人間の赤子の育て方を間違えたかもしれない 作:まさみゃ〜(柾雅)
私が彼を拾ったのは私の拠点である館の廃墟の近くだった。
魔獣に襲われ、半壊した馬車の荷台から響く騒がしい泣き声に私はこの時苛立ちを覚えていた。
人形である己の体を操作して邪魔な魔獣を殺し、その泣き声のもとへ向かうとそこには人間の女と泣き声の正体が居た。
あの魔獣らなら簡単に喰い殺せそうな二つの命は結界によって護られている。
「……なるほど。女、その結界はお前のものか」
「アナタは……ああ、神様、ありがとうございます……ありがとうございます……」
見たところそう長くもない命、わざわざその騒がしく泣くそれを護るために自身の命を差し出したようだ。
だがそれは無駄だったな。
「何を勘違いしているのかは知らんが私の目的は騒がしく泣いているソレだ」
「どうか……この子を……私の……」
聞こえていないのか女は抱えるソレを差し出してくる。
差し出されたソレに目をやるといつのまにか泣き止み、指を咥えながらこちらをジッと見ていた。
溶けるように消えゆく結界。
私がソレに手を伸ばすと、ソレはキャッキャッと笑う。
ソレの首を絞めるはずだった私の手はなぜか首まで伸びず、自然ともう片方の腕が伸びて、私は笑うソレを抱き抱えていた。
「生きて……アルセナ……」
「お、おい、待て女! 私は人間の赤子の育て方など知らんぞ!? おい!!」
今の私の見た目はボロボロな人形の身体であると言うのに、恐怖せず呑気に笑う赤子。
指を顔の前に差し出せば小さな手でギュッと掴んでくる。
殺そうと思っていたがこの笑顔を見ると、何故だか分からないがその気が失せてくるな。
これが生物で言う母性本能とやらなのだろうか?
「いや、そもそも私は男だぞ……それに人形の身体である故お前に乳を与えることが出来ん……」
女の亡骸を利用して赤子の母を演じる為に身体を変える。
悪魔が人の赤子を育てると言うのは奇妙な事であるが、いざ体験してみると奇妙と感じるよりも忙しさが勝るのだが。
「やっとお前との付き合いに慣れてきたよ……アルセナ」
「貴女がアルセナくんの為にたくさん頑張ったからよ」
「……ありがとう、マダム」
現在私は、長閑な人間の村に滞在している。
赤子を託された女という体で私はこの村にやってきた。
私の身体の特性上、口元や関節部分を隠さなければ人外だとバレてしまう為、無闇に素肌を晒さない私に当初の村人らは警戒していた。
だが、今の私が女の見た目をしているのもあるだろうがこの赤子……いや、アルセナのおかげで彼らからある程度信用を勝ち取ることが出来た。
「おっと、そろそろ食事の時間だったな。ほら山羊の乳だ」
泣き始めるアルセナに頂いた山羊の乳を飲ませる。
人形の身体では熱を感じられない為にこの村の人にここでも私は助けられている。
「いつもすまないな、マダム」
「いいのよ! それにこの村には若い子が少ないから赤ちゃんを育てるのはとても懐かしくて嬉しいの!
