Pokémon Serreal   作:桃野

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3.伊豆の海-①(九重雫)

 鳴き声が聞こえる。この甲高い鳴き声は鳥ポケモンだろうなと、まだ寝起きの頭で考えた。

 伊豆に生息しているのならキャモメか、それともポッポか。

 ベッドに腰かけたままカーテンを開けると陽射しとともにつがいの鳥ポケモンが連れ立って飛び立つのが見えた。

 茶色と白の躰に、立派なたてがみ。

 ポッポだ、と呟きつつ窓を開ける。すると、港町特有の潮風が顔に吹き付けた。

 窓の向こうには海が見える。カーテンを開けば青がある光景は心地いい。

 4月の程よい暖かさと、時折混じる風の冷たさ。まるで、未だ夢を見ているかのように思える。

 

「……準備しなきゃ」

 

 このまま日光浴をしたい誘惑を断ち切って窓を閉める。今日は平日、普通に学校だ。

 ベッドから降りて、洗面台に向かう。

 私が自室として使っているこの部屋には洗面台が備え付けられていて、部屋から出ずに身支度を整えられる。

 まず顔を洗い、まとまりのない髪をスプレーとヘアアイロンで整えて。

 それから、歯を磨く。歯を……。

 

「…………」

 

 私はする必要もないのに口を大きく開けた。

 夢心地の自分を咎めるかのように。果たして、この行為に意味があるのか。

 鏡に映る自分を見て、完全に目が覚める。今日も私は、九重雫だ。私は今日も生きている。

 

 着替えまで済ませて部屋を出る。私以外誰もいない2階はとても静かだ。

 この家はかつて観光地だった柿坂でペンションとして使われていた。その建物を父が買い取り、若干のリフォームを行って住居として利用している。別荘、という呼称が一番正しいだろうか。

 私が個室として使っている部屋は元々客室の一つ。部屋に洗面台があるのも、その名残だ。2階には同じような部屋があと3つほどと、あとはトイレだけ。1階にはロビー代わりのLDK、普段沸かすことは滅多にないが大浴場、さらには唯一の同居人が住まう元管理人室がある。

 

 ペンションとして使うにはそれほど大きくはないが、二人きりで暮らすには広すぎる。しかし、だからこそ居心地がいい。

 

 階段を下りて一階のリビングに向かう。その途中で、キッチンからトーストの焼ける良い匂いが漂ってきた。普通なら喜ぶとこでも、最近はこの匂いを嗅ぐ度にまたか、と嘆きたくなる。

 

「葵さん」

「あ、雫ちゃん。おはよう」

「……おはようございます」

 

 キッチンでは唯一の同居人こと、家政婦として住み込みで働いてくれている片桐葵さんが朝食の準備を行っていた。

 コンロの様子を窺うと、ほぼ朝食は出来上がっているらしかった。

 壁時計に目をやると、時刻は6時半。私が寝坊したわけでもない。葵さんは、果たして何時に起きているのだろうか。髪を後ろに結い、簡単に化粧をしてすらいる。

 年齢は30代後半ぐらいだったと聞いているが、あまりそうは見えないほど若々しく見える。

 だから、元気であることは疑いようのない。そうだとしても……。

 

「葵さん、無理に仕事はしなくていいっていってるじゃないですか」

 

 私にそう言われて、葵さんは作業の手を止めて気まずそうに苦笑いをした。

 

「無理なんかしてないわ。できることやってるだけよ」

「だからってですね」

 

 彼女の利き手、右手を見た。そこには包帯が巻かれている。

 より具体的には肘から手首にかけて、つまり前腕にガーゼ、包帯、ネットを使って丁寧に治療されている。

 8針を縫う切傷、全治1か月。

 怪我の原因は葵さんの手持ちであるワニノコの『ノコちゃん』に餌と勘違いされて噛まれてしまったこと。私はその時柿坂にいなかったので、帰宅したときには巻かれた包帯に驚かされた。

