異世界作家創世録   作:もちまるまめ

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第3話 冒険者 表

 

 己の未熟さを思い知った私である。

 

 あの日、スラムの少女に辛酸を嘗めさせられてから半年が経った。

 その間も、私は挫けることなく執筆を続けている。

 

 しっとりとした闇に浸かったスラムを駆け抜けながら私は考えた。

 果たして、どこが駄目であったのか。

 

 少女のために書いたあの短編は教養のない彼女でもとっつきやすいように恋愛を主体としたラブロマンス冒険譚である。

 内容は比類なき面白さであると断言できた。

 

 であれば、何が駄目だったのか。

 

 真っ先に思いついたのが私の語りであった。

 

 私の物語が最高峰であることに疑いはない。筆を執ったのは最近なれど、物語は幼き頃より常に私とともにあった。そんな竹馬の友であり我が子でもある彼らが素晴らしくないはずがない。

 

 しかし、こと語りともなると話は別である。

 身振り手振りを交えて感情のままに演じるのは実に悦であったが、その是非を問われると閉口せざるを得ない。

 

 おそらく、少女は私の拙い演技に翻弄されたのだろう。

 

 物語はこんなにも素晴らしいのに、語りは赤子のようである、と。

 

 思えば、少女の言葉からは失望が滲み出ていたような気もする。

 悔恨の極みである。己の不甲斐なさゆえに、我が愛する物語の素晴らしさを引き出すことができなかったのだ。

 

 しかし、私に演技を磨いている暇などない。

 語りはそこらの詩人に任せて、私は私の世界を捻りだすという崇高な使命に従事するのみである。

 

 私が次の拠点に選んだのはスラムからほどなく離れた宿屋であった。

 老夫婦が二人で経営しているこの宿屋は、最初に住み込みで働いていた宿屋ほど繁盛しているわけではない。むしろ呆れかえるほど寂れて閑古鳥がやかましい有様である。

 

 部屋も襤褸であった。しかし、雨風を凌げるなら何でも良い。スラムのあばら家では雑魚寝であったことを考えると寝床があるだけ大躍進である。

 

 宿代についても問題はない。宿屋で稼いだ賃金もいくらか残っており、さらにはスラムで襲ってきた不埒漢の財布も少しばかり拝借したためである。おかげで今の私はちょっとした小金持ちであった。

 

 宿に居ついて数か月、私は外出することなく机に向かっていた。

 おはようからおやすみまで我が世界と向き合う日々はまさに至福であった。

 

 しかし、老夫婦からたまには散歩に行ってみてはという提案を受けて、私は都に来た当初の目的を思い出した。

 

 不覚である。思えば、私は初志を忘れていたやもしれん。

 そもそも、都に来た目的は糧を得て、己の見聞を広めることにある。だのに、宿に籠ってばかりでは村での私と相違ない。

 

 私は老夫婦に尋ねた。

 都で珍しい体験をするにはどこへ行けばいい、と。

 

 壮年の夫は答えた。

 曰く、冒険者ギルドに行ってみるといい、と。

 

 冒険者ギルド。

 初めて聞く施設であったが、主に戦闘や護衛などを生業とする荒くれ者集団の組織であるらしい。要は街のなんでも屋である。

 

 思えば、乗合馬車にも武装した男が数人乗車していた。おそらくあれらも冒険者であったのだろう。

 

 呵々《かか》と笑いながら答えた男をその妻が叱っている。どうにも私が冒険者ギルドに向かうのを懸念しているようだが、私はそこらの荒くれや不埒漢に下されるほど軟《やわ》ではない。

 

 

 ふむ。

 私は考えた。

 

 冒険。

 心躍る素晴らしい響きである。

 

 それを生業とする冒険者とはどんな勇者たちであろうか。ドラゴンを伸《の》すのは当然として、その果てしない冒険譚には興味がある。いや、街のなんでも屋というからには、あらゆる才能を有した才色兼備が集っているやもしれん。

 彼の提案を私はいたく気に入った。

 

 思い立ったが吉日とも言う。

 私は早速冒険者ギルドへ向かった。

 

 冒険者ギルドは歓楽街のはずれにあった。歴史を感じさせる壮健な建物の入り口には益荒男がたむろしていた。いかにも仰々しい風貌であった。

 

