第一次世界大戦の日本の欧州戦線への参戦に伴い、終結する頃の海軍と陸軍の被害は実史以上の甚大な被害を出していた。
早く言えば、海軍の状況は壊滅的な被害だろう。
この大戦で日本海軍が参戦した艦艇は以下の通り。
巡洋戦艦は金剛、比叡、霧島、榛名
戦艦は扶桑、山城、生駒、薩摩、三笠、朝日、敷島
巡洋艦は日進、青葉、衣笠、古鷹、加古、天龍、龍田
磐梯 富士
駆逐艦(水雷艇)神風型(初代)
沈没艦
戦艦山城、生駒
巡洋戦艦霧島
巡洋艦日進、天龍、龍田
駆逐艦は多数
大破
巡洋戦艦 比叡
戦艦 扶桑 三笠
巡洋艦 磐梯 富士 能代(初代)
中破
巡洋戦艦 金剛 榛名
戦艦 朝日 敷島 薩摩
私が、皇太子妃として日本に押し掛けて嫁入りした頃に旦那様の好意で再編が進む陸軍と海軍の再建が進む中、日本軍による第一次世界大戦の欧州戦線に参戦した際の報告書を読ませて貰った記憶がある。
当時の海軍は戦艦は扶桑型が就航して訓練中。
伊勢型は実史と違い、扶桑型の危険箇所を克服するべく設計の大幅な変更に伴い幅広い船体はそのままに主砲数の減少と装甲の強化を理由に、私の実家のイギリスの新型のクィーンエリザベス級をベースに新設計の主砲である50口径正38糎砲連装四基を搭載し、後の長門型と同じの45口径正41糎砲への主砲の換装を含め無ければ、伊勢と日向は艤装工事が八割まで完成していた。
伊勢型の建造に伴い他国の主力戦艦の主砲が45口径35.6糎から45口径38.1の搭載を見込み、45口径正41糎砲を搭載した新造戦艦の長門型の建造までは行けなかったが横須賀と呉の海軍工廠で建造が間近だった。
無論、主力巡洋艦や駆逐艦等も建造計画の前倒しが殺到しが起きたが、新しい海軍工廠である大連海軍工廠と大湊海軍工廠の建設により建造計画に遅れが生じて参戦には間に合って無かった。
そんな大規模な海軍の計画は、私の国の諜報機関のMI6でも嫁入りまで掴め無かったが、嬉しい誤算としては同盟国として第一次世界大戦への欧州戦線へ参戦が決まった際に英雄である東郷平八郎元帥が陛下の勅命により再び欧州方面の総司令並びに連合艦隊総司令に再就任したが、就航し訓練中の扶桑型戦艦の扶桑ではなく理由は定かでは無いが巡洋戦艦の金剛が旗艦となる。
また、私の記憶の実史では前弩級戦艦と数隻の水雷艇が欧州派遣艦隊として派遣され、対潜哨戒任務を地中海にて実施していた。
しかし、この世界では日英同盟に伴い日本海軍は二回に分けた艦隊派遣と陸軍は十個師団の派兵が決定する。
地中海方面への派兵艦隊は旗艦とするは実史通りに前弩級伊吹型巡洋戦艦を一隻だが、違うのは前弩級戦艦の薩摩を加えて新造の天龍型軽巡と神風型駆逐艦(初代)を派遣。
無論、本隊派遣も忘れてない。
北極海海路の海路が開かれる一月半と云う制約から低速な弩級と前弩級は制約に間に合わないと対象外となり高速艦を中心とした編成となり、金剛型巡洋戦艦四隻と半年前に就航したばかりの扶桑型戦艦二隻をこの北極海海路にて派遣。
無論、伊吹と数隻の駆逐艦をギリシャに残して対潜任務を継続させ、ジブラルタル海峡を抜けて艦隊へ合流に天龍型軽巡の天龍と龍田に神風型(初代)の神風、旗風、春風、夏風、白露、夕立、江風の駆逐艦を併せた十隻が合流する。
特に北極海の海路にて機関に無理をさせた扶桑型戦艦をフィンランドのドックにて整備を受けていたのだが、イギリス艦隊の旗艦であるクィーンエリザベスからユトランド沖にてドイツ艦隊との遭遇戦からによるユトランド沖海戦が勃発したと緊急無電が旗艦の金剛の首脳部へと入るのだった。
扶桑型の整備を中断させて無理矢理の出航とフィンランド沖から出遅れる形で出航した日本艦隊は一路ユトランド沖がある北海へと急行する。
それは、運命の神が仕掛けた悪戯かも知れないが、結果的に日本艦隊より先行して出撃したイギリス艦隊の第二艦隊でる巡洋戦艦群をある程度に痛め付けて(結果的にイギリス海軍の巡洋戦艦部隊は殆が壊滅)戦略的に撤退するドイツ艦隊の針路塞ぐ形となるとは元帥の東郷すら予想できなかった。
