【完結】吉良吉影は静かに暮らせない   作:ようぐそうとほうとふ

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こんな夜には眠れない

 バットが風を切る音がして、異形はまるで幻だったかのように消えた。そして赤い服の男は地面に仰向けに倒れていた。マヒルはバットを地面に置き、その男のポケットから財布を抜いていた。まるでオヤジ狩りだ。

 

「吉良吉影くん。無事で何より」

「…無事じゃあない。バットでどつかれたから」

「あのままやられたほうがよかった?」

 

 吉影が畑から上がると朱色だった道も元の粗い舗装の道路に戻っていた。赤い服の男は呆然とした顔で空を見ており、頭目掛けてフルスイングされたような怪我はなかった。

 マヒルは財布の中のいくつかのカードを抜いてそれをメモし、元通りに男のポケットにしまった。

 

「さて、わかってくれたかな」

 吉影は胸の痛みを感じながらも、答える。

 

「……脅威とは妖怪や幽霊…ではない。背後に()がいるんだな」

 

 マヒルはぱっと笑顔になって言う。

「そう!さっきのデッカい奴もこのおじさんが操ってたんだ。去年の年末あたりからちらほらとこういうやばい奴が現れ始めた。ボクはそいつらを地道に無力化しているってわけ」

「そのバットで?」

「そう、バットで」

「でも、一度やっつけただけじゃまた人を襲うんじゃないか」

「おや、吉良吉影くん。街の人が心配なの?」

 気に入らない物言いだった。そもそも脅威の背後に人がいるというのももっと早くに言ってほしかった。たしかにバスでの出来事を考えれば自ずと導き出されることかもしれない。だが、言ってくれればもっとこちらにも対策のしようがある。

 少なくとも、バットで殴られずには済んだかもな。と吉影は脳内で吐き捨てる。

 マヒルはどうやら一から十まで説明する手間を省く癖がある。そしておそらく自分の認識は常に正しいという独善的な部分もあるようだった。

「殴っただけで改心するとは思えない。また襲われたら面倒だろう」

 

「ああ。大丈夫。ボクのバットはそいつの欲望を粉々に砕くんだ」

 

「…は?」

 

 マヒルはバットを振ってみせた。顔は薄ら笑いだが、目は真剣だった。

 

「あいつらが人を襲う時に何思ってると思う?盗みたい、犯したい、とにかくぶん殴りたい…とか。まあ何が目的にしろ、やりたいって強い願望があるだろ。ボクはそれを、叩き壊すことができる。そういう力があるんだ」

 

 また意味のわからないことを言っているが、たった今見てしまった一連の出来事のせいで説得力がある。バットで男を殴りつけたのに傷がないのは頭部ではなくその『願望』とやらを叩き壊しているから、ということか。にわかには信じがたい、がマヒルがそんな大ぼらをこく理由も今は見当たらない。

 

「つまり、動機を失くすから再犯しない、と?」

「そういうこと。さすが吉良吉影くん、物分かりがいいね」

 

 マヒルはそう言うと時計を見た。時間は午後5時半。日はもうかなり傾いていた。

「うーん。これから昨日のバス運転手の家へ行くつもりだったんだけど、ちょっと時間を食っちゃったね。吉良吉影くん。時間は大丈夫?」

「…悪いがもう帰らないと」

「へえ。門限とかある感じ?」

「母が心配してるんでね。昨日、帰りがかなり遅くなったから。それにこの泥だらけの服もどうにかしないと」

「親が心配するなら、仕方ないね」

 

 マヒルは思ったよりもあっさりと引いた。

 

「何かあったら、電話して」

 

 マヒルは電話番号の書かれたメモを渡してきた。吉影はそれを受け取る。マヒルはニコッと笑った。

 しかしこの調子ではまた明日も放課後付き合わされそうだった。運動部エースなら部活に出ろよといいたいところだが、余計な雑談をふっかけると藪蛇だと感じた吉影はむっつりと黙り込み、そのままマヒルと図書館前で別れた。

 駅まで戻り、またバスを待つ。

 昨日のことがあるので乗る際は少し警戒してしまった。

 しかし問題なくバスは発車しほとんど終点の最寄の停留所まで吉影を運んで夜に消えた。

 

 

 家に着くころには七時近かった。吉影は玄関には行かず、こっそり庭へ入り、自分の部屋のある方へ向かった。窓から入り、汚れた制服を脱いで予備の方へ着替えた。顔についていた泥も鏡を見てきっちり落とし、再び玄関へ。

