異世界作家創世録   作:もちまるまめ

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第5話 美術館 裏

 

 ブリダム・ビードルは王都リップルのとある商会に生まれた。

 

 なんとてことはない小さな商会だ。日用雑貨を取り扱い、ほどほどに安定して、ほどほどに収入を得ていた。

 

 貴族や豪商ほどじゃないにしろ、そこそこに裕福な暮らしをしていた。

 

 それ故に、ブリダムには幼い頃から跡取りとしての教育が施されていた。

 

 商人になるために必要な素養は数知れない。

 なにせこの世のありとあらゆるものが商品足り得る。算術や読み書きはもちろんのこと、交渉術や目利きは必須だ。

 

 ブリダムが美術に出会ったのはそんな教育のさなかだった。

 

 幼きブリダムの前には三つの彫像。

 ブリダムの父はこの中から真贋を見極めろと言った。

 

 その日は目利きの授業の初日だった。

 ブリダムは目を瞬かせる。当然だ。美術品を目にするのは今日が初めてである。そんな子供にまともな目利きなど出来るはずがない。

 

 だが、ブリダムの父も、何も初めから本気で真贋がつくとは思っていない。

 これはあくまでデモンストレーションだ。

 事実、この場に並べた二つの彫像は、どちらも贋作だった。

 

 つい最近まで王都の市場で出回っていた贋作である。

 たわむれに市場を散策していたところ、ブリダムの父が偶然見つけたのだ。

 

 それは王国では有名な馬に跨った勇者の彫像を象っている。

 ブリダムの父ですら、パッと見では真贋がつき辛いほど精巧な贋作ということもあって、教材に丁度良いと購入してきたのだ。

 

 ブリダムの父はこの彫像から目利きのポイントを解説しようとした。

 

 だが、そんな父の予定に反して、ブリダムはここに真作はないと言う。

 驚愕する父をよそに、ブリダムはその理由を並べた。それは知識がない故、抽象的であったが、確かに的は射ていた。

 

 父はそれを偶然と捉えた。

 だが、その後の授業でも、その全てでブリダムは真贋を見極めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ブリダムには天賦の目利きの才があった。

 その後、ブリダムはメキメキと実力を付けていく。それは美術的なものに限らず、商人としての才覚も例外ではなかった。

 

 読み書きを憶え、算術を会得し、交渉術は百戦錬磨、目利きに関しては言わずもがな。他国の言語まで解すようになった。

 

 成人する頃にはどこに出しても恥ずかしくない、立派な商人となっていた。

 病を患った父の跡を若くして継いでからも、彼の躍進は止まらない。

 

 ブリダムは日用雑貨しか扱わなかった小さなビードル商会を大きくした。

 活動は王都だけに留まらず、近隣の街にも手を伸ばし、今や王国中にシェアを拡大している。自ずと人脈は広がり、商品は増え、着実に資産は増えていった。

 

 その勢いは異常であった。

 彼が継いでから数十年になる。もはやビードル商会は王国きっての豪商となっていた。

 

 ここまでくればその地位は貴族と遜色ない。

 なんならそこら辺の零細貴族より格も資産も上だろう。

 それこそ、ブリダムが望めば政治的な権力を得ることができるほどに。

 

 だが、ブリダムは政治に興味を示さなかった。

 彼ほどの豪商であれば大貴族に取り入ることはもちろん、王国の中枢に潜り込むことすらできただろう。

 

 実際の所、現王国の中枢にはいくつかの豪商の息がかかった貴族が紛れ込んでいる。そしてそれは暗黙の了解として受け入れられていた。

 

 なのに、ブリダムは権力渦巻く王宮の最奥から目を逸らして、ひたすら仕事に励んでいた。

 

 商人たちは噂した。

 なぜこうも彼は権力に拘泥しないのか。商会を大きくしたのだって、権力を得るためではないのだろう。ただ闇雲に資産を集めるために動いた結果、今の規模になった。そんな印象を受ける。

 

 だが資産が増えたからといって、彼が贅沢三昧をしているところを誰も見たことがない。

 むしろひどく清貧な生活を送っているようだ。

 

 いったい彼を駆り立てるものは何なのか。

 