イギリス艦隊は遭遇したドイツ艦隊との激しい砲撃戦となり、ディアフリンガー級弩級巡洋戦艦であるディアフリンガーとケーニッヒ級弩級級戦艦のケーニッヒから激しい砲撃を浴びせられた弩級巡洋戦艦のインヴィシルは薄い上部装甲から貫通した砲弾が弾薬庫にて爆発し、船体を二つ折りに成りながら爆沈。
イギリスの巡洋戦艦の欠点である装甲の薄さを露呈する結末となる。
イギリス艦隊もディアフリンガー級巡洋戦艦と前弩級戦艦一隻を撃沈する。
後は、実史通りの展開でイギリス艦隊は巡洋戦艦部隊が殆が壊滅する被害だったが、復讐に燃える鈍足な戦艦部隊が追撃をする事態となり、艦隊への身の危険とイギリスとの海軍の戦力的バランスから保身を取るドイツ艦隊首脳部は撤退を開始し戦略的撤退戦を行うドイツ艦隊。
ユトランド沖の黄昏時を全力で駆け抜け、照明灯を海路を照らしていたのは艦隊の先頭を駆け抜けるのは弩級巡洋戦艦ディアフリンガー。
イギリス艦隊の巡洋戦艦の三隻を血祭りにして轟沈にしてハットトリックを決めたが小破状態のディアフリンガーの見張員が照明先に照らされたマストの旗を観て青ざめ、他の見張員もまさかのあり得ないと呟きを聴いた首脳陣の顔が真っ青になりがら叫ぶ。
「旭日旗だと!?」
ディアフリンガーの見張りが叫ぶと同じく船体が金剛からの砲撃と着弾による水柱に船体は囲まれ艦橋の艦長達司令部は日本海軍が居るのだと混乱する。
無論、東郷平八郎元帥は取舵の指示を出してドイツ艦隊の進路塞ぐ形で日本艦隊が展開しTの字戦法を成功する。
主砲数と艦艇数の戦力的不利な日本艦隊は最初から夜戦での決戦と決め、予定通りに夜戦へと突入した旗艦金剛は照明照射によりディアフリンガーを暗闇から照らし出していた。
艦隊は全艦による交互撃ち方による徹底した砲撃と金剛と比叡は敵からの砲撃目標と成る可くドイツ艦隊への照明照射を開始し、最初に照らし出されたのはディアフリンガーだった。
その中、金剛型の全速力で航行する為に艦隊から置いて行かれ気味の扶桑と山城は、ドイツ艦隊の前衛の巡洋戦艦部隊が金剛型巡洋戦艦の砲撃のサンドバッグ状態となり、前衛艦隊から避ける形で艦隊から抜け出してきた弩級戦艦ケーニッヒと超弩級戦艦のバイエルン。
そして、山城を照明灯から照らし出した超弩級戦艦の戦艦バイエルンの二隻との殴り合いとなる。
戦艦部隊は単列で金剛を先頭に比叡、霧島、榛名と速力の差と機関への無理から全速が出せない扶桑、山城は速力の差から離れるが、金剛型四隻は日本海戦の様にTの字戦法が極るが、ドイツ艦隊の後衛に居座りながらもケーニッヒと前衛艦隊から外れるが扶桑型と殴り合いとなるが38.1センチ砲搭載型戦艦の戦艦バイエルンをどう対処するかが問題だった。
何故なら、その凶悪な破壊力のある43口径38.1糎砲砲弾に耐えられるのは、最終艤装中の伊勢型か後に建造される長門型ぐらいだろう。
だが、GF(連合艦隊総司令の略)の東郷平八郎元帥のドイツ艦隊の前衛艦隊の巡洋戦艦群の殲滅を指示し決断する。
周りの参謀達はバイエルンの放置は危険で無謀だと反対するのだが、現在は扶桑型と殴り合いの最中であり距離的にはイギリスのクィーンエリザベス級を主力とする戦艦部隊が追撃を開始しており、日本艦隊から近い事を無電室の兵士が無電傍受により把握していた。
それでも、ドイツ艦隊の後衛にいる戦艦バイエルンの主砲有効範囲に入ればどうなるかなど分かりきっていた。
そして、先に被害を出したのは日本艦隊少し進路から外れドイツ艦隊の進路から外れたケーニッヒと超弩級戦艦バイエルンと殴り合いとなった扶桑型の戦艦山城だった。
「何事だ!」
「や、山城が第三砲塔の天板に超弩級戦艦の砲撃らしき砲弾が貫通!爆沈した模様!」
そう、ドイツ艦隊からの隊列から抜け出しケーニッヒとバイエルンと殴り合いとなった扶桑と山城はケーニッヒを多数の命中弾で沈黙させたが撃沈には至らず。
ケーニッヒの主砲塔や艦橋を含む上部構造物は破壊尽くされ沈黙し漂流。
そして、ケーニッヒを沈黙させた扶桑と山城がバイエルンへ再照準をしている最中にバイエルンからの砲撃が山城の艦橋裏の第三砲塔の天板を貫通したのだ。
就航当時から指摘されていた扶桑型の危険箇所とされていた場所への砲弾の貫通弾だった。
