伊豆半島の先端、世界に名高い『伊豆特区』の中枢。それが柿坂市。
その特異性にゆえに、都会であれば通勤ラッシュでごった返すこの時間帯であっても、この街は人気が少ない。
それでも午前8時過ぎ。ここ柿坂小中学校の昇降口は賑やかと言えるぐらいには人を見かけることができる。
市内唯一の学校、それも小学校と中学校が一つにまとめられているとなればそうもなる。
「おはよーございまーす!」
「……おはようございます」
小学生低学年の下級生が廊下を元気いっぱいに走りながら挨拶をしてくる。勢いに気圧されながらも、どこかへ過ぎ去っていく彼らに小さく頭を下げて挨拶を返す。サッカーボールを手に持っていたので、どうやら朝早く来て校庭で遊んでいたらしい。
朝からなぜあそこまで元気なのか、小学生の生態はあまりに謎だ。私も、あのぐらいの頃はああだったのだろうか。
「……ないかな」
「何がないの?」
「うおう」
突然後ろからの声に間抜けな奇声が飛び出た。
顔が熱くなるのを感じながら振り向くと、学校指定のジャージに身を包んだポニーテールの少女が笑顔でそこにいた。なにか良いものを見たとでも言いたげな彼女は、外浦夏海。
5人しかいないクラスメイトの、うち1人だ。
「ふはは、おはよう。九重さん」
「お、おはようございます……あの、外浦さん。今のは聞こえなかったことに」
「それは返答次第かなー。で、何がないって?」
明るく屈託のない彼女だが、同時に掴みどころのない性格をしている。
苦手ではないが、なんとなく敵わない相手と話してる、というような。
観念し、洗いざらい話す。朝から元気な下級生たちの様子と、小学生の頃は自分もあんなだっただろうかと。
……自分で言うのもなんだが、お年寄りみたいだ。
「まあ、私は今でもあまり変わらないけど」
「外浦さんは、今日も?」
「うん、朝練。よくやるよねー。自分でも思う」
外浦さんは陸上部に在籍し、部長も務めるスポーツ少女である。
陸上部といっても部員は3名しかおらず、部活動という体裁を辛うじて保っているだけ、とは本人の談。
実際、全校生徒が30名足らずの柿坂中学ではまともな課外活動は難しい。そんな中で少人数でも部活動が可能なのは個人競技である陸上部ぐらいしかない、というのが実情だ。まともな指導者おらず、設備も心もとない。そんな状況の中であっても、彼女は腐らず毎日努力を重ねている。
「……本当に、凄いことですよ」
「そう? 九重さんに言われると照れちゃうな」
外浦さんは笑ってそう言うと、軽やかな足取りで階段を上っていく。その背中を少しだけ足取りを速めて付いていく。
中学3年の教室は校舎の一番上、4階にある。大抵、上級生になればなるほど下の階に行くものだというイメージがある。少なくとも、私がかつて通っていた学校ではそうだった。だが、この学校は1年生の時の教室をそのまま最上級生になるまで使用するのがルールだそうだ。なので、去年と同じく登校で坂を上った後に毎朝この階段を登る羽目になる。
慣れるとか、そういうのはない。ただきつい。
「大丈夫?」
「だい、じょうぶです」
運動部の外浦さんのペースに合わせて登ったせいか、4階にたどり着くころには息も絶え絶えになった。
強がって大丈夫と言ったが、実は毎朝休憩しつつ登っているのは内緒だ。
教室に入ると、6つある席は半分埋まっていた。
入口の一番近くに座ってる男子生徒がドアの開く音に反応する。
男子生徒に向かって、外浦さんが元気に挨拶をする。
「航大くん、おっはよー」
「うん、おはよ。九重さんも一緒か」
「おはようございます」
白浜航大。
このクラスの学級委員長である彼は走らせていたペンを止めてこちらに顔を向けた。
短く揃えられた髪型と端正な顔からはいかにも好青年という印象を受ける。事実、彼の人当たりは良い。
