チャイムが鳴る。
時刻は13時30分。昨日告知された通り、5時間目はディベートが行われる。
開始に備え、昼休みが終わる5分前からクラス全員で席を移動した。『野生』派と『里親』派、それぞれ向かい合うように机を3つずつ、横一列に並べる。
『野生』側は廊下側。教壇から向かって、俺、航大、陽子の順。
『里親』派は窓側。俺の正面に夏海、その横に九重、栄吉と続く。
チャイムの音が止むのを待ってから、教壇に立つ藤次が口を開く。
「はい、という訳でディベート始めるぞー。準備いいか、お前ら」
「……ちょっといいですか、先生」
軽い開始宣言に、待ったをかけたのは横に座る航大。
「お、何だ航大」
「今日のディベート、審査員がいるって話でしたけど……」
「そうだな。いるだろ」
藤次は教室の後方に視線をやる。その先に、2人の大人がいる。
白衣姿の男女が一人ずつ。
「いや、いるのはわかりますけど」
言いながら、航大も教室の後方を見る。ただし視線は審査員の3人ではなく、その周辺に向けられている。審査員以外にも人、人、人。数えてみると、10人。全員、俺たちと同じ制服を着ている。
「……なんか、人多くないですか?」
「ああ、そのことか。せっかくのいい機会だから下級生に見学してもらおうと思ってな」
下級生、要するに中1と中2の後輩たち。急に入ってきたから何事かと思ったが、ただの見学者だったらしい。
自分たちの教室から持ってきたと思われる椅子に座った彼らは妙にそわそわしているというか、落ち着きがない。もしかして、後輩たちも何も聞かされず連れてこられたのかもしれない。だとしたら、ご愁傷さまだ。
「先生、そういうのは先に言ってくださいよ……」
「兄貴!」
うんざりしたように文句を言う航大に向けて、鋭く高い声が飛んできた。
何事かとその場の全員が声のしたを見ると、髪を2つに結んだ背の低い女子が腕を組みながら航大を睨めつけていた。航大のことを『兄貴』と呼ぶ人物は、俺の知る限り一人しかいない。
「そういうのいいから、早く始めて」
「……真央。わかったよ」
白浜真央。航大の一つ下の妹。兄に似て真面目な委員長タイプだけど、当の航大に対しては当たりが強い。航大とは俺が学校に通い始めてからずっと一緒で、真央とも付き合いは長い。航大に厳しいのはずっと変わらない。
妹に怒られて文句を言う気も失せたのか、航大は大人しく席に座る。
大変だなと思っていると、航大に向いていた真央の視線が少し横に逸れて、その横に座る俺と目が合う。
「…………」
真央の口が少し緩んで、手を振ってくる。真似するように、同じく手を振り返す。
兄以外には優しいの相変わらずだ。
そんな白浜兄妹のやり取りを見て藤次はニヤニヤしていたものの、程なくして満足したのかわざとらしい咳ばらいを一回挟んだ後、改めて口を開く。
「じゃ、ディベートを始める前に今日来てもらった審査員を紹介しようか。まずは若いのから……おい相生、挨拶しろ」
「しろって何よコラ……あ、水環境研究センターの相生あかりです! そこの爪木とはただの高校の同級生で、それ以上でも以下でもありません! みんなよろしくね」
藤次にキレつつも、元気よく挨拶をするあかりさん。教室内の生徒が拍手で応じる。
一昨日、水研を案内してくれたこともあって、なんとなく審査員の一人はあかりさんなんだろうと思っていた。
あかりさんが席に着くのを確認してから、藤次が次を促す。
「では次、センター長。お願いします」
「はいはい」
応じたのは、あかりさんと同じく白衣に身を包んだ中年の男性。どこかで見たような気がする。
男性はゆっくりと立ち上がり、観客席を含めた生徒全員の顔を見回しながら、慣れた様子で喋り始める。
「皆さんこんにちは。水環境研究センターのセンター長を務めております、吉佐美光太です」
吉佐美光太。吉佐美。そういえば、と思い当たり航大を挟んで、さらに隣の陽子を見る。
