冰演の魔物   作:名無しの権左衛門

10 / 16
原作P94~ アニメ8:50~


今日はバッジテストの日だ!(中編)

 

 さて、脳内がテンパったいのりは、徐々に落ち着きを取り戻していく。

そして頭の中であの子、お姫様みたいでかわいかったなぁ、また会いたいなぁと

思っているようだ。

 試験が間近に迫っているというのに、呑気なことを考えるようにしている。

理由として、頭の中がこんがらがるとよくないことになるから。

いのりは動揺してうまく言語化も定まらない自分をみそぎがいつもフォローしてくれて、

其の際言われたことを反芻している。

 

”スケートとか今日のご飯何かなって考えてみない?

それから、どこに物があるか考えてみようよ。

いのりちゃんが悪いわけじゃないんだからさ!”

 

「あうあうあうあうあう」

「い、いのりさん!?」

「みそぎちゃんに会いたい。寂しい。でもやんないと、受からないと。

ああ、ダメだ。ダメなのに、どうしよう、受からなかったら……!」

「いのりさん」

「っ!」

 

 不安定になっているいのりを久しぶりに見る司。

以前どこでみたといえば思い出せないが、それでも強烈な

印象を与えられている。

 極度のストレスと不安から、自信がもてなくなる。

これはあらゆる大会へ出場する選手が陥ることだが、

いのりのように精神的な狭窄状態となり抜け出せなくなる

というのはあまり聞かない。

 

 こういう場合の対処は、意識をそらすことである。

 

「昨日みそぎさんとやってたこと、一緒にやろうか」

「え? え?」

「ほら」

「あ……」

 

 司はいのりと同じ目線になり、一つの提案をする。

それは年長が年少の子に教える一つの遊びだった。

最近では1番しか聞かない遊び歌で、実は29番まである歌だ。

 やり方は二人組を作り向かい合う。一拍して右手、一拍して左手、一拍して両手、

一拍して両手を組んで手のひらを向け、二拍して右手で左肘を触り、

左手で右肘を触り、両手を腰に据えて……。

 

「アルプス一万じゃーく、「小槍のうーえで、アルペン踊りをさあ踊りましょ」」

 

 日本の3000m級アルプス山上の槍のように尖った岩場で踊りましょう。

結構面白い歌詞をしていて、中には恋文も詠う珍しい詩。

組み手を覚えられなかったあの頃も、今では結構パターンが揃っていて覚えやすい

と思うもので自身の成長を感じられるだろう。

 

「29番までやろっか?」

「日が暮れるよ?」

「もう暮れてるよ。さて、どうかな?」

 

 3番あたりまで歌い終わっていのりの調子を伺う。

見た目では裏返った感情も、少しばかり表情を明るくするほどとなる。

しかし憶測でしかないので、ちゃんと聞き返し本人の反応を確認

しなければならない。

 

「あ……はい! やっと思い出せました! ありがとうございます!」

「思い出せてよかった。それじゃ、いのりさん。出番だよ、行っておいで」

「ママ、瞳さん、行ってくるね!」

「いってらっしゃい」

「審査員の度肝を抜いてらっしゃい!」

 

 二人の言葉を聞いて微笑むとふっと意識を切り替える。

雑音を徐々になくし、自身の世界を作り上げていく。

 行うことは初級のもの。

今まで習ったことをこなすだけ。みそぎが必ず行っているスケーティングの

フィギュア技術を高め、繊細さを足の先・爪の先までコントロールできるようにするのが、いのりの中にある最上のスケーター像。

 

 テレビの奥で見た光ちゃんの後背が、まだ瞼の裏に残っている。

あの瞬間が忘れられない。今からその世界に挑戦するんだ。

今までみそぎちゃんや司先生といろいろやってきても、

実力を公に認めてもらえなければ泡沫の夢にすぎない。

 これからいのりは、フィギュアに対して真摯に向き合う。

まずは一歩を歩みだすのだ。

 

「6番、結束いのりさん、どうぞ」

 

