機動戦士Gundam GQuuuuuux 逆転した世界 作:ボルメテウスさん
サイド3の空気は、どこか張り付くように静かだった。
人工の青は、いつ見ても感情を拒む色をしている。だから余計に、自分の内側のざわめきがはっきり分かる。
俺は、扉の前で一度だけ息を整えた。
戦場なら、もっと単純だった。敵か味方か、生きるか死ぬか。それだけでいい。
だが今日は違う。ここにあるのは、選択だ。言葉と、名前の選択。
隣に立つ彼女を、俺は無意識に見た。
――マチュ。
喉まで出かけた呼び名を、強引に飲み込む。
ここでは違う。今日は、それじゃいけない。
扉が開いた。
タマキ・ユズリハは、俺たちを見て足を止めた。
視線が交差する。その一瞬で、俺は悟った。この人は、ずっと娘を探していた目をしている。
「……アマテ?」
その声を聞いた瞬間、胸の奥がきしんだ。
名前というものが、こんなにも重い音を立てるとは思わなかった。
「……お母さん」
彼女――アマテが一歩前に出て、頭を下げる。
その姿を見て、俺は痛みを覚えた。俺の隣で、俺の世界で生きていた彼女が、今は“娘”として立っている。
違う世界だ。
そして、俺はその境界に立っている。
タマキさんの視線が、俺に向いた。
逃げるつもりはなかった。だが、正直に言えば、怖かった。
俺は一歩前に出て、頭を下げる。
「……タマキさん」
続く言葉を選ぶ前に、心の中で何度も名前をなぞる。
マチュ。
俺が呼び続けてきた名前。
守ると決めた存在の名前。
だが、それを口にする資格が、今の俺にあるのか。
「長い間……アマテのことを、知らせずにいました」
あえて、言い切った。
言い訳はしない。守っていた、なんて言葉は、ここでは免罪符にならない。
「申し訳ありません」
タマキさんは、しばらく俺を見つめていた。
評価する目ではない。量る目だ。この人は、母親として、そして大人として、俺を見ている。
「……あなたが、ランガ君ね」
その呼び方に、少しだけ驚いた。
距離を測る呼び名。だが、拒絶ではない。
「はい」
「アマテと……一緒にいたの?」
「はい。ずっと」
その言葉で、肩の力が抜けたのが分かった。
ああ、この人は、俺を責めたいわけじゃない。ただ、知りたかっただけなんだ。
タマキさんは、再びアマテの方を見た。
「……本当に、心配したのよ」
「うん……ごめん」
そのやり取りを、俺は黙って見ていた。
ここに、俺の言葉は要らない。これは、母と娘の時間だ。
「……ランガ君」
呼ばれて、顔を上げる。
「あなたが一緒にいてくれたから、こうして会えた」
感謝の言葉が、胸に重く落ちる。
知らせなかった時間が消えるわけじゃない。それでも、この人は前を向こうとしている。
「……いえ」
それ以上は言えなかった。
そして、その瞬間だった。
アマテが、ちらりと俺を見る。
いつもなら、ここで俺は彼女を呼ぶ。
――マチュ。
無意識に。反射で。
だが、今日は違う。
俺は、はっきりと意識して口を開いた。
「……アマテ」
音にした瞬間、胸の奥が少しだけ痛んだ。
手放したわけじゃない。ただ、位置を変えただけだ。それでも、痛みはある。
だが同時に、覚悟も生まれた。
この人の前で、この場所で、俺は“彼女を独占する呼び名”を使わない。
それは距離を置くことじゃない。
彼女が、誰かの娘であることを、俺がちゃんと受け入れるという選択だ。
アマテは、一瞬驚いたように目を瞬かせてから、小さく笑った。
分かってくれた。
それだけで、救われる。
タマキさんが、その様子を見て、ほんの少し表情を和らげた。
「……ありがとう、ランガ君」
俺は、静かに頷いた。
サイド3の空は、相変わらず無機質だ。
それでも今日、俺は一つ決めた。
彼女を守ることと、名前を呼ぶことは、同じじゃない。
守るために、距離を選ぶこともある。
それが、大人になるということなら。
俺は、それを引き受ける。
