仮面ライダーアステラ 作:赫牛
2000年7月28日。17時29分。
今日は気になるあの子とのデート。今回で3回目になる。
彼と知り合ったのは私の勤務先。彼の接客をした時に連絡先を交換して以降、電話したり会って遊びに行ったりを重ねてきた。
正直好きだ。一緒にいて楽しいし、優しいし、顔も良いし。何より心根が真っ直ぐなのが良い。だから付き合いたい気持ちは大いにあるのだけれど、やっぱり告白は男の方からして欲しいと思ってしまう。なんだか告白されるのが当然と言う様な言い草だが、勿論相手も私が好きだとは決まった訳ではない。ないんだけれど3回もデートしてるし、電話もほぼ毎日してるんだし、期待するのは当然だと思う。
大きな夕焼けが私を見下ろしている。今はドライブの途中で通りがかった公園の中に自販機を見つけ、休憩がてらに飲み物を彼が買いに行った所だ。赤く染まった街をジャングルジムの上から見下ろすと、見覚えの無い街でも自分の物みたいな錯覚が起きる。若さ故の全能感と言うには、私は歳を取りすぎたし社会を知ってしまった。だから一時の気の迷いみたいなものだろう。偶にはこう言うのも悪くない。
呼びかけられて振り返る。彼が少しくせっけのある茶色の髪を揺らしながら、ペットボトル2本を抱えてこっちに歩いてくる。たかだか百円ではあるが年下に奢ってもらって悪いなぁと思いつつ、ジャングルジムから降りようとした。
不意に空気が変わる。
肌を押す力が強くなったと言うか、重くなったと言うか。息苦しさを感じて眩暈がした。
「楓さん!」
彼が血相を変えて叫んだ。彼が見ているのは、私の真上の空。
つられて、私も上を見る。そうしたら、光が見えた。
空に穴が開いていた。極彩色の光が降り注ぎ、スポットライトの様に私を照らす。
光が近づいてくる。いや、近づいているのは私だ。体がジャングルジムを離れて宙に浮いている。穴に吸い込まれている。
彼が手を伸ばす。その手はいつもなら力強く握ってくれるけど、今は余りにも遠すぎた。
伸ばした手は届く事なく、視界は光に覆われる。
意識が塗りつぶされていく。上下左右もおぼつかない浮遊感で脳がかき乱される。そんな中でも、自分がどこかに飛ばされているのはおぼろげに分かった。
そして私の意識は深く深く沈んでいった。
「お母さん……?」
そうだ、私はあの日、空の穴に吸い込まれてここに、2024年に飛ばされたんだ。
私が希星楓。花鹿の言葉が真実なら、まだその記憶は無いけど花鹿の母親になる人間だ。
「何それ……」
呆然としている私達の後ろから声がする。振り返るといつの間にか陽子さんが公園の入り口に立っていた。鋭く私を睨みつけてながらかつかつと近づいてきて、私の胸倉を掴んで立たせた。
「あんたが……あんたが花鹿の母親って事なの?」
「……そう、多分」
「多分って……ほんと最悪」
悪態をついた陽子さんは顔を歪ませる。それに私は困惑していた。
「何でそんな、何を怒って……」
「何で?分かんない訳ないだろ!」
「私は何も——」
「あんたが!花鹿を捨てたんだろうが!」
「っ……!」
何も言えない。本当の事だから、何も反論できない。
花鹿を捨てたのは事実として残っていて、それが花鹿を苦しめたのも知っていて、そしてその原因は私なんだ。何を言われようが、仕方が無い。
「どう言うつもりで、今更——」
「陽子ちゃん!」
花鹿からおよそ出ない様な大声に、陽子さんと一緒にびくりと震える。
花鹿は俯いていた。そして。
「もう、良いよ」
ただ一言、そう呟く様に言った。
私の名前は、希星楓です。今日思い出しました。
歳は22で……2000年から来ました。何を言ってるのって感じかもですけど、タイムスリップってやつ、かもです。
ドライブの途中でこの街の、幹間岳の公園に寄った所で変な穴に吸い込まれて、気付いたらここに来ていて、記憶もなくなっていました。
それから……花鹿が言ったんです。私の事、お母さんって。
多分、そうなんだと思います。きっと私は、私の未来で花鹿の母になるんだと思います。
……それは……分かりません。別に子どもを育てられないくらい困ってる訳ではなかったし……何で私は。
何で花鹿を捨ててしまったんでしょう。
ぽつぽつとサクラさんが話すのを、壁越しに聞いた。
サクラさんの言う事は多分本当で、だからきっと、サクラさんに何か聞いても仕方が無い。だってサクラさんはまだ僕を捨ててないんだから。
でも一つだけ。ただ一つだけ、聞きたい事はあった。
あの言葉が本当なのかさえ聞ければ良いのだけれど、でもそんな勇気無いんだ。
