本日快晴成リ、本日快晴成リ。
「雨降ってるじゃん!?」
フィギュアスケート専属コーチである司に教わり始めて、
もう3日も経過してしまった。
相変わらず学校ではドジ踏んでしまって、白い目で見られている。
「まあそういうこともあるでしょ! あ、そうだ。
先生! また明日、勉強教えて下さい!」
「うんわかったよ。いのりさんも頑張っておいで」
「はい! ありがとうございます!」
”なんでそんなこともできないの?”
”みんなできてるのに、きみはできないんだね”
”バカは用済み”
”邪魔” ”きえて” ”またミミズ探してる”
「ちなみに、ミミズは泥抜きをして、低温の油でじっくり揚げれば食べられるよ」
「え、だ……れ……?」
銀白の髪が月光の輝きを宿し、深紅の瞳が星々の瞬きを映す。
気品が迸る衣は空[くう]に舞い、天女のような存在がいた。
あまねく現し世のモノが、幽世のモノを認識できるはずがない。
圧倒的な個が、超常が、そこに佇んでいる。
かけられた言葉とそのギャップに苦しみ、誰一人として
言葉を発することが出来ない。
何故なら眼前にいる理想を破壊するかもしれなかったからだ。
「みそぎちゃん!」
みそぎ。そういうのか。
名を認識した時、男も女も関係なく美に惹かれる。
あるものは凝視し、あるものは目を隠し、あるものは尻尾巻いて逃げた。
そして、今、この場にいるものは、美だけでなく麗を享受するのだ。
「ご機嫌麗しゅう、いのりさんの御学友の方々。お目にかかれて光栄です」
完璧な所作でカーテシーではなく、ボウ・アンド・スクレープをお見舞いする。
その一連の礼は一般市民でも一瞬で解らされた。
可憐さ、優雅さ、美麗さ。全てが揃った完璧な存在を見て、
一部の紳士淑女が気を失うほどである。
「わぁ、みそぎちゃんかわいい!」
「ふふ、ありがと、いのりちゃん」
さて、なぜいのりの学校にみそぎが来ているのか。
単純に気になって、見に来ただけである。
みそぎはいのりが持っているミミズが蠢いているビニール袋を見て、
瀬古間さんも喜ぶね!と笑顔を零す。
何者にもなれなかったものは置いてけぼりにされ、
何者かになろうとしたものは悠々とこの場を立ち去った。
「ママ! みそぎちゃんがすっごくかっこよかったんだよ!」
「よかったわね。それで、宿題はちゃんとのできたかしら?」
「あんまりわかんないや」
「じゃあ、スケート練習の休憩中に終わらせよっか」
「あい……」
宿題もろくに出来ないだめな子だけど、スケートだけは誰にも負けない人になる。
そう心に決めたあの日から、随分と遠くまできた。
おぼろげにそう思っていたのか、どんなに辛いことがあってもスケートのことを
考えれば乗り越えることが出来たのだ。
綺麗で可愛いみそぎちゃんと出会えたし、色々あってお母さんにも”ママ”って言って
甘える事もできた。今では全日本のアイスダンスに出場した
高峰コーチとその相方であった司先生に教わっている。
わたしはやさしくしてくれる皆に、何か返せてるのかな……。
「40秒で支度しな!」
「みそぎさん、ジブリにでもはまった?」
「もちろんですとも!」
「良い気合だね! 今日はジャンプに関して観察したいから、
よろしくお願いするよ」
いのりはみそぎちゃんと司先生が楽しそうにやりとりをしているのを、
宿題を抱えながら見る。今までみそぎちゃんは、あんな表情をわたしにしたことあったっけ?
