【完結】吉良吉影は静かに暮らせない 作:ようぐそうとほうとふ
「断るぅ?!」
マヒルは愕然とした顔でバットを差し出す手を引っ込めた。
「そんなの無理に決まってるでしょ。ボーイミーツガールだよ、吉良吉影くん。ボクみたいないけてる女子が突然現れたんだよ。はじまるでしょ」
「なにが」
「青春が」
吉影は呆れた。あの手紙は自分を挑発するためのわざとらしい演出だと思っていたが、本気で喜ぶと思っていたようだ。
「始まらないし、好みじゃない」
マヒルは不満そうな顔をしてバットをぶん回した。殴られるかと思って少しひやっとした。
「なんで?あの溝呂木みぞれちゃんみたいなのが好みなのか?」
「そういう問題じゃない。ぼくの人生にそういうのは必要ないというだけだ」
「はあ…なるほど。噂通りのつまらないやつというわけだね」
マヒルはニヒルに笑うと、バットを肩に担いだ。
「まあいいや。君がどう思ってても。いずれにせよヤツは君を狙うだろうから、ボクは君をエサにしてかかるのを待てばいいだけだ」
マヒルはそう言うと、背中を向けて歩き去った。老人と吉影を残して。
あたりは静まり返っている。たった今までの出来事が嘘みたいだ。いや、もしかしたら本当に幻か何かだったのかもしれない。老人は地面に座って動かなかった。吉影が立ち上がって前を通っても反応はない。まるで魂が抜けたかのように座り尽くしている。
吉影に老人を助けてやる道理はなかった。
不幸中の幸いか、バス停で降りるよりも家の近所まで来れてしまった。吉影はそのまま家に帰った。そして風呂に入り、やっぱり先ほどの出来事は夢ではないと思ったが、だからこれと言ってできることもなく、いつも通りの時間に床についた。
寝つきは悪かった。
変なバスに乗ってしまったことよりも間淵マヒルに目をつけられたことが吉影の安眠を妨げた。まるで背中にできたしこりのようだ。
これまでの人生、目立つやつの目をつけられてちゃちないじめを仕掛けられたり、無差別な子供っぽい暴力の標的にされたことは何度かあった。しかしそのどれもが影でこっそりそいつの脇腹をつねりあげたり、大人にさりげなくその場面を見せることで解決してきた。
しかし間淵マヒルは違う。吉影を異常だと判断してその上で踏み込んできたのだ。
吉影が自分の平穏を乱す者をきちんと意識したのはこの時が初めてだった。
「あの…大丈夫?」
と、朝礼後の慌ただしく騒がしい時間に隣の席の溝呂木みぞれがこっそり話しかけてきた。
「眉間のしわ、すごいよ」
「ああ…」
吉影は慌てて眉間を揉みほぐす。こんな顰めっ面をしているのは自分でもらしくないと思う。みぞれという模範的小市民はこういう“らしくなさ”には敏感だった。
吉影にとってみぞれはチューナーだった。自分の中での「平穏」や「日常」が揺らいだ時、みぞれと話していると落ち着いた。
彼女は地味で、国語だけ少しできるくらいで成績は並み。これと言って特技もなかった。しかし隣人に優しく、誰しもに平等だった。平凡を絵に描いたような少女。それは人間としての面白みには欠けていたが、平穏な人生を送るには欠かせない素質である。
「昨日は大丈夫だった…?」
手紙を仲介したことに何か負い目を感じたのか、少し申し訳なさそうな顔をしている。大丈夫だったとは言えないが、ありのままに伝えても混乱させるだけだし、誤魔化すにしたって“あの”間淵マヒルに目をつけられたと知られては余計な関心を引くかもしれない。
「ああ、大丈夫。溝呂木さんは何も心配しなくていい」
吉影がそう言うとみぞれはホッとしたような顔をした。
「何か困ったことがあったら言ってね。まあ、私にできることなんてあんまりないけど」
「とんでもない。前貸してくれた小説、面白かったし」
「あはは。じゃあまたおすすめがあったら貸すよ。何かリクエストあるかな」
「じゃあこれまで読んだことないようなものがあったら頼むよ」
「いいよ。考えておくねっ」
程よい距離感。クラスで友人を作るならこれくらいの距離がいい。間違っても、間淵マヒルのような目立つやつと話してはいけない。
「え?吉良吉影?」
不意に自分の名前が呼ばれ、吉影は声の方向を見た。
そこには間淵マヒルが立っていた。
「そうそう。吉良吉影くん。吉良吉影くんにちょっと用事があるんだ。いるかな?吉良吉影くん」
あろうことか、1時間目前の一番騒がしい時間。馬鹿どもが一番力を持て余してる時にあの女は教室に突撃してきたのだ。その上自分の名前を連呼している。
あり得ない。なんなんだ?この女は。疫病神か?
