異世界作家創世録   作:もちまるまめ

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第2話 スラム 表

 旅に出た私である。

 

 出立した私は乗合《のりあい》馬車を乗り継いで、無事ロマンタにたどり着いた。

 

 乗合馬車とは不特定多数の客を乗せ、一定の路線に従って運航する定期便のことである。私は村を出てからしばらくして王都までの距離を思い出し、街道で即座に乗合馬車を拾った。徒歩だと十日、馬車だと三日はかかる旅程である。道中には夜盗や魔物もうろついているだろう。歩いて向かうのはよほどの暇人か阿保である。

 

 見知らぬ人々と二夜を共にした。私以外の乗客は小汚いむくつけき男どもである。奴らは私が女人《にょにん》であることに気が付くと下卑た笑みを浮かべた。

 

 馬車で過ごす二日目のことである。

 馬を休ませる休憩時間に私は近場の森を散策していた。暇つぶしである。

 

 すると、同じ馬車に乗っていた乗客の男が馴れ馴れしく体を触ってきた。

 

 振り払うと男は逆上したように顔を真っ赤に染め上げて何事かをまくしたて始めた。人と同じ言葉を喋っているはずなのに、その潰れた鼻を見ているとまるで小汚い豚と話している気分になった。

 

 愛護精神は持ち合わせど、醜い化け物にくれてやる慈悲はひとつもない。私は襲い掛かってきた男の()()と目を潰して、迷惑料として財布をくすねた。男は汚らわしい雄たけびを上げながら地面を転がっていた。滑稽であった。

 

 村を出たはいいが、衝動的な出奔であったため、私の懐はさもしかった。乗合馬車の代金をどうやって払うか悩んでいた矢先の()であったため、路銀を稼げて幸運であった。

 

 馬車は何事もなく出発した。あの男は置き去りである。ここらは見渡す限りの森しかない。人里は遥か彼方であろう。不埒漢にはふさわしい末路である。どこぞで野垂れ死ぬがよい。

 

 その後は寝込みを襲われかける事件はあったものの、何事もなく旅程は進んだ。その男も()()と目を潰して財布を抜き取っておいた。不能になるがよい。

 

 さて、ロマンタである。

 

 そこはどこを見ても人だかりであった。故郷の閑散とした村では考えられない賑わいである。

 

 すれ違う人々の目にはイキイキとした光が灯っていた。活力に満ちた目であった。すべてを諦めたような冷めた目ではない。夢に満ち溢れていた。

 

 私は胸が熱くなった。

 この地なら素晴らしい体験ができる。そしてその体験をもとに素晴らしい物語を紡ぎだすことができる。

 そう確信できた。

 

 今すぐに筆を執りたい衝動に駆られる。だが、いかんせん私は拠点というものを持ち合わせていない。

 

 人間の活動には衣食住が肝要であるとされている。私はそのすべてにこだわりがないため最低限でよいが、ゼロなのはいただけない。

 

 特に今の私には食と住が欠けていた。道中で手に入れた路銀で賄おうにも到底足りない。そのほとんどが乗合馬車の代金に消えていったからだ。

 

 ゆえに、私は労働に身を費やすこととした。

 屈辱であった。本来ならばおはようからおやすみまで物語に向き合いたいのだが、人間の社会というものがそれを許してくれない。

 

 働きたいものだけが働けばよいものを。私は生存する最低限の銭だけ恵んでもらえれば、対価として最高に面白い物語を与えるというのに。

 

 嗚呼、働きたくない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王都に来てひと月が経った。

 現在、私は宿に住み込みで働いていた。

 

 この間、私は一度も筆を握ることができていない。

 

 私の一日は朝陽とともに始まる。

 まずは宿中の掃除である。少しでも汚れが残っていると給金をもらえないため、この作業は神経を使う。

 

 掃除が終わるのは昼前である。

 その後は食堂でひたすら配膳をする。この宿は大きな大衆食堂と併設されている。そのため、昼時は宿泊客以外にも一般の客が利用して、店内は常にてんてこ舞いになる。私はこの混乱に乗じて配膳する食料をつまみ食いして昼飯代を浮かしている。

 

 夕方から夜にかけても同様である。

 この宿は人手が足りないため、私は常に駆り出されることとなった。

 

 私が労働から解放されるのは日付を回る直前である。

 私はわずかに残ったなけなしの体力でペンを握ろうとして、意識を失う。

 

 そんな日々が過ぎていった。

 

 忙殺される毎日に思考が停止していた。

 だが、ようやく私は気が付いた。

 

 私は何をやっているのだ、と。

 

 確かに給金は稼げている。そこらの町娘より稼ぎがよいのだという自覚はあるが、初志を鑑みれば本末転倒も甚だしい。

 

