しばらくの間、私達は会話をするわけでもなく海で遊ぶポケモン達を眺めていた。
解散を切り出すわけもなく、ただぼんやりと。入り江にゆっくりと寄る波以外に時間を測るものがない空間の中で、私達は時間を潰した。
ふと思いついて、私は沈黙を破る。
「……そういえば、気になることがあります」
「どうした?」
「先ほどの話なんですが。50キロ以上離れた神津島から、怪我をしたヒトカゲが漂流してくるわけがない。……本当にその通りだと思います。でも、ディベートの要項には間違いなくそう書いてありました」
「まあ、そうだな」
鍋田君は頷いた。自分の記憶違いではないと一安心しつつ、続ける。
「何故ポケモンの専門家である水研の職員から指摘がなかったのでしょうか。ひょっとして、気づいてなかったとか」
私はポケモンに関して専門的な知識を修めたとはとても言えない。義務教育すら終えていないのだからそれは当然として。中学生が感づく程度の事実を、研究者たる彼らが思い当たらないなんてことがあるのだろうか。私はそれをずっと危惧していたが、ディベート中から現在に至るまで、一切の指摘はない。
「……その話か。絶対わかってたと思うよ。あかりさんも吉佐美所長も、全部承知の上でディベートを見てたはず」
鍋田君は、私の疑問をあっさりとそう断言する。彼の態度が妙に確信めいていたので、私は訊く。
「ひょっとして、何か知ってますか」
「知ってる、というか。これは完全に聞いた話なんだけど」
「……誰に?」
「航大」
言われて思い出す。そうだ、ディベートが終わった直後の話だ。
「……さっきの、トイレに連れ込まれた話?」
「そう。ディベートの後航大に話があるって連行された話はしたけど、そもそも……」
鍋田君は私の方を向き、指を三本立てて私に向けた。
「3つ。あのディベートには3つ不審な点がある。そういう話だった。1つ目は勿論、エイリが漂流してきたなんてありえないって話」
「……はい」
3つもあるのか、という疑問の前に。
何故白浜君はディベートに不審な点があると気づきながらそれを鍋田君にしか告げなかったのだろうか。何故気づけたのかという理由も含めて気になるが、それを鍋田君に訊いても仕方ないし、本筋には恐らく関係ない。今はひとまず、鍋田君の話を聞くことにする。
「で、2つ目なんだけど……吉佐美所長の部屋には、マグカップが2個しかなかった」
「は?」
「あ。違うわ。ごめん九重、今のなし」
「え?」
思わず、「は?」などと言ってしまった。
最初ではない、ということは後から関係してくるのか。吉佐美所長の、マグカップ。一体何の話か見当もつかない。
「まずそう、時系列。時系列の話だ」
「時系列、ですか。」
「九重の言った通り、エイリが最初に保護されたのは4月2日の金曜日。で、ディベートが行われたのが4月14日の水曜日。これって、変じゃないか」
「変、でしょうか」
「この間、かなり時間が空いてないか」
言われて、少し考える。
週末を2回挟んで、12日後。私達が初めて水研を訪れた日で考えても、10日が経過している。
確かにエイリの保護からディベートまでの間にはかなりの猶予があったと言っていい。
正直なところ、この事実は私の頭から抜けていた。……だがこれは果たして、本当に不審であると言えるだろうか。
「一理ありますが、それはエイリの体調が落ち着いてから私達に引き合わせた。そう考えれば、不自然じゃないのでは」
「なら、何でディベートの開催はあんなに急だったんだ? 告知の翌日だぞ。もっと準備期間をくれれば、って九重も思ったろ」
「それは……そうですね」
言われてみれば、それは不自然だ。
それに、受け入れ先さえ見つければエイリをモンスターボールに入れて治療ができる、と私達はディベートの中で主張した。ディベートの開始が早急だったのはエイリの治療の目途を立てるためだとしたら、ディベートの開始を遅らせるメリットなんて確かに見当たらない。
ディベートの告知が可能になったのが13日で、実施できる最速が14日だった。そう考えるのが自然。だとしたら、それは何故だ。
例えば外部の審査員、要は水研の相生あかりさんと吉佐美光太所長のスケジュールに都合がついた14日と16日しかなかった、とか。
いや、違う。2回目に水研を訪れたときは当日の朝になってから決まった話だったが、葵さんと吉佐美所長はその日も私達の対応してくれていた。その日しか予定が空いていなかったとは考えづらい。
