仮面ライダーアステラ 作:赫牛
目が覚めると記憶喪失になっていた私は、サクラと言う仮の名前を付けてもらい、暫くの間大空家の世話になる事になった。まだまだ分からない事だらけだけど、それでもそれなりに楽しく生きていけると思っていた。
だから正直、今の状況に困惑している。
呼び出されたのは喫茶店。そこのテーブルを私を含めた3人で囲う。そして目の前にいる金髪ロングの女の子は、その視線で私を殺せそうな程睨みつけてくる。こんなに殺意を向けられる様な事をした覚えは無いし、そもそもこの女の子とは今初めて会った。なのにこれだ。花鹿ちゃんが仲を取り持つ、と妙な事を言っていたのだが、確かにこれじゃあ付いて来てもらって正解だ。
「あの、私、貴方に何かしましたか?えっと……」
「
「よ、陽子さんとは、初対面な気がするんですけど……」
「そうだよ」
「じゃあ何で——」
私が言いかけると、陽子さんがテーブルを力強く叩いた。花鹿ちゃんがびくりと震え、同時に周囲の視線が集まる。
「あんたの悪行は花鹿から聞いてるよ。全くとんでもない奴がいたもんだ」
「え、そうなの?」
「う……ええと、その……」
口ごもる花鹿ちゃんに訝しんでいると、決定的な言葉が陽子さんから飛び出る。
「あんた、花鹿の服脱がせたんでしょ!外で、堂々と!」
「うわあああああ!ちょっと、ちょっとタンマ!大声でそんな事言わないで!」
「しかも助けてもらったくせして?ほんと、恩知らずにも程がある……」
「違います!あれは誤解なんです!怪我してるかと思って、後男の子だと思ったから大丈夫かなって……」
「はああああ!?」
陽子さんが有り得ない、と言う様に叫び、より一層険しい表情になった。
「男の子?こんなに可愛い花鹿が、男の子な訳無いでしょ!」
「それは、その……ごめんなさい……」
「てか男の子なら裸にして良いと思ったわけ?んなもんセクハラに決まってるでしょうが!大体どう見ても美少女の花鹿を、どう見たら男と勘違いするんだ!?そこに付いてる目は節穴なのか?ああ!?」
「も、もうやめようよ陽子ちゃん。恥ずかしいよ……」
顔を押さえた花鹿ちゃんは耳までは真っ赤に染まっていた。
花鹿ちゃんの一言と、タイミング良く来たドリンクのおかげで陽子さんの熱は一先ず落ち着いた。しかし状況の不味さは変わらず。
何故なら先程陽子さんが述べた罪状……花鹿ちゃんを男の子と勘違いし、野外で服を脱がせようとしたのは、概ね事実だからである。あの時の状況が状況だから冷静な判断ができていなかった、と言うのを主張として争えはするが、どう考えてもここから逆転無罪はどんな敏腕弁護士でも無理な気がする。
よって、大人しく判決を待つのみ、である。
「本当に申し訳ありませんでした……」
「……って言ってるけど、許せる?」
ちゅー、とストローでジュースを飲んだ花鹿ちゃんは、気まずそうに私と陽子さんを交互に見る。
「確かにされたけど、もう許してるって言ったのに……だから、大丈夫」
「……って花鹿が言ってるから、今回は許そう」
「ええ……いや、ありがとうございます……」
花鹿ちゃんが許してくれたのは嬉しいけど、間に入ったこの子は一体何様なんだ。怖いから言わないけどさ。
陽子さんはジュースを一口飲むが、目はずっと私を睨みつけたままだ。見られていると喉がからからになってきたので、恐る恐る赤い液体を一口。うん、アセロラジュースって意外と美味しい。花鹿ちゃんと同じ物を選んで良かった。因みに陽子さんもアセロラジュースなので、このテーブルでアセロラ大好きトリオの誕生である。
「んで、あんたさ、サクラさんだっけ?」
「は、はい」
陽子さんが目を一層鋭くさせて沈黙を破った。
「サクラさんはさ、見たんでしょ?花鹿のあれ」
「あれ……ああ、あれ」
あれ、と言うのは恐らく、花鹿ちゃんが変身した姿の事だろう。
「あんた、花鹿の事どう思ってるの?」
「どうって……」
どうと言われても、どう答えれば良いのか。
