立ち上がった入田君は、手を挙げたままの姿勢で固まっている。
たった今自由討論を締めようとしていた爪木先生も、突然のことに目を丸くしている。
「……びっくりした。栄吉、どうした。なんかあるのか」
「ちょっと待って。今考えるから」
「ぐっ!」
先生が噴き出した。ウケてる場合じゃない。
今日、入田君はディベートとしては一言も発していなかった。鍋田君も例の主張以外は何も喋っていないが、入田君はそれ以上に何も喋っていない。
元々やる気がないと公言していたし、その気持ちは理解できるものだったので気にしていなかった反面、正直戦力としては数えていなかった。
その入田君が、この期に及んで急に手を挙げたのか。しかも、何を話すか考えずに。
本当に、どういうことだ。爪木先生だけじゃなく、私にもわからない。
うーんと、数秒を首を捻ってからようやく入田君は口を開く。
「あ、そうだ。おい陽子」
「え? な、何?」
急に矛先を向けられた吉佐美さんが、戸惑いながら立ち上がる。
「お前、さっきポケモンを特別じゃないとか何とか言ってたろ」
「だから特別扱いだけじゃなくて道具扱いするのがどうかって話で…‥いや、それがなんだってのよ」
「じゃあ、お前エイリ食える?」
「……は?」
呆気にとられる吉佐美さんだが、言われたのが私でも同じ反応をしただろう。
食える? え、エイリを?
「いや、エイリじゃなくていいや。リザードンでもいいし。その辺キャモメでも何でも」
「……え」
「お前、多分食えねえよな。お前、前にうちの店に来た時クジラとかイルカとかは食えたのに。イルカはそんな好きじゃないっぽいけどさ」
そういえば、入田君の実家は定食屋らしい。クジラにイルカ……品揃え、すごくない?
いや、そうじゃない。私は少しだけ、彼が何を言わんとしているのかわかって来た。
彼が言いたいのは、多分吉佐美さんの趣向じゃなくて……。
「い。今そんなの関係ないじゃない」
「関係なくねえよ。だってお前、ポケモンとそれ以外の動物は同じ命だって言っただろ。なのに、なんで食えねえの」
「何でって、それは」
「知能が高いからか? それとも家畜じゃないからか? でも、ポケモンはいっぱいいるぞ。食えるポケモンも、知能がそこまで高くないポケモンだっている。そうやってカテゴリを分けている以上、陽子がポケモンを特別じゃないって思ってるのは嘘だろ」
ただ、単純な指摘だった。
ディベートに建前があっておかしいことはないが。それでも今の吉佐美さんに、反論は難しいだろう。いくら理屈を述べたって、ポケモンが嫌いであるという話は嘘で建前なのだから。
「……言わせておけば」
それでも。言われっぱなしで黙っているような吉佐美さんではない。喉を震わせながら、言葉を絞り出す。
「別に食べれないなんていってないじゃない!」
「だったら来週持ってくるわ」
「……は?」
「ヤドンの尻尾のテールスープを限定で出そうってオヤジが言っててさ。試作するらしいから持ってきてやるよ。食えるんだよな?」
「なにそのメニュー!? ……って、そんな急に言われたって心の準備が」
「絶対に食え。食べ終わるまで帰さないから」
「給食かっつの!」
……なんか段々話がずれていっているような。
訳も分からず茫然とその様子を見守っていると右肩を静かに叩かれ、振り返る。右隣に座る外浦さんが、声を潜めながら話しかけてきた。
「これ。多分時間稼ぎしてくれてる」
