異世界作家創世録   作:もちまるまめ

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第8話 罪人 裏(2)

 

 ジルドロン・フェ・ファードブルネイル辺境伯。

 齢六十八。落ちぶれていた辺境伯領の立て直しに尽力した王国大貴族の一人である。

 

 ファードブルネイル領と言えば、かつては王都と帝国を結ぶ流通経路の中継地点として栄えて、小リップルとしての地位を確固たるものとしていた。観光客は絶えず、帝国人と王国人の入り乱れる街は多種多様な文化で溢れ、それそのものが名物となっていた。

 

 しかし、それも今となっては昔の話である。

 魔王戦役の災禍を逃れたのはいいものの、王国を再建した魔女フルルイエによって帝国と王国を結ぶ、安全で確実な街道が開拓された。これにより、従来のファードブルネイル領を通るルートは廃れ、街からは活気が失われた。

 

 経済は衰退し、観光業を主要産業に据えていたファードブルネイル領は長きに渡る苦境に立たされることになった。

 

 そこに現れたのが当代のファードブルネイル領当主、ジルドロン辺境伯だ。

 

 彼はその独自のコネクションによって帝国へ使節団を派遣し、最新の帝国農業を取り入れた。その結果、干からびていた大地は肥沃な農地へと生まれ変わり、領民が飢えることもなくなった。

 

 当主の座に就いてからは領地回復に努めていたものの、晩年は王国議会の議席に就いて、国内政治に精を出していた。最近では王都の混乱に乗じてさらに力を付けて、自らの派閥を拡大することに心血を注いでいる。

 

 そのため、近頃はもっぱら自領に戻ることなく、王都にある別邸で執務に励んでいる。

 

 彼は朝陽と共に起床して、別宅にある庭で朝食を食べる。肉料理が多く、あまり野菜は摂らない。昼前には登城し、日の入り頃には王城を出て帰宅。基本的にはその繰り返しである。

 

 別邸と王城の往復はすべて馬車で行われる。彼が屋外に姿を現すのは馬車に乗るときと降りるときの極僅か。その上、傍には常に護衛が張り付いている。大貴族とはいえその警護が厚すぎる。最近の情勢を鑑みての対応だと推察される。

 

 屋敷は石造りの二階建てだ。王国の伝統様式を踏襲して設計されたそれは、絢爛さを残しつつも堅牢な造りだ。

 

 玄関を抜けると、そこは広々とした吹き抜けになっている。目の前には二階へと続く大きな階段。一階には広々としたリビングと食堂が並び、隅に追いやられる形で使用人の住み込み部屋が連なる。

 

 二階には執務室や応接間、貴賓室がある。それらの部屋に入るためには吹き抜けに面した廊下を通ることになる。そうなると必ずどこかしらに立つ守衛に目撃される。徹底的に死角は排除されていた。

 

 ――以上が、マグニアが独自に調べ上げたジルドロン辺境伯と屋敷の情報。その一部だ。

 

 高位の貴族になればなるほど、その情報収集は困難になる。

 単純に情報が外に漏れないということもあるが、情報屋から情報を買うにあたっての単価が高くなるのだ。

 

 そのため、マグニアは情報屋から買うのは最低限にして、なるべく自分の脚――と、アリリ――で情報を掴んだ。

 

 別邸に配置されている守衛の数、配置、交代のタイミング。駐在している用心棒の素性、その行動パターン。

 変装して足繁く一等地区に通い、地道に集めたそれらの情報。

 それでも足りない場合は情報屋から補って計画を練り上げた。

 

 依頼の期限は迫っている。決行は数日以内に行わなければならない。焦れる思考に蓋をして、マグニアはアジトへの帰路に着いていた。

 

 日に日に王都は荒廃していく。治安の悪化に留まらず、流通の麻痺による物価高は無視できない。

 

 金銭感覚に疎いマグニアでさえその実感があるのだ。その影響は確実に孤児院にまで波及しているはず。

 

