「は?」
一瞬静まり返った教室に、授業時間とは思えないような怒気を孕んだ声が響く。
声の主は言うまでもなく、フチなし眼鏡の女子生徒、吉佐美陽子。
椅子を倒さんばかりの勢いで、彼女は立ち上がる。
「九重、アンタ何言ってんの?」
「…………」
私は答えず、代わりに視線を爪木先生に向けた。
意図に気づいた爪木先生が、吉佐美さんに言う。
「陽子。自由討論のルールは?」
「……チッ」
爪木先生の言葉。自由討論のルールその2、『発言したい奴は挙手をする』。元々場が極端に荒れないために設定したルールなのだろう。ありがたく利用させてもらう。
指摘され、舌打ちしながら手を挙げた吉佐美さんを、爪木先生が改めて指名する。
「九重、今のは本気で言ってる?」
じろりと先生を横目で睨めつけてから言った吉佐美さんの質問は刺々しかった。
気圧されないよう努めて、短く答える。
「はい」
「アンタが、エイリを受け入れるって聞こえたけど」
「そう言いましたが……できないと思いますか?」
「口先でなら、いくらでも言える」
つまり、根拠を示せと言っている。
もとより、そのつもりだ。
「まず第一に障害となり得るのは、鍋田君が初日に仰っていたトレーナーレベルです」
『トレーナーレベル』。正式名称は、ポケットモンスター飼育者免許』。
鍋田君が立論で語ったのは、ヒトカゲの飼育に必要なトレーナーレベルは3であり、取得率の低さから受け入れ先を見つけるのは困難である、ということ。
まったくその通りの意見ではある。しかし、だから無理だという話にはならない。
「ヒトカゲのトレーナーレベルは3。つまり、世帯内にポケットモンスター飼育者免許のレベル3を取得している人物がいなければいけませんが……私のトレーナーレベルは3です。なので、問題ありません」
一旦間を入れるが、特に反論などは飛んでこない。これに関しては、お互い予想の範疇といったところだろう。
私は続ける。
「次いで考えられる問題として……お金ですね」
当然、ポケモンを飼育するにはお金がかかる。
新しくポケモンを手持ちに加えるのなら、丸々その分の費用を負担する必要がある。
「初期費用として、まずエイリ用のモンスターボール。これが2万円程度。予防接種に1万、データベースの登録料5千円。それと、現在エイリが怪我をしているのでこれを引き継ぐとして、完治までには大体2万ほどかかると考えていいでしょう。私の場合、生活用品等は追加購入する必要がないので今回は除外しますが、合わせて5万5千円。
次に継続してかかる費用を考えると、まず餌代。これは大体年間10万程度かかるはず。医療保険、これは大体月々2千円。急な病気、怪我などがあるかもしれないと考えて、ざっくり5万円ほど加えておきましょう。
……どんぶり勘定になりますが、初期費用とランニングコスト、向こう一年かかる費用は約23万円と試算しました。……このぐらいなら、私は自分で稼いだお金で賄えます。付け加えるなら、現状私は3体手持ちにポケモンがいますが、その三匹も同様に自分で費用を負担しています。だから、金銭面的にな問題は十分クリアできます」
もっと厳密にいうなら炎タイプのポケモンを受け入れるなら火災保険への加入は必須だったりするが、これに関しても確か加入済みだったはず。所有者である父に確認したほうがいいかもだが、突っ込まれない限りはスルーしてもいいだろう。
……ともかく、条件に関してはこれで問題ないはずだ。
目線で、立ったまま私の話を聞いていた吉佐美さんに問いかけると、彼女はそれに応える。
「それは、別にどうだっていい! そうじゃなくて。大事なのはあんたが適切な飼育方法をちゃんと理解して、ヒトカゲが安心して暮らせるようにできるかで……」
「それは」
マナー違反と知りながら、あえて遮った。
「一昨日、吉佐美さんに教えていただきましたので。他にも何かあれば、相談させてください」