考えていると、鍋田君から声が掛かる。
「で、今の話を踏まえて次話したいんだけど。いい?」
「……お願いします」
時系列の件は一考の余地ありとして思考を打ち切り、話の続きを聞くことにした。
「2つ目、じゃなくて3つ目の不審な点。陽子のお父さん、吉佐美所長の部屋には、マグカップが2個しかなかった。……今度は、間違いじゃないから」
「それは、私達が二度目に水研を訪れた時の話ですか?」
「うん、そう」
さっきは何の話だかさっぱりだったが、よくよく考えてみれば真意はわからずとも概要ぐらいならわかる。水研への二度目の訪問の際、鍋田君と白浜君の男子二人は吉佐美所長の話を聞きに別室へ移った。その別室こそが『吉佐美所長の部屋』ということ。言い方から察するに、応接室などではなく個人の研究室か何かだろうか。
「その時陽吉佐美所長のバリヤードにコーヒー淹れてもらったんだけど。俺達には青とオレンジの柄が同じで色違いのマグカップが出された。で、カップが足りないから吉佐美所長は飲まなかった」
バリヤードにコーヒーを淹れてもらったって、どういうことだろう。気になる……が、脱線するので置いておく。
バリヤードの件を除き、鍋田君の話を聞いている限りおかしなところはない。客人にカップでコーヒーを出し、自分の分は足りないから飲まなかった。
思ったことそのままに訊ねる。
「それが、不審な点?」
「最初航大に話を聞いた時は俺も思ったよ。実際、吉佐美所長と話した時は何も気にならなかったんだけど、その日の帰りの時から航大が妙に気にしてて。結局、こういうことらしい。……あの部屋には、吉佐美所長がお揃いのカップでコーヒーを飲むような相手が出入りしているんじゃないか」
そこまで言って、鍋田君は一旦言葉を区切り、首を横に振る。
「もっと率直に言うと。あの部屋には、陽子が頻繁に出入りしていたんじゃないのか。あの二つあったマグカップのどちらからは、陽子のために用意されていた……かもしれない」
「ありえない話ではないと思います。ちなみに、吉佐美さんにご兄弟は?」
「いない」
吉佐美さんの母親は5年前、例の事故で亡くなっている。吉佐美所長の詳しい交友関係はわからないが、彼の最も親しい間柄の人物として真っ先に挙げられるのは、当然娘である吉佐美陽子。彼女だ。兄弟がいないというのなら、尚更。
研究者である父の部屋に、娘が出入りしている。水研が中学生だろうと見学を許す程度には寛容な施設であることはよく知っているし、筋は通っているとは思う。
おかしい話ではない。でも、何もおかしくないからこそわからない。
「吉佐美さんが頻繁に水研に出入りしていたとして、それがディベートと関係のある話でしょうか。その事実があったとして、何か変わりますか」
「変わるというか、怪しくはなる。九重は不思議に思わなかったか? ヒトカゲの話なら普通、陽子に話が行くべきじゃないかって。ヒトカゲの知識も、一緒に暮らした経験もある。ヒトカゲの処遇を決めさせるなら、陽子以上の適任はいない」
「それは……」
考えた。ディベートの最中、吉佐美さんの口からヒトカゲの知識が飛び出すたびに頭に過った。だからこそ、最終的にエイリを吉佐美さんに任せるという結論で決着した。
水研の職員はポケモンの専門家で、吉佐美さんはその専門家ら直接知識を吸収している。私達がヒトカゲの処遇をどうこうするなんて確かに怪しいし、不自然だ。
そしてこの怪しくて不自然な話は、ディベートまでの感覚が空きすぎているという話を踏まえたものであるらしい。
鍋田君の説が……いや、正確には白浜君の説が正しいとするならば。
「つまり、私達が水研に呼び出されるより前に、吉佐美さんが『エイリを野生に帰すべきか、それとも人間と暮らすべきか』。それを問われていた、と?」
「いや、ちょっと違うな」
鍋田君は首を横に振る。
ちょっと違う。……ああ、そういうことか。
私は、表現を変えて言い直す。
「『野生に帰すべきか、エイリを吉佐美さんが受け入れるか』。そういう選択を迫られていた、と。……そして、吉佐美さんは悩んだ。最終的には、手持ちに加えない選択をした」
「多分ね」
「……一週間以上悩みぬいて。ディベートまで12日間、間隔が空いた」
「全部航大の受け売りだけどな」
4月16日、ディベートの最終盤。吉佐美さんが外浦さんにエイリを受け入れるよう迫られたあの流れは、吉佐美さんにとっては二度目だったと。
