仮面ライダーアステラ 作:赫牛
寝て起きて、今日も顔を合わせる。
そして今日こそは、と思う。この喉につっかえたものを取り除きたいと思う。
後ろから足音。そして鏡に映る姿を確認。来た。
「お、おはよう!」
「おはようございます……」
花鹿は眠い目を擦りながら、私の隣に立って顔を洗い始める。時間が経つにつれ、決意が柔くなっていく。挨拶はしてしまったから、何を言おうかと花鹿の顔を見ていると、顔を拭いた花鹿と目が合う。
「何ですか?」
「え?あ、いやぁ……」
「ん?」
訝しむ花鹿から目が離せず、覚悟を決めて、ちょっと息を吸って、口を開く。
「花鹿……ちゃん」
「……はい」
「……きょ、今日も良い天気だね!」
「……はい?」
当然の反応である。滅茶苦茶恥ずかしくなってきた。
「あ、朝ご飯楽しみだね!じゃあ!」
「……ええ?」
困惑する花鹿に背を向けて、そそくさと自分の部屋となった客間に逃げ込む。ふすまを閉め、頭を抱えてうずくまる。
「乙女かよ……」
恋する少女が想い人に告白する寸前で、やっぱり勇気が出なくて言いたい事が言えなかった……この前テレビで見たそんな感じのシチュエーションが当てはまり過ぎる。別に花鹿に恋している訳ではないのだから、何をそんなに躊躇う理由があるのか分からないが、何故かいざ目の前にすると緊張してしまう。
ただ単に、呼び捨てにすると言う、それだけなのに。
みつきさんと陽子さんは当たり前の様に呼び捨てで、それを聞いている内に花鹿の事を『花鹿ちゃん』と呼ぶ事に抵抗を感じるようになった。花鹿と関わる人の中でも、私だけ距離がある様な気がしたからだ。
それにしても、心の中では幾らでも呼び捨てにできるのに、それを口に出す事の、何と難しい事気恥ずかしい事。でもそうしないと、どこか一歩引いた関係の様な気がしてしまって歯がゆい。
私が大空家に来てから経った2週間の内、6日くらいはこの悩みを抱えて日々を過ごしている。長い。これだけの事なのに長過ぎる。こんなのでいちいち悩んでいると健康に良くない。だから解決に向かって努力するのだけど、肝心な所でへたれてしまった。いっそこのままちゃん付けにしておいた方が、心の平穏を保てるのかもしれない。
「サクラちゃーん、ご飯食べないのー?」
「はーい、行きまーす!」
みつきさんの声で我に帰った。そうだ、うじうじしても仕方ない。その内自然に呼べるようになるなる。
良し、切り替えて行こう。うん。
……。
やっぱり、呼びたいなぁ。
「でねー、そいつしつこくてさ、懲りずに何回も何回もメッセージ送ってくるからブロックしちゃった」
「うん」
「そしたらあいつ、今度は私が女の子が好きとか言いふらし始めてさ。ほんっと、自分が振られただけなのに、バイト先でそう言う事するかね大人気ない」
「大変だったね」
「結局そいつ、逆に皆から白い目で見られて辞めてたんだけど。自業自得って感じ。大体私が花鹿の事好きだとか恋人にしようとか、おこがましいって思わないのかな」
「……ん?」
揺れる車内。ぎらぎらな太陽の熱を空調で打ち消した快適な空間。
夏休みと言う事もあって、今日は陽子ちゃんと一緒にプールを主としたレジャー施設に遊びに行く事になった。二人で遊びに行く時は大抵陽子ちゃんが車で迎えに来てくれる。移動する間僕は助手席で楽をしていて、それがありがたいし申し訳ないから例えどれだけ眠くても話し相手になっている。
今日もそんな感じで、陽子ちゃんとバイト先の先輩のトラブルについての愚痴を聞いていたんだけど、急に雲行きが怪しくなってきた。
「いやね、勿論好きなのは好きだけどさ、そもそも花鹿となんて私がどんなに頑張っても釣り合わないしさ、花鹿を私のものに、なんてそれこそおこがましいって言うか。ほんと分かってない。そんなんだから振られるんだよねー」
「陽子ちゃん?」
「そりゃあ付き合えたら幸せだけどさ、そうなったらもう毎日どきどきし過ぎてキュン死するしさ。あーでも花鹿の顔見て死ねるならそれでも良いかも……」
「陽子ちゃん!?」
「花鹿の作った味噌汁毎日飲みたい……いや、花鹿にそんな手間かけさせるのは違うな。やっぱ私が作って飲んでもらうのが——」
ああ、やっぱり始まってしまった。