あれの話を持ち出したと言う事は、こう言われているのと同義だろう。お前は、花鹿ちゃんを化け物だと思っているのか、と。
勿論そんな風には思ってない。私を襲った化け物とは明らかに違うし、私を助けてくれた。それに普段はどう見ても普通の女の子だ。
と言った所で、本心だと信じてもらえるのか。花鹿ちゃんは人間だと思うとか言っても、取り繕ったと思われるかもしれないし。
いや、もしかしたら、そう言う答えが欲しいのではないのかもしれない。
「花鹿ちゃんは、優しい子だと思う」
だから、思ってる事を素直に言う方が良い。
「……ふーん?」
「一緒に街まで帰ってくれたし、心配してくれるし、私の事見捨てないし……なんか当たり強いけど」
「脱がされて怒ってただけ……」
「それはごめん……でも、そんな感じ、ですけど……」
言い終わるまでずっと私を見ていた陽子さんは眉をひそめ、そして目を閉じ深くため息をついた。
「そう……まあ、あんまり花鹿に迷惑かけないでね」
「え?……まあ、そのつもりだけど」
「……ふん」
陽子さんがそっぽを向いたのとほぼ同時に、頼んでいたデザートがテーブルに運ばれてきた。
「じゃあ、またね花鹿」
「うん、またね」
花鹿ちゃんに手を振り、ついでに私をひと睨みした陽子さんは横断歩道を渡って私達とは反対方向に歩いて行った。途端に、重力に体が押しつぶされそうになる。目覚めてまだ三日なのに、何故こんな修羅場を経験しないといけなかったのか……。
「すみません、ちゃんと話したんだけど、どうしても文句が言いたかったみたいで……ほんとにすみません」
「いや、花鹿ちゃんが謝る事じゃないよ」
多分それくらい、花鹿ちゃんの事が大事なのだろう。
「良い友達だね」
「……はい、本当に」
頷いた花鹿ちゃんの顔は、分かりやすく喜んでいた。
「ごちそうさま」
餃子を食べ終え食器を片付けた花鹿ちゃんは、そのままリビングを出ていく。
「幹間岳まで行くのは駄目だからねー」
「はーい」
みつきさんの声に少し不服そうに返事をした後に、玄関のドアが開く音、そして閉まる音がした。
こんな時間にどこに出かけたんだろう。
そう言えば、私と会ったのも夜だったし、常日頃からこうやって出歩いているんだろうか。
「あの」
「ん?」
「花鹿ちゃんって、こう言う風に出かけてるんですか?」
「そうね」
「毎晩?」
「そうだと思う」
「……なんでですか?」
多分あの化け物と戦うためだと思うけど、わざわざ自分から戦いに行く理由が分からない。それが知りたい。
「花鹿には、必要な事なのよ」
「『
そして何故か、花鹿ちゃんはそいつらと戦っている。
みつきさんは口に手を当て、そして私の目を見た。
「ねえサクラちゃん」
「はい」
「サクラちゃんは花鹿の事、どう思ってる?」
今日質問されたのは2回目だ。だから同じ様に答えた。
「普通の、女の子じゃないですか?」
「そうね」
みつきさんは目を閉じて嬉しそうに微笑み、しかし開いた目はとても悲しそうだった。
「花鹿は多分、そう思ってないの」
初めて変わったのは、7歳の時だった。
良く覚えている。あの日は用事でお母さんの帰りが遅くなるから、それが終わってから学校まで迎えに来てもらった帰り道の事だった。
車の中、僕はその日あった事を喋って、お母さんがそれを聞いていた。そう言う普通の帰り道だったけど、途中で化け物に出くわした。
他に車通りの無い道を行く中、突然醜い化け物が車の前に飛び出してきた。咄嗟にブレーキをかけて車はそれとぶつかる前に止まったけど、僕達を見た化け物は車に跳びかかった。フロントガラスが割れて、お母さんは悲鳴を上げながら車をバックさせる。しがみついていた化け物はその内振り落とされたけど、そのままバックしていた車は曲がり角に突っ込んで止まった。体を抜けていく衝撃でさっきまでどこか夢見心地だったのが一気に現実に引き戻された。
当時は人型怪生物の存在は一般的に認知されていなかったから、お母さんは余計にパニックになって僕を抱えて逃げた。化け物も追いかけてきて、近くにあった公園で追いつかれた。