そう思うと、なんだか無性に寂しくなってしまう。
いままで一緒にやってきたからかなぁ?とあんまり深く考えないようにした。
「さて、コンパルソリーフィギュアの完成度が95%な二人には、
ジャンプの上達を目指してもらいたい」
「「はい!」」
現行法は実に悲しいことに、芸術点はほぼない。
いい表情や表現という第三者の感性に頼り切ったものは、
競技というものに不公平をもたらすものとして切り捨てられたのだ。
フィギュアスケートの意味がないじゃん。
形骸化した芸術は美術ですらなく、お遊戯会以下の代物へ堕落した。
都合よく解釈するならば、ステップシークエンスやコレオグラフィック・シークエンスがある。
だが、ついででしかなくなった。
2000年代に咲き誇っていた芸術は万物平等の前に砕け散った。
あの頃のジャンプを数回入れ、音に合わせ表現し起承転結のドラマを
凍てついた銀冰の世界で熱狂した演舞は戻ってこない。
勝つなら、捨てるしかない。
勝てる、つまらないスケートをするしかない。
「司せんせ♪」
「うおっ、ど、どうしたんだい、みそぎさん」
「そんなに怯えないでくださいよ」
「みそぎさん、音もなく近づいて脇腹をちょんとされると
びっくりしちゃうよ?」
「あ、ごめんなさい」
「次から気をつけてね。それで、何のようかな?」
いきなり急所を攻撃されたので魂消たら、みそぎが目をかっぴらいて
少し放心していた。
それで何の用かと聞いてみると、今のスケートのルールがどうなっているのかというものだ。基礎となるルールがある事自体知っているが、ちょくちょくルールが変更されては
かなり紛糾すれることがあると聞いている。
それで、今年のルールは、自分たちに有利なものなのか、と訪ねたのだ。
なにせいのりは、スケーティングや振り付けを綺麗に見せられるようにする、という
基礎を毎日一時間コツコツと練習してここまでつなげてきている。
また、来年参戦するみそぎは、ジャンプよりも細やかな足さばきや振り付け、
審査員から見た好印象となる角度を好んで研究している。
これを考慮されないスケートは、ただ苦しくなるだけなのだ。
「今年はジャンプの基礎点が下がって、GOEが11段階になったんだ。
さらに、クアドロアクセルの不安定さから、上位ジャンプが大幅に減点されている。
つまり、高品質なジャンプをするように、とのお達しだね」
ああ、いのりさんっGOE+5000億点あげたい!
と感無量になった司はいのりの舞を、感極まって最大得票にしている。
「次はルッツだけど、いけるかな?」
「わたしがお手本を見せるから、いのりちゃんは一度わたしのトリプルルッツ見てて」
「うん! みそぎちゃんのジャンプ、とっても綺麗だから真似する!」
「いくよ!」
エッジカバーを取り外して直ぐに氷上へ舞い戻る。
ルッツの準備をしているのか、バッククロスをしている。
「はっや!?」
司がまたもや驚きの表情を浮かべている。
通常前へ滑るストロークや方向を変えるフォアクロスは、
素人だと不可能であるが少なくとも人間は前へ進むことに恐怖感はない。
理想論でしかないが、頑張ればスピードスケートクラスの速度へたどり着ける。
しかしバッククロスという名の後ろ滑りはどうだろうか。
ただでさえやめろと言われる後ろ歩きを、高速かつ不安定なスケートで
やるやつはいないだろう。
もしそれをやるやつがいるなら、その人はよほどのスピードバカか命知らずといえる。
オリンピック選手? 自身の緊張を闘志への燃料に変える化け物たちは話にならない。
とにかくだ、これを極めることが出来たら、あなたもスケーターの世界へ
取り込まれた狂信者と言えるだろう。
なにせ、スケートで出せる速度は60キロである。
つまり、サイレンススズカやスタートダッシュを決めたツインターボの
鞍上みたいな体験ができるというわけだ。
「カウンターでS字に曲がり、トリプルルッツを一回やったら、
チョクトウからカウンターで進行方向を維持して、助走しtっずにオイラー!!
そしてトリプルサルコウ!?
どんだけ筋力がいると思ってるんだ!?」
幼いうちに初級を越えてしまい、小学5年生になるころには
できる子どものほぼすべてが5~7級のバッジテストを合格する。
この年齢で自身がオリンピアへの修行僧になるか、そのまま
地を這う娑婆へ逸脱するかの分水嶺。
大半の人が言う。小学五年生くらいがギリギリだと。
嘘ではないのだ。
しかし逆に考えてみよう。
筋力も身長も齢[よわい]を重ねた分だけ表現力が上がると。
みそぎの見た目はアルビノで虚弱かつ病弱に見える。
儚き子どもにも見える。
しかしその身体に秘めたるは、ぎりぎりまで育てたインナーマッスルの塊だ。
つまりこのトリプルルッツという高難度のジャンプは、
溢れ出んばかりの熱と活で発せられた力技なのだ!
「あははは! 強靭、無敵、最強!」
「司くん、ちょっとー!?」
「あ」
いつものように高峰ヘッドコーチに締められる司を、
飛び終えたみそぎといのりが呆れたように笑い合う。
「先生! 次はわたしがやります!」
「見る! 見てるからっ!」
「もうちょっと小声でやってくれま・す・か!?」
「やらせていただきます!」
高峰ヘッドコーチの決め技でグロッキーになった司。
流石に3日連続でやられたら、身体に染み付くだろう。
司はいのりがいくらか助走して飛ぶ姿を見る。
エッジを深くして角運動量を増やし、回転する方向へ顔を向け
飛ぶ瞬間に両足をハの字に曲げる。
そして軸足はカエルのように伸ばし、片方のフリーレッグは回転を増やす
ため一気に引き上げ、着氷する前に伸ばす。
着氷する瞬間にフリーレッグを軸足にして、着氷したら軸足だったフリーレッグを
大きく回して転倒リスクを防ぎ、残心。
「あ、トリプルサルコウ」
「やった!」
「嘘っ!?」
「び、びっくりした~!」
見様見真似でとんだいのりは、偶然できた高速回転にびっくりしている。
それに気づいているが、それはそれとして見てものにするという
ラーニングっぷりは普通の人だと中々出来ない。
異常な才能に、司はただ称賛を目一杯送るしかなかった。
(もう一回!)
