大罪を犯した私である。
美術館から逃げ出した私は王都の郊外にある廃屋で夜を過ごした。
あれほどまでに悲しみと後悔に満ちた夜は初めてであった。
創作物とはその者の子供といっても過言ではない。それを私はあろうことか、自らの欲望のまま、好き勝手に弄りまわしてしまったのだ。まさに鬼畜外道。人の道から外れた行いだ。
私は己がこんなにも愚かだとは思わなかった。
自らの内から湧き出る欲に打ち勝てぬなど、あの白髪女のことを馬鹿にできない。それどころか婦女子を狙う不埒漢がごとき蛮行である。懺悔してもしたりない。去り際に垣間見た翁の表情が脳裏に焼き付いて離れないのだ。
疑念と驚きに満ちた表情であった。
口惜しかったろう。腹立たしかったろう。それを見た瞬間、私は私の罪を悟った。あれほど心胆が冷えた体験は初めてである。
過去は覆らない。
私は今後の一生を大罪人として過ごしていくのである。
他人の創作物に手を出すとはそれだけ重い罪なのだ。
だが、私の罪は問題ではない。一生をかけて償うだけである。
なによりも、あの爺には申し訳ない事をした。心の傷は深いであろう。
臆病者の私はそれを遠く離れた地から懺悔することしかできない。
もはや我が物語を売り込もうとは思ってはいない。私の物語など売ってはならない。
それに、きっとあの爺から館長に話はいってたはずだ。まともに取り合ってはもらえまい。
寂れた廃屋の隅っこで、私はしばらくへこんだ。
だが、いつまでも落ち込んではいられない。
私には果たさねばならぬ使命があるのだ。
止まることは許されない。
私は瞬く間に立ち直り、再びペンを握った。
それからはしばし物語に没頭していたが、幾度の夜が過ぎた頃、腹の虫が鳴って、ようやく己の懐事情を思い出した。
まごうことなき一文無し。
このままでは腹を空かせる度に民家を襲わざるを得なくなる。
私とて罪は犯したくない。いまだ王都で何も成しえていないのだ。追われる身となるのは早すぎる。
最早なりふり構ってはいられない。
何とかして最小の働きで稼ぎを得なければならない。
私はしたためていた紙束とペンを風呂敷にまとめると、数日を過ごした廃屋を後にした。
稼ぐ手段に目星は付いている。
そう難しい事ではない。これには下準備が肝要なのだ。
私は王都の二等地区にやってきた。
ここは主に小金持ちが住む居住区域である。私が初めて労働した宿も二等地区にあった。個人的に嫌な思い出がある場所でもある。
私は手頃な邸宅に目を付けると、そそくさと忍び込んで女ものの服を拝借した。
金品には手を出さない。大きな騒ぎになると面倒だ。衣類なら事もそう大きくはならないだろう。
路地裏でそれを着込み、拾ったナイフでざんばら髪を整える。
労働において容姿、あるいは身なりというものは大切だ。
ガラスに映る像を見る。
及第点であろう。
そしてそのまま大通りへと躍り出た。
気分はお上りの少女である。あどけない無垢な顔を作りつつ、王都の町並みを練り歩いた。
二等地区を一通り巡ったら、次は三等地区に移動する。
一般的な庶民が暮らす地区だ。最も面積が広く人口が多い。
そんな平凡な街並みを進んだ。
黄昏時である。
人々は仕事を終え徐々に帰路へと着く。次第に町からは通行人が減っていく。
そしてそれと比例するように増える人種も存在する。
王都の人口が多いのは承知であった。
で、あるならば、不埒漢の内訳も相応に多いことは想像に難くない。
二等地区から執拗に私を尾けている男などまさにそれであろう。
気色の悪い気配が隠しきれていない。
私はほくそ笑むと、大通りから
そしてそのまま路地裏を何食わぬ顔で進んでいると、行く手に男が立ち塞がった。
気が付けば背後にも男が数人たむろしている。
ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべている。