 初老の審査員が合図をし、いのりがリンクに立つ。

先程まで自分を見失っていた少女は、一つを見据え司に

教えられたやり方で滑る。

 初級バッジテストは、何度も言われているようにフィギュアスケートとしての

基礎を公に発表する場所。

それとともに、今後大会など公共の場に出る前の一つの試練として、

自分の緊張と向き合う場所でもある。

 

 緊張というのは厄介だ。精神・身心・環境、あらゆるものが

自身を蝕んでくる。重圧が身体を縛って、きちんと自分の100%

を発揮できないなんてザラじゃない。

 

(ハーフサークルを片足ずつやる。音楽に合わせて腕を替えて、

半分渡ったら足を交換する)

 

 半円を前進で片足ずつ滑り、アウトサイドエッジとインサイドエッジで滑り終える。

次に半円を後進で片足ずつ、先程のエッジを使って滑る。

 

 また、ただ滑るだけでなく、フィギュアスケートという名前の通り、

スケーターが一つの芸術品なのでなるべく姿勢を崩さないように

しなければならない。

更にハーフサークルが終われば”Swing Dance”という拍がわかりやすい曲に乗って、

前進と後退で大きなサークルを描いていく。

 フィギュアスケートは、音楽に合わせて滑る競技なので

ここでテンポ感が欠如していると、駆け出しにもなれないのだ。

 

 音に合わせてストロークができるかが、今後のスケート人生を大きく左右するといってもいいだろう。

 

「どうです、いのりは?」

「はい、完璧です。ちゃんと集中していますし、一つのことに集中して

周囲のことに目が向かないよう気をつけています」

「みそぎちゃんといつも練習しているのを見ますし、

緊張をコントロールできれば強い選手になれますよ」

 

 いのりの母親であるのぞみは、二人の満面のGOE+5000を見て

一安心すると同時に少し懸念が残る。

高峰ヘッドコーチがいう、強い選手。

 最初はいのりが初めて一緒に楽しく遊べる友達が、スケートリンクを

遊び場にして楽しむ遊戯のスケートを嗜んでいた。

そこからある日、いのりの姉であるみかが怪我をした。

幸い命に別状はなかったけれど、明らかに若年性スポーツへの忌避感が出た出来事だ。

 

”わたし、スケートを習いたい! お姉ちゃんみたいになりたいの!”

 

 2週間前とあるフィギュアスケートクラブ(FSC)の名刺をくれたいのりは、

わたしの顔をまっすぐ見て言った。

いのりはみかをあんなにしたスケートに憧れてる。

 本当は嫌だったけど、いのりと友だちになってくれたみそぎちゃんは

スケートをやってる。

スケートがいのりに”楽しい”を教えてくれた。

 

 親として、取り上げることなんて出来ない。

やっと、やっと、こんなに笑って、好きも嫌いも隠さなくなって。

甘えてくれるようになって。

 

 わたしは、いのりの笑顔を守るためにルクス東山を訪れた。

向かう先は大須スケートリンク。高峰ヘッドコーチや

いのりといのりの友達であるみそぎちゃんの専属コーチとして契約する明浦路先生、

いつもいのりを心配してくれる受付の瀬古間さん。

 見てわかった。いのりが大切にされていることに。

確かに笑顔になるのも頷ける。

お父さんは教壇で鞭を振るい、みかはカナダへ留学をしていて

いのりと一緒の時間を長く過ごすわたししかいない。

 

 一番いのりのそばにいる親がわたし。

そんな味方になるべきわたしが、最初からできないなんて決めつけている。

 

 

 のぞみはいのりの可能性を、常に否定してしまっていることに気づいた。

いつか自分の手を離れて飛び立つというのに。

 いのりは自分と似ているから、という感覚でいた。

常に進んでいる子どもが、時に囚われた大人を追い越すのは無情である。

残酷であるかもしれない。だが、自ら進んで可能性を広げている子どもに、

少しでも選択肢を与えられるのは誰だろうか。

 

 それをするのも、そばで見守るしか出来ない親の役割だろう。

 

 のぞみはまだいのりが選手になるということに現実味がないが、

楽しくスケートをしているうちは何も言わないでおこうと

一旦筆を置くのであった。

 

 




ちょくちょく出てくるみかは、実叶と書きます。
いのりの姉で、アニメ4話原作2巻に出てきます。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。