 今すぐに経営が経ちいかなることはないだろうが、今後は更なる物価の上昇が見込まれる。手遅れになってからでは遅い。早急に備えが必要だ。

 

 そのためにも、今回の依頼は必ず成功させなければならない。

 報酬額は推算では過去最高額だ。そのほとんどを仕送りに回せば、しばらくは皆が飢えることはないはず。

 

 そう考えて、マグニアはアジトへと急ぐ。

 入念な準備が計画を成功へと導く。

 成功がマグニアの大切な人たちを幸せへと誘う。

 

 そう信じて、マグニアは計画の立案を急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗闇に紛れて屋敷に侵入する。

 今宵は新月の夜。

 計画はジルドロン辺境伯の不在時に決行された。

 

 今回の依頼は過去最高難易度だ。報酬もこれまでの比ではない。それはすなわち危険度も桁違いであるということ。必然とこれまでよりも入念な準備が求められる。マグニアはあの後もアリリの店に通い、適宜必要な物資を搔き集めた。

 

 その甲斐あって侵入は難なく成功した。門前の守衛が交代するタイミングを見計らって屋敷内に便乗したのだ。大枚叩いて買った不可視化のスクロールが活きた形だ。

 

 不可視化と言えど匂いや足音などの気配は漏れる。そこは各種魔法や技術でカバーしつつ、マグニアはあらかじめ目を付けていたポイントに進む。

 

 そこは執務室だ。

 屋敷内の詳しい間取りは情報屋から手に入れた。

 

 その情報によると、執務室には隠し扉があり、そこから地下へと階段が伸びている。明らかに怪しい。この先が禁制品の保管庫で間違いないだろう。

 

 部屋の前に着いたマグニアは周囲に目を配る。

 少し離れた部屋の前に守衛が二人立っていた。吹き抜けを挟んだその向かいの廊下にも同じように守衛が立っている。扉を開ければすぐさま異変を察知されるだろう。

 

 マグニアは口の中で小さく呪文を唱えた。

 

 すると、階下で大きな物音が鳴った。

 驚いた守衛たちはみな一斉にそちらを注視する。何人かの守衛はそちらの方に走った。

 

 その隙にマグニアは扉を少しだけ開けて、するりと身体を滑り込ませた。

 

 執務室は簡素だった。調度品の類は置いていない。辺境伯の実利的な性格が窺えた。

 

 マグニアは真っ先に本棚を調べ始める。本棚の隅にあった何の変哲もない本を引くと、カチリと音がして隠し扉が開いた。その奥には石造りの階段が下へと続いている。

 

 ビンゴだ。

 マグニアは淀みない動作で階段を降りていった。

 

 長い螺旋階段を抜けた先には薄暗い廊下が続いていた。埃っぽい匂いに眉を顰める。

 

 左右には等間隔に扉が並んでいる。マグニアは虱潰しに扉を開けてターゲットを探して回った。

 

 そして最奥の部屋にそれはあった。

 それは小さな檻だった。大人一人が身体を丸めればギリギリ収まる程度のサイズ。分厚い真っ黒な布が覆いかぶさって中を窺い知ることはできない。だが、何か寝息のようなものだけは聞こえていた。

 

 あとは中にいる生き物に狂乱の魔法を掛けてこの屋敷を出るだけ。実に呆気ない幕引きだった。

 

 だが、それでも油断はしない。たとえこの屋敷を脱出してアジトに帰還したとしても、任務達成の確認が済むまで油断は禁物だ。

 

 改めて気を引き締めて、マグニアは部屋へと一歩踏み込む。

 

 寝息が止まった。

 

 その瞬間、マグニアは肌が粟立つのを感じた。

 背中に冷や汗が滲む。今すぐにこの場から離れないと命が危ない。そんな危険信号染みた警告を身体中が発していた。

 

 しかし、マグニアは深呼吸をして早まる鼓動を抑えつける。冷静な思考を保つ。日頃のメンタルトレーニングの賜物だ。

 

