仮面ライダーアステラ   作:赫牛

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ずっと一緒に

 穏やかな秋の日差しが降り注ぐ、昼下がりの街。

 今日も喫茶イメラ店内には、かぐわしいコーヒーの匂いが漂っていた。花鹿が今まさに挽き、抽出した液体が深みのある華やかな香りを放っており、陽気に中てられた私を落ち着かせる。

 静かにカップに注がれ、そっと差し出されたそれの一層強い香りと熱、口に含んだ時のまろやかな苦みを味わいほっと息が出る。

 

「美味しい」

「だよね?やっぱ大空さん上手になったんだよ」

「うんうん」

「そんな事……ありますか?」

 

 花鹿は困った様に笑い、自分のカップに淹れた物を飲んで首を傾げる。

 

「いや絶対上手くなってるって!」

「そうそう、訓練の賜物」

「そうですか……ありがとうございます」

 

 小さくながらも素直な笑みを浮かべた花鹿はコーヒーをもう一口飲み、やっぱり首を傾げる。

 

 

 

 

 

「最近、大空さん良いね」

 

 突然店長に話しかけられた。花鹿は向こうでテーブルを拭いている。

 

「良いって、どうです?」

「なんかこう……明るくなったと言うか、でもちょっと前の無理してる感じじゃないと言うか」

「そう、ですかね」

「やっぱり希星さんに会えた事が大きいんじゃないかなぁ」

 

 店長には私が花鹿の母である事は伝えてある。

 

「きっと貴方に会えて、胸に抱えてた何かが取れた……みたいな感じなのかな」

「ふふ……かもですね」

 

 確かに以前程の変わりようとは行かないが、それでも私と出会ったばかりの頃と比べると大分笑顔が増えたと思う。私のおかげ、なんて言うのはおこがましいけど、そうであったならこの時代に来れて本当に良かった。

 

「そう言えば、希星さん」

「はい?」

「いつ元の時代に戻るんですか?」

「……え?」

 

 元の時代に、戻る?

 

「だってずっとここにいたら、大空さんは生まれない事になってしまうでしょう?」

「あ……確かに」

 

 至極当然の事だ。何で言われるまで気付かなかったのだろう。

 

「いや、今すぐ帰れって訳じゃなくて、でもいつかは帰らないといけないでしょ?だから決めたりしてるのかなって……」

「あー、えっと、その……」

「決まってないなら別に良いんだよ。変な事聞いてごめんね」

「……いえ」

 

 ちくたくと、時計の針が時を刻む音がやけに大きく聞こえた。

 

 

 

 

 

 何で気付かなかったんだろう。

 いや、もしかしたらわざと気付かなかったのかもしれない。

 元の時代に戻る、それは即ち花鹿やこの時代の人々とお別れをすると言う事に他ならない。それが嫌で、無意識の内に考えないようにしていたのかもしれない。

 だけど、いつまでもそうはいかない。私も花鹿もこのままずっと一緒なんて甘い考えはきっと通用しない。いつかは帰らないといけない。

 でも実際、どうやって帰るのかと言う問題もある。自分の意思で帰れる訳じゃないし漫画みたいに時間を越える様な便利な道具だってありゃしないのだから。

 そうだ、無理なんだから考えても仕方なくて、それよりも明日の事とか、明後日の事とか、考える事がいっぱいあるんだから。

 だから、今じゃなくても良いか……。

 

 

 

 

 

「お母さん?」

 

 顔を上げるとすぐ近くに花鹿がいた。

 

「なに?」

「あ……何か困ってる?」

「え?」

「難しい顔してたから」

 

 そんな顔、してたかな。心配させちゃったかな。

 でも大丈夫。だって今考えてもしょうがないから。

 

「何でもないよ」

 

 

 

 

 

 お母さん、何考えてたんだろ?

 凄く深刻そうな顔をしていて、何か助けられる事は無いかと思ったけど躱されちゃった。

 そして何でか、寂しいって気持ちが伝わってきた。

 何で寂しがっているんだろう。誰かに会いたい?

僕が寂しかったのは、まだお母さんに会えていなかった時。

じゃあお母さんだと誰になる?お母さんのお母さんとお父さん?それとも……僕の、お父さんに?