その時僕は人生で初めて死ぬかもしれないと思った。死が目の前まで来た怖さを感じた。
だから体が反応した。
腰に光が現れて、尻もちをついたお母さんを後目に化け物の前に立って、どんどん体が変わっていったのを感じた。
次に気が付いたのは、化け物が爆発して跡形も無く吹き飛んだ時だった。
力が抜けて、膝をついた僕の身体が元通りになっていった。お母さんはまだ怖がっていた。僕を見て怖がっていた。
お母さんを見た時、堰を切った様に涙が溢れてきた。何故かは分からないけど、怖くて泣いていた。
そんな僕を見たお母さんは恐る恐る近づいてきて、そしてゆっくり、優しく抱きしめてくれた。
「大丈夫、大丈夫だよ」
繰り返しそう言うお母さんの暖かさが、僕の心に伝わった。
「お母さんって、ほんとのお母さん?」
そんな風に聞いたのは、確か10歳になった頃だろうか。
「どうしてそう思うの?」
「……分かんない」
本当に何故かは分からなかった。本当に何となく、そうじゃないと分かったから、そう聞いてみた。
その感覚は当たっていて、お母さんは僕に本当のお母さんの事を教えてくれた。
「花鹿ちゃんは、養子?」
「そう言う事。孤児院が引き取った花鹿を、子供が欲しかった私と夫が譲り受けたの」
でも何故、そんな話を。
「それが、花鹿ちゃんが戦う理由と何か関係が?」
「花鹿が孤児院に預けられた時の話を聞いたの」
「え?」
そこでみつきさんはぐっと口を結んで、また開く。
「その日の夜、突然女の子が孤児院に訪ねてきたらしいの。孤児院の人が質問しても何も言わずに、その子はまだ赤ん坊だった花鹿を抱っこさせて、それから紙と母子手帳を押し付けて何も言わずに逃げていったって」
「それって……」
そうだと言って欲しくない。それはとても残酷で、とても悲しい事。
「花鹿はね……親に捨てられたの」
「んで、あんたが何の用?」
相変わらず私を睨む陽子さんに少し怯むが、それでも用意していた聞きたい事は絶対に聞かないといけない。
「陽子さんは花鹿ちゃんの事、どう思ってるの?」
「はぁ?」
みつきさんに話を聞いた次の日、花鹿ちゃんにお願いして陽子さんと二人きりで会う約束をしてもらった。昨日と同じ喫茶店。しかし花鹿ちゃんはおらず、今度は私が聞く側に回る。
「友達だけど、何?文句あるの?」
「別に無いけど……じゃああの、花鹿ちゃんが戦ってるのはどう思ってるの?」
陽子さんの顔が険しくなった。
「それ聞いて、どうすんの?」
「私は、貴方が花鹿ちゃんとどう向き合ってるのか知りたいだけ」
少しの沈黙。そして陽子さんが呟いたのは、怒りだった。
「あんなもの、無ければ良かったんだ」
「それは、どう言う……?」
テーブルの上で握りしめた拳が、震えていた。
「あんなもののせいで、花鹿はずっと苦しんでるんだ……!」
陽子ちゃんと出会ったのは中学1年生の時。
中学校に上がると同時に引っ越しをした僕には、友達は一人もいなかった。休み時間も、お昼ご飯も、帰り道も、ずっと一人で過ごしていた。
そうだったのに、何故か陽子ちゃんが僕に話しかけてきた。
「ねえ、何読んでるの?」
そう言いつつ、答えを聞く前に僕の前に回り込んで本の表紙を覗き込んでいた。
「四つの署名……?コナン・ドイル……?」
「あの……シャーロック・ホームズのシリーズで……」
「あー、シャーロック・ホームズ!えっと、確か探偵のやつ!」
「う、うん……」
相手の応えを待たないテンポと大きな声、そして弾ける様な笑顔に僕はすっかり気圧されてしまった。
「何でずっと本読んでるの?」
「え……これしか、やる事無いから……」
「友達と話したりしないの?」
「友達、いないし……」
「……ふぅーん」
それを聞いた陽子ちゃんは、何故かにやにやと笑いだした。
「な、何?」
「じゃあさ、私と友達になろ?」
「え……?」
今まで碌に話した事も無いのに、いきなり友達?そう言うのって、普通なの?