 自分の侵入は標的に察知された。だが、所詮は囚われの身。たとえ何があろうと害されることはない。

 マグニアは自分にそう言い聞かせて檻へと近づいた。

 

 一歩ずつ、慎重に。

 標的を刺激しないように進んでいく。

 

 近づくごとに威圧感は増していく。その度に、奮い立たせた虚栄心が萎んでいくのを感じた。

 

 このままではいけないと拳を握り締める。

 恐怖心を押し殺して、ひたすら前に進むことだけに注力した。

 

 ――それ故に、マグニアは気が付けなかった。

 

 突如として、屋敷中に警告音が響き渡った。

 マグニアは咄嗟に足元を見る。隠されるように描かれた、小さな魔法陣を踏んでいた。

 警報魔法の魔法陣だ。

 

 にわかに地上が騒がしくなる。マグニアの常人より少しばかり優れた耳が、遠くで響く幾人もの足音を捉えた。

 

 じきにこの地下室に守衛がなだれ込んでくるだろう。

 マグニアは依頼の失敗を悟る。

 己の心に打ち勝つことに執心して、周囲への警戒を怠っていた。

 

 いつもの悪癖だ。ここぞというときにしくじった。

 しかも今回のそれは今までの比ではない。今すぐに脱出しなければ命はないだろう。

 

 漏れそうになる自身への悪態を飲み込んで、マグニアはすぐさま踵を返した。

 しかし、それを阻むものがいた。

 

「......ぐッ!?」

 

 振り向きざまに強烈な衝撃を受けて、マグニアは檻の近くまで吹き飛ばされた。

 

 したたかに背中を打ち付ける。衝撃で肺から空気が抜けた。

 脇腹がひどく痛む。口の中に血が溜まる。内臓を傷つけたようだ。

 

 腹を抑えて部屋の入り口を見る。

 そこには一人の女が立っていた。

 

「侵入者を発見しました。これより捕縛します」

 

 機械的な声が静かに響く。

 その女は全身を黒の装束で固めていた。目元だけを露出させて、身元を欺瞞している。

 

 守衛ではない。それどころか堅気の人間ですらないだろう。

 マグニアの下調べでは今日常駐している用心棒はいないはずだった。

 

 どうやら当てが外れたようだ。

 想定外というものは往々にしてあるものだが、今回ばかりは間が悪すぎる。本当に今日は最悪の日だ。

 

 マグニアは今度こそ悪態を吐いて女を見据える。

 

 油断のない身のこなし。今もなおこちらの隙を窺っている。

 正面戦闘で勝てるとは思えなかった。

 

 痛みに悶えるふりをして、腰のポーチに入っている閃光の魔法が込められたスクロール手を伸ばす。一か八かに賭けて目眩しと共に離脱しようとした。

 

 しかし、女はそれを見咎めると、恐るべき速さで肉薄して、蹲ったマグニアの腹を蹴り上げた。

 

「無駄な抵抗は止めろ」

 

 受け身すら取れず冷たい床に転がる。全身に激痛が走った。

 

「繰り返す。無駄な抵抗は止めろ」

 

 激痛の向こう側からぼんやりとした忠告が聞こえる。

 しかし、マグニアに従う気はさらさらなかった。

 

 自分が死ぬのはどうでもよかった。だが、自分が死ねば孤児院はどうなる。誰があの万年経営難の孤児院を支援するんだ。誰があの人たちを助けるんだ。

 

 最後の力を振り絞って手を伸ばす。藁にも縋る思いだった。指先に暗幕が触れた。訳も分からずそれに縋り付いた。

 

「警告はした」

 

 鋭い蹴りが再びマグニアを打ち上げる。

 その拍子に暗幕がめくりあげられて檻の中身が露わになった。

 それを見て、女が少しだけ息を呑んだ。

 

「......ぁ...み、んな......」

 

 譫言のように呟いたそれすら自覚できず、マグニアの意識は沈んでいく。

 