だってそうじゃなかったときが、僕は怖くてたまらないから。
りーん、りーんと言う鈴の様な声。
布団に入るけど眠くはなく、ただ何もできそうになくてブランケットを頭まで被る。少し暑い。
ちんちろりんと誰かが言い、それに誰かがぎぃぎぃと応える。鈴の音が重なって、だけれど心が水で満たされたみたいにぼやけている。
お母さん、と私を呼ぶ声だけがはっきりと聞こえる。
私はお母さんなんだって。子どもを捨てた酷いお母さんなんだって。
そんなの知らない。私は知らない。
腕で輪っかを作り、少し傾ける。右手で頭を支えて、左手で優しく包む。
やっぱり、分かんないや。思わず笑ってしまった。私の中に無いものを抱きしめる事はできない。そんな風には愛せない。
私は本当に、花鹿の母親なのだろうか。
誰との子どもなのだろうか。やっぱり産む時って大変だったのだろうか。
私は自分の子どもを、愛せなかったのだろうか。
望んで産んだのではなかったのかもしれない。母親になった実感は無かったのかもしれない。
それでも自分の子どもを愛せない程、私は冷たい人間だったんだろうか。
息苦しくてブランケットから顔を出す。夜の冷えた空気を吸い込んで、吐き出した空気は元と同じ温度で、そこに熱は注がれない。そんな訳があるはずないのに、そう思えてしまう自分が嫌になる。
ああ、これが全部、あの日見たただの夢であるならば。
私は幸せだっただろうか。
いつもの客間で目が覚めた。
障子越しに入ってくる陽の光も、鳥の軽快なさえずりも、畳の青臭い匂いも、全部記憶にある通り。これは絶対に、夢ではない。そんな逃げ道は、最初から存在しないのだ。
天地がひっくり返りでもしない限り朝は来る。目覚めないといけない時は、必ず来る。ただ朝を迎える覚悟が私に無いだけで。
だから覚悟ではなく惰性で、布団から這い出る。いつもの様に洗面所に行って顔を洗い、リビングの扉を開ける。
今日は土曜日だから、みつきさんが朝ご飯の用意をしていた。私に気付いて、にこりと笑う。
「おはよう」
「おはようございます……花鹿は?」
「まだ起きてないみたい」
「……そうですか」
いつもと同じ様なやり取りなのに、いつもと違って少しほっとしている自分がいた。
みつきさんがご飯を並べてくれたので、いつもの席に座る。いただきますを言って味噌汁を啜り、温かいご飯を口に入れる。いつも通り美味しくてほっとする。
みつきさんも私の前に座って箸を取った。
暫く咀嚼する音と、ニュース番組の音だけが食卓に流れていた。
「しかしねぇ、まさかタイムスリップだって思わないよ」
それを打ち破ったのも、みつきさんだった。
「それは私だって……」
「そうよねぇ……まあでも、だからあんな懐かしい格好してたんだなーって納得いった」
「懐かしいって、あれはちゃんと流行り物ですよ!……24年前の……」
「分かってるわよ」
くすくすと笑うみつきさんに、膨れっ面で抗議の意を示す。別に私がおしゃれじゃない訳じゃない。勝手に24年も進んだ世界が悪い。
「と言うか2000年で22なら私より年上じゃない、敬語使った方が良いのかな?」
「やめてくださいよ!なんかぞわっとします」
「うそうそ。別に今まで通りよ」
私をからかって笑うみつきさんも、いつもと変わらなかった。
みつきさんは、前と変わらずに接してくれていた。
でも全部がそうはいかないのがこの世界だから。
その日の夜、花鹿が傷だらけで帰ってきた。
この日一日部屋から出てこなかった花鹿は私達に声もかけず、突然外に飛び出していった。きっと人型の気配を感じ取ったのだと思うけど、追いかけようとして足が止まった。昨日人型に襲われた時の事が脳裏によぎったからだ。
私が追いかけたら、きっと邪魔になる。だから信じて待つしかなかった。
風呂から上がって廊下を歩いていた時、玄関が開いて花鹿が帰ってきた。足取りはしっかりしていたけど切り傷と打撲の跡がいっぱいあって、俯いていた。
「花鹿」
びくりと花鹿の肩が震える。やっと私に気付いて、すぐに目を逸らす。
「また怪我してる……すぐに手当て——」
靴を履いたままの花鹿と同じ目線に立って傷だらけの腕に手を伸ばす。
その腕が、強く払い除けられる。
「え……」
「大丈夫です。勝手に治りますから」
「でも——」
「良いですから」
靴を脱いで、私の横を通り過ぎた。目線は合わなかった。
「今更、母親面しないでください」
花鹿が呟いた言葉が私に突き刺さった。
りーん、りーんと言う鈴の様な声。
布団に入るけど眠くはなく、ただ何もできそうになくてブランケットを頭まで被る。少し寒い。