 私は臆することなく冒険者ギルドに足を踏み入れた。

 無頼漢の不躾な視線が突き刺さる。しかし、いくら有象無象に針の筵にされようと所詮は些事である。

 私は臆することなく受付に足を運んだ。

 

 そうしてしばらく話をした。

 どうにも、私の要望を叶えたいならば依頼という形で冒険者を雇うのが無難なようだ。

 

 依頼料を懸念される。だが、心配無用である。

 宿の代金は格安であったため、今もなお、私の懐は温かいままなのだ。

 私はその場で依頼を出した。

 

 名目は護衛であるが、その実、行先などの詳細は決まっていない。冒険者からも意見を募って糧となりそうな場所へ向かうつもりである。

 

 そのため報酬も相場の五倍ほどで提示した。そこにさらに歩合で追加を払うつもりである。これならば誰かしら寄ってくるであろう。

 

 依頼を出してからしばらく経った。

 その間、私は宿に籠って執筆を続けていた。果報は寝て待てとも言うが、私には暢気に寝ている時間などないのだ。

 

 そんな私のもとにギルド職員がやって来た。

 どうやら依頼が受注されたらしい。

 

 やっとこさである。

 物語の世界に没頭して半ば何のことだか忘れていたのだが、そのおかげか、依頼が無事受注されるかやきもきしなくて済んだやもしれない。

 

 そうして、私はギルドに向かい、併設された酒屋で時間を潰しつつ、件の冒険者を待った。

 

 ほどなくして、三人組の若者の集団が訪ねてきた。彼らこそ私に糧を運んでくれる冒険者だった。

 

 男二人に女一人である。

 痴情のもつれを期待できるが、どうにも関係は良好らしい。

 私としては泥沼のほうがドラマが生まれて面白いのだが。実につまらない。

 

 行先について意見を募った結果、三人の普段の生活に私が同行する形となった。

 

 私としては彼らには別の依頼を受けてもらって、それに同行する形が望ましかったのだが、ギルドの規則で依頼を重複できないという。

 荒くれのような雰囲気を醸す組織のくせに律儀なものである。

 

 要は冒険者の実態調査が今回のメインになるだろう。

 

 期間は三日設けた。

 それぞれ一日に一人ずつ密着する形となる。一日もあれば人となり、そして冒険者の生々しい実態も把握できるであろう。

 

 冒険者稼業の実態がなんでも屋であるという知識はあれど、その生活サイクルはいまだ謎に包まれているといっても過言ではない。

 

 今後、冒険者をモチーフとした物語を考える機会もあるやもしれん。彼らの生活を調査することは得難い糧となるであろう。

 

 話がまとまり昼食を食べた。

 午後から早速依頼開始である。

 

 初日はリーダーらしき男に同行することとなった。

 やたらと暑苦しい赤髪の野郎である。

 こいつは笑うときに胃の奥底まで見えそうなほど口を開ける。そして無闇矢鱈と声がうるさい。

 私はこいつが嫌いであった。

 

 奴の一日はつまらなかった。

 昼食後は拠点にしているらしい宿屋に直帰し装備の手入れ、それが終わったらギルドに併設されている訓練場で夕方まで鍛錬である。

 

 荒くれな見た目とは裏腹に、なんとも生真面目で勤勉な姿であった。特筆すべきことがなさ過ぎて憎らしいことこの上ない。

 冒険者のディティールを詰めるためとはいえ、ただひたすら赤髪筋肉が棒切れを振り回すのを眺めるのは苦痛であった。

 

 夜はギルド内の酒場で酒盛りをするらしい。私も誘われたが騒がしいのは御免である。早々に宿に帰った。

 

 その夜、奴が訪ねてきた。

 夜這いではない。取材のために呼び出したのだ。

 

 日のあるうちは行動観察を行い、夜が更けてからは冒険譚を聞く算段であった。

 

 むしろこの冒険譚が本命と言っても過言ではない。

 空想ではない、生の冒険を訊けるのである。

 昼とは裏腹に、私の胸は昂っていた。

 

 だが、その期待は裏切られた。

 口を開けばゴブリンだのオーガだの、つまらないちんけな小物ばかりが出てくる。インパクトに欠けていた。

 

 それでいて語りもつまらないから救いようもない。

 手に汗握る戦いも、緊張感のある情景も、何一つ浮かんでこない。

 私の心は完全に萎えた。

 

