聞き間違いでなければ。
エイリの産んだ卵が孵り、生まれたヒトカゲが例のリザードンに進化した、ということになる。
確かに可能性は否定できない。何故なら、ポケモンとはそういう生物だからだ。
ポケモンの、いわゆる『進化』は明確に解明されていない。原作であるゲームの世界ではともかく、現実においてレベルという概念は存在しない。縄張り争いや捕食を通じて戦闘の経験を積み重ねたりすることでレベルアップでの『進化』は発生する、などと言われてはいるが、推測に過ぎない。
『なつき度』は数値化できず、『進化の石』や『変わらずの石』といったアイテムもない。ポケモンの発生からまだ15年。これから明らかになっていく現象。それが、今の『進化』。
だから、鍋田君の話はあり得なくもない話、としかいいようがない。
ヒトカゲが卵を産むことも、子どもが先にリザードを飛び越して、リザードンに進化することも。しかし、それは前提であり証明ではない。
混乱を極める思考の中に、微かに残る理性が私の口を動かす。
「……理由は?」
「え」
「何故、そういう結論になったんですか。リザードンがエイリの子供なんて、何の根拠が?」
鍋田君は、質問されたこと自体を不思議がるように、大きく首を傾げる。うーんと唸り、捻り出す様に言う。
「……なんとなく?」
「は」
話にならない。そう言いかけて、はっと思い出す。
エイリは、水研で一旦保護され治療されている状態。であれば産卵の経験有無ぐらいは把握されているのではないか。
私は教室の後方、審査員席に座るあかりさんへと呼び掛ける。
「あかりさん。まさか、そんなこと……あり得ないですよね」
「…………」
「あかりさん?」
再度呼びかけてみるものの、何故か渋い顔をするだけで答えない。
それから数秒経ってようやく、あかりさんは重たい口を開いた。
「こちらとしては、何とも言えないかな」
「あかりさん、何を言って」
「九重」
「……っ」
爪木先生が私を諫めるように声を飛ばした。
審査員に話しかけるのはルール違反だと、今までの流れで分かっていたが、止まれなった。落ち着くために小さく息を吸う。
……それにしたって、あかりさんの反応は何なんだ。そんな事実がないのなら、無いと言ってくれれば済む話なのに。にもかかわらず否定しないということは、まるで事実であると認めているようなものではないか。いや、いい。この際、エイリがリザードンの母親である。それを真であると認めたって構わない。
ただ、何故その事実をあかりさんは伏せていたんだ。わからない。何故、この期に及んで!
隣に座る、外浦さんを見る。彼女からも、何か言って欲しかった。
「…………」
外浦さんは私からの視線にも気づかず、唇を噛みしめながら黙っている。
まるで、悔しさを堪えるような仕草だった。何故気づかなかったと。それはつまり、彼女もまた鍋田君の説を正と認めているということ。
教室のそこかしこに視線を巡らす。
観客席にいる下級生は皆驚きの表情を浮かべ、じっとディベートの趨勢を見守っている。対角線上に座る吉佐美さんもまた、驚いたように目を丸くしている。もしかして、彼女も知らされていなかったのか。対照的に、鍋田君の隣に座る白浜君は穏やかに笑みを浮かべている。彼もまた、何を考えているのかわからない。
――何といっても、悟がいるからなあ。
――昔からポケモンなら悟の右に出るやつはいないの。
ほんの3日前。入田君と外浦さんの言葉を思い出す。
ずっと、信じていなかったその言葉が、急速に輪郭を怯えていく。その感覚は、不気味で恐ろしい。知らない世界に、一人でいるみたいだった。
「九重、続き大丈夫?」
名前を呼ばれて我に返る。
声のした方向を剥くと、鍋田君が起立したまま私を見ていた。
「……はい」
