少女の監視を始めて数日が経った。
その間、少女が動くことはなかった。
「なにやっとんだこいつは......」
少女の拠点は歓楽街のど真ん中にあった。
王都に訪れる旅行客御用達の宿だ。
身分を隠して潜伏するなら申し分ないだろう。
フルルイエは宿の向かい側にあるカフェで張り込みをしていた。
当初は優雅に紅茶を舐めながらの監視だったが、それが数日も続けばさすがに飽きが来る。
フルルイエはもはや何杯目かわからない紅茶を頼んだ。
給仕は不審そうな視線を隠そうともしない。連日居座って紅茶ばかり啜っているのだ。当然の反応だろう。
しかし、フルルイエはそれを無視して机に突っ伏した。
気にすることはもう諦めていた。
「さすがに動かなさすぎだろ......」
恨めしそうに二階の角部屋を睨む。
一見何の変哲もない外壁だが、フルルイエの眼には壁越しに少女の魔力が見えていた。
その魔力は微動だにしない。
朝から同じ調子でその場に留まっている。
よもや死んではいないか。
フルルイエは疑ったが、夜になればいそいそと床に就いて眠っている。そして夜明けとともにまた同じ場所で固まる。
生きてはいる。ただ動いていないだけで。
それが問題なのだが。
いくら監視と言えど限度がある。
フルルイエとていつまでも暇ではない。
「遠視の魔法......」
あれを使えば少女の様子は一発でわかるだろう。
しかし、逡巡の末、フルルイエはすぐに頭《かぶり》を振った。
遠視の魔法は大規模な魔法だ。前準備なしでは発動を察知される恐れがある。設備の整った場所以外での乱用は避けたかった。
忙しい仕事の中、無理やりにう休みを作って監視を続けてきたのだ。
今更台無しにはしたくはない。
配膳されてきた紅茶を啜る。
もはや飲み慣れた味だ。感想もない。
味わうことなく口に含んで、フルルイエは手元の資料に視線を落とした。
そこにはこの数日間で調べた各種情報が載っていた。
少女が泊まっている宿のオーナー、宿泊客の身元、さらには周辺の建物や施設について。
そのどこにも怪しい要素はなかった。
今の所、少女は魔法学校に侵入しただけの引き籠りがちな観光客だ。
「だが、それが問題すぎるんだよなぁ」
少女の存在は異常だ。
ともすれば単騎で王国を滅ぼすこともできるかもしれない。
なにせ王都の国防はフルルイエに依存しきっている。
王城には魔法学校と同様の結界が張られ、迎撃の魔法もフルルイエが仕込んだものだ。
少女の魔法が効かない相手には途端に弱い。近衛兵など障害にすらならないだろう。
彼女がその気になれば、今日が王国最後の日になってもおかしくはない。
果たして、その正体は何なのか。
なぜ魔法学校に侵入したのか。
王国のため、学校のため、何よりフルルイエの趣味と興味のためにも、その理由は探っておかなければならない。
――そしてフルルイエにはもう一つ、密かな懸念があった。
フルルイエが資料のページをめくる。
そこには宿の間取りが記されていた。
一階がロビー兼食堂で、二階が客室。
トイレは共同で、廊下の突き当りに位置している。
部屋には衛生に関する設備はないはずだ。
「......」
少女はこの数日間、部屋を出ていない。張り付いて監視しているフルルイエが言うのだから間違いはない。
そして、部屋にはトイレや風呂に値するものもない。
その部屋の惨状は察して余りあるだろう。
想像したフルルイエは顔を顰めた。
思わず紅茶を見る。
琥珀色の液体だ。美味くもなければマズくもない。
見ていると、なんとなく飲む気になれなくて、少しだけテーブルの端に追いやった。
そうしてしばらく時間が過ぎた。
すると、突如として少女が動いた。
彼女は立ち上がると、フルルイエが見る限り初めて部屋を出た。
フルルイエも思わず前のめりになる。
近くを通った給仕が驚いてひっくり返った。
それに構わず目を皿にする。
一挙手一投足を見逃すことはできなかった。
少女は迷うことなく一階へ向かった。店主らしき人物と接触して、そのまま一階に居座る。
するとしばらくして、店主が少女の下に向かい、そしてすぐに離れていった。
少女は動かない。
今は昼時だ。久しぶりの食事をしているのかもしれない。
「とうとうチャンス到来だな」
そう言って、フルルイエは席を立つと足早に店を出た。
その背中を給仕は不思議そうに見送った。
◇
フルルイエは少女が借りている部屋の前に来ていた。
