知りたい、と思った。
ベレニケは噂だらけの人だ。
杖を使えないから学生時代は落第だらけだったという話も聞くし、いやいや、実は杖なしでも魔法が使える恐ろしい魔女でとても優秀だったらしいという話も聞く。
卒業後はマグルと一緒に働いていたのだとか、ギリシャで魔法戦士をしていたのだとか、杖を使えないから実家を勘当されているのだとか、実家の乗っ取りを企てているのだとか。
とにかく噂の多い人だった。杖が使えない新任教師ということもあって、みんなが彼女に興味を持っていた。
しかし、何が本当なのかわからなくて、そのせいでいまいち正体がはっきりしない。
教壇に立つ彼女は緊張しいで、空回りしていて、しかし突然電源が入ったように――このたとえはロンには通じなかったが――面白くなる。そして話してみると意外と温かい。
今のところ、ハリーにとってベレニケは不思議な人だ。
そして、ベレニケを知る鍵は意外にも近くにあった。
「オリバンダーについてなら、うちのビルが詳しいよ。なんてったって同級生だしね」
「それじゃ、グリフィンドールだったの?」
「ううん、レイブンクロー。でもビルとは仲が良かったんじゃないかな、今でも手紙のやりとりしてるし。今はエジプトにいるから返事は遅くなると思うけど、気になるならふくろう便で聞いてみる?」
ありがたくロンのふくろうを借りることにして羽根ペンを取ってから、ハリーは悩むことになった。
結局、何を知りたいのか。
趣味、好きな食べ物、学生時代の得意科目? そんなことは本人に聞けば教えてくれるだろう。わざわざ人伝に尋ねるほどのこととは思えない。
では、学生時代の様子やどうやって杖を使わずに卒業したかについて? 確かに聞きづらいことだが、だからといってそれを知ってなんになるのだろう。
もやもやした末、ハリーは一旦ビルへの手紙を保留することにした。
どうせなら、本人と話してみればいい。いつでも質問に来ていいと言ってくれたのだから、行ってみるべきだ。
そういうわけで、ハリーは魔法理論の教室の隣にあるベレニケの執務室を訪ねた。
「お、早速来たか。紅茶でいい?」
「あっ、はい、ありがとうございます」
雑然とした部屋だった。執務室というよりは雑貨屋のようだ。
天井からはいくつも目のような模様の円盤や翡翠色のリングが吊るされ、棚では観葉植物にしては派手なサボテンが小刻みに震えている。耳を澄ますと、サボテンはどうやら歌っているようだった。
その棚の一番下では真鍮製の不思議な機械がひとりでに動いて、差し込まれた羊皮紙に幾何学的な模様を刻み続けていた。
他にも色々な棚や箱、台に囲まれながら、ハリーは座り心地のいいスツールに腰掛けて少し大きい紅茶のカップを抱えていた。
「それで? 質問があるのかな?」
「えっと……はい」
「授業の?」
「その……いいえ」
「そうか、じゃあ難問だ」
クスクスと笑いながら、それでもベレニケは真剣な目で向き合ってくれた。
聞こうと思えば聞きたいことはたくさんある。しかし、改まって質問しようと思うとなんだか恥ずかしくて、ハリーは出してもらった紅茶のカップを両手で抱えたまま目を泳がせた。
「じゃあ、はじめに……先生はどうして乗馬服を着てるんですか?」
間に合わせで出した質問にしては悪くなかった。
ベレニケはローブを着ていない。そのかわりに、いつもグレーの乗馬服を着ている。上等そうで、生地もこなれていて、乗馬の日曜日にダドリーが無理やり着ていたサイズの合わない乗馬服とは大違いだ。
他の先生も好きなようにローブを改造してはいるし、クィレルなどターバンを巻いている。それでも、ベレニケの乗馬服は少し浮いて見えた。
ベレニケは少し考えたあと、ハリーに向かって悪戯げに笑ってウィンクしてみせた。
「似合ってるでしょ?」
「えっ、あー、その」
「こういうときはとりあえず褒めればいいんだよ。冗談はさておき、そうだね……どこまで説明すればいいか」
ベレニケは少し悩んだ様子でデスクの上を漁って、それから本に挟まっていた一枚の紙切れを引っ張り出した。
「あった、これこれ」
差し出されたのは、少し古ぼけた写真だった。
ベレニケと同じ乗馬服を着た人々が、見たことのない生き物に寄り添うように立って笑っている。緊張しているのか、少し引きつった笑みを浮かべている人もいる。
「これ……動く写真! 新聞だけじゃないんだ……」
「専用のカメラが必要だけどね。ギリシャのグリフォンライダー隊だよ。グリフォンは初めて見る? かっこいいでしょ」
「はい、あの……乗るんですよね? この生き物に」
写真の中で撫でられたり首を振ったりしているその生き物、グリフォンは、オオワシの頭にライオンの胴体といういかにも凶暴そうな見た目をしていた。前脚の鋭い爪など、ハリーの腕ほどもありそうだった。
「うん。気難しいやつらでね、特に杖で指示を出されるのが好きじゃない。だからかな、私は連中と相性が良かった」
「先生も乗るんですか!」
「右から3番目が私だよ」
慌てて見返すと、そこには短い髪を風に吹かせて笑っているベレニケの姿があった。
長く伸びた癖っ毛を束ねている今のベレニケとはあまりにも別人だった。何より、浮かべている笑みのタイプが違う。その目は少しぎらぎらしていて、どこか好戦的な空気すら感じられた。
