4月16日、金曜日。天気は雨。
隔日で雨が降る、そんな不安定な天気がこのところ続いている。
5時間目のチャイムが鳴って、教壇に立つ爪木先生がチョークを置く。
「さて、じゃ改めて。始めようか」
後ろの観戦席から、小さく拍手が起こる。
前回同様、後輩達と、水環境研究センター職員である相生あかりさんとセンター長の吉佐美光太さんが席を固める。私の両隣には、外浦さんと入田君。対面に正面に白浜君がいて、教壇側に鍋田君が、観戦席側に吉佐美さんが座る。
一昨日と変わらない教室の配置。正真正銘、前回の続き。
「まず最初に。一昨日は申し訳なかった。あんな中途半端に終わってしまって」
爪木先生が頭を下げた。先生のせいでは決してないのに、謝る必要はあるんだろうかと思うが。
……多分、そんな単純な話ではないのだろう。
「……本来の予定では立論から最終弁論までの立論から最終弁論までの流れを水曜と金曜それぞれ一回ずつやる予定だったんだよな。途中審査結果も出して。それを踏まえて作戦を練るとか考えていたんだけど」
本来では確かに一つのディベートに4時間も費やすのは正直長いなとは思っていた。ディベートというものはさほど長い時間をかけて行われるものではない。実際、立論は5分程だったし、私が前の学校で経験したときも一回で一時間を超えたことはない。恐らく、議論が煮詰まったら自由討論中にインターバルでも取って作戦会議を行ったり、そういうことも予定していたんじゃないかと思う。仮のテーマではなく、生を扱うディベートだからこそ。
ふぅ、と一息ついてから爪木先生は続ける。
「まあ、過ぎたことは置いといて。今日は前回の続きから始めようと思う。多分時間余るだろうけど、まあいいだろ。前回は自由討論の途中だったな。確か……陽子が発言しようとしたところで終わったんだっけか」
爪木先生が野生派の席に、正確には吉佐美さんに視線を向けた。
言われるまでもなく、と言った顔で吉佐美さんは立ち上がる。
「九重」
「はい」
吉佐美さんはきっぱりと私の名前呼んだ。短く返事をする。
前回の最後は吉佐美さんが私に質問して、答えたところを最後に中断してしまった記憶がある。必然的に、吉佐美さんからディベートは再開されることになる。
「あんたはもしエイリに里親が見つかったとして。エイリにポケモンバトルをさせることは里親次第である。その考えは、今も変わっていない。そういうことでいい?」
言い方が少し意地悪なような気がするが、許容範囲だろう。
「はい」
「エイリの健康状態が改善されるとは限らないけど」
「配慮できるトレーナーが受け入れるべき、とは思っています」
「……ふうん」
つまらなそうに呟いて、ガタリと音を立てながら吉佐美さんは席をついた。
教室内が一層沈黙に包まれ、雨音が空しく響く。
「よし、じゃあ、次は?」
爪木先生の呼びかけに応えたのは白浜君だった。
昨日、水研でのやり取りを見ていれば、まず第一に白浜君が発言することも、その内容もある程度予想できていた。
「まず自分から。……一昨日質問の中にエイリの生息地についての質問がありました。エイリはどこから来たのか、どこに住んでいたのか。それに対して一昨日の時点では特定が難しかったため、わからないと答えました。ですが、状況が変わりました。今ならお答えできます。……神津島です」
神津島。ここ柿坂からおよそ80㎞以上離れた伊豆諸島に属する島。度々噴火が起こる700m級の火山が島の中心に位置し、日本でも数少ない炎タイプのポケモンが生息する場所。
一昨日のリザードンが神津島より飛来したという事実が特定され、そのリザードンとエイリとの間に親子関係が認められたことで、必然的にエイリがどこから来たのかという問題は解決した。
白浜君が簡潔にその事実を語ると、下級生たちが座る観戦席からどよめきが起こった。リザードンについては、この教室にいる全員が当事者だ。やっぱり、という声とマジかよ、という驚きの声が聞こえてくる。