 あ、そっか。

 誰かは分からなくても良いんだ。兎に角誰かに会いたいんだ。それはきっと今にはいなくて、お母さんがいた時間の人達で、だから会えなくて寂しいんだ。

 帰りたいんだ、お母さんは。

 確かにそれは難しい話だ。時間を移動するなんて普通の人間にはできない。てか普通の人間じゃない僕でもできない。どこかの漫画みたいな道具を今すぐ誰かが発明でもしないと……。

 あ。

 

「そっか……できるようになれば良いんだ」

 

 

 

 

 

 10月の中旬とは言えまだ暑さの残る日、幹間岳を登るにつれて日差しはじりじりときつくなっていく。人より汗をかかない体質とは言っても、こうも日差しが強いと徒歩だったら汗だくになっていただろう。バイクの免許を取った昔の自分に感謝だ。

 大体6合目辺りに、目的地である公園……以前僕と時計の人型が戦った場所がある。初めて会った日、お母さんもここで目が覚めたらしい。考えてみれば原因がそこにいるんだから当然の事で、当然答えもそこにあるはずだ。

 バイクを停める。久しぶりに来た公園は前と同じ様に不気味な程静かで、その中に隠せない人型の気配が確かに漂っている。今度は誰がそうなのかは既に分かっているので、この公園で一番高い場所にいるそれの前に立つ。僕の気配を感じ取ったのか、時計が耳障りな音を立てて軋み、歪み、形を大きく禍々しく変えていく。それから目を離さず、腰に光を集めて叫ぶ。

 

「変身!」

 

 光を両手でなぞって、アステラに姿を変える。ほぼ同時に人型が砂埃を上げながら着地して、両腕代わりの針を威嚇する様に持ち上げる。

 

 

 

 

 

 何故ここに来てこの人型と戦う事にしたのか。

 それは紅井美雲の言葉を覚えていたからだ。人型は他の人型を食べてその力を奪う、と彼は言った。二度目に戦った時に知らない力を使っていたから多分本当の事で、もしそうなら人型である僕も同じことができるはず。

 つまり、この時計の人型を倒してその力を貰えば、僕も時間を移動できるようになると言う事、お母さんを元の時代に帰す事ができると言う事だ。

 

 

 

 

 

 だから、何としてでも倒さないといけない。

 腰を落として左脚を引いて、右腕を地面に触れさせて気持ちを切り替える。そして動いた瞬間、衝撃に襲われる。

 

「っ……!」

 

 時間を止められたんだと、地面を転がりながら悟る。そう言えばそんな能力もあったっけ。何で忘れてたんだ僕は。

 これは出し惜しみなんてできないな。

 全力で行く!

 全身に広がった光を、今度は胸に集めるイメージ。ぎりぎりまで全部集めて、そして爆発させる。水色から金色に変わった光が全身に溢れ、鎧を白から金に変えていく。背中に翅が生える感覚と、今までに無く身体が軽いけどちゃんと地面に脚を付けている、僕がここにいると言う実感が湧く。

 二回目の変身を終えた僕は、左手に現れた弓に光の矢をつがえて放つ。一つが滑車の付け根の部品を貫いて、もう一つが腕の様にしなる針を弾く。違う方の針が振り下ろされたのを跳んで避けて、翅を広げて宙に浮いてまた矢を放つ。部品が幾つか弾け飛ぶけど、まだ止まる気配は無い。矢でちくちく削っていくのは時間がかかりそう。

 なら。

 弓を右手に持ち替えると半ばから折れて重なり、光を纏った剣になる。突き出された針の切っ先を剣で受け止めて、弾く。浮いた針と連なっている針の隙間に剣を差し込んで、横に斬り裂く。断ち切られた針が墜ちて土煙が舞う。人型が歯車を軋ませながら身体を展開させて部品を発射してくるから、それを翅を震わせて躱す。思い描いた通りに空を駆けて鉄の雨から逃れて、方向を変えて一直線に人型に突っ込んで薙ぎ払う。巨体が揺れて、地響きを立てて崩れ落ちる。