 一所懸命に語る奴を遮って、私は最後に仲間のことを訊いて終わりにしようと考えた。

 

 暑苦しく返事をする男を無視して紅一点である女のことを訊く。

 すると、一瞬だけ反応が鈍くなった。

 

 何かがある。私は確信した。

 

 その後は怒涛の詰問である。

 奴は必死に誤魔化そうとするも、それを逃がす私ではない。しまいには依頼料の上乗せまでして、奴はとうとう口を割った。

 

 なんと、この男は女のことを好いているらしい。

 

 私は上がる口角を咄嗟に隠した。

 人の恋模様とはなんと愉快なのか。訊いているだけで悦が溢れてくる。

 

 大の男が乙女のように恥じらいながらもじもじしているさまがさらに私の笑いを誘う。気色が悪いからすぐに止めさせた。

 

 聞くに、こいつと女は幼馴染であるようだ。

 

 曰く、ずっと昔に結婚の約束をしたが、向こうはそれを忘れているだろう、と。

 

 それに、最近はもう一人の男と仲良くしているし、今更昔の約束を持ち出して鬱陶しがられても嫌だ、とも。

 

 私はおかしくて今度こそ噴き出してしまった。

 

 恋というものはここまで人を変貌させるものなのか。

 昼間はあれだけ勇ましい冒険者ズラをしていた野郎が、今では縮こまって恥じらう乙女のようだ。見る影もない。

 

 冒険者の実態調査というより、これでは恋する益荒男(おとめ)の恋愛相談であった。

 だが、つまらない冒険譚を聞くよりこちらのほうが何倍も面白かった。

 

 別れ際、助言を求められたので適当にアドバイスをしておいた。

 

 別にこの男の恋路がどうなろうが私の知ったことではなかった。

 むしろフラれた方が見ていて面白い。仲間であるもう一人の男に取られでもしたらなおさらである。

 

 その場合、こいつは表面上はなんでもなかったふりをしていつものようにガハハと笑い飛ばすが、ふとした瞬間にイチャつく彼らを見て瞳の奥に暗い感情を浮かべるのであろう。そしてその夜、ベッドの中で涙を流すのだ。己の醜さ、不甲斐なさ、そして情けなさを。

 

 情景が浮かぶようである。

 萎えていた私の気持ちは瞬く間に活力を取り戻した。

 

 願わくば、貴様が手酷くフラれんことを。

 

 そうして、私は信じてもいない神に祈って調査一日目を終えた。

 

 調査二日目である。

 今日はもう一人の男に密着する予定である。

 

 こいつは赤髪筋肉とは対照的に静かな奴であった。

 青髪でクールぶっている鼻持ちならない野郎である。キザったらしい雰囲気で、私はこいつが嫌いであった。

 

 こいつもこいつで特筆すべき活動はなかったが、しいて言うならば昼過ぎに街の外に出て一度だけ魔物と戦闘していたことだろうか。

 

 だが、それだって冒険と呼べるほどのことではない。

 外壁近くに迷い込んできた雑魚を始末した程度である。その後は装備の点検を済ませて飽きもせず棒振り三昧という有様。

 冒険者というのは随分と夢がないのだと痛感させられた二日間であった。

 

 日が落ちた。取材の時間である。

 私はこの時を待ちわびていた。

 

 昨晩、私は思いついたのだ。赤髪がフラれることを信じてもいない神に祈るくらいなら、己の手で実現させようと。

 

 すなわち、己の巧みな話術でもってして、それとなく青髪と女を恋仲にして赤髪を失恋させる算段を立てていたのだ。

 特に理由はない。なぜならその方が面白そうだからだ。

 

 手垢にまみれた冒険譚などに興味はない。

 私は冒険者稼業に関する取材という建前をすっ飛ばして、早速女のことを訊いてみた。

 

 結果、青髪も女のことを好いているということが分かった。

 

 私、莞爾《かんじ》である。

 

 その後、私は青髪が語る女の魅力をニコニコしながら真摯に聞き流し、時に適当なアドバイスをしながら、いかにして女へアプローチをするか思案するのだった。

 

 朝が来た。最終日である。 

 

 私の目覚めは最高であった。

 仲睦まじく歩く青髪と女の背を見ながら悲嘆に暮れる赤髪の夢を見たのだ。

 

 予知夢であろう。

 嗚咽交じりのやかましい慟哭と、か弱く伸ばされた腕が私の悦を誘った。

 

