異世界作家創世録   作:もちまるまめ

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第6話 魔法学校 裏(2)

 

 放課後になった。

 すべての授業が終わり、ジーンは後片付けをする。

 これからの予定を考えて憂鬱な溜息をこぼした。

 

 ジーンが思い出すのは昼前の出来事。

 答案用紙を返却されたときのことだ。

 教員が自分のことを目の敵にしていたのはわかっていたが、まさかここまでとは思わなかった。

 

 特に、教員が去った後のいたたまれない空気は忘れられない。

 復習する気にもなれず、好き勝手に騒ぐクラスメートを大人しく眺めていると、あの教員に関する噂が聞こえてきた。

 

 曰く、あの教員はそこそこの高位貴族出身で、魔女の魔法改革の際は反対派の筆頭に立っていたこともあったらしい。それもあって、魔女の功罪によって学校に入学してきた平民を憎んでいるとか。

 

 真偽のほどは定かではないが、あの剣幕を見るに本当だろうなとジーンは思った。

 

 どちらにしろこれから降りかかる災難は避けられそうになかった。

 さすがに危害は加えられることはないだろうが、一応用心だけしておいたほうがいいだろう。

 

 重い足取りで教室を出る。

 思考に耽っていたジーンは、扉のすぐそばに潜んでいた彼らに気付くことができなかった。

 

「――ショック」

 

「ぁ......ッ」

 

 死角から放たれたのは対象の意識を奪う魔法。

 一介の生徒には使用が禁止され、そもそもその難易度から生徒がおいそれとは使えないものだ。

 

 薄れゆく意識の中、倒れ伏したジーンは何とか下手人の顔を仰ぎ見る。

 そこには、いつもの見慣れた二つの下種な笑みがあった。

 

 ――ジーンの意識が不意に覚醒する。

 

 すぐさま飛び起きた。

 体感ではそう時間は経っていない。

 朦朧とした頭で辺りを見回す。そこは屋内決闘場だった。

 

 ジーンは実技の授業で何度か訪れたことがあった。壁際にはかかしがいくつか立てかけられている。観戦のスペースも目に付いた。

 そんな広い屋内の中央でジーンは寝かされていた。

 

 なぜ自分がこんなところにいるのか。

 困惑するジーンの背後から声がかかった。

 

「おいおい、ようやく起きたのかよ。あれでもめちゃくちゃ手加減してたんだぜ?」

 

 聞き覚えのある声だ。弾かれたように振り向く。

 そこには予想通り、いつもジーンをいじめる二人がいた。

 

 グルー・エドガーとエミリー・シュリ―。

 この半年間で嫌というほど見てきた忌々しい二人だった。

 

「な、なんの用だよ」

 

「あぁ?おいおい、オレたちトモダチだろ?トモダチなら放課後は遊ぶもンだろ。いつもみたいによォ」

 

 背後のエミリーがつられてくすくすと笑う。

 笑えない冗談だった。

 

「ボクは先生に呼ばれてるんだ。遅れちゃうとまた怒られるからまた今度にしてほしいんだけど」

 

「ツレねぇなぁ。貴族のオレが平民のオマエと仲良くしてやってンだから口答えしてんじゃねぇよ。それよりもよぉ、ジーン、オマエ水臭いじゃねぇか」

 

「なんのこと?」

 

「なにって、カンニングだよ。いやぁ、オレはお前を見くびってたぜ。まさかそんな大胆な事やるなんてよ」

 

 平民のクセに根性あるじゃねぇかよ。

 嗤いながらエドガーはジーンに歩み寄る。馴れ馴れしく肩を組んだ。エドガーはジーンより大柄だ。必然的に覆いかぶさるような形になる。

 

 へらへらとしたエドガーがジーンの顔を覗き込む。

 その瞳の奥に、ジーンは教員と同じ、爛々とした光を見たような気がした。

 

「だからカンニングなんてやってないって」

 

「おいおい、オマエがオレに隠し事すンのか?なぁ、教えてくれよ。どうやってあんな点数採ったんだよ。まさかほんとに結界破りに成功したのか?」

 

「だから違うって......」

 

「......じゃあなんだ、てめぇの低俗なおつむで必死こいて勉強しただけってか?」

 

「ずっとそう言ってるじゃん......」

 