そんな吉影のことを見つけたのか、マヒルはバットを持った手を上げて笑顔で呼びかけてきた。
「あ、おーい吉良吉影くん。吉良吉影くんじゃあないか奇遇だな」
奇遇も何も自分が訪ねてきたんだろうが。そう突っ込みたくなるのを抑えて吉影は教室の後ろのドアから出て廊下側からマヒルに近づいた。すこしでもクラスメイトの目線を切りたかったのだ。
「何か用事でも?」
とぶっきらぼうに言うと、マヒルは自分にハンカチを手渡した。
「これ落とし物。名前書いてあってえらいね」
「………親切にどうも」
かなりムカついている吉影にハンカチを手渡す瞬間、マヒルは囁いた。
「昼休みに屋上に来てくれない?」
「…」
「来ないならまたやるから」
マヒルはそう言ってあっさりと去って行った。落とし物を届けただけとわかるとクラスメイトはさっさと解散し、一限の授業の支度に戻っていた。もう吉影に関心を払うものはいなかった。
そして、昼休み。吉影は再び無視するという選択肢を取ることもできた。しかし昨日も無視した結果バス停で待ち伏せされていたわけだし、今回無視したら朝と同じようなことをすると宣言までされている。
間淵マヒルは吉影の一番嫌がることを心得ている。
学外で待ち伏せされるのはまだいい。だが学校で悪目立ちするのはなんとしても避けたかった。あの世行きのバスとやらに乗るほうがマシだ。
屋上は普段施錠されているため屋上階段も人気がなかった。扉の前まで行くと鎖は巻かれているが、錠は外されていた。マヒルが鍵だけ開けておいたのだろうか。
鎖を外して屋上に出ると、すでにマヒルは柵のそばで弁当を食べていた。
誰かが鎖を巻いたのだろう。迂闊なやつだ。こいつは自分が来なかった場合、どうやって鎖を外して屋上から出ていくつもりだったんだ。
「やあ吉良吉影くん。君は本当に恥ずかしがり屋さんだね」
「次あんなことをしたら、許さないからな」
「許さないって何?君の心の中で許されないだけなら、ボクには脅しにならないな。それとも『行動』にでるのかな?」
マヒルはわかったようににまりと笑う。普通だったら可愛いと評されるであろうその笑みも今の吉影にとっては邪悪そのものに見えた。
「とっとと用件を話してくれないか? 無駄話に付き合うつもりはないのでね」
「本当につまらない男だね。吉良吉影くん…」
春の日差しと暖かい風が屋上を撫でる。本当にいい陽気だった。この女さえいなければ心地よさを満喫できたのに。
「昨日言ったでしょう。君を脅威から守るって」
「断ったはずだ。それになんなんだ…脅威って」
「それを説明したくてね」
マヒルは弁当を完食したらしい。女子にしては大きすぎる弁当箱をさっと片付けると立ち上がり、立てかけてあるバットを拾った。どうしていつもバットを持ってるのか、ほんと少し気になったが聞いたらまた面倒なやり取りが発生しそうだった。
「この学校の定期テストで、君は万年3位だ。ほんとにキモイくらい3位を獲り続けるよね。しかし、上位者に限って言えばずっと同じ順位を取り続けるのはそこまで難しくない。この学年で一位のやつも高一からずっと一位だし」
「…だから?」
「吉良吉影くん。他人に関心がなさすぎるんじゃあないか?定期テストの順位張り出し、毎回見てるだろう?」
「だから、結論から話してくれよ。頼むから」
マヒルはやれやれと言う顔をする。吉影は当然ムカつくが、もう早く話を終わらせて欲しかったので黙る。
「学年二位は、定期テストごとに変わってるんだよ」
「…だから?」
「だから、おかしいと思わないの?」
「確かにおかしいな。だから?それ、ぼくに関係のあることなのか?」
他人事と吐き捨てる吉影をみて、マヒルは呆れ顔だ。こいつに常識人されるとかなり頭にくる。
「ああ。大いに関係あるよ。いい?ボクはこの奇妙な現象の原因を探るべく、これまで2位をとった人たちのことをよーく調べた。するとこんなことがわかった。2位になる前はみんな10位以内の成績上位者。普通に頑張って一位を目指す真面目な子達だ。意図的に3位を狙う君と違ってね。そして彼らみんな、2位をとった以後のテストは…ほとんど真ん中かそれより下に転落しているんだよ」
「2位をとってやる気がなくなったんじゃないか?」
「それにしたってみんなってことあるか?年に5回の定期テストに加えて学年度試験、計12回やって全員が全員そうなんだ。そんな偶然、あり得ると思う?」
「つまり2位のやつに何かが起きたと?」
「そう!その通り」