ここ柿坂市の市長、白浜至夫氏の息子。それが彼だ。
白浜君の人の良さが政治家の息子という出自で身に着いた処世術なのか、ただ単に育ちが良いのかはわからない。とにかく、悪い印象はない。
「今日も予習か。偉いねー」
白浜君が書き取っていたノートと開かれた参考書を覗き込みながら外浦さんが呟く。
参考書にある計算式や図形は今日の授業の範囲ではなくもっと先の単元のものだ。予習というより受験勉強に近い。
「習慣なんだよ。夏美と一緒」
「……私も偉いってこと!?」
「偉い偉い」
遠慮なく軽いやり取りは幼馴染である彼らの関係性が現れ出ている。幼馴染という関係は、この2人に限った話ではないけれど。
「陽子、おっはよー!」
例えば、外浦さんが白浜君に話しかけた彼女もそう。
白浜君の前の席に座っている女子生徒の名前は、吉佐美陽子。短く切り揃えられたボブと、フチなしの眼鏡がトレードマークのクラスメイトだ。
今まで私達が教室に入ってきても反応もせず、ただ手元の文庫本を読んでいた。他二人とは違い、余り社交的な性格とは言い難い。
吉佐美さんはちらりとこちらに視線だけ向けて。
「おはよ」
それだけ言って、また本に視線を戻した。多分もう、始業まで動かない。
そっけない対応にも外浦さんは大して気にした様子はない。慣れたものなんだろう。そのまま、窓際の最後列に座るクラスメイトにも声をかけた。
「栄吉君もおはよ……寝てるし」
「まあ、HRまでは寝かせておいてあげてくれ。店手伝ってたらしいし」
入田栄吉。
寝ていてもわかるぐらいの恰幅の良い体形をしている男子生徒。彼もまた、私以外のクラスメイトと小学生の時から同じ教室で学んできた仲であるらしい。
駅前に店舗を構える定食屋の倅である彼が爆睡している光景も、この教室ではそう珍しいものでもない。
問題は、HRになっても起きないことも珍しくないこと……それはまあ、白浜君が何とかするだろう。
自分の席に着き、鞄から筆記用具等を取り出してから時計を見る。
朝礼まであと10分足らず。普段であればこの時間になると大抵クラスメイトは全員そろっている時間だ。
周りを見渡す。
外浦夏美。白浜航大。吉佐美陽子。入田栄吉。そして私、九重雫を入れて5人。
一人足りない。それが誰かは当然決まっている。
「……鍋田くんは?」
先ほど出くわした鍋田悟。私の発言を白浜君が拾う。
「そういえばまだ来てないな。というか珍しいね。九重さんが悟のことを気にするなんて」
「い、いや。学校に入っていくのを見たので」
「そうなんだ。じゃあ、爪木先生のところに顔出してるんじゃないかな。多分だけど」
「……ああ、成程」
中学3年担当教諭、爪木藤次先生。
彼と鍋田君は教師と生徒という間柄とは思えない程普段から気安く接している。強いて言えば、年の離れた兄弟というのがイメージに近いだろうか。
普段の会話から得られる情報をつなぎ合わせると、放課後や休日も顔を合わせているようにも聞こえる。一体どういう関係なのか気になりはするが、私から訊ねることはない。
まあ二人の関係性はともかくとして、白浜君の推測はその情報から鑑みるにかなり妥当に思える。要件としても、昨日の水研絡みのことであると察しが付く。
「あ、爪木先生と言えば。昨日九重さんと悟、呼び出されてなかった?」
納得して朝礼まで軽く読書でもしようかと考えていたところで、白浜君が思い出したかのように声を上げる。それに外浦さんが反応した。
「そういえば悟、そんなこといってたね。九重さん、あれ何の話だったの?」
「え、ええと」
訊かれて、言葉に詰まる。昨日の呼び出しは別に疚しい理由があって呼び出されたわけでもない。ただ、昨日の話をそう易々と広めていいものかという懸念はある。
