「あーうん、シングルアクセルで一回転半して、トリプルトウループね。
……アハハハハ!! 天才すぎでしょ!? こんな子たちが今までクラブ未加入!!
天は我を見放さなかったあ!」
「司くん?」
「アッハイ」
いつの間にか来ていた高峰瞳ヘッドコーチが、新規加入の二人がいるのを確認。
ちゃんと指導できているか抜き打ちで来てみたのだが、
あいも変わらずべた褒めで、周囲の親御さんのレイピアが突き刺さっている。
「いのりさんもダブルアクセルからチェンジエッジ、ツイズルから
トリプルループ!感動感激! すごすぎる!
ダブルアクセルは他と違って基本数字が1.5倍だから、
2.5回転! しかもチェンジエッジとツイズルで、一気に
ポジションに付く! チェンジエッジだけでも難しいのに、ツイズルなんて
足首をちゃんと鍛えてないとひねるわくじくわで、捻挫の温床だ!
それなのに見てくれよあの軽やかさ! 中学生までは体重が軽いからとか、
そんなの言い訳にならない! 芯も足・腰・肩と重心が通っていて、
力がちゃんとエッジに伝わってる! エッジマスターだ!!」
「///」
めちゃくちゃ詳細まで褒められるいのりは、冷たい氷の世界に
春風が訪れたかのような感覚を覚える。
15:30から16:30まで専属レッスンを受けて、10分間は整氷作業に移る。
そして再び16:40から17:40まで滑って、残りの20分を自主練習にあてがう。
これらはいのりに注力してもらう時間で、みそぎはそのついでという感じで
参加している状況にある。
最初こそは司の指導力をいのりに全ツッパしてもらう予定だったが、
一瞬で詳細まで見抜く視野の広さが手伝ってみそぎも一緒に見られるようになってしまう。流石にこれはプログラムを走るまでのことで、振り付けや通しで演技となってくるとそこまで面倒を見きれるかわからないと本人がみそぎに伝えた。
「もともとそのつもりですよ。大丈夫です」
「力が及ばず、申し訳ありません」
「まずはいのりちゃんを大会優勝者にしましょう。
そうすれば名声も上がって、1名くらいコーチとして所属するかもしれませんよ?」
みそぎに気遣われてしまう。情けないと思うだろうが、アシスタントコーチとして
本格的に勉強し始めたのがついさっきだ。
ある程度はアイスダンスで培った観察力でごまかせている。
だがしかし、まだその程度というしかない。
基本のスケーティングや身体の使い方を教えることはできるが、
ジャンプに関して言えばみそぎたちに完敗だ。
「司せんせも残りの5分で踊ってみてくださいよ」
「そうだね! 少しやってみるか!」
制限時間に近くなってきて上がる人が徐々に増える中、司は少し広く取れたリンクを使ってかるく舞ってみる。みそぎといのりは、アイスダンスのプロの実力を学んだ。
とくにレイバックやビールマンといった、体幹を鍛え上げた人じゃないと
できなさそうなフィギュアに驚嘆する。
「すごっ! 司先生って何やってたんだろう?」
「そういえば、何も聞いてなかったね」
世間話で盛り上がっていたので、司の経歴を聞くことを忘れていた二人。
ただ今思うことは、これを見る前に話を聞いても実感がわかなかったに違いない。
世界の頂点で戦ったことがあるということとそのレベルの高さに、
いのりもみそぎもただただ感動したのだった。
終了の合図でさっさとあがる。
結構集中していたようで、忽然とした表情であたりを見回していた。
「さあ上がりましょう!」
「「はーい!」」
氷上の美術科が終わり、息を整えるために休憩室へ赴く。
そこには高峰ヘッドコーチと結束のぞみがいて、彼らに気づくと手を振った。
一体何の話をしていたのかを聞くと、今月のバッジテストに関して話していたようだ。
バッジテストの開催場所は定まっておらず、場所によっては6千円もするんだそう。
更に場所も遠くなったり近くなったりするので、生活リズムが乱される事が多い。
そのため自動車による送迎だけじゃなく、病気になりにくい環境づくりをお願いしていたところだ。