 生活に支障が出る程度には重傷で、私個人としてはせめて包帯が取れるまでは家政婦としての仕事を休んでほしかったのだが、葵さんは頑なに休まないと言い張り、実際一週間ほど彼女はその業務のほとんどを変わりなくこなしている。こなしてしまっているとも言える。

 

「洗濯機は乾燥付きだし、お料理は包丁使わなければ何とでもなるの」

 

 葵さんにとって契約上のオーナーは私ではなく父だ。私は彼女にお願いできる権利はあれど強制力などなく、彼女がやれると言われれば強くは言えない。できることといえば、家事を手伝って負担を減らすことぐらいだろう。

 

「それでも、後片付けとか掃除は私がします」

「じゃあ、水周りだけお願いしてもいい?包帯が濡れるのだけはちょっとね」

「では、それで」

 

 家事のプロとして素人のやり方でやられるのが嫌なのかもしれない。もしくは、プロとして客に仕事を手伝われるのが立場的にまずいのか。

 理由は置いといて、とにかく葵さんは私が手伝うことにも消極的だ。

 今日はまあ、後片付けを私がやるということを引き出せただけでも良しとしよう。

 

「はい雫ちゃん、できました」

「ありがとうございます」

 

 プレートの上に載ったホットサンドとサラダ、あとはマグカップに入ったインスタントのスープ。

  受け取りつつお礼を言って、リビングから出て自室に戻った。

 

 小さなテーブルに朝食を乗せ、椅子に腰かける。直線上には窓があり、その向こうには太平洋が広がっている。雲もない今日は、海の青がよく映えている。ふと、昨日訪れた水環境研究センター、通称『水研』のエントランスで見た巨大な水槽を思い出す。あれは半島の向こう側、駿河湾の深海を模した水槽だったが、今私が見ている太平洋という大きな水槽にも多くのポケモンたちが豊かな生態系を築いていることだろう。その様子を想像すると、気分が水に浮いているように軽やかになる。

 窓の向こうを眺めながら、チーズとハムが挟み込まれたホットサンドを齧る。溶けたチーズがよく焼けたトーストとよく合っていた。

 

「おいしい」

 

 食事の感想はすぐ言葉にするに限る、というのが我が家の家訓だった。舌は味を覚えるが、時間とともに薄れていくものだから。

 それでも、私が誰かと一緒に食事を摂ることはない。食事姿を晒すことは、私にとって寝顔を晒すぐらいに恐ろしいことだ。

 

 スープを一口飲んでスプーンを置くと、窓の外に小さな影が降り立つのが見えた。

 ポッポだ。さっき大きく鳴いていた個体と同じかもしれない。空腹なのか、あと一口ほど残っているホットサンドを物欲しそうに見つめている。

 

「…………」

 

 ふと思う。私が今この姿を見せられるのは、それこそポケモンぐらいだろうな、と。

 まあ、これはあげないが。

 口に最後の一口を放り込むと、ポッポは心なしかショックを受けているみたいだった。

 

 朝食を終えて、もう一度歯を磨く。それで、学校へ行く身支度は済んだ。

 バスの時間にもちょうどいい時間になったので、そろそろ学校に向かうことにした。

 玄関で靴に履き替えていると、後ろからぱたぱたと足音を鳴らしながら葵さんが見送りに来てくれた。

 

「ごめんね、私のせいでバス通学になっちゃって。不便でしょう」

「……いえ」

 

 普段……というより、新学期に入り中学3年になるまでは、私は葵さんに車で送り迎えをしてもらっていた。勿論、学校の許可を得た上で。

 ただ、新学期に入ってから直ぐに葵さんが利き腕を怪我してしまったから、当然運転はできない。そういう経緯で現在、私はバス通学をしている。

 ……まだ4日目だけれども。

 

「本当は、いつもこうするべきなんですよ。小学生ならともかく、バス通学くらい普通です」

「送り迎えも仕事の内だもん、気にするわよ」

 

 もっとシビアな話をするなら給料の内なんだから、ということ。確かに、それは気が引けるかもしれない。葵さんみたいな人ならば尚更だ。

 いつもは大らかな人なのに、変なところで頑固というか真面目だと思う。

 