力なく頷く。話を聞いてからでも遅くはない、などと思ったわけではない。ただ言葉が見つからなかっただけ。
鍋田君は、ゆっくりした口調で話を再開する。
「さっき、九重が言ってた。リザードンは親としての責任を果たしていないって。でも、リザードンは親じゃないから当然そんなことはない。……ここまでは良い?」
「はい」
あくまでも、鍋田君の話を信じるならば。
「エイリが母親で、例のリザードンがその子供。それで、今回の件はどうして起こったのか。まず最初に、リザードンは進化による急な成長に自覚がなかったんじゃないかと思う。ヒトカゲってさ。手の爪がないんだよな。最初にリザードに進化して初めて、目に見えて爪が生えてくる」
鍋田君は、手のひらをこちらに向けて引っ掻くようなジェスチャーをした。
そういえば、鍋田君が初日に「エイリの爪が切られていた」という旨の話をしていたが、あれは足の爪の話だった。
話は続く。
「それこそ母親に抱き着く感覚で、触れようとして。それで、エイリは怪我をした」
「それが、鍋田君の推測ですか」
「想像ね」
鍋田君は照れたように小さく笑った。
実際想像に過ぎないとは分かっていても、否定する材料は見当たらなかった。一つの説として、鍋田君の話は成立しているように思える。
信じたくはない。しかし、そうなのかもと思う自分を否定しきれない。
「もし、エイリが暴力や育児放棄をされていたりしたら。確かに野生に返すことは諦めるべきかもしれない。でも、多分そうじゃない。エイリが怪我したのは不幸な事故で、その子供が、エイリのことを探しているんだとしたら。例え、その怪我の原因がリザードンだとしても。どれだけ時間がかかっても、元々住んでいた場所に返してあげるべきじゃないかと思う」
若干早口になりながらも言い終えた鍋田君は、きょろきょろと周囲の様子を窺ってから、
「……以上です!」
そう結んで勢いよく着席した。
立ったままの私は、一足先に座ってしまった鍋田君に訊ねる。
「一つ、お聞きしたいです。鍋田君は、エイリを何回見ましたか」
「え。いや、知ってるだろ。二回だよ。月曜と、昨日」
「じゃあ、それ以外は目にしてもないと?」
「そうだけど…‥」
何を当たり前のことを、と言いたげな顔だった。
しかし、その明確な事実がどれだけ恐ろしいことか。
鍋田君は私と同じ回数しかエイリを見ていない。いや、それどころか昨日鍋田君は直ぐに処置室を後にした。その後二時間部屋に残った私と違って、鍋田君が直接エイリを目にしたのは数分程度のことだった。
洞察力が高いのか。それとも経験則か。それとも超能力のような、私には理解しがたない何かなのか。
誰に何を説明されるまでもなく、何の脈絡もなく彼はその結論にたどり着いた。
……ああ、やっと分かった。
この学校に転校して来てから、私はずっと彼を避けてきた。本人には出合い頭のハプニングを言い訳にしてきた。きっかけとしてはそうだが、本質的には違う。
彼の得体の知れなさを、ずっと不気味に思ってきた。だから距離を置いてきた。彼が持つ、空虚な街を思わせるような非人間的な雰囲気。その正体を、たった今理解した。
由来はともかくとして、彼は尋常ならない洞察力のようなものがある。私は、それを恐れていた。鍋田君に自分のことを見透かされるのが怖かったのだ。
自分の秘密も、醜さも。いつか見抜かれてしまうんじゃないかと。
去年、夏の終わり。彼とこの教室で出会った時から、ずっとそう思っている。
「他、何かある?」
私が何も言えないでいると、爪木先生は両陣営を見回しながら告げた。
頭の中を探って、何かしら反論を探す。
完全に鍋田君に雰囲気を飲まれてしまった。せめてもの抵抗として、『あくまで鍋田君の意見は想像に過ぎない』というべきだろうか。
……いいや、駄目だ。ただの負け惜しみにしか聞こえないだろうし、なにより私が鍋田君の語る言葉を真実であると認めつつある。本当に、根拠なんてないはずなのに。