被弾した山城の運命は、既に決まっていた。
被弾した山城に命中した砲弾は第三砲塔の天板を貫通して船底付近の弾薬庫内にて砲弾が爆発する。
その破壊力は船体を山鳴り型に裂けながら二つ折りになり、侵入した海水は機関へと入り水蒸気爆発と弾薬庫がその爆発により連鎖的に爆発を起こし、山城の大爆発共に第三砲塔が水柱の最頂部まで吹き飛びながら巨大な火柱と水柱共に爆沈する。
爆沈した山城の乗組員の生存者は居なかった。
そんな、戦艦山城は就航して半年も経たないで生涯終えたのだ。
そして、山城を撃沈したバイエルンは扶桑へと照準を合わせようとした瞬間、三本の水柱により機関の停止と自艦への電力が急停止する。
魚雷を放ったのは、神風と旗風に白露だった。
そして、53.3糎連装魚雷発射管に換装させていた神風型水雷艇と天龍と龍田が山城の爆沈に対してバイエルンへと肉薄攻撃を敢行する。魚雷発射管全十二門による全門一斉による統制雷撃を行い三発がバイエルンへと直撃したのだ。
バイエルンは、魚雷の被雷による被害で浸水により機関への浸水により機関室が水没により発電用タービンが回せなくなり電力の停止により砲撃不能と機関停止が要因となる推進器の停止が重なり漂流する。
無論、被害は山城だけでは無かった。
後の日本海軍の戦艦設計の変換期とも云える被害が起きる。
ドイツの巡洋戦艦部隊と殴り合いの最中、単なる被害が爆沈に繋がりるとは誰も普通なら思わない。
その被害艦は巡洋戦艦の霧島だった。
単装砲塔がずらりと並ぶケースメイト方式による単装砲。その単装砲が爆沈の原因になったのは、単なる単装砲塔への被弾だった。
単装砲塔内部では、日本人の体格に合わない15糎単装砲。そして、ケースメイト内部では隔壁となる壁も無くずらりと並ぶ副砲群。
砲塔の側にと射撃用の砲薬包が乱雑に置かれ、壁際には砲弾すら立て掛けられていた。無論、砲弾や砲薬包を上げる昇降機の扉は開けられたままだった。
そんな可燃物が大量にあるのだから当然と言えば当然の結果だろう。
そんな状態で、敵の砲弾が来たらどうなるかなど分かりきっていた。
右舷副砲第二。
敵の砲弾が貫通した箇所だった。
そして、貫通した砲弾は右舷第二副砲内部にて爆発し、装填の為に留め置かれた砲弾や砲薬包を巻き込み大爆発する。第二副砲の上部は艦橋や最も防御が硬い艦橋内の指揮塔内部があり、爆発の爆炎が到達して霧島の艦長以下首脳部が指揮塔内部に居たために爆炎の炎で焼かれて壊滅する被害となる。
指揮系統が壊滅した霧島は、面舵の最中だった為に舵を戻せないままドイツ艦隊へ単身突入する形となり、集中打撃を受けてドイツ艦隊の巡洋戦艦群の48口径30糎砲弾を40発以上を浴びた後にゆっくりと横転して船底を晒しながら大爆発して沈没したのだった。
ユトランド沖海戦の夜戦以外でも被害があり、兵員輸送の為にオーストラリアへと向かった敷島型戦艦と新型の重巡洋艦青葉率いる護衛艦隊もだった。
クライムヘイトと呼ばれる人種差別が要因で白人至上主義者の指揮官が率いるオーストラリアの要塞からの砲撃により、兵員輸送の為に徴用した三井商船の三河丸が砲撃の直撃により大破。青葉に同乗していたイギリスの外務高官の交渉により指揮官は更迭する事で砲撃が止むが被害は三河丸のみだった。
兵員を乗せた護衛艦隊はインド洋へと向かう途中のソロモン海の海域にはドイツの植民地のトラック諸島から進出したドイツのUボートが出没しており、商船に被害出ていた。
日本海軍首脳部とイギリス極東艦隊首脳部は青葉型重巡洋艦は兵員輸送の任務を継続させたままインドへ向かわせ、敷島型戦艦率いる旧式艦隊はトラック諸島への進軍する為の護衛艦隊へと決まるが、対潜装備が不十分な進軍だった為に地中海では生駒が大破し、トラックへの進軍では日進が魚雷の被雷で沈没してドイツ軍が降伏するまでトラックの後の父島へと艦砲射撃を行う最中に二隻も被雷しと敷島と朝日が大破する被害だった。
そして、結果的に第一次世界大戦後の日本海軍は実史以上に艦艇が乏しい状況となり、海軍の休日と呼ばれた海軍軍縮会議ではアメリカから酷い割合を提示されるのは先の話となる。