 不毛な問答にジーンは辟易していた。

 いくら自分が反論してもエドガーがそれを聞き入れるとはジーンも思ってはいない。だが、やってないものはやってない。ジーンには他に答えようがなかった。

 

 ジーンはエドガーに悟られないように身動ぎをする。

 このままではいつまでたっても研究室に行くことができない。なんとか逃れようとしたのだ。

 

 しかし、それよりも早く、エドガーが動いた。

 唐突に、エドガーがジーンの鳩尾に拳を叩きこんだ。慣れ親しんだ、けれど決して慣れない衝撃だ。

 肺から空気が抜ける。突然の痛みに目を白黒させる。

 

 そのまま思い切り突き飛ばされて、ジーンは決闘場に倒れ伏した。

 

「おいおいジーンよぉ、じゃあなんだ、オマエより成績の低いオレたちはバカだって言いてぇのか?」

 

「そ、そういうわけじゃ......」

 

「黙れッ!オレが聞きたいのはそんな言葉じゃねぇよ。オラ、さっさとどうやってカンニングしたのか吐けよ」

 

 乱暴な足取りで近付くと、エドガーはジーンの髪を掴んで無理矢理に顔を上げさせる。

 ジーンが苦悶の表情を浮かべた。

 

「エドガーくんさぁ、そんなことするより手っ取り早く試した方が早いんじゃない?」

 

「あぁ?」

 

「結界を欺けるくらいの実力があるんなら実技で確かめてみようよ。ここ決闘場だし。その方が早いんじゃない?そうでしょ、ジーンくん?」

 

 苦痛に顔を歪めるジーンを見下ろして、エミリーが嗤った。

 

 ジーンは確かに成績優秀な生徒だったが、あくまでそれは座学に限った話だ。

 むしろ実技は苦手だった。彼なりに努力しているが、魔法を使うという感覚に未だに慣れない。筆記はともかく、前期の実技試験では赤点ギリギリの成績だったほどだ。

 

 それは二人も承知してはず。なにせジーンの実技試験の成績は教室で大々的に発表されていた。嬉々として己の不出来を叱責する教員の顔をジーンは今でも憶えている。

 

 ジーンはエミリーの意図を察した。

 究極的に言えば、この問答に意味はないのだ。要は自分たちより成績の良かった平民をいつものようにいじめたいだけ。

 

 それなら変に逆らわないほうが早く済む。

 大丈夫。いつもみたいに我慢していればすぐに終わる。

 それに、決闘ならそうひどい事にはならないはずだ。

 

 ジーンはよろけながら立ち上がった。

 口の中で鉄の味がした。いつもの味だった。

 

「ほら、ジーンくんもやる気みたいだよ」

 

「ほーん、そんならさっさとやるか。()()()()()()()()()なジーン様の技術を見てみてぇしよ」

 

「エドガーくん頑張ってー!」

 

 二人は決闘場の中央で向かい合う。

 

 杖を眼前で構えて、互いに一礼をする。

 それから各々の構えに移るのだ。

 

 粗野に振舞っていたエドガーだったが、決闘に際しての所作は洗練されていた。それだけ身体に染み込んだ動作なのだろう。歴史の授業で決闘がいかに魔法を扱う貴族にとって重要なのかを説いていたことをジーンは思い出した。

 

 ジーンも負けじと所作を真似る。決闘の作法は授業で嫌というほど教わっていた。座学然り、実技然り。だが、その動きはどこかぎこちなかった。

 ジーンは身体を動かすことが苦手なのだ。

 

「それじゃあ、始めようぜ」

 

 ジーンが言葉を返す間もなく、エドガーの杖が振るわれた。

 

「ぐッ」

 

 放たれたのは巨大な火球。

 身の丈ほどもあるそれに対抗するように、ジーンも咄嗟に水の塊を放った。

 

 衝突する魔法。立ち昇る水蒸気。

 ジーンの目論見通り、繰り出された二つの魔法は相殺された。

 

 初撃を躱したジーンはホッと胸を撫で降ろす。それは魔法戦に慣れていない初心者の所作だ。

 そしてそれが命取りとなった。

 

 弾けた魔法の向こうでエドガーは再び杖を振っていた。

 その表情は嘲笑で染まっていた。

 

 ジーンは己の失策に気が付いた。だが、もう魔法を放てるだけの時間もない。

 

 繰り出された火の玉から逃れるようにして決闘場を転げ回る。間一髪で避けるも立て直す隙はない。

 