「……何かを、待ってるんですか?」
訳も分からず、そう同じくらいの小声で返すと外浦さんは小さく笑った。
「なにって、九重さんが何かを思いつくのを待ってるんだよ。だって、勝ちたいんでしょ?」
その通りだ。私は、そこまでしてでも勝ちたい理由がある。
でも。それにあんなにやる気のなかった入田君が協力してくれる理由はわからない。
「私が勝ちたがってるって、わかりやすかったですか」
「自分がお金を負担してでもエイリ引き取るなんて言い出したら流石にね。……いや、驚いたよ。言ってよ」
「す、すいません」
「栄吉君も学校のことには無気力だけど。クラスメイトが大変なら見捨てない人だから。九重さんがそれだけ真剣なら時間稼ぎぐらいはするよ」
ちらりと、入田君の様子を窺う。のらりくらりと吉佐美さんと議論を続ける彼は、今まで見たことのないぐらい饒舌だった。外浦さんの言っていることが正しいのであれば、私のおかしな様子を察して助け舟を出してくれたということになる。
正直なところ驚いた。入田君のことをよく知っている、なんてことは勿論ない。しかし、普段の様子からは自分に益がないの進んで行動するタイプにはとても見えなかった。
……いいや、人のことを言えた口ではないのか。驚かせたのは。らしくないようなことをしたのは、私の方だ。
「勝ちたいんだよね、そのぐらい」
「……はい」
「理由は、まあ。できれば聞かせてくれると嬉しいけれど。言いたくないならいい。でも、そこまで思ってるなら勝たなきゃね」
その気持ちは、正直ありがたい。……しかし。
「そう言ってくれるのも嬉しいです。ただ、正直ここから勝敗をひっくり返すことは」
「それなんだけど、一個思ったことがある」
そう言って、外浦さんは私の耳に口元を近づけ、さらに小声で耳打ちした。
こそばゆい感触を堪えながら、一言一句を聞き逃さないように神経を集中させる。
そして、話の内容を理解したとき。私はハッと。脳みそを叩かれるような感覚を覚えた。
「どうかな。役に立ちそう?」
「立つと、思います」
それは、私には到底思いつかないようなアイデアだった。鍋田君が告げた『例のリザードンはエイリの子供である』と、最初から信じていた外浦さんだからこその発想。
外浦さんは、私の肯定的な反応に安心したような表情を浮かべる。
「正直、私が思いつくのはそこまで。どう展開すればディベートをひっくり返せるかはわからないし、自信もない。だから、託すよ」
「頑張ります」
そのつもりだった。これは、私がやるべきことだからだ。
ここまでお膳立てしてくれたのなら、もういける所までやってみるしかない。
「がんばって。九重さんならわかるはず。このディベートが、一体誰のためにあるのかを」
外浦さんは、そこまで言って前を向いた。私も習って、姿勢を正す。目前では未だ入田君と吉佐美さんが白熱した、ディベートの本筋とはあまり関係なさそうな議論を繰り広げている。今はどうやら食べられる動物とそうでないもののラインについて言い合ってるようだった。
入田君の時間稼ぎは、呆れるほど上手く行っている。後ほんの少し、考える猶予がありそうだ。
深呼吸をする。外浦さんから言われた言葉を嚙みしめて、考えをまとめる。
鍋田君の発言、白浜君の意見、外浦さんから提言。
……このディベートは誰のためにあるのか。
私のためではない。鍋田君のためでもない。では、誰のため?