薄暗い欲望に塗れた瞳である。アトリエで彫像に手を出した私もあんな瞳をしていたのかもしれない。
そう思うと背筋が冷えた。
嫌なことを思い出した私は恐怖のあまり不埒漢の
もちろん財布は迷惑料として接収した。
その後も同じようなことを繰り返す。
その度に私の懐は温かくなっていく。
この街から不埒漢が減る度に、私は豊かになっていった。
これで当座の資金は得られた。
ついでに都の治安もいくらか向上したことであろう。善行とは気持ちの良いものだ。
私はホクホク顔で宿を取った。
さて、本題である。
資金繰りに奔走することになったが、私の目的は一貫して、我が物語の養分を摂取することにある。
それには何より未知の体験を目の当たりにしなくてはならない。
はてさて、いったいどこに行こうか。
広場に腰を落ち着けてしばし考えていると、すぐそばのベンチに二人の女学生が座った。紺色のローブに三角帽。手には大きな杖を持って、何やらよくわからない言葉を使って理知的な会話を展開している。
どう見ても魔法使いだ。
耳をそばだてていると、どうやら彼女たちが魔法学校の生徒であることが分かった。
魔法学校。
とてもよろしい響きである。
きっと校舎は巨大な古城だ。空を見上げるとそこかしこで箒に跨った魔法使いが飛んでいるのだろう。あるいは地下に巨大な迷宮を作り出し、そこでひっそりと禁忌の研究をしているのかもしれない。
どちらにしろロマン溢れる場所である。創作意欲が刺激されて堪らない。
行先は決まった。
その日は安宿で一晩を過ごし、翌日、私は魔法学校へ向かった。
女学生の会話からおおよその位置は割り出している。
魔法学校は一等地区にあるようだ。
一等地区は家柄の良い輩が多く住む居住区である。町並みは全体的に美しいが、どこか均一的で見ていてつまらない。更に言えば治安が良くて稼ぎ易さが皆無である。私は一等地区が嫌いであった。
だがそんなことはどうでもよい。
一等地区は気に入らなくとも魔法学校はとても気に入っている。いや気に入る予定である。
私は胸を高鳴らせて一等地区を散策した。
だが、魔法学校は一向に見当たらない。
どこにもそれらしき建物がないのである。
古城はおろか、学び舎らしき建物すらない。地下にあるのかと考えて入り口を探したが、それすらも見つからない。
途方に暮れた私は遠くに覗く王城を見つめる。
まさかあれが魔法学校じゃあるまいな。どこをどう見ても王城だが、それらしき建物はあれしかない。いっそのこと突撃してやろうか。
昼時も過ぎて、そろそろ日が暮れるだろう。
かなりの時間をさまよい歩いてさすがの私も疲弊していた。
広場にて腰を落ち着けていると、すぐ近くの建物から紺色のローブを纏った集団が現れた。その装いは昨日の女学生に酷似していた。
私その集団が吐き出された建物を見た。
愕然とする。
まさか、ここが魔法学校なのか。
目的地はすぐ目の前にあった。というより、何度も目の前を素通りしていた。それほどまでにわかりやすい場所にあったのに、私はそれが魔法学校だと気が付かなかったのだ。
学び舎と言われると確かにそうだろう。何棟かの校舎が並んでいる。すぐそばの敷地には屋外修練場らしき土地もある。冒険者ギルドのそれより遥かに広大だ。
だが、その外観は恐ろしい程に簡素だ。小綺麗で真っ白な外壁。のっぺりとした四角。まるで白磁でできた煉瓦のような見た目である。
等間隔に窓がはめ込まれた校舎には、他に装飾らしきものなど何もない。門の正面にある校舎に校章らしきものが掲げられている程度か。
魔法学校らしくない。らしくなさ過ぎて逆に興味が湧く。
それほどまでに奇怪な外観だ。
なにせ私はつい先程までこの建物を何らかの倉庫だと思っていたのだ。