 しぶとく針を突き出してきたのを剣で払って、返す刃で力を込めて光の斬撃を飛ばす。それが人型の身体を縦に斬り裂いたのと同時に地面に降り立って駆ける。すれ違う刹那、横に一閃。振りぬいた姿勢で止まって、数瞬後に振り返る。身体に十字の軌跡を刻まれた人型のシルエットが、それに沿って分かたれ崩壊する。土煙が晴れた後に転がっていたのはもう動かない金属の塊と、その中でひと際輝く結晶だった。

 良かった、壊さず倒せた。

 部品を踏まないように間をくぐって、結晶を拾い上げる。なんとなくの感覚に従って握る手のひらに力を込めると結晶がひび割れてきて、中から光が溢れる。その光を逃さないように結晶を胸に押し当てた。

 

「ん……」

 

 自分以外のものが入ってくる異物感にじっと耐えていると、いつの間にか結晶は跡形も無く消えていた。

 これで良いのかな?

 自分の感覚を探ってみても特に変わった感じは無い。ほんとにこれで合ってたのかな。

 こう言うのは、なんでも試してみた方が良い。

 風に揺れる花を見る。この戦いの中でも折られなかった幸運な花。それに向かって止まれと念じてみる。しかし動きが止まる様子は無い。

 

「止まれ……と、止まれー……」

 

 手をかざして念を送ってみるけど効果無し。ただちょっと恥ずかしくなっただけだ。

 間違ってたのかな?もしかして僕には美雲くんが言ってた様な力は無い?だとしたらとんだ無駄骨だ。

 あー、ここまで来る時間があればもっと色んな事できたのに、もったいないなぁ……。

 

「……ん?」

 

 なんだか上がちかちかする様な気がする。違和感に気付いて見上げると、空に穴が開いていてその中で七色の光が輝いていた。

 

「え……」

 

 驚いている内に光がこっちまで迫ってきて、僕は穴に飲み込まれた。空を飛ぶ時と同じ浮遊感と、不思議な暖かさに包まれたと思ったら、いつの間にか僕は同じ場所に立っていた。

 一体何だったんだろう。

 辺りを見回しても何の変哲も無い公園だ。それに首をかしげて……そしてやっと違和感に気付く。

 さっき倒したはずの人型の残骸がなくなっている。それになんだかさっきより少し肌寒い。今の季節だと丁度朝の様な空気だ。

 朝?

 

「まさか……」

 

 見上げて、何故か元通りに設置されている時計を見る。9時24分。僕が家を出る1時間前。左腕の腕時計を見る。12時5分。ずれている。スマホを見る。9時24分。

 これは……。

 

「できちゃった……」

 

 

 

 

 

 幹間岳に行くと言った花鹿を見送って10分程経った頃だろうか。

 聞きなれたバイクの音が近づいてきて、家の前で止まった。それから玄関が開いて、ばたばたと廊下を走る音。まさかと思って扉の方を見たのとほぼ同時に勢い良く開いて、予想通り花鹿が飛び込んできた。

 

「え?おかえり?」

「うん……ただいま!」

「あれ?もう幹間岳行ってきたの?」

「あ、えっと、行ったんだけど」

「だけど?」

「て言うかそれよりお母さん!」

「な、なに?」

 

 見たこと無い程に頬を上気させた花鹿はそこで一呼吸置いて、満面の笑みで私に告げた。

 

 

 

「帰れるよ……元の時間に!」

 

 

 

 「え?」

 

 よく分からない発言で、私の脳が言葉を咀嚼するのに時間がかかった。

 帰れるって何?元の時間って何?