見たところ、扉に罠は仕掛けられていない。
施錠は備え付けのカギのみだ。
少女がしばらく帰ってこないのは確認済みだ。
遠目に見たが、やはり少女は食堂で飯を食べていた。
猶予はわずか。
少女が戻ってくるまでに部屋の物色を済ませなければならない。
フルルイエは意を決してノブに手を掛ける。
この扉を開けた瞬間、饐えた臭いが鼻を劈《つんざ》くだろう。ある程度の覚悟が必要だった。
鍵開けの魔法で開錠する。
手始めに少しだけ扉を開けて、中の様子を窺った。
しかし、漂ってきたのはフルルイエが予想した悪臭ではなかった。
むしろ、フルルイエに馴染みがある匂い。
たくさんの魔導書に囲まれた彼女の自室と同じ香りがした。
疑問に思ったフルルイエが扉を開け放つ。
「な......!?」
そこには、狂気的な光景が広がっていた。
紙、紙、紙。
部屋の四方八方、どこを見ても、びっしりと何ごとか書き込まれた紙束の山で埋め尽くされていた。
「な、んだ、これは......」
まさか、邪悪な儀式の類だろうか。
王国を転覆させるテロの予兆かもしれない。
足元に落ちていた紙を拾い上げる。
魔力は籠っていない。
読めば瞬く間に精神を汚染される類のものではないようだ。
フルルイエは恐る恐るその綴られた文章に目を通した。
しかし、彼女の警戒に反して、それはまったく邪悪なものではなかった。
「これは、小説......か?」
フルルイエはあまり娯楽文化に明るくない。
そんな彼女でも小説の存在は知っていた。
ロマンタから発祥したこの文化形態は一冊の物語から端を発しているという。
『竜騎士の冒険譚』という小説だ。なんでも相当に面白いらしい。
理事会の一部が嬉々として語っているのを耳にした。
フルルイエは興味がなかったが、どうにもこれはその小説とやらに似ている気がする。
この一枚だけでは判断は付かないが、周辺にあった紙束を漁ってみると、続きらしきページも見つかった。
「ではなんだ......この紙の山はすべて小説だとでもいうのか......?」
とんでもない執念だった。
フルルイエもたまに魔導書を執筆する。
小説と魔導書では全くの別物だろうが、頭の中で考えたことを文字で表すという点では同じだ。
その苦労と困難を身に染みているフルルイエからしてみれば、この量の小説はある意味で狂気の沙汰に感じられた。
小説を生業にしているのだろうか。
それとも、その夢に向けて邁進しているのか。
どちらにしろ、この量は生半可ではない。
「今まで動かなかったのも小説を書いていたからか......」
それでも数日間、全く微動だにせずに書いていたことには疑問は残るが、取り敢えず深くは考えない。
この部屋の惨状ではこれ以上の物色は困難だろう。あまり触りすぎると紙の山が崩れてしまいかねない。侵入を悟られるのはマズい。
それに、この様子では、どのみちこの部屋には小説と備え付けの家具しかないだろう。
その家具も小説の山に覆われて影も形もないが。
「とりあえず、まだもう少し探る必要があるか」
少女の小説に対する異常な執念は垣間見た。それだけでも十分な収穫だ。
だが、その奥にある正体と目的がつかめていない。
フルルイエの暗躍はもう少しだけ続く。
◇
フルルイエは背中を壁に張り付けて息を潜めていた。
決してバレてはいけない。
数々の苦難を乗り越えてようやく少女が尻尾を出したのだ。ここで台無しにするわけにはいかなかった。
――食事を終えると、少女は中央広場に吟遊詩人の観劇へと向かった。
しかし、フルルイエとしても、あれが観劇であるかは疑問であった。
なにせ少女は観劇に向かったかと思えば、次の瞬間には顔を青くして衆人観衆の中から飛び出してくるのだ。
それを何度も繰り返す。
何がしたいのかわからなかった。
当然、少女が観劇に向かう度、フルルイエも観衆を掻き分けて尾行した。
念のためフルルイエは自身に認識阻害の魔法を掛けていた。効果時間が短いことを除けば、たとえ触れられようとも認知されない優れモノだ。
しかし、それが災いした。
認識阻害のせいでフルルイエは周囲から無き者として扱われる。
当然、避けてくれることもない。
周囲の人々はいくらフルルイエをはじき飛ばそうとお構い無し。
観劇に集中する彼らはその熱狂のままにフルルイエの小さな体をもみくちゃにした。
観衆を抜けたときにはボロボロだった。