――マチュ。
いや、アマテ。
呼び名を変えても、想いは変わらない。
それだけは、胸を張って言えた。
タマキさんが席を立つまで、そう時間はかからなかった。
官僚としての立場もあるのだろう。長く感情に浸ることを、自分に許さない人だ。
「今日は……ありがとう」
そう言って、アマテの肩にもう一度手を置く。
離れる前に、タマキさんは俺の方を向いた。
「ランガ君」
「はい」
一瞬、言葉を選んでいるのが分かった。
母親として。大人として。娘を預ける相手を、最後にもう一度、量っている。
「あなたのことは……前から知ってるわ」
胸の奥が、少しだけ硬くなる。
「アマテの幼馴染みで、両親を亡くして……一人で生きてきたことも」
言葉にされると、過去が輪郭を持つ。
だが、不思議と嫌な感じはしなかった。
「だから、分かるの」
タマキさんは、まっすぐ俺を見た。
「この子が、あなたと一緒にいた理由が」
アマテが、少し驚いたように母親を見る。
「お母さん……」
「心配は、してたわ」
正直な声だった。
「でもね……あなたなら、守れると思った」
その言葉は、許可でも命令でもなかった。
信頼だ。
「天涯孤独でも、人を守ることを選んだ人は……簡単に手放さない」
俺は、何も言えなかった。
否定も、誇張もできない。ただ、胸の奥に静かに沈んでいく。
「アマテ」
最後に、母親としての声で呼ぶ。
「無理はしないで。でも……あなたが選んだ場所なら、信じる」
「……うん」
タマキさんは、それで納得したように頷き、セイラに軽く会釈をして、部屋を出ていった。
扉が閉まる。
音が、静かに消える。
残ったのは、俺と彼女だけだった。
人工空調の低い音が、やけに大きく聞こえる。
さっきまで張り詰めていた空気が、少しずつ解けていく。
俺は、無意識に息を吐いていた。
「……行ったね」
彼女が言う。
「ああ」
一拍、間が空く。
名前を、どう呼ぶか。
その選択が、まだ空気の中に残っていた。
俺は、彼女の方を向いた。
肩の力が抜けた表情。
母親の前で見せていた“娘の顔”ではない。
俺の知っている顔だ。
「……マチュ」
その音を口にした瞬間、胸の奥がほどけた。
戻ってきた、という感覚。
奪い返したわけじゃない。ただ、ちゃんと戻った。
マチュは、一瞬だけ目を見開いてから、ふっと笑った。
「……やっと呼んだ」
「切り替えただけだ」
「分かってる」
そう言いながら、一歩近づいてくる。
「でも……アマテって呼ばれてる間、ちょっとだけ遠かった」
正直な言葉だ。
「悪かった」
「ううん。必要だった」
そう言って、マチュは俺の袖を掴む。
昔から変わらない癖。
「お母さんね……安心してた」
「……そう見えた」
「ランガが一緒なら、大丈夫だって」
胸の奥が、少しだけ痛む。
重さではない。責任に近い感覚。
「俺は……」
言いかけて、言葉を止める。
マチュは、俺の表情を見て、すぐに分かったように首を振った。
「大丈夫」
「……何が」
「守るって言葉、今は要らない」
そう言って、額を俺の胸に軽く預ける。
「一緒にいる。それでいい」
その距離の近さに、さっきまでの“切り替え”が、意味を失う。
ここには、母親も、役割もない。
あるのは、俺と彼女だけだ。
「……マチュ」
もう一度呼ぶ。
「なに」
「戻ってきてくれて、ありがとう」
彼女は、少しだけ照れたように笑った。
「それ、私の台詞」
サイド3の空は、相変わらず無機質だ。
それでも、この小さな区画の中だけは、確かに温度があった。
名前を戻せる場所。
それが、俺にとっての帰る場所だ。
そう、初めて思えた。
ドゥー・ムラサメは生存する?
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生存する
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死亡する