仮面ライダーアステラ   作:赫牛

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血の匂い(2)

「ふぅ……」

 

 こぼれ出たため息の理由は何だろう。湯船に浸かるのがこんなに落ち着かないのは何故だろう。

 心は踊る。でも何故踊る?手が触れたから?笑いかけられたから?

 なんか違う気がする。どう違うかは分からない。

 ぽかぽかぽかぽかぽかぽか。ぷかぷかぷかぷかぷかぷか。浮いているのは僕。浮かれているのは僕。

 じゃあなんで浮いている?円はくるくる回っていく。

 

 このままだとのぼせそう。

 立って、湯船から出て、シャワーして、身体を拭いて、外に出て寝間着に着替える。陽子ちゃんに怒られるからドライヤーで髪を乾かして、少し伸びてきた髪が気になった。似合う似合わないは良く分からないから、また陽子ちゃんに聞こう。

 お風呂上がりのアイス。今日はバニラ味。火照った身体で少し溶けている。アイスは硬い方が好きだ。別に溶けたのが嫌いって訳じゃないけど。

 甘くてどこか夢心地で、そう言うのがアイスなのかもしれない。すぐに無くなった夢は、でもしばらくは続きそうだと思う。

 

 ベッドに入って、そう言えば今日は見回りをしていないなと思う。しなかったんじゃなくて、忘れてた。まあいっかと迷うのを止めて、スマホにコードを挿す。85パーセントまで減った数字がまた元通りになる頃には寝ていたい。

 目を閉じる。まだ外は騒がしくて僕と一緒には寝てくれそうにない。一人微睡んで、橋を渡る準備をしようと思った。

 なのにスマホが震えて僕を連れ戻した。知らない番号だった。でもよく考えもせずに出てしまった。

 

「はい……」

「もしもし花鹿ちゃん?美雲だけど」

 

 え、と思って、番号を教えていた事を思い出した。

 

「どうしたのこんな時間に?」

「まだ10時だよ」

 

 小さく笑う声が聞こえた。

 

「昼間に言ってなかった事あるなって」

「なに?」

「今度さ、どっか遊びに行こうよ、二人で」

「え?」

 

 遊びに行く、それは良い。でも二人で?

 

「何で?」

「何でって、行きたいからだけど、駄目かな?」

「あ、いや……ごめん」

「あらら、断られちゃった」

「いや違っ……変な事聞いたから謝っただけで、行きたくない訳じゃ……」

 

 全部の応えを間違えた気がする。でも仕方ないって言いたい。今までの人生からだと想像できない事が起きているんだからちょっとくらい動揺したって良い。

 

「て事は、行っても良いって事?」

「う……うん、行こう」

 

 たった三文字を言うのに凄く勇気がいった気がする。でも言えて良かった気がする。

 

「次の土曜日、空いてる?」

「うん」

「その日の、そうだなぁ……10時くらいに駅の南口で」

「分かった、大丈夫」

「じゃあそう言う事で。またね」

「うん、またね」

 

 すぐに電話は切れた。名残惜しさとか、全く無い様に見えた。

 変な余韻があった。心は外と同じくらい騒々しくなってとても寝れそうにない。履歴を見て、数字の列が一番上にあるのを確かめる。見覚えが無くてまた胸が騒めく。

 どきどきしている。

 なんでどきどきしてるんだろう。

 陽子ちゃんと初めて遊びに行く約束をした時と同じだ。

 

 恋をする時は胸が高鳴るもの、らしい。

 じゃあこのどきどきは恋なんだろうか。

 そうだったら良いな。

 恋をするのって、普通の女の子っぽくて良い。

 

 

 

 

 

 そしてあっという間に土曜日になってしまった。

 9時45分。駐輪場にバイクを停めてスマホを確認する。明るくなった画面に一件の通知。

 

『自販機の前にいるよ』

「はや……」

 