言うまでもない。そんなの、エイリのために決まっている。
「すいません、いいですか!」
勇むあまり、声が上ずる。私は気づくと、立ち上がりながら手を挙げていた。
そんな私を、吉佐美さんはじろりと睨んだ。
「まだ話の途中なんだけど」
「いやいや陽子。どうでもよくいいだろこんな話。じゃあ、九重。後頼むわ」
「アンタほんと何なの!?」
早々と、入田君は着席した。私が軽く頭を下げると、入田君はそんないいとばかりに手を軽く振る。本当に、助かった。後で改めてお礼を言おう。
そして、吉佐美さんへと視線を向ける。
「……吉佐美さん。まだ、議論されていないことが残っています」
「私はそうは思わない。話し合うべきことなんてもうないし、さっさと終わらせるべきよ」
「いいえ、あります。本当は、真っ先に考えるべきだったこと。……エイリは、望んで柿坂までやってきたのか。それとも、流れ着いた先が偶々柿坂の海岸に過ぎなかったのか、といことです」
吉佐美さんは、一瞬ぴたりと表情を固まらせた。
「そんなの、わかりっこない。それがわかるわけないからディベートを長々とやってるんじゃない。それとも何、アンタはエイリが望んで柿坂に来たとでも? あんなにボロボロになってまで? その根拠はあるの?」
「根拠はありません」
「……は。何が言いたいわけ?」
「つい先ほど、鍋田君は言いました。『リザードンが、エイリの子供なんだ』、と。……最初は何を言ってるんだと思いましたが。一旦、その説を全部正しいものとします」
私が言うと、吉佐美さんはもちろん、隣に座る白浜君までもが怪訝な表情を浮かべた。
何が狙いなのかという鋭い視線が刺さる。
誤魔化す様に、話を続ける。
「鍋田君は、こうも言ってました。『例のリザードンは進化による急な成長に自覚がなかった』……ここまではいいでしょうか」
吉佐美さんが頷いたのを確認して、次の言葉を準備する。
ここまでは前置き。ここから先が、外浦さんが私に託した『アイデア』。
「当のリザードンにも自覚がなかった急激な進化。なら、それは他の誰であって同じであったのではないか、ということです」
一瞬、言葉の意味を考える時間が、教室の中に共有された。
誰よりも早く答えにたどり着いた白浜君が、ぼそりと呟く。
「……まさか」
「エイリにだって、わからなかったんじゃないですか。目の前にいるリザードンが、自分の子供であるということを」
何度目かわからないざわめきが起こる。
……ここまでは、悪くない流れだ。なら、次の手を打つ。
混乱が収まらないうちに、私は言葉の矢印を、例の爆弾発言以降沈黙を貫いていた鍋田君に向ける。
「鍋田君」
「え。 な、何?」
「助言を下さい。……自分の子供がリザードンに進化してしまって、それを子供であると認識できなかったエイリは、どうすると思いますか」
結局のところ。私は外浦さんに託されておきながら、有効なアイデアなんて一つも思い浮かばなかった。だからこうした。自分でなにも思いつかないなら、他人を頼る。恐らく、この場においてポケモンについて誰よりも上を行く鍋田悟に。
質問というにはほど遠く。ただ縋るような助言を求めることにした。
きっと、彼は私や吉佐美さんと違いディベートの勝ちに拘っていない。エイリのために、答えてくれるのではないかと、なんとも勝手な期待を持って。
「九重、アンタ何を」
「すいません。私は、鍋田君に頼んでいます」
口を挟もうとする吉佐美さんを無理やり遮る。
私の視線を一手に受けた鍋田君は、戸惑いながらも立ち上がる。
「えっと。よくわかんないけど。九重はつまり、エイリがリザードンを目の前にして何を考えて、何をしたか聞きたいんだよな」
「そうです」
鍋田君は私と同調するように頷いて、うんうんと考えだす。
「目の前にリザードンがいて、それが自分の子供だってわからないと仮定する。なら、リザードンが息子をさらったと思うかもな」
「……ああ」
