Pokémon Serreal   作:桃野

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12.火の用心-⑥

 目の前に、バス停がある。霞んだ文字で『柿坂中学校前』と書いてあって、とにかく古い。中学校前、と言っても実際には学校前の道路は狭すぎてバスが通れないので、校門から一分ほど歩いた国道沿いに設置されている。

 ポケモンがこの世に現れる前。柿坂中学校が柿坂小学校と統合される前に作られたバス停は、雨風に晒されて塗装は剥がれ、錆が浮いてもまだその機能を保ったままこうして立っている。

 このバス停を見かけるたびに、これは本当に使われているのかなんて思っていた。でもわからないもので、今日こうしてバスを使う機会が訪れた。それも、4人連れ立って。

 

「何分後?」

「10分後」

 

 背後に立つ航大が、時間を訊いてくる。今が丁度16時過ぎ。時刻表によれば、16時10分発で夕日地区行きのバスがある。水研に行くのならこれでいい筈だ。

 

「まさか、せんせーが来ないとはね」

 

 近くのベンチに座る夏美が愚痴った。

 隣に座る九重は何を思っているのか、沈黙を貫いている。

 今日の朝。俺が藤次にもう一度水研に行きたいと申し出た。藤次はそれを予想していたのかはわからないけど、すんなりとその希望は通った。6時間目が終わった後、水研に入館申請をしてもらったから、希望者は行ってこいと。

 行くと言ったのは、俺以外だと航大、九重、夏海の三人。栄吉は店の手伝いで欠席、陽子は「行かない」とだけ言っていた。

 それで四人。藤次は引率しないとのことで、こうしてバスで水研まで行くこととなった。

 夏海は水研という知らない場所に藤次が付いてこないことに不満があるようだけど、俺は昨日藤次が御殿場まで行っていて、多分あんまり寝ていないことを知っているので特に不満はない。

 

「悟。何か知ってる?」

「え。……知らないけど、色々忙しいんじゃね」

「うーん。まあ、昨日色々あったからなあ、しょうがないか」

 

 夏海に訊かれて答える。ほぼ間違いなく、さっさと家に帰って寝たいだけだと思うけど、一から説明するのも面倒だ。夏美は勝手に納得してくれたし、実際昨日の出来事のせいなのは間違いじゃない。

 ただ、質問はそれ一つで終わらなかった。今度は夏美ではなく、九重が言う。

 

「鍋田君」

「……なに」

「どうして、もう一度水研に行こうと思ったんですか」

 

 昨日あんな騒ぎがあって、朝来てみたら急に俺が水研に行きたいと言い出した。本来、そんな予定はなかった。九重から何かあったのか、何か気づいたことでもあるのかと勘繰られるのは予想できた。

 少し考えてから、九重の顔を見ないようにして答える。

 

「なんとなく、想像していることがあるから、それを確かめに行こうと思って」

「それは何を」

「……それは明日にとっておきたいから」

 

 そう言うと、九重から特に追及はなかった。ディベートに関わることだから『保護派』の九重と夏海には知られたくない。概ね本音だったけれど、それだけが理由でもない。本当は話を聞きたい人がいて、それを知られたくないからでもある。

 

「皆。来たよ」

 

 航大が全員に呼び掛ける。

 言葉通り、道の向こうからからオレンジ色のバスがやってくるのが見えた。大きな車体がバス停の前でぴたりと停止し、扉が開く。一番近くの航大が最初に乗車し、それに続いて乗車し整理券を取る。その次に夏美、最後の九重が乗車した。九重だけは定期をICカードに翳しているのを見て、そういえばバス通学してるんだったなと思いだす。

 車内に乗客は俺たち以外いない。航大が車体左側、前の方にある二人掛けに座ったので、その隣に座る。女子二人は一番後ろの長椅子に陣取る。運転者が俺たちの着席をミラーで確認し、直ぐにバスは動き出した。

 

『次は海浜公園前に泊まります』

 

 発射して間もなく、車内アナウンスが流れる。緩やかにカーブしながら、バスは坂を下っていく。山道を抜けると、左手に太平洋が現れる。西日が水面に反射して眩しい。次の交差点を直進すれば、3日前に藤次の車で水研に向かった道と合流する。海浜公園、かつての道の駅、右側には放っておかれた廃ホテル。ずっと変わらない見慣れた風景。