 余裕をもって来たはずなのに既に待たせてしまっていた。バッグを肩にかけて走る。らしくないヒールとかスカートとか履いて来なくて良かった。

 そう離れていないからすぐ駅に着く。大層な距離を走った訳じゃないけど、息はすっかり上がって胸もばくばくしている。よく見る自販機の前に美雲くんの姿を認めて、深呼吸してからまた走る。

 

「ごめん、お待たせ!」

 

 俯いていた美雲くんが目を開け、にこりと微笑む。

 

「大丈夫。これ聴いてるから」

 

 美雲くんの耳にはワイヤレスイヤホンがあった。

 

「何聞いてるの?」

 

 何とはなしに聞くと、美雲くんは片方のイヤホンを外して僕に差し出した。受け取って、右耳にはめてみる。聞こえてきたのは人ではなくトランペットの歌。弦楽器と管楽器がさえずり合いハーモニーを奏でている。眩しい夢の様な、でも急き立てられている様な感じがした。

 

「綺麗だね」

「うん……じゃあ行こうか」

「うん」

 

 イヤホンを返して、並んで歩きだす。

 

「どこ行くとか決めてるの?」

「ううん、行きたい所ある?」

「うーん……」

 

 誘ってきたからてっきり決まってるのかと思ってたけどそうではないらしい。だからと言って僕も行きたい所がある訳でもなく、信号を待ちつつ辺りを見渡す。

 と。

 

 

 

 

 

「話してる……感じじゃないな。なんも話してなくない?あの男、花鹿の事楽しませる気あんの?」

「ちょいちょい、あんまり前行くと気付かれるって!始まったばっかでばれる訳にはいかんでしょ……」

 

 

 

 

 

 なんかいたし。いやばれてるけど。

 二人ともサングラスしてたけど普通に分かるし。ひそひそ話してるつもりなのかもしれないけど聞こえてるし。

 陽子ちゃんには髪型について聞いただけで何故かばれたし、サクラさんにも出かけると言っただけで誰と行くなんて話してないはず。多分陽子ちゃんがサクラさんを引っ張ってきたんだろうけど、二人には一度プライバシーについて学ぶ機会を設けさせた方が良いのかもしれない。

 考えている内に音が鳴って人が動き出したから反射的に横断歩道を渡った。

 

「あ、映画、とかどう?」

 

 顔を上げた先に映画の広告があった。あんまり使わないけど映画館も近くにあったはず。

 

「良いね、行こうか」

 

 そう言って方向転換する美雲くんにならった。

 

 

 

 土曜日と言う事もあって映画館は人で溢れていた。

 当然何を見るかも決めてなかったから、券売機の待機列から一歩下がった所に立って掲示板とスマホを行ったり来たりして、興味がそそられそうな映画を探す。

 

「あーこれとかどう?」

「良いと思う」

 

 美雲くんが提案してきたのは洋画。キャンプ中の仲良しグループがふとした拍子に進化した動物達の国に迷い込むと言うあらすじ。ニュースか何かで取り上げられていた気がするけど別段興味も無かったし、多分一人だと観に行かなかったから丁度良い機会かもしれない。

 列に並んで5分程待って、自分達の番が来る。美雲くんが画面をタップして操作を進め、それぞれ自分の分のお金を出してチケットを買う。思っていたより人気だったみたいで、僕らが買ってしまうと残りは一席しか空いていないみたいだった。

 

「ラッキーだったね」

「うん。あ、飲み物とか買う?」

「俺は良いかな。途中でトイレ行きたくなると嫌だし」

「わかる」

 

 と言う事で、上映時間も近いのでそのまま入場口でチケットを提示する。

 

 

 

 

 

「え、一人分しか空いてない!」

「大丈夫、ここは私が行くからあんたは外で待ってな」

「オーケー……ってそしたら私映画見れないじゃん!これ2時間あるんだよ2時間。超暇なんですけど!?」

「うるさいな2時間くらい適当に潰したら良いじゃん」

「適当にってそんな無責任な……」

 