 絶え間なく繰り出される追撃の嵐。

 のたうち回りながらジーンは決闘場を逃げ回る。

 攻撃に転じる隙は無かった。

 

「おいおい、どうしたよ。ジーン様お得意のカンニング魔法を見せてくれよぉ」

 

「ちょっとエドガーくんたらひどーい。ジーンくんが可哀そうじゃーん」

 

「いやいや、どんな隠し玉があるかわからねぇからなぁ。油断しないように徹底的に痛めつけてやんねぇと!」

 

 ジーンには二人の会話を聴く余裕もなかった。

 そもそもエドガーとジーンでは実力に差がありすぎる。

 

 ジーンは座学こそ優秀だが、実技はてんでダメ。いまだに魔法を使って争うということに慣れないのだ。

 

 対するエドガーは幼少期より生家で魔法の手ほどきを受けていたこともあり、その動きは道に入って隙がない。実技に関しては学年でもトップクラスだった。

 

 ジーンも端から勝てるとは思ってはいない。エドガーが満足するまで耐えればいい。頃合いを見て決闘に敗北すればそれでいい。

 ただそれだけを目標にジーンは避け続ける。

 

 だが、魔法に限らず、ジーンは運動神経が優れているわけではない。

 連射性能に優れたエドガーの魔法を避け続けるのは、ジーンにとって土台無理な話であった。

 

「あッ!」

 

 脚がもつれてジーンが転んだ。

 受け身を取れずに決闘場の床を転がる。衝撃で杖が手から離れた。

 

 杖を失った魔法使いは無力だ。勝敗は明白。本来ならその時点で決闘は終了だ。

 

 だが、そんなジーンにエドガーは容赦なく魔法を叩きつけた。

 

「オラオラァ!もう立てねぇのかよ!」

 

「あらら、そんなに虐めたらジーンくんほんとに死んじゃうんじゃないの?」

 

「構わねぇよ。平民が一匹死んだくらいどうとでもなる」

 

 エドガーの振る舞いは明らかに決闘の流儀に反していた。

 

 決闘とは神聖な闘いだ。

 それぞれの矜持を胸に杖を交えるその闘いは決して蹂躙の場ではない。片方が敗北を認めるか、もしくは明白に勝敗が決した場合はそれ以上の追撃は許されない。

 

 貴族である以上、エドガーもそれを承知しているはずだ。

 だが、彼はそれでもなお杖を振り続ける。

 

 何度目かわからない火球がジーンに放たれる。

 這《ほ》う這《ほ》うの体でジーンは避けようとする。しかし、身体を満足に動かすこともできずにそのまま直撃した。

 

「ッ......ッ!」

 

 声にならない叫びが漏れた。

 焼け付くような激痛の中、ジーンは己の思い違いを悟る。

 

 エドガーにとって、これは決闘などではなかった。

 これはあくまで遊び。形だけは決闘の体を為しているが、実際はいつものように憂さ晴らししているだけ。

 

 畢竟、カンニング云々もどうでもいいのだろう。都合よく痛めつける理由ができたから難癖をつけた。ただそれだけだ。

 

 ことここに来て、ジーンは初めて命の危機を感じた。

 本能のままに決闘場の床をのたうち回る。何か生き残る術はないかと足掻いた。

 だが、ジーンにできることは何もなかった。

 

 とどめとばかりに放たれた火球がジーンの身体を吹き飛ばす。

 ゴムボールのように跳ねる肢体。なす術もなく、ジーンは壁に叩きつけられた。

 

「あ、やべ。壁に血がついちまった」

 

「ちょっと、さすがにそれはマズいんじゃない?」

 

「後でこいつに掃除させるから大丈夫だろ」

 

 全身を刺すような激痛の中、ジーンは辛うじて意識を繋いでいた。

 

 恐ろしかった。悔しかった。帰りたかった。

 どうしようもなく身体が震えた。

 

 今まで考えてこなかった、考えないようにしていた弱音が滾々と湧いてくる。

 なぜ自分は弱いのだろう。なぜ平民だからという理由で虐げられなければいけないのだろう。自分は何か悪いことをしたのだろうか。

 

 無為な思考が空回る。

 段々と意識が薄れていく。

 耐えきれなくなったジーンの身体から力が抜ける。意識が次第に闇に溶けて――

 