 薄れゆく意識の中、マグニアはこちらを見つめる異形の姿と目が合った気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 饐えた臭いが鼻につく。

 格子の隙間からほんの少しだけ外の世界が覗く。

 マグニアはそれを無感動に眺めていた。

 

 ジルドロン辺境伯邸の地下で捕縛されて一夜が明けた。

 マグニアは、守衛の詰め所で拘留されていた。

 

 貴族の邸宅への侵入は重罪である。本来ならば沙汰を待つまでもなく問答無用で処刑だが、ジルドロン辺境伯からのお達しにより、マグニアの処刑は先送りにされることとなった。

 

 大方、マグニアの背後関係を洗い出すための猶予期間だろう。明日からは苛烈な拷問がマグニアを待ち構えている。

 見回りに来た守衛がそんなことを言っていた。

 マグニアはそれを静かに聞いていた。

 

 時折地上から吹いてくる清涼な風を感じながら、マグニアはこれまでの人生を振り返っていた。

 

 思えば、自分は恩返しをしたいと思うあまり、功を焦っていたのかも知れない。

 みんなに楽をさせるためには金が必要だからと、慣れない裏稼業に手を染めて、運よくここまで生きてきてしまった。

 

 ここが潮時だ。

 

 ここを、潮時にしなければならなかった。

 

 無理やりにでも諦めなければならない。もう希望はないのだから。

 

 最後に願うのは孤児院に残した皆の幸福。

 自分のような人間が、今までその一助を担えたことが誇りなのだ。

 

 すべてが終わったマグニアは、静かに虚空を見つめていた。

 

 すると、マグニアの聴覚が、留置所への石階段を降りてくる足音を捉えた。

 もう日が落ちて久しい。深夜の巡回もまだ先のはずだった。

 

 来たか、と。

 マグニアは己の運命を悟った。

 

「おい、女だ!女が入ってきた!」

「どうしたのかなお嬢ちゃん。おじさんたちと遊びたいのかなぁ?」

「ぎゃははは!バァカ!てめぇみてぇなじじいとヤリてー女なんか誰がいんだよ!」

「ほらほら嬢ちゃんこっちこいよ。オレなら良くしてやれるぜぇ!?」

 

 格子を揺すり、下品な言葉を捲し立てながら、彼らは口々に騒ぎ立てた。

 マグニアはその場から動かずにそれを静かに聞いていた。

 じきに騒ぎも収まるからだ。

 

 不意に、錠が解かれる音がした。続いて、錆びた格子の扉が鈍い音を響かせた。その女が出入り口近くの牢を解放したのだ。

 

 途端に色めき立つ彼らは、しかしすぐに異変に気が付く。

 

 女の悲鳴も男の歓喜も聞こえない。

 それどころか、聞こえてくるのは野太い男の命乞いだけ。

 

 騒いでいた男たちは口々にその男の醜態を嘲った。

 女一人になんて態度だ。今にオレがわからせてやる、と。

 

 その中で唯一、その牢の向かい側に収監されていた男だけが、目を剝いて驚愕を露にしていた。

 

 そんなことが何度か続いた。段々と嘲りは減っていき、もはや彼らの間にあるのは恐怖だけだ。誰も声を上げず、女が通った後には苦悶と呻きだけが残った。

 

 一度だけ、命知らずが女に襲い掛かったが、その男は見るも無残な姿で部屋の隅に打ち捨てられることになった。

 

 それ以降、男たちが威勢を取り戻すことはなかった。

 牢の隅で蹲りながら、ただ嵐が過ぎ去るのを待った。

 

 ――暗殺者ギルドには、失態を犯した構成員を抹殺する暗殺者が存在する。

 

 彼らは始末屋だ。依頼を失敗して、ギルドの名に泥を塗るどころか、公的な機関に捕縛されて情報漏洩を起こす可能性がある者をギルドは決して許さない

 