陽子ちゃんは偶に暴走して変な事を口走る時がある。それこそおこがましいけど、僕の事が好き過ぎてこうなってる様に見えるし、本人だっていつかそう言ってた気がする。嬉しいんだけど、こうなっちゃうと他の事が手つかずになりがちだから、そろそろ止めとかないといつか事故を起こしちゃう。
「陽子ちゃん、陽子ちゃん」
「でもやっぱり花鹿の料理も……なに?」
「プール、楽しみだね」
「うん!ほんと楽しみ!あーもう、早く渋滞何とかならないかなー」
良し、上手く話題を逸らせた。
ここで『やめて』と言った類の事を言ってしまうと、『きもかったよね、ごめんね』と言いつつ落ち込んでしまって余計に他の事に身が入らなくなっちゃうから、今日は前から考えていた対処法を試してみたけど上手くいった。今度からこれで行こう。
「そういやさ、花鹿はバイトやらないの?」
「バイト……うーん」
「夏休み入ったしさ、良い機会だと思うよ?お金だって増えるし」
確かに収入があるのは大きい。でもバイトと言っても色々ある。一人で黙々とできるなら良いけど、人と一緒にって難しいかも。
「でさ、さっき一人辞めたって言ったじゃん?で、店長が新しい人探してて……」
あれ、なんか嫌な予感。
「て事で花鹿、私と一緒のとこで働いてみない?ホールとか良いと思うんだけど」
「ほ、ほーる!?」
陽子ちゃんのバイト先って確か喫茶店だったはず。そしてホールの役割って……接客!?
「む、無理だよ……僕、上手く話せないし」
「大丈夫だって、花鹿可愛いからちょっとくらいミスしても許してもらえるよ。寧ろそこが可愛いみたいな?」
「うう……」
それは色眼鏡ってやつじゃないのかな?ミスしたら普通怒られるか注意されるだろうし、お店に迷惑かけるの嫌だし……。
て言うか陽子ちゃん、もしかして僕と一緒にバイトしたいだけなのでは……?
「私も手伝うしさ、ね?ね?」
「う……考えとくね……」
「うん!」
結局濁して逃げてしまった。
こう言う時、はっきり断る勇気が欲しい。
夏の日差しは残酷なまでに眩しくて、人をこんがりと焼いてしまおうとする。さっき全身にサンオイルを塗りたくられた(サンオイルOKのプールを選んだらしい)から日焼けはしないと思うけど、普通の人ならそんなの関係無く暑さでやられてしまうくらいに暑い。
だけど陽子ちゃんは元気そうだ。
「ふーあっつい!早くプール入ろ!」
「う、うん」
手を引かれて、水に勢い良く入った。飛沫が太陽に照らされてきらきら光って、陽子ちゃんの笑顔がぱっと咲いた。
水の流れに任せて、浮いたり歩いたり。身体はちょっとずつ冷えて、心にぽかぽかが溜まっていく。透明な水に揺れるシルエットが二つ、くっついたり離れたり。波が来ても、二人なら寂しいが楽しいに変わる。
「次あっち行こ!」
あどけない陽子ちゃんの笑顔に思わず見惚れる。
そして視線が下がった瞬間、はっきり見てしまった。
水色の水着に覆われた、二つの豊かな曲線を——。
「うっ!」
「え、花鹿?どうしたの大丈夫?」
心は空気の抜けた浮き輪の様に沈んで、現実が戻ってくる。
油断していた。陽子ちゃんは着痩せするタイプなんだった。学校の体育で着替える時も、不意の雨で服が濡れてしまった時も、今みたいに海やプールに出かける時も、今まで何度
「陽子ちゃんはずるいよ……」
「え!?ごめん!私何かしたかな!?」
本当に、ずるい。
もやもやする。ああ、もやもやする。
このもやもやを消し去る方法が分かりきっているのに、それができない事が尚更もやもやする。
故に机に突っ伏してうんうんと唸る。勿論そんな事をした所で何も解決しないのだけれど、何もしないよりかは良いような気がした。考えているふり、と言うやつ。暇を潰しているとも言う。
何にせよ、花鹿がいないと解決はしないのだ。
「なに?掃除機の真似?」
「……どの辺りがですか?」
「調子悪い時そんな音出すから」
そんな音を出すのは不良品ではないだろうか。
みつきさんが私の向かいに座った。
「つまり調子悪いんだ」
「どう言う理屈ですか」
「でもそうでしょ?」
「……どうなんでしょう」
みつきさんがふっと優しく微笑む。
「悩んでる時はね、相談するのが大事よ。三人寄ればなんとかって言うでしょ?」
「文殊の知恵まで言いましょうよ」
「伝わったから良いの」
国語の教師がそんな適当で大丈夫なのか?
