魔女フルルイエといえば言わずと知れた魔法学の世界的な権威である。
かの魔王を討った勇者の師としても度々物語の題材として描かれ、その存在を知らぬものはいない。
だが、あくまでそれはフィクションとしての魔女である。
多くの人々にとって魔女は歴史上の偉人であり、過去の人物だ。
実際の彼女が如何な人物か、そしていまだ健在であるという事実を知る者は少ない。
それ故に、数少ない存命を知る者が集う魔法学校や冒険者ギルドでは、数々の噂が蔓延している。
曰く、試験で赤点を採り続けた者は魔女による地獄の指導が待っているだとか、実は新人冒険者に混じって魔女がギルドの職員を抜き打ちチェックしているなど。
そのどれもが眉唾だ。
信じている者など碌にいない。
だが、そんなある日、ロマンタの冒険者ギルドで魔女が現れたとの噂が流れた。
大胆不敵な噂だ。
冒険者の多くが鼻で笑った。
今までも魔女の噂はあったが、実際に目の前に現れたなどと言う輩はいなかった。
すぐにバレるからだ。
実際の魔女の姿など誰も知らない。判断のしようがないのだ。
だが、噂が広まって以降、目撃者からの証言が上がった。
ある冒険者は語った。
魔女は少女の姿をしている。近寄りがたいオーラを放ち、しかしどこか気品もあった。あの不自然に堂々とした立ち振る舞いは常人のそれではない。
更にはあの「勇ましき剣」のリーダー、若き天才ブルストの剣技を前にしてなお、魔女はその渋面《じゅうめん》を崩さなかった。
その冒険者は「勇ましき剣」に同行する魔女の姿を見たと言う。
「勇ましき剣」が貴族のふざけた依頼を受注していたことは有名だ。酒場では冒険者たちの賭けの対象にもなっていた。
しかし、それが魔女の依頼だと誰が思うのか。
「勇ましき剣」はその成功報酬を元手に装備を整え、元来の実力も相まって次々と実績を打ち立てた。
今では新進気鋭の冒険者チームだ。
その事実は冒険者たちの脳裏に昔から囁かれているある噂をよぎらせた。
それは魔女が有望な冒険者を見出して育てるのが趣味、というもの。
眉唾で誰もが信じていなかったそれが、まさか現実に起こったのではないか。
ロマンタの冒険者の間ではその話題で持ち切りだ。
残念ながら当事者である「勇ましき剣」はロマンタを立った。その真偽を確かめることはできないが、状況証拠が揃っていた。
もはや噂を疑うものはいない。
魔女はこのロマンタの冒険者ギルドに現れた。
そして魔女のお眼鏡に適ったのは「勇ましき剣」だけ。
その他は見向きもされなかった。
魔女の選別から零れ落ちた冒険者たちは肩を落として酒場で管を巻く。
それが最近の彼らの日常だった。
――そんな彼らを見守る者がいた。
酒場のカウンターの隅で、彼女は独りコップを傾けていた。
目深に被ったフードの端から白銀の長髪を垂らしている。
ミルクを飲みきると、彼女――魔女フルルイエは困惑したように呟いた。
「誰だそれ.....」
◇
フルルイエの趣味は育成だ。
一からすべて育てるのもいいし、マイナスから立て直すのも楽しい。
様々な楽しみ方があった。
だから彼女は魔王が台頭した時もわざわざ勇者を育てたし、近所で滅ぼされかけていたロマネスク王国を助けて立派な国へと立て直した。
そしてちゃっかり弟子である勇者の血を王族へとねじ込んで影響力を確保した。
無事に王国の中枢へと潜り込めたわけだ。
その後も王室顧問として王国の運営に携わりつつ国の発展を楽しんだ。
ある程度頭打ちになると運営から離れ、今度は魔法学校の理事に専念した。
魔法改革を起こし、面倒な慣習を廃止した。
今は同時にどれだけの優れた魔法使いを育成できるかを試している最中だ。
実益と趣味も兼ねた素晴らしい事業である。
だが、やはり公的な機関ということもあってなかなか好き勝手にはできない。
趣味も兼ねているのだ。自由に楽しみたかったが、それをするにはしがらみが多すぎた。
仕方なく、フルルイエは冒険者ギルドを立ち上げて、好き勝手にできる荒くれどもを育てることにした。
理事としての仕事の傍ら、各地の冒険者ギルドに立ち寄っては有望な冒険者を物色していた。所詮は烏合の衆。なかなか有望株には出会えないが、その分、見つけたときの喜びは代えがたい。
冒険者の育成はフルルイエのマイブームだった。
そんなある日、フルルイエはロマンタの冒険者ギルドに赴いた。
昔から目を付けていた若者が冒険者チームを結成していたのだ。
その名は「勇ましき剣」。
