「……鍋田君ですか? 白浜君や吉佐美さんじゃなくて」
「え」
私が訊くと、外浦さんは意外そうな声を漏らした。入田君もまた、面食らったように目を瞬かせている。
それから顔を見合わせて数秒。外浦さんが、納得したように声を上げる。
「あーでも、九重さんからしたらそう見えるかも。普段あんなだもん、悟」
「成績、俺より悪いしな」
二人はそう言って笑いあう。それから、私の方を見た。
「今回のディベートってさ。要はポケモンに関することでしょ。昔からポケモンならあいつの右に出るやつはいないの。……あ、九重さんは例外ね」
「何言いだすかわかったもんじゃねえもんな」
「そうそう」
再度。向こうのグループの方を見る。爪木先生の肩越しに鍋田君が議論に加わることもなく静かに座っている。
余り切らないのか、肩まで伸びた髪、曲がった背筋。あのぼんやりとした横顔と、外浦さん達の評価が結びつかない。
ふと、水研に私を連れて行った爪木先生の言葉を思い出す。
『役に立つから』。
「……なぜ」
「ん。九重さん、何か言った?」
「いえ。どうして向こうの三人は『野生派』を選んだのかな、と」
「あー、確かにそれ気になるね。ディベート的にも大事だし」
思わず呟いてしまった言葉を誤魔化すための言い訳だったが、上手く話題になってくれた。
「まず、悟は『何となく』だと思うんだよな。アイツに直接聞いてもそう答えると思う」
「……だろうね」
真っ先に入田君がそう言って、外浦さんも同意する。
……二人の評価が高いから、鍋田君は何か深い考えを持っていると思ったのだが、別にそういう訳ではないらしい。
「で、航大は悟がいる方を選んだ」
「だろうねー。怖い怖い」
流れるように出た言葉に、私の思考は停止した。
なんだそれ。
「ど、どういうことですか?」
「気にしないで、九重さん。この世には知らなくていいこともあるの」
「……はあ」
横目で白浜君を見る。向こうの島は主に吉佐美さんが中心となって議論しているようだが、白浜君はその吉佐美さんを諫めながら涼しい顔でメモを取っている。普段の優等生のイメージから何ら逸脱しない、いつも白浜君だ。
鍋田君と白浜君。二人が話している様子はよく見るが、そこまで仲が良かったのだろうか。
……疑問はあるが、今は置いておこう。
「で、あとは陽子? 陽子はなー。ポケモンが嫌いだから、まああっち選ぶだろうな」
「そうなんですか?」
「あ、知らないのか。じゃあ、もしかして陽子だけポケモン持ってないのも知らなかったりするのか」
「……知らないです」
「へー。マジで関わりないんだな。このクラス6人しかいねえのに」
吉佐美さんは、ポケモンが嫌い。入田君は意外そうにしているが、当然知らない。
なんだか知らない事ばかり、驚くばかりだ。
誰が悪いと言えば、それは勿論私ではあるのだが。実のところ鍋田君とほぼ同じで、吉佐美さんもここ半年ほとんど話したことがない。
怖そうというイメージもコミュニケーションの少なさからくるものなのかもしれないが、そもそもの話。
「……彼女は私を嫌ってそうですし。理由は分かりませんが」
言いながら、しまったと思う。これは失言だった。
空気を悪くしたかと思ったが、二人は顔を見合わせて首を傾げるだけでそういった雰囲気ではない。
「うーん、話した方が良いかな」
「話すべきだろ。理由もわからず疎まれるとか、九重にとっちゃ面倒だろ」
「……そうだね。それに、今回の件にも無関係じゃないし」
無関係じゃないとはどういうことだろうか。
私が疑問を抱くと同時に、外浦さんがぐいっと顔を寄せてきて、小声で言う。
「陽子は5年前に、母親を交通事故亡くしてるの」
一瞬、心臓が跳ね上がるような感覚を覚えた。
短く息を吸ってから、外浦さんに合わせ声を潜める。
「それはもしかして、吉佐美さんはポケモンが嫌いだという話と関係してますか」
「……察しが良いね。そう。いわゆるポケ害ってやつだよ」
ポケ害、ポケモン被害。その名の通り、ポケモンによって引き起こされる被害の事。
言ってしまえば獣害の一種ではあるのだが、ポケモンという生物の特殊性も相まって問題の取扱いの難しさは一線を画す。
話の流れを汲み取ると、つまりこういうことだ。
