授業を終えた夕方。中庭に急造された会場は騒然としていた。
「これより! オリバンダー先生とミスター・フリントによる決闘の
フリットウィックが声を張り上げている。
決闘だ。ベレニケは決闘をすることになった。
噂によれば、スリザリンの上級生が「杖の使えない出来損ないの魔女に教わることはない」と暴言を吐いたらしい。それに対してベレニケが「君が振り回しているのは杖ではなく猿の棒きれだ」と返したことで、明確に衝突してしまったとフレッドが言っていた。
こんな言い方は見知って間もないのに失礼かもしれないが、ハリーにはどうもベレニケらしくないように思えた。彼女はもっと柔軟な解決方法を取れる人ではないのだろうか。
「本当にいいのかな、先生と生徒が決闘なんて」
「オリバンダーは上級生に舐められっぱなしって話だぜ。だから、このあたりで実力を見せておいたほうがいいってダンブルドアも思ったんじゃないかな」
「うーん……どうだろう」
ロンはハリーの隣で平気そうに決闘が始まるのを待っている。ハリーはロンほど安心してはいられなかった。
「先生、本当に大丈夫なんですよね?」
「大丈夫、ペネロピー。それとも、私を信じるのは怖い?」
「そういうわけじゃないですけど……絶対勝ってくださいよ。5ガリオン賭けてるんですからね」
長方形に作られた木製の舞台の端で、レイブンクローの上級生が頬を上気させていた。その隣でベレニケは穏やかに微笑んでいる。その様子に緊張は見られない。
ロンとともに見物にやってきたハリーは気が気でなく、最前列で手をそわそわさせてローブに皺を作ってしまっていた。
確かに、ベレニケはすごい人だ。グリフォンライダーだし、手先も器用だし、話も面白い。授業はまだぎこちないが、それでもハリーは魔法理論の授業を楽しめている。
しかし、杖の使えない者がどうやって決闘をするのだろう?
「ねえロン、オリバンダー先生は勝てると思う?」
「どうだろう……杖を使えないとしても、ホグワーツを卒業してるんだから隠し玉はあるんじゃないか? フリントにそれが通用するかどうかだな」
対戦相手はフリントというスリザリンの上級生だ。とても体格が立派で、介添人についた他のスリザリン生といやらしい笑みを浮かべながら何か話している。
この決闘で、フリントはある条件を出している。
勝ったほうが負けたほうに、なんでもひとつ命令を聞かせる。とてもシンプルで、とても嫌な条件だ。噂では、この条件を使ってフリントはオリバンダーを辞職させるつもりらしい。
「フリントが勝ったらオリバンダー先生になんでも言うことを聞かせるなんて、野蛮よ! 紳士のスポーツにあるまじき条件だわ!」
「ハーマイオニー、僕はそもそも決闘は野蛮だと思うけどね。ミス・クリアウォーターが介添人を頼まれてなかったら、僕は見に来なかったと思うよ。……いや、同じ監督生として応援しないわけにはいかないからね」
後ろの方の席でパーシーがハーマイオニーを宥めている。
正直に言えば、ハリーは決闘の話を聞いたときはとても興奮した。魔法使いの本物の戦いを見ることができるのだと思って、心の底からワクワクした。
それに、いつか自分が戦ってみたいとすら思った。様々な呪文を駆使して、強力な敵と競いあって、それでも打ち勝ってしまう自分を想像するのはたまらなかった。
しかし、決闘をするのがベレニケだということを思い出した途端、その熱は一気に冷めた。
彼女はこの決闘を無事に終わらせられるのだろうか? それとも、ボトルシップを作ったときのように不思議なことを起こして勝ってしまうのだろうか?