 

 

 

 

 後ろから言い争うのが聞こえてくるけど無視した。

 

 

 

 シアターに入ると既にCMが始まっていて、知らない誰かが走っていたり建物が爆発したりしていた。照明は落とされているけどまだひそひそと話す声があちこちからしていて、映画を選んだのを少し後悔した。頭を下げながら通路を進んで自分達の席に座るとざわめきは一層強く感じられて、すぅと一度深呼吸した。

 

「うるさいよね」

 

 美雲くんが小声で話しかけてきた。

 

「仕方無いよ、僕が嫌なだけだから」

「優しいんだ」

「どう言う事?」

「……始まるよ」

 

 美雲くんは答えてくれなかった。シアターが一層暗くなって、スクリーンが眩しく光り出した。

 

 

 

 

 

『ジョン』

『……マーカス』

 

 ジョンは棚を探る手を止め、立ち上がりながらゆっくりと振り返る。ジョンに銃を向けていたのはこの世界に来て最初に会い、匿ってくれていたマーカスだった。猛々しいトラであるにも拘わらず心根が優しい彼は、だからこそ撃つ前に声をかけてくれたのだろう。

 

『今なら女王も許してくれる。付いて来てくれないか?』

『女王は俺達を永遠に閉じ込めるつもりだ。俺達は檻の中で見世物にされ続ける、そんなのごめんだ!』

『違う。お前達を保護したいんだ。身分だって保障される!』

『それも女王の気が変わるまでだ。あいつの気分一つで俺達は——』

『ジョン!』

 

 マーカスが銃を構え直す。ジョンは手を上げるが、瞳はじっとマーカスを見つめたままだ。

 

『帰りたいんだ、皆で』

 

 ジョンの強い眼差しがマーカスを撃つ。マーカスの瞳が震え、そして銃を持つ手が下がった。

 

『鍵はそこには無い。こっちだ』

 

 手で来い、と示すマーカス。ジョンが後に付いて行くと、マーカスはある扉の前で止まり自分のバッジをかざした。ロックが解除され、扉が開く。マーカスは壁にかけられていた鍵束を取った。

 

『行くぞ』

『でも良いのかマーカス?お前……』

『俺は警察だ。だがな、友達を売る人でなしにはなりたくないんだ』

 

 ジョンの肩を叩き、マーカスは駆け出していく。その背中を見て、ジョンも走り出した。

 

 

 

 ここから映画が盛り上がっていく所なんだろう。いかにもそう言う顔してる。

 ここまで退屈で眠くなる事も無く、そこそこ楽しめている。

 美雲くんは楽しいのかな?

 ちらりと横を見てみる。

 美雲くんがどう言う顔をしているのかは、薄暗くてよく分からなかった。

 

 

 

 

 

 そして映画が終わって、シアターを出る。

 

「どうだった?」

 

 美雲くんが聞いてきた。

 

「ちょっと、悲しいなって」

「なんで?」

「マーカスはずっと一人だから」

 

 ジョン達と出会う前から友達がいなかったマーカスは、どれだけ仲良くなってもジョン達が帰ってしまったら一人残されてしまう。会えない分、寧ろ前よりもつらい思いをする事になるんじゃないかと思う。

 きっと寂しいよ。

 

「そうだね」

 

 美雲くんはそう言って微笑んだ。

 

「美雲くんはどうだった?」

「まあ普通に面白かったなーって」

「……そっか」

 

 悲しくはないんだ。

 まあ楽しめたんだったら、それで良っか。

 

「何か食べる?良い時間だし」

「あ、うん、そうだね」

「こことかどう?イタリアンなんだけど」

「良い、んじゃないかな……」

 

 他に食べたい物も、分かる訳じゃないし。

 

 

 

 

 

