朝を告げる鳥たち。彼らの囀りは、時として神や天の使者と崇められてきた。
昔ならそれはもうありがたがれた。
しかし今なら少々違う印象を抱かれるかもしれない。
試練が一歩ずつ近寄ってくる、時計と同じく酷薄な時間の流れを示すのだ。
「いのりー! 遅刻するわよ!」
「ヒイイイイイ!!!」
深く寝入ったと思ったら、実は細かく起きてしまってあんまり眠れなかったいのり。
のぞみの怒髪天でようやっと、まな板の魚のように起床する。
慌てつつもちゃんと目的を見失わない。
ドジふんで泥まみれになってしまうかもだから、ペンダントは車の中で着替える時に
一緒に持っていこう。
と、いのりなりに計画を立てる。
しかし、ここでのぞみからの一声が。
「いのり、今日はお休みの日って明浦路先生から連絡が来てるわ。
今日はしっかり休みなさいって」
「ええ!?」
「というのは建前で、”先日使ったスケートリンクが点検で使用不可なので、
大須スケートリンクをたくさん使えません。初日だけの大盛況だと思うので、
休みついでにあちらがホームである名港ウィンドFSCの偵察を行います”。
だって、どうする?」
「行く!」
「よし! わかったわ、放課後に駐車場ね」
「うん!」
今日はみそぎにバッジテスト合格を伝える大事な日であり、ペンダントを返しに行く日だ。絶対に、絶対に抜かしてはいけない。
そういのりは考えるが、少女が集中して聞いていたのが強いと評判のFSCの偵察という部分だけ。返しに行く先が休みというところは、全く頭に入らず馬耳東風していたのだった。
「パパ、ママ、行ってきます!」
「「いってらっしゃい」」
結束家から学校まで徒歩20分のところにある。
とても近くて走っていけば簡単にたどり着く。
ただし名古屋走りをしている走り屋が多く、ちゃんと車校出てんのかってレベルで
香川県並みに運転マナーが悪い。
走り屋暴走集団育成場と化しているが、少なくとも
歩道まで乗り上げてくるのは稀なので気をつければ問題ないとされる。
稀の事例として歩行車[ほこうしゃ]がでるので、油断もへったくれもないが。
こうして今日も生き残れたいのりは、健気に学校で鮮烈な歓迎を受けるのだった。
「先生!」
「なんですか、いのりさん」
「お前が話し掛けてきたらバカが移ると言われます!」
「それはありえません。そもそもバカはなるものであって、
誰かにされるものではないですよ」
道徳の授業で一言大きな声で発するいのりは、
先生がどうどうときっぱり切り落とした。
道徳の授業ということで、先生も授業内容に触れたコメントとして返答している。
誰がどうのと言うわけではない。
教師として、生徒の道徳の形成につながると信じている。
また、本当のバカは取り返しがつかないことをするので、
先生個人としてバカはこの学校にいないとしている。
なお、本日の授業は、小学生が大学生の問題を軽々と解けるギフテッドの話。
本人の才覚を活かすために認められていない飛び級をさせるか、
本人の精神を成長させ立派なオトナにするため同年代の子どもと遊ばせるか。
5年生になると自己認識ができるようになり、そこらへんの塩梅が
あまりにも難しいということで授業に取り上げられたのだ。
先生としてもいのりが障害を持っていることは、親や保育園の先生から聞いている。
そして今まで悪口にさらされ、精神をいじめられていることも知っている。
だがモンスターペアレントが生まれ、教育側の権限が親に比重が傾いてしまった
昨今では、教育的指導や熱血指導などはできない。
今では全く効力のない、なあなあの言葉で済まされる。
教師の仕事も全く楽にならない。
だが道徳の授業は公私をみんなで議論できる唯一の場。
欠かせば、このクラスの子たちは、少し出遅れている人達や少し先走っている人達