確かに、その可能性はある。リザードンを自身の子供だと認識できないのなら、それは同時にエイリが自分の子供を行方を見失っていることを意味する。そこに見覚えのない巨体が現れたなら、そいつが犯人であると考えるのは論理的であるかはともかく自然ではある。
なら、これも可能性の一つとして採用。問題はそこから。
「それで、エイリはどんな行動をとると思いますか」
「立ち向かう。子供を返せって」
想像する。約二メートルの巨体に立ち向かうエイリの姿を。子供をどこにやったかと吠えるエイリ。そして、自らの母親に敵対の目で見られ戸惑うリザードン。
「そうしたら、リザードンがはねのけただけでも、エイリは怪我をしてしまうかもしれませんね。……死なない程度の傷を」
想像を重ねる。傷を負わせてしまったリザードンはどうなるだろうか。パニックになって立ち去るか? それとも食べ物でも取って来るとか、仲間を呼んでくるか。いや、今は考えなくていい。大事なのは、エイリの行動だ。
再度、鍋田君へ訊ねる。
「……傷を負ったエイリは、次にどうしますか。そんな、心身ともにボロボロな状態で」
「子供を探しに行くんじゃないのかな。例えそれが……」
鍋田君はそこで言葉を区切り、振り向いた。
視線の先には窓の方向。柿坂小中学校3階の窓からは曇天の空と、淀んだ色の太平洋が見える。
「それが、海の向こうでも」
あくまでも。あくまでも可能性として話だけど。
もし、そうだとしたら、それはあんまりな話ではないか。
あってほしくないと思いながらも。心に靄がかかるような、重苦しい感情が渦巻くのを止めることができない。
訪れた静寂を破ったのは、やはり吉佐美さんだった。
「待ちなさいよ! さっきから黙って聞いてれば、想像に想像を重ねて。こんなの、何の意味もない」
「私からしたらリザードンがエイリの子供であるということすら想像に過ぎません。もう既に、このディベートには想像によってしか成り立たない。意味なんて、今更でしょう」
「……それは」
「でも、それでいいんです。もう人間の話は散々しました。だから、後はもう想像するしかないんです。エイリの気持ちを、行動を、精一杯。想像して、その中で出た一番もっともらしい意見を正解とするしかない」
吉佐美さんが言葉を失った。今なら、言いたいことを最後まで言えるだろう。
私は続ける。
「『保護派』の結論はこうです。自分の子供がリザードンになってしまい、それを自分の子供であると認識できなくなってしまったエイリは、傷を負いながらも海を越えて柿坂にやって来た。エイリは、望んで柿坂にやって来た。彼女は子供と一緒に、故郷に帰りたいと思っているでしょう」
「だったら、島に返してあげるべきよ」
「でも、エイリは自分の子供を見つけることはできない。彼女の頭の中にいる子は、もうこの世にはいないからです」
「なら、どうするの。どうやってもエイリは幸せになんてならないじゃない」
幸いなことに、その質問に対する答えは思いついていた。
「教えてあげればいい」
「……教える?」
「そうです。あのリザードンが貴方の子供なんだよと、教えてあげればいい。それを、私がやります」
「……なにそれ。そんなことできるの?」
「それがトレーナー。ポケモンと人間の関係のあるべき姿です」
私が答えると、吉佐美さんは肩を震わせながら俯いた。先程も見た光景だった。怒りに耐えているときの癖のようなものなのだろうか。嵐の前の静けさのようで、怖い。
着席すべきか悩んで、しないことを選ぶ。まだ、吉佐美さんは納得していないように思えたから。
予想は当たって、吉佐美さんは勢いよく顔を上げる。
「私は認めない。ヒトカゲのことも、リザードのこともリザードンのことも大して知らないアンタを認めない。どんだけポケモンバトルが強いか知らないけど、そんなことをできるわけがない。これから勉強する? 今知らない人間をどう信頼すればいいってのよ」
……わからない意見ではない。だが、それはヒトカゲの飼育の件の繰り返しだ。議論を繰り返すのは、はっきり言って不毛でしかない。
次の瞬間。何と言うべきか躊躇した、その一瞬の間を縫って。私ではない人物が口を開いた。
「だったら、陽子が受け入れなよ」
