君の背を追いかけて   作:ハーヴァ

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凛音の想い、詩音の選択

凛音が事務所のドアを静かに開けると、社長がデスクに座っている姿が目に入った。社長は普段から冷静で厳格な雰囲気を持ち、周囲からは誰もが敬意を払う存在だ。その姿勢は、まるでどんな困難にも動じない石のようで、彼女の背筋はぴんと伸び、周囲を圧倒するような威厳を漂わせていた。髪は黒く、きちんと整えられ、洗練された服装がさらにその冷徹な印象を強調している。だが、目の前に立つと、その凛とした姿に圧倒されるような気持ちが湧き上がった。

 

「失礼いたします。」凛音が柔らかな声で声をかけると、社長は手を止め、まるで彼女の一挙一動を把握しているかのように顔を上げた。視線が交わると、いつもの冷徹な眼差しが凛音に向けられ、その鋭さに一瞬、息を呑みそうになる。だが、その目の奥には少しの驚きと戸惑いが浮かんでいた。

 

「あなたは、凛音さんですね? どうしてこちらに?」社長は少し驚いた様子で尋ねた。普段、凛音がこうして事務所に訪れることはほとんどないからだ。社長の声には、冷静さの中にも微かな興味が混じっていた。

 

凛音は少し迷ってから、ゆっくりと口を開いた。「実は、今日は詩音のことについてお話ししたくて…」

 

社長の表情が一瞬、鋭く変わった。それは、思いがけない来訪者に対する警戒心からだった。普段、感情を表に出すことがない社長だが、その表情の変化から彼女がどれほど警戒心を持っているかがわかった。凛音がわざわざ自分の元に訪れた理由が気になったのだろう。

 

「詩音、あなたの妹のことですね?」社長は冷静に尋ね、目を細めながらその言葉を受け取った。社長の声には、鋭い洞察力と、彼女のような人物にしか持ち得ない深い冷静さが感じられた。

 

凛音は頷き、深く息を吐きながら言葉を続けた。「はい、実は…私は詩音がアイドルとして活動を始めたことに不安を感じていて。」

 

社長の表情が少し曇った。凛音が妹のことに対してこんなに強く心配しているのは、予想以上に珍しいことだった。普段の凛音からは、妹に対する過剰な心配や感情的な反応は感じられなかったからだ。しかし、その瞬間、社長の鋭い目がさらに優しさを感じさせるものに変わり、少しだけその温かさを垣間見ることができた。

 

「不安?」社長は少し驚き、鋭い視線を凛音に向けた。「あなたがそんなことを言うなんて、予想外だわ。」

 

凛音は目を伏せて、少し沈黙した後、重い口を開いた。「私は、詩音がアイドルになること自体には反対していません。ただ、あの子はとても繊細で、まだ精神的にも体力的にも未熟で…アイドルとしての道を歩むには、もっと経験が必要だと思うんです。でも、今はその部分に目をつぶって、『頑張れ』と言って応援することしかできません。」

 

社長はその言葉を静かに聞きながら、少し考え込んだ。彼女の冷徹なイメージとは裏腹に、妹を守ろうとする深い思いが伝わってきた。それが、社長にとっては意外でもあり、同時に凛音の新たな一面を感じさせた。

 

「詩音がアイドルとしてうまくやっていけるかどうか、私も心配です。」凛音は続けて言った。「でも、私にはその不安をどう伝えたらいいのかわからなくて。ただ、あの子が苦しむ姿を見たくないんです。」

 

社長はしばらく黙っていたが、その言葉に理解を示すように少し頷いた。その頷きには、彼女の常に冷静で鋭い分析力と同時に、優しさと母性のような温かさが感じられた。「君の心配も理解できるわ。アイドル業界は確かに厳しい。でも、それは詩音が成長するための大切な経験の一つよ。」

 

その言葉に、凛音は深呼吸をしてから、少し肩の力を抜いた。確かに、妹が成長するためには多くの壁を乗り越えなければならない。それはわかっているけれど、その過程で傷つくことを思うと、やはり不安は拭えなかった。

 

「社長、私は…詩音がアイドルとして続けられる覚悟を持っているかどうか、知りたかったんです。」凛音は静かな声で言った。「私たち姉妹にとって、この道を進むことがどれほど重要かを、彼女がきちんと理解しているかどうか、確認したかった。」

 

社長はしばらく考え込み、その後静かに言った。「凛音さん、君が心配するのは当然だわ。しかし、最終的にその道を選ぶのは詩音自身よ。私たちはその決断をサポートするだけ。」