一等地区にある他の邸宅と比べても浮きすぎている。このまま魔法学校が見つからなかったら興味本位で忍び込んでやろうとも思っていたが、まさかそれこそが魔法学校だとは思わなんだ。
理外の概観にしばし圧倒されるが、すぐに気を持ち直す。
正直なところ、そのあまりに想像とかけ離れた外観に些か落胆したのは事実だが、本質はそこではない。
私は魔法そのものに興味があるのだ。
冒険者にも魔法使いはいると聞くが、ついぞ出会うことはなかった。今日こそ魔法の実態を掴むときである。
正門には警備員らしき男がいた。
厳重な警備だ。奴らは下校する生徒ににこやかな挨拶を返しながらも、その立ち姿には少しも隙がない。生徒に貴族連中が多いから相応の警備を置いているのだろう。
塀の高さは私三人分はある。常人であれば道具やそれこそ魔法を使わなければ突破できないだろう。だが、私にはこの程度は障壁になりえない。
私は魔法学園の裏手に回ると、人けのないタイミングを見計らって壁を飛び越えた。にわかに薄皮を突き破ったようか感覚が全身を襲うが、それも一瞬の出来事であった。私はそれを無視して華麗に着地をした。
潜入完了である。
そこは裏庭であった。
人けはない。薬草を栽培しているようだ。いくつもの畝が並んでいる。見たこともない薬草が茂っていて、私の知識欲が刺激された。
だが、それ以上に私が興奮したのは、この畑が魔法によって自動化されている点である。
畝を中心に大きな魔法陣が敷かれていた。
魔法陣の外には農具と共に大きな水晶が置いてある。
魔法陣はぼんやりと発光している。しばらく観察していると、虚空にも魔法陣が現れて、一部の薬草に潅水《かんすい》を始めた。
その他にも、時折魔法陣が現れたと思えば、電撃が発射して害虫を駆除したり除草したりと様々な働きをする。
魔法技術とはこんな使い方もできるのか。
目から鱗であった。
これでは故郷で農業に従事している者共がバカみたいである。
私は故郷に残した彼奴等を憐れんだ。
ひとしきり観察して裏庭から離れた。
生徒は疎らであった。
終業していたようで、どの教室を覗いても講義は行われていない。
その代わり、中庭や空き教室では学生が自主的に魔法の研鑽に励んでいる様子が窺えた。そこかしこで魔法が扱われている。最高の環境だ。これぞ魔法学校であろう。
私はご満悦に見学して回った。
だが、惜しむらくは大した魔法使いは見かけなかったことか。
どの学生も扱う魔法は美麗で惹かれるのだが、強大な魔法なのかというとそうではない。
水の玉を弾けさせ、火球が迸り、中には光の奔流を操る者もいた。
ロマンあふれる光景ではあるが、それでドラゴンを打倒できるのかというと些か疑問ではある。
私が求めるのはドラゴンをも打倒し得る魔法使いだ。
校舎を一通り回ったが見つからなかった。
落胆を隠しきれない。
最後に私は一縷の望みに賭けて、ひと際大きな建物に向かった。
校舎とは趣が違った。屋内修練場であろうか。
もしかすると、人目がないのをいいことに、ここで老齢の大魔法使いによる秘密の修練が為されているのかもしれない。
見回りの警邏に見つからぬように慎重にその建物に近付く。
入り口を開けて中を覗いてみれば、そこは予想通り屋内修練場であった。
老齢の大魔法使いはいなかった。
だが、中央では二人の生徒が向かい合っている。
私が何事かと観察していると、突如として、二人の間で魔法が激突した。
その光景を見て、私はすぐに察する。
これは決闘だ。
私は消沈していた心が熱を取り戻したのを感じた。
決闘とはロマンである。魔法使いの誇りと名誉を懸けた由緒正しき闘い。
王国文学でも決闘を題材にした作品は多い。今は亡き同志が熱く語っていたのをよく覚えている。
今こそここに、手に汗握る戦いが勃発するのである。
だが、そんな私の期待は裏切られた。