野生に返すのならどこ、という問題。
誰かに受け入れてもらうのならそれは誰、という問題。
その二つはこのディベートにおいて並んで最も困難な問題だったはずで、議論を均衡させる要因となっていた。しかし現在、野生派が抱えていた問題は解決して、私達は未だ未解決。はっきり言って、都合が悪い。
白浜君は、尚も語る。その手には、一枚の書類。
「調べたところによると、神津島と柿坂の間には毎週金曜に定期船が出ているそうです。朝7時に出港して、正午に帰って来るタイムスケジュールで。主に柿坂に拠点を構える研究員達が搭乗するものらしく、そもそも上陸許可が出ないので我々一般人が神津島に向かうことは難しいでしょうが……エイリを故郷に返すための手段は、問題ないと考えます」
昨日、白浜君はあかりさんに「リザードンはどこから来たのか」と訊ねた。
そこには私も外浦さんも居合わせていたから、白浜君がこの発言をすることも、この問題をどうにかしないといけないことには勝利はないと意見は一致している。
ディベート直前の昼休みに、この件についてどうするかを話し合う時間があった。私は、「考えはあるが、少し考えさせてほしい」と外浦さんと入田君に伝えた。
「…………」
最初に、ディベートの要項を見た時。
いいや、もっと前。初めてエイリを目にしたとき。
私はこの一連の出来事を、さほど大きく捉えていなかった。他人事のように思っていた。
私に大した力はない。ポケモンの専門家たるあかりさんや吉佐美所長と比べ、なんと浅学で無力なことか。
できる限り、言われただけのことをやろうと、最初はそう思っていた。
「昨日の質問に対しての回答は以上です。その上で、こちらからも質問をしたいです……先生、いいですか」
話を一旦区切り、続けて逆質問をする前に確認を取る白浜君。先生が頷くと、そのまま続ける。
「ありがとうございます。では、質問です。現時点で、受け入れ先などについて具体的な候補などはありますか?」
それは誰にでも予想できて、なおかつこちらの弱みを的確に突いてくる、決定的な質問だった。
隣から視線を感じて、そちらに目を向けると、外浦さんが心配そうに私を見ていた。
本当に、策があるのかという不安が見て取れた。無理もないと思う。
昨夜、私は二つほど作戦を考えた。
まず一つ目は、
『やはり、エイリの怪我を鑑みれば野生に返すのは難しいのでは?』
と、言い張ること。
ただこれはただの論点ずらしで、大した効果はない。
白浜君に当然それはきちんと治療して野生に返すのが前提です。そう言われれば返す言葉もない。さらに、エイリの体調を考慮するのなら受け入れ先が見つかったとしても全く問題がないとも言い難いのだから、それを言われても苦しい。
だから、これはボツ。
であれば、私達『保護派』が取れる策はあと一つしかない。
これは相応に痛みを伴う策で、簡単に口にしていいことでもない。
何となくある万能感と、ありきたりな無力感に身を委ねた行動だと理解している。
だけどこれは覚悟の問題だ。覚悟だけなら、とっくに決めている。
私は、手を真っすぐ挙げた。
「はい、九重。どうぞ」
先生に指名され、立ち上がる。
少し間を空けて、クラス中の注目が集うのを待ってから口を開く。
「受け入れ先の候補は、あります」
教室後方の観覧席からどよめきが起こった。
教室内に充満していく驚きと混乱に後押しされるように、続きを紡ぐ。
「仮に。このディベートの結果、エイリは野生に返すのではなく人の元で生活をした方が良いと結論が出た場合」
そこで小さく息を吸って、クラスの中を見渡した。
期待と困惑が入り混じったような表情の、下級生達が見えた。
無表情を貫く、審査員の二人が見えた。
授業を聞いているかのように真剣な白浜君が見えた。
私を睨めつける、吉佐美さんが見えた。
何を考えているかわからない、鍋田君が見えた。
それら全てに、宣言する。
「エイリは、私が受け入れます」
……ここからが、勝負だ。