「じゃあ、行ってきます……朝食、おいしかったです」

 

 私が玄関を開けながらそう言うと、葵さんが嬉しそうに笑ったのがわかった。

 行ってらっしゃいという声を背に玄関を出て、少し進んだところでふと後ろを振り返ると葵さんが小さく手を振っていた。もちろん、怪我をしていないほうの手で。

 

「……」

 

 手を振り返して、改めてバス停に向かう。

 今日は、いい天気だ。

 

 ***

 

 私が住む別荘は月日地区の海岸線にある入り江の淵に建てられている。玄関を開けると数メートル前先には小さな砂浜があり、休日であればそこに降りてポケモンたちを遊ばせたりもする。今は当然、そんな時間はない。

 ペンションの前は住居の塀と、砂浜への落下防止のために作られた柵に挟まれ、路地のようになっている。そんなごくごく狭い道を1分ほど歩くと、車一台程度なら通れそうな公道へと合流する。昨日、爪木先生の車で水研へと向かう際にも通った道だ。ここから西に真っ直ぐ行けば、程なくして水研にたどり着く。水研は、実のところ私の家からそう遠くない。昨日だって、帰りは先生に断って徒歩で帰った位の距離だ。

 海へ背を向けて、緩やかな勾配になっている道を5分ほど進む。するとその先は住宅街、さらにはかつて商店街があったのだろう、賽の目状に区切られた区域へと出る。

 錆びたシャッター。くすんだ外壁、光らないネオン。人影はない。

 程なくして、バス停にたどり着く。

 目抜き通りの端。オレンジ色と黄色のペンキで塗られたバス停は、寂れた雰囲気の中でぽつんと浮き出たように真新しい。路線統合の関係でおよそ数年前に設置されたからだ。

 待つこと3分。

 バス停と同じ、オレンジと黄色のバスは時間通りにやってきた。乗り遅れたことはないが、万が一があれば遅刻は免れないから毎度少し心臓に悪い。

 初老の運転手に会釈して、定期券で支払いを済ませて右側、後ろから2番目の席を陣取る。私以外に乗客はいないから、早くも定位置にしている。

 本数は少ないし、乗客も少ない。恐らく、単純な運賃だけで採算は取れてはいないだろう。

 私の着席を待って、バスはゆっくりと出発する。大きな車体は夕日地区を抜けると柿坂市の中心部、柿坂地区に入っていく。右には柿坂港が、左には人気のない住宅街が見える。

 柿坂はかつて、観光で成り立つ街だったと聞く。

 教科書に載る歴史と、透明度の高い美しい海を併せ持ち、シーズンになれば海水浴を目的とした観光客でにぎわった、らしい。少なくとも2032年の今、そんな面影はない。

 

 『伊豆地域海洋環境総合特区』。通称『伊豆特区』。

 ここ柿坂市から伊豆諸島全域は、国によってそう指定されている。

 『ポケットモンスターの出現による急激な社会の変化に対応するため、自国の国際競争力の持続的強化を図ることを目的とした施策。静岡県・柿坂市周辺地域、および東京都・伊豆諸島全域の自治体が実施する包括的な取り組みに対し柔軟に支援いたします』。

 

 というのが、概要。ざっくりといえば、世界的に見ても珍しいポケモンの生態系がある伊豆近辺の自然環境を守るための制度。税率の低減、補助金といったお金の支援がこの制度の最大のメリットだ。この地域での研究・活動には予算が出るし、掛かる費用も最小限で済む。

 だからこの街には研究所や企業が集まる。縦に長い伊豆半島の南部に位置する柿坂へ都市部から出勤するのは難しいので、当然そこに努める人々は柿坂に転入してくることとなり、結果的に今の柿坂の人口の半分ほどが研究職、または研究施設に勤める人々と、その家族で占められている。

 