 

 玄関の扉を開けるとすぐに台所の方からドタドタという足音が聞こえてきた。

 

 

「まあ!」

 

 

 母親は吉影を見て驚く。放課後勉強をして帰ったら大体この時間なのでそこまで驚くこともないはずなのだが。理由はすぐわかった。

 靴が土で汚れていたのだ。

 うっかりしていた。靴は土の山に突っ込んだかのように汚れているのにズボンは綺麗だ。

「どうしたの?不良に何かをされたのッ?!」

 靴を隠されたとでも思ったのか、母親は少しヒステリックに言う。

「違うよ、母さん。ちょっとグラウンドに入ってしまっただけなんだ」

「もう。また磨かなくっちゃ」

 そう言って母は吉影が脱いだ靴を拾い上げ、靴磨きセットと予備の革靴を出した。明日にでもピカピカに磨いて出すのだろう。靴がちょっと汚れただけでこれなのだ。やはり制服を替えて良かった。

「さ。ご飯できてるわよ。お風呂も沸いているけどどっちにする?」

「…じゃあまず、夕食をいただきます」

 吉影の返事に母はニコッと笑う。どうやら正解だったらしい。

 

 

 食事を終え、風呂に入る。風呂場の鏡で体を見ると、胸の辺りに青あざができていた。間淵マヒルの一撃はしっかり自分に打ち込まれていた。

 骨は折れてはいないようだが、その痛々しい痕はマヒルの横暴を許し、非日常を目撃したことによるスティグマのようでもあり、吉影は苛立つ。

 自分を狙う何者か。そいつを撃退すればもうマヒルも自分に興味をなくすだろう。早くそいつを始末しなければ。熟睡できない夜は嫌いだ。

 

 

 風呂から上がると、母親が食卓に座っていた。灯りは真上の電球だけで、顔は影になってよく見えない。

 父は1週間ほど前に癌治療のために入院した。発覚からは慌ただしく、ようやく落ち着いたばかりだった。しかしやることが落ち着いたからと言って心穏やかになるわけではない。母にとって、今回の父の不在はまるで()()()()の予行演習のように感じるだろう。

 これからとはつまり、父が死んでからのこれからだ。

 自分は両親が歳をとってからの一人っ子だ。

 多分、すぐに1人きりになる。

 

 

「吉影」

 

 

 母がこちらを見もせずに呼びかけた。吉影は母の向かいに座る。テーブルの上には爪切りがポツンと置かれていた。

 

「あなた、もう爪が伸びてるわよ」

 

 母が爪切りを取り、手を差し出した。骨ばったシワシワの醜い手だ。母親に対しての物言いでは決してないが、手に関しては自分に嘘はつけない。

 こんな手の上に自分の手を重ねるのは嫌だ。いつも思う。吐きそうになる。しかし吉影は、躾けられた動物のように母の手の上に自分の手をのせた。

 母は吉影の指を摘み、爪切りを当てる。

 

 

 ぱちん

 

 

 暗くて広いダイニングに爪切りの音が響いた。嫌に大きく聞こえる。ただでさえ家族三人には少し大きい敷地なのに、父がいないとより強調される。

 本当なら家というのは帰って安心するものだ。しかし吉影にとっては荒野のように感じる。ずっとずっと同じ景色、何もない、そら寒い場所。

 

 

 ぱちん

 

 

「どうしてこんなに爪が伸びるのが早いのかしらね」

 指先に痛みが走った。見ると爪の白い部分を超えて指先のかなり深い部分で爪が切られていた。肉のなかの神経に空気が直接触れる嫌な痛み。

「昔からずっとよ」

 

 

 ぱちん

 ぱちん

 

 

 半月状の爪がテーブルの上にポロポロと落ちていく。

 母は無遠慮に、深爪すぎるまで自分の爪を切っていく。

 吉影はそれを止められない。

 

 

 ぱちん

 ぱちん

 ぱちん

 

 

 昔から、ずっと。こうして母親に爪を切られている。

 母は爪が伸びることを汚らわしいと思ってるかのように、容赦無く、芽を摘み取るように切っていく。

 爪が伸びるのは止められない。

 だから吉影には、どうしようもない。

 両手の指が終わるまで、吉影は押し黙った。まるで母に逆らうという選択肢を取り上げられてしまったかのように。

 

 吉影の母は、かなり厳しかった。幼少期から、口答えをしようものならその数十倍の勢いで吉影を詰る。そして時々叩き、幼い吉影の()()を叱咤する。

 