「は?」
「一つ、食性に適さない餌を与えないこと。ヒトカゲは昆虫などを好んで食べる肉食寄りの雑食であるため留意が必要。
二つ、適度に外に出してあげること。室内でボールの外に出せない人影に対しては、より一層の配慮が求められること。
三つ、ヒトカゲが水を嫌うという特性に正しい認識を持ち、余計なストレスを与えないように配慮すること」
「わ、私が言ったことそのまま言ってるだけじゃない!」
そう。まさに、一昨日のディベートで吉佐美さんが語ったことだ。
吉佐美さんはトレーナーレベルや金銭面をクリアしていても、ヒトカゲのことを知らない人間に預けるのは不適当であると考えている。しかし、その意見は誰しもが頷けるような話だろうか。
この教室で、ポケモンを育てたことのない人間は少数派だろう。誰だって最初は目の甘えのポケモンのことを何もわからず、人に教わり、自分で調べながら育てたはず。
だから私は、こう返す。
「吉佐美さんは、間違ったことを仰ったのでしょうか?」
「……そんなことは、ない」
「なら、いいじゃないですか」
「…………」
吉佐美さんは返事をせず代わりに机に手をつく。俯くような姿勢となり、すぅと息をする音がかすかに聞こえた。
何らかの感情を飲み込むような動きだった。
それから数秒。沈黙が続き、ようやく顔を上げた吉佐美さんの顔は全くの無表情。
微かに、唇が動く。
「……一つ、忘れてる」
「何をですか」
「ポケモンバトルをさせること。アンタ、トレーナーでしょ。偉そうなことを言って、バトルで使いたいからヒトカゲを手持ちに加えたいだけなんじゃないの?」
吉佐美さんの発言を聞いて思う。
やはり外浦さんの言う通り、吉佐美さんはポケモンが嫌いではない。
過去の出来事を知った、今ならわかる。
彼女は、ポケモン同士が、人間のせいで傷つけ合うのが嫌いなのだ。
私のことを嫌っているのも当然だ。ポケモンを戦わせる、ポケモントレーナーだから嫌い。
……理解はした。しかし、ここは譲れない。
「私はエイリを手持ちに加えたとしても、ポケモンバトルをさせるつもりはありません。肉体的にみても、精神的にもエイリは戦える状態ではありません。回復したらどうかはわかりませんが、それを待つぐらいなら他のポケモンを手持ちに加えることを考えると思います」
「だったら、なんでエイリを受け入れようとしてるの? アンタにメリットが何もない」
「メリットがあるからポケモンと暮らしているわけじゃありません。ポケモンとの生活に、勝手に価値を見出しているだけなんです。きっかけなんて、どうだっていい」
「……理解できない。そんなのは偽善よ。今回あのヒトカゲを受け入れたとして。アンタは訳アリのポケモンを見かけたら全部受け入れるつもり? そんなことができるわけがない」
その通りだ。私にだって当然限界はある。金銭面だけじゃなく、労力面でも。
しかし、そういう問題ではない。
「できると思うからやる。したいと思ったからやる。今回のケースはそれだけです。今後、同じような状況になったとして、同じことができるなら、同じように私が受けいれます。自分に手が届く範囲でできることをやる。そうであるべきだというのが、私の意見です」
「…………!」
吉佐美さんが、言葉に詰まったその瞬間。
「先生、いいですか」
「いいぞ」
割り込むようにして、白浜君が手を挙げた。
吉佐美の肩を叩いて座らせてから、白浜君は私に向け話し出す。
「九重さんの意見は理解しました。エイリを受け入れる覚悟があり、知識もあり、余裕もあると。十分に実現可能な意見だと、僕は思いました」
「ありがとうございます」
「なら、これでようやく違う話ができますね」
「……はい」
水を差された。私は、そう思った。
今の私と吉佐美のやり取りの流れにおいては『里親派』が有利になっている雰囲気があったはず。しかしあくまで『神津島に返す手段がある野生派』に対して、『九重雫が受け入れると主張する里親派』の条件がようやく出揃っただけ。