 その答えは彼の自室にあった。

 

 仕事を終えたブリダムは屋敷に帰り、給仕を下げた後、いつも通りに奥の部屋へと進む。

 そこは一等に厳重な部屋だ。盗人どころかネズミ一匹入れない。

 

 逸る気持ちを抑えてブリダムが扉を開けると、そこに広がるのは美術品の数々。

 

 壁には所狭しと絵画が飾られ、部屋の中央には彫像が並べられている。それらは無造作なようで、しかしブリダムによって計算され尽くした配置によって見事な調和を果たしている。

 

 ブリダムは部屋の隅に設置した椅子に座って感嘆の溜息を吐いた。

 

「美しすぎる......」

 

 その表情はうっとりとしていた。

 ブリダムは美術オタクだった。

 

 眼前に広がるのは己が手づから集めた美術作品の数々。

 すべてはこれらを集めるため。欲望の赴くままに働いた集大成が彼の前には広がっていた。

 

 とはいっても、ここに展示されているのはごく少数のお気に入りに過ぎない。

 ブリダムは商会で稼いだ己の財のほぼすべてを美術作品に投資している。

 

 彼は仕事終わりの疲れた身体をこの部屋で癒すのが日課だった。

 

 ゆったりと背凭れに身体を預けながらブリダムは思い出す。

 

 彼の美術への目覚めは目利きの授業だった。

 

 部屋に入ってその彫像を目にした瞬間、彼の心は奪われた。

 それは遥か昔、魔王を討ったとされる勇者の像だ。勇敢で、洗練されていて、今にも動き出しそうな脈動感があった。

 

 世の中にはこんなに美しいものがあるのか。

 幼きブリダムの心は感動で埋め尽くされた。

 

 父は目利きをしてみろと言う。

 幼いブリダムには一見にしてどちらも素晴らしいという感想しか湧かなかった。

 だが、よくよく見てみると、その違いが分かるようになってきた。

 

 どちらも美しいが、そのどちらにも粗がある。

 極小な造形のバランス、僅かながらに不自然な表情。意識しなければ見逃しそうな違和感の数々。

 その粗もある種では美しさ足りえるが、ブリダムの感性は納得しなかった。

 

 それ故にこれらは偽物であると判断を下したのだ。

 そしてその感覚は間違っていなかったのだと、彼は時が経つにつれて思い知ることとなった。

 

 ブリダムが一人前の商人となって、美術品に限らず、実際に目利きをする機会が増えた。

 その精度は百発百中。

 すると、彼の中では次第に、己が心の底から素晴らしいと思ったものこそが、真に価値のあるものだという認識が出来上がっていた。

 そしてそれは正しく機能し続けた。

 

 こうして商会は大きくなっていく。

 多忙な仕事の合間、彼は時間を作っては美術品を秘密裏に買い漁った。

 誰にもこの趣味を邪魔されたくなかったし、すべてを独占したかったのだ。

 

 今では王国一、美術品を所蔵する豪商となった。

 毎日がウハウハである。

 

 そんな幸せな毎日を送っていると、ある時小説ブームが巻き起こった。

 ブリダムもそのブームに一枚嚙んでいた。カール文庫から出版された小説を仕入れて、各地へと売り捌いたのだ。

 

 面白い試みだと思ったし、実際に小説とやらを読んでみてこれは売れると確信した。だからこそ助力をした。

 

 だが、小説はブリダムの予想以上に王国を席巻した。

 上層階級から市井の人々にまで。

 普段まともな娯楽に触れることのなかった人々にとって、小説というわかりやすい娯楽が大ウケしたのだ。

 

 そして小説に便乗してか、さらには舞台演劇なるものまで流行り始めている。

 世はまさに娯楽文化の群雄割拠。

 今がノリ時である。

 ブリダムの商才は叫んでいた。

 

 とはいったものの、自分に娯楽作品を生み出すことはできない。

 

 自分にできることは、ただひたすらに働いて、余暇で美術品を愛でることのみ。

 そういう暮らしが己の性にあっている。

 小説とやらも面白かったが、己にとっては美術鑑賞以上の娯楽はない。

 まさに至福のひと時だ。

 