 無人の海浜公園前バス停をスルーしたところで、航大が小さな声で話しかけてきた。 

 

「さっきの話なんだけど。悟、なんか気づいたろ」

「……後じゃダメか?」

 

 さっきの話、水研で俺が何を確かめようとしているのか。航大は同じ野生派なので隠しておく理由もないし、むしろ意見は共通しておくべきなのは間違いないけど、後ろの女子に聞かれると不都合がある。

 

「大丈夫だって。向こうの話が聞こえないんだから、こっちの話だって聞こえないよ。それに、水研についてからじゃ多分まとまって行動させられるぞ」

 

 ちらりと後ろを向いて、夏海と九重の様子を窺う。何か小さく話し合っているようだけど、バスの駆動音が大きくて内容までは聞き取れない。確かに、秘密話をするならこのタイミングしかなさそうではある。

 できる限り声のボリュームを抑えて、口を開く。

 

「……まず、エイリとリザードンが本当に親かどうかを確かめようと思ってる」

「うん、そうだな。それは俺も思ってた」

 

 航大と栄吉との3人で話した、昨日のリザードンと『エイリ』の間に血縁があるのでは、という仮説。これに関しては今日の休み時間に藤次に確認してみたけど、結果はまだ出ていない、今日の昼頃には、とのことだった。明日藤次にまた訊いてもいいけど、エイリの身柄を預かっている水研の人に訊くのが一番手っ取り早い。

 

「それと、あと二つ。まずは……」

 

 訊いておきたいことと、見ておきたいもの。合わせて二つ。何度か後ろを振り返って、二人に聞かれていないか気を付けつつ航大に話していく。

 数分後。話をすべて聞き終えた航大は複雑そうな声で「成程な」と言って、後は水研に着くまで何も喋らなかった。

 

***

 

「九重さん、あれかな?」

「そうですね」

 

 夏海が、流線型のフォルムをした建物を指差しながら言った。

 まさしく、三日前に訪れた水環境研究センターで間違いない。

 運賃(藤次に借りた)を払ってバスを降りた後、国道沿いを外れた狭い道を少し歩く必要があった。

 一昨日月曜日に来た時とはルートが違う。前回は柿坂駅を過ぎたあたりで左折し、月日地区の狭いを路地を抜けて海外線を通るルートだった。

 藤次が持っている自家用車なら狭い道でも進めるけど、バスはそうもいかない。今日は左折するところを直進し、国道沿いのバス停で降りて、底から山間を抜けるようなルートとなる。幸い一本道なので、迷うことはなかった。

 

「あの海岸がエイリが流れ着いたっていう海岸かな」

 

 正門の前で立ち止まった航大が、左手に視線を向けながら言った。その方向には入り江にできた、さほど大きくない砂浜がある。

 前回来たときは雨だった上に藤次の車で来ていたから詳しく見ていなかったけど、要項に載っていた海岸とはあれのことだろう。

 その場全員の注目が海岸に集まり、数秒観察してから夏海が口を開く。

 

「あそこにヒトカゲが倒れてたら……目立つね」

「あんな開けた場所だしね」

 

 航大は同意し、スマホで写真を撮る。それから用は済んだとばかりに海岸の方から視線を外し、正門に隣接する守衛室の窓を叩いた。

 前回と同じように入館の手続きを一人ずつ行う。守衛さんは俺と九重の顔を覚えていたようで、手続き自体はスムーズに終わった。

 ゲスト用のカードキーを端末に当てて館内に入ると、直ぐにあかりさんが俺達を出迎えてくれた。

 

「みんなようこそ。昨日ぶりだね」

 

 手を上げて、挨拶をするあかりさん。それに応じるように、航大が前に出る。

 

「悟たちはともかく、自分は自己紹介まだでしたね。白浜航大です」

「あ、外浦夏美です! よろしくおねがいします!」

「シラハマ……うん、航大君と夏海ちゃんね。こちらこそよろしく」

 

 そういえば、俺と九重以外の4人とあかりさんは昨日直接会話する機会がなかった。体育館に避難した後、吉佐美所長を含めた二人は特に迎えを必要としなかったので、藤次がリザードンを捕獲したという知らせがあった時点で帰宅するように指示が自治体から出ていたらしい。なので、気づいたらいなかった。