アルセナくん〜。大きく育つんだよ〜」
私とアルセナに良くしてくれる人間の女。
世話になる故に何か対価として彼女に返したいと思っているのだが、彼女はソレを拒んでいる。
人間に世話になりっぱなしでは悪魔としての性質が悲鳴をあげるのだ。
だからどうにかして対価を支払いたいのだが……。
「む?」
「ティアーちゃん? どうしたんだい?」
「……すまないが少しアルセナの面倒を見てくれないか?」
村の入り口から嫌な気配がする。
満腹でぐっすりと眠っているアルセナを女に預けて私は村の入り口へと向かう。
そこには1人の聖職者がやってきたところだった。
聖職者は悪魔にとって有利に立てる力を持つ嫌な人間である。
戦闘には向かないこの身体では、アレに悪魔だとバレたら荷物がある状態では勝ち目はない。
「アルセナをありがとう、マダム。どうやら国の聖職者がこの村に訪れたらしい」
「……言っておくけれど、この子をアタシに預けるなんて言わないでよね。ティアーちゃん?」
「なっ!?」
聖職者を見て真っ先に考えた事を否定されるとは思わなかった。
私としては早くアルセ、この赤子から解放されたいと言うのに。
「実はね、アタシは知っているのよ。ティアーちゃんが人間じゃないって事をね」
「はぁっ!? なら尚更何故――」
「こらっ! 急に叫ぶんじゃないよ。アルセナくんが起きちゃうでしょ」
女は私に注意すると、自分の隣へ座るように促す。
私は素直に彼女の指示に従うと、彼女は眠るアルセナを私に返してきた。
「知ったのは偶然さ。強い風が吹いた時にティアーちゃん、アンタの手首が人間のモノじゃないのが見えちまったのさ」
「あの時か……ならば何故見逃していた」
私が人で無いのを知ったのなら何故排斥を行わなかったのか疑問になる。
人間とは共通の特徴から大きく外れた者に対して忌避感を持つ筈だ。
だが彼女は今も私の目を見ている。
「そりゃあティアーちゃんが人間のアルセナくんを大事にしているのをアタシが見ているからさ。理由ならそれで充分でしょう?」
「そ、そんな筈は……ない……」
否定したいが、女が過去の私のアルセナへの行動を証拠として述べる。
熱した山羊の乳を飲める温度が人形の身体では分からなかったからこの女に頼んだのは、確かにアルセナが火傷をしないように気を付けたからだ。
それに私の腕の中で泣き噦るアルセナが落ちないようにしっかりと抱えていた事も。
他にも次々と女は今まで見てきた私の行動を述べる。
「し、しかし――」
「ティアーちゃん。気付いていないのだろうけれど、アンタはアルセナくんを愛しているんだよ」
私がアルセナを愛している?
私はただ……いや待て。
無責任にも私へ赤子を押し付けてきた女の赤子を何故今日まで生かしている?
「……分からない。私はこの赤子を、アルセナを愛している? 何故?」
「それは……いいえ、これはアタシが言うべき事じゃ無いわね。でも、きっと話あるはずよ」
いつの間にか起きたアルセナがジッと私の顔を見ている。
思わずこの子に手を伸ばすと、小さな手がギュッと人差し指を掴んだ。
キャッキャッと何か面白かったのかアルセナははしゃぐ。
「……その子が大事なら今夜のうちにこの村から離れな」
「……マダム?」
「聖職者は苦手なんでしょう?」
自分にアルセナを預けるなと言っておいて……。
しかし、すでに私にはアルセナを村に残すと言う考えは残っていなかった。
「しかし……私は貴女に何も返せていない」
「ハッハッハッ! ただのお節介に礼なんて要らないよ!」
明るく女は笑う。
おそらく彼女とはもう、2度と会うことはないだろう。
今までなら、たかが人間との別れには何も感じていなかった。
だが今はどうだ?
空洞のはずの胸には奇妙な空気が溜まっている気がする。
「……」
「さっさと支度を始めちまいなさいな。その間はアルセナくんの面倒を見てあげるから!」
あの村から離れて数年。
アルセナは1人で動き回ることが出来るようになった。
また、自分の意思を言葉で表現も出来るようになった。
「ティアー、人形の身体! できた!」
「おや、随分と上手くなったじゃないか? アルセナ」
現在私はは少し栄えた町で人形屋を営んでいる。
これも人間由来の素材で作った人形のおかげで、すんなりと正面から町へ侵入できた。
まぁ球体関節の箇所はどうにもならないのだが。
普段は町の子らとアルセナは遊んでいるのだが、今日は一年前に急に店の手伝いをしたいと言い出したアルセナの訓練の日だ。
まだ細かな荒さが目立つが様になっている。
報酬として頭を撫でてやれば満足したのか、再びやる気に満ちるのは扱い易い。
「さて、作業で汚れただろう? 湯浴みにしようか」
「っ! ひ、1人でもうできるよ!! 母さん!!」
「おい待て私を母と呼ぶな」
そういえば半月前からアルセナは私と共に湯浴みをするのを拒むようになった。
それに私が彼の前で装いを変える時も、四肢のパーツの手入れで外している時も逃げるようになっている。
ただの人形の身体だと言うのにどうしてそこまで避けようとするのか分からない。
もしや赤子の頃の記憶が僅かにあるのだろうか?