 眼前に広がる自慢の展示を眺めながら独り言ちる。

 

 そろそろレイアウトを変えたいなぁ。

 けどスペースが足りんなぁ。

 これ以上場所に金をかけるわけにもいかないし、倉庫もいっぱいだ。

 公然と美術品を眺めているだけの仕事なんかがあれば天国なのに。

 

 ぼんやりとそこまで考えて、ふと、ブリダムは思いついた。

 

「そうだ、美術館を作ろう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 着手してからは早かった。

 伝手を使って腕利きの建築技師を呼び寄せた。金に糸目を付けないブリダムの依頼に彼らも張り切って応えた。

 

 そうしてできたのがビードル美術館である。

 外観にもこだわり抜いたその建物は、それそのものが一つの美術作品のような荘厳さと美しさを持ち、そして何人も盗人を寄せ付けない堅牢さを兼ね備えていた。

 

 展示にもこだわり抜いた。

 どうすれば作品の世界観を壊さずに、他の作品と同じ空間で調和して魅せることができるのか。構想にはかなりの時間を掛けたが、それに見合う出来栄えだと言えた。

 

 おかげで資産はかなり目減りした。

 しばらくは新たに買い漁るのは控えた方がいいだろう。

 そしてそれ以上に、今まで秘していた美術鑑賞という趣味を世間に公表したことによって、新たな同志ができるのが楽しみだった。

 

 美術館が出来上がるまでの数か月は多忙を極めた。

 だが、それ以上に幸せなひと時でもあった。

 

 そして、そんな彼の幸せをもう一押しする出来事があった。

 

 美術館を作る際、自分が所蔵する作品を手掛けた職人や作家と会談する機会があった。

 

 その時に意気投合した彫刻家が、ブリダムも実際に創作活動をしてみることを勧めたのだ。

 

 ブリダムも最初は社交辞令だと聞き流していたが、仕事の兼ね合いでちょうどまとまった休みが取れたこともあり、彼は彫刻に挑戦してみることにした。

 

 結果、大ハマりした。

 

 その日から日課に創作活動が加わるほどだ。

 美術作品に囲まれた部屋の真ん中で、絵を描いたり、彫刻を手掛けたり、ありとあらゆる創作に打ち込んだ。

 

 その中でも彫刻は一等にハマった。

 普段から嘗め回すように見ていたのだが、実際に彫ってみると意外と難しい。彼はそこに彫刻の奥深さを見た。

 

 ブリダムの彫刻の腕はメキメキと上達していく。

 彼には技能の才能もそれなりにあった。

 

 美術館が開業してしばらくのことだ。

 客足が芳しくなかった。美術鑑賞という元々が上層階級の娯楽ということもあって、一般の客はあまりいなかったのだ。

 

 これからの啓蒙活動が大事だろう。

 そう考えて、まずは入館料を無料にした。平民の客が気安くするためである。

 

 併せて一般民衆にも受けやすい彫像を自ら彫ることにした。

 題材は巷で流行っている『竜騎士の冒険譚』に登場する騎士とそのドラゴンだ。

 

 あくまでお試しという気持ちが強かった。

 なにせ素人の作品だ。

 ある程度鑑賞に耐えうる形になったとはいえ、他の美術作品に比べればなんてことはない。

 

 事実、ブリダムの目利きは自らの作品を否だと告げている。

 制作者の贔屓が入った評価ですらこんなものだ。

 

 しかし、そんな軽い気持ちで展示したその彫刻は話題となった。

 美術館には連日客足が絶えなかった。

 

 その彫刻を前にして、皆が口々にその出来栄えを褒めたたえる。

 ブリダムはそんな光景を見て呆然とした。

 

 そして、自分には『魅せる作品』を造ることができるのだと確信した。

 単純な上手い下手ではない。粗があるなりに魅力的な作品を作る才能があるのだ。

 

 己ももう歳である。

 もしかすると、目利きの才も鈍り始めたのかもしれない。

 ブリダムはしみじみとそんなことを考えていた。

 

 その日からブリダムは商会の仕事をほとんど息子に任せ、美術館運営と創作活動に精を出した。

 