私達も部外者なので外に漏らしても問題のない話しかされていないはずで、箝口令を引かれた訳でもない。ただ、話していいとも言われていない。
どうしようかと考えていると、ちょうどいいタイミングで教室のドアが開く音がした。
教室内の人間が揃ってそちらに視線を向けると、そこには噂の主、担任教諭である爪木先生と鍋田君がいた。やはり、白浜君の予想は当たっていたらしい。
「おはよう! よーお前ら、全員揃ってるな」
爪木先生は席についている私たちの顔を見渡して満足そうに頷く。元気なその声に挨拶を返したのは私を含めて白浜君、外浦さんで合計3人。随分とまばらだが、爪木先生に気にした様子は特にない。
「じゃ、朝礼始めるか」
教壇に立った爪木先生が委員長の白浜君に軽く目配せをした。号令をよろしく、というのと入田君を起こせ、という意味を込めたものだ。入田君の頭を引っ叩き、鍋田君が席にたどり着いたのを確認してから、白浜君がよく通る声で朝の号令をかける。
起立、一礼、着席。
間髪入れずに爪木先生が手元の出席簿に勢いよく印をつける。六人しかいないので、一人ひとり丁寧に出欠を取る必要もない。いつもならその後短く業務連絡をして朝礼は終わる。大体3分もかからない。適当だが、やたらとスムーズなこの朝礼は嫌いじゃない。
ただ、今日に限ってはすぐには終わらなかった。
「さて、話は変わるんだが」
年度初めの確認テストについて連絡を終えた爪木先生が、唐突に話を切り替える。心なしか、視線がこっちに向いているように思える。もしくは、隣の席に座る鍋田君に向けてか。
「知っている奴もいるかもしれんが、俺は昨日悟と九重を呼び出した。あ、叱るためじゃないからな。ちょっと頼みたいことがあったからだ」
私の心配と裏腹に、爪木先生はあっさりと昨日の件を皆に話し出した。
何々、と好奇心に満ちた目で見てくる外浦さんを気づかない振りをしながら話の続きを聞く。
「詳細は後で説明するけど、難しい選択をしてもらわなきゃいけないような話だった。だから一晩置いた」
今度は気のせいじゃなく、爪木先生が私を見た。そして、口を開いた。
「じゃあ九重、訊くぞ。野生か里親か、どっちだ?」
その問いに対し、何故今なのかという疑問が浮かぶ。ただそれは些細なものだ。
選択は昨日のうちに決めている。迷うことなく、自分の考えを告げる。
「里親です」
「わかった」
爪木先生が頷く。それから鍋田君に向けて言う。
「いいな、悟?」
「いいよ。どうせこうなるって分かってたんだろ」
鍋田君は、『どうせ』と言った。先生には、私がこう答えるとわかっていたのだろうか?
それから、爪木先生は少し考える素振りを見せた。そして、いたずらを思いついた子供のように、にやりと笑う。
「悟は野生、九重は里親。意見は違えた。なら、話し合いで決めるしかないな」
数時間後。昼休みを経て5時間目。
教室に数枚の書類を手に入ってきた爪木先生は、その書類を私達6人に配布した。
記載された内容に驚いたのは、きっと私だけではない。
***
柿坂市立柿坂中学校 夕日地区海岸のヒトカゲに関するディベート要項
1.概要
2032年4月2日(金)、夕日地区の海水浴場跡にて漂着したと思われるヒトカゲを近隣施設、水環境研究センターの職員が発見。極度の衰弱状態だったため即時保護し同施設にて治療。現在経過観察中。
ヒトカゲの処遇については、治療完了後元の生息地へ還す、または里親など受け入れ先を募集するという二案が挙げられる。以上二案の選択を柿坂市立柿坂小中学校の生徒によるディベートにより決定する。
2.日程
2032年4月14日(水)、16日(金) 13:30 ~ 15:20
3.会場
柿坂市立柿坂小中学校 4階 中3教室
4.参加者
柿坂市立柿坂小中学校3年生6名
5.審査
勝敗は担当教員1名と水環境研究センター職員2名の多数決により決定
以上