そういえばそうだった。陽子の父親は、水研で働いていると。まさかそんな偉い感じとは知らなかったけど。
「名字と顔でで何となく察したかもしれませんが、そこの陽子の父親です。今日はディベートはもちろん、娘の活躍も楽しみに来ました。よろしくお願いいたします」
朗らかに笑いつつ語る吉佐美父。
確かに、よく見ると鼻筋あたりが似ているような気も……。
「似てない!」
「そ、そんな……」
俺の心を読んだかのような、陽子の突っ込み。ショックを受けて、へなへなと陽子のお父さんが席に座り込む。
なんとなく、吉佐美家の様子が透けて見える気がした。
上司のかわいそうな姿に、あかりさんもなんだか気まずそうだ。陽子は、恥ずかしそうにそっぽを向いている。
「……えー、はい。お二人とも、お忙しい中ありがとうございます。事前の通知通り水環境研究センター職員のお二人に加え、自分が審査を務めます。何か事前に質問のある方は、参加者見学者問わずにどうぞ」
水研のセンター長という偉い立場の人を流石に笑えないのか、澄ました顔で進行役に徹する藤次。
確かに手元の書類に『担当教員1名と水環境研究センター職員2名の多数決により決定』とある。合わせて3名、つまり多数決で決めるということなんだろうけれど、気になる点はある。
同じく疑問を持ったのか、『里親』派側の席に座る夏海が手を上げて発言する。
「せんせー! 観戦席に向こうの親族がいるんですけど、これって公平性とか大丈夫なんですか!」
「あ、確かに」
確かにじゃねえわ。
あー、とかいいつつ、藤次は髪をぼりぼりと掻いて、問題の親族、陽子の父である吉佐美さんを見る。
「まあ大丈夫だろ……大丈夫ですよね?」
「あー、まあ。ジャッジは公平にしますよ」
何とも頼りなく答える吉佐美さん。本当に大丈夫なのか。
発言者である夏海は呆れたように藤次をじとっと睨めつけてから着席した。恐らく起こっているだろう。隣にいなくて良かった。
「じゃあ、そういうことで。他に、質問ある奴いるか?」
教室内に広がる困惑を気にすることなく、見学者含め生徒に呼び掛ける藤次。
反応はない。
「ないな。じゃあ、色々あったけど。今度こそ始めようか」
少し声を張り上げて、改めて藤次が開始を告げて、黒板を向く。白のチョークで『夕日地区海岸のヒトカゲに関するディベート』と一番上に大きく書かれていて、その下に今日の進行が番号で割り振られている。
「というわけで、野生派。立論をどうぞ」
思わず、「げ」と口に出しそうになった。
まず1、立論。時間は5分。
いよいよだ。ため息が出て、それを聞いた航大が小さく笑う。
「悟、がんばれよ」
「……はいはい、がんばるよ」
航大から書類を手渡され、席から立つ。
立ち上がった俺を見て、藤次が冷やかす様に言う。
「お、悟がやるのか」
「うるさい」
『野生』派の立論。担当は俺だ。二分の一だったけど、俺が一番最初に発言するのは避けたかった。
俺の担当になった理由は、尋問や討論になったときに、俺が発言しそうにないから。航大と陽子の言葉を借りるなら、最初のうちに喋っとけ、ということだ。
それ自体に異論はない。ただ嫌なだけ。文句は言えないので、腹をくくるしかない。
カンペ代わりの書類に目を落としながら、ゆっくりと話し始める。
「えー俺達……じゃなくて自分たちがエイリを野生に返すべきだと考えた理由は3つあります」
最初の一文を読み上げて、昼休みに航大から受けていたアドバイスを思い出す。文は丸読みでもいいけど、合間合間で『保護』派の顔を見るように心がけること。それだけで、少しでも発表らしくなると。
アドバイスに従い、顔を上げる。
夏海は何故かにこにこしながら聞いていて、栄吉は目をつぶって頷いている。そして九重はただただ無表情、に見える。あくまでマスクの上からだと。
また視線を書類に戻し、続く文を読む。