戦士と斥候、ヒーラーで構成されたオーソドックスな形だ。
それぞれが才能に秀でており、磨けば勇者をも超える逸材になるとフルルイエは目していた。
彼らならすぐに冒険者としての等級も上がるだろう。
ある程度の強さに育つまでは待つつもりでいた。
ところが、彼らは資金難に陥り、停滞を余儀なくされているという。
新米冒険者にありがちな困窮だ。
普通ならフルルイエも放っておくのだが、彼女は一刻も早く「勇ましき剣」の成長する姿を見たかった。
ゆえに、彼女は居ても立ってもいられず、ロマンタまで赴き、直接の指導なり資金援助なりを考えていたのだ。
だが、すでにロマンタの冒険者ギルドに「勇ましき剣」は居なかった。
残されているのは魔女が現れたという噂。
そしてその魔女が「勇ましき剣」を支援したという話だけだった。
「えぇー......私まだ何もしてない......」
フルルイエは困惑した。
なにせ本当に身に覚えがなかったから。
魔女の噂は時代を問わず流布されている。
フルルイエはそれを特に気にしていなかった。実害もないし、放置しても特に問題はない。
だが、今回ばかりは違う。
今までとは違い、フルルイエの趣味に支障が出ている。
フルルイエが到着した頃にはその噂はほとんど真実として語られている始末だ。半分事実なのが手に負えない。
一体全体どういうことなのか。
魔女フルルイエの頭脳をもってしてもわからなかった。
とにもかくにも。
形だけだが噂は真実になってしまった。このままでは魔女の噂は一人歩きして虚像の魔女が出来上がるだろう。
フルルイエとしては名を騙られるのは構わないが、趣味を邪魔されるのは我慢ならない。
果たして、魔女へと成り代わった少女の狙いは何なのか。
フルルイエも調べざるを得なかった。
しかし、フルルイエの魔法を駆使してなお、少女の正体は掴めなかった。
依頼の発注を担当した受付嬢は、少女のことをお忍びの貴族だと思っていたという。魔法で確認したが嘘はついていなかった。
念入りに調べたがその他の職員にも内通者はいなかった。
当事者である「勇ましき剣」は消息不明だ。
実力者揃いの彼らのことだ。万が一はないと思ってはいるが、少しだけ彼らの安否が気になった。折角の才能である。是が非でもフルルイエは自分が育てたかった。
その後も調査を進めるが、進展はない。
悪徳地区のいざこざや、夜な夜な街を駆け抜けるバケモノ騒動などはあったが、どれも魔女関連ではなかった。
フルルイエにも仕事がある。
冒険者の育成はあくまで趣味。魔法学校の理事は実益も兼ねている。あまり放置して疎かにすることはできなかった。
仕方なく、フルルイエは王都に帰った。
――そして、事態が動いたのはしばらくしてからである。
魔法学校の結界が何者かに破られた。
理事会中だったフルルイエは静かに目を剥く。
そして即座に遠視の魔法を展開した。
魔法学校には貴族の子息も多く通っている。それ故に相応の防備が求められている。守衛も数多く配置されたが、一番の頼りとなったのは魔女たるフルルイエの結界だ。
物理的、魔法的な干渉に対する絶対の防御。そんな触れ込みがされた結界は、正式な手筈を踏まなければ何人も立ち入りは許されない。防備は完璧なはずだった。
そんな彼女の結界が破られた。
まるで歯が経たず、なんの抵抗もなく打ち破られた。
そんなことは初めてだった。たとえ魔王を討った勇者といえどそんな真似はできないだろう。
突如展開された遠視の魔法に理事たちが騒ぎ始める。
フルルイエはその全てを無視した。
魔法陣に映し出されるのは魔法学校の裏庭。
異常があった箇所にピントを合わせる。下手人はすぐに見つかった。
それは少女だった。
十代前半の幼い少女が、魔法学校の裏庭に佇んでいた。
彼女は興味深そうに畑を眺めている。暴れる様子はない。目的が見えなかった。
しかし、フルルイエはその容姿に覚えがあった。
魔女の噂を調査したときのことだ。
少女の依頼発注を担当した受付嬢から少女の容姿を聞いていた。
十代前半、気難しい表情、異様なオーラ。
今目の前に映し出されている少女は、その特徴と概ね一致していた。
思わずフルルイエは笑みを浮かべる。
理事たちはその笑みを見てギョッとした。
ようやく見つけた。
フルルイエは遠視の魔法で監視を続ける。学校側には伝えなかった。結界が破られたと知ったらパニックを起こすだろう。無闇に少女を刺激したくはない。
