「あのさっ、このあと下の喫茶店で話さない?」
司がみそぎに腕を離してください、誤解される! と弁明する姿を背景に、
光がいのりへ話しかける。
光は初めて出来た友達であり、新たなライバルとして友誼を結びたいと
カフェへ誘う。
しかし、いのりの表情は芳しくない。本当なら受けたいけれど、それが出来ない理由が彼女にある。
微妙な表情と雰囲気でなんとなく察してしまう光は、やっぱり言わなければよかったと後悔しそうになった。
「え、と、このあと行くところがあるの!」
「行くところ?」
口調からして自宅ではない。普通なら帰るところというからだ。
光自身が嫌いだとか、リンク上だけの友達であるとかそういうものではない。
「どこ行くの?」
「え!? えーと、落とし物を届けに邦和スポーツランドに……」
光は自身のホームリンクの名前が出てきたことに驚くのと同時に、
今そこ工事中なんだけど、と一言伝える。
みんな知ってるよとさも当然に言うので、いのりは魂消てしまう。
また、それを聞いたいのりは、どうしようと軽く混乱してしまった。
いきなり混乱しては自分を責め始めたいのりを、光は自己責任感が強いなぁと
好意的に捉える。
「じゃあ、一つ提案しても良い?」
「……え?」
「私、そこがホームリンクなんだ。来週には直るらしいから、私が届けてあげるよ!」
「でも、でも……」
光はいのりが頑なに自分で行こうとするが、此のあと友達でありライバルであることを
印象付けたいためコメダ珈琲で、存在感を示したいと考えている。
そのため、新鮮な友好を温めるため、邪魔な拾い物という案件を排除しようと動く。
また、司とみそぎが乳繰り合っている寸劇も、あと少しで終わってしまう。
今だ! 今しかない! 光は此の機会を逃さず、伝える。
今を逃せばいのりが信頼を置くみそぎとともに、閉館しているスポーツランドへ
足を運ぶことになる。
(やっと私を脅かすライバルができた。逃さないよ!)
名港ウィンドFSCでは、激しいランクバトルが行われている。
誰も彼もがノービスA・Bで、表彰台に上がれる実力を持っている状況だ。
こんな中で友達なんて悠長なことは言っていられない。
バレンタインデーや誕生日に、クッキーを焼いてくれるくらいの関係性しか築けていないのだ。
あくまでもスケートのクラブに所属しているからというもの。
一緒に時間を費やす関係性を持つ友達は皆無である。
「私のこと恨まないかな……」
「大丈夫だよ! 別に盗んだんじゃなくて、落ちてたんだから。
むしろちゃんと届けてくれるんだもの。優しいし、かっこいいよ!」
「ほんとかな」
「ないと思ってたのに見つかるとか、最高に幸運だと思うんだ!
その落とし主が文句を言うのは筋違いだって」
なんとかして一緒に此のあと食事に誘いたい姿は、やっと司と寸劇を終わらせたみそぎにとって会話下手な子が一緒に遊ぶための口実にあれこれ言い訳しているように見えてしまう。健気だな、と。
「ね、いのりちゃん」
「あ、みそぎちゃん」
「スポーツランドも遠いし、工事中で事務員の人もいないし。こうなったら、光ちゃんにお願いしようよ」
「そっか、そうだよね」
初対面だから仕方ないとはいえ、信頼が全くないことを痛感する光。
孤高の光は、群れに馴染めなくてもいいと自身のコーチはいうが、
群れに馴染めないものは周辺社会から逸脱するしかないんだよな、と悟っている。
鉄は熱いうちに打たないと。
「じゃあ、お願いしよっかな」
いのりはみそぎの説得を受けて、直近で一番近い光に渡す決心をする。
リュックサックをおろして、中から綺麗なハンカチで包まれた物が出てくる。
大事そうに両手で持ち上げて、光へ手渡す。
結構厚手のハンカチなので中身を手のひらで感じることはできなかった。
しかし、とても高価なものなんだろうと、丁寧な対応で判別する。
「ちなみに、何なの?」
「ペンダントだよ」
「すごく綺麗なペンダントなんだ。だから、絶対に届けてほしいの!