「言葉って言うのはね、どれだけ綺麗な物を並べても、結局伝わらなかったら意味無いの。逆に簡単な言葉だけでも、相手に伝われば充分……で」
みつきさんが立ち上がり、今度は私の横の席に座る。ラベンダーの香りがして、少し気が紛れる。
「何をそんなに悩んでるの?」
「……大層な事じゃないですよ」
「今はそうじゃなくてもさ、後々大きくなっちゃうかもだから、今言っちゃいなさい」
後々大きくなる、か。悩みは大した事ないけど、確かにもやもやは日々大きくなっている気がする。
観念して言った方が良いか、これは。
「花鹿を呼び捨てにしたいって、だけですよ」
「今できてるじゃない」
「花鹿の前だとできなくて……ずっと言おうとするんですけど、なかなかできなくて」
「ふーん、それで悩んでると」
打ち明けるとみつきさんは何故かにやにやしだした。
「何ですかその顔」
「なに?花鹿の事好きなの?」
「そう言う好きじゃないですぅー」
「分かってる分かってる、ごめんごめん」
ふぅと息を吐き、みつきさんは居住まいを正した。
「呼び方を変えたいのってさ、呼び捨てじゃないとよそよそしい、みたいな?」
「なんか、みつきさんも陽子さんも呼び捨てなのに私だけそうじゃないから……」
「成程ねー……じゃあさサクラちゃん、私の事お母さんって呼ぶ?」
「え、え?」
「花鹿はお母さんって呼んでるからさ、サクラちゃんも同じにしてみる?」
「いや、それは……」
それはみつきさんと花鹿だけの親子と言う関係があって成り立つもので、私は娘じゃない。どっちかと言うとみつきさんは友達のお母さんみたいな距離感で、流石に友達のお母さんを母と呼ぶのはいかがなものかと……。
目を白黒させているとみつきさんが吹き出した。
「呼ばないよね。じゃあ仮に呼ぶとして、そうしたら私とサクラちゃんはもっと仲良しって事になる?」
「それは……違うような……」
「そう。無理矢理呼んだからってさ、相手との関係が変わる訳じゃないじゃない?相手の事をどう呼ぶかってのも大事だけど、その人との関係性って呼び方で左右されるものじゃないと思うの。呼び方を揃えれば皆と同じラインに立つって訳じゃないし、例えさん付けくん付けでも呼び捨てし合う人より仲が良いと思ってるって事もある。だから呼び方なんて、本当に仲が良いなら何でも良いんだと思う」
みつきさんは立ち上がり、食器棚からコップを2つ取り出す。冷えた麦茶を注ぎ、とん、と私の前に置く。そして再び席に座って自分の分を一口飲んだ。
「何でも良い……」
「好きなように呼べるのが一番だけどね、そうじゃなくても心の距離は一緒だよ」
心の距離か。
私と花鹿の距離って、なんだろう。何が良いんだろう。
「まあ心の中で思っているなら、いつか自然に口から出てくるでしょ。気長にね?」
「……気長に、ね」
いつになる事やら。
そう思って一口飲んだ麦茶の冷たさが歯に染みた。
辛い。熱い。美味しい。
なのに汗をかかないのがこの身体の良い所だし、嫌いな所。
「からーい!これより辛いの?ほんと凄いよね」
「凄い、かな?美味しいし……」
陽子ちゃんのカレーは僕のものより辛さが一段階下。とは言っても最大より一つ低いだけだから、そりゃ辛いと思う。無理して合わせなくても良いのに。
プールと同じ施設内にあるレストランでの昼食は思ったより静かで、流れる音楽と外から聞こえる歓声が頭に響く。
陽子ちゃんは一口食べる度に水をがぶがぶ飲んで、あっという間に一杯目が無くなった。まあ、普通はそうなんだと思う。別に自分から違いを感じて儚んでいる訳じゃない。美味しくて好きだから食べている、それだけ。
お昼ご飯を食べて、それからまたプールで遊んで、いいくらいで切り上げた。また車の中で優しく揺られて、瞼が重くなってくる。戦った後は全然感じないのに、遊んだ後はとても疲れる。凄く、幸せな気がする。
「楽しかったねー」
「……うん」
「ふふ、無理せずに寝て良いんだよ?」
「大丈夫……」
この後は買い物に行く予定。ただの楽しい一日。
だと、良かったんだけど。
「っ!」
背筋がぞくりとして、確信が身体を突き抜ける。車の音も流れる音楽もどこかに行って、じんじんと耳鳴りがする。
「花鹿?」
