ハリー・ポッターと金枝を手折る者   作:海野波香

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 サー・ジェームズ・ジョージ・フレイザー。

 かつて、そのマグルは安楽椅子の上で誰よりも魔法界に接近してみせた。

 イタリアのある地方で見られる土着の信仰。その信仰に与えられた解釈は魔法族から見れば全くの誤りに過ぎなかった。

 しかし、フレーザーを笑った魔法族は覚えていなかったのだろう。彼が編纂したその人類史、そこに刻まれた信仰は、確かにある一族に継承されたものだった。

 

「ベレニケ」

 

 名前が呼ばれた。

 青みがかった黒髪の少女が、導かれるようにオリーブの木へと歩み寄る。

 そこは谷間(たにあい)の樹木園だった。切り立った崖の向こうから燦々と照る陽射しは多種多様な木々に光を届け、その葉に活力を与えていた。

 樫が、ポプラが、ナナカマドが隣りあい、いきいきと枝を伸ばしている。よく手入れされた木々は社交界の高貴な人々にも似て、虫食いひとつない。

 

「ベレニケ」

 

 この樹木園の主は、魔法界に革新を与えた氏族の末裔だ。魔法という、不安定で個人の資質による神秘に導きをもたらし、杖魔法というひとつの技術体系が生まれるまでを見届けた職人の氏族だ。

 オリーブの枝を手折る者(Olive-Wander)

 ユニコーンの毛を、ドラゴンの心臓の琴線を、不死鳥の羽根を用いて、この氏族は長く杖を作り続けてきた。あらゆる魔法族がその杖を振るい、よきことにも悪しきことにも使った。

 魔法界の歴史には時折、運命を背負った一族が登場する。

 マルフォイ(Malfoy)家は背信に愛されている。裏切り(mal foi)に成功する者であり、それゆえに主に恵まれない者である。

 ノット(Nott)家は時に愛されている。運命の結び目(knot)に立ち会う者であり、それゆえに過去に縛られる者である。

 そして、オリバンダー(Ollivander)家は――

 

「ベレニケ」

 

 ベレニケ・オリバンダーは乳母や父に何度もその物語を聞かされた。運命を背負った一族の物語を。

 そして、そのたびに何度も言われたものだ。ベレニケ様もきっと杖の寵愛を賜りますよ、何も心配はいりませんよ、と。

 魔術師が杖を選ぶのではない。杖が魔術師を選ぶのだ。そして、オリバンダー家の人間はどんな杖にも拒まれないのだ、と。

 

「ベレニケ」

 

 手を伸ばす。

 この樹木園で唯一杖の木材に使われていない、オリーブの木。初代オリバンダーの代から受け継がれているという魔法の古樹の枝に、金枝(ヤドリギ)が伸びていた。

 オリバンダー家にとって最も高貴で神聖な樹木は、オリーブの木に宿った金枝(ヤドリギ)だ。この魔法の植物は、マグルの伝承に登場する樫の木の金枝(ヤドリギ)とは違って選ばれた者にしか姿を見せない。

 ベレニケにだけ見える枝が、ベレニケの細く白い手を受け入れる。

 

「ベレニケ。ベレニケ・オリバンダー。枝を折る者。我らの愛し(呪い)子」

 

 ジェームズ・フレーザーはその物語でこう語った。金枝(ヤドリギ)に選ばれた者が王を殺すことで、新たな森の王が誕生するのだと。

 王が金枝(ヤドリギ)を選ぶのではない。金枝(ヤドリギ)が王を選ぶのだ。

 たとえ、王位がすでに廃されていようとも。

 たとえ、誰も王位を求めていなくとも。

 

「……ニケ様。ベレニケ様!」

 

 建付けの悪い扉をノックする音と怒鳴り声に近い呼び声に、ベレニケはようやくベッドから身を起こした。

 随分と懐かしい夢を見た気がする。

 水差しを手で引き寄せ、曇ったグラスに注いでから一気に飲み干す。少しぬるかったが、それでも目は覚めた。時計が示す時刻は8時ちょうど。店主のトムに起こすよう頼んでいた時間だ。

 

「8時ですがね、お目覚めですかね」

「ありがとう、トム。ダンブルドア先生はまだ来ていないね?」

「へえ、まだいらっしゃってません」

「わかった。すぐ降りるから、何かつまめるものだけお願い。あ、できればチキンスープも」

 