 

その言葉に、凛音はゆっくりと頷いた。確かに、最終的には妹自身が決めるべきだ。彼女がどんな決断をしても、姉としてできる限りのサポートをしていくつもりだと感じた。

 

「わかりました。」凛音は穏やかな声で答えた。

 

社長は優しく微笑んでから、言葉を続けた。「詩音には厳しい道が待っているけれど、君がしっかりと支えてあげれば、きっと乗り越えられるわ。」

 

その言葉を受けて、凛音は深呼吸をし、少し肩の力を抜きながら答えた。「ありがとうございます。これからも詩音を支え続けます。」

 

社長は穏やかな微笑みを浮かべながら、凛音の決意を受け入れた。彼女がどれだけ厳しい道を歩んでも、姉として支え続ける覚悟があることが、社長にはよく伝わった。

 

「それでこそ、詩音のお姉さんよ。」社長は静かに言い、温かな言葉を送った。「君の妹が成長できるよう、私たちも全力でサポートするから。」

 

凛音は深く頷き、静かにその場を後にした。社長の言葉には、冷徹な中にも暖かい理解が込められていた。凛音は少し安心したような気持ちを抱えながら、外の空気を深く吸い込んだ。

 

それから近くのカフェに入り、一息つく。社長には、恥ずかしい場面を見せてしまった。初めて入る場所ではあったが、落ち着いた雰囲気のある場所であり、人はあまりいなかった。カウンター席に座り、何を頼もうかとメニューを見る。

 

凛音がメニューに目を通している間、静かな店内の空気が心地よく流れていた。思考が整理できそうで、けれどまだ決断できずにいた。そんな中、ふと気づくと、カウンターの奥からマスターがゆっくりと近づいてきた。

 

「迷っているみたいだね。」マスターが穏やかな声で話しかけてきた。彼の目は、少しの好奇心と優しさを含んでいる。

 

「はい、ちょっと…」凛音は恥ずかしそうに答える。「普段、甘いものを頼むことが少ないので、どうしても決められなくて。」

 

マスターはにっこりと笑って、カウンターの向こうから手を伸ばし、そっとメニューを見ながら言った。「そんな時は、気になるものを試してみるといいよ。無理に選ぼうとしなくても、今日は何か特別な気分なんじゃないかな?」

 

凛音は少し考え込み、ふと目の前のカフェラテを見た。その温かさが、何だか今の気持ちにぴったりな気がした。「たしかに、今日はなんだか、甘いものを試してみたくて…。」

 

「それなら、チョコレートケーキとカフェラテなんてどうだい?」マスターはにっこりと勧める。「甘いものを少しでも味わって、ゆっくりと心を落ち着けるのも悪くないよ。」

 

凛音は少し驚いたように顔を上げた。「あ、そうですね、それにしようかな。」

 

マスターは優しく頷く。「たまには、自分を甘やかしてあげるのも大切だよ。焦らず、ゆっくりと。」そう言いながら、マスターはカウンターに戻り、注文を取る準備を始めた。

 

「ありがとうございます。」凛音は笑顔を浮かべて感謝の言葉をかけた。心の中に、少しだけ重く感じていたものが軽くなった気がした。そんなひとときに、マスターの静かな言葉が救いとなった。

 

少しだけ心が軽くなった凛音は、注文を済ませると、再びカウンターの前で静かな時間を楽しむ準備が整った。

 

注文を終えると、凛音は、静かに座り直した。周囲の穏やかな空気に包まれ、心の中に少しずつ余裕が戻ってきたような気がした。温かいカフェラテと甘いチョコレートケーキが、今の自分にぴったりだと感じる。

 

しばらくして、マスターが注文した品を運んできた。カフェラテの上には、美しいラテアートが施され、チョコレートケーキも見るからに美味しそうだ。マスターは微笑みながら、カウンターにそれらを置いた。

 

「お待たせしました。ゆっくりと楽しんでください。」マスターはやさしく言い、少し距離を取ってカウンターに戻った。

 

「ありがとうございます。」凛音は微笑んで答え、目の前のカフェラテを手に取った。その温もりが心地よく、しばらくそのままの姿勢で味わうことにした。

 

カフェラテの優しい味わいに包まれながら、凛音は心の中で少し整理をつけていく。まだ社長との会話が頭に残っているものの、少しずつその重さが軽くなっていくのを感じる。ケーキをひと口、またひと口と食べ進めると、心地よい満足感が広がった。