髪はぐちゃぐちゃ。真っ白だったローブは薄汚れて見る影もない。膝に手をついて肩で息をしている。
もはや魔女の威厳は皆無だった。
だが、それでも少女の姿は見失わなかった。
フルルイエは内心で自身を褒めたたえた。
それから少女は観劇を諦めてベンチに座っていたのだが、突如として動き出した。
中央広場を抜けて、歓楽街の路地裏へと足を踏み入れた。
フルルイエの記憶ではその先には何もなかったはずだ。
貧民街に面する地区で治安も悪い。決して観光客が散歩に行くような場所ではない。
明らかに怪しかった。
マーカーの魔法を頼りに進み、そうしてようやくたどり着いた。
すぐそこ、曲がり角の先に少女はいる。
べったりと背中を壁に付け、息を潜めて潜伏する。ローブ越しに感じる壁の冷たさが嫌に鮮明に感じる。
息を呑む。ここから先は一層に油断がならない。
フルルイエは腹をくくって、曲がり角からそっと向こうを覗く。
そこは歓楽街の路地裏にある小さな広場だ。
少しだけ開けた場所だが、それだけ。店も何もない、ただの空き地だった。
そんな場所に少女はいた。
相対しているのは一人の男。派手な衣装を身に纏って、弦楽器を携えている。吟遊詩人のようだが、冴えない中年といった風貌だった。
感じる魔力は並み。王国の一般的な庶民が保有する魔力量と同程度だ。
だが、油断はできない。
どんなに冴えてなかろうとあの少女の関係者だ。最大限の警戒を要する。
少女と男はなにやら言葉を交わしていた。
会話までは聞き取れない。
だが、こんなところで密会をしているのだ。
何かしら裏があるのは明らかだろう。
フルルイエはこの数日の苦労を思い返した。思わずため息が漏れる。
とうとうこの監視生活が終わる。
最初は使命感や好奇心からの監視だったが、今となってはそんな気持ちもだいぶ削がれてしまった。
さすがに疲れた。永き時を生きるフルルイエだったが、さりとて人間社会に生きる身である。三日間の重さというのは重々承知している。
これ以上の調査が必要になるとするならば、きっと三日間どころでは済まないのだろう。フルルイエには確信にも近いそんな予感があった。
そんな彼女が願うのはただ一つ。
何事もなく少女がこの都市を去ることだ。
もしくは敵対の意思がない事を明白にすること。
もちろん、少女の正体は知るべきだ。
だが、今の均衡を崩すような真似はできない。
現状では少女にこの王国を害する意思はないように思える。ならば、ひとまずの所はそれでよしとする。
藪蛇を突いて少女が暴れ出すくらいなら、フルルイエは静観を選ぶことにしていた。
せっかくここまで育て上げた王国だ。
そうそう手放すことなどできない。
どちらにしろマーカーの魔法は魔力が切れない限り半永続的に効果を発揮し続ける。
探知範囲外に逃げられると特定はできないが、逆に範囲内に戻ってくると再びその行方を追うことができる。
少女の襲来を事前に察知できるようになったというだけでも十分な収穫だ。
フルルイエに監視されているなど露知らず、少女はおもむろに男から弦楽器を受け取った。
拙い手つきで構えると、少しだけかき鳴らす。
それで満足したのか、彼女は空き地の中央に移動した。
「なにをするつもりだ......?」
フルルイエが少しだけ身を乗り出す。
――瞬間、少女が歌い出した。
透き通るソプラノが路地裏に響き渡る。
拙いながらも熱を感じる演奏がその歌声を引き立てる。
少女が持つその歌声の魅力に、フルルイエは度肝を抜かれた。
「なんだ......どういうことだ......?」
いよいよもって訳が分からなかった。
なぜ、今この状況で歌うのか。
歌うならせめて吟遊詩人の格好をした男なのではないか。
男は男でなぜ少女の歌声に驚いているのだ。
まさか、この少女が実は吟遊詩人で、男はその弟子なのではないか。
これまでの文脈の一切を無視した意味不明な推論すら浮かんでくる。
だが、そう思えるほどにその歌声は凄まじかった。
ともすれば、先ほど広場で聞いたどの詩よりも胸に響く声だ。
耳朶に響くソプラノはフルルイエに陶酔にも似た感覚を呼び起こした。
張っていた気が図らずしも緩んでいく。
不審に思っていたフルルイエも、段々と少女の演奏に惹き付けられていった。
何より詩が素晴らしかった。
明瞭でわかりやすく、しかし確かに聴くものの感情を揺さぶる芯のようなものがあった。