 最初の作品以降も『竜騎士の冒険譚』を題材として彫刻を作った。

 今度は主人公のライバルを象ったものだ。

 これも盛況だった。

 

 その後、ブリダムは『竜騎士の冒険譚』以外にも、様々な作品のオマージュ彫刻を作り出した。

 そしてそのほとんどが盛況を呼び、ブリダムの自尊心は満たされた。

 

 この頃にはブリダムは彫刻家としてすっかりと自信を付けていた。

 社交界では自分がいかに美術品に造詣が深くて、そしてその腕まで確かなのかと吹聴した。

 

 ある日。

 そんな彼のもとに王城への招聘があった。

 

 ブリダムは困惑した。

 彼は豪商とはいえ、今やほとんど隠居同然。一介の美術館長兼彫刻家に過ぎないと彼は自認していた。

 

 政治的な影響力を得るまでに至っていたならともかく、まるでそんなこともない。

 己が招聘される意味が分からなかった。

 

 ブリダムは戦々恐々で登城する。

 そして謁見の間で、彼は王より直々に()()()をされた。

 

 曰く、最近君が作った彫像が人気らしいから、もしよければ私の彫像も作ってくれない、と。

 

 一介の商人であるブリダムに、王からの()()()を断るという選択肢はなかった。

 

 とはいえ、ブリダムはそれほど心配はしていなかった。

 なにせ自分には彫刻の才がある。たとえ王じきじきの勅令だろうがきっとこなしてみせるだろう。

 ブリダムは自信満々に御意と告げて、王城を去った。

 

 そうして作業に取り取り掛かって数日。

 にわかに暗雲が立ち込める。

 

 目の前には七割ほど完成した彫像があった。

 ブリダムは思う。

 果たしてこれでいいのだろうか。

 

 目の前にあるのは、荘厳な玉座と偉大なる王。そのはずだ。

 だが、自分の目には間違っても王に献上できるようなシロモノには観えなかった。

 

 しかし、ブリダムは考え直す。

 己の目利きを信用しすぎるというのも危ない話だ。

 なにせ今まで自分が手掛けてきた彫像も造っている最中は微妙であったが、いざ展示してみると反響ばかりであった。

 

 今回もそうであろう。

 ブリダムはそう考えつつも、後顧の憂いを断つために、完成したその彫像をいつものように展示してみることにした。

 

 もともと試作のつもりであったのだ。

 この結果を踏まえ、ブリダムはより洗練された品を作るつもりでいた。

 

 だが、ブリダムが手掛けたその彫像を誰しもが素通りした。

 

 ブリダムは新作を展示するとき、市井に情報を流していた。美術作品を、ひいては己の作品を啓蒙するためであった。

 すると何処からともなく人が集まってきた。

 彼らは皆口々にその出来栄えを称え、笑顔で去っていく。

 

 しかし、今回ばかりは違った。

 皆その彫像に一瞬だけ興味を示したそぶりは見せるも、即座に興味を失って素通りする。あるいは踵を返して美術館を後にした。

 

 ブリダムは愕然とした。

 今までにない反応だったからだ。

 

 だが、これは何かの間違いだ。

 そう信じて二作目を展示した。

 同じ反応だった。

 

 三作目になると客足は減り、四作目には誰も来なくなった。

 

 いくら広告しようとも無駄であった。

 誰一人来ず、美術館には閑古鳥が鳴いていた。

 

 そうしてブリダムは思い至った。

 己には確かに彫刻の才はあるのかもしれない。

 だが、それはあくまで一般に比べてであって、決して『魅せる作品』を作れていたわけではない。

 

 結局のところ、今まで自分は、既存の作品が持つ人気に乗っかっていただけであったのだ。

 

 そこから先は地獄であった。

 遺されたのは身の丈に合わぬ勅令。

 己の浅慮を恨んだ。

 何度王に直訴しようか迷ったか。

 

 だが、すべては手遅れだった。

 あんなにも自信満々に了承の意を告げたのだ。

 今更引き返せるはずもない。

 

 己に出来るのはただひたすらに研鑽を重ね、少しでも才を磨き、王のお眼鏡に適う作品を一刻も早く生み出すこと。

 そのためには時間を惜しまない。

 