いのりは偶然を偶然のままおわらせることはしない。
コツを掴んだので、回転軸を固定させて再度飛ぶ。
ただ今日はGOE-2のできで終わってしまった。
「うう~」
「まだ時間はあるから、焦らず焦らず」
「光ちゃんはノービスでトリプルルッツやってるもん。わたしも、
初級枠でトリプルジャンプを使う!」
いや~初級でトリプル系ジャンプは、他の子の心折るんじゃない?
と高峰ヘッドコーチは少々気が重くなる。
なにせいのりやみそぎの才能で、一番最初に焼かれるのは自身が
教えているクラブの子たちだからだ。
「司せんせっ」
「おっと、なんだいみそぎさん」
「わたしと一杯ひっかけないかい?」
「サングラスキマってるねー」
「でしょでしょ? ほらほら、いのりちゃんもぶすくれないでさ」
「ぶすくれてないよ? ただ最近、みそぎちゃんがわたしのことを
ほっといて、司先生とふたりきりになろうとしてるじゃん」
みそぎはその言葉を聞いて、優しく抱きしめる。
なぜならいのりが自分を出すことは滅多にない。
スケートへの思いを爆発させたときくらいしか、
内心の感情を感じることはなかったのだ。
そして今、みそぎの抱擁をいのりが返す。
氷輪に照らされ天の川を映し出すかのような美しい髪が、
少女の頬をそっと撫でる。
影が降りた顔を少しばかりもたげて、唯一の友を感じる。
見上げれば、幻想的で熱情を秘めた真紅の双眸が少女の闇を貫く。
「ケーキおごっちゃるきに、ささ、はいろ!」
「もー、からかわないでよー」
変わっていないことはなかった。
まだまだ本格的なスケート選手になるには、環境の変化に
心が追いついていないことが伺える。
これに関して言えば仕方がない。
たった数日で自分を替えられる人は、あんまりいないだろう。
しかし苦しく冷たい新月の帳に包まれた世界は、
暗雲も影もすべて払い除け光をともしたのだ。
月を吟ずれば、燦然とした満開の光が降り立つ。
「はい、あーん」
「んー、わたしがケーキで機嫌がなおると思ってるの?
いちごたいやき並みに甘いよ」
「じゃあ、どうしたら機嫌を直してくれるの?」
つくづく子供っぽくない表情をする。
さらりと流れる白い髪は、いのりの意識を釘付けにする。
学校に強襲されたとき、あまりの浮世離れに周囲が固まったことに気づいていないのか。
脳をとろけさせ頬を緩ませ精神すら絆される、そのすずのような美しい声
と艶やかな仕草は男女関係なくしどろもどろになる。
「なんだか、奢ってもらいっぱなしで申し訳ないわ」
「いえいえ。わたしが好きてやってるだけなので」
「ね、次、いつ来るの?」
「うーん、どうしましょ」
「いのりが初めて大会に出るときは、確実に帰ってくるようにしてるって」
「みかお姉さんが帰ってくるんです? 決まったら教えて下さい!」
「ええ、もちろんよ」
「せんせー食べさせてー」
「ここはお店だからちゃんとすわるんだぞ?」
「はーい」
「よくできました。どうぞ」
「うまうま」
くさったいのりも甘味で態度も甘くなり、しょうがないなぁと佇まいを直す。
いつも頑張っている彼女を司が静かに褒めたたえたのも、ほんのちょっぴり効果があったりする。
そして今日はこんなことをしたというのと、いのりの凄まじさを一般論を交えた
会話を司が話す。
いのりとみそぎの感覚派どもの感性は、スケートをすべらない人にとってあんまり
共感できない。言葉が足らないから、なんとも微妙になってしまう。
それでものぞみは長女がスケートをやっていたから、普通の人よりもわかってくれる。
しかし司の文章化された説明は、すっと頭へ入ってくるのだ。
「司せんせ、今日もありがとうございました」
「先生、またね!」
「明浦路先生、本日もありがとうございました」
「はい。また明日おあいしましょう」
会計が終わり、それぞれ帰路へ。
「あ、バッジテストのこと言うの忘れてた」
まだ日があるからよかったとポケットからメモを取り出して、
伝えるべき事項を書き記す。
なんともしまらない司だった。