとう! そっちに行くときは連絡する』
「トレーナーの担当する子を誘導する日が楽しみです」
そう返信してスマホをしまうと、ヤマニンアピールは同期の仲間達に挨拶して研修室を後にする。
ーートレーナーさんと、遠くなっちゃうな。
卒業後も続く元担当トレーナーとの関係が進展しないまま、二人の物理的距離は遠くなろうとしている。
「本日より業務部誘導課配属になりました、ヤマニンアピールです。よろしくお願いします!」
いまだに着慣れないスーツ姿のヤマニンアピールがお辞儀すると、拍手が起こった。
「というわけでヤマニンアピールさんにはこれから誘導ウマ娘として頑張ってもらいます。教育はブレンちゃんが担当だけど、わからないことがあれば誰にでも聞いてね」
課長が示した先にいたのは栗毛のウマ娘。
「はーい、ラッキーブレンです! よろしくねヤマニンアピールさん」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
ラッキーブレンはヤマニンアピールに駆け寄って固く握手する。
「んーでもちょっと長くて呼びにくいから、アピちゃんでいいかな?」
「アピちゃん……大丈夫です、ブレン先輩」
「それじゃあ今日からよろしくね、アピちゃん! まずは秋開催の誘導デビューに向けて練習だね」
「よろしくお願いします! って、秋ですか!? 大丈夫かな……」
ラッキーブレンは不安そうなヤマニンアピールの肩を力強くたたいた。
「秋華賞はともかく、秋の京都大障害までには絶対誘導ウマ娘としてアピちゃんをデビューさせるから」
かつて自分の連覇したレースを誘導する、そんな夢のような想像をしたヤマニンアピールは目を輝かせた。
「京都大障害……はいっ!」
こうしてヤマニンアピールは、誘導ウマ娘としての第一歩を踏み出した。