 不意に、決闘場の扉が開いた。

 水を差されたエドガーが眉を顰める。

 ジーンは力なく視線だけを扉に向けた。

 

 そこには少女がいた。

 幼い。昼間の広場を友達と駆け回っていそうな少女が、眉を顰めてジーンたちを眺めている。

 

 エドガーが誰何をするも、少女はまるで聞こえていないかのように無視をした。

 

 少女がジーンたちのもとに歩み寄る。有無を言わせない威圧感があった。エドガーも圧倒されて後ずさる。

 

 そして、彼女はジーンを守るように、エドガーの前に立ち塞がった。

 

「おい、無視してんじゃねぇよ」

 

 少女は答えない。

 まるでつまらないものを見るかのような視線だった。

 それがエドガーの癪に障った。

 

「てめぇ、それ以上無視するならたとえガキだろうと容赦しねぇからな」

 

「てかさぁ、こいつローブ着てないし、ここの生徒じゃないんじゃない?」

 

「......確かに、てことは部外者か」

 

 エドガーは少し思案する。

 逡巡の果てに、悪辣な笑みを浮かべた。

 

「おいガキ、知ってるか?この学校じゃよぉ、不法侵入は極刑、もしくはその場で処刑って話だ。オレたち貴族に何かあったら事だからよ。ならよ、どうせ死ぬならよ、ここで死んだところでよぉ、大した違いはねぇよなぁ!?」

 

 言い終わると同時に、エドガーが杖を振るう。

 放たれたのはこれまでと比べても一等に大きい火球。少女どころか背後で倒れ伏すジーンさえも飲み込む大きさのそれだ。

 

 情けも容赦もなく、ただ己の愉悦と傲りのみで作られた灼熱の劫火が、少女の矮躯に迫る。

 

「に......げてッ」

 

 ジーンが擦れた喉から絞り出す。どちらにしろもう間に合わないことはわかっていた。それは祈りにも似た言葉だった。

 

 だが、その祈りが届くことはなかった。

 届く必要がなかった。

 

 少女が腕を振るった。

 ただそれだけで、火球は跡形もなく消し飛んだのだから。

 

「は......?」

 

 エドガーが呆ける。

 ジーンも静かに目を見開く。それはあり得ない光景だから。

 

 魔法で相殺するならともかく、素手で魔法を打ち消すなんて聞いたことがなかった。

 

 無手で魔法を使うことは可能だ。実力者ならあり得ない話ではない。だが、ジーンの見る限り、目の前の少女は魔力を使っていなかった。

 本当にただ腕を振るっただけだ。

 

「舐めやがって......!」

 

 再び火球を繰り出す。

 そして再び弾かれる。

 

 少女はただ無造作に腕を振るうだけ。表情は変わらない。ただ眉根を顰めるのみ。眼前に迫りくる火球を脅威とすら思っていないのは明白だった。

 

「あ~ッ、もう!何やってのよ!さっさとこんなガキ殺そうよ!」

 

 見かねたエミリーが加勢した。少女が腕を振るえない横合いから繰り出した氷塊。しかし、それに関しては少女が腕を振るうまでもなく、彼女の肌に到達する前に空気に溶けていった。

 

 無意味な攻防は続く。

 少女の不機嫌なオーラが徐々に大きくなっていった。

 

「はぁ、はぁ、なんだ、なんなんだよオマエ......!」

 

「エドガーくん、こいつ、やばいよ!」

 

 魔力が切れた。息も絶え絶えになる。頬を汗が滴り落ちた。

 

 もう何度の魔法を弾かれたかわからない。千日手にも似た状況は、エドガーとエミリーに焦りをもたらした。

 

 少女に疲弊の色は見えない。

 依然として眉根を顰めて不快そうにしている。

 

 それはすなわち継戦が可能だということだ。今は防御に徹しているが、少女が攻撃に転じればどうなるのか。それが想像できないほど二人は愚かではなかった。

 

 エドガーは逡巡した。

 どうすれば目の前の少女を殺せるか。

 

 もはや不法侵入云々など関係はない。ここまで己を虚仮にしたのだ。その落とし前を付けさせないと気が済まなかった。

 

 エドガーが杖を振り上げる。それに合わせてエミリーも構える。怒りに任せて残り少ない魔力を集約させた。

 

 それを見て、少女が首を傾げる。

 眉根が一層に顰められて、不快そうに歪められた口を開いた。

 

 ――まだやるのか?