 また少し歩いて、並んで、目当てのお店に入る。外の日差しが窓から沢山入る明るいお店で、見た所客層は女の人の方が多そう。メニューも陽子ちゃんが行きたがる様な見た目と品ぞろえだった。

 取り敢えず、食べてみたい物を選んだのだけれど。

 

「なに?」

「いや、なんか……珍しいと思って」

 

 美雲くんが選んだのはトマトの冷製スープだった。

 

「ああ……熱いの苦手で」

「そうなんだ」

 

 スプーンに溜まった赤いスープが静かに口に運ばれていく。見ているだけじゃ変だと思って、僕も湯気が昇るパスタをフォークに絡ませて口に入れる。口の中がほんのり暖かくなる。好きな感覚だけど、でもこの暖かさが美雲くんは苦手なんだ。

 仲間だけど、違うんだね。

 

 

 

 

 

 食べ終わって、行きたい所を聞かれたけど特に無いと返したら、付いて来てと言われた。

 それから駅まで行って、電車に乗って、何駅か離れた街をまた歩く。いつの間にか陽子ちゃんとサクラさんは付いて来てなくて、それを知ってか知らずか美雲くんは歩いて行く。空は徐々に曇っていって湿った匂いがしていた。

 美雲くんは一軒家の前で止まった。

 

「着いたよ」

「ここは?」

「俺の家」

「え……?」

 

 美雲くんは鍵を取り出して玄関を開ける。

 

「どうぞ」

「え……あ、うん」

 

 躊躇っていると改めて促されて、つい頷いてしまった。

 

「お邪魔します……」

 

 玄関を跨いで靴を脱いで上がる。靴箱に飾られた写真立ては薄く埃を被っていて、家の中は薄暗かった。

 

「誰もいないの?」

「住んでるのは俺だけだよ」

「そっか……」

 

 連れられてリビングに入る。大きなソファーがあって、4人がけのテーブルがあって、テレビがあって……僕の家と同じ様な感じだ。

 美雲くんはふう、とため息をつきながらソファーに勢い良く座る。そしてぽんぽんと自分の横を叩いて示した。少し躊躇って、ほんのちょっと間隔を開けて隣に座る。

 沈黙が流れた。

 

「静かだね」

「うん、よく聞こえる」

「何が?」

「声が」

「……声?」

 

 何の事だろう。

 美雲くんは不思議そうな顔をした。

 

「声だよ。いつも聞こえてるでしょ?」

「え……」

「聞こえてないの?」

「分かんない……誰の声?」

「母さんの声だよ」

「お母さん……?」

 

 確かに聞こえた事はある。でもいつも聞こえてくる訳じゃない。

 

「美雲くんには、ずっと聞こえてるの?」

「……そうか、まだ気付いてないんだ」

 

 何に気付いていないのか、聞こうと口を開きかけた。

 とん、と肩を押されて、咄嗟に力が入らなくてそのままソファーに倒れる。そして美雲くんが覆い被さってくる。

 

「美雲くん……?」

「大丈夫、すぐ聞こえるようになる」

 

 髪がかきあげられて耳に手が触れる。その手が冷たくて思わず震えて息が漏れる。

 

「母さんはずっと話しかけてくれるんだ。ずっと一緒にいる」

「ずっと一緒?」

「そうだよ、ずっと一緒」

 

 囁く声は低く甘く、身を任せてしまいそうになる匂いを纏っていた。

 美雲くんの顔が段々近づいてくる。赤い唇が近づいてくる。

 これってこのままだと、キスするって事なのかな。

 だってどう見たってそう言う感じだもん。ドラマと同じ。急すぎて心の準備とか全然できてないけど、どうなるのかは知ってる。

 でもキスって、好きな人同士でするものじゃなかったっけ?

 美雲くんは僕の事が好きなのかな?でもそんな事言ってたっけ?

 僕は美雲くんの事が好きなのかな?