ちんちろりんと誰かが言い、それに誰かがぎぃぎぃと応える。鈴の音が重なって、だけれど心が水で満たされたみたいにぼやけている。
お母さん、と私を呼ぶ声が遠くなっていく。
『母親面しないでください』
私はお母さんなんだって。子どもを捨てた酷いお母さんなんだって。
だから、子どもに愛想をつかされて当然だ。
私が何で花鹿を捨てたのかは分からない。だけどこの時代の私が花鹿と一緒にいないのは事実で、それを花鹿がどう思ってるのかは知っている。何を言われても受け止めないといけないんだ。
「何で捨てちゃったんだろ」
当然の疑問を持つ権利くらいはあると思う。自分の事なのにまるで答えが見えてこないけど。
私は花鹿を愛せなかったんだろうか。私は自分の子どもを、愛せなかったのだろうか。
今の私も、花鹿を愛せないのだろうか。
仰向けになって手を広げる。この腕の中に花鹿を包み込む想像をする。
それで生まれる感情が愛なのかは、私には分からない。まだ私は母親じゃないんだから。
何で私は、ここに来てしまったんだろう。
「大空さん」
事務作業をしていた大空研二は呼びかけられて顔を上げた。声をかけたのは人型に対抗する武装の開発に携わる科警研の人間だった。
「どうかされましたか?」
「例の弾薬の試作が完了したので対策班に確認してもらおうと思ったのですが、課長がお忙しいみたいで……」
「ああ、それで私に」
人型から採取できる結晶を利用した、人型特攻弾。完成間近と聞いていたそれがついに完成したのかと、研二は安堵し、すぐに気を引き締めた。先程言っていた通りまだ試作段階で、実際に効果があるのかも分からないのだから安堵するにはまだ早いと自分に言い聞かせる。
「すぐにですか?」
「できればそうしていただけるとありがたいです」
「分かりました」
研二はデスクから立って研究員に付いていき、見慣れた科警研への道を通る。そして辿り着いたのは、これまた何度も訪れた科警研のオフィス。
「失礼します」
研二の声に、奥のデスクに向かっていた研究員がオフィスチェアごと回転して応える。白衣を纏った彼女は、科警研のリーダーを務める
「すみませんご足労いただいて。こんなに時間もかかってしまったと言うのに……」
「いえ、寧ろ速い方ですよ。それで早速ですが、その試作品と言うのは?」
「こちらに」
松下はデスクに置いてあったアタッシュケースを取り、錠を外す。開かれたそれには、研二が見慣れた物よりも少しばかり大きな弾薬が収められていた。
「炸裂結晶弾と呼んでいる物です。小型化よりも一先ず形にする事を優先したのでスナイパーライフルにしか口径は合いませんが、その分威力は高いかと」
「これが……効果の程は?」
「サンプルで試した結果だけで見れば通用すると思いますが、生きている人型に有効かはまだ……」
「ぶっつけ本番と言う訳ですか……」
こればかりはしょうがない、と研二は嘆息する。そんな研二を松下は真正面から見据えた。
「これを次の人型対応の時に対策班に使っていただきたいのですが、どうでしょうか」
「一度課長と話をしてみますが、おそらく使う事になると思います。今は藁にも縋る状況ですから」
弾薬が照明を反射して光る。それを研二は希望の光だと思いたかった。人間が人型に対して真っ向から立ち向かえる力になり得ると、信じたかった。
そうなれば、きっと花鹿も……。
人はいつから母親になるんだろうか。
子どもを産んだ時にだろうか。顔を見て抱きしめた時だろうか。身籠った時には既に母親なのだろうか。
朝の街を歩くと、たくさんの親子を目にした。人型が出没するからと学校まで車で送ったり、一緒に歩いて登校する親が多いそうだ。大人一人がいたからと言って本当に人型に遭遇した時にはどうにもならないのに。要は気休め、と言う事だ。
しかし、気休めであっても心の底から我が子の安全を願っているのも事実。ただ願って、行動に移しているだけ。きっと褒められるべき振る舞いなのだ。いつだって子どもに健やかにいて欲しい、そう願うのがきっと母親、と言うより親と言う生き物なのだろう。
私は、親なのだろうか。
花鹿には健やかでいて欲しい。花鹿には幸せでいて欲しい。そう思っているけど、だから自分が親を名乗るのは、早過ぎるし遅過ぎた。
「今日晩御飯何食べたい?」
「えー、そうだなぁ……」
何気ない会話が聞こえてくる。その親子は、あまり似ていなかった。だけども確かに親子だと思った。そう思える何かがあるような気がした。
花鹿とみつきさんも、顔は似ていない。