 久しぶりのダイアゴン横丁だ。漏れ鍋のチキンスープを逃す手はない。

 実家に帰ってもよかったが、研究旅行でくたびれた身体のまま父にあれこれと手伝いを押し付けられるのは望ましくない。ただでさえこの時期はホグワーツの新入生が杖を買い求めにやってくる時期なのだから。

 ラジオのスイッチを指先で弾き、自動チューニングの魔法が鳴らす騒々しいノイズを背にトランクケースから着替えを取り出す。

 

『……のロンドンは終日晴れ。雨傘呪文の出番はないでしょう』

 

 ルームサービスから帰ってきたアイロンの効いたシャツの袖に腕を通し、襟を整えながら、ベレニケは今日の予定のことを考えていた。

 シリアのダマスカスで金属製の杖の可能性を探究していたベレニケの元に、ダンブルドアからふくろう便が届いたのは春の終わりのことだった。熟考の末、とりあえずベレニケは会って話してみることを選んだ。

 まさか教職の勧誘を受けるとは。同期の誰も信じないだろう、あのベレニケがホグワーツの教授などと!

 ベレニケ自身、まだ信じられずにいた。ベレニケが抱える()()()()を思えば、誰もベレニケを教職に求めたりはしないだろう。ダンブルドアの考えはいつも読めない。彼の考えを読める人間など、この世にいるのだろうか?

 

『続いて、ダイアゴン横丁のニュース。新入生の買い物ラッシュも落ち着きつつある今日、フローリッシュ・アンド・ブロッツ書店は創業感謝祭の開催を発表しました。5ガリオン以上の購入で拡大呪文のかかった買い物バッグがプレゼントされるとのことです』

「ん……帰りに覗こうか、ジプサム」

 

 部屋の隅で箒にじゃれていた白猫が、なおんと柔らかく返事をした。

 ニーズルと猫の混血種であるジプサムは、ホグワーツの入学前にアラベラ・フィッグというブリーダーから買い取ったベレニケの相棒だ。飼い猫であり、頼れる相棒であり、母から与えられたお目付け役でもある。

 

「どっちがいいと思う?」

 

 ベレニケがトランクから取り出した濃紺のスラックスとオリーブ色のトレンチスカートを差し出すと、ジプサムは少し首を傾げてから前脚でスラックスの裾を叩いた。ファッションセンスは飼い猫のほうが優れている。

 スラックスに足を通し、靴下に穴がないことを確認して、ようやくベレニケは髪と格闘する覚悟を決めた。

 結局、ベレニケが青みがかった黒の癖っ毛をまとめ終わるころには8時50分になっていた。ダンブルドアとの約束の時間は9時、もうすぐ彼が来る頃だ。

 2階の部屋を出ると、階下が騒然としているのが聞こえる。どうやら何か、漏れ鍋にたむろする魔術師たちを興奮させる出来事があったらしい。

 会話の内容を拾おうと耳をそばだてると、ちらりと「ハリー・ポッター」という名前が聞こえた。

 ハリー・ポッター。この英国魔法界で生きる者なら、誰もが一度は耳にしたことがあるだろう。戦争を終結させた偉大な幼い英雄は、計算が正しければそろそろホグワーツの入学年次になるころだ。もしや、と期待がよぎる。

 

「ふむ……何か重要な出来事を見損ねた気がするぞ」

「――ほんの5分前まで、1階はチョコレートのバーゲンセールでも始まったかのような騒ぎじゃった。幸いだったのは、皆がチョコレートを前にしても理性を保てる立派な大人だったことじゃ」

 

 盛大に肩を跳ねさせてから、ベレニケはおずおずと振り返った。

 流れるような銀色の髪と髭。半月型の眼鏡。その奥にキラキラと輝く、少年のようにも賢者のようにも見える瞳。ハリー・ポッターが最も幼い英雄なら、彼は最も長生きの英雄と呼ぶのがふさわしいだろう。

 近代で最も偉大な魔法使い、アルバス・ダンブルドアがすぐ後ろで微笑んでいた。

 

「先生? あー、おはようございます。まさかもうお着きだったとは」

「もう少しぶらぶらしてから来るつもりだったのじゃが、無性にトムが作るチキンスープが飲みたくなってのう。急かしてすまぬが、君さえよければゆっくり朝食でも取りながら語らうとしようぞ」

「いいですね、ありがとうございます」

 

 ダンブルドアと話すのは数年ぶりだった。もっとも、直接言葉を交わしたことがあるだけベレニケは機会に恵まれていたと言えるだろう。

 校長と話す機会が多かったというのは、つまりそれだけベレニケが問題児だったということでもある。そんなベレニケを教職にと求めるのは、ダンブルドアの寛容さゆえなのだろうか。