 今日は素晴らしい一日になる。そんな予感で胸が満たされた。

 

 本日の密着相手は大本命である女だ。

 白い髪をしていていつもニコニコと微笑んでいる。

 教会に所属している僧侶であるらしい。二言目には神の愛を説くこの女が私は嫌いであった。

 

 この女のどこがいいのか甚だ疑問である。

 見てくれは悪くないが、こういう女は内心がおぞましいのが世の常である。

 

 私を見る目もどこか含みを持っていて警戒心が先立つ。本来であれば近づこうとすら考えない相手である。

 

 だが、今回ばかりは目を瞑ろう。

 私は目的遂行のために人好きのしそうな笑みを取り繕った。女の警戒を解いて計画遂行を容易にするためである。

 

 無論、取材のことを忘れた訳ではない。

 私の心は常に物語とともにある。だが、思えば最近は根を詰めすぎていたような気もする。ここらで休養を挟んでも良い頃合いであるだろう。

 

 今の私は心の栄養補給を求めている状態なのだ。腹が減っては筆を執れぬと昔から言う。

 すなわち、私の心が悦を求めるのは必然であり必要な事であるのだ。

 

 願わくば、無味乾燥な冒険者の実態などではなく、ドロドロとした最高の人間ドラマを見せていただきたい。

 

 さて、女の一日である。

 女は僧侶であるから前衛である赤青の男どもほどの身体修練は必須ではないようだ。

 午前中に訓練場で走り込みを行った後、私たちは孤児院に向かった。

 

 なお、走り込みには私も参加した。

 私はあらゆる才能に秀でた傑物であるので修練など必要がないが、これも女と交流を深めるためである。

 

 生まれてこの方ついぞ友と呼べる人間は出来なかったが、それでもコミュニケーションの何たるかくらいは心得ている。

 

 女というものは共感を求める生き物だ。

 だが、ただ闇雲に是と告げるだけならばサルでもできる。

 私が目指すのは、この女にとっての良き理解者という立場である。

 

 無論、たった一日という短い期間では到底不可能であるので、そう予感させるだけでよい。少しのきっかけさえあればこちらのものである。

 

 赤髪曰く、この女も青髪に対して憎からず思っている節があるらしい。

 

 であれば、夜の取材の時間までにある程度の関係を構築して、それとなく色恋の話を振れば何らかの反応は見られるであろう。

 そこから先は私の腕の見せ所である。我が話術が火を噴くであろう。

 

 私は完璧な計画に内心ほくそ笑む。

 女は愚かしいほどに爛漫な笑みを浮かべていた。

 

 さて、孤児院である。

 今の所、関係構築は上々である。

 さも気を許したかのように振舞って、女と見せかけの和気藹藹を作り出す。

 

 内心は反吐が出る思いだが、なんとか口がへの字に歪まないように耐えている私は褒められるべきであろう。

 

 孤児院に着くと女は子どもたちの群れに囲まれていた。どうやら慕われているようである。

 

 曰く、依頼がないときは孤児院で奉仕活動をしているらしい。

 

 僧侶の鑑である。唾でも吐いてやろうか。無償の施しなど私は願い下げである。

 私はこれから先の人生において有償無償に関わらず働く気はなかった。

 

 孤児院中を駆け回りながらあくせく働く女を眺めて、私は独り言ちた。ご苦労な事である。

 

 だが、今日ばかりは四の五の言っていられない。

 来るべき悦のためならば無償奉仕などお茶の子さいさいである。

 

 手伝いを申し出た私に、女は感激したような笑みを浮かべた。単純な女である。

 

 私は子どもの世話を任せられた。

 子どもは嫌いである。

 騒がしくて、阿呆たればかりで、鬱陶しいことこの上ない。少しは大人しくできないものか。

 

 まとわりついてくるガキんちょどもを蹴散らしてやりたかったが、ここで不和を起こすわけにはいかない。

 私は笑顔の仮面が剝がれないように必死に耐えていた。

 

 何度か女に助けを求めた。

 しかし、奴は微笑んで部屋の奥へ消えていった。クソである。

 

 時間は瞬く間に過ぎて夕方となった。

 私はようやく解放された。

 疲労困憊の極みであった。人生最初で最後の労働である宿勤務ですらここまで疲れなかったというのに。

 