その声は、隣から聞こえた。外浦さんだった。
「ごめん。九重さん、我慢できなかった。……陽子、もう一度言うね。そこまで言うんなら、陽子がエイリを受け入れればいい。持ってるでしょ、トレーナーレベル3。知ってるよ、陽子が受験してたの。どうせ受かってるんでしょ」
突然のことに驚いたが、それは私だけではなかった。
エイリを受け入れろと言われた当の吉佐美さんが、目を丸くしている。
「……夏海、何言ってるの?」
「もうわかってるでしょ。エイリを野生に返したって、誰も得しない。エイリは絶対に幸せにはならない。でも、野生に帰せば結末を知らないで済むし、エイリがどうなっても人間のせいじゃないということにできる」
「そんな分かったような口を……」
「わかるよ。ずっと見てきた。五年前に事故に遭ってから、自分が生きてるのが申し訳ないって顔の陽子を、私はずっと見てきたよ」
言葉を重ねるごとに、外浦さんの声に込められる感情が強まっていくのが分かった。
これは、止めないでいいのだろうか。私にとって、これは都合が悪い流れではないか? そう過って、口を噤む。これはきっと、止めてはいけない。
「ずっとわかってる。陽子は自分のせいでフレンが死んじゃったって思ってるし、そんなこと二度と起こしたくないんでしょ。……でも、あれは事故だよ」
「……そんな。そんなことは」
「エイリは、同じヒトカゲでもフレンの代わりじゃない。でも、エイリを通じて理解はできるはず。あの日のことはただの事故で、ただ運が悪かっただけと理解できる。そのチャンスが、今なんだよ」
「…………」
「ちょっといい?」
畳みかける外浦さんを止めたのは白浜君だった。そっと立ち上がり、興奮する外浦さんを落ち着けるように語りかける。
「水を差すようで悪いんだけど。夏美の話にはちょっと問題があると思う」
「どういうこと?」
「繰り返しみたいになるのは勘弁してほしい。仮に陽子がエイリを受け入れるとして……リザードンはどうする? 陽子が受け入れるのは無理だし、九重さんですら無理なんだよね」
「……あ」
……それは、私も考えていなかった。リザードンに教えるなんて言ったけど、そのリザードンがエイリの身近にいなければ何の意味もない。
勢いで語っていたから、その辺の細かいところを詰められると弱い。
「そういうことなら」
助けは、意外なところから飛んできた。
座るタイミングを失い、立ちっぱなしになっていた鍋田君だった。
「藤次。今、リザードンの所有権って藤次が持ってるんだよね。いつまで待てる?」
「お前、審査員に話しかけるなって散々……」
「今更でしょ。で、いつ?」
鍋田君が語りかけた相手は私や外浦さん、味方の白浜君でもなく、まさかの司会である爪木先生。しかし、内容を聞けば理由はわかった。
リザードンの所有権。つまり、リザードンの処遇を決められるのは直接捕まえた爪木先生である、と。少し考えればわかることかもしれないし、少なくともリザードンについて訊ねるべきではあったかもだが、立ち入って聞いていいのか悩んで訊かなかった。鍋田君が知っているのは、鍋田君の性格故躊躇わなかったか、それとも関係性によるものか。
……しかし、『いつまで待てる』?
ルールを無視する鍋田君に呆れるように溜息をつきながらも、爪木先生は口元に小さな笑みを浮かべながら言う。
「ま、お前が18歳になるまでかな」
「3年後か。じゃ、いけるかな」
3年後。おおよそ、私達が高校三年生の頃まで。
何の時期か。わからなかったが、答えは鍋田君がすぐに口にした。
「俺がリザードンを受け入れる。航大、これなら問題ないでしょ」
「うん、そうだな。確かに、それなら問題ない」
二人が頷きあう。
……いや、何を納得しているのだろうか。どういうことだ。
つまり、彼がトレーナーレベル4を取った上でリザードンを受け入れるということか。かなりの難関であるはずだが……そもそも、彼は3を持っているのだろうか。持っていなければ受験資格すらない筈。でも、それでもやるのか。エイリと、リザードンのために?