 美術館で館長として仕事をする以外の時間は、すべて美術館内にあるアトリエで過ごした。

 

 美術鑑賞などしている暇はなかった。

 

 なにせこの仕事には王国人としての誇りだけではなく、ビードル商会の命運もかかっているのだ。

 

 下手な品を献上することは許されない。

 だが、献上できるほどの品を造ることもできない。

 

 ビーダルの苦悩は続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日もブリダムは仕事の休憩時間を使って作業をしていた。

 だが、創作活動に打ち込める時間はそう多くはない。彼は美術館長として多くの仕事を抱えている。

 区切りのいいところで切り上げて、彼はアトリエを後にした。

 

 楽しかった美術館運営も最近は億劫に感じ始めている。

 こんなことをしている場合ではない。自分にはやらなければならないことがあるのだと。

 常に頭の中でチラついて、仕事が捗らない毎日だ。

 

 だが、だからといって他人に任せるわけにはいかない。

 いくら楽しむ余裕がなかろうと、この美術館に展示されているのはブリダム自慢の品々だ。

 余人に任せることはできない。

 

 アトリエから執務室に戻る途中。

 館内を歩いていると、平民らしき少女を見かけた。

 

 少女は難しい顔で彫刻を眺めている。かと思えば、時折頷いてみたり、展示に書かれている説明書きを見て感心している。

 

 客足から遠のいてからは入館料は完全撤廃した。それでも客は帰ってこなかった。来るのは上層階級の好事家ばかり。

 

 ブリダムが小説作品のオマージュを作らなくなってから平民の来場者はほとんどない。

 

 そんな中、平民の少女がやってきたのだ。

 しかもただの冷やかしではなくて、かなり興味深そうにしている。

 

 あれだけ没頭してくれたなら館長冥利に尽きるものである。

 ブリダムは素直に喜んだ。

 それと同時に、悲しくもあった。

 

 今の自分にはあの少女ほど、心の底から美しいものを楽しめる自信がなかった。

 羨ましい。

 胸中に浮かんだ羨望を押し殺して、ブリダムは足早に執務室へ向かった。

 

 最後の書類を片付ける。ブリダムは目頭を揉んで息を吐いた。

 夜も更けた。終業である。

 

 一般の職員は帰宅する時間だが、これからがブリダムの時間だ。

 今日もアトリエで苦悩の時間が始まる。

 憂鬱な表情でブリダムは執務室を後にした。

 展示室の前を通って、関係者入り口から美術館の裏手に入る。

 

 ふいに、音が聞こえた。

 ハンマーでノミを叩く音だ。

 ここ最近は寝食と仕事以外はずっと聞き続けていたのだ。間違いようがない。

 

 アトリエに近付くにつれて、音はより鮮明になっていく。

 リズミカルなそれは断続的に続き、止むことはない。

 

 おかしい。この部屋には誰も近づかないように言っていたはず。

 不思議に思ったブリダムは、アトリエの扉を少しだけ開けると、そっと中を覗いた。

 

 部屋の中には、昼間見た、あの少女がいた。

 

 真剣な表情で一心不乱にハンマーを振って、彫像を削り続けている。

 その動きに迷いはない。

 

 時折全体像を眺めて適宜修正する。

 一切の妥協を許さないその雰囲気は、ブリダムも見たことのある、熟達した職人のそれだった。

 

 ブリダムは驚愕した。

 あの少女は何者なのか。

 扉の奥にあるそれは、年若い稀代の天才彫刻家と言われても納得してしまう風格だった。

 

 だが、そんな存在がいれば自分が知らないはずがない。

 美術館運営を始めて以降、美術品の収集だけでなく、職人との交流も盛んに取るようにしていた。

 そんな中で、年若い女性彫刻家の話は一度も出たことはない。

 

 全くの謎だ。

 

 ブリダムは頭を悩ませた。

 そして、ふと、思いついたことがあった。

 

 最近流行りの小説文化の前身、王国文学に妖精を題材にした話がある。

 

 曰く、苦労をして、追い詰められて、どん底に堕ちそうになった若い青年を、妖精がひっそりと助けるというもの。

 