 一日越しの自己紹介を終えたあかりさんは、周囲を見渡しながら言う。

 

「早速エイリの所に案内してもいいんだけど……せっかくだからこの辺り見学していく?」

 

 水研、水環境研究センターのロビーには前訪れた時と変わらず、ちょっとした水族館位の水槽が置かれている。様々な海のポケモンや海の生物が入り混じるこの光景は、水研がそもそも滅多に入れない場所であることも相まって、なかなか見られるものじゃない。

 それを踏まえたあかりさんの好意だったけど、九重が俺たちの先頭に歩み出て首を横に振る。

 

「いえ、大丈夫です。業務中に時間を割いていただいてるわけなので」

「……了解!」

 

 あかりさんは遠慮しなくていいのになあ、と呟いて少し残念そうに歩き始める。横を見れば夏海もちょっと残念そうな顔をしていた。ドンマイ。

 あかりさんの後ろについてロビーを出て、廊下を歩く。

 程なく目的の場所、『個別処置室』にたどり着いた。夏海が扉に書いてる文字を見て、声を漏らす。

 

「……処置室」

「そう。二人とも、昨日のディベートでも話があったと思うけど、エイリは怪我をしてる。……そういうの苦手だったりする? そうであれば無理する必要はないよ」

 

 反応して、あかりさんが告げる。そういえば、前回も「心の準備をしてほしい」とかそういうことを言っていた気がする。

 

「俺は大丈夫です」

 

 航大がきっぱりって、夏海もこくりと頷く。

 

「わかった。じゃあ、開けるね」

 

 あかりさんが扉を開けて、順に部屋に入っていく。そこにいたのは、見覚えのあるガラスに仕切られた部屋の中で、横たわる一匹のポケモン。3日ぶりに見るヒトカゲ、エイリ。ガラスの向こう側にいるエイリは良くも悪くも記憶の中そのままの姿で、相変わらず怪我の具合は悪そうに見えた。

 九重がじっと見つめるようにガラスに顔を近づける。

 

「……やっぱり、まだ体調は良くないんでしょうか」

「うん。でも起きている時間は増えているし、ご飯も昨日ぐらいから固形物が食べられるようにはなったかな。ちょっとずつ良くなってると思う」

 

 ほっとしたように息をつく九重。その横に夏美がついて、同じようにガラス越しにエイリを心配そうに見つめる。

 その視線に気が付いたのか、エイリが瞼をゆっくりと開けた。

 

「グゥ……」

 

 苦しそうな声を上げて、身をよじらせるエイリ。しかし、火が燃え移らないようにしっぽが固定されているせいで立ち上がることができない。

 じれったそうにベッドのシーツを噛み、悶えるように体を震わせるその姿を見て、思い出すことがあった。古い記憶、今はもう昔の話。

 それを踏まえて。もし、俺の想像が正しいとするならば。

 

「あかりさん。質問があります」

「うん? どうしたの、悟君」

「エイリと、昨日のリザードンは親子だったりします?」

 

 俺の質問にあかりさんはすぐには答えず、目をつぶって考える素振りを見せた。それから、

 

「……うん。察しの通り、エイリと昨日のリザードンは親子だよ」

 

 ゆっくりと、そう告げた。

 驚きはなく、ただ「やっぱりな」と思った。それは九重や夏海も予想していたようで、複雑そうな表情を浮かべながらエイリを見つめる。

 

「じゃあ、やっぱり……」

「悟君、どうかした?」

「……なんでもないです」

 

 自分の口から小さな声が漏れて、あかりさんに聞かれてしまった。

 それは失態だけど、成果はあった。想像は、確信に変わる。

 これで個人的な二つ、用事は済んだ。後一つ。これ以外は、質問してみないことにはどうしようもない。とはいっても、それはあかりさんに訊くべき内容ではないから、ここではできない。

 どう切り出すべきかを考えていると、航大が小さく手を上げた。

 

「相生さん。自分からも一ついいでしょうか」

「勿論」

「ありがとうございます。……それじゃあ、昨日のリザードンがどこから来たのか。それについて、何かわかってることはありませんか?」

 

 確かに、それも気になる話だった。それが分かれば、明日のディベートにおいては重要な武器になる。

 