またバッジテストを取ったら、次は大会に出場するので衣装や振り付けなど
色々出費がかさむということも説明した。
「さて、いのりさん、みそぎさん。
お二人に教えなければならないことを忘れていました」
「なんですか?」
「フィギュアスケートは氷上の社交ダンスの一つとされています。
そこで、訓練の終わりのシメに、これを行いましょう」
司は其の場で二人に対して、ボウ・アンド・スクレープをお見舞いする。
皆さんご存知のカーテシーの男性版だ。
そもそもスケートは、ソリと同じく雪国の移動手段として用いられてきた。
それが徐々に欧州全体に広がっていき、スケート人口分布も幼年から老人まで
幅広く親しまれていった。
そしてそのスケートに競技性を見出し、一般平民たちが作り上げたスピードスケートと
貴族たちが美術性を追求したフィギュアスケートが誕生したのだ。
そういう過程もあり、フィギュアスケートでは欧州貴族のお辞儀を取り入れているというわけである。
「これかっこいい!」
「カーテシーを使うことってあるんですか?」
「あるよ。エキシビションというんだけど、そこで使ったりするんだ」
エキシビションに関して詳しく説明するのは、其のときに行うが
簡単にいうなら楽しませるスケートのことだ。
スケートサーカスとはちょっと趣が違うかな。
「エキシビションかー」
「こっちもこっちですんごいお金かかるから、スポンサーがついてからにしようね……」
「うん、わかった! まずはバッジテストを合格する!」
「その意気だ、いのりさん!」
またねーと手を振って母親といっしょに帰っていくいのりを、
みそぎと司・高峰ヘッドコーチが見送る。
明日のために解散しようとしたが、みそぎがなにやら司にお話があるようだ。
高峰ヘッドコーチは、事務仕事があるので後日司に教えてもらうことを伝え、
車に乗って去っていく。
「みそぎさん、お話ってなにかな?」
階段から降りて左へ曲がったところに、コメダ喫茶店がある。
ここはカントリーハウスや木造平屋に入ったときのような、謎の安心感に見舞われる場所だ。胸がすく香りと木が織りなす深い味、冷え切ったからだをその温かな雰囲気が
柔らかく包んでくれる。
みそぎは司を奥の方の席へ誘導し、1杯奢るので、と切り出して席に座る。
飲み物と軽食を一つずつ注文し、一息つく。
「わたしの両親のことなんですが」
「ご両親?」
「はい。知っておいてほしいことがあるので」
やはり内密なことだったかーと顔を覆いたくなる衝動を抑えて、真面目を取り繕う。
だが今後最大の障壁になるのは家庭環境なので、一度佇まいを整えて真摯に向き合えるよう心を入れ替える。
「親の電話番号を調べたと思うのですが御存知の通り、わたしは政治家の娘です。
訳あって、今は独りで暮らしているんですが―――」
みそぎは自身を取り巻く面倒な環境を伝える。
なぜこんなことをいうのかという司の内心を見抜いたかのように、
続いて言葉を紡いでいく。
おとぎ話でも聞かないような境遇と今の家庭環境を、苦しそうに司へ伝える。
これは表に出せない情報で、マスコミや文春砲で世間の驚嘆を誘う悪徳業者の手にかかれば、この子の人生が終わってしまうと確信するものばかり。
「―――ですので、もしも何かあれば無関係を貫いてください。世間は関係なく、わたしの周りの人たちの心も社会的信頼も殺します」
「わかった。このことはいのりさんたちには内緒にしておく。でも、高峰ヘッドコーチは、あなたが所属するクラブの長だ。一部を抜粋して伝えさせてもらうよ」
「はい、よろしくお願いします」
流石にこの件を聞いて、司は俺がなんとかしてみせるとは言えない。
それでも、スケートを一所懸命に頑張っているみそぎさんを、どうこうする資格が
あるわけでもない。
今まで通り接し、毎朝のニュースで報道されないことをいのるしか司に
できることはなかった。
P208にあるタックなど、小技とかどこに書いてあるんですかねぇ。