 それは仕事であったり、私生活のトラブルであったり、あるいは冒険譚の一幕であったりする。そのすべてに共通するのが、もうどうしようもなくなった者を助けてくれるということだ。

 

 妖精の姿は物語にとってまちまちだが、その中には少女の姿をした妖精もいたはず。

 もしや、この少女は妖精なのでは。

 ブリダムはそう思ったのだ。

 

 だが、所詮は御伽噺。現実にそんな都合のいい存在などいない。

 そう切り捨てて、ブリダムは少女の様子を見守った。

 

 しばらくして、少女の動きが止まった。汗を拭って一息ついている。

 どうやら作業が終わったようだ。

 

 少女が妖精かどうかなどどうでもよかった。

 とにかくワケを訊きたかった。

 なぜこんなところにいるのか、どうして彫刻を彫っていたのか。

 

 そう思ってブリダムが部屋に入ると、彼女もブリダムの存在に気が付いたようだった。

 

 少女は愕然としたような表情を浮かべる。

 ブリダムが口を開く直前、彼女は身を翻してもう一方の扉から逃げ出した。

 庭に続く扉だ。

 

 ブリダムは慌てて少女を追った。

 廊下を駆け抜けて庭に出る。

 だが、いくら探せど暗闇ばかり。

 そこにもう彼女の姿はなかった。

 

 少女を見失ったブリダムは落胆してアトリエに戻った。

 あの雰囲気はただものではなかった。何かしら、名のある芸術家であることは間違いないだろう。

 

 確かに自分の作品に手を出されたのは口惜しいが、どちらにしろ、今回も没になっていたのだ。

 少女の手によって少しでも鑑賞に耐えうる作品になっていたらこれ以上はない。

 

 そう考えて、アトリエに残された彼女の手掛けた作品を見た。

 そして、己の間違いを悟った。

 

 鑑賞に耐えうる作品などという言葉は相応しくない。

 それは間違いなく逸品だった。

 

 こちらを睥睨する王の眼は厳めしい。しかし、その瞳は慈悲を湛えてあまねく国土を見渡しているようにも見える。

 

 錫杖を構えてどっしりと玉座に鎮座する様子はまさに王者。

 

 今にも動き出しそうな精緻さ。細部にまでこだわり抜かれた神業。 

 

 ブリダムが彫った既存の型を残したまま、艶やかで、荘厳に、神秘的な仕上がりだった。

 

 ブリダムの頬をなにかが伝う感触があった。

 涙だ。

 

 ブリダムは今、自分が久しぶりに美術鑑賞に心から浸れているのだと気が付いた。

 忘れていた感動を取り戻せた気がしたのだ。

 

 これは人間の業ではない。

 ただの少女に、ここまで心を揺さぶる作品が作れるわけがない。

 

 ブリダムは確信した。

 彼女は間違いなく私を助けに来た妖精だ。

 

 彼女は私の窮地を見かねて、救いの手を差し伸べてくれたのだ。

 

 ブリダムはその場で膝をついて、彼女が消えた扉に向かって、最大限の感謝を示した。

 

 己を救ってくれたその慈悲深さに。

 そしてなにより、美術を楽しむ心を取り戻させてくれたことに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ビードル美術館は今年で創立百二十周年を迎える。

 それを記念して記念展示が開催された。

 

 その名も「ブリダム・ビードルの軌跡」。

 初代館長である彼が特に愛した数々の品を展示するとともに、彼が手掛けた彫刻の数々――普段は一般公開されていないような貴重な品々を、まさしく彼の生涯を辿るように展示している。

 

 展覧会の入場口を潜ると、まず初めに飛び込んでくるのは数々の絵画や彫刻たちだ。それらはブリダムが特に気に入っていた逸品として記録され、そのほとんどが美術館の中央展示室に所蔵され、展示会後も一般公開されることとなる。

 

 次のエリアに抜けると、そこに現れるのは巨大な竜騎士の像だ。

 大理石を余すことなく用いたそれは、重厚な迫力を醸し、見るものを圧倒させる。ビードル美術館の最初期の眼玉展示のひとつである。

 