 彼らは地の果てまで追いかけてくる。たとえ一度撃退しようと、どんな僻地に逃げ込もうとも、大陸の隅々にまで張り巡らされた組織の根が新たな刺客を送り込む。

 

 そんな始末屋の話を、マグニアは噂程度に知っていた。

 だが、アリリは確かに存在すると断言するとともに、くれぐれも目を付けられないように念を押していた。

 

 だが、結果はこのザマ。

 依頼を失敗し、王都衛兵団に捕らわれた。

 

 明日に迫る背後関係を探るための拷問など、マグニアにとっては何の恐怖でもなかった。

 

 何故なら、マグニアは明日まで自分の命が持つなど露ほども思っていなかったのだから。

 

 ――カチャリと音を立てて、マグニアのいる牢の錠が解かれた。

 

 今までの罪の報い、その清算をする時がやってきた。

 

 覚悟を決めてマグニアは相対する女――始末屋を見据える。

 そして少しだけ目を見張った。

 

 始末屋はあまりに幼かった。

 まだ女性とも呼べない少女だ。ともすれば独り立ちせずに親元で過ごしていたとしてもおかしくはないような歳に見えた。

 

 服装もごく平凡。着古されたワンピースを着用している。孤児院で代々受け継がれていたお下がりの洋服を思い出した。

 

 街ですれ違ったら次の瞬間にはもう覚えていないだろう。容姿だけ見ればこの少女が始末屋だとはとてもではないが想像できない。

 

 しかし、その眼だけは異様だった。

 二つの眼窩には徹底した冷たさがあった。まるで汚らしいゴブリンでも前にしているかのような瞳。そこには人間らしい情というものが一切見えない。

 

 仕儀柄、これまで様々な裏の人間と関わってきたマグニアも、ここまで人を人と見ていない目は見たことがなかった。

 

 得体の知れない威圧感に、マグニアは気圧された

 

「俺は人以下ってか......」

 

 マグニアの呟きに反応することなく、少女が口を開いた。

 

 曰く、これまでの人生を語れという。

 

 マグニアはそれを別段、奇妙な問いだとは思わなかった。

 

 裏稼業を生業とする人間には、何かしらこだわりやポリシーといったものを掲げる者は少なくない。

 

 そういった柱がないと生き残れない業界なのか、あるいは奇妙な慣例があるのか定かではないが、マグニアも過去に似たような人間を見てきた。

 

 中には殺める前に名前を訊いて、後日その名を身体に彫る変人もいた。

 

 そういった人種に比べれば、少女の問いなど変でもない。むしろ、こんな眼をする少女が他者に興味を持っている、あるいは持とうとしている方が意外だった。

 

 マグニアは粛々と己の半生を語った。

 弟と生き別れたことも、孤児院での生活も、これまでの依頼、そして今回の失敗。

 

 孤児院のことについて話すのは躊躇した。だが、どちらにしろ組織には知られているだろう。今際の際くらいは潔くいたかった。

 

 少女はマグニアの話をつまらなさそうに聞いていた。

 

 この歳で暗殺者ギルドの始末屋をやっているのだ。そこらにいる木っ端構成員の人生など面白くとも何ともないだろう。それでも話を切り上げないのはやはり彼女のポリシー故か。

 

 そんな彼女にあの屋敷の地下で見たものを話すか否か迷った。

 

 どうせ話しても信じられない。不興を買うかも知れない。そう思ったのだ。

 

 思い出すのは強烈な威圧感。

 その場にいただけで生存本能を刺激されるような生き物としての格の違い。

 

 そしてもう一つ、マグニアは意識が繋ぎ止めた最後の記憶が脳裏にこびりついていた。

 

 暗がりの中、小さな檻からこちらを窺う縦長の瞳孔。ぬらりと光を反射する鱗。そして、檻から少しだけはみ出した隆々な尾。

 

 全貌は見えなかったが、マグニアにはそれが竜にしか見えなかった。

 

 しかし、王都のど真ん中に竜がいるなど誰が信じるのか。

 

 言い淀んでいると、少女が先を促した。

 