しかし、それならば人形の身体を作りたいなどと言い出してきていないはずである。
故に……。
「何故避けようとするのか見当がつかん」
それに、彼は普段は私が母と呼ぶなと言い聞かせてその通りにしてくれていると言うのに、ああ言った場面では距離を取る為の様に呼ぶのだ。
やはりアルセナには何か不快な思いをさせてしまったか?
怒ったように顔を赤くする故に。
ふと、窓の外から視線を感じた。
そこに目をやると1羽の鴉が留まって居た。
ソイツは私の視線に気がつくとすぐに羽ばたく。
「……」
覚えのある感覚に私はアルセナにすぐに戻ると伝えて家を出た。
そして町の外の森のやや奥へと鴉を追った。
「さて、覗き見とは相も変わらず趣味が悪いな?
「そう言うお前は人間と家族ごっことは……牙でも抜け落ちたのか?
1羽の鴉が正体を現す。
黒い翼の悪魔は嫌な笑みを浮かべながら私を一瞥した。
「それにしても女の姿になっているとは思わなかったぜ……」
「この方が人間の中に溶け込むのに都合が良いからな」
「そのおかげで俺様がお前を探すに手間取ったけどな」
その為に人間を素材に身体を作ったからな。
我々悪魔と人間には肉体面以外に明確な違いがある。
それは身体から出入りしているエネルギーの量だ。
我々悪魔は自然に近い故にその効率は人間を1とするなら20倍以上。
たとえ人間の中でも飛び抜けてエネルギー効率の良い個体である賢者やら魔導師やらと呼称される者たちでもそこまではいかない。
……まぁ例外はあるのだが。
故に彼らは自分達人間とそれ以外を判別する為の装置を開発した。
その装置は人間を基準としたエネルギーの出入りの効率が良過ぎる者を見つけると、道具の使用者に光で伝える。
そして反応のあった者を道具の使用者が、つまり関所の兵士が直接その人物を調べるのだ。
友好種族であるならそのまま通過できるが、悪魔は残念ながら敵対種族とされている。
まぁ私もあの女にアルセナを押し付けられていなかったのなら、率先して襲うことは無いが普通に敵対はしていた。
「それで、私に何用だ?」
「おいおい、少しは再開を喜び合わねぇか? ま、いっか。
単刀直入に言えばあの人間の【英雄】の血族が近いうちに見つかる」
「……それは真か?」
人間の【英雄】と言うならアレを斃した存在しか思い当たらない。
悪魔の中でも最も人間……と言うよりも悪魔以外の人の形をした生命に対して激しく嫌悪し、滅ぼそうとした悪魔。
それを斃した人間の【英雄】の血族が見つかると言うのだ。
「百発百中の【占い師】様の御言葉だぜ?」
「……本当にお前からの知らせは凶報ばかりだな」
「俺様だぜ? 伊達に人間の間で不吉の象徴をやってねぇよ」
【英雄】の血族が見つかるという事はつまりアレも復活する。
アレは【英雄】にそう言う呪いを仕組んだ。
全く面倒臭い事をしてくれたよ。
まぁ血族の話は聞いたところ直系はほとんどが呪いが目覚める前に始末されている故に、見つかるのは血が薄まった血族なのだろう。
あれから1000年もの時が流れているのだからな。