に意味のない精神的な攻撃をする可能性が高い。
直すことは望まない。少しでも、”こういう人がいるんだ”ということを前提に
物事を考え行動してほしい。
多感になる前の最後の道しるべだ。
待ち望んだ放課の時間がやってくる。
「きりーつ、れー」
「「「あじゃじゃしたー」」」
「ましたー!」
いのりはすべての視線を振り切って猛ダッシュで、来客用の駐車場へ赴く。
我が家のN-BOXの色と形状を一瞬で見分けて、すぐに乗り込んだ。
「ちゃんと挨拶してから来てるの?」
「挨拶してるよ!」
チャイムがなり終わって1分足らず。あまりの俊足に肝を抜かれるが、
むしろ早いからこそちゃんとやるべきことを終わらせているのか、
といのりに聞く。
まあ、ちゃんと分別をつけているだろうし、問題はないだろうと言うのは
わかっている。
これがエスカレートして、帰りの会ひいては学校なんてひつようねえ!、なんてなるのが一番恐ろしいことなのだ。
「あともうちょっとでつくわよ!」
「早い!」
「信号がちょうどよかったのね」
いのりはそそくさとスケートリンクに立てるように、最低限の準備を行う。
パーカーやレギンスを着て、ペンダントがちゃんと入っているのも二度・三度と確認する。今日は一緒に返しに行く日なんだ。約束を破ってなるものか、と奮起しているのだ。
約束を反故にしたものは、縁切り待ったなしと言っても過言ではない。
相手が別に気にしてないよ、と言っていても、OK!(ズドン)と
命(タマ)をぶち抜かれても文句はいえない。
それくらい大切なのだ。特に、唯一の友であるみそぎに対して、
心配してくれて一緒に行こうと約束してくれた。
(手袋よし、スケート靴よし、ペンダントよし)
忘れ物はないかと大須スケートリンク1階にある駐車場でのぞみに言われ、
最後の確認をしてALL OK。
迎えは18時でお願いと伝え、のぞみは一時帰宅し夕飯の準備を行うのだ。
「おーい、いのりちゃーん!」
「あ、みそぎちゃん!」
いのりは横断歩道をわたって走り込んでくるみそぎを、
笑顔で手をふって迎える。
いつものレギンスパーカーであるいのりの格好は、この場において普通だ。
しかし今日のみそぎの格好は、あいも変わらず奇抜だ。
「みそぎちゃん、今日もイカすー!」
「でしょでしょー? 今日はなんと、宇宙服(軽量版)だー!」
「ファッション感覚わかんないよー!」
梅雨前線が曲がりくねっている影響もあって、
雨はふらないのに湿気だけかっ飛んできている昨今。
こんなクッソ蒸れる夕方に、そんな重装備を着込んでいて大丈夫なのか。
そう思うかもしれないが、通気性だけはちゃんと確保しているので
見た目よりかなり涼しいぞ!
「お、いたいた」
よく通る声を聞きつけて司が階段を降りてくる。
たった一日しか出会っていないのに、なつかしいなあと思うほど。
ただ、みそぎのいつもいじょうに奇抜なファッションが目に突き刺さる。
「……え?」
「司せんせ、みそぎですよ?」
「ご、ごめん。一瞬だれかと」
「ほんとにねー」
町中で奇抜な格好をした何者かを怪訝な表情で凝視する司。
彼がふくれっ面をするみそぎをなだめている間、
いのりはのぞみが一時帰宅するところを確認する。
のぞみは父親が休みの時にいつも一緒にスケート場へ入ってくれて、
休憩中に宿題を少し進めたりどこまでスケートを熟[こな]したかみてくれる。
今日はその日ではないようだ。
「……よし、それじゃ中へ入ろうか!」
「「はい!」」
大事な教え子の一人であるみそぎを見破れなかった司は、少し気後れするも
大事な発表を控えているいのりのために中へ誘導する。
今日も眩しい笑顔がみんなの心を照らす。
実にGOE+5000那由多、素晴らしい。
エントランスロビーに入ると、そこには高峰瞳ヘッドコーチが待ち構えていた。