と言うより、友達なんか作っても、あれがばれたら結局……。
「でも、僕……」
「え、もしかして嫌な感じ?」
「いや、そう言う事じゃないけど……」
「じゃあなろ?良いよね?」
ずん、と顔が迫って来て、陽子ちゃんは僕のパーソナルスペースを一瞬で越えてしまった。友達になるだけなのに、何故か脅迫されている様な気さえした。
「わ、分かった……」
陽子ちゃんと休み時間に話したり、一緒に帰ったり、半ば無理矢理に外に連れ出される様になって3カ月程経った時、思い切って尋ねてみた。
「陽子ちゃんは、何で僕と友達になろうと思ったの?」
「何でそんな事聞くの?」
「いや、その……気になって」
今思っても、何を言って欲しかったのか自分でも分からない。一人でいるのが可哀想だから、とか、優しくしてあげる私って素敵だと思いたかったのかな、とか、自分なりに考えたものの答え合わせをしたかっただけかもしれない。
「んー、花鹿ちゃんが可愛いからかな」
「かわいい……?」
全く想像していなかった答えが帰ってきて、自分が出した問題文が間違えているのかと思った。
「だって可愛い人の傍にいるとさ、いつでもその人が可愛いのを見れるんだよ?眼福だよ?友達になれば普通は見れない所も見れるかもしれないんだよ?」
「そ、そうなのかな……?」
力説された所で、他人を愛でる趣味は僕には無かったから理解が難しかった。でもそう言う事なんだと一旦飲み込むことにした。
「そうそう、花鹿ちゃんが可愛いから、友達になりたいなーって、それだけだよ」
「……そっか」
その言葉が本心なのかは、今も分からない。本当は可哀想だと思ったからかもしれない。僕が傷つかない様に気を遣ってくれたのかもしれない。
でもそう言う風に答えてくれて、胸がふっと軽くなったのは覚えている。
丁度その日に、陽子ちゃんの前で変身した。
あの日も帰り道で、7月の終わり、もうすぐ夏休みに入る所、まだまだ日も明るくて、暑い日。陽子ちゃんの部活が無い日で、一緒に帰っていた。
帰りながら夏休みに行きたい所を挙げていった。計画とも言わない、ただの想像で、でもとても楽しかった。
その楽しい時間を邪魔するみたいに、化け物は現れた。道の傍を流れる川が突然揺らめいて、そこから水が人型になったみたいな化け物が飛び出してきた。周りにいた人達の悲鳴と逃げていく足音が聞こえて、僕達も逃げないとと思った。
「陽子ちゃん、逃げ——」
僕が呼びかける瞬間に人型じゃなくなった化け物がするりと懐に飛び込んできて、あっという間に僕の全身を締め上げた。
「うっ……」
「花鹿ちゃん!」
陽子ちゃんは逃げなかった。逃げられなかった。恐怖の表情をしながら僕と化け物を見ていた。
化け物は凄い力で僕を潰そうとする。丁度首に巻き付いた部分で押されて息が苦しい。眼も霞んで息もできなくなって、死ぬかもと思った。でも死にたくなかった。
変身、するしかない。
腰に光が宿って、念じると共に一層の光を放った。光に焼かれた化け物が僕から離れ、また人型に戻った時既に僕も変身を終えていた。
大きく息を吸って、走る。拳を化け物に繰り出して、確かに当たったのだけれど、拳は手応え無く化け物の身体をすり抜けた。驚いて、でもすかさず蹴りを当てたけど、これも化け物の身体を通り抜けるだけだった。
あいつは、見た目の通りに水の化け物だったのかもしれない。形は変わるし、触ると濡れるし、パンチもキックも効かないし。別に今となってはどうでも良い事だけど、その時はどうやって倒せば良いのか悩んだ。
結局は倒せたのだけれど。化け物が再び身体に纏わりついた時に、身体にあるエネルギーを使って体温をどんどん上げていった。化け物は熱を浴びて蒸発して、跡形も無く消えた。
全身がだるくて、はあはあ息を吐いてると足音がして、そこで陽子ちゃんがいたのを思い出した。