 逡巡の末、マグニアは与太話だと罵られる覚悟で語った。

 これがただの見間違いだったらそれでいい。どちらにしろマグニアは処刑される。馬鹿が一人減るだけだ。

 

 だが、これが真実だった場合、それは恐ろしいことだ。

 

 竜の存在は誰でも知っている。

 王国文学では倒されることのない絶対的な悪として、あるいはすべてをひっくり返す舞台装置として。

 孤児院では夜更かしをする子供を脅かすための決まり文句だったこともある。

 

 そんな位置づけをされるほど、竜とは身近であり、そして強大な存在だ。

 

 歴史書を紐解くと、竜の気紛れで滅ぼされた国というのは枚挙にいとまがない。学のないマグニアはそんなこと露ほども知らなかったが、昔、アリリとの雑談の中でそんな話を聞いていた。

 

 たとえそれが檻に収まる程度の小さな竜だったとしても、こんな街のど真ん中にいていい存在ではない。

 

 ゆえに、マグニアは少女を介して暗殺者ギルドにこのことを伝えて、少しでも警戒を促そうとしたのだ。

 

 王国のためとかそんなものではない。

 

 すべては孤児院のみんな、家族のために。

 みんなが暮らすこの場所を地獄に変えることは許せなかった。

 

「オレはどうなってもいい。どんな殺し方をしてくれても構わない。だから、竜を......王都から危険を取り除いてくれ。これ以上家族がいなくなるのは嫌だ......ッ!」

 

 マグニアは懇願した。

 万に一つの可能性に賭けて、二回りも年下の少女に縋った。

 

 しばらく反応がなかった。

 聴く耳も持たれなかったのかとマグニアが仰ぎ見た。

 

 少女は笑っていた。

 否、怒っているのかもしれない。静かな、けれども確かな激情だ。

 悲喜こもごもとしたその表情は言葉では形容できない気迫があった。

 

 マグニアは思わず圧倒される。

 まるであの竜を前にしたときのような威圧感があった。

 

 しかし、不思議と恐怖はなかった。少女の視線は遠くのナニカを捉えていた。そのナニカは竜なのだと、マグニアは直感した。

 

 少女がワンピースをめくって背中に手を回す。

 得物を取り出すのだろう。とうとう処刑の時が来たのだ。

 

 しかし、まだ伝えるべき情報がある。

 少女が竜の話に興味を持ったのなら猶更だ。

 

「今から数日後、魔法学校で地下オークションがある。そこに件の竜は出品されるはずだ。警備が厳しくなっているジルドロン邸より潜入はいくらか容易だろう」

 

 もっとも、暗殺者ギルドならそのコネクションで堂々と正面から入場できるだろうが。

 

 マグニアはそう語り終えると、潔く首を差し出した。

 

 できることはした。

 あとは少女とギルドに託すほかない。

 

 少女が近づいてくる。

 処刑人が、暗殺者ギルドの始末屋が、すべてを終わらせに来る。

 

 孤児院のみんな、アリリ、そして冒険者時代に世話になった人々。彼らの顔が思い浮かんでは消えていく。

 マグニアは目蓋を閉じて涙を堪えた。

 

「すまない、みんな......」

 

 小さく呟いて、マグニアは獲物が振り下ろされる風切り音を聞いた。

 

 ――ギンッ、と。

 

「......?」

 

 破砕音がして、何かの破片が脚に飛び散る。

 飛び散った肉片の感触を脚に感じたのかと思案する。しかし、すぐに思考を紡げている事実に驚愕した。

 

 目蓋を開くと、そこには粉々に砕け散った足枷があった。

 頭を上げた。少女は既にそこにはいなかった。

 

「どういうことだ......?」

 

 マグニアは呆然とした。

 出来の悪い夢でも見ているのかと思った。だが、現実だ。わき腹の痛みがすべてを物語っていた。

 

 こうしてマグニアは、晴れて自由の身となったのだ。

 

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