最初の魔法が交わって以降は、一方的な蹂躙であった。
連撃をかわし切れずに片方が倒れ伏す。しかし、攻撃の手は緩まない。むしろ増す一方であった。
私はそれを見て気分が悪くなった。
この世は弱肉強食である。強者が弱者をいたぶることを否定はしない。弱い方が悪いのだ。
だが、決闘の作法として、倒れ伏す者に追撃を仕掛けるのは許されない。
連撃などもってのほかだ。
決闘する以上、作法は守らねばならない。
無法の上にロマンは成り立たない。
そして何より、在りし日の同志との語らいが虚仮にされたようで、私は無性に腹が立った。
私は怒りのまま修練場に足を踏み入れた。
奴らの視線が私に向く。
私は奴らの間に立って、杖を振り上げたままの主犯格を睨めつける。
線の細い身なりのいいガキである。さぞ裕福な暮らしをしていたに違いない。そのおかげか品性がひん曲がった顔つきをしている。見ていて不快だった。
ガキとその取り巻きは何やら騒ぎ立てていた。私はその全てを無視した。
すると、堪りかねたのか、奴は魔法を放って来た。
人一人を飲み込むくらいの大きな火球だった。
見栄えはそこそこいい。今まで見てきた魔法の中でもピカイチだ。だが、大して熱さも感じない。つまりは見た目だけ。
私は事も無げに腕を振るうと、火球は掻き消えた。
魔法使いですらない私が素手で消し去ることのできる魔法だ。大したことがないのは明白である。
そいつはあからさまに動揺していた。
だが、性懲りもなく魔法を向けてくる。同じ火球。一度目は少しだけ感心したが、二度目の鑑賞に耐えられるシロモノではない。
私はもう一度腕を振って弾き飛ばした。
その後も幾度か同じやり取りが繰り返す。すると、ようやく彼我の差を思い知ったのか。
ガキとその取り巻きは尻尾を巻いて逃げ出した。
魔法使いの風上にも置けない奴である。
情けなく敗走する奴らを見て留飲を下げた私が修練場を去ろうとすると、虐げられていた生徒に声を掛けられた。
曰く、どうしたら私のような魔法使いになれるのか。
どうやら私のことを魔法使いだと勘違いしているらしい。
否定するが、どうにも食い下がってくる。
私はうんざりしていた。あの程度の輩にボコボコにされるような奴に興味がなかったのだ。
何を言っても聞かなかったので、私は適当に肯定して煙に巻くことにした。
すると、そいつは目を輝かせていた。鬱陶しいことこの上ない。
その後も話を合わせていたら武勇伝をせがまれた。適当な対応をし過ぎたのかも知れない。話がややこしくなってしまった。
だが、殊に物語に関して私は妥協というものを知らない。
ここで出会ったのも何かの縁である。そう考えていないとやっていられない。
早く解放されたい一心である。
私はそいつにでっち上げた武勇伝を聴かせることにした。
幸いにして、我が空想世界に果てはない。
基本的に冒険譚ばかり描いてきた絵空事の中には魔法使いの物語も相応に存在する。
それらの冒険譚を上手い具合につなぎ合わせ、こいつが好みそうな物語を即興で組み上げた。
心躍るひと時であった。
思えば、今日はいまだペンを握ることすらしていなかった。
物語を紡ぎながら、つい先ほど目の当たりにした様々なことを思い出す。創作意欲が溢れ出すのを感じた。
空想の武勇伝を語り終えると、そいつはしばし黙考してから口を開いた。
曰く、ボクもあなたみたいになれますか?
その言葉を聞いて、私は今こそ好機だと悟った。
ああ、なれるさ。
不敵に呟いて見せて身を翻す。
そうして私はごくごく自然に修練場を去った。
外の冷たい空気を肺に取り込む。
もうすっかり日も落ちている。空は学生が纏うローブのような深い紺色に支配されていた。
今日は悪くない収穫だった。早く帰って物語を綴ろう。
解放感と達成感を胸に、私はこそこそと魔法学園を後にした。