 1階に下りると、すぐに温かいスープと焼き立てのパンが配膳された。

 

「うーむ、やはりこの味じゃ。休暇中何度もキッチンに立って試してみたのじゃが、どうしてもこの爽やかな風味が出せなんだ」

「先生がキッチンに?」

「そうとも、ベレニケ。料理とは最も尊い魔法のひとつじゃよ。愛で人を豊かにできるとは、素晴らしいと思わんかね?」

 

 この人は変わらないな、と笑いながら、ベレニケはパンをスープに浸した。

 

「ダンブルドア先生は相変わらず愛がお好きですね」

「そして君は相変わらず理屈に落とし込めないものが苦手なようじゃのう。ギャリックのところに顔を出さないでよいのかね?」

 

 ダンブルドアが示唆した通り、今代のオリバンダー家当主であるギャリック・オリバンダーとその娘であるベレニケとの間には少々方向性の違いがあった。

 大した話ではないし、家庭内の不和というわけでもない。ただ、ベレニケはギャリックほど杖に狂っていないというだけのことだ。ベレニケに言わせれば、ギャリックは妻よりもその杖に興奮する変態で、父親としては失格の部類になる。

 

「今の時期に顔を出したら新入生向けの採寸でこき使われるだけですよ。心配ご無用です、父のことはちゃんと愛してますから」

「結構、結構」

「それより、そろそろ本題に。私を教職にって……本気ですか?」

 

 口元を軽く拭ってからベレニケが本題を切り出すと、ダンブルドアは柔和な笑みを浮かべたまま鷹揚に頷いた。

 ダンブルドアから届いたふくろう便には、確かにこう書かれていた。魔法理論の教授に興味はないか、と。

 魔法理論。

 あらゆる魔法魔術の基礎であり、同時にその応用を形作る重要な学問だ。そして同時に、実戦で役に立たないからと軽視されてきた机上の学問でもある。

 呪文の接尾辞や接頭辞。音節数に合わせた杖の振り方とその図形的解釈。全ての杖魔法に直結する学問であるにも関わらず、19世紀末のエリエザー・フィグ教授以来長い間ホグワーツの魔法理論は空席となっていた。

 

「復活させるんですか? 魔法理論を」

「おお、そうとも。わしはずっと後悔していたのじゃ、ベレニケ……ホグワーツが実践的な教育を重視するあまり、君のような英才が輝く機会を奪ってしまったことをのう」

「お褒めの言葉は恐縮ですが……ご存知の通り、私には大きな問題があります。教職に向いているとは思えません」

「その様子では、ダマスカスでの研究はあまり実りのあるものだったとは言えんようじゃのう」

「残念ながら。現われよ(レベリオ)

 

 ベレニケが軽く手を振って呪文を唱えると、空中に浮遊する帯が現れた。

 帯には一定の間隔で魔法の杖が刺さっている。木材も芯材もそれぞれ異なるが、しかしどれもよく手入れされている。そしてその()()が、ベレニケの命令を待っていた。

 その中から一本の杖を引き抜いて、ベレニケは杖を空になったダンブルドアのゴブレットに向けた。

 

「ブナの木にユニコーンの毛、23cm、しなりやすい。……ミントの香りの水よ、凍れ(グレイシアス・アグアメント・メンタ)

 

 杖先からふわりとミントが香り、その香りを閉じ込めるように清らかな水がゴブレットへと注がれた。そしてその水はゴブレットの中で回りながら凍り、最後にはふわりとしたシャーベットになった。

 そして、ベレニケが振った杖はあっという間に()()()()()()()()()

 これがベレニケの抱える大きな問題――杖の愛子の呪いだ。

 オリバンダー家の忌み子であり寵児であるベレニケは、全ての杖に愛されている。どんな杖でも、誰の杖でもベレニケの願いに応えてくれる。

 しかし、杖はベレニケのために全力を出してしまう。ただの衝撃呪文一発であっても、ベレニケが唱える呪文のために杖は全力を尽くし、そして燃え尽きてしまうのだ。

 ダンブルドアは杖を小さく振って灰を集めると、それを銀に変え、そのまま小さなスプーンにしてしまった。そしてそのスプーンでベレニケが作り出したシャーベットを食べ、おいしそうに頬を緩めた。

 