 分かんない。

 きっと難しく考えるから、心がちくちくするんだ。

 

 

 

 

 

 もう少しで唇同士が触れ合う、その瞬間。僕の鼻を何かの匂いが掠めた。

 知っている、慣れた、でも今でも嫌だなと思う匂い。

 これって。

 

 

 

 血の匂いだ。

 

 

 

 

 

「っ……!」

 

 気付くと両手で美雲くんを押し返していた。

 

「……どうしたの?」

「あ……その、ごめん、ちょっと頭痛くて」

 

 鞄を取って、冷たい床に立つ。

 

「そろそろ帰るね。ありがとう」

「え……」

 

 美雲くんが何か言う前に歩き出す。振り返らずに、玄関を開けて外に出る。それから走った。できる限り遠くに向かって、できる限り速く、少しでも早く離れる為に。

 

 すぐに体力の限界が来て、両手を膝に付けて肩で息をする。

 何で走ったか分からない。ただそうした方が良いと、そうしないと良くない事が起きると、根拠の無い直感があったから。

 ここまで走ってやっと、キスを拒んだ、美雲くんを拒絶した事に気付く。

 あのままだと、どうなってたんだろう。

 僕はどうすれば良かったんだろう。

 スマホを見るとメッセージが来ていた。

 

『今どこにいる?』

 

 陽子ちゃんからだった。

 

『今から帰る』

 

 一文だけ送って、歩き出す。目に映った空は、今にも雨が降り出しそうだった。

 

 

 

 

 

 気が付いたら夜の帳が降りていた。

 部屋の電気を点ける事より前に、腹が減った事を意識する。しかし料理をする気にはなれない。

 何か食べに行こう。

 ソファーから起き上がり、そのまま玄関を出る。住居の間を通る、いつもの近道を使って繁華街を目指す。いつもの様にワイヤレスイヤホンを付けて、スマホをいじって音楽を再生しようとしたら、曲がり角で大柄な男とぶつかった。

 

「ってめえ!前見て歩け!」

 

 男は吠えた。ぶつかったのはお互い様なのに、よく偉そうな口が利ける。後ろにぞろぞろと連れがいたから、そいつらの手前威張ったのかもしれないけどやられる俺からすればただ不快なだけだ。

 ふと右耳に違和感を覚えて触ると、イヤホンが外れた事に気付く。落ちたイヤホンからフルートやオーボエのさえずりが聞こえていた。

 思わず舌打ちする。

 

「何だてめえ?謝れねえってかあ!?」

 

 言葉と共に放たれた拳が俺の頬を殴る。血の味がする。流れる様な楽器の声が耳朶に響く。

 むかつくから、こいつで良いか。

 目線を戻した俺を見て男は身を震わせる。そしてそれを誤魔化す様にまた拳を放つ。同じ所を狙ったそれを今度は受け止めると明らかに狼狽えた。

 

「な、何だお前……」

 

 滑稽過ぎて最早笑えない。

 拳を掴んだ左腕だけ変化させて力を入れると、男の肘から先が千切れた。情けない悲鳴を上げて倒れる男とその仲間達をよそに、腕に着いた血を舐める。味はまあ悪くなかった。

 

「化け物だ……」

 

 誰かが言った言葉に応えた訳ではないが、全身を変化させて人でなくなると男達が慄く。誰でも良かったが、一先ずは弱って腰を抜かした奴を確実にいただこう。

 男の頭を掴んで持ち上げる。そして苦しんでいるそいつの首にかぶりつく。温い血が吹き出して身体にかかる。暫く悶えていた男はすぐに動かなくなった。

 肉を噛み千切り咀嚼する。弾力はあるけどそれだけだ。別段美味くない。他の男達が散り散りに逃げていくのを確認して、死体から溢れ出る血を啜る。やっぱり肉に対して血は旨味を感じる。暖かくて喉が潤される、命を補給している様な感覚だ。

 

「足りないか」

 

 吸えるだけ吸ったが、まだ腹は満たされない。

 だから本能が求めるまま、匂いを辿る。

 