 私は終生の作家である。

 空想の世界を言祝ぎ、物語を紡がない私に意味はない。

 

 今の私は死んでいるようなものである。

 

 ゆえに、決心した。

 離職の覚悟である。

 

 せっかく手に入れた職と拠点ではあるが、己の宿命を果たせなければ意味がない。

 

 このままでは私を待ち受ける運命は立派な宿の女将となってしまうであろう。

 断固拒否である。

 

 よしんば筆を執ったとしていったい何の物語が紡げようか。私は王都に出稼ぎにきたのではない。物語の糧とするために経験を積みに来たのである。

 

 宿の仕事が何の糧となろうか。このひと月がすべて無駄とは言わないが、これ以上私の時間を浪費する価値はない。

 

 ゆえに、出奔である。

 思い立ったが吉日である。私は荷物をまとめて裏口から宿を出た。

 

 書置きはしたためてある。心配はいらぬであろう。

 

 私は宿の表へ回って一礼した。

 少しのあいだとはいえ世話になったのだから当然のことである。私は義理堅い人間なのだ。

 

 そして懐から卵を取り出して、思い切り玄関に投げつけた。

 

 べちゃりと割れて扉が黄色に彩られる。宿の中から怒号が聞こえた。それを背に私は夜の街を駆け抜けた。

 

 世話にはなった。だが、それはそれとして、である。時間を無駄にしたのは間違いではない。憂さ晴らしである。

 

 それと同時に、この卵は私の決別の印でもあった。

 

 立つ鳥跡を濁さずという言葉がある。

 立ち去る者は自分のいた跡が見苦しくないようにするべきという戒めである。私はこれを道理であると考える。その言葉の通り、最低限、私が与えられていた部屋は掃除をした。

 

 しかし、綺麗に掃除をしてその場に長く居ついてしまうと、人間、愛着がわいてしまうものである。

 

 ゆえに、私は二度とこの場所に戻ってこれぬよう仕向けたのだ。

 もぬけの殻になった部屋を見れば卵が誰の仕業かは一目瞭然であろう。念のために書置きにも記しておいた。

 

 それに、卵とは高級品であるらしい。故郷の村では養鶏が行われていたためありふれたものであったが、この都市では易々と手に入らぬ代物である。

 

 そんなものが玄関をべっとりと彩っているのである。考えようによっては高級志向といえなくもないであろう。

 

 むろん、卵は厨房から拝借したものにつき、私の懐はまったく痛まない。

 

 明日からどのように過ごそうか。

 考えを巡らせながら私は夜の都市の闇に身を紛らわせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 都市の辺境にはスラムという地区があった。

 私は宿を出奔して半月ほど、そこのあばら家で執筆に没頭していた。

 

 華々しい王都の歓楽街とは対照的に、スラムはひどく治安が悪い。最悪と言い換えてもよい。

 

 行きかう人々はみな死んだ目をしている。村にいたそれとはまた別の色だった。それはそれで興味深い。私がそんな彼らをまじまじと観察していると、彼らは居心地が悪そうに足早に去っていく。

 

 歓楽街は良いところであった。活力に満ち溢れ、みな活動的であった。しかし、いかんせん騒がしすぎた。

 

 人々が精力的に活動するということは、目まぐるしく社会が変動していくということである。その慌ただしさが私にはいささか性に合わなかった。

 

 その点、スラムは良い。

 静かである。いつもどこからともなく異臭が漂い、夜半に叫び声や怒号が飛び交うことがままあることが玉に瑕であるが、それを抜きにしても過ごしやすい空間であった。

 

 何より、干渉してくるものがほぼいない。住み着いてすぐは不埒漢が相次いで襲いかかってきたが、何度か撃退するとそれもすぐに止んだ。今では静かなものである。そんな環境であったため、とても執筆が捗った。

 

 そんなある日、私を訪ねる者がいた。

 スラムに住む少女であった。

 

 彼女は近所に住む同年代の私に興味を示したらしい。

 

 私は何度も追い払ったが、彼女が性懲りもなく家に来るので私が根負けした形となった。時折、思い出したかのように話しかけてくるものの、それ以上の深追いはなかった。邪魔といえば邪魔だが、取り立てて追い出すほどのことではない。そんな時間があるなら筆を走らせる。それよりも、同じ空間に人がいるという事実が久しぶりで、そちらの方が居心地が悪かった。

 

 ある日、汗だくの少女が尋ねてきた。ゼェゼェと肩で息をする様は見ていて暑苦しい。

 

 彼女は喘鳴混じりに口を開いた。

 いつも何を書いているのか、と。

 