 だがこの制度には単純なメリットとは言えないもう一つの側面がある。

 伊豆特区の説明には、以下のような一文がある。

『生態系の保護のため、該当地域のへの入場に関して一部規制・制限を規定』。

 そのままの意味で、伊豆半島周辺の生態系が崩れないように伊豆半島へは簡単に入れないようにしますよ、ということ。沼津、三島、熱海にそれぞれ『関所』と呼ばれる入場審査局が設置され柿坂に住む私たちも身分証なしには通り抜けることはできず、食品工場にあるような機械をくぐって汚れを落とさないといけない。

 

 当然住むにもハードルは高い。市に認可をもらった企業の関係者か柿坂氏の住民と親戚でもない限りは転入するのは難しい。

 反面、出ていくのはそう難しくない。伊豆特区には柿坂から転出をすると補助金が出る、という規約がある。引っ越し資金だけではなく、なんと希望者には転居先に仕事の斡旋までしてもらえるという。

 この町に最新鋭の研究所がいくつかできたとしても、かつてこの町で観光業に携わっていた人達全てに仕事を与えることはできない。だから、お金を渡して出て行ってもらおうという思惑が伊豆特区という制度にはある。

 この制度により、観光で栄えたかつての柿坂は間違いなく死んだ。人口は一万を割った。研究者とその関係者が半分を占めるとは、研究都市としての発展を現すものだけではない。

 環境保全という名目で来るものを拒み、そして去るものを追わない。

 極端な都市集中社会は今に始まった話でもない。土地そのものに価値があり、その有り様を変えても選択の余地があるだけ全国の、いや世界中の街よりも幸運とも言える。それどころか、経済的にはむしろ豊かになったといえる。

 かつてのリゾートホテルは研究者とその家族の社宅として再利用され、柿坂で生まれそして去っていった人々が住んでいた家屋は更地にされるか、今も空き家のまま。

 柿坂の現状が、良いか悪いかというのは人による。

 時代の流れによって合理的に整備されているだけ、と言われればその通りだ。

 私はそのことに対して何も言わない。

 何故なら私にとってここ柿坂市は、余りに都合のいい街だから。

 

 思考をめぐらされているうちに、バスは海浜公園に面する県道に差し掛かる。

 道の途中。道路沿いにある廃ホテルが役割もなく、ただじっと佇んでいた。

 

***

 

 静岡県立柿坂小中学校は山の側面を削り取ったような段丘にあって、最寄りのバス停からは少し距離がある。速足なら3分、のんびり行けば5分程。ほんの少しの勾配があるが、大した道のりではない。

 ただこれからの夏の時期、柿坂がどれほど暑いか私は知らない。僅か五分の道のりが、耐え難いことになり得るかもしれない。それを考えると日傘でも買ったほうのがいいのだろうか。そもそも学校に日傘って持ち込み可なのかを考えていたところで、道の脇の民家から誰かが出てきた。その人物と、およそ二メートルの距離でばったりと目が合う。

 

「あ」

「ん?」

 

 驚きが思わず声に出てしまう。

 鍋田悟。僅か5名しかいないクラスメイトの一人で、あまり顔を合わせたくない人物がそこにいた。

 痩せ気味で、背丈は160㎝の私より少し低いぐらい。学校指定の学ランに白のスニーカー。至って普通の格好なのに、腰まで伸びた長髪が異様に目を引く。私もそれなりに伸ばしているが、それでも鎖骨ぐらいなので彼の髪はとにかく長い。

 何故伸ばしているか、私は知らない。訊いたことがないから。人の見た目にとやかく言われたくなければ、他人にもしないのが鉄則である

 そっと彼が出てきた民家の表札を確認すると、確かに筆書体で『鍋田』とある。バス通学を始めてからほんの数日とはいえ、気がつかなった自分の迂闊さを恨む。気づいていれば、降りるバス停を一つ早めるとか、鉢合わせしない工夫ができたはずなのに。

 目が合ってから数秒。こんな出会い頭に無視するのも変だと思って、取り敢えず挨拶をすることにした。

 

「……おはようございます」

「よう九重、お前車通学じゃなかったか」

 

 私の動揺は伝わっていないようで、いたって普通に返してくる。

 