 

 その言葉を聞いた瞬間、二人の心胆が凍った。

 何気ない呟きだった。ポツリと空気に溶けるような小さな声。幼い少女のものだ。

 

 なのに、威圧感と圧迫感があった。

 脳天から鉄の棒を差し込まれたような寒気がした。

 身体中から冷汗が噴き出る。恐怖で身体が動かなかった。

 

 エドガーとエミリーには目の前の存在が矮小な人間を超越した、はるかに強大な存在に見えた。

 

 圧倒的な力を前に人間は平等だ。

 そこに貴族や平民など、身分は関係ない。

 ただ平等に力なき者として扱われる。

 二人はそれを一瞬にして理解した。

 

「......ぅあ、あぁ――ッ!!」

「あ、ちょっとエドガーくん!?待ってよ!」

 

 恐怖に耐えきれずエドガーは逃げ出した。

 それを追ってエミリーも決闘場を去った。

 

 慌ただしい足音が遠ざかる。

 後に残ったのはそれを見送った少女と打ち捨てられたジーンのみ。

 二人を追う気はないのか、彼女は鼻を鳴らしてゆっくりと決闘場の扉に向かった。

 

「ま、待ってください......!」

 

 それをジーンが呼び止める。

 少女は足を止めて億劫そうに振り返った。

 

「あ、あの、助けてくれて、ありがとうございます」

 

 ジーンは身体を起こしながら礼を言う。

 少女はどうでもよさそうな顔をしていた。

 

 義憤に駆られてジーンを助けたわけではない。はっきりとそう顔に書いてあった。だが、ジーンにとっては関係がなかった。助けてもらったのだから礼は言わねばならない。そして一つ、どうしても訊きたいことがあった。

 

 緊張して喉が引き攣る。

 ここを逃せば二度と彼女に会えないだろう。

 ジーンは意を決して口を開いた。

 

「どうやったらあなたみたいな魔法使いになれるんですか?」

 

 それは憧憬だった。

 己にはない絶対的な力に対する憧れ。全身に負った火傷や怪我、それらを差し置いてでも聞かなければいけないのだと、ジーンの心が叫んでいた。

 

 少女は怪訝な表情をした。

 逡巡を挟んで彼女は言った。

 

 曰く、自分は魔法使いではないと。

 

 ジーンにはその言葉を信じることができなかった。

 だが、素手で魔法を掻き消す光景を想起して、ふと記憶の片隅に引っかかるものがあった。

 それは魔法理論の教科書。後期で習う範囲にあった記述だ。

 

 曰く、卓越した魔法使いや一部の生き物は、その極まった抵抗力で一定以下の魔法による干渉を受けないと。

 

 予習をかかさないジーンは前期試験が終わった段階で、後期の予習に取り掛かっていた。それを覚えていたのだ。

 

 その事実がこの少女とどう関係してくるのかはわからない。だが、自分ごときでは関わることすらできない領域なのだとすぐに悟った。

 

「きっと正体を明かせない事情があるんでしょう。ボクはそれを詮索はしません。ただ、教えて欲しいんです。どうやったらあなたみたいになれるのかを」

 

 少女がうんざりした表情を浮かべた。

 機嫌を損ねてしまったかとジーンが肝を冷やす。

 しかし、少女は溜息を吐いて自分が魔法使いだと肯定した。

 

「じゃ、じゃあ......!」

 

 ただし、どうやったら強くなるのかは知らないと。

 ジーンの言葉を遮って、少女は突き放すような口調で言った。

 

「......わかりました。では、どうか、あなたが今まで何をしてきたのか。言える範囲で構いません。ボクが目指すべき頂がどのくらいの高さなのか、それを教えてください」

 

 ジーンは食い下がった。

 どうして諦めきれなかった。方法を教えられないなら、目指すべき場所を知りたかった。

 

 ジーンは深々と頭を下げる。

 彼女は答えない。それでも頭を下げ続けた。沈黙が二人の間に横たわった。

 

 不意に、深いため息が聞こえた。ジーンはビクリと肩を震わせる。

 

 ひどく面倒くさそうに、少女が顔を上げろと言った。

 

 少女は近くにあった観戦の席に座っていた。

 それはこの場からすぐには離れないという意志表示だった。

 

 そして少女は語り出す。

 その生き様、その軌跡、その偉業が白日の下に晒された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女が去って幾らか経つ。