いつもよりやけにはっきり感じる、気持ち悪さ。眠気なんてどこかに飛んで行って、ただそれだけが眼に映る。
「人型?出たの?」
微かに聞こえる陽子ちゃんの声に頷く。
「どっち行けば良い?」
「こ、ここ左……」
「分かった!」
陽子ちゃんは強引に車線を変更して左に曲がってくれる。こんな風に一緒にいる時に人型の気配を感じた素振りを見せると、どんなに言っても付いて来てしまうから説得は諦めて、寧ろ最近は咄嗟の移動手段として車に乗せてもらう事もある。勿論危険な事はしないように言ってあるし、危険になりそうなら僕が絶対に守る。
そして今も僕のコンパスに従って車は道を走り抜けていく。頭の中の警報は、その間もずっと鳴り続けていた。
夏なので自転車で風を切ろうが暑い。荷物が重いし落としても駄目だからスピードも出せない。日差しは容赦無く照り付けて、帽子を被っていても頭は茹で上がりそう。
気分転換に買い物でもしてきたら、とみつきさんに頼まれ、自転車を借りてスーパーまで行ってメモ通りに物を買った帰り。都合良くぱしりにされた気がしないでもないが、住まわせてもらっている身としてはこれくらいするのも当然かと言う気持ち。
「気長にって、いつだろう」
考え事はペダルみたいにぐるぐる同じ所を回り続ける。
自然に出ると言っても、それこそ長い時間が必要だと思ってしまう。それまでやきもきするのはつらい。つらいけど、きっと必要な事。
「我慢、我慢」
頭を振って切り替える。私は今おつかいの途中で、気分転換してるんだから考えるの良くない。勇気を持って一歩漕ぎ出そう。
あれ、動かない。何で?
何かが引っ掛かっている様な感覚がして後輪を見ると、何かの蔓が巻き付いていた。しかも滅茶苦茶太い。
「うわっ!」
後ろに自転車を引っ張られてバランスを崩す。かごからバッグが転げ落ちてリンゴが地面を転がっていく。立ち上がろうとした私の視界の端に、それが映る。
うねる蔓が固まって人の形になった様な、化け物。
「人型……!」
逃げないと。その一言に突き動かされて走る。勿論だけど、人型も私を追いかける。
何でこんな目に。化け物に追われるのは人生で一回だけで良い。いやそもそも一回だって経験したくないのに。
ただ道なりに真っ直ぐ走るだけなのに、進むにつれて人通りが減って追い詰められていく。
何回目かの角を曲がろうとした瞬間に足を掬われて倒れる。腕から伸びた蔓が左足に巻き付いて物凄い力で私を引っ張っている。
このままだと不味い、と思うけど近くに掴めるものが無くて、砂利が虚しく手から零れていく。もうすぐ近くにいるのに、不気味な程静かでそれが怖い。何を考えて何をしてくるのかが分からない。分からないけど、碌な事にはならないのだけは分かる。
「助けて、花鹿……」
いけない、と思っていても呟いてしまった。
でも呼んだからって、ここに来てくれるなんてそんな都合の良い事、ある訳……。
タイヤが軋む音が聞こえた。
音のした方に向くと、赤い軽自動車がこちらに突っ込んできていた。軽自動車が蔓を踏みつけて、痛がる様な素振りを見せた人型が蔓に込められた力を緩めた。その隙に蔓を振り解いて立ち上がる。
「こっち!突っ立ってないで早く!」
軽自動車から陽子さんと花鹿が飛び出してくる。私が走って二人の元に行ったのを見た花鹿は、人型の前に立ちはだかる。その腰に水色の光が浮かび上がった。
「変身!」
叫んだ花鹿は光に両手を重ね、そして横のラインをなぞって手を広げた。光が一層眩しく輝き、花鹿の姿を一瞬で白く変える。
人型は威嚇する様に蔓で地面を打ち、花鹿はそれから眼を離さずに腰を落とし、右腕を地面に触れさせる。
睨み合い、横に歩きながら間合いを計る。同時にぴたりと止まった瞬間、人型が蔓を花鹿に向かって伸ばす。花鹿はそれを頭を捻って躱し、再び飛んできた蔓を転がって避けた。しかし三度目の蔓が腕に巻き付き、人型が引き寄せようとするのに対抗して蔓を掴んで引っ張る。
手繰り寄せ、引き寄せ合う。力比べはほぼ互角で、両者とも強く力を込めていた。