あとは794年目辺りの血族には女癖の悪い輩も居た。
それに【占い師】の御言葉とやらは観測してからそれが確定するまでの誤差が多い。
「とりあえずアルセナ……あの人間の子供が死ぬまでに見つかっても私は加勢せんからな」
「へいへい。ま、どうせ今回もアレの敗北だろ」
「だろうな。アレは誕生してから何も変わらんかった故、復活したとて何も学んではいないだろう」
「俺様だって失敗から学んでいるのにな! ギャハハハハッ!」
さらに4年。
アルセナの背丈は急に伸び始めて今や私の背丈を超えてしまった。
それに、時間を作っては身体を鍛え始めたのか筋肉も付きはじめている。
もうそろそろ母親の役は終いだろう。
だから今日は元の姿……まぁこれも人形なのだが見せるとしよう。
アルセナには私の本来の姿を見せておかねばならないからな。
「という訳でアルセナ、今日はお前に大事な話がある」
「大事な話? わかったよ、ティアー」
私は彼の向かいの席に座る。
そして元々使っていた身体を呼び出した。
「っ!?」
急に私の元々使っていた方の身体にアルセナが殴りかかる。
「待て待て待て待て!! それは私の身体だぞ!?」
「ティアーの……身体?」
彼の拳が寸前で止まる。
以前から鍛えているのは知っていたがこれほどまでとは思わなかった。
「そうだ。厳密に言えばこの身体になる前につかていた身体だ」
「……良かったぁ〜。てっきり結婚相手かと思ったよ」
何故そうなる。
それにお前は私が人間では無いということぐらい知っていたはずだろう。
だがまあ、落ち着いてくれたのなら良い。
「コイツを見せたのはもうじきこの身体は使わなくなるからだ。
お前も随分大きくなった事だろうし、よくてあと数年で子は育ての親から巣立たなければならない。
特に私とお前には血のつながり以前に種族の違いがある。
故にお前はわたしから巣立たなければないのだ」
「……」
急にアルセナが黙り込む。
だが当然の事なのだろう。
あと数年で私から巣立たなければならないのだから。
「……ティアーの考えは分かった。でも、まだ整理がつかないや」
「大丈夫だアルセナ。まだ私がいるからな、存分に悩むと良い」
すると急に店の表の扉が叩かれた。
今日は休みにしていたはずなんだが……。
「……来客か? すまない、少し席を外すぞ」
店の扉を開けると1人の聖職者の女がいた。
見たところアルセナに歳が近いが……見覚えの無い顔だ。
「突然の訪問失礼します。本日はって貴女は……っ!? 何故悪魔が此処に!?」
「急にどうした」
いきなり放たれた浄化の力の塊。
本体なら有効だが私の身体は人形故に簡単に弾ける。
それよりも何故この女は私が悪魔だと分かったんだ?
もしや血族か?
「弾かれた!?」
「ティアー!? 大丈夫!?」
女の声で店の奥からアルセナが飛び出してきた。
彼は心配そうに私を背後から抱き着いて腰に腕を回す。
そして先ほど浄化の力の塊を弾いた手の、その甲をさすりながら……待てコイツは何をしている?