まってましたという感じで笑顔になっており、彼女の隣へ司が配置につく。
そして二人がいるところの近くにいのりが行き、みそぎと瀬古間さんに対面する。
みそぎも瀬古間さんも、いのりの後ろにいる二人が妙にそわそわしているのを見て
だいたい察せてしまう。司や高峰ヘッドコーチも、大概に自分の感情を隠しきれない大人だった。
そしていのりがバッグから取り出した認定証を持って、二人に見せる。
「初級、受かりましたー!」
「「おお!!」」
瀬古間さんはみそぎとともにいのりを三年間、このスケートリンクで見守っていた。
たまにスケートを教えたり、みそぎから手渡された練習表を使って、さらなるスケーティング力を上げる手伝いも行っていたのだ。
最初はミミズから始まった奇妙な縁。
今では立派にプロを目指して頑張っている。
あれから随分と時間が経ったと感慨深く思い、鼻の奥がツーンとし
目の奥から感動が溢れてくる。
「いのりちゃん……おめでとう……」
みそぎもいのりとともに、テッペン目指してやってきた仲だ。
最初からやってやるぜ!、という気合で臨んでいるわけではなかった。
しかしあるときに受け取った志を継いで、一歩を踏み出し始めたのだ。
今まで散々な目にあってきたみそぎ。其の中で、この世界だけでも自分の
拠り所にしてみせると奮起した細雪。
偶然に出会ったその時は、今でも忘れられない思い出。
瀬古間さんたちの世間話や他の母親らのマウント合戦を、これみよがしと
聞きかじっていた。
おかげで、今もいのりは気負うことなくスケートをすることができている。
「じゃあ次は大会に出て、初級枠でトリプルジャンプなどでなぎ倒して
さっさと頂点掴もうぜ?」
「うん、お母さんもまだ踏ん切りがつかないみたいだし、さっさと優勝して
投資してもらう!」
「「……」」
紙袋を持っている高峰ヘッドコーチと第一歩踏み出せたぞーと悦んでいた司は、
二人の爆弾発言に真っ青なかおをする。
別にスケート界を舐め腐っている発言だからというわけではない。
そもそもすでにふたりとも、トリプルジャンプは出来ている。
みそぎはトリプルアクセルはできないが、ほかは安定している。
いのりも変な気負いがなければ、ループ・サルコウ・トウループのトリプルジャンプを
飛ぶことができる。
で、一番問題なのは、初級枠で大会に出場する場合大会ごとに規定が
きつく設定されて使えるエレメントが、シングルジャンプなどに固定される可能性があることだ。
5級未満の実力しか発揮してはならないとか、初級の実力で勝ち抜いてくださいと
指定されることもある。
またスピンもジャンプしたとしても、8回転しなければ
認められないので規定にふれることはない。
だが、指定されたジャンプの回転数を超えると、無得点または減点されることもある。
詳しい説明は、プログラム練習の時にするが、トリプルジャンプを
無条件で発揮できるのはバッジ5階級以上の全日本へ戦いを挑める上位陣のみだ。
一応地方大会で、バッジの階級ごとに挑戦する枠があるので、自分のバッジレベルに
応じた枠で参加すればたくさんのジャンプが解禁されるぞ!
「え、えーと、いのりちゃん?」
「はい! なんですか?」
「はいこれ。超特急で届いたものよ」
高峰ヘッドコーチがいのりへなにやら小さな何かを手渡す。
いのりはそれを少し転がして、表裏を見てみる。
それはバッジテストを頑張って合格した証であった。
「さて、今日は名港ウィンドの生徒がたくさんいる日だ。
彼らの情報を抜いて、少しでも役立てよう!」
「わかりました!」
「まってました!」
「あ、わたしは新規参入者への説明会があるから」
高峰ヘッドコーチはそそくさと表へ出ていってしまう。
あいも変わらず忙しない人だなあ、とみそぎたちは社会人の大変さに
心から同情したようだ。
さあ、大事な場面が来ます。