「私がまだ調子に乗っていて、やんちゃだったころだ。髪はドラゴンと空中戦をしたときに持ってかれてね。当時は今より長かったんだ」
「ドラゴン……すごい……!」
「隊員総出でようやく追い払っただけだけどね。そういうわけで、これは私の勝負服で一張羅なんだ」
話を聞くうちに、ハリーはなんだかワクワクしてきた。抱えたままだった紅茶のカップに、眼鏡の奥でキラキラと輝くハリーの瞳が写っていた。
これこそ魔法界に求めていた物語だ。不思議と謎にまみれた、壮大な大冒険! きっと自分には縁のないことなのかもしれないが、話を聞いているだけでも心が躍った。
「隊にいたのは1年だけだったけど、いい思い出だよ」
「どうして辞めちゃったんですか?」
「元々傭兵契約だったからね。研究を続けるための資金稼ぎだったのもあるし、やっぱり杖を使えないというのは不利だ。魔法の道具で補うのにも限界があるんだよ」
「そうなんですか……」
それは少し残念な話だった。
噂のひとつに、ベレニケは杖なしでも魔法を使えるというものがある。それが本当なら、ベレニケはグリフォンライダー隊をやめないで済んだはずだ。
確かに、ハリーも杖なしで髪を伸ばしたり、ガラスを消したりしてしまったことはある。しかし、ちゃんとした魔法を使おうと思ったら杖はどうしても必要だし、なんなら杖を使ってだってうまくいかないこともあるくらいだ。
やはり、杖なしで魔法を使うのは難しいのだろう。ハリーはそう納得して、それから次の質問に困ってベレニケのデスクを眺めた。
部屋全体の空気をそのまま圧縮したようなデスクだった。
本は山積みだし、その間から何本も栞代わりに挟まれた羽根ペンが飛び出している。本の中にはガタガタと勝手に揺れているものもあるし、10秒ごとに背表紙のタイトルが変わるものもあるし、薄っすらと透けているものすらある。
かと思えばデスクの真ん中にはミニチュアの帆船が鎮座しているし、その下には何かキラキラした破片のようなものが撒かれていた。
「先生、それは何ですか?」
「これ? ボトルシップだよ。よくできてるでしょ」
確かによくできていた。瓶の中に収まっていないことを除けば、とても立派なボトルシップだった。
「えっ? でも、ボトルシップって瓶の中で作るんじゃ……」
「ふふ、君はまだ魔法のズルさを完全には理解してないようだね。見ててごらん……」
ベレニケが怪しげに笑いながら、帆船に手をかざした。
そして起きたことに、ハリーは思わず声を上げた。
「あっ、ガラスだ!」
キラキラとした破片が舞い上がり、透明の壁が組み上がっていく。そう、破片は砕かれたガラスだったのだ。まるで時を巻き戻すように、ガラス瓶がそこにできていった。
あっという間にガラス瓶は傷一つない姿になった。ただし、帆船を内側に収めた姿で。
「今のって……魔法ですよね?」
「じゃなかったら奇跡? ふふ、冗談だよ。そう、魔法だ。ガラス瓶を直したんだよ。
「でも……先生は杖を使ってませんでした!」
「そうかな? もしかしたら私がマグルの手品みたいなテクニックで杖を隠しているのかもしれないよ?」
ハリーは興奮した頭で一瞬その可能性について考えたが、すぐに首を横に振った。
「先生は杖が使えないって言ってました!」
「そうだね。ただ、まあ、それはあんまり正確な噂じゃないんだよね……そうだ、宿題にしよっか」
「宿題?」
カップが揺れて少しこぼれた紅茶のついたハリーの手を、ベレニケの手が優しく包んだ。
「どうやって魔法を使ったか当ててごらん」
「どうやって……」
「ヒントをあげよう。このボトルシップを持って帰って、じっくり調べてみるといい。いろんな角度から見てね。……紅茶、冷めちゃったかな?」
絶対に解き明かしたいという興奮をこらえながら、ハリーは慌てて紅茶を飲み干した。
それから、ハリーはボトルシップを寮に持って帰って、寝室の自分のベッドに飾った。ハリーができる限りの色々な手段を使って調べてみるつもりだった。
しかし、翌日になるとそれどころではない騒ぎが起きていた。
朝食のために降りてきたハリーとロンは、大広間の前の掲示板に人だかりができているのを見つけた。みんな興奮したようにざわついていて、心配そうな声もちらほら聞こえた。
「おったまげー……ハリー、見ろよこれ」
「なにこれ……決闘って?」
もみくちゃにされながらなんとか掲示板の前に辿り着いたハリーとロンは、そこに書かれているとんでもない情報に目を見開いた。
あのベレニケが、決闘をするというのだ。
近くにいたハーマイオニーがハリーの呟きに振り返った。いつも自信ありげに「説明」を振りまく彼女だったが、今日は心配そうに眉をひそめていた。
「魔法使いの決闘よ。3つ数えてから魔法を撃ちあって、杖を落とさせるか、降参させたほうが勝ちなの」
「もしくは気絶させるか、死んじゃうかだね」
「ロン、ホグワーツでそんなことが許されるはずがないわ!」
「ルールを言っただけだよ。でも、すっげー……ハリー、本物の決闘が見れるぜ。審判をやるフリットウィックは決闘チャンピオンだ」
本物の、決闘。