どちらにしろ下校時間は過ぎている。生徒も少ないだろう。何かあっても被害は最小限に抑えられる。
今はこのまま監視を続けるべきだ。
「私の趣味を邪魔した罪は重いぞ......!」
少女の正体を探るべく、魔女の暗躍が始まった。
◇
虚ろな瞳で去っていく男子生徒を見送る。
フルルイエは懐に杖を仕舞うと、決闘場の観戦席に腰かけて頭を抱えた。
少女を監視していたらとんでもない現場に遭遇してしまった。
思い出すのはジーンと名乗った男子生徒。
彼は何やら少女と会話をしていた。
遠視の魔法では音まで拾うことはできない。
その内容を探るべく、フルルイエは理事会を飛び出して急遽、現地に赴いた。
そこには黄昏ていたジーンがいた。手っ取り早く服従魔法を掛けて事の顛末をイチから話してもらうと、数か月に渡る学校の不祥事が飛び出してきた。
彼には申し訳ない事をした。
フルルイエはつくづくそう思うとともに、ジーンを救ってくれた少女にも感謝をしていた。
ジーンは虐められていた。
下手人は生徒二人に教員が一人。
厳密にはまだいるだろうが、主犯格は概ねその三人だろう。
フルルイエはその事実を今まで見過ごしていた己を責めた。
いじめは到底看過できるものではない。
純粋な学内競争であればフルルイエとてどうも思わない。だが、今日の決闘場で行われていたそれはもはや殺人未遂だ。
フルルイエの目的は優れた魔法使いを多数育てること。
なのに、学内で魔法使い同士で殺し合って数を減らすなど言語道断。
勝手に頭数を減らされるなど溜まったものではない。
ヘイトコントロールを誤ったフルルイエの手腕不足と言えた。
下手人には然るべき対処をしなければならない。
教員など即刻解雇。その後にまた然るべき処置が施されるだろう。
貴族云々などフルルイエの前では意味をなさない。たとえどんな身分であろうと、箱庭の秩序を乱す不逞の輩を許す道理はなかった。
収穫もあった。
懐古主義的な貴族がいまだに多数潜伏している事実を知れたことは朗報だ。
ジーンの話した通りなら、いじめ問題は学内でも大きく取り上げられていてもおかしくはない。それくらいの規模と陰湿さだ。
それなのに、理事長たるフルルイエまで話が上がってこなかったとすると、理事会にもいくらか紛れ込んでいるはず。その炙り出しも課題だ。
これからのことを考えてフルルイエは頭を悩ませた。
だが、当座の問題は件の少女だ。
貴族厄介問題はどうにでもなる。奴らはフルルイエがいる限り動くことはできない。
だが、少女に関しては未知が多すぎた。
ジーン曰く、少女は魔法使いだと言う。
だが、ジーンから聞かされた少女の武勇伝は荒唐無稽だった。
単騎でドラゴンを討ち取り、干ばつで悩む村落に恵みの雨を降らせ、かつては遠い東にある国を救った等々。
永い時を生きるフルルイエでさえそんな奴は知らないと言いたくなる。
恵みの雨はまだわかる。雨乞いの魔法は存在している。
だが、ドラゴンを単騎で討伐などフルルイエですら厳しいだろう。東の国にも行ったことはあるが、そんな魔法使いは聞いたことがなかった。
十中八九、ウソだろう。
そう断言したいが、そうにも言えない事情がある。
フルルイエは遠視の魔法で、少女が生徒二人の魔法を無効化していたのを見ていた。
これは通常ではありえない反応だ。
魔法を魔法によって相殺するならともかく、何事もなく霧散させるのは人間にはなしえない。
恐らく、結界に対してもこの無効化能力を使ったのだろう。
その原理はわからない。だが、そうでなければフルルイエは結界が何の抵抗もなく破られた理由がわからなかった。
魔法学校に侵入した意図も不明だ。
校内をうろついているときは終始何かを探しているかのような素振りだった。だが、それにしても無警戒過ぎる。
本当にただ見学にでも来ているかのような気楽さを感じた。
更にはいじめを仲裁した以上、生徒に害意があったわけでもなさそうだ。
決闘場を出てからは一直線に校外へ出ている。
本当に何がしたかったのかわからない。
しかし、フルルイエもみすみす少女を逃したわけではない。
幸いにも少女の服にマーカーを残すことができた。
様子を見るにバレてはいない。
魔力に対する感知能力は相当に低い。
これで魔法使いという線もほぼなくなっただろう。
果たして、その正体は、目的は、実力は――。
何とかして探りを入れる必要があった。
考えをまとめたフルルイエが立ち上がる。
汚れたロープの裾を払うと、早々に決闘場を後にする。
今度こそ魔女の暗躍が始まった。