「……アルセナ? 何をしている?」
「ティアーの身体に傷ができていないかの確認だよ」
「そこの方! その悪魔から離れて下さい! 危険です!!」
次の攻撃の準備が整ったのか先程よりも大きい塊だ。
流石にその大きさでは人形の身体にも多少傷ができてしまいそうだ。
「俺とティアーの時間を邪魔しないでくれるかなぁ……」
「な、何を言って……っ!? ま、まさかせ、洗脳まで……!!」
「おいアルセナ落ち着け。どさくさに私を脱がそうとするな」
そのように育てた覚えはないぞ私は。
それと洗脳はしていないしこのアルセナの奇行は初めてで私も知らんぞ。
「……この身体ではまともに戦えんな」
意識を以前使っていた人形に移す。
そして聖職者の女が放った攻撃を障壁を張って相殺する。
「やはりこの身体がよく馴染――」
ぐしゃりと音が響く。
同時に私の意識はアルセナが抱きついている人形に戻っていた。
そしてアルセナは、私の戦闘用の身体のあった方向に腕を向けていた。
「――は?」
「――え?」
彼の右手の甲にはアレが人間の【英雄】に刻んだ呪いの紋様。
つまりアルセナは人間の【英雄】の血族という事。
しばらくその場は静寂に包まれていた。
「という事は貴女はただアルセナ様を人間に託されて育ててきただけ……」
「不本意にもあれが契約になってしまったからな」
アルセナの膝の上に座らされながら女の問いに答える。
どうやら女は今代の【聖女】らしい。
「あとそろそろ離してくれないか? アルセナ」
「もう少しティアを愛たい」
……この子はどこかで頭をぶつけたのだろうか?
さりげなく太腿パーツ辺りに伸びた手を軽く叩く。
「それで此処に【聖女】とやらが来たという事はアルセナはそういう事なのだな?」
「……やはり長命種ならばアルセナ様の手の紋様も知っていますね」
「これでもアレとは古くからの付き合いでもあるからな」
名前が長い故に略してアレと呼んでいたが分からないようで女は首を傾げる。
「すまない、『アレ』は略した呼び方だ。まぁ本名を言っても分からないだろうし【魔王】となら伝わるか?」
「は、はい……」
「それなら今後は私もそう呼ぶとしよう。……アルセナ、匂いを嗅いでいるな? 目の前の聖職者は本当ならお前の客人なのだぞ?」
私の身体を好き勝手にしているアルセナを見て【聖女】は頬を赤らめ始めている。
こう言った行動は初めてのようで彼女には刺激が強いようだ。
だが何故人間の伴侶に行うような行動をこの子は私にやっているんだ。
まぁ、私も初めてアルセナから受けているのだが。
「お前さんたちはその【英雄】の血族を見つけてそうするつもりだったんだ?」
「は、はい! ……コホン。アルセナ様には是非教会へ所属していただきたく参りました」
「……行ってどうするの?」
アルセナがやっと真面目に反応する。
私はなんとなくその目的に見当がついているが、アルセナの声色的にはただ面倒だと思っておるから聞いておいているのだろう。
「教会に所属して、来たる【魔王】の復活に備えていただきたいのです」
「ティアが居ないからヤダ」
「……一応言っておくが私は男だからな?
今はお前がいるからこの姿だがお前が巣立てば――ひゃっ!?」
嫌な感触が全身に走る。
それよりも今私らしくない変な声が出たぞ!?
……待て、感触だと?
「あ、成功した」
「あ、アルセナ……?」
太腿のパーツからやや柔らかい何かが這う温もりと感触がする。
指でなぞられる私の首パーツ、下顎、頬。
気の所為か、私の顔が熱く感じる。
「は、破廉恥な……!!」
【聖女】は両手で自身の顔を覆うが、その指の隙間でマジマジと見てきている。
見てないで助けろ小娘!!
「……続きは後にするね、ティア」
「つ、続きはさせんからな……」
「は、母と子の禁断の関係……破廉恥、破廉恥です……!!」
私は育ての親だが母親では無い!
それよりもさっさとアルセナの手を止めさせなければむず痒くて仕方がない……!!
最悪、この女を帰した後にこの子から一度離れるべきか?