 とはいえ、この彫刻からはそれ以上のナニカを感じることはできない。切り口は甘く、間近で見ると技術的な拙さが映える。なにを隠そう、これこそがブリダムの処女作であるのだから。

 

 ブリダム自身、晩年の日記において、己が手掛けた最初期の不出来を嘆いている。しかし、当時は既存の作品をモチーフに二次的な創作をするという文化がなかったという背景を考えれば、彼の作品チョイスは集客戦略的には大成功を収めている。そして彼の作品を皮切りに二次創作という文化が生まれたのだ。そういう観点から見るならば、彼は二次創作の父ともいえるだろう。

 

 その後も『竜騎士の冒険譚』をモチーフとした彫刻群は続く。

 

 そして終盤に差し掛かり、とうとう彼の真骨頂が発揮される。

 そのエリアにはたった一つの展示しか置かれていない。

 

 彼が手掛けた最高傑作にして代表作。

 まさしく世界に誇る珠玉の逸品。

 

 それこそが『栄光なる王の彫像』だ。

 

 この彫像を前にしたとき、生粋の王国人ならば跪きたくなることは間違いないであろう。

 

 それほどまでに、その石の王は王者の風格を纏っていた。

 

 絢爛なる玉座に深く座し、ふてぶてしくもこちらを睥睨する表情はまさに王そのもの。

 深く刻まれた皺、ギラリとこちらを睥睨する鋭い眼光。しかし、それでいてどこか慈悲も覗かせる目尻。それらが精緻に表現されている。

 

 石であるにも関わらず、首元まで蓄えられた髭の質感はまさに本物のそれだ。纏っているロープは一目で上等なものだと判断してしまう品格がある。

 

 彫像の作成を依頼した時の王はあまりの美しさに涙を流し、彼に最大限の賛辞を与えたという。

 

 また、『栄光なる王の彫像』にはこんな言い伝えがある。

 

 曰く、ビードルが挫折していると、どこからともなく妖精がやってきて手を貸してくれた、というものだ。

 

 今日《こんにち》において、妖精という存在は否定されて久しい。

 

 そんなものを信じているのは幼子だけであり、古王国文学ではありもしない幸せの象徴として描かれることの多い存在である。実際、当時においても妖精は空想上の生き物だと信じられていた。

 

 しかしながら、この言い伝えはビードルが王へと彫像を献上した際の発言として公式に記録が残されている。

 

 王や当時の人々は、それを過労のあまり幻覚を見たのだと解釈している。

 

 後年の研究者の中には、あるいはその妖精こそが彼の芸術性の発露だと分析する者もいた。

 

 だが、『栄光なる王の彫像』を制作して以降、彼は取り憑かれたように妖精を模した彫像を造っている。

 

 『栄光なる彫像』が展示されているエリアを抜けて最後の展示室に行くと、彼の異様な熱意がわかるだろう。

 

 そこには膨大な数の妖精の彫像が展示されている。

 その総数、およそ三百余り。

 

 翅が生えていたり、手乗りサイズだったり、花の冠を被っていたりと様々だが、その全てに共通するのが、ノミとハンマーを握った笑顔の少女だということだろう。

 

 前者三つは古王国文学においても一般的な妖精の姿として語られるが、ノミとハンマー、それに加えて仏頂面であるというのは、妖精の一面としては新たな解釈だった。

 

 三百を超える少女の彫像が織り成す狂気と芸術の道を突き進むと、最後に現れるのは退場口。

 

 つまりはブリダム・ビードルの生涯の終わりだ。

 

 そこには彼が当時使っていたアトリエが再現されている。

 

 そしてその中央には、彼がその命の灯火が消える直前まで握っていたノミとハンマー、そして彫りかけの彫像がある。

 

 大理石から掘り出している最中のそれは、曖昧な輪郭を残して永遠の未完成となってしまった。

 

 僅かに読み取れるその形から、多くの者はブリダムに手を差し伸べる姿や、悪戯がバレて勝手口から逃げ出そうとしている姿だと捉えている。

 

 果たしてそれが正解なのかはわからない。

 

 しかし、この退場口から出た人々が、ブリダムが夢見た妖精のような笑顔を浮かべていることは間違いないだろう。

 

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