舞台の中央にフリットウィックが立ち、小さな体で声を張り上げた。
「決闘を執り行います! 挑戦者、マーカス・フリント! 介添人はマイルズ・ブレッチリー! それに対するはベレニケ・オリバンダー! 介添人はペネロピー・クリアウォーター!」
わっと歓声が上がった。
乗馬服に革のグローブをはめたベレニケは、それこそ昔の小説の挿絵に出てくる決闘をする紳士のようだ。レイピアかピストルを持たせたらそのものだろう。
それに対して、フリントもスリザリン生からはかなり支持を集めているようだった。
「両者、向かいあって! 礼!」
ハリーは一瞬たりとも見逃すまいと壇上を見続けた。
これから何が起きるというのだろうか。何が起きてもおかしくはない。ベレニケはあまりにも未知で、謎に満ちている。
舞台の上のふたりが何か会話を交わしたのを、ハリーはギリギリで聞き取った。
「先生、杖をお持ちでないようですが……取りに帰られるなら今のうちですよ?」
「おや、君程度に必要かい?」
フリントは嫌味っぽい笑みを消すことなく、価値を推し量るような目つきでジロジロとベレニケを見下していた。
「両者、構え」
フリットウィックの指示に従って舞台の上のふたりが構える。
フリントが赤っぽいうねった杖をベレニケに向けたのに対して、ベレニケは映画に出てくるカンフーの達人のように手を伸ばして指先を揃えている。
ハリーはドキドキしてたまらなくなった。ベレニケはどうやって勝つつもりなのだろうか。まさか本当に格闘戦を挑む気だとしたら、それはあまりにも無謀だ。
それでも、ベレニケはうっすらと不敵な笑みを浮かべていた。
「1、2、3!」
「
先手を取ったのはフリントだった。
橙色の閃光がベレニケへと襲いかかる。ベレニケはそれを猫のようなしなやかさで回避した。
ベレニケの乗馬服を掠めた閃光が床に当たり、嫌な音とともに舞台の塗装を剥がして弾ける。ハリーの知らない呪文だったが、当たればひどい目に遭うのは確かだった。
「ッ! すばしっこいな、
ただの呪文では避けられると悟ったフリントは早々に作戦を変えたらしかった。
ベレニケの足元がツヤツヤしはじめ、さらに舞台の後方が本来の地面へと沈みはじめた。舞台が傾き、ベレニケの足場は一気に不安定になる。
しかし、ベレニケは続いて放たれた何条もの光を曲芸師のようにくるくると回りながら避け、観衆の喝采すら勝ち取ってみせた。
「ほ、よっと! デプリモで傾斜を作るという発想はなかなかいいね。大抵の魔術師は相手の足元を削ろうとして避けられてしまうんだ。おっと、今のは危なかった! あとは傾斜にランダム性を出せればよりいいと思うよ」
「糞っ、
「杖捌きが甘い。授業をちゃんと聞いていなかったね? 直線は直線、曲線は曲線、杖の振り方にはそれぞれ魔法的な意味がちゃんとあるんだ。それを考えていないからだよ」
ハリーは気付いた。
今のベレニケは、グリフォンと一緒に写真に写っていたあのベレニケだ。獲物を狙う猛禽類のような、好戦的で、誇りを示すような目つきだ。
一発も呪文を放つことなくフリントを翻弄しながら、ベレニケは着実に舞台の中央へと歩みを進めていく。
少しずつ迫ってくるベレニケに焦ったのか、フリントの狙いは次第に雑になっていった。いくつもの閃光が舞台を削り、また空中で花火のように弾けた。
「一応確認しておくけど、杖を奪われても負けだからね?」
「このっ……
顔を真っ赤にしながら杖を振り続けていたフリントは、あと一歩のところまで迫ったベレニケに対して杖から衝撃波のようなものを放った。
ベレニケはまるで舞台をスケートリンクのようにして軽やかに滑り、観戦するハリーの前まで滑ってきたところで踵を鳴らしながらくるりと回って止まった。その姿に歓声を投げかける生徒もいた。