だが今の状態だとおそらく付きっきりになるだろう。
ならば……夜か。
それも深夜ならば流石に人間であるアルセナも寝ているはず。
その間に書き置きを残して家を出る。
数日の間は頭を冷やしてもらおう。
「と、とりあえず、だ。私としてはアルセナを教会に行かせることには賛成だ」
「俺はティアと一緒にいたいから嫌だよ?」
「……なんとかコイツを説得する故暫し時間をくれ」
「は、はい! えっと……コホン、まだ【魔王】の復活には猶予がありますので構いませんよ。今回はあくまで勧誘ですので」
「では良い知らせができるように努めさせてもら、こらアルセナ! 今は真面目な話をしているのだから私の太腿を摩るな擽ったい!」
【聖女】が帰ると同時にアルセナの執着が強くなる。
現在は夕餉の準備をしているのだが、背後から抱き着いて離れてくれない。
それに、現在私はアルセナに何かされたようで触覚というものが存在してしまっている。
故に暑苦しい!
「暑苦しいぞ、離れんかアルセナ」
「絶対に離さないからね、ティア」
それにいつのまにか『ティアー』ではなく『ティア』と呼ぶようになっている。
本当にこの子はどうしたんだ。
彼が幼い頃ではこのようなことになるような兆しは無かったはずだ。
彼の指が唇に触れる。
「さっきから料理の邪魔だ。お前が怪我をしたらどうする」
「おっと、ごめん。
……でも俺だってティアには傷ついてほしく無いんだよ」
耳元に生暖かい風が触れて擽ったい。
本当に触覚という感覚器には慣れることが出来ないな。
辛うじて『ゾワゾワ』と形容できるこの気色悪い感覚に晒されていると、今度は生物ならば胸の心ノ臓がある箇所が苦しくなる。
「た、頼むから離れてくれ……」
耳を撫でられて一気に全身に熱が広がる。
本当は押し退けたいのだが、今のアルセナはこの人形の身体で出せる最大の力を平気で耐えてしまうほどだ。
故にらしくも無く乞い願っってしまう。
「……分かった」
見ずとも分かる、笑みを浮かべた声。
彼がどうしてここまでになってしまっているのか理解できず、過去に自身の存在が消滅しかけた時に体験した恐怖の感覚を思い出す。
……とりあえず今は夕餉の完成に集中しよう。
「……今日の事だが本来なら私はお前を叱るべきなのだろう。だが、お前はあの時気が動転しておかしな思考になってしまった。
故に今回のお前が私に行った事は不問とする」
「気なんて動転してない! 俺は本当にティアの事が――」
「アルセナ」
その続きを言わせない様に彼の名を呼ぶ。
その後は何も言わずにただジッと彼を見る。
感情的になっている故に肩で息をするアルセナの顔は未だに幼き頃の彼の面影がある。
やはり彼はまだ気が動転したままなのだ。
落ち着いたのか、アルセナはゆっくりと椅子に座る。
これ以上の会話は不要だろう。
彼が夕餉を食べ終えるのをじっと眺める。
この生活もそろそろ終わると思うと少し感慨深いものがあるな。
きっかけは最悪だったがあの女には私に新たな刺激を教えてくれた事に礼をしたい。
まぁ、二度と他種族の子を育てるなぞやりたいとは思わないのだが。
「……と、もう食べ終えたのか。今日はもう湯浴みに行くが良い。片付けは私だけでも問題ない」
何か考えているのかアルセナは無言で頷くだけで去る。
少しは落ち着いた様で安心した。
だが……やはり今夜からしばらくは彼から離れるべきだろう。
アルセナが自身の寝床で眠った事を確認する。
私は書き置きを彼の部屋の机に置き音を立てぬ様浮遊して玄関へ向かった。
家を出ている間まずは彼に破壊された身体の修復をしなければ。
そう考えながらドアノブに腕を伸ばした。
――ゴトッ、と音を立てて床に落ちる私の右腕。
その次に左腕、右脚、左脚と次々と関節が何かに外される。
驚いた拍子で私の胴体も床に落ちてしまった。
「何処へ行くんだい、母さん?」
「アルセナ……!?」
寝ていたはずのアルセナの声。
身動きが取れない私を彼は背後から抱え上げる。
下腹部から胸部へ這う彼の左手。
顎の下を撫でる彼の右手。
「何処へも行かせないよ母さん」
「私を母と呼ぶな……!」
「そうだよね! 俺もティアって呼びたい!」
そういう意味では言っていない。
だと言うのに彼は嬉々としている。
「だって俺とティアは親子じゃないもんね! ティアはただ俺を育ててただけの他人……。なら恋人の関係になれるよね!」
「それは不可能だ。今ならまだ間に合う、離せアルセナ」
「……抵抗できないのに?」
「ッ!?」
下腹部を撫でられた途端、体験したことの無い感覚が私に襲いかかる。
触れられていないはずの首の裏が擽ったい。
「右手に出てきたコレ、もう大体の使い方を覚えたんだ。褒めてよ」
「……ッ、た、頼むから離してくれ。今夜はもう家から出ぬゆえ」
微弱な刺激が続いて頭がおかしくなりそうだ。
そもそもどうしてこうなった?