「じゃあ尚更意味がわからない。どうして万年3位のぼくを『守る』んだよ。前回2位のやつを守るべきじゃあないのか」
「それがその子、怪我かなんかでしばらく休学するんだよ。ボクは繰り上がりで君が狙われると踏んでいる」
「そんな不確かな根拠でぼくに付きまとうつもりなのか…」
「あのさ。言っとくけど君がおかしいんだよ。あんな奇妙な目にあって、この町で何かが起きてることを知ってるのになんでそんなに平然としてるの?1%でも狙われてる危険があるなら、もっとビビって然るべきじゃあないの?」
マヒルのいうことももっともだった。しかし吉影も平然を装っているだけで内心全く穏やかではなかった。ただし原因はこの間淵マヒルという乱入者だが。
「昨日のことは現実味がなさすぎてね。今思ってるのは頭のおかしい女子に絡まれて厄介だな、という程度だ」
「ははあ…狐に化かされたとか思ってるんだ?わかったよ。じゃあ今日の放課後、杜王町立図書館に集合してくれ」
「は?」
「君を襲ったものと狙っているものがなんなのかその目にはっきり見せてあげるから」
断りたかった。だが断ればまた大衆の前で悪目立ちさせられる。
しかしだからと言ってこのままこの女に従うのは許せない。もういっそのことこいつをこの世から消し去ってしまいたい。
ひゅん
と風を切る音がして、気づけばバットの先端が吉影の目の前にあった。
「吉良吉影くん。君はさあ、
そのマヒルの影は昼間の太陽に照らされてるにも関わらず、不気味に長くのびていた。
「えへへ。なんてね。とにかく、ボクはこの町にいる得体の知れないものを綺麗さっぱり消し去りたいだけなんだ。君を狙うやつをやっつけたら満足だから。そしたら君もつまんない男に戻れるよ」
マヒルはバットを引っ込めて屋上から去っていった。吉影は苛立ちを鎮めるためにそのまま屋上に残る。屋上からは町が見渡せた。駅に向かうにつれて人が密集し、離れるほどに疎らになっていく。未開発の場所と密集地混在した、いかにも郊外といった町。
マヒルはこの町に危険が潜んでいるとか言ってたが、そんなのどの町にも言えることだ。例えばたった1人でも殺人鬼がいればその町は完全にパニックに陥る。平穏というのは常に薄氷の上に成り立っているのだ。
吉影は自分の平穏さえ守れればそれでよかった。なぜ町のために自分がトラブルに巻き込まれなければいけないのだ。
自分の平穏をぶち壊したのはこの町の危機なんかではない。あの女だ。
マヒルをどうにかしなければ。
吉影の中にマヒルの手が過ぎる。手のひらにある大きな傷。あれはよくない。もう片方はどうだったか。そっちに傷がないといいのだが。
なぜこんな時に自分は手のことを考えるのか。苛立ち、相手を排除したいと思っている瞬間に自分が唯一まともに愛情を感じることのできるモノについて考えてしまうのか。点と点が繋がるのはもう少し後のことだ。
放課後、吉影は図書館前でみぞれに借りた本を読んでいた。ざっくりとした時間指定だからか、マヒルはなかなか来なかった。
もう帰ろうかと本を閉じた矢先にマヒルは現れた。いつも通りバットを持って。
「じゃあ行こうか」
そう言ってマヒルは郊外へ向かっていった。吉影は渋々、ついていく。向かう方面は農家が多く、学生は滅多に通らない地域なのが救いだった。マヒルは唐突に話し始める。
「吉良吉影くん。まずはボクがこの脅威に対抗できることを証明しようと思う」
「はあ…」
「言っとくけどね、これは特別な能力なんだからね」
「ぼくは霊能力とかそう言ったものは信じていないんでね…」
「霊能力っていうよりかはサイキックパワーって感じなんだけど」
「…ああ本当に、なんでこんなやつに付き合っているんだ。本当に、眩暈がしてくるほど馬鹿馬鹿しくなってきた。このぼくが、オカルトバット女の演説を聞くために放課後を無駄にするなんてな」
うんざりした吉影に、マヒルは振り向きバットを後ろに隠しながらポーズを決めた。
「吉良吉影くん。ボクは確かにちょっと電波だけど、成績優秀、スポーツ万能の美少女でもあるんだぜ⭐︎」
あざとい笑顔付きのその顔は、たしかにテレビに出てそうな具合だった。しかし吉影にとって顔面の出来は社会的ステータス同様、ある程度の水準を超えてればそれでよい。むしろ頭抜けているものは全て等しく価値を持たない。
「ぼくにとっては最悪だ」
「なんで?」
「そんなんじゃ静かに暮らせないだろう」
「へえ?それが君の夢?だから本気出さずに大人しく生きてるんだ」