……なんだか、話の流れが読めてきた。
『吉佐美さんが私達より先にエイリと会っていた』。これを事実とすると、話の裏が見えてくる。
「吉佐美さんに、エイリを受け入れさせるために。水研は……いや、
「察しが良いな。多分、そういうことだと思う」
想像してみる。
もし、エイリが漂着して来たのではなく柿坂と伊豆諸島の神津島を繋ぐ定期船に乗ってやってきた。この事実が公になったらどうだろう。
野生に返すか、受け入れ先を探すか。そんな二択になるだろうか。
……多分、ならない。あくまで勝手な想像だが、『定期船を運用する船舶会社が責任をもって神津島に帰す』という話になるはず。
捕まえる気もないのに元の生息地から別の場所に運んでしまうのは問題だ。というより、故意であれば犯罪になる。
吉佐美所長は、当然それを理解していた。
だから、漂着と。『偶然、柿坂にたどり着いた』ということにした。エイリを吉佐美さんに受け入れさせるため。彼女のトラウマを上書きするために。
事実そうなった。何処まで狙い通りかはわからないが。
振り返ってみれば、気づけるポイントはあった。例えば、二度目に水研に訪れた際。私と外浦さんはあかりさんに、こんな話を聞いた。
――二人の前でこんなことを言うのは何だけどさ。私はエイリを野生に帰した方が良いと思ってるんだよね。ま、絶対でもないし、あくまでも一意見としてね。
その理由はともかくとして、水研の職員でありディベートの審査員でもあった相生あかりさんはエイリに関しては『野生派』だった。
審査員が3人いて。そのうち一人が『野生派』なら。
水研の職員の間で意見が割れていて、あかりさんが『野生派』なら。
吉佐美所長は『保護派』だと考えるのが自然だ。正確には、『吉佐美陽子が保護するべき』という意見を持っていると。
「……成程」
私は、重たい重たい息を吐く。
つまり、私が何をしなくとも。エイリを助けるために大人たちは動いていたと。
なら私がしたことは何だったのか。エイリがあるべき場所に収まることを邪魔しただけじゃないのか。
……余計なお世話だったのか。
「余計なことじゃないよ。九重」
「え?」
「何かそんなこと思ってそうだと思って。違う?」
エスパータイプか。
驚いて何も言えない私を見て、鍋田君は笑う。
「九重があの日ディベートで勝たなかったらエイリは野生に返された。『野生派』の俺が言うのもなんだけどさ、エイリと陽子にとっていい結果になったのは九重のおかげだ。だから、気にすんなよ。色々と」
励ましてくれているのは、とてもよくわかる。それをありがたくも思う。しかし、今素直に受け取ることは難しい。
「……結果的にそうなっただけ。私は何も気づかないで、ただ事実を隠そうとしてただけ。勝てたのは外浦さんと入田君。そして、鍋田君が助言をくれたおかげです」
「そうかなあ」
「そうですよ。私ももっと、白浜君のように色々気づけていたらもっとうまく事を片付けられたのに」
言うべきでない言葉が口から零れ落ちる。胸にあふれる、もやもやした感情を制御できない。
それは多分、腑に落ちないことが多すぎるから。白浜君のことだってそうだ。漂着してきたことの違和感に気づくのはともかく、ディベートの時系列だの出されたコーヒーのマグカップから違和感を気付けるのは理解しがたい。ディベート中にそれを指摘しなかったのもそうだし、鍋田君にしかそれを告げなかった理由だってわからない。
彼は何故気づけた。
彼は一体、何がしたかったのか。
「まあ、それは仕方ないよ。だって航大は、藤次のこと信用してないから」
「え?」
しまったという表情で目を逸らす鍋田君。
「ごめん、忘れてくれ。俺が言うことじゃない」
本人が言うのなら無理に追及はできないが、全部は無視はできない。
「その。白浜君が爪木先生を信用していない、というのは聞かなかったことにします」
「……ありがと」
「でも、代わりに教えてください。爪木先生を信用しないことでディベートの不審な点を見抜けるものですか」
「いや。なんというかな。もしかしたらだけど、藤次は全部知ってたのかもしれない」
「……それは水研に協力を求められ手田から事情を知っていたということではなく?」
「それだけじゃなくて、全部。片桐さんがエイリに怪我を負わされたことまで含めて、全部」
「え」
エイリが定期船に紛れて柿坂まで来たことも、葵さんの怪我の事も、全部?