私は真面目に契約に従ってアルセナを育てたはずだ。
「ん〜、ヤ〜ダ♡ だってティアが俺をこうさせたんだよ?」
「わ、私が……?」
首筋にあたる箇所にアルセナは顔を埋める。
そしてスーッと深く息を吸った。
「や、やめろ! 匂いを嗅ぐな!」
「……良い匂いだよ、ティア」
どうしたらこうなる。
いくら考えても思い当たる節がない。
「……分からないみたいだし答え合わせ。
俺が初めてティアを1人の女性として意識し始めたのは、ティアが俺の前でパーツの整備をしていた時だよ。その時に元々腕があった場所の袖がだらしなく垂れ下がっている所や、片足を外して座っている時のスーカートが残っている脚の分しか存在しない様に潰れている所とかを見てたらすっごくドキドキしたんだ。
それにティアは元々の性自認が男だし、長生きの所為でわからなかったんだろうけど、今は女性の姿だったんだから一緒に湯浴みをされると異性として意識しない方が無理があるよ。
あ、それを言ったら距離感もだね。だから『母さん』って呼んでなんとか我慢してたのに……」
予想以上の回答とその内容に頭が回らない。
ただ、ここで確実に言えるのは私は間違えを犯したのだということ。
「でもね、ティアが俺が巣立たなければならないって話をしてからずっと、俺の胸の中がぐちゃぐちゃに掻き回されたみたいで苦しくなったんだ。
ティアが俺の近くに……側に居ないって想像した時の苦しみ、分かる?
呼吸はちゃんとしているのに息ができない時みたいなんだよ?
ティアが人間じゃ無くて、それも悪魔で、中身が男でも俺は君が居ないとダメなんだ。
正直に言うと今のティアの見た目だから好きだしそれ以外の姿、特に男の姿だったらここまでにはならなかったと思う。我ながら最低だね。
けれど、今の見た目が好きだから中身の方も愛せるんだ」
そんな澄んだ目で私を見るな。
玄関扉にある小さな窓から月光が差し込んでいる。
その月明かりに照らされた彼の顔はただただ穏やかで、しかし言い知れぬ狂気を感じさせられる。
「だからこれからも一生、一緒に暮らそう、ティア。俺はこれからいろんな姿の君を受け入れられる様に頑張るから……ね?」
その誘いを断る事は、言葉で拒絶するだけなら容易である。
しかし、四肢のパーツを外され、胴体を抱えられ、無理矢理顔を合わせられている私の現状では拒絶すれば何をされるか予想できない。
それに人形の身体には存在しないはずの触覚が今はある。
「……不可能だ」
「大丈夫。今は不可能でも可能にしてみせるさ」
会話にならない。
やはり私は……何処かでこの子の、アルセナの育て方を間違えたのだろう。
「これからが楽しみだね、ティア?」
彼の瞳に映る私の顔は、人形特有の無表情であるはずだと言うのに、月明かりによる陰りで恐怖している様に見えていた。