「まず第一に、一昨日自分が見たエイリは眠っていましたがかなり弱って見えました。水環境研究センター職員の相生あかりさんに話を聞くと、職員が近づくと怯えた様子であまりコミュニケーションが取れないそうです。つまり、人を怖がっているのではないかと思います。なので野生に返した方がエイリのためになる、そう考えました」
また顔を上げ、相手側の3人を軽く見渡した後、ちらりと観戦席の方を軽く見る。目が合って、あかりさんは軽く頷く。話に不備はなさそうだ。
「2つ目の理由は、里親や受け入れ先を探すとなった際の難易度の問題です」
この立論の大本を考えたのは陽子。曰く、1つ目の理由は前振り、本命は2つ目。
「エイリの、『ヒトカゲ』を受け入れるための必要な『トレーナーレベル』が高い。これは大きな課題になると思います」
『トレーナーレベル』。正式名称は『ポケットモンスター飼育者免許』。
確か、今から10年前程昔の話。『第2次ポケモンショック』を経て、ようやく世界がポケモンと暮らす世界が作られ始めた2020年代。ポケモンと生活をするために必要な知識や難易度を考慮して策定された、4段階の指標。
それぞれのポケモンに設定された難易度の値以上のトレーナーレベルを取得していれば、そのポケモンと暮らすことができる。それが、トレーナーレベル。
小型のポケモンであればレベル1。中型はレベル2、というように大体はサイズが大きければ必要なトレーナーレベルを大きくなることが多い。あくまで目安として。
これに当てはまらないポケモンも数多くいる。例えば、ヒトカゲだってそうだ。
「ヒトカゲの飼育に必要なトレーナーレベルは3。このレベルを持つ人は日本におよそ3パーセントしかいません。エイリの現状の体力や柿坂市の立地を考えると、受け入れ先を探すのは困難だと考えられます。仮に受け入れてもいいという人や施設が見つかったとしても、それがエイリにとって最適な選択になるとは限りません」
読み上げながら、思うことがある。
確かに、これらのことは事実でトレーナーレベルの3はかなりハードルが高い。
取得可能になるのは15歳以上で、試験を合格するには筆記も技能も一朝一夕の勉強じゃ身に着けないスキルが必要となる。
それでも、持っている奴は持っている。例えば、競技として『ポケモンバトル』に取り組んでいる奴なんかは、今のうちから受験勉強と並行して中3のうちに取得していたりする。
それこそ、今目の前にいる九重雫だってその一人。
九重の表情は相も変わらず読めない。こいつは、俺の言葉を聞いて何を思っているのだろうか。
「えー、最後の理由ですが。エイリの元の生息地には彼女の家族がいる可能性があるからです。エイリがどのようにして夕日地区の海岸にたどり着いたのかは不明ですが、この可能性がある以上、棲家に返してあげることがエイリのためになるのではないかと考えます……以上で、『野生』派の立論を終わります」
ポケモンと人間が共に暮らすことに、許可なんているのか、とか。
そもそも、ポケモンと人間の違いなんてあるのか、とか。
俺はそれを、ディベートとか関係なく聞いてみたいと、そんなことを思った。
・ポケットモンスター飼育者免許
レベル1
求められる知識・技能:ポケットモンスターの基礎知識
取得可能年齢:制限なし
レベル2
求められる知識・技能:ポケットモンスターと生活するうえでの基本的知識・技能
取得可能年齢:10歳以上
レベル3
求められる知識・技能:ポケットモンスターが外的環境に及ぼす影響に関する対処への知識・技能
取得可能年齢:15歳以上
レベル4
求められる知識・技能:限定的な状況下におけるポケットモンスターの高度な知識・技能
取得可能年齢:15歳以上※条件有
※試験は1月、4月、7月、 10月の4回、全国各地で開催される。年齢が取得可能年齢未満であっても試験の合格発表日までに対象の年齢に達していれば受験が可能。概ね、発表は試験の3か月後。