ポケモンが原因の事故で、吉佐美さんは母親を失っている。だから吉佐美さんはポケモンを嫌っているし、人間とポケモンは一緒にいるべきではないと考えている。
だから当然、ディベートでも野生に返すべきだと主張する。
「成程、そんな事情が……」
「でも、それ以上のことはないよ。私は怒ってもいいと思う」
きっぱりと、外浦さんは私の目を見て言った。
私はそういう事情であれば吉佐美さんが私を嫌うのも……いや、私の様な人種を嫌う理由も理解できる。
そう思ったのだが。
「そこまで気にしていませんよ」
「ならいいんだけどね。九重さん、陽子と何かあったら私に相談してね」
「……ありがとうございます」
そこで、ぷつりと会話が途切れた。微かに向こうのグループの話声が聞こえてくるだけの気まずい時間が数秒。
沈黙を破ったのはやはりというか入田君だった。
「おーい、話進めていいか?」
「あ、ごめん。大分話逸れちゃったね……どこまで話したっけ」
「なんで『里親』を選んだのかってとこだろ。夏美、真剣にやってね」
「ぐう」
ぐうの音が出てる……。
まあ、確かに入田君が言うべきかはともかくとして、余計な話をしてるほど時間に余裕はない。
「……では改めて、立論から考えていきましょう。私はまず彼女の体力面を押し出していくべきだと思います。後は過去の事例なんかも調べたいですね」
「なら俺はスマホで調べものしとくわ」
「あ、じゃあ書記やります!」
その後、5時間目終了のチャイムが鳴り止むまでの間、私達の話し合いは脇道に再び逸れることもなく、順調に進んだ。
リハーサルなどの時間はなく、不安はあるものの明日のディベートが何もできずに終わることはないだろうとは思う。勝てるという自信がある訳でもないが。
帰りのホームルームが終わって、帰ろうと立ち上がったその時、私の目の前を速足で吉佐美さんが横切っていく。
「…………」
気のせいでなければ、私を一瞬睨めつけたような。
ああいった視線は、何となく覚えがあった。敵意、もっと正確には敵愾心。
お前には負けない、倒してやるとでも言いたげなそんな視線。
ため息をつきそうになって、口を紡ぐ。苛立ちを覚えたとかではない。
入田君が言った通り。面倒だ。
外浦さんと鉢合わせにならないよう、帰り支度をするふりをして数分時間を稼いでから教室を出た。
時刻は16時を回っている。小学生達は既に帰宅し、今朝賑やかだった廊下は嘘みたい静かだ。
歩きながら考える。
私にとって、このディベートは真剣にやるべきものではあっても必死にやるべきものではない。たとえヒトカゲという尊い命の行く末に関わるものであっても、真面目に話し合って決めた結論なら勝敗はどちらでもいいと思っている。入田君のように、空気を読んで陣営を変えるぐらいは何も問題はない。
この時は、そう思っていた。
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帰りのバスを降りた瞬間、「ああ、降るな」と予感がした。朝は雲一つない快晴だったのに、夕方16時過ぎ、空は重たい雲に覆われている。予感は予報ではなく、根拠はないがそれでも私にとっては確信だった。
傘は持ってきていない。バス停からペンションへの帰り道を、私は早歩きで行くことにした。
家の前の海岸は、なんとなく波が高くなっているように見えた。雨が降り出す前に玄関をくぐる。
「……葵さん?」
建物の中は静かだった。電気もついていない。おかしいと思った。
いつもならば、葵さんがいるはず。珍しく寝ているのだろうか。
靴を脱ぎ、ゆっくりとリビングの方へ進む。
電気をつけて。私は、それを見た。
「…………」
頭の中で火花が弾けた。ああ、そういうことかと。
そのまま黙って電気を消し、自室に戻る。階段を一歩一歩ゆっくりと昇る途中で、雨音が聞こえた。降り始めた様だ。
ドアを閉め、カギをかけて、窓に駆け寄りカーテンを閉める。
マスクを取ってベッドに寄りかかる。時計の針の音と雨音に、私の荒い息が混じる。
昨日と今日。あったこと、思ったことを反芻し、情報を頭の中で整理していく。
呼吸が落ち着いていくと同時に、思考が定まる。
……やらなければいけない事を理解した。
……やるべきことは、決まった。
静かで暗い伊豆の海の水面に、雨が強く打ち付ける。