 

 

 

 

 怖気がする。

 9時を回ってお風呂に入ろうかと思っていたけど、流石にこっちが優先だ。しかも今日のはやけに全身がざわざわとする。放っておくと不味いって事かもしれない。

 バイクで走っていく内に、昼間にいたあの街に近づいている事に気付く。もしそうなら美雲くんがもう相手しているかもしれない。そう思うんだけど、何故だか胸騒ぎがする。

 

 

 

 

 

 辿り着いたそこは、血の匂いが濃く漂っていた。

 そしてその中で月明かりに照らされていたのは。

 

「美雲くん……?」

 

 血に塗れた黒い鎧に赤い光、赤い瞳。

 見違えるはずもなく、黒いアステラだった。

 月を見上げていた美雲くんは僕の声に気付いてゆらりと視線を下ろす。

 

「あ……ばれちゃった」

 

 黒いアステラの姿が人間のそれに戻っていく。でもその顔や服にはべっとりと血が付いていた。

 

「何、やってるの?」

「あー……ストレス発散?」

「え?」

 

 美雲くんは初めて会った時と同じ様に頭を掻く。悪びれる様子も無く、当然の事の様に言ってのけた。

 

「ストレス溜まったらさ、いっぱい食べたりいっぱい寝たりするじゃん。それと一緒。いっぱい殺していっぱい食べてるんだ」

 

 腕に持った誰かの腕の肉を噛み千切り、咀嚼する。

 

「何で、そんな事……」

「花鹿ちゃんがそれ言うんだ」

 

 呆れた、とばかりにため息をつく美雲くん。腕を投げ棄て、口に含んでいた肉を吐き出した。

 

「あんだけお膳立てしたのにさ、キスの一つもできなかったらがっかりしない?」

「キス……?」

「まあ分かんないかー。結構頑張ったんだけどなぁ」

 

 何を言ってるの?

 キスって、僕とキスできなかったから、だから人を殺すの?僕のせいって言いたいの?

 意味が分からない。そんなのただの八つ当たりだ。

 

「ただのストレス発散で人を……殺すなんておかしいよ」

「そうかな?母さんはそう言ってないけど」

「母さんって、美雲くんの?」

「いいや、俺達のだよ」

 

 美雲くんは空を指差す。その瞳は、空よりももっと遠くを見ていた。

 

「あの日、母さんは(そら)から降ってきた。そしてあの女じゃなく、まだお腹の中にいた俺の中に宿った。きっと君も同じさ」

「それって……」

 

 美雲くんの眼が妖しく光る。僕は目線を逸らす事ができなかった。

 

「俺達の母は『星の矢』だ。人間なんかじゃない」

 

 違う。

 僕のお母さんは人間だ。僕を産んで、愛してるって言ってくれた。

 

「母さんはずっと語り掛けてくるんだ。もっと殺せ、奪え、食えって」

「違う……僕のお母さんはそんな事言わない!」

「まだ気付いてないだけだよ。本当は聞こえてるはず——」

「うるさい!」

 

 耳を塞いだ。もう聞きたくない。僕のお母さんは化け物じゃない。

 

「はぁ……もう良いよ」

 

 瞬間、息ができなくなる。胸から赤い血が広がって、痛みと熱もじわじわ広がる。

 変身した美雲くんの指が僕に向けられていた。何をされたか分からないけど、兎に角。

 

「ほら、早く変わらないと死んじゃうよ」

「っ……!」

 

 力を振り絞って光を集め、アステラに変身しながら傷を治す。間一髪命は取り留めたけど、身体の中のエネルギーがほとんど無くなった。

 震える脚で立って黒いアステラを見据える。黒いアステラがもう一度指先を僕に向けると、そこから赤い光が走る。避けようとするけど力が入らず、赤い光に身体を焼かれた。

 

「っ!」

「君は仲間だと思ったのに。君なら分かってくれると思ったのに、殺し合わずに済むと思ったのに!」

 

 

 

 それは僕だってそうだよ。人型だけど、少しは人間らしく生きて、人間みたいに一緒にいられると思ったのに。

 でも無理だ。

 僕と貴方は、違い過ぎる……!