呆気にとられる私や外浦さんをよそに、鍋田君は吉佐美さんに訊ねる。
「陽子もそれでいい?」
「ちょ、ちょっと待って」
「ん? できないと思う? まあ、そう思うのは無理もないし。それならしょうがないけど……あ、そうだ。そもそもエイリを受け入れるなら陽子のお父さんに許可いるよな。吉佐美さん、どうですか? ……あ、大丈夫ですか。良かったな陽子」
どんどん話を進め、挙句の果てに審査員席にいる吉佐美センター長に話かける鍋田君。自由過ぎる。センター長は、頭の上で大きな丸を作って返答している。こっちもこっちで、大分自由だ。
勝手が過ぎたのか、吉佐美さんが鍋田君に詰め寄り、その頭を思いっきり叩いた。
「あ痛っ!」
「悟。どっちの味方よ。アンタ『野生派』でしょ」
確かに、今の鍋田君の発言は完全に『保護派』の意見に乗っかている。野生に返すどころか、受け入れる手はずを整えている始末だ。最早、ディベートの体裁すら保てていない。頭を叩くのは良くなくとも、吉佐美さんの突っ込みはもっともだ。
頭を擦りながら、怒られた当の鍋田君は本当に不思議そうな表情を浮かべる。
「いや、どっちって。勿論、エイリの味方だけど?」
吉佐美さんはぴたりと動きを止めた。
何も喋らなくなってしまった吉佐美さんの顔を覗き込み、どうしたと首を傾げる鍋田君。鬱陶しそうに再度鍋田君の頭をはたいて、吉佐美さんは小さな声で呟く。
「……それは、ずるいって」
笑っているようにも、泣いているようにも聞こえる声だった。
吉佐美さんはそっと席に戻り、座る。その様子を見て、私達は長いようで短かったディベートの終わりを悟った。全員が、吉佐美さんに倣って着席する。
少し間を置いて、爪木先生が「他に言いたいことがある奴はいるか」と私達に語り掛ける。しかし、返答はない。爪木先生は頷くと、自由討論の終わりを告げた。ディベートは残り、結論を残すのみとなる。
結論は最後に自分たちの意見をまとめて発表するという流れになるが、ここまで来ると、私の仕事はもうない。担当は火曜の時点で立論は私、結論は外浦さんと決めていた。
「立論は『野生派』からやったから、結論は『保護派』からかな。どうぞ」
爪木先生に促された外浦さんは立ち上がり、私達『保護派』の立論から受け入れ先は問題ないこと、エイリは野生に帰すべきではないことなどの意見をざっくりとまとめ、短く結論を終えて着席した。
続いて『野生派』の結論を白浜君が話始めると、こっそり外浦さんが話しかけてくる。
「ごめんね。さっきは急に」
「ああ、いえ。全然大丈夫ですよ」
「そっか。うん。色々、本当にありがとう」
短い内緒話が終わり、外浦さんは安心したようにほっと息を吐いて前を向いた。
……内心思う。
本音を言えば。これは、私が望んだ結末じゃない。
私は確かに勝ちたかった。間それは違いではない。ただ、正確に言えばエイリを手元に置きたかったのだ。ディベートの勝利は、その手段に過ぎない。
試合に勝って勝負に負けた、とでもいうべきだろうか。
……そんな複雑な思いはあるけども。
鍋田君の頬を引っ張る吉佐美さんを見て、こう思った。
きっと、彼女なら大丈夫だと。
白浜君の結論が終わると、直ぐに採択が始まった。審査員が一人ずつ黒板の前に行き、チョークで書かれた『保護派』か『野生派』の文字の下に、円を書くという方法らしい。
まずあかりさんが先陣を切って黒板の前へ立ち、チョークを手に取って、投票。吉佐美センター長が続き、最後に爪木先生が大きく丸を描く。
そして、『保護派』の下に、円が三つ並んだ。
3対0。
全会一致でヒトカゲ『エイリ』に対しての処遇は保護に決定した。