「ああ、それね。ちょっと待ってて」

 

 あかりさんはタブレットを棚から取り出し、画面を操作してから航大に差し出す。

 隣から画面をのぞき込むと、そこには報告書のようなファイルが表示されていた。そこに一枚の画像張られていて、航大がそれをタッチして拡大すると、どうやら地図のようだった。画像の大半を占める青は海で、いくつか点在する緑は島なんだろうと推測できる。

 それを見て、航大が言う。

 

「……神津島ですか」

「うん。そこにある調査拠点の定点カメラに飛び立つリザードンが映ってた。細かい話になるけど、翼の形とか頭頂部の角の形とかそういう外見上の特徴も似通ってるから、ほぼ昨日の個体で確定だとは思う」

「成程、ありがとうございます」

 

 伊豆諸島のどれかではあるんだろうけども、神津島と言われてもピンとはこない。でも、航大は納得したようだった。訊けば教えてくれるだろうけど、この辺りは任せようと思う。

 

「で、これも教えとかなきゃいけないと思うから、伝えておくね。エイリのあのお腹の傷。多分、あのリザードンにつけられたモノだと思うよ」

「え」

「ほ、本当ですか」

 

 あかりさんの突然の報告に、航大と夏海が思わずといった声を上げる。

 タブレットを操作しながら、あかりさんは続けて言う。

 

「もしかしてって思って、先んじて写真と身体測定のデータだけ送ってもらったんだよね。流石にリザードンの爪に血痕が残ってたとかじゃないんだけど、エイリにつけられた傷と傷の間隔とか、太さとかね。それが大体一致してる」

「別の個体のリザードンとかの可能性はないですか」

 

 航大が訊くと、あかりさんは頷く。

 

「それはある。だから多分ではあるんだけど……あのリザードン、相当サイズ大きいんだよね。200センチ弱はある。群れのボスなんじゃないかと思うんだよなあ」

「成程。ただでさえ生息数の少ないリザードンに、そんなボス級の個体が複数いるとは考えづらいってことですね」

「そういうこと」

 

 昨日軽く調べたけれど、普通のリザードンは170センチぐらいの大きさらしい。リザードンを生で見たことはないけど、2メートル弱の個体なんて早々いるもんじゃないのはわかった。

 なら、本当にあの傷はリザードンにつけられたと考えて良さそうだ。

 ……さっきまで、リザードンの存在はディベート的にいえば『野生派』の有利になると思っていたけれど。そういうことならちょっと、面倒になってきたかもしれない。

 

「雫ちゃんと夏海ちゃんはどう? 何か聞きたいこととかある?」

「聞きたいことというより、お願いがあります」

 

 タブレットを再び棚に戻しつつ、女子二人にあかりさんが呼びかけると、九重が待ってましたとばかりに歩み出てくる。その手にはいつの間にか、モンスターボールが握られていた。

 

「私のポケモンと、エイリを会わせてみたいです」

「え。大丈夫なのかそれ」

 

 九重の発言に耳を疑い、つい口を挟むと、視線がこちらに向いた。その目は何を言ってるんだとでも言いたげだった。

 

「最初からそう言う話でしたよ。爪木先生が仰ってました。一昨日は明らかに無理そうだったので言いませんでしたが」

「……あー」

 

 そういえば、『ちょっと遊んだり触れ合ったりして~』みたいなことを言ってた気がする。忘れてた。忘れてはいたんだけれども。

 

「エイリは人間を怖がっているとは伺っていますが、ポケモン同士であれば大丈夫かもしれない、そう思ったんですが……どうでしょうか」

 

 改めてエイリを見る。相も変わらず元気がないというか、そもそも体調が悪そうにしか見えない。九重の提案通りポケモンをエイリに近づけてもいいのだろうか。

 その疑念はあかりさんも同じだったようで、悩まし気に九重が持つモンスターボールを見た。

 

「実のところ、ポケモンと触れ合わせてみようとかは考えてはいた。でも、躊躇してたんだよね」

「…………」

 

 九重の提案にはリスクがある。例えば、エイリをより怖がらせてしまったら、野生に返すにも保護をするにも悪影響があるかもしれない。他にも、九重のポケモンがエイリに襲い掛かって怪我でもさせたら。逆に、エイリが九重のポケモンに攻撃を仕掛けてしまうなんてことも考えられる。