 ジーンは決闘場の壁に凭れ掛かって茫洋としていた。

 少女の語りに魅入られたのだ。

 

 少女が語るその内容は荒唐無稽だった。まるで信じられない。ジーンが普段読んでいるような小説をそのまま聴かされているようだった。

 

 だが、その話には妙な現実味があった。

 まるで見てきたかのような描写。ジーンが質問をすれば少女は懐かしそうに詳細を語った。

 

 少女の語りが絶妙だったのもあるだろう。時折思い出すようなそぶりを見せて、その目はここではない遥か遠くを見つめていた。

 郷愁に耽るように語り、時には変えられない過去を嘆いた。

 

 話を聴いただけなのに、頭の中には鮮明な映像として記憶が残っている。

 まるで何年も少女と旅をしたかのような心地だった。

 大好きな小説を読み終わった後の読後感とも違う。清々しい気分だ。

 

 だが、いつまでも決闘場でのんびりとはしていられない。

 もうとっくに下校時間は過ぎている。

 

 怪我の治療もいなければならないし、なにより早く帰らなければ。

 

 そこまで考えて、ジーンは教員に呼び出されていることを思い出した。

 

「やばい、早く行かなきゃ怒られる......!」 

 

「その必要はない」

 

 弾かれたように、ジーンは決闘場の扉の方に振り向いた。

 

 そこには、白いロープを纏った少女がいた。

 

 年頃はジーンと同じか少し上。先ほどの少女とは違い、温和な雰囲気があった。

 

 ローブを着ているということは学校の関係者なのだろう。ローブは色によって学年や教職員を仕分けしているはずだ。だが、白のローブに覚えはなかった。

 

 彼女は悠然と微笑んで杖を抜いた。

 

「まずはキミの治療だ。話はそれからだよ」

 

 そう言って少女が杖を振る。ジーンの身体を温かな光が包んだ。

 淡い光は傷口に溶けていき、急速にその怪我を癒していく。

 すっかりと軽くなった身体に驚いてジーンが目を見開いた。

 

「あ、ありがとうございます」

 

「いや、感謝するべきなのはこちら......というか、謝るのは私の方だ」

 

 ジーンの元まで歩いて来たその少女は深々と頭を下げた。

 

「キミをこんなにも傷つけさせてしまってすまなかった。どうか不出来な私を許してほしい」

 

「いや、そんな、あなたが謝ることじゃないじゃないですか!」

 

「いや、これは徹頭徹尾、私の責任だ。私が不甲斐ないばかりにキミにつらい思いをさせた。それは覆せない事実だよ」

 

 断固たる口調で言い切ったその様子にジーンは何も言えなくなる。

 そもそも、この人は何者なのか。

 

 先ほどジーンに使った魔法は治癒の魔法だ。それは教会に所属する者にしか伝えられない秘蹟。魔法学校の関係者が簡単に使えるものではないはずだった。

 

 そんな疑問が顔に出ていたのか。

 頭を上げた少女は失敬とばかりに苦笑した。

 

「自己紹介がまだだったね。私はこの学校の理事長をしているフルルイエだ。......魔女、と名乗ったほうがわかりやすいかな」

 

 魔女。

 ジーンにとっては憧れの存在であり、雲の上の人物だった。

 

 驚愕に固まった思考の外で、それならば教会の秘蹟が使えても不思議ではないと、ジーンはぼんやり考えた。

 

「今後、キミの身の安全は我が名に誓って保障しよう。そしてキミを害した者に関してもしかるべき処分を下す。それは安心して欲しい。その代わり......という訳でもないんだが、キミに訊きたいことがある」

 

 有無を言わせない空気だ。

 ジーンは固唾を呑んでフルルイエの瞳を見つめた。

 

 温和で優し気な色だった。心の底から自分を案じているのだとジーンは感じた。

 

 だからこの人を警戒する必要はない。この人は安心だ。段々と薄れゆく意識を自覚しながら、ジーンはぼんやりと確信した。

 

「あの少女のことを教えて欲しい。いったい何者で、どこから来て、何をするのか。それを洗いざらいすべて、ね」

 

 ジーンが瞳から光を失う。

 滔々と語り始めた彼に魔女は寄り添った。

 

 妖しく微笑む魔女の背中。

 そこに隠したもう一本の杖。

 妖しい燐光を湛えたそれに気が付いた者はいなかった。

 

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