きっと、なくした人、すごく悲しんでると思うから!」
大事そうにくるんでいても、扱いがわからないので聞いてみる。
実際に割れ物?と思えそうなちょっと固いもの。包める大きさだけど、決して安定していない。そんな不思議な形状だからこそ、置き場に困るものは対応を変えなければならない。
一体何なのかを聞くと、みそぎが軽く教える。
絶対に粗相をするなよ?と言外に聞こえる強い言葉だ。
またいのりも、綺麗なペンダントであることを伝える。
大事なもの。ペンダント。そして、いのりとであったときの不相応なチェーン。
いや、そんなわけないだろう。昨日のアレは携帯のキーホルダーかなにかが、夕焼けでそうみえただけだ。
光は、昨日から紛失している大事な大事なペンダントを一心に思う。
さて、ようやっと一件落着したので、このあとの予定がなくなったいのりたち。
せっかくだから、いっぱいひっかけようぜ、とみそぎは司たちを誘う。
流石に高峰ヘッドコーチは、この後の貸し切り枠に入らないと行けないので
ここで別れる。
あの光選手と話せる機会だというのに、少々もったいないなと思うが
そこはいのりとみそぎ専属のアシスタントコーチである司の出番だ。
「司くん、そっちは任せた!」
「あ、はい。任されました!」
近くにあるコメダ珈琲へ、光がいのりの手を取って一緒に入る。
みそぎも司とのぞみを、光が案内した席へ誘導した。
今回もみそぎは全員分を持つというのだ。
レッスンを始めて二週間程度だが、結構な大金をかけて
みんなの食費を補っている。
のぞみは母親として、自分たちの分はだそうとしたがそれすらもことわる。
いえいえ、出します。
きっぱりと断ったみそぎは、みんなが注文した後に届けられた注文明細を
取ってひらひらする。
「そうだ、みそぎさん。クアドロジャンプは前から飛べたんですか?」
今日のジャンプを最後まで見ていた司は、回転数が足りなかったとはいえ
しっかりと降りられていたことに驚いていた。
その後光の具体的なアドバイスやトウループのちゃんとした姿勢を学び、
いのりがジャンプ時の感覚を言葉として表面化する。
二人の力がみそぎの背中を押して、q(クォーター)を
GOE-1くらいの出来にしていた。
「ぜんぜんまったくです! ただ、やろうとしたらちょっと足りなかっただけで」
「ぇ?」
「初めてでアレ!? みそぎちゃんって、何級だっけ?」
「えーと、まだ初級でもなんでもないよ?」
みそぎが眼の前にいる光と隣にいるいのりを見る。
いのりは目線を向けられた意味を感じ取る事ができなかったが、
光はみそぎの目を見てこらえることが出来なかった。
「ねえ、みそぎちゃん」
「何?」
「明日から初級から6級までのバッジテストをクリアできるよう、
一週間で鍛えるから」
「ええ!?」
みそぎは光のその決意をやんわり断ろうとした。
なにせ、司に学んでちゃんとしたフィギュアスケーターになれるように頑張っている
最中であるからだ。
それに受講料とか色々問題がある。
「ただで教える。うちのコーチがあぐらをかいて、
大須スケートリンクで予約取れなかったって、さっきメールで来てたから」
注文していたときに、電話が震えたときがあった。
その時に確認したのだろう。
光はいのりの肩を抱いて引き寄せる。
「ひゃっ」
「私、いのりちゃんとみそぎちゃんと一緒に、世界で戦いたいんだ」
「え、えっとぉ」
みそぎは司の方を見る。
助け舟がほしいというより、不義理でごめんなさいという表情で見上げる。
司も邦和スポーツランドで不利益を一週間食っている光が、
集中して一緒に滑ってくれることはいのりにとってもみそぎにとっても
良いことしかないとわかっている。
ただ、光が上手すぎていのりさんの心が潰れてしまわないか、と
すごく心配しているようだ。
ただ、最初からみそぎと協議して納得し合っていることがある。
それを今活かさないでどうする。
「光さん」
「はい」
司は”あの”がつけられるほど強く有名な少女を、丁重に扱う。
けっして同等ではない。しかし、いのりやみそぎを導く指導者として、
此の場で引くことは決してありえない。
「一週間、光さんはみそぎさんを、私はいのりさんを指導します。
そして、最後の日。高峰瞳ヘッドコーチに、見てもらいます。
曲がけはできません。そこで、実施するのは6級までのエレメンツにします」
「いいでしょう」
のぞみは自分と話していた司が、とんでもないことに巻き込まれ娘のいのりも
いきなりエレメンツだけだが6級までやるという事実に、状況を飲み込めないでいる。
のぞみの隣にいるいのりも、いつのまにか1週間後に6級までのエレメンツを
こなさないといけないという事実に放心状態だ。
つまり、内輪もめというやつである。
「光ちゃん! 私、光ちゃんが育てるみそぎちゃんに勝つから!」
「うん! 私もみそぎちゃんを全力で育てるから、楽しみに待っててね!」
司はこんな状況になってしまったが、あんまり動揺していない。
むしろ光選手の滑りを間近で観察できるので、どこまで可能かというのがわかるのだ。
所属は名港ウィンドで、コーチは銀メダリストの鴗鳥慎一郎。
なにせフィギュアスケーターは、コーチの滑り方を学ぶ。
いわゆる写し鏡。得手不得手もあろうが、コーチは経済的に優れた人でしかなれない
事情がある。
そこで経済的に優れている人は、必然的にスポーツの世界で優秀な成績を収めた選手がほとんどであると相場が決まっているのだ。
そういうこともあって、銀メダリストが師である光に、司はいのりを通して
挑戦するという解釈になってしまう。
みそぎの技術や必死こいている光を、自分のフィールドに落とし込む司。
しかし、本物にしこまれた光から仕込まれるみそぎを、虚像で塗り固められた
自分がいのりさんに勝たせることができるだろうか?
ひどく心配するべきではない。マネジメントが光る楽しい時間になる。
それは必然だ。
隣の芝が青い。