それはそうだ。彼女達の血は繋がってないんだから。
だけど、花鹿とみつきさんは親子だ。絶対にそうだと言える。みつきさんは、花鹿の母親だ。血は繋がってなくても、それは揺るがない。
そうか。私は勘違いをしていたんだ。
母親である事に、何か理由を求めていた。血とか、時間とかで、愛に理由を求めていた。
でもそうじゃないんだ。
ただ母親であろうとすれば良いんだ。ただ愛すれば、それだけで良いんだ。
夜が来た。少し湿気た夜が来た。だから今日も街に出る。
そのつもり、だったのだけれど。
「何ですか?」
今日も何も言わずに外に出ようとしたら、サクラさんが玄関の前に立っていた。偶然、と言うよりかはずっと待っていた感じ。そして何か言いたげな目をしている。
僕はそれが怖かった。
だから黙って横を通り過ぎようとしたら、前を塞がれた。
「邪魔なんですけど」
「花鹿、話が——」
「見回り行くんでまた後で」
強引に通り過ぎる。そうしたら、腕を掴まれた。
そして……。
「え……?」
強く引っ張られて、そのまま抱きしめられていた。
けたたましくサイレンを鳴らすパトカーの中に研二はいた。
『人型は現在、
スピーカーから流れる情報を追いかけ、夜の街を駆ける。人型を追跡する研二は、今夜は特に慎重だった。
パトカーの後部座席には長いアタッシュケースが置かれている。中身はスナイパーライフルと
研二は指定された地点に辿り着く。大きな川に面した工場で、少し離れた場所では対策班がパトカーを盾にしながら人型と交戦していた。この場所はあらかじめ想定された地点であり、対策班が巧みな連携で人型を囲い込み誘導したのだった。
ケースからスナイパーライフルと弾薬を取り出した研二は階段を駆け上る。狙撃ポイントとして指定されているのは非常階段を昇った先の建物の屋上。少しでも被害を少なくできるよう、研二は全力で足を動かした。
「大空です。狙撃位置に着きました」
『了解、そのまま狙撃準備に移ってください』
階段を昇りきった研二は無線からの指示に従い、ライフルに弾薬を込める。安全装置を解除し、大きな銃身を手で支える。
「準備完了しました!いつでも撃てます!」
『了解、対策班各員は人型から距離を取ってください』
対策班は銃で牽制しつつ、じりじりと人型から離れていく。研二は両手で銃身を支え、狙いを定める。スナイパーライフルは久方ぶりだが、体は感覚を覚えている。そして風は吹いているが、狙撃には影響が無い程度だ。外しはしないだろう。
照準が人型を捉えた瞬間、研二は引き金を引いた。
怖気が走る。人型が活動を始めた証拠だ。
だから、行かないと。
「放してください。僕行かないと——」
「駄目」
振り解こうとしたけど、できないくらい僕を抱きしめる力が強くなった。サクラさんの熱が伝わって力が抜ける。行かなきゃいけないのに、このままでいたいと、そんな声がした。
「行かないで、戦わないで」
サクラさんが変な事を言う。
「何で……?」
「傷ついて欲しくない。花鹿に幸せでいて欲しい、だからもう戦わないで」
戦わないと、幸せ?
「でも僕、戦わないと」
「何で?」
「だって、そうしないと……生きてちゃ駄目だから」
僕は役に立つ化け物にならないと。そうじゃないとただの化け物だから。
「ううん、違うよ」
頭を撫でられる。その手が優しくて、暖かくて、心地良かった。
「花鹿は戦わなくても生きてて良いんだよ。愛されて良いんだよ」
「え……」
でも、お母さんはきっと化け物だから僕を捨てて、だから僕は化け物だけど生きて良い理由が欲しくて。
そうじゃなくて、良いの?
「生きてて、良いの……?」
「そうだよ。花鹿に生きてて欲しいって、私は……お母さんはそう思うから」
「お母さん……?」
お母さん。育ててくれたお母さんじゃなくて、僕を産んでくれたお母さん。僕に命をくれたお母さん。
そのお母さんが、生きてて良いって言った。
本当に?
「僕、生きてて、良いのかな……?」
いつの間にか涙が溢れて、頬を伝っていた。お母さんはそれも受け止めてくれた。
「そうだよ。生きてて良いんだよ、花鹿」
そう呟いたお母さんの目が、僕の眼を真っ直ぐに見た。
そして。
「愛してるよ、花鹿」
「あ、ああ……」
愛してるって、言った。お母さんが言ってくれた。お母さんはこんな僕の事、愛してくれてるんだ。
化け物の僕でも、愛してくれるんだ。生きてて良いんだ。
いつの間にか、僕を急き立てる感覚は消えていた。
そっか、もう行かなくて良いんだ。
そっか、もう。
もう戦わなくて、良いんだ。