そんなこと、ありえるのか。漂着したのではないことに気づくのは不思議じゃない。では、葵さんの怪我はどうだろう。
少し考えてから、私は思いっきり首を横に振る。
「いやいや、あり得ないと思います。だって、そんなの知りようがない。あの二人が直接やり取りしたことすらほとんどないはずです」
「機会はあっただろ。九重、片桐さんに車で送迎してもらってたけど、怪我してからはバス通学になってたじゃん。通学方法を切り替えるなら、保護者としては教師に連絡ぐらいはするんじゃない?」
「……あー」
確かに、それなら連絡を取る可能性はある。怪我のことを知る理由にも。……いや、それだけだと不十分だ。
「でも、私にはワニノコに噛まれたって嘘をつきました」
「俺と夏海も言われた」
「ですよね。それはエイリを守るための嘘だと思いますが……それだと爪木先生にだけ本当の怪我の理由を話したことになりませんか」
「その嘘自体が、藤次の入れ知恵だとしたら?」
「……どういうことですか?」
「例えばだけど、片桐さんが『怪我して運転できないから九重雫にはバス通学をさせます』と連絡する。で、藤次に理由を訊かれて『道端で迷子のヒトカゲに噛まれたから』と答える。そしたら水研からエイリと陽子の事情を聞いていたはずの藤次はおおよその事情を察すると思う。エイリが人に怪我をさせた。そのことは、絶対に隠さなきゃいけないと考えるはずだ。だから、片桐さんに指示したんじゃないか。ヒトカゲに噛まれたことは言うな、嘘を付けって」
『自分の手持ちのポケモンであるノコちゃんに、噛まれことにしろ』と。
確かに、葵さんが怪我をした日。即ちエイリが柿坂にやって来た4月2日、私は柿坂にいなかった。帰って来たのも、葵さんが怪我した事実を知ったのも週明けの水曜日。翌日以降バス通学で通って欲しいと告げられたことも、準備良く定期券が用意されていたことも、その時には疑問に思わなかった。
葵さんは嘘が得意なタイプじゃない。頑固で、真面目な人だ。嘘をついたという事実より、他人が考えた嘘を喋っていたという方が私にとってはしっくりくる。
「それにさ。最初に俺と九重だけが水研に連れて行かれたのだって今考えるとおかしいよな。審査員二人のスケジュールが抑えられていたということは、ディベートの開催はとっくに決まってたはずなんだよ。クラス全員を巻き込んだディベートは絶対にやるつもりだった。じゃあ、何で俺たち二人だけを選んで水研に連れてったのは何故かって話になる」
「……私とエイリは。決して無関係じゃなかったから?」
「そう考えれば自然じゃないかな。……俺まで行く必要があったかはわからないけど」
鍋田君を連れて行く理由は、今となっては明白すぎるぐらいだが。爪木先生の言った通りだ。『役に立つから』。
本人からすると、自分の能力にあまり実感が湧かないのだろうか。
……まあ。それはいい。私にもまだわからないことがある。
「爪木先生が、そこまでする必要はあったのでしょうか」
「そこまでって……どこまで?」
「ディベートを実施したことです。鍋田君が今言ったようにクラス全員を巻き込んだディベートをやる意味はあったのでしょうか。爪木先生が葵さんの怪我のことまで含めて事情を把握していたとして。水研から吉佐美さんにエイリを受け入れるよう協力してくれと頼まれたのだとしても。最悪、吉佐美さんと私と鍋田君とで話し合いの場を設ける……そのぐらいで済むんじゃないですか」
審査員を用意するのは、水研から協力を求められて、その流れで決まったこととして。でも、外浦さんや入田君まで巻き込んだ理由はなんだろうか。
じっくりとためながら、鍋田君が口を開く。
「……教師だから」
「教師だと、そうなるんですか?」
「九重さ。最近陽子とちょっと話すようになったよな。陽子とも前より仲いい気がする」
「? そうですね。確かに、ディベート以降は……」
口が止まる。まさか。
鍋田君が、私に代わって言う。
「ディベートが終わってから、クラスの雰囲気が良くなった。担任教師としてはかなり都合が良い。良すぎるぐらい」