しかも魔法を扱った題材のようで、フルルイエはどこかシンパシーを覚えた。
どれだけの時間、詩を聴き続けていただろうか。
もはや観衆の一人と化していたフルルイエは違和感に気が付いた。
――私はこの詩の内容を知っている。
それはあり得ないことだ。
フルルイエは娯楽文化に明るくない。
当然、観劇などしたこともない。
気のせいと切り捨てるには気がかりだった。
詩が進むにつれて違和感は膨れ上がっていく。
まるで忘れていた遥か昔の記憶を呼び起こされていくような感覚だ。
今すぐにこの場所から離れなければならない気がした。
だが、途中で離れるには、少女の演奏は魅力的過ぎた。
どっちつかずのままフルルイエはその場に留まる。
そうしてその詩は紡がれた。
◇
とうとう陣は復旧した。
ガリスが為した大偉業。
しかし感謝の言葉なく。
投げかけられる軽蔑、蔑視。
悪態受けてもガリスは黙して、光失くした瞳を向けた。
ガリスはその日に都市を去る。
見送りただの一人もなく、ガリスも未練はひとつもなく。
枯れた荒野を独りで進む。
振り返らない小さな背中。
魔法の都市で光が灯る。久方ぶりの魔法力。
弾ける歓声、天まで届く。
誰もが喜ぶその瞬間。
浮かび上がるは巨大な陣。
都市をすっぽり覆ったそれは、淡く輝く光を放つ。
はて、あの魔法は何だろう。
疑問を挟んだその瞬間、迸るは魔力の奔流。
驚き悲しむ暇もなく、都市を丸々飲み込んだ。
それはまるで天を支える柱のようで。
燐光放って千々に散る。
後に残るは荒れた地平線。
そこにヒトの形なく。
ガリスは独り歩き続ける。
光を失くした彼は何処《いずこ》へ。
その行く先を知る者おらず。
◇
――すべてを思い出した。
フルルイエは震える手で頭を抱える。
腰が抜けて立っていられず、背中を壁に付けたまま、ずりずりと路地に座り込んだ。
思い出した。思い出してしまった。
否、なぜすぐに思い出せなかったのか。
フルルイエは己の愚かさに嫌気が差す。
だが、感傷に浸る暇はない。
問題はただ一つ。
なぜ、あの少女が魔法都市のことを知っていたのか。
魔法都市アゼルゼア。
それは人類の歴史に残らなかった、古代にあった魔法都市の名だ。
今より遥か昔。
世界各地から優れた魔法使いが集まり、人による人のためだけの楽園を作り出した。
そこにはすべてがあった。
食べ物に富み、叡智に溢れ、娯楽に塗れる。
なにもしなくとも人類の欲望、そのすべてが魔法によって満たされる場所だった。
しかし、アゼルゼアは一夜にして滅んだ。
都市に残された唯一にして、最後の魔法使いの手によって。
そう、それこそまさに目の前で少女が歌った顛末の通り。
細部は違うが、大筋はそのままだ。
魔法を忘れて快楽を貪る衆愚が、ひとりの賢者を道具のように利用して、壊して――滅ぼした。
フルルイエはそれを身をもって知っていた。
何故なら、彼女もかつてはアゼルゼアの住人だったのだから。
当時、フルルイエは育成趣味の一環として園芸を嗜んでいた。
その育成も魔法に頼っていたため、魔法都市の機能が停止したときは困惑するとともに怒りを抱いていた。
しばらくして、魔法使いを呼んで復旧に当たらせると通告があった。
安堵したのも束の間、それから数日経っても復旧の目途は立たなかった。
なぜ早く直さないのか。
中枢の連中は何をしているのか。
隠し切れない苛立ちが都市を満たしていく。
フルルイエもその中の一人だった。
しかし、怒っていても仕方がない。
フルルイエは気分転換にと、都市の外に植物採集へと出かけたのだ。
そして帰り道、丘の上で都市が消えるのを見た。
大きな魔法陣だった。アゼルゼアの上空に浮かんだそれから放たれた魔力の奔流が、都市を丸ごと吹き飛ばした。
呆然とするフルルイエは気が付いた。
アゼルゼアの跡地から何者かが歩いてきている。
それは少女だった。
質素な服装に身を包んでいる。茫洋とした足取りだった。
フルルイエは身体が動かなかった。
魔法ではない。恐怖で縛り付けられていた。
少女が何者で、何をしたのか。
聡明なフルルイエにはすぐに察しがついた。
彼女が近づいてくる。
力ない足取りで、けれど着実に。
その瞳はフルルイエを捉えていた。
次第に、表情が明らかになった。
眉間に刻まれた深い皺。
前髪から覗く、鬱屈とした瞳。
歪に上がった口角。
そう、今まさに、こちらを見据えている少女のような――
――どうだ、面白かったか?