 私は答えた。

 物語である、と。

 

 それを聞いた瞬間、少女は物語を見せて欲しいと懇願した。

 どうやら少女も無類の物語好きであったようだ。

 

 商人曰く、何やら都では空前の小説ブームらしい。

 

 小説というのが何なのかはわからないが、物語の別称のようであった。

 

 彼女もそのブームに煽られた口であろう。単純である。

 

 私の背後で少女は頭を下げ続ける。気が散る。邪魔であった。いつもであれば即座に叩きだすのだが、同好の士を見つけた私は些か気分がよかった。

 

 ゆえに、特別に書きかけの物語の冒頭を読ませてやることにした。

 しかし、少女はそれを断った。

 

 曰く、文字が読めない、と。

 

 今まではスラムの広場で開催される小説の読み聞かせを聴いていたのだという。

 

 私はそれを訊いて得心した。

 なるほど、そういう楽しみ方もあるのか、と。

 

 確かに、スラムの住民からはお世辞にも教養が感じられるとはいえない。識字率などいうまでもないであろう。

 

 であれば、読み聞かせという形態で物語を楽しむのは道理である。要は吟遊詩人の亜種のようなものであろう。

 

 新たな知見を得て、さらに気分が良くなった私は、明日また同じ時間に来るように言い含めて少女を帰した。

 

 困惑する彼女をよそに、私の胸は昂っていた。

 

 私は少女のために物語を書くことにしたのだ。

 

 そうと決まれば早速執筆にとりかからねばなるまい。

 

 物語は一日にしてならず。私は少女にまた明日来いと言いつけた。吐いた唾は吞めない。締め切りは今もなお刻一刻と迫っている。ゆえに、私はたった一日で物語を書きあげなければならなかった。

 

 それにあたり、私は短編を選択した。

 今から長編をしたためるのはいくら鬼才の私でも厳しいからである。

 

 その分、物語は意匠を凝らした造りにするつもりであった。

 

 前提として読み聞かせである。全文を声に出して読む形となる。そのため、台詞回しは重要である。キャラクター同士の掛け合いもいつもより軽妙さを意識する。そして何より、わかりやすい平易な文章を心掛けた。

 

 一夜が明けた。

 この一夜は私の人生の中でも指折りに骨を折った夜であった。刻一刻とその時が迫る緊張感は筆舌に尽くし難い。

 

 だが、私は書き上げた。私が書いた物語を熱望する少女のために、渾身の傑作を叩き出したのだ。

 

 村で書き上げた冒険譚含め、これで二作目である。

 『竜騎士の冒険譚』は私が初めて世に出した作品ではあるが、そのあまりの稚拙さに思わず眩暈がしてしまいそうになる代物である。この王都でも読んだことがある者がいるかもしれないが、私としては一刻も早く忘れてほしい所存であった。

 

 だが、今宵の傑作はまさしく傑作である。

 

 短編は初めての試みであったが、存外に上手く書けたと自負している。

 この作品ならばどこに出しても恥ずかしくない。私は胸を張ってそう言えた。

 

 少女がやってきた。言いつけ通り、昨日と同じ時刻である。

 

 私が少女のために物語を書いたと伝えると、彼女は諸手を挙げて喜んだ。

 その様子に私も鼻高々である。

 今からこんなにも狂喜乱舞していたら身が持たないであろう。実際に読み聞かせたらどんな反応をするか楽しみであった。

 

 そして、私は少女に読み聞かせた。

 

 台詞は感情をこめて、ときには身振り手振りを交えて、情緒を刺激する語り口を意識した。

 

 特に恋人との再会のシーンは思わず熱が入った。

 楽しい。私は己の世界に入り込みながら演じる喜びを見出していた。

 

 そうして、読み聞かせは終わった。

 私は滴る汗を拭いながら少女に感想を求める。

 

 少女は答えた。

 

 ......あ、うん。面白かった、よ?

 

 世界の時間が停まった。

 

 否、止まっていたのは私だけであった。

 

 私も馬鹿ではない。物語を書く以上、人の機微というものには人一倍目敏いという自負がある。

 

 そんな私の観察眼が言っている。

 

 お世辞である、と。

 

 私は荷物をひっつかんで家を飛び出した。

 盗難防止のため、私の荷物はひとつの風呂敷にまとめられ、常に手元に置いていた。ゆえに、その一連の動作は疾風迅雷であっただろう。だが、焦りのあまり、書き上げたばかりの物語は取りこぼしてきた。恥ゆえに、少女には処分をお願いしたい。

 

 呼び止める少女の声を背に、私は愛しきスラムを後にした。

 

 頬を伝うしょっぱさは未熟の証であると私は悟った。

 

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