そこまでやって、やっとイーブンなんだぞと、白浜君は暗に示している。
続けざまに、白浜君は言う。
「質問をさせてください。エイリは人に怯えているという話でした。しかし、これを改善しないことには人と生活するには厳しいのではないでしょうか。このあたりについて、どう考えていますか?」
答えようとすると、右の裾を引っ張られる感覚があった。横を見ると、外浦さんが人差し指を自身に向けている。一瞬何かと思ったが、『話していいか』というサインだろう。確かに一人で喋りすぎたし、タイミングとしては丁度いい。
頷いて了承し、着席する。
バトンタッチで立ち上がった外浦さんが、溌剌と話しだす。
「昨日、私達は水研に伺わせていただきました」
「そうですね」
「その時、許可を頂いて私と九重さんのポケモンをエイリと触れ合わせてみようとしました。ディベート云々じゃなく、メンタルケアの一環です。でも結局、エイリは怯えたままで、治療台から降りてくることはありませんでした。つまり。エイリは人間に怯えているのではなく、自分より大きなサイズの生物に対して怯えている、ということなんじゃないかなと思います」
外浦さんの言葉に、白浜君は一瞬考えるようなそぶりを見せる。
「……ああ、成程。エイリの精神面の問題は、『里親派』だけではなく『野生派』の問題でもあるということですか」
もし、『里親派』が勝てば。
エイリは自分よりも体のサイズが大きい人間と生活することになる。
もし、『野生派』が勝てば。
エイリは自分より体の大きいポケモン達が数多くいる環境へと戻ることとなる。
どちらが勝っても、現状エイリの精神状況を考えれば、負担になってしまう。
まとめた白浜君の発言を否定するように、外浦さんは首を横に振った。
「そうですけど、同じではないです。誰かの手持ちになれば。モンスターボールに入れることができれば、怪我はすぐに治せます」
「……今の話と、関係あります?」
「ある。あります。だって、怪我してたら落ち込むじゃないですか。だったら、早く治してあげられるほうがエイリちゃんのためになると思います」
「ははあ」
白浜君は反論する訳でもなく、話をかみ砕くようにただ何度か静かに頷く。
それから、視線を私に向けた。
「九重さん、いいですか?」
「はい」
呼びかけられ、外浦さんと入れ替わる形で再度立ち上がる。
「例のリザードン。昨日、エイリと親子であると判明しましたよね」
「そうですね」
「その上で、九重さんはエイリを受け入れると言いました。では、リザードンも受け入れるつもりですか」
やっぱり、と思った。
なんとなくではあるが、そう問われるだろうなという予想はついていた。
慎重に言葉を選びつつ、答える。
「受けいれるつもりはありません。というよりは、無理です。リザードンを受け入れるのに必要なトレーナーレベルは4なので」
「つまり、親子であるエイリとリザードンは離れ離れで暮らすことになる、ということですよね」
「そうなりますね」
「例え治療に時間をかけてでも、親子そろって故郷に返してあげる方がエイリのためになる。それが、自分達『野生派』の意見です。『保護派』の意見は……言い方は悪いですが、一早く怪我を治すことを優先して親子を離れ離れにする、ということではないでしょうか」
隣の外浦さんから、「うわ」と若干引き気味の声が聞こえた。
気持ちはわかる。意地の悪い言い方だ。
だが、反論はある。
「エイリの傷は忘れていませんか。あれは、例のリザードンから受けた傷である可能性が高いという話でした」
「……そうでしたね」
白浜君が同意すると、教室にざわめきが起こった。それだけではなく、隣で入田君が「そうなの?」と呟いている。伝え忘れていた。ごめんなさい。