そこでようやく、気が付いた。
少女が隣にいた。
彼女の視線はフルルイエを捉えていた。
まっすぐと、光のない瞳で、フルルイエを見つめていた。
「――ッッ!?」
フルルイエは声にならない叫びを上げて逃げ出した。
頭の中は真っ白だ。魔法など頭になかった。
ただひたすらに、その場から離れたい一心だった。
ことここに来て、少女の正体と目的は明白だった。
あの少女こそ、アゼルゼアを滅ぼした魔法使いだ。
今やあの都市を知る者は、滅ぼした張本人と生き残りであるフルルイエしかいないのだから。
そんな彼女の目的は何なのか。
決まっている。
己を虐げたアゼルゼアの住人唯一の生き残り、フルルイエへの復讐しかありはしない。
フルルイエは己の迂闊さを恨む。
彼女は自身がアゼルゼアの生き残りであるという痕跡を残し過ぎた。
あの少女が訪れた魔法学校など最たる例だ。
フルルイエが王国で膾炙《かいしゃ》した魔法のほとんどは、アゼルゼア時代の魔法を基礎とするものばかり。
極めつけは少女が念入りに観察していた畑。
あそこで用いられていた自動化の魔法など当時の技術そのままだった。
そう考えると今までの行動にも説明がつく。
フルルイエの監視はバレていたのだ。
あの少女にフルルイエの魔法が通用するはずがない。
認識阻害など無意味だった。
すべてを見通したうえで、少女は正体を隠してフルルイエを虚仮にしていたのだ。
それはさながら復讐の前菜のように、すべてがお膳立てされていた。
投げかけられた言葉がすべてを物語っていた。
アゼルゼアにいた頃、フルルイエは直接的に少女を虐げたことはない。
むしろ、最後の時まで面識はなかった。
本来なら復讐されるいわれはない。
だが、そんな弁解はもはや通用しない。
フルルイエは初めて邂逅したその瞬間も、言葉を交わすことなく逃げ出している。
恐怖に負けて、少女と向き合うことを恐れたのだ。
今と同じだ。
フルルイエにはもう、逃げ出すしか道は残されていなかった。
フルルイエはがむしゃらに歓楽街を駆け抜けた。
通行人とぶつかってもお構いなし。胡乱な視線を集める。フルルイエは気に留める余裕もなかった。
その日から、王都で一つの詩が流行し始めた。
『魔法都市のエピローグ』。
とある無名の吟遊詩人から端を発したその詩は、たちまち王都を席巻した。
『竜騎士の冒険譚』に次ぐ人気だった。
町中がその話題で持ち切りだ。
自身の研究室で引き籠っていたフルルイエはすぐに察した。
これは包囲網だ。
どこに居ても見ている。
あの少女からのメッセージだった
もはやこの王都に逃げ場はない。
最近はどこに居ても視線を感じる。
いつ命を奪われるか気が気ではない。
フルルイエは熟考の末、苦渋の決断を下した。
◇
ある日、魔女は忽然と姿を消した。
突然の知らせにロマネスク王国の中枢は混乱に陥る。
魔女はロマネスク王国の再建以降、王室顧問として絶大な影響力を誇っていた。
それのみならず、魔法学校の理事や王国冒険者組合の設立にも携わっている。
彼女が国の運営を離れて久しいが、救国の英雄にも等しい彼女の行方不明は政治的にも看過できるものではない。
しかし、その混乱も次第に治まる。
一部の王侯貴族が筆頭となってその立て直しに尽力したのだ。
伝統と格式を重んじる彼らは魔女と反目して長きに渡り閑職に着いていた。だが、魔女の不在を利用して、これ幸いと権力の座に返り咲くと、見事に王国の中枢をまとめ上げた。
魔女がいなくとも国は回る。
その事実に安堵して、ようやく王国の政治は落ち着きを見せた。
それと同時に、王国は変わっていく。
王室顧問はいなくなり、返り咲いた貴族たちが幅を利かせ始める。
次第に国の中枢から庶民に寄り添う声は排斥された。
代わりに懐古主義が台頭し、徐々に力を増していく。
日和見な王は傀儡となり、貴族が国を支配する。
魔女がもたらした画一的で平等な空気は次第に薄れていく。
残されたのは、貴族による貴族のための国だった。