学校を出発してから10分程度。
狭い海岸線の先にある水環境研究センター、通称『水研』へとたどり着いた。
ガラス張り、波をモチーフとした流線型のデザイン。その近未来的な外観は山間にあって木々が多い夕日地区においては異物に見える。
車を降り、駐車場から研究所を眺めていると、なんだか急に落ち着かない気分になってくる。
早速研究所に入ろうとしている藤次を呼び止める。
「なあ、本当に入って大丈夫なわけ?」
「なんだ悟、緊張してるのか」
「いや、だってさあ」
研究所という類の施設に入るのは初めてだったけど、その厳重さに俺は恐れをなしていた。正門で入館の申請を確認、入り口で諸注意の確認。二重のチェックを受けて、やっと入館を許されたのだ。
そんなプロセスを経ると、本当に、無関係の中学生が入っても大丈夫なのか。そう思わざるを得ない。
たじろぐ俺を見て、藤次は呆れた様に肩をすくめた。
「お客様なんだから堂々としてろって」
「……気持ちはわからないでもないですけど、挙動不審です。もうちょっと大人しく」
「うぐ」
追い打ちとばかりに九重から鋭い指摘が入る。そんなこと言われても落ち着きようもないけど、そう言われてしまえば仕方ない。大人しくついていく。
通されたエントランスは、まるで水族館の様だった。水環境という施設名の通り、大小さまざまな水槽が置かれていて、その中には水タイプのポケモンが生活していた。入り口の自動ドアの横に備え付けられた施設案内を読んでみると、まるでではなく本当に昔この町にあった水族館の施設を流用しているらしい。
「すぐ迎えが来るけど、それまでなら見てきていいぞ」
エントランスの光景に圧倒されていると、受付を済ませた藤次がそういってきた。
そういうことならと、遠慮なくエントランスの端から水槽を順々に眺めていく。
砂浜のように細かい砂が敷き詰められた水槽にいるのは、大きなハサミを二つ持ったポケモン、クラブだ。白い砂には、ぼこぼこと穴がいくつも空いている。あれがクラブの巣だろう。
続いて、金魚鉢を模したような丸っこい水槽の中には、トサキントとアズマオウが悠々と泳いでいる。赤と白と黒。それぞれの体の模様の色合いが綺麗で、まるで水槽の模様のように見えた。
次に、エントランスの中央にどんと置かれた一際大きな水槽の前に立つ。脇にある説明用のパネルを読んでみると、どうやら伊豆半島に接する駿河湾の環境を模した水槽らしく、中にはランタンやハンテール、ヒトデマンなど深海で暮らしているようなポケモンが多くいた。箱そのものが大きいのでポケモンの種類、数も段違い。迫力も一番だ。
「……おぉ」
マスクのせいでいつも表情が分かりづらい九重も、目を輝かせながら水槽を見上げている。珍しいものを見たで突っ込みたい気もしたけど、睨まれて無視されるのがオチなので、放っておく。
気を取り直して、エントランスを回り水槽を見まわっていく。その中に、見慣れない生物が入った水槽を見つけ、足を止めた。
1メートルぐらいの大きさで、赤茶色の甲羅を背負っている。こいつは、ポケモンじゃない。
「この子はね、アカウミガメっていうんだよ。アカウミガメのルビーちゃんです」
「へー、ポケモン以外もいるんだ……ん?」
横を見ると、知らない女の人がしゃがみながら水槽を覗いていた。
「アカウミガメはね、柿坂の海岸に卵を産みに来るの。ポケモンだけじゃなく、この子達にみたいな海の生き物たちの生態を調べるのも私たちのお仕事なんだよ。まあ、ルビーちゃんは昔柿坂にあった水族館で飼育されていた子の子孫だから、柿坂の海岸で生まれたわけじゃないんだけどね」
「えー、あの?」
どなたでしょうか、と尋ねる間もなく矢継ぎ早に解説を畳みかけられる。
「おい相生、困ってるぞ」
そんな俺を見かねてか、いつの間にか後ろまで来ていた藤次が助け舟を出すように口を挟む。
呼ばれた女の人はハッとして、
「あ、ごめんごめん。いや、生き物のことになるとついつい語りたくなっちゃんだよね。……えー、私は相生あかり。ここの職員で、こいつの高校の同級生です。よろしくね!」
『あいおいあかり』と名乗った女性は、親指で藤次を指さしながら言う。にこやかな笑顔に、八重歯が覗いている。話の流れからこの人が今日案内をしてくれることはわかるが、よく見てみるとピアスをしていたり、メッシュが入っていたりと、とても研究員には見えない。おしゃれな服屋の店員さんとか、イメージとしてはそっちに近い。
それにしても、藤次の高校時代の同級生。そんな人がこの街にいたという事実に、少し驚く。全く知らなかった。
そうなの、と確かめる意図で藤次を見ると、小さく頷いた。
確か藤次は高校と大学は東京だったらしいので、東京の人なのだろうか。「あいおい」ってどういう字を書くんだろう。そんなことを考えていると、俺達が集まっていることに気がついた九重が寄ってきて丁寧に頭を下げて、挨拶をした。
「柿坂中学3年、九重雫です。本日はよろしくお願いします」
「えっと、鍋田悟……です」
九重に続いて、たどたどしく挨拶する。俺のはどう見たって不格好な挨拶だったけど、相生さんは気にした様子もなく俺たち二人を順に握手した。
「うん、よろしくね。二人とも、今日はわざわざありがとう」
「二人とも、別にそんな礼儀正しくする必要ないぞ。そいつここじゃ下っ端だから」