それはさておき、これもまた昨日水研に訪れた際判明したこと。説明するタイミングはあったはずだが、白浜君は伏せていた。『野生派』にとって、不利な事実だったから。
その理由を、そのまま話す。
「『野生派』の意見は、虐待を受けたエイリを、そのまま加害者であるリザードンの元へと帰す。ということになりませんか」
やり返しのつもりで、同じような言い回しをしたが、白浜君のリアクションは薄い。
「勿論忘れていません。ですが、虐待であるかどうかはわかりません。事故かも」
「虐待である場合も、否定できないですよね?」
「否定はできないですけど、考えづらいと思います」
「どういうことですか?」
「虐待なら、リザードンがヒトカゲに攻撃したということ。……これ、怪我で済むと思います?」
「…………」
悔しいことに、確かにと思ってしまった。
ヒトカゲの体長はおよそ60センチ。対してリザードンは170センチ……いや、あの個体は200センチか。比べてみれば、赤ん坊と大人以上の差がある。このサイズ差で攻撃を振るえば、あの程度の怪我で済むかは確かに怪しい。
……いや、しかし。
「仮に事故だったとしても。問題なのは実際にエイリが怪我をしていること、そこから立ち直れていないことです。リザードンがエイリに精神的なケアを行えるでしょうか? それに、同じことを繰り返すかもしれない。そんな状況で、野生に返すことが正解だとは思えません」
「そうでしょうか。親子関係といえども、やはり自然界に起こったことは、自然に任せるしかないと思います」
「もう、十分に関わっています。今更投げ出すことこそ無責任でしょう」
「水研の職員の方々は、出来ることをやっていただいた。そう考えています。あとは、あの二体を信じるべきじゃないでしょうか」
言葉を交わしながら、明らかに頭の中が熱くなっているのを感じる。怒りか、興奮か。しかし、まだ理性は残っているはず。
できる限りの理論をもって、言葉を紡ぐ。
「リザードンを、どこまで信じることができるのか。ポケモンは人間じゃないですが、私は人間に近しい知能を持つ生物だと思っています。愛情をもって子供を育てることのできる生物だと思っています。では、その上であのリザードンはどうでしょうか。子供を傷つけ、一週間以上見つけられず、今になって柿坂にやってきた。あのリザードンは親としての責任を果たしているのか。わたしは、違うと思います」
言いながら違和感があった。自分が言っていることが、らしくないから違和感といえるかもしれないが、そうじゃない。
『野生派』の態度だ。どれだけ痛いところを突いたつもりでも、白浜君の表情にはずっと余裕がある。本当に大したことを言ってないような、そんな手ごたえのなさ。
それと、もう一つ。今日ずっと、一言も……。
「それは違う」
その声の主は私でも、白浜君でも、吉佐美さんでも外浦さんでもない。
……鍋田君だ。
今日、ディベートが始まってから一言も発していなかった鍋田君が初めて口を開いた。
教室中に視線が一斉に集まった鍋田君は座ったまま、しまったというような表情をしてから、
「あ、やべ。発言したいです」
「はい、どうぞー」
慌てて声を上げ、立ち上がる。鍋田君の注目は、私に向いている。
「えっと、九重」
「はい」
「さっき、リザードンの親としての責任とか言ってたよな」
「言いました」
「それは違うと思う」
何故だ。何が違う。
やり取りのほんの間に、私の頭はぐるぐると思考で埋まる。
そもそも、何故急に話に割り込んできたのか。思い返せば、昨日の水研に突然行こうとした理由は未だわからない。エイリを一目見ただけで個別処置室を辞したことにも、理由があったのか。
果たして、彼は何を言わんとしている?
「……何が、違うんですか?」
恐る恐る、訊く。
「
「…………?」
「
鍋田君が発したその言葉を、私は数秒の間。全く理解することができなかった。