 子どもという生き物はパワフル極まりない。そして愚かであるがゆえに、際限がない。私は無邪気というものの恐ろしさを味わったのだ。

 

 そして気が付いた。孤児院を来訪して以降、女とあまり交流が出来ていない。今の関係値が不明なのだ。

 それもこれも私の手を煩わせたあのガキんちょどものせいである。

 

 その後、私は夕餉の誘いを断って、さっさと宿で休むことにした。

 本来であれば作戦実行前に交流を深める最後のチャンスなのだが、どうにも孤児院で子どもたちと食卓を共にするらしい。

 

 騒然とした食卓が目に浮かぶ。考えるだけで疲れが増すようであった。笑みを維持する自信がなかった私は、戦略的撤退を実行したわけである。

 

 あくまで本命は夜間の取材である。これまでの交流は布石に過ぎないのだ。こういう画策は下準備こそが肝要であるが、そもそも土壇場に行きつかないようでは話にならない。

 

 やれることはやった。あとは己の腕次第である。

 暗雲立ちこめる幸先ではあるが、今は英気を養うほかない。

 

 宿のベッドで横になる。

 疲れがドッと押し寄せてきた。

 

 ――ふと、目が覚めた。

 ここ最近で見慣れた天井が視界に入る。思考に耽っている間に寝入っていたようだ。不覚である。

 

 私はベッドから体を起こした。ギシリとベッドが軋む。

 そろそろ女が来る頃合いであろうか。今のうちに今宵の作戦を改めて練っておかねばなるまい。

 

 そんなことを考えていると、不意に、気配を感じた。

 私以外の息遣いである。

 

 私は咄嗟に横を見た。

 そこには、安らかな顔で寝入る白髪の女がいた。

 

 私は素っ頓狂な声を上げてベッドから飛び起きた。その衝撃で女も起きた。

 

 女は寝ぼけた声でおはようなどとのたまう。その様子に、私の怒りは沸点を振り切った。

 

 まさかこの私が夜這いを仕掛けられるなど思わなんだ。同性であるという油断が招いた結果か。

 

 私は、らしくない常識などという凡夫の言葉を使って女を責め立てた。

 女はそれでもすっとぼけている。とんでもない淫乱であった。

 

 しかし、と。

 私は我に返った。

 

 これは好都合である。

 人には他者に踏み入られたくない線引きというものがある。

 

 この女は私が定めるそれを易々と侵犯したのだが、裏を返せばこいつはそれを為そうと思えるほど私に気を許したとも考えられる。

 

 知らぬ間に同衾《どうきん》を許したのは業腹ではあるが、すべては悦のためである。

 私はあふれ出す怒りを無理矢理呑み下し、なんとか留飲を下げた。

 

 そうして、取材という名の三角関係誘導作戦は始まった。

 

 だが、容易に思われたこの作戦はすぐさま暗礁に乗り上げることとなった。

 

 この女、私に一切の話をさせる気がない。

 

 私からの取材という名目にも関わらず、この女は私の質問にまともに答える気がないのだ。

 その癖、なぜか私のことを根掘り葉掘り聞こうとする。そんな攻防が一時間ほど続いた。もはや奇怪極まる有様である。

 

 私はほとほと呆れ果てていた。

 この女がこんなにも厄介だとは思わなんだ。対話が成立しない人種とはこういうやつのことを言うのであろう。

 

 こいつを好いているあの野郎どもは節穴である。そんな考えも湧いてきた。昼の疲れも相まって、私の戦意は消失していた。

 

 あれこれ考えていた自分が馬鹿らしくなる。口ぶりからもかなり気を許しているのがわかる故、恐らく色恋の話も問題なくできるだろう。

 だが、奴の風車のように回る口は私の向かい風を物ともしない。

 

 あれこれ考えていた己が馬鹿らしくなって、私は女の言葉を無視してベッドで横になった。

 

 すると、女は大きく欠伸をして、私の横に寝転がった。添い寝である。

 

 私のベッドなのだが。

 そんな文句を遮って、女が奇妙なことを言いだした。

 

 曰く、寝物語を聞かせてほしい、と。

 

 どうやら私が寝ている間に机の上に広げていた原稿を読んだらしい。

 物語は私の聖域である。それを侵犯する者を私は許さない。怒りがぶり返しかけるが、そこで私は妙案を思いついた。

 