「
「可能性としてはね。藤次は、ディベートの裏で色々動いてた。一番はあのリザードンの所有権を得るために御殿場の自衛隊基地まで直行してたこと」
「……爪木先生、そんなことまでしてたんですか?」
「あ、そっか。ごめん、そこまでは知らなかったか。……まあそうなんだよ。リザードンがやって来たことは流石に偶然だと思うけど。でもリザードンのことで陽子が受け入れる作戦が破綻する可能性はあった。だから保険として所有権を最速で取りに行ってたのかもなって」
「実際、それが功を奏してディベートは丸く収まった」
「狙ったかどうかは怪しいけど……あとはそう、目撃者を増やしたかったんじゃない?」
「……ああ、成程」
つい数十分前のこと、私は思った。『証拠もなしに、議論の末に決まったことを証拠もなしに否定することはできない』と。
エイリの身の安全を保障するためには、議論があったという証明が必要だった。それは記録の上でもそうだし、証人もいる。そのために審査員を立て、観客として下級生まで呼びつけ、クラスメイト全員を巻き込んでディベートを行った。
そんなこと、考えもしなかった。
エイリを守ること。
吉佐美さんのトラウマを乗り越えさせること。
クラス内の関係性を改善させること。
それらすべてを解決する。爪木先生が、そこまで計画していたなんて。
私がそこまで考えたところで、立ったままだった鍋田君が急にその場に座り込んだ。
「ま。考えすぎかもな」
「へ」
「なんかもっともらしいこと言ったけどさ。そもそも片桐さんが藤次に連絡をしたなんて限らないし、ディベートでより険悪になる可能性だってあった。ディベートなんて、なんかいい機会だしやってみようなんて思いつきだったのかも。結局、藤次が色々考えてたと断言できる証拠は一切ない。全部想像だよ」
「いや、でも……」
「ディベートと同じ。想像しようとばいくらでもできるし、理屈をつけようと思えばいくらでもつけられる、複雑に考えたっていいことないよ」
「……そう、なんですかね」
「ま、そうスッキリとはいかないか」
そうだけど、そうじゃない。
疑問はある程度解消された。心配事は無くなって、胸にざわめく何かは消えつつある。
でも。最後にもう一つ。
「あの。何で、今日来てくれたんですか」
「え? 何を今更」
「今更ですけど……でも、鍋田君がわざわざ今日来る理由も、メリットもみつからなくて」
今日でゴールデンウィークが終わる。貴重な休日に時間を割いて、何故私に話をしにきたのか。
さらに言えば、ディベートの裏に気づいたところで、私にそれを教えてやる義務も義理もないのだ。嘘をつきしらばっくれた私を責めず、私の質問に嫌な顔一つせず答えた。
それだけじゃない。彼は自分の洞察力をあまりいいものではないと思っている。
何かを見抜くことで、人の気分を害してしまうのではないかと、とても気にしている。
でも、彼は今日あの別荘跡のインターフォンを押した。
彼は、何故そんなことをしてくれるのか。
エイリの真実より。吉佐美さんの事情より。爪木先生の企みよりも。
今は、鍋田君の心が知りたい。
鍋田君が私の方を一回見て、それから恥ずかしそうに視線を外して口を開く。
「メリットとか、理由があって来たわけじゃない。九重さ。今日のことを誰かに話すつもりはあった?」
「……いや、ないです」
「だよな。墓場まで持ってくつもりだっただろ? ……それは、苦しいだろうなって」
「……心配して来てくれたってことですか」
「まあ、そうだな。あくまで俺の意見だけど、人の悩みとか問題は大体時間が解決してくれる」
「怪我が治るみたいに?」
「そう。怪我が治るみたいに。……でも、罪悪感だけはそうもいかない。誰かに話さないとどうにもならないって思う」
事実。私は今肩の荷が下りたような気分だった。
今日のように寝つきが悪くて、昼過ぎに起きてしまうことも無くなる思う。
……でも。
「だとしても、私が罪悪感を感じる性格とは限りませんよ」
そんなの、鍋田くんにはわかりっこない。