「見事じゃ。なんともさっぱりするのう。これで対価に杖一本を求められなければ最高なのじゃが」

「ダマスカスにいたころ、何本か金属製の杖も試作してみました。結果は散々でしたが。融けた鋼で大火傷するところでしたよ」

「ふーむ。難題じゃ」

 

 ベレニケはこの呪いを解くためにあらゆる手を尽くした。魔法理論や数秘術を学び、無杖呪文がメジャーなワガドゥに留学し、解呪のためにギリシャ式の大規模な儀式に挑戦したこともある。結果は見ての通りだ。

 杖の使えない魔女。

 この呪いはオリバンダーを名乗るうえでとても重いものだった。

 想像してみてほしい。代々パティシエを輩出している名門で期待されて生まれた子どもが、生まれながらに完全な味覚障害を患っていたら?

 あるいは、もっとシンプルにこうしてもいい。一族がずっとモデルや役者で食べていけるほどの美形の家系で、たったひとりだけ醜い子どもとして生まれてきたら?

 世間と先祖の勝手な期待を裏切った子ども。それがベレニケだ。

 だから、ベレニケはずっとこの呪いの解き方を探している。これ以上愛する家族が悲しむ姿を見ないで済むように。

 

「卒業してから2年かけて、それなりに世界を見てきました。インド、ギリシャ、エジプト……古い神秘が残る土地はとても魅力的で、謎に溢れていました」

「君の冒険のことはわしも少々聞き及んでおる。ジャンタル・マンタル天文台の隠された7つ目を見つけてインド魔法省から表彰されたそうじゃのう」

 

 返事に困ってベレニケは曖昧にはにかんだ。

 数の魔法に長けるインド魔法界において古くから伝わる難題、それがジャンタル・マンタル天文台だった。魔法数において、7はもっとも強力な数だ。全ての強力な魔法は7に収斂する。

 しかし、古代インド魔法族が作り上げた天文遺跡であるその天文台は6つしか発見されていなかった。その7つ目をジプサムとともに見つけたのがベレニケというわけだ。

 

「あれは……そうですね、ちょっと大胆な冒険でした」

「いかにも、少しばかし大胆じゃった。国際魔法協力部にバーティという優秀な人物がいたことは、コーネリウスにとって何よりの救いだったじゃろう」

「あ、あはは……」

 

 ベレニケはインド魔法省から表彰された。それは確かだ。しかし、同時に植民地時代以来続く確執を再燃させかけたばかりか、現地の呪い破りと魔法史家全員の面目を丸潰れにしてしまったのもまた、事実だった。

 古代インドの秘密をイギリス人が暴いたというのは、些か以上にまずかったのだ。

 実のところ、ダマスカスでのんびり杖の研究に勤しんでいたのは、魔法省の息がかかった研究機関から「研究資金という名目でお小遣いをあげるからほとぼりが冷めるまで大人しくしていてくれ」とお願いされたからだったりもする。

 

「ダマスカスもいいところでしたが、やっぱり故郷が一番ですね。しばらくは大人しくしていますよ。どのみち、運輸部は当分私にパスポートを作ってくれはしないでしょうから」

「それは朗報じゃ。しかし、君の冒険心がまだ尽きていないのであれば……いまだ多くの謎を秘めた学び舎は、君のことを歓迎しようぞ」

「……ホグワーツに私の呪いを解く鍵があると?」

「必ずしもそうとは限らん。しかし、よいかねベレニケ。ホグワーツでは、自ら学ばんと欲する者には必ず手が差し伸べられるのじゃ」

 

 ダンブルドアは歌うようにそう口にして、それから少し真剣な顔をした。

 

「いつでも今が一番若い。魔法界の運命はまさに今動き出すのじゃよ。穏やかな日向ぼっこが終わり、誰もが明日のことを考えなくてはならない時がやってきた。君の運命もまた、ホグワーツで動き出すことじゃろう」

「……ふふ、予見者みたいですね。でも、そうか。動き出すというのなら……」

 

 指を鳴らし、杖たちの刺さった帯を消失させる。

 ダンブルドアに会うと決めた日から、結局ベレニケはこのオファーを受けることを決めていたのかもしれない。ただ、少しだけ踏ん切りがつかなかっただけで。

 足元でミルクを舐めていたジプサムを抱き上げて、ベレニケは頷いた。

 

「今年の教科書はもう決まっているんですよね?」

 

 そして、ホグワーツに魔法理論の授業が復活することになった。




お久しぶりです。転職活動のストレス発散に新作を生やしました。許してほしい。
転職活動が順調に進めば更新できます。応援してほしい。
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