 これでもまだマシになった方だ。吉影が成長するに従って直接的な暴力や罵倒は鳴りを潜めた。今はこうして余計な世話を焼いてきて…過去の()()()を思い出させてくる程度。

 

「はい、これでもう大丈夫」

 

 ああ、指先がじんじんと痛い。

 

「ありがとう。それじゃあ、おやすみ」

 吉影は従順ないい子である証にそう挨拶する。母はそれで満足して吉影を解放する。ようやく1人になれる。

 

 自室に戻り、課題をこなす。

 予習まで余計にしてたらそれなりに遅い時間だった。しかしすぐに寝るような気分でもなかったので、みぞれから借りた本を読んだ。しかしめくったそばから狂人がずっと話しかけてくる上にわけのわからない架空の論文なんかが出てくるもので、通読は困難を極めた。

 みぞれに「これまで読んだことのないようなもの」とリクエストしたのだが、まあ確かにこういうものは読んだことがない。というか本として流通してるのが摩訶不思議な内容だった。

 一応殺人事件についての話のようだが、正直言って登場人物たちの語りは目が滑る。

 吉影は読書を中断してようやく眠る。難解な内容がちょうどいい睡眠導入になった。

 

 そして、ふと目を覚ます。月明かりが差し込むカーテン。時間はちょうど午前2時。丑三つ時だ。

 夜中に目を覚ますなんて吉影には滅多にないことだった。ここ数日起きた出来事で神経が昂っているのだろうか。

 

 

 廊下を歩き、トイレへ。

 自室から戻る時、外では強い風が吹いて庭の木がざわざわと音を立てていた。静かな夜に吹き荒ぶ風は孤独をより際立たせる。

 

 両親が死ねば1人きりに、なる。

 

 父はもう二、三年経てば死ぬ。だが、母はどうだろう。いつまで生きるだろうか。

 

 父親が死んで、母親と2人きり。

 もとから仕事や付き合いであまり家にいない父親だった。吉影にとってはいてもいなくても初めからあまり変わらない。だが、母親にとってはどうだろうか。

 ご近所さんすらまともにいないこの土地で、1人きり。風の吹き荒ぶ夜に耐えられるだろうか。

 

 これは心配や愛情ではなかった。

 いずれくる父の死により、自分がやっと手に入れかけている平穏な暮らしをまた母がぶち壊すのではないかという予感だった。

 指先が痛む。意識の空白にじわじわと染みるような痛みが思考を中断させた。

 

 

 そして、突然電話が鳴った。

 

 

 廊下に置かれた黒電話。吉影が通りがかったのを察知したかのように、鳴る。静寂をぶち壊すけたたましいベル。風よりも無遠慮な、乱入者の如き音。

 こんな夜に電話なんて非常識だ。

 しかしもしかしたら、父親に関する緊急の用事かもしれない。

 吉影はその電話をとった。

 

「はい。吉良です」

 

 

『……………………………』

 

 

 無言。

 さーーーーっというホワイトノイズの向こうにかすかに吐息が聞こえた。

「もしもし?」

『…吉良吉影さんですか?』

 男の声だった。しかもボソボソと聞こえにくい。受話器が近いのに小声で話しているからか、酷い音質だった。

「そうですが。どちらさま?」

 

『…………今、杜王駅にいるの』

 

 ぶつ、と音を立てて電話が切れた。

 吉影は受話器を耳から離し、眉を顰める。

 イタズラ電話には違いない。しかし、なんだか不気味だった。

 

 電話のベルを聞いて間淵マヒルかと思ったが、もっとタチが悪かった。部屋に戻ろうとするとまたベルが鳴った。吉影は躊躇うが、出る。

 

『今、カフェ ドゥ・マゴにいるの』

 

 そして電話は切れた。

 

 こんな話をどこかで聞いたことがある。しかしよく思い出せない。夜電話がかかってきて…それからどうなるんだっけ。

 まさかこの奇妙な電話が間淵マヒルのいう『脅威』なのではないか。

 いや、きっとこれはただのイタズラ電話だ。

 またベルが鳴った。吉影は出ずに無視する。

 けたたましいベルがいつもより大きく、家に響く。母が起きてしまうかもしれない。

 電話線を抜いた。

 しかし、()()()()()()()()

 

 確信した。これはマヒルのいう『脅威』。

 そして、この吉良吉影を狙う何者かがいるという事実を明確に突きつけられた。

 間淵マヒルに目をつけられた昨日よりもはるかに、ムカつく。

 