「ああ。だからお前のような奴はそばにいるだけで迷惑なんだ」
「辛辣だね。でもさ、静かに暮らすには静かな町が必要だろう?吉良吉影くん」
カン、と音を立ててバットが粗い舗装の道を叩いた。つられて立ち止まる。
そして同時に、なんだか体が急に重たくなった気がした。
まだ夕暮れ時のはずなのにあたりが急に暗くなった。これは気のせいではない。
「ぽ」
と、突然背後から生ぬるい吐息を伴う『声』がした。振り返ろうとしたその時
「うふ」
マヒルが、笑った。
バットが突き立てられた地面はいつのまにか朱色に染まっていた。
吉影は思わずマヒルを見た。彼女は振り向き、吉影の方へバットを掲げた。まるでホームラン宣言のようだったが、その矛先は吉影の背後だ。吉影が振り向くと、朱く染まった道の先、おおよそ10メートル向こうに大きな人影が立っていた。
「ぽ」
また、声がした。
そして体が一瞬揺れ、1メートルほど巨大な人影に向かって近づいた。いや、道が縮んで
「バカな…」
「これが、この町に差し迫る脅威だよ」
マヒルはそう言った。
「ぽ」
また1メートル、人影に引き寄せられる。体にかかる重さがさらに増す。あり得ないことが起きてる。不気味で奇妙な感覚がぞわぞわと背筋を駆け抜ける。
「ぽ」
また、動く。相手との距離はおよそ7メートル。朱色の道がどんどん濃い色に変わっていく。そして巨大な人影が明らかに人間とかけ離れた長い手足をした
恐怖という感情を思い出した。
まだ暗闇が何かもわからないほど幼い時に味わう原始的な感覚。それがいきなりほじくり返されたかのように足がすくむ。
ビビっている?この吉良吉影が…。
「吉良吉影!」
マヒルは吉影の異変を察知しこちらに近づこうとする。
しかしまたも耳元で声が。
「ぽ」
あと6メートル。
また重くなる。そして一段と恐怖を感じる。体が動かなくなる…。
これは対象に恐怖しているというより、恐怖そのものが体を支配しているようだ。
体の重みと恐怖のせいで
マヒルもその体の重さを感じたのか、バットを杖代わりにするように地面に突き立てた。しかしそれでも吉影を助けようとしてか、こちらへ一歩踏み出した。
「間淵マヒル、来るな。こいつ、近づけば近づくほど…
「な…」
「ぽ」
また1メートル、体がいよいよ重くなり、吉影は膝をついた。
このままではまずい。
「なるほどね。あれに近づけば近づくほどやばいのか」
マヒルは呟くとニヤ、と笑った。
そして、クラウチングスタートのようなポーズをとった。
「まさか…」
「ぽ」
その声がスタートの合図だった。
間淵マヒルは県大会トップの脚力で吉良吉影めがけて強く踏み出し、そしてその勢いで蹲った吉影めがけて、
「がっ…!」
胸部に衝撃が走った。その力はいくら運動部全てのエースを張ってるとはいえ、女子にしては強すぎた。吉影の身体は浮いて、そのまま横の畑へ吹っ飛ばされた。
「げほっ…」
頭の中に強い怒りと憎悪が沸き立った。土だらけになった顔を上げると、自分がさっきまで囚われていた強い恐怖心と重さが一切感じられなかった。
そうか、先ほど朱く染まっていた道。あそこから外れたから金縛りが解けたのだ。
そして自分を吹き飛ばした間淵マヒルは巨大な影の前で膝をついていた。距離はおよそ2メートル。
「間抜けなのか、間淵マヒル。まだ動けるうちに自分がその道から外れればよかったじゃあないか…!」
マヒルはバットを地面に立てて、それを支えになんとか潰れずにいるような状態だった。このままではあの巨大な人影に触れてしまう。
吉影は人影を見た。それは真っ白で、手足が異常に長かった。顔には真っ暗な穴が三つ。三歳児の描いた絵のように並んでいる。そしてその背後には真っ赤な服を着た男が立っていた。
その男は異形が見えていないかのようにまっすぐマヒルを見て、手を伸ばしている。身体が硬直しているのか、立ち姿は不自然だ。
なんなんだ?これは…。
「これでいいのさ。なんでボクが日頃バットを持ち歩いてるかって話だよ」
マヒルは吉影の心を読んだかのように呟く。するとずい、とマヒルが不自然に動き、異形へ引き寄せられた。
「近付いてぶん殴るため、だ」
マヒルのバットが、その1メートルと少しの金属の塊が、
ぎゃあ!
と獣じみた悲鳴が上がった。
異形の姿が消える。そしてマヒルは重そうに屈めていた体を伸ばし、今度は100%自分の身体能力に任せて、振りかぶった。
そして膝を打たれてうずくまる赤い服の男の