力が均衡し緊張が続く中、突如花鹿が力を緩める。そして強く地面を蹴って跳躍し、引き寄せられるままに人型に跳びかかって押し倒し地面を転がる。先に立ち上がった花鹿が脚で人型を踏みつけようとするが、人型は咄嗟に飛び退いて避ける。そして距離を取ろうとしたが、花鹿は腕に巻き付いたままの蔓を引っ張り阻止した。
花鹿が拳を振りかぶり、重い一撃が人型の胸を刺す。人型がもう一方の腕から蔓を伸ばして横に薙ぐのをしゃがんで避け、そして回し蹴りを胴に見舞う。よろめくのを再び蔓を引っ張って立たせ追撃するのは、さながらチェーンデスマッチの様。
再び人型を立たせ、殴りかかろうとする。しかしその瞬間に人型の肩辺りから蔓が伸び、花鹿の首に強く巻き付く。虚を突かれて怯む花鹿の腕や脚に、人型の全身から飛び出た蔓が次々と巻き付いていく。振り解こうとするも、蔓が全身を固定して動けないようだった。
「うっ……くっ……」
蔓に一層力が込められ、花鹿の呻く声が聞こえた。
その声が苦しそうで、それを聞いたら居ても立っても居られなくなった。
辺りを見渡し、かなり大きい石を見つけて拾う。
「ちょっと、何して——」
陽子さんが言い切る前に走り出し、充分近づいた所で両手で石を思いっきり投げる。それは人型の背中に当たって地面に落ち、人型がこちらを向いた。
きっと、今がチャンスってやつだ。
「花鹿!」
叫び、そして眼差しに反応して、花鹿が力を込める。全身が光り出して、同時に熱が生まれる。人型が振り向いた瞬間、花鹿が腕を広げて巻き付いた蔓を弾き飛ばす。蔓の断面から煙がたなびき、人型が怯む隙に花鹿は右腕に光を集め、首に巻き付いたままの蔓を手刀で断ち切った。
自由になった花鹿は蔓を振り払い、腰を落とす。右脚に光が集まっていき、収束すると同時に両脚を揃えて跳躍する。
「やああああっ!」
そして渾身の跳び蹴りが人型の胸を撃つ。吹き飛んだ人型は立ち上がるが、胸を押さえて苦しみ、そして爆発した。
光が解け、花鹿の姿が元に戻っていく。首を触り、ふぅとため息をついた花鹿は私の元に歩いてくる。
「花鹿……」
「あの」
花鹿は困った様な視線を私に向けた。
「助かりましたけど、ああ言うの、危ないから今度からしないでください」
「……ごめん」
「でも、今回は助かったので、一応、ありがとうございます……それと」
「それと?」
問い返すと一瞬の間があり、そして。
「何でもないです」
「ええ……?」
花鹿はくるりと背を向けて車に乗り、思い出した様に窓を開ける。
「乗りますか?」
「……ううん、自転車あるから」
「そうですか」
陽子さんも車に乗り込み、エンジンをかけて走らせる。
去り際に見えた花鹿の顔が、少し笑っていた様な気がした。
「名前、考えよう」
帰ってくるなり、サクラさんはそんな事を言いだした。
「何の名前ですか?」
「花鹿の名前だよ。変身してる時にさ、花鹿って呼んじゃうのって不味いかなって」
「別に良いですよ……」
「いやいや、やっぱ個人情報は大事にしなきゃ」
なんだか説教臭い話になってきた。
まあ別に困らないし、好きにさせたら良いかな。
「じゃあ、考えてください」
「うん、てかもう考えてある」
「早いですね」
最初から自分の意見を通す気まんまんだったって事だ。なんでも良いけど、ださかったらそれはそれで困る。
「なんて言うんですか」
「うん……アステラ、ってどう?」
「あすてら……どんな意味ですか?」
「ステラって、外国語で星って意味」
「じゃあアの部分は?」
「アース、地球。それを繋げて、『地球の星』って……どうかな?」
星は一人で光るもの。
だけど、地球の星。それなら、一人じゃなくて寂しくないかも。
「じゃあ、それで」
警察の、とある施設の中。
手術着を着た何人かが、手術台に乗ったそれにメスを入れる。生きていた頃の頑強さが嘘だったかの様に、メスはすっとそれの肉に入り込み血で汚れる。
血にまみれ、幾つも身体に穴が開いた、鹿の様な顔をした人型。手術台に乗ったそれの全身が切り刻まれる。それの中にある物を見つけるために。
そして、手が止まる。一人が手で示し、近くにいた者達が顔を見合わせる。
人型の特に発達した肩の部分にそれはあった。赤い肉の中で不自然な程青い、拳程の大きさだったであろう、ひびが入り所々が欠けた結晶。まるで何かに埋め込まれたかの様に、それは存在していた。