 寝物語に乗じてこいつに己の浅ましさを伝えてやろう、と。

 

 寝物語など初めてではあるが、読み聞かせなら経験はある。

 前回は大失敗に終わったものの、失敗は糧となって己の身に沁みついている。同じ轍を二度踏む私ではない。

 

 寝物語など考えたこともないが、要はこの女の反面教師になるよう仕向ければいいわけである。

 

 この女の悪行はこの一日で身に染みているため、構成やストーリー展開なども即興で作り上げる。もちろん、物語自体の面白さも肝要である。

 

 だが、逡巡する私に、女は家族愛を題材にしろと注文を付けてきた。

 

 とんだ我儘女である。もはや言葉もない。

 だが、いいだろう。私はその注文を終生の作家である私への挑戦状と受け取った。

 

 気に食わぬ奴を己の物語で捩じ伏せる。なんとも私らしいではないか。必ずやこの女を我が物語の錆にしてくれる。

 

 そんな心意気をひた隠しにして、私は了承するとベッドに腰かけた。女はわくわくとした面持ちでこちらを見据える。

 

 そうして、私は語り始めた。

 

 前回の反省を活かす。

 感情的になりすぎないように、あくまで寝物語であるとの意識を保つ。語り掛けるように、諭すように物語を展開していく。

 

 私が語るのは寝物語であると同時に、幼子を諭すような、ありていに言えば幼稚なものだった。

 

 幼子への物語を馬鹿にする意図はない。愚かしく浅ましい子どもに理解を促す物語は、ともすればそこらの物語よりも作成は困難極まるだろう。

 

 だが、それを成人を迎えた女に語ることで意味が生まれる。口調も思わず眉を顰めるような舐めた口調である。少しでも大人のプライドがあるのならば馬鹿にされていると不快になるであろう。無論、馬鹿にしているのだが。

 

 女が寝付くなら寝物語としてそれはそれでよし。苦い顔をするようだったら意趣返しとしてそれもそれでよし。隙のない二段構えである。

 

 即興で物語を紡いでいく。滞りなく舌は廻る。思考をフル回転させて、しかし表情に焦燥は一切出さない。これはこれで楽しいものであった。

 

 そうしてしばらく語って。

 

 おしまい、と。

 私は寝物語を結んだ。

 

 短い物語である。今回は即興かつ含意を持たせるためかなりの難事であったが、疲れていたにしてはなかなかの手応えであった。

 

 今回は語りも絶好調であったはず。きっと、女は心地よさそうに寝ているか、ひどく微妙そうな顔をしているに違いない。

 

 語る時は思考を紡ぐのに必死で女を見る余裕などなかったのだ。

 私は隠し切れぬ悦を湛えて、ゆっくりと女の方に振り返った。

 

 果たして、そこには恋する乙女のように頬を上気させた女がいた。

 

 くねくねと身を捩らせ、何か胸の奥から迸らんとするエネルギーを抑えるように、胸元に手を当てている。

 

 私はこの表情を見たことがあった。

 つい先日のことである。紛れもなく、ここ数日で野郎どもが浮かべていたものと同じである。仕草もまるきり一緒ときた。

 

 ここまで近似していれば類推はたやすい。

 すなわち、この女は恋をしているのだ。

 

 物語を紡ぐものとして、私は他者の機微に敏い。

 そんな私から言わせてみれば、自ずと答えは導き出された。

 

 すなわち、誰に。

 その視線が向かう先にいる者である。

 

 つまるところ、私である。

 

 なんで?

 

 ――お慕いしておりますわーッ、と。

 

 何やら理解したくない戯言をほざきながら、女は私に襲い掛かってきた。

 

 私はひどく情けない声で叫びながら女を突き飛ばして、颯爽と荷物をひっつかむと部屋を飛び出した。もはや手慣れた疾風迅雷である。

 

 引き留める桃色の叫び声を背に、私は夜の街を駆け抜けた。

 

 思考を埋め尽くすのは大量の疑問符である。

 もしや、私の寝物語は他者を魅了するサキュバスが如き力でも有しているのか。

 

 思い出すのは生涯でただの一度も感じたことのなかった貞操の危機。

 それをまさか女相手に感じることになろうとは。

 

 冷たい風を頬で感じながら、私は答えの出ない自問自答を繰り返して、三度目の夜行逃避を敢行するのであった。

 

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