 

 

 

 僕の身体が輝きを増す。痛みも無視して一直線に走って、黒いアステラに組み付いて押し倒す。馬乗りになって殴って、殴って、殴って——。

 

「ちっ……!」

 

 視界がブレる。身体が浮いて地面を転がって、でもすぐに体勢を立て直して、投げ飛ばした姿勢のままの黒いアステラと向き直る。伸ばした指先から出る光の弾丸を跳んで躱して、着地して振り向く勢いのまま胴に拳をぶつける。大きく後退った黒いアステラを追いかける様にジャンプして右脚でキックを繰り出す。

 

「うるさい……」

 

 頬を殴られる。僕も頬を殴る。光の弾丸を首を捻って躱して、カウンターで胸を殴る。

 

「うるさい……()いてんじゃねえっ!」

 

 黒いアステラの拳が僕の胴に刺さる。息が詰まる。だけど溢れる叫びは止められない。身体が動くまま、もう一度殴り飛ばす。

 距離が出来て、お互いに駆けてそれをすぐに埋める。僕の拳は空を切り、黒いアステラの拳が僕の腰の中心を捉える。

 

「うっ……!?」

 

 全身の血が逆立った様な感覚。殴られた場所を見ると、集まった光にひびが入っていた。それが致命的なものだと直感で分かった。

 殺気に気付いて顔を上げる。赤い光を纏った拳がすぐそこまで迫っていた。赤い瞳が、絶対に殺すと言っていた。

 

 

 

 

 

 結局こうなった。

 僕と人型は殺し合うしかない。

 仲間なんて、いないんだ。

 

 

 

 

 

「っ……ああああああっ!」

 

 腰を落として拳を躱して、同時に右腕に光を集める。そしてそれをがら空きになった腰目掛けて真っ直ぐに撃つ。拳は赤い光の中心を確かに捉えた。

 

「がっ……!」

 

 吹き飛ばされた黒いアステラが苦しみだす。庇う腕の隙間から見える光は、僕のものと同じ様にひび割れていた。

 倒せていないと思って走り出した脚が勝手に止まる。力が抜けて倒れ込んで、姿も人間のものに戻ってしまう。

 ほぼ同時に美雲くんも元の姿に戻っていた。脂汗を滲ませる美雲くんはきっ、と僕を睨む。

 

「そっか……そう言う事か」

 

 何かを確信した美雲くんは僕を嘲る様に鼻で笑った。

 

「君はいらない子なんだ」

「いらない……?」

「そうだよ、母さんは君の事いらないって思ってるんだ。だから声が聞こえないんだ!」

 

 可笑しい、と美雲くんは大声で笑った。その声と言葉がずんとのしかかってくる。

 

「そんなの……こっちから願い下げ……」

「ふぅ、もう良いや……あ、最後にさ」

「……なに?」

「君の淹れたコーヒー……今まで飲んだ中で一番嫌いだ」

 

 そう吐き捨てた美雲くんは、お腹を押さえながらふらふらとした足取りで夜の闇に消えていった。

 

 

 

 

 

 玄関をくぐった瞬間倒れ込む。

 

「え……花鹿!」

 

 物音に気付いて様子を見に来たサクラさんが駆け寄ってきて身体を揺さぶる。その振動に揺られて意識が段々と深く沈んでいく。

 狭まっていく視界の中で、お母さんも来るのが見えた。お母さんもサクラさんも心配そうに僕を見て、必死に名前を呼んでいた。

 僕の事を見てくれていた。

 ねえ、お母さん、サクラさん。

 僕は、いらない子じゃないよね?

 答えは分かってるはずなのに、何故だか涙が頬を伝っていた。

 

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