本当に目の前で繰り広げられる戦いに、ハリーは応援すればいいのか緊張すればいいのかわからなくなってきた。
「残念、あとちょっとだったのに」
「じゃじゃ馬め……!」
盛大に舌打ちしてから杖を構えなおした。
「なら、これは避けられないだろ――
その時だった。
一瞬、ベレニケの目つきが変わった。獲物を狙う猛禽類のような目つきではなく、いつもの穏やかな、新任教師の目つきだった。
気のせいでなければ、その時、ハリーはベレニケと目があったような気がした。
そして、ベレニケが指先を小さく、招くように動かした。
次の瞬間、爆発が起きた――
「ッ、げほっ、何が」
――フリントの手元で。
吹き飛ばされた杖は舞台の上に転がり、フリントのただでさえ短い前髪はチリチリと焦げて嫌な匂いを発していた。
「言っただろ、杖捌きが甘いんだよ。寮に帰ったら鏡の前で杖を振る練習をすること!」
「ちょっと失敗しただけだ! 俺はまだ負けてない!」
「いいや、この決闘はオリバンダー先生の勝利ですぞ!」
舞台に割って入ったフリットウィックが、嬉しそうに解説を始めた。
「決闘の原則、それは対戦相手にのみ攻撃を行うこと。見届人に被害が出てはいけないというのは当然のルールです。オリバンダー先生はフリントくんの爆破呪文が強力なものだとわかったからこそ、呪文に干渉して失敗させたのです!」
「フリットウィック先生にはバレバレですね。あのままだとちょっと生徒の皆が危ないかなと思ったので――」
守ってくれたのだ。
一拍置いて、ハリーはそのことを理解した。フリントを煤まみれにしているあの爆風をハリーが喰らわないよう、気を遣ってくれたのだ。
杖を拾ったフリントが、ベレニケを睨みつけながら吠えた。目が爛々と光っていた。屈辱と、敵意に満ちた目だった。
「ふざけるな! 俺を馬鹿にしているのか……!」
「君のコンフリンゴが強力だと思ったからこそだよ」
「妨害? ハッ、違うね、俺の呪文が偶然うまくいかなかっただけだ! 認めるさ、俺の呪文は失敗した! だが、俺はまだお前に傷ひとつつけられちゃいないッ!」
観衆はざわつきはじめた。
確かにフリントはまだ攻撃を受けていない。それどころか、ベレニケがしたという
しかし、それ以上に、ハリーは疑問を抱きはじめた。
難癖をつけて決闘を始めたにしては、フリントの叫びは切実すぎた。それはまるで、どうしても聞かせたい
「では、オリバンダー先生。
その一言に、あたりはわっと騒ぎになった。
ベレニケが杖を使う? それはつまり、彼女は
しかし、ベレニケは首を振ってそれを否定した。
「弱いものいじめをする気はありませんよ」
「ベレニケ・オリバンダー……! 俺を、侮辱したな!」
「あのね、私は教師で君は生徒だぞ。ハンデ戦でようやくトントンなの! 私の立場を考えてよ、まったく」
「誰が……誰がお前のような出来損ないに! 俺はお前を――」
あたりが静まりはじめた。少しずつ、観衆もおかしいと思いはじめたようだった。
「いい加減にしろ。それとも、
その声はあまりにも底冷えするような静けさをまとっていて、ハリーは一瞬それがベレニケの言葉だと理解できなかった。
使わせたいのか。
普通に考えるなら、杖を使わせたいのかという意味だろう。フリントが決着を望むなら、そうすべきなのかもしれない。もし、ベレニケが杖を使えるのであれば。
少しして、フリントは杖を下ろし、自ら舞台を降りた。
「勝負あり! 勝者、ベレニケ・オリバンダー!」
気の抜けた拍手がぱらぱらと響いた。
拍子抜けの結末。ベレニケという魔女は謎ばかり増やしていく。
フリントは何を言いかけたのだろうか。この決闘は、一体何のために開かれたのだろうか。