「普段送迎してくれる家政婦さんが怪我をしてしまったので、今だけバス通学です」

「家政婦がいんのかよ……親は?」

 

 どきりとした。そんな意図はないとわかっていても、秘密を探られているように感じる。彼なら、鍋田君ならば尚更だ。努めて平静に振舞い、質問に答える。

 

「柿坂にはいません」

「ふーん」

 

 鍋田君は表情を一切動かさない。興味のないニュースを見たかのような。そんな反応。

 少し安心しつつ、私は彼の反応を少々意外に思った。

 私がイメージする鍋田君ならば、ずけずけと詮索してくると思っていたから。

 

 鍋田君は話は終わったかとばかりに踵を返して学校のほうへと歩き出した。

 方向は同じなのでついていくいかざるを得ないが、わざと少しゆっくりとした歩調で進む。

 

「…………」

「…………」

 

 当然会話はなく、少しずつ距離が離れていく。

 十秒ほど歩いたところで、少し先を行く鍋田君がピタリと足を止めた。つられて、自分も止まる。

 

「どうかしました?」

 

 私が言うと、鍋田君はこっちを振り返った。さっきと変わらず、ただの無表情で私を見ている。

 

「さっきは変なこと聞いて悪かった」

 

 ……悪いと思ってたんだ。あんな無表情だったのに。

 

「まあ、そんなに気にしてないですが」

「それと。まあ、なんというか」

「?」

 

 普段ほとんど会話はなくとも、彼が言い淀むこの姿が珍しいものではないと知っていた。

 口下手で、だからこそ何を考えているかわからない。それが鍋田悟。

 そう思っているから、鍋田くん自身を苦手に思っても次に何を発するのかが気になった。彼が心の内に秘めているものは、いかなるものかと。

 待つこと数秒。じっくりと溜めて、意を決して鍋田君が口を開く。

 

「……大変だな、お互いに」

 

 お互い?

 意味を尋ねようと口を開きかけたところで、遮るように鍋田君はまた私に背を向けて、急に駆け出した。

 

「先行くわ。一緒に登校しているみたいでなんか恥ずかしい」

「ちょ、ちょっと待って」

 

 制止の声は届かない。鞄を背負っているにも拘らず、凄いスピードで鍋田君は坂を駆け上っていく。

 あっという間に姿が見えなくなってしまった。

 

「…………速ぁ」

 

 呆気にとられながら、その場に立ち尽くす。そうしていると、自然とたった今言われたばかりの、鍋田君の言葉が脳裏に浮かぶ。

 柿坂にはいない。親がいない。……お互いに。

 その言葉に私は、明らかな違和感を覚えた。私は、彼の母親を顔と名前。いずれも知っている。というより、この学校の人間なら全員知っている。

 だったら、今の言葉の意味するところは?

 

「……いや、よそう」

 

 それ以上は、彼の言葉の意味を考えないことにした。遅刻するほどではないが、突っ立って物思いに耽る時間はない。止まった足を、再び動かす。

 ただ、歩きながら鍋田君のことを気にしてしまう自分を止められなかった。

 彼と仲良くしたい、などと思っている訳ではない。そもそも今から中学を卒業するまでの一年間、彼と積極的に関わるつもりがないのだ。

 別に、彼が嫌いであるというわけではない。

 確かに、半年前私が柿坂に来たばかりの頃。鍋田君とは色々あったから思う所はある。しかし逆にいえばそれだけだ。

 髪を伸ばしっぱなしだからといって不潔というわけでもなく、それ以外の身なりもちゃんとしている。それこそ彼の母親がしっかりとしているかだろう。後頭部座席に並んで座ろうと気まずいだけで、同じ教室に居ようとも嫌悪感を抱くというわけでもない。

 ……この感情をうまく言葉で表すことは難しい。

 強いて言うなら、錆びたシャッター。くすんだ外壁、光らないネオン。

 それから、空き家だらけの住宅街、窓のない廃ホテル。

 まるでこの柿坂という街をそのまま人の形にしたような。彼からは、人間の気配がしない。

 私はそれがどうしても、不気味でならない。

 

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