「花鹿ちゃん……」
何を言いたいのかは分からなかった。聞かなかった。聞くのが怖かった。
僕は背を向けて逃げ出した。
次の日は風邪だと嘘をついて、学校を休んだ。
ベッドに寝転んでも、考えるのは陽子ちゃんの事だった。陽子ちゃんが誰かに話していたらどうしよう。陽子ちゃんの事を皆信じて僕を化け物だって貶すんだろうか。逃げ出すんだろうか。皆怖がって、避けられて、学校に行けなくなって。
陽子ちゃんが僕の事を化け物だって顔をしながら見て。
それがとても怖かった。
その次の日に、チャイムが鳴った。
「花鹿、お友達来てるわよ」
お友達、なんて陽子ちゃんしか考えられなかった。何で来たんだろうって思った。お母さんの呼びかけを無視して、部屋に籠っていた。
こんこんとドアがノックされた。
「花鹿ちゃん、起きてる?」
起きてないよ、だから入って来ないで。
「入るね」
僕の部屋には鍵が無かった。ドアが開いて、陽子ちゃんの足音が近づいてきた。
「座って良い?」
帰って。どこかに行って。
ベッドの端が沈んだ。
「私、誰にも言ってないよ。言うつもりも無いし……だから、どう言う事か聞いても良いかな?」
聞いてどうするんだろう。僕が化け物な事を確認して、どうするんだろう。
「私、友達なのに花鹿ちゃんの事知らないから、だから話して欲しい」
友達。
そう言って、でも僕の事が分かったら、逃げた人がいた。
毛布から顔を出し身体を起こして、陽子ちゃんを見た。精一杯怖くない様に、優しく笑ってみせる。
「無理しなくて良いよ」
「え?」
「僕はただの化け物だから、だから無理して一緒にいなくても良いんだよ——」
鋭い音が部屋に響いた。陽子ちゃんが僕の頬をひっぱたいた。意味が分からなくて、つい呆気にとられた。
「花鹿ちゃんは化け物じゃないよ!私の友達だよ!それを何で、何でそんな言い方するの……!」
「あ……」
肩を掴まれて揺さぶられて、間抜けな声しか出なくて、でも陽子ちゃんが泣いてるのは分かった。何で泣いてるのか、分からなかった。
「花鹿ちゃんの事好きだよ。怖くないよ。姿が変わっても、私の大事な友達。だからいなくならないで……」
いつの間にか抱きしめられていた。肩が涙に濡れて、暖かかった。僕の頬も、濡れて、暖かかった。
「僕は、友達?」
「うん、私の友達」
「……そっか」
随分と久しぶりに、人前で泣いていた。
暫く泣いて、ようやく二人とも落ち着く。そして陽子ちゃんが色々聞いてきて、僕はそれに答える。多分生まれつきな事、お母さんが知っている事、化け物に会ったら、その度に戦っている事。
「何でそんな、戦うなんて……」
「だって、人の役に立たないと」
そうでもしないと、僕は。
「ただの、化け物じゃん……」
「そんなの誰が言ったの?」
「幼馴染、いたんだけど、怖がられちゃった」
それを聞いた陽子ちゃんは深く息を吸って、吐いて、それから僕の手を掴んだ。
「なに?」
「今日、私も学校さぼる」
「え?駄目だよ」
「良いから、ちょっと付いて来て」
「え……」
力強い陽子ちゃんの手に引っ張られるまま、部屋から出て、靴を履いて、外に出ていた。
手を繋いだままちょっと歩いて、川に来た。陽子ちゃんはそこで手を放して、堤防から飛び降りて石がごろごろ転がる川岸に着地した。
「ほら、こっち」
少し躊躇って、意を決してジャンプした。石を踏みつけた脚の裏がじんじんした。
「水切りって、できる?」
「え?」
「私得意なんだ。見てて」
陽子ちゃんは転がっている石から平たくて丸い物を選んで、体を捻り、スナップを効かせて川の流れに逆らって石を投げる。投げられた石は水面に触れると跳ねてどんどん前に、何度も跳ね、そして落ちた。
「8回かー、微妙……花鹿ちゃんもやってみて」
「え……」
「石は……これが良いかも。ほら」