 

「だから、お母さんが元々いた時間だよ!……あのね、この前の時計の人型いたでしょ?あれの力を貰って時間の中を飛べるようになったんだ。だからお母さんを元の時間に連れて行けば、お母さんの親とか、友達とか……また会えるよ!」

 

 とても嬉しそうに花鹿は語る。それが正しくて、間違ってなくて、とても喜ばしくて、だから私も喜んでると信じて疑わない。そんな顔をしていた。それを見ていると私は置いて行かれている様な、私のこの気持ちが間違っているみたいな気がした。自分から空気が抜けていく様な、不思議な心地。

 

「だからね、今日は疲れてるから難しいけど、明日ならいつでも――」

「何で……?」

「……え?」

 

 花鹿の顔が固まった。驚いて、困惑して、滲んでよく見えない。

 

「何でそんな事言うの……?」

「……泣いてるの?」

 

 花鹿に言われて初めて顔を押さえる。息が熱かった。どんなに堪えても溢れてくる涙が熱かった。

 

「お母さん……?」

「……ごめん、今、無理かも」

 

 私は花鹿から逃げ出した。

 

 

 

 

 

 お昼になっても、夕飯の時間になっても、楓お母さんは部屋から出てこない。

 

「どうしちゃったのかな?」

「……うん」

 

 みつきお母さんの問いかけにも僕は曖昧な応えしかできない。

 どうしてお母さんは泣いちゃったんだろう、その問いが僕の頭の中をぐるぐる回っている。何か嫌な事言っちゃったっけ?嫌な事しちゃったっけ?

 

「間違ってたのかな……」

 

 誰もいない廊下でつい、そんな言葉が零れる。人より温度に鈍い僕だけど、この廊下は随分寒く感じる。

 じゃあどこが間違ってたんだろう。

 分からない。分からない。答えが出てこない。人じゃないから、こんな大事な時に何も分からない。

 本当に嫌になる。

 分からないから、僕はどうするべきなんだろう。

 

 

 

 

 

 とんとんと、控えめにふすまを叩く音がした。無視しているとまたとんとんと鳴る。

 

「お母さん?」

 

 花鹿の声が震えていた。何をそんなに怖がっているのかは分からないけど、何故だか自分が悪い気がしてくる。

 

「入って良い?」

 

 こっち来るんだ。今は嫌かも。

 

「……いいよ」

 

 そおっとふすまが開いて花鹿が敷居を跨ぐ。最近の明るさは消えて、どこかよそよそしい。親に怒られるか気にする子供みたいだ。

 

「あの……」

「……なに?」

「えっと……」

 

 そこで花鹿は言い淀んだ。

 何だ、何を言いたいんだ?うじうじして、はっきりしなくて少し腹が立った。

 

「何も無いなら出ていって」

「い、いや……あるよ」

 

 ごくりと生唾を飲んで、花鹿は口を開いた。

 

「ごめんなさい」

「……何が?」

「その……分からなくて」

「え?」

 

 分からないって、謝ってるのに分からないって、何?

 息を吸って吐く花鹿は今にも泣きだしそうな顔だ。

 

「僕、何でお母さんが泣いちゃったのか分かんなくて……だから、教えて?」

「何それ……」

 

 花鹿の学校の成績を聞いた事は無かったけど、もしかしたら国語は低かったのかもしれない。作者の気持ちになって考えましょうができていたのだろうか。何でそう書いたかを考えたりしなかったのだろうか。分からなくても、適当に埋めたりしなかったのだろうか。

 いや、適当に埋められなかったのか。だから聞きに来たんだ。

 だから花鹿は本当に悪気は無かったんだろう。本当に私が帰りたいはずだと思っていたんだろう。否定されて、自分なりに考えて、それでも答えが出なかったから、話しに来たんだ。

 本当に、手のかかる子だなぁ。

 

「……ない」

「え?」

「帰りたく、ない」

「帰りたくない?」

「うん」

 

 花鹿はぽかんと口を開けていた。まあ、自分の予想とまるっきし反対だったんだからびっくりもするか。はっと気が付いた花鹿は、今度は困惑した様に尋ねてくる。

 

「それは、何で?」

「何でだと思う?」

「ええ?えっと……」

 

 少し意地悪をすると、花鹿は目を白黒させて黙りこくってしまった。本当、頭固いんだから。

 

「それはね……」

「……ん」

 

 そんな花鹿が愛おしくて、いじけた体育座りをやめて立ち上がり、そっと抱きしめた。

 

「私、花鹿とずっと一緒にいたい」

「……うん」

「離れたくない。ずっとここにいたい。皆と一緒にいたい……」

「……うん」

「だから、帰れって言われた気がして、寂しかった」

「……ごめんなさい」

 