 吉影は鳴り続ける電話をとった。

 

『今』

「来るなら、来い」

 

 そして電話をガチャ切りする。

 電話はまた鳴った。吉影は母親が起きないよう、裏口まで持って行き敷地の外へ放り投げた。空き地の土塊に突っ込んだ電話はなり続けていたが無視して自室に戻る。

 

 さて。マヒルはバットを持っていたが自分はなにを使うか。スポーツは一通りやっていたので色々道具はある。マヒルに倣ってバットにしようか。リーチも長く攻撃力も高いはずだ。だがあの女と同じ得物を使うのもなんだか癪な気がする。

 悩んだ末、吉影は父のゴルフクラブを手に取った。

 

「…何をしているんだろう。本当に何かが来るかもわからないのに」

 

 自分のしていることに少し滑稽さを感じた。だが、現に奇妙な出来事は現在進行形で起きている。

 仕方なく、脅威の到来を待つ。しかし『それ』はいつまで経ってもこなかった。時々風の音に混じって電話のベルが聞こえた気がした。

 

 しかし、ただ待つなんてことはできなかった。暗闇に唯一聞こえる風の音が吉影を知らない間に眠りに誘う。

 気づけばうつらうつら、舟を漕ぎ始めていた。夢のような現実のような曖昧な光景。間淵マヒルの足から伸びる巨大な機械めいた影。鎌の代わりにバットを持ったあの死神のような姿形は、今日みたいな異形と同じものなんじゃあないだろうか。

 

 

 じりーーーーーーん

 

 

 微睡を引き裂くように、ベルが鳴った。

 

 そして吉影の目の前に()()()()()()()

 

 窓は施錠してあった。

 ドアにもたれてうたた寝をしていた。

 では一体、どこから?

 今は、午前四時。

 ちくしょう、結構寝てしまったじゃあないか。

 

 思考が高速で巡る。そしてそのどれもが『どうやって』『なぜ』に行きついて止まる。

 そしてベルだけが、響く。

 

 吉影はゴルフクラブを構える。どこに向かって振り下ろせばいい。敵はどこにいる?電話は、取らない。

 ベルが鳴り止んだ。

 ホッとして黒電話の方を見た。すると、受話器がゴロリと独りでに落ちた。

 

『もしもぉーーーし…………』

 

 ガビガビに割れた声で、悪意たっぷりの声で、電話の向こうの誰かが言う。

 

『来るなら来いって言ったよなァ?今、テメーの家の前にいるぜ』

 

 ブツッと電話が切れた。ツー、ツー、という音がしてから、次は玄関の方から戸の開く音がした。

 

 鍵がかかっているはずの、扉。

 吉影はゴルフクラブを握りしめた。

 

 とん

 

 とん

 

 と、足音のようなリズムで何かが聞こえる。しかしやけに軽い音だ。

 ()()()()()()

 

 ゴルフクラブを持つ手に汗が滲むのがわかった。

 ああ、そうだ。思い出した。中学生の時、昼の放送で怪談が流れていたことがあった。その時聞いた怪談と同じだ。

 捨ててしまった西洋人形から電話がかかってくる。電話の内容は、今どこにいるかを伝えてくるだけ。しかしそいつの場所はどんどん自分の家に近づいてきて…。

 

 とん

 

 足音が扉の前で止まった。耳を澄ましても、相手の吐息や身じろぎは聞こえない。

 開けるか、否か。

 吉影はゴルフクラブを振り上げ、扉に手をかけ…

 

 

「いま」

 

 

 割れた、声。電話で聞くのと全く同じだが、明らかにここにいる声が、した。

 

 そうだ。

 あの怪談のオチはたしか…

 

 

「あなたの後ろにいるのォオーーッ」

 

 

 吉影はほとんど同時に振り返り、ゴルフクラブを振り下ろしていた。

 ごつ、と床にゴルフクラブが当たった。

 そして吉影は自分を襲おうとしているものを見た。それは西洋人形なんかじゃなかった。

 女児向けの着せ替えおもちゃの脚と、その上には蜘蛛の腹のようなパンパンに膨らんだ昆虫めいた胴体。そして受話器がそのまま顔面にめり込んでその上から皮膚が覆ったようなツルッとした頭部を持つ、全長50センチほどの異形だった。

 

 その頭部からめりめりと音がして、針のようなものが突き出した。ぶちゅっと粘度の高い液体が吹き出して吉影の部屋のフローリングを汚した。

 

 

 

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