 そんなことは、俺でもある程度は思いつく。ポケモンの研究者で、エイリを近くで見てきたあかりさんなら、もっと多くの可能性に思い当たっていることだと思う。

 少しの間、あかりさんは口に手を当てて考え込んだ。

 

「ただ、確かにいい機会かもしれない」

「じゃあ」

「でも、その前に雫ちゃんのポケモンを見せてもらってもいい?」

 

 九重が頷いて宙にボールを向けた。それから、中央のボタンを押す。

 

 「出てきて、アリア」

 

 九重の言葉を合図とするようにボールが開き、赤い光が発射されて、その光が形を成していく。

 そして、一匹のポケモンが現れた。体長は1メートル弱の、水色の体。頭に大きなひれと尾びれが二つ。

 ぬまうおポケモン、ヌマクロー。名前は『アリア』。……いや、アリアって顔じゃないだろ。

 

「おお、これが噂の。ちょっとごめんね」

 

 あかりさんはアリアに近づき、屈んで目を合わせた。じっと見つめあうこと数秒。アリアがニコっと笑い、その場でぴょんと跳ねた。……睨めっこ?

 釣られてあかりさんも笑って、アリアの頭を撫でる。

 

「賢そうだし人懐っこい。これなら大丈夫そうかな。……とはいっても、私だけの判断じゃどうにもできないからちょっと上に許可取ってくるね」

「はい、ありがとうございます」

 

 とりあえず、危険性はなさそうだと判断したらしい。そして、実際にエイリとアリアを対面させる許可を上司に取りに行くと。

 ……今だ。そう思ってあかりさんに声をかける。

 

「あかりさん、ありがとうございました。俺はこの辺で失礼します」

「え、もういいの?」

「見たいものは見れました。だから大丈夫です。ただ、その代わり俺も一緒に連れて行ってほしいです」

「えっと、どういう……」

 

 首を捻るあかりさん。俺の言葉が足りないのか、上手く意味が伝わっていない。

 『訊きたいことがあるが、それはあかりさんにはわからないことなのでその上司の元に連れて行ってほしい』。率直に言えばそういうことなんだけど、そう伝えるのは何となく失礼な気がする。もっといえば、何を訊きたいのかを問われても困るから、どうしても遠回しな言い方になる。

 答えに窮していると、それを察したみたいに丁度良く、キィとドアが開く音がした。

 

「僕に訊きたいことがある。そう言いたいんじゃないかな、相生君。……いや、すまない。ドアが半開きになっていて、盗み聞きしてしまった」

 

 そう言いながら入って来たのは年齢で言えば40代後半ぐらいの中年男性。水研のトップ、センター長の吉佐美光太。俺が合いたかった人物がそこにいた。

 

「あ、おじさん。こんにちは!」

「ご無沙汰してます」

「こんにちは、夏海ちゃん、航大君。昨日は挨拶しそびれたね」

 

 穏やかに夏海と航大に手を振る吉佐美さん。どうやら面識があるらしい。夏美と、この人の娘である陽子はかなり仲がいいから家族ぐるみで付き合いがあるのかもしれない。航大は……まあ、こいつは色々あるだろう。

 突然の上司の来訪に目を丸くしたあかりさんが、戸惑いを隠さず訊ねる。

 

「所長、お疲れ様です。……えっと、何故ここに?」

「お疲れ。いやね、相生さんに色々任せすぎてるし、少しぐらい力になりたいなと思って。それで降りて来たんだ。それで、鍋田悟君。僕に話があるんだろ?」

「はい。お願いしてもいいですか。それと、航大も一緒に」

「うん、そのつもりだったからね。航大君も問題ないよ。……場所は?」

「変えたいです」

 

 夏海と九重に視線を送りつつ答えると、吉佐美さんは軽く頷いた。

 

「相生さん。話は聞いたから、そのヌマクロー……アリア君だっけ。その子とエイリを対面させるのは問題ないよ。何かあった時のフォローだけ宜しくね。僕は二人と研究室で話をしてくるから」

「わかりました。そちらはお願いします」

「ありがとう。じゃ、行こうか二人とも」

 