 花鹿の声が震えていた。小さな嗚咽を漏らさないように、抱き寄せた。

 

「いいよ。私も怒ってごめんね」

「……僕もお母さんと一緒にいたい」

「……ありがとう」

 

 私の背中に手が回された。花鹿は暖かかった。湯たんぽみたいで暑いくらいだった。だからいっぱい抱きしめた。

 ずっと、このままなら良いのに。

 

「花鹿……私、帰るよ」

「え!?何で……」

「だってこのままここにいたら、花鹿は生まれなくなっちゃうでしょ……多分。だから帰らないと」

 

 そう、いつかは必ず帰らないといけなかった。それが今来ただけと言う、それだけの話なのだ。

 ようやく、決心がついた。

 

「やだ……帰らないで」

「もう、帰れって言ったり帰るなって言ったりどっちなの」

「だって、お別れしたくないから……」

 

 目に涙を溜めて私を見上げる花鹿の頭をそっと撫ぜた。

 

「大丈夫、向こうで花鹿に会えたら、絶対捨てたりしないから。ずっと一緒にいるよ」

「……それは」

「だからお別れじゃないよ。大丈夫だよ」

 

 そう、きっと大丈夫だ。こんなに愛しい子を捨てるなんて考えられない。この子の母親に会ったらビンタしてやりたいくらいだ。私だけど。

 今度こそ、絶対間違えない。

 

「……ずっと一緒?」

「そうだよ」

「……分かった」

 

 非力な花鹿が精一杯抱きしめてくるのを感じる私の頬に、涙が一つ伝った。

 

 

 

 

 

「行っちゃうんだね」

 

 次の日の朝。楓お母さんは宣言通り、元の時間に戻る事を選んだ。そのお別れの前に、みつきお母さんが声をかけた。

 

「ええ、今までお世話になりました。ありがとうございました」

「まだいても――」

「ちょっと研くん!せっかく楓ちゃんが決めたんだから揺らぐような事言っちゃ駄目だよ」

「ご、ごめん……」

 

 たしなめられたお父さんの目には早くも涙が見えた。みつきお母さんの目にも、同じ様に。

 

「楓さん」

「はい」

「花鹿の事、どうかよろしくお願いします」

「……分かりました。ちゃんと育ててみせますとも」

 

 えっへんと胸を張る楓お母さんを見て、二人は笑った。それから少しの間、名残惜しそうに顔を見た楓お母さんは、大きく頷く。

 

「じゃあ、行きます。お元気で」

「うん、行ってらっしゃい」

「気を付けてね」

「はい!……お願い、花鹿」

「うん」

 

 光を腰に集めて変身し、更にもう一段階変身して金色の姿になる。弓に矢をつがえて、優しく放つ。矢の軌跡が虹の光を開いて、七色に輝く通路が現れた。

 楓お母さんが差し伸べてきた手を握って、それから抱えて通路に飛び込んだ。

 

 光のトンネルの中はふわふわして、相変わらず暖かい。でもそれよりも、お母さんと一緒にいる方が暖かい。

 眩しくて、不思議な音が鳴る空間を、僕ら二人で漂っていく。

 

「花鹿」

「なに、お母さん?」

 

 聞き返すと、お母さんは満面の笑みで言葉を綴った。

 

「大好きだよ!」

 

 うん、僕も。

 

「大好きだよ」

 

 

 

 

 

 通路を潜り抜けた時、お母さんは気を失っていた。タイムスリップした場所だと言う、幹間岳の公園。まだ傷の少ないベンチに、そっと横たえる。

 

 

 

 これで、お別れだ。

 

 

 

 お母さんはああ言ったけど、多分ずっと一緒にはいられない。

 あの通路を通るには、普通の人間は弱すぎる。僕らの時代に来た時と同じ様に、記憶を失くしているかもしれない。何故だか分からないけど、そう分かってしまう。

 だからあの約束も、きっと。

 静かに眠る愛しい人の顔を、眼に焼き付ける。ずっと忘れないように。僕の中に確かにあるように。

 

 

 

 

 

「さようなら、お母さん。元気でね」

 

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