 

「ふぅ…やっぱり、ここに来てよかった。」凛音は、思わず声に出してつぶやいた。静かな空間とマスターの温かな言葉が、自分にとって必要な時間だったと実感する。

 

その時、再びマスターがこちらに目を向けて、穏やかな笑顔を浮かべながら声をかけてきた。「少しは落ち着けたかな?」

 

「はい、ありがとうございます。」凛音は頷き、心からの感謝を込めて答えた。「ここに来て、本当に良かったです。」

 

マスターはゆっくりと頷き、「何か困ったことがあれば、いつでもここで話していってくれ」と、やさしく励ました。

 

その言葉に、凛音は心の中でほっと息をつきながら、再び静かな時間を楽しむことにした。

 

ケーキを食べ終えた凛音は、時間を確認するためにスマホを取り出した。ディスプレイに目を落とすと、思ったよりも時間が経っていることに気づき、少し驚いた。詩音のレッスンの時間がもうそろそろ終わりそうな時間だ。

 

「うわ、もうこんな時間…」凛音はスマホをポケットにしまう。会計のために立ち上がり、店内でお世話になったマスターが会計のためにレジに立っていた。

 

レジの向こう側で、マスターが微笑みながら見守っている。「ゆっくり出来たみたいだね。無理はしちゃダメだぞ。」

 

「はい、ありがとうございます。少し長く居すぎてしまいました。」凛音は、店内をもう一度見渡しながら、穏やかな空気が心にしみ込むのを感じた。店内には、ほんのりと香るコーヒーの香りと、静かな音楽が流れており、まるで別世界に来たかのような感覚だった。

 

会計を終えた凛音は、軽く財布をポケットにしまいながら、マスターに向けて感謝の気持ちを込めた微笑みを向けた。「本当に、ゆっくりと過ごさせてもらいました。」

 

マスターは温かい笑顔で答える。「いつでも気軽にくるといい、また疲れた時にはコーヒーを淹れよう。ここでのんびり過ごすのが一番だからね。」

 

その言葉に、凛音は心が和らぐのを感じ、深く頷いた。「ありがとうございます。またお世話になります。」

 

カフェの扉を開け、外の冷たい空気が顔に触れると、凛音は少し驚いた。思ったよりも時間が経っていたが、その分、リフレッシュできたような気がした。店を後にし、歩きながら、詩音のレッスンが終わる頃かなと頭の中で思いを巡らせた。

 

「急がないと、詩音を待たせちゃうかもしれない。」凛音は、少しだけ足を速めて歩き始めた。どこかで少し力を抜いた心地よさを感じながら、妹との再会を楽しみにしていた。

 

レッスンを終えた詩音は、疲れた様子ながらも、嬉しそうにトコトコと歩み寄ってきた。その歩き方はまるで小さな子供のように軽快で、まるで凛音に何かを伝えたいかのようだった。

 

「お姉ちゃん、お待たせ!」と、詩音は明るく声をかけると、凛音の前に立ち止まり、ちょっと恥ずかしそうに笑った。

 

「お疲れ様、詩音。」凛音は優しく微笑みながら、妹の頭を軽く撫でた。「今日のレッスンはどうだった?」

 

詩音は目を輝かせながら、「すっごく大変だった!今までやったことのないことだったから何すればいのか分からなかったし。けれど、お姉ちゃんを超えるためにこれからたくさん、練習するんだ!」と答えた。その顔に浮かぶ笑顔が、凛音にはとても眩しく見えた。

 

「そうか、大変だったね。」凛音は微笑み返し、ふと詩音の手を取った。「それじゃ、早く家に帰ろうか?多分、母さんが夕飯を作ってくれている時間だろうからね。」

 

詩音はその言葉を聞くと、嬉しそうに頷いた。「うん、母さんの料理が楽しみだな!いつも美味しいし、なんだかすごく元気出るんだよね。」

 

凛音は微笑みながら、「そうだね、母さんの料理はどんな時でも力をくれるよ。」と言って、詩音の手を優しく握り直した。「今日は何を作っているかな?」

 

詩音は首をかしげながら、「もしかして、お姉ちゃんが好きなぶり大根とか?」と尋ねると、凛音は少し驚いた表情を見せてから微笑んだ。「それはいい予想だね。でも、何でも楽しみにしているよ。」

 

二人は家路を急ぎながら、心地よい会話を交わしていた。夕暮れの中、家に向かって歩くその道が、どこか温かく感じられる瞬間だった。

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