 そう言って、部屋を出ていく吉佐美さん。航大と顔を見合わせてから、とりあえずついていく。話が早いのは有難いけど、早すぎる気もする。

 廊下に出て、近くのエレベーターで4階まで上がる。そこから左に向かって突き当り。一つの部屋の前で吉佐美さんは立ち止まった。扉には、『吉佐美光太』という名札プレートが貼られている。さっき研究室と言っていたから、個人の研究室のようだ。

 

「センター長室なんて部屋もあるんだけどね。落ち着かないからあんまり使ってないんだ」

 

 そういって、扉を開ける。部屋の中はいくつかの小さな水槽やケージがあるだけで、物が少ない片付いた部屋だった。書籍がいっぱいあるみたいな、俺の勝手な研究室のイメージからはかけ離れている。

 

「意外と綺麗だろう? 電子書籍派なんだ」

「成程」

 

 俺がよほど物珍しそうに部屋を見ていたのか、吉佐美さんはそう教えてくれた。そのまま部屋の奥のデスクに向かい、そこに置かれたモンスターボールを手に取り、一匹のポケモンを外に出す。

 

「おー、初めて見た」 

 

 航大が感心したような声を出す。俺も同感だった。

 全体的にピンク色で、二本の大きな角と手袋みたいな大きい手を持つポケモン。バリアーポケモンのバリヤード。バラエティー番組とかではよく見るけど、生で見るのは初めてだ。

 

「アソシエ。コーヒーを頼むよ」

「ばり!」

 

『アソシエ』と呼ばれたバリヤードは部屋に備え付けられた給湯スペースの前に立つと、その手から紫色の光を出して、それぞれ青とオレンジ色のカップを宙に浮かした。そして、そのまま挽かれた豆とスプーンを引き出しから取り出す。全て、直接手を触れないままに。その様子を見て、多分俺は口が開いていたと思う。

 3分ほど待って、コーヒーが出来上がる。

 吉佐美さんに出された椅子に座った俺達の手に、宙から直接コーヒーが入った青色のカップが手渡される。

 

「あ、ありがとう」

 

 礼を言うと、アソシエは自慢げな顔をふっと浮かべて吉佐美さんが持つボールへと戻っていった。……色々と凄い。

 

「生憎コーヒーしかなくて。砂糖とクリームならいくらでも使っていいからね」

 

 ブラックは本当に飲めないので、ありがたく砂糖とミルクを入れて、甘めのコーヒーを飲む。味の良しあしはあんまりわかないけど、割と好きな味だった。

 そうしてゆっくり一息ついてから、吉佐美さんが姿勢を正して口を開く。

 

「さて、何を訊きたいのか……なんて言うまでもないか。陽子のことかな」

「お見通しですか。やっぱり光太さんに隠し事はできませんね」

「航大君に言われると照れるね。でもまあ、僕に何か訊きたいんだったらそのくらいかなって。エイリのことなら相生さんの方がずっと詳しいわけだから」

 

 言葉通り、俺が訊きたいのは陽子のこと。夏美や九重、あかりさんの前でその話を出さなかったのは、戦略的な意味もあるし、大勢の前で話すには無神経な話だと思ったから。まあ、少人数だから褒められた話ではないとは思うけど。

 ただそれでも、陽子の父親である吉佐美さんが質問されることをわかっているなら、遠慮する必要もない。こういうのは得意じゃないけど、ここまで来たら遠慮なく言ってみるしかない。怒られたら、まあ仕方がない。謝るまでだ。

 

「俺達は……いや、少なくとも俺は陽子がずっと、ポケモンを嫌いなんだと思っていました。あいつは、ずっとポケモンを持っていないから。それで、えっと……」

 

 ポケモンを所持し、育てること。それはポケモンという生き物が社会に結びついている現代においては当たり前のことだ。藤次によれば、国からも推奨されていることらしい。

 俺にだって相棒はいる。航大も、栄吉も、夏海も、当然九重だってそう。

 でも、陽子だけ違う。陽子は、ポケモンを手持ちに加えたことが一度だってない。それは、昔彼女に起きたことを考えれば不自然なことじゃない。だから今まで誰も疑問に思わなかった。

 少し息を吸って、思い切って残りの言葉を声に出す。

 

「でも昨日のディベートで思ったんです。そうじゃないかもしれないって。吉佐美さん。もしかして、陽子は昔、ヒトカゲを飼育していた……違いますか?」

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