「先生」
「はい。陽子、どうぞ」
短い言葉とともに静寂を破ったのは吉佐美さんだった。
ゆっくりと立ち上がる彼女に、先程のような焦燥の色はない。鍋田君の爆弾発言に驚いていたが、逆にそのおかげで冷静さを取り戻したようだった。
彼女の視線は、もう私だけに向いていない。私含めた『保護派』の三人に満遍なく向けながら、吉佐美さんは話し出す。
「そもそもの話。ポケモンが海岸に漂着したから、野生に返すか受け入れ先を探すか決める。という議論がおかしい」
急な話で、本当にそもそもの話だった。
「まず第一に。無暗に生態系へ手を加えるべきではない。自然のものは自然に返すべき、という話が前提としてある。ただ、これに関しては元々人間の生活圏にやってきのがエイリ自身だし、エイリの体調面の問題が何より重要だったと思った。だから、そこを意見に含めるつもりはない」
正直な話、立論の際に『野生派』は真っ先にそこを主張してくると踏んでいた。吉佐美さんがポケモンを嫌ってるのなら、そういう主張をしてくるはずだと思ったからだ。
……吉佐美さんは、一貫してエイリのことを考えていたんだなと、改めて思う。
「極端な話になるけど。例えば、今回の件で海岸に漂着したのがアカウミガメだったら。……その場合、受け入れ先を探すなんて話にはならないはず。傷を治療して、海に帰すと水研の職員は判断するはず。ウミガメを飼育できる家庭なんてないし、今時ポケモン以外を展示する水族館なんて需要はほぼない。裏を返すと、エイリへの対応に選択肢があるのはポケモンだから、という一点に尽きる」
それはそうだ。エイリはポケモンで、モンスターボールに入れられる。ウミガメより受け入れるハードルがかなり低いのは言うまでもない。
「私が言いたいのは、ポケモンを特別扱いするのが良くない、ということだけじゃない。ポケモンがボールに入れられるから受け入れてもいいなんて。まるで便利な道具扱いしているみたいじゃない」
それが、吉佐美さんの結論か。確かに、一理ある。2032年、現代社会はポケモンという存在のもと成り立っていて、経済を動かす道具として扱っているような側面は間違いなくある。柿坂の町なんて、まさにその代表格といえる。
……しかし、頷けない。
手を挙げて、座ったまま発言する。
「ポケモンは特別な生き物です。だから、対応に差が出るのは当然だと思います」
「どうして特別だと言えるの。ポケモンも他の生き物も、同じ一つの命じゃない」
吉佐美さんが私を見た。私もまた、彼女の目を見る。
「ポケモンは、人間が生み出したものだからです」
「そう。とことん、気が合わない」
それだけ呟くと、吉佐美さんは静かに着席した。私も、それ以上言えることはない。
教室が再び静寂に包まれる。
「他、何かある奴…………いないか?」
爪木先生が発言を促しても、手を挙げる人はいない。議題が尽きた。そういうことだろう。事前の説明の通りなら、あとは結論を述べるフェーズに入り、審査員が『保護派』か『野生派』を選びディベートは終わる。
恐らく、負けるだろう。私は、『保護派』は鍋田君の意見に対して有効なものを言えずに終わった。今も、なにも思いつかない。
たとえ負けたって、何か私が損をするわけでもない。勿論、『野生派』の三人が明確に得をするわけでもない。
野生に帰るエイリがどうなるかを知ることなく、私の与り知らぬところで話が終わるというだけ。でもそれは、それだけは避けたかった。
後はもう、祈るしかない。そう諦めて、私はそっと目を閉じた。
次の瞬間。
「ちょっと待ったあ!」
突如、教室に大音声が響き渡った。驚いて、体がびくりと跳ねる。
その声は私の隣から聞こえてきた。声の主は入田君だった。……え、入田君?