「……うん」
石を受け取り、見様見真似で投げる。石は一回跳ねて、その後すぐ落ちた。
「う……」
「ふふ、まあそんなもんだよ」
陽子ちゃんが僕の隣に立った。
「私は水切りが得意で、花鹿ちゃんは苦手」
「うん」
「それと一緒じゃない?」
「え?」
何を言っているのか分からなくて、陽子ちゃんの顔を見る。陽子ちゃんは僕の眼をしっかり見て、笑った。
「花鹿ちゃんは戦う力を持ってるけど、それだけ。戦うのが得意って言う、それだけ」
「それだけ……?」
「化け物とかじゃなくてさ、そう言う事ができるってだけだよ。花鹿ちゃんの得意技って言う……えと、その……」
言葉尻がすぼんでいって、陽子ちゃんは頭を掻く。
「要は、花鹿ちゃんは花鹿ちゃんだって事が言いたくて……ごめん、口下手で」
「ううん、大丈夫」
いっぱい言葉をくれたけど、要は僕の事は化け物だって思ってないって事だと思った。そう信じたいなと思った。
「ズッ友って知ってる?」
「何それ?」
「結構古いんだけど、『ずっと友達』って事」
朝日に照らされた川はきらきら輝いて、それが映る陽子ちゃんの目は眩しくて。
「ズッ友だよ、花鹿ちゃん」
太陽に照らされるよりも、暖かかった。
「ごちそうさま」
晩御飯を食べ終えた花鹿ちゃんが食器を片付け、それからリビングを出ていく。今日もまた、人型を探しに出ていく。
「花鹿ちゃん」
その前に、呼び止めた。花鹿ちゃんは私を見て不思議そうな顔をする。
「何ですか——」
花鹿ちゃんが言い終わる前に、私は花鹿ちゃんを抱きしめた。
「……へ?」
「私は、戦わなくても花鹿ちゃんの事好きだから」
「ありがとう、ございます……?」
言葉で伝わったか分からないから、より強く抱きしめてから放す。ぽかんとしている花鹿ちゃんの顔を直視できなくて、思わず背を向ける。
「それだけ!……行ってらっしゃい」
「行ってきます……」
私は晩御飯を食べるために、逃げる様にリビングに走っていった。
サクラさん、いきなりどうしたんだろう。
なんか、そう言う事急に言いたくなったのかな?嬉しいけど、記念日でもないのにいきなりプレゼントを渡されても困惑する。
まあいっか。
玄関を出て、むしむしとした空気にうんざりする。暑いのは良いけど、湿っぽいのはあんまり好きじゃない。
鍵をかける時、ストラップが視界に入る。本当だったら名前を書いた紙を入れる、革で出来たネームホルダー。
ついそう言う気分になって、そこから紙を取り出す。
少ししわができた紙には手書きの文字で、たった一文だけ。
『愛してるよ』
何回も確認して、何回も考えた。
この紙は僕が孤児院に預けられた時に、一緒に渡された物らしい。多分だけど、お母さんの言葉。
じゃあ、愛してるのに、何でお母さんは僕を捨てたんだろう。
愛せないから捨てたんじゃなく、愛してたけど、捨てた。それには多分理由があって。
そこそこの頭で考えて、気付いた。
お母さんは、仕方なかったんだ。仕方なく僕を捨てたんだ。
だって僕は化け物だから。だから育てられないと思ったから、捨てたんだと思う。
じゃあ、仕方ないよ。
それから考えた。
お母さんが僕を愛したのは無駄じゃないって思いたかった。僕が生まれたのは無駄じゃないって思いたかった。僕なんていない方が良いとは思いたくなかった。死にたいとは思わなかった。だから生きてる意味を探した。
そして分かったのはやっぱり僕は化け物で、戦えるって事。
じゃあ化け物と戦ったら、人の役に立てていると言えるのではないだろうか。益獣って言葉がある様に、僕も役に立つ化け物になれるかもしれない。
そうやって、生きようと思った。
人は傷つけません。優しい化け物になります。
取り立ててできる事なんて無いから、戦います。役に立つように生きます。
だから。
許してください。