「うるさい。変なことを教えるな不良教師」
そういって、相生さんは横から割り込んできた藤次の脇腹に強烈な肘を入れた。
うわ、モロだ。
「相生ぃ……!」
……とりあえず、仲が良さそうなのはわかった。
「さて、自己紹介も終わったところで案内するね。こっちだよ」
悶絶してる藤次を無視して歩き出す相生さん。その後ろ姿と、うずくまって動かない男を交互に見る。放っておいていいのかと思ったけど、殴った本人がどうでも良さそうなので、まあいいのだろう。俺もちょっとすっきりしたし。
相生さんの後ろをついていくと、九重もまた俺の後ろを付いてきた。
エントランスを抜け、青い絨毯が敷き詰められた廊下を進んでいく。2階へ上る階段に差し掛かったところで、恐る恐ると言ったように九重が口を開いた。
「あの。相生さん」
「あかりでいいよ。あいおいって、呼びにくいでしょ。私も雫ちゃんって呼ぶから。悟君もね」
「わかりました。じゃあ、あかりさん。例の海岸に漂流したポケモンとは、いったいどんな子なんでしょうか」
どんな子。それはつまり、そのポケモンの種類は何なのか、ということだろう。
それはまさに俺も気になっていた。
しかし、その質問を受けた相生さん……いや、あかりさんは目を丸くしながらこっちを振り返る。
「あれ、爪木から聞いてない?」
「保護するか野生に返すかで揉めてる、とは聞きました」
「ついさっき、車の中で聞いたよ」
九重に続いて俺がそう付け足すと、あかりさんは呆れたといわんばかりに顔に手を当ててため息をついた。
「……ごめんね、訳も分からず呼び出しちゃって。爪木はちゃんと叱っとくから」
「いえ、はは、そんなこと」
普段人を悪く言わない九重でも愛想笑いをするしかないようだった。
俺はもはや、なんとも思わない。
「いやまあ、説明は関係者である私の方からすべきなのかもしれないけど。なんというか、心の準備をしておいて欲しかったんだよね。二人には」
そう言いながら、あかりさんは一つの部屋ので立ち止まる。
打ち付けられたネームプレートには『個別処置室』とあった。
心の準備というと。俺は、藤次から聞いた言葉を思い出す。
「怪我してるって聞いたけど、そんなに悪いの……ですか?」
俺が下手な敬語でそう尋ねると、あかりさんは重々しく頷いた。
成程、それは確かに心の準備がいるかもしれない。怪我の程度にもよるけど、血を見るのが苦手だという人もそう珍しくはないだろう。
「心の準備なんて必要ないって。怪我してるポケモンなら見慣れてるはずだ」
後ろから声がして振り返る。鳩尾をさすりながら追いついてきた藤次が追い付いてきていた。
足を見ると、若干震えてる。ダメージ残ってんじゃん。
「まあ、雫ちゃんならそうかもしれないけど」
「九重だけじゃない。悟だってそうだ」
「……そうなんだ」
藤次にそう言われて、あかりさんはちらりとこちらに視線を向ける。
少し悩んだ様子を見せて、意を決したように口を開く。
「二人とも、今から私が言うことをよく聞いてね」
そういいながら、あかりさんはドアノブに手をかけて。その向こうには、治療に使うのであろう器械と、大きなガラスの仕切りが見えた。
「今この部屋の中にいるのはケガをしていて、衰弱しています。加えて私たち職員や同じポケモン達に対して酷く怯えた様子を見せていて、こうして別室に移して治療を行っている状態です」
説明を続けながら、あかりさんは俺たちに入室を促した。
それに従い、部屋に入る。
「……え」
部屋に足を踏み入れた九重は、思わずといったように戸惑いの声を漏らす。
続いた俺も、部屋の中にいたポケモンを見て息を呑んだ。
「聞いているかもしれませんが、私たちには2つ選択肢があります。野生に返すか、それとも里親を探し託すか。どちらが彼女にとって幸せなのかを、君たちに考えてほしいと思っています」
あかりさんの口調が、砕けたものから丁寧な言葉遣いに変わった。ここは、とてもふざけていられない……そういう意図を感じた。
部屋の中は、大きなガラスの仕切りで2つに分けられていた。ガラスの向こう側。処置室ということなので、無菌室みたいなものだろうか。手術台のようなベッドに、一匹のポケモンが寝かされている。
そのポケモンは体をくの字に曲がらせて、うなされるみたいに体を震わせていた。
振り返った九重が、あかりさんの目を見据える。
「あかりさん。確認ですが……あの子は、海から漂流してきたんですよね?」
俺も、九重と全く同じ疑問を持った。海から漂流してきたポケモン……俺はそれを聞いて、水タイプのポケモンを想像していた。だって、海からやってきたのだから。
でも、ガラスの向こう側のポケモンは、水タイプではない。
オレンジ色の、体毛のない爬虫類に似た体。体長は50センチから60センチほどだろうか。それほど大きくはない。何より目を引くのは長い尻尾の先に宿る小さな炎。
怪我をしているというあかりさんの言葉通り、胴体に大きく包帯が巻かれている。
あかりさんは九重の質問には答えず、代わりに機械音声みたいに平坦な声で告げる。
「……とかげポケモン、ヒトカゲ。私達は、仮称として『エイリ』と呼んでいます」
2032年、中学3年生の春。
降りしきる雨の日に、あまりに不思議なポケモンと出会った。
海から来た、炎タイプのポケモン。
この出会い何をもたらすのか。今の時点では、何もわからない。