何故なら、私が分かってもらう努力をしていないから。
そのはずなのに、鍋田君ははっきりと首を横に振る。
「限るよ」
「……断言するんですね」
「そのくらい、見ればわかる」
見れば、わかる。
そう語る彼の横顔を見る。その視線は相変わらず海で遊ぶポケモン達に向けられている。
私達は今、同じ海を、同じ景色を見ているはずだ。でも、私から見るこの世界と彼の世界は同じものだろうか。
もう、彼のことを怖いとは思えない。
ただ目の前に広がる海のように、自然なだけのものに思える。
鍋田君が立ち上がる。視線は、海へ向けたまま。
「九重、忘れないでくれ。あの教室に、九重の敵はいないからな」
「……はい」
返事をするが、胸の奥底から込み上げてくるものを堪えきれなくて、声はが掠れる。
様子がおかしいと感じ取った鍋田君が、呼びかけてくる。
「九重?」
「……ごめんなさい」
「謝らなくていいよ」
「……はい」
脳裏に、ディベート直後の放課後、私の前に現れた吉佐美さんが浮かんだ。
そうだ。謝るのはおかしい。
彼は、別に謝罪を求めてわざわざ自転車を走らせてきたわけではない。
「鍋田君」
「なに」
「……ありがとう」
「別に、礼もいらないけどな」
笑いながら言う鍋田君に釣られ、私も笑う。
顔を伏せた。マスクの上からでも、とても見せられない顔だから。
笑いながら泣くのは、生まれて初めてのことだった。
****
それから、私の目が乾くよりも早く鍋田君は帰路に着いた。
彼の駆るママチャリは、見たことのないレベルの速度だった。
かろうじて、「また明日」とは言えた。「また明日」と、オウム返しが聞こえた気がする。
言葉で礼を済ませるぐらいなら、せめて家に上げてお茶ぐらいは出すべきだとは思ったが、あそこで呼び止められる関係は私たちの間にはない。
だから、私の中で大きな借りが一つできた。それだけ、覚えておくことにした。
家の中に入ると葵さんが昼食を用意してくれていた。いつの間にか時刻は正午をとうに回っていた。今日のメニューはアスパラとベーコンのパスタと、そら豆のサラダ。
トレーを受け取るとき、葵さんはにやにやと笑っていた。 面白いものを見つけた、そんな表情だった。
リビングからは家の前の海岸は丸見えだ。私と鍋田君のやり取りは聞こえずとも、様子は少なからず見ていた可能性は高い。
どんな様子を、見られていたか。
鍋田君に詰め寄ったり。並んで海辺を見たり。泣いたり。
……何か、勘違いをしている気がする。
苦笑いで誤魔化してから部屋に戻り、バターの香るパスタを啜りながらどうしたものかと考える。
変な勘違いは早急に正しておきたい。
ただ、葵さんは案外人の話を聞いてくれない。怪我をしていた時も、私がいくら言っても一向に仕事を休んでくれなかった。改めてちゃんと話をしても、照れているだけなどと思われかねない。
ふう、とため息をついて一旦フォークを置くと、窓の外に一匹のポケモンがいることに気がつく。ポッポだ。
ただ驚きはない。ここのところ、私が食事をしていると毎度と言っていいほどやって来るからだ。
私の食事を分けたことなんて一度たりともないのに、彼は一体何を期待しているのだろうか。
「まあ、いいか」
こつんこつんと嘴で窓を叩くポッポを見ていると、なんだか急に気が抜けた。どうしようとか、悩んでいるのが馬鹿らしくなった。
だってそうだ。人の悩みなんてものは、大抵時間が解決してくれるらしい。
なんだかんだいって、私はまだ子供で。それがよくわかってないだけなのだ。
こんなことで悩むなんて、馬鹿馬鹿しいことこの上ない。
「……そうだよね、鍋田君」
手を軽く握り、窓を内側から叩く。するとポッポは驚いて、どこかに飛んでいく。
窓を開けると、生暖かい風が顔に触れた。
海に降り注ぐ日差しも穏やかで温かい。
砂浜に視線を向けると、アリア達のつけた足跡が、時間と共にゆっくりと波に消えていくところだった。
2032年5月5日、こどもの日。
伊豆の南端、柿坂市。今日の天気は晴れ。
波は静かで、キャモメがどこかで鳴いている。