星の見えない夜、私、メアリーは思い出す事がある。
開戦前、まだ記憶を取り戻す以前の事。
踊ってない夜ではなくて、眠れない夜に義父様から聞いた御伽噺である。
「知っているかい? 水星には、狸が居るんだよ」
「⋯⋯月に兎ではなくて?」
「月に兎なんて迷信は、今じゃ誰も信じてくれないからね」
それって嘘って言ってるようなものなんじゃ。胡乱げに見つめる私を無視してゴップは語る。
水星には狸が居る。
日が当たる時間帯は血が沸騰する程の高温に晒されて、太陽が届かぬ影に入れば氷点下100度を超える冷気に襲われる。時折、太陽フレアに襲われて電子機器が破壊される事もあれば、被曝し、時に人体をも破壊し尽くす。
そんな過酷な水星の環境でも水星狸は精一杯、元気に毎日を過ごしている。
水星には、子供が極端に少ない。太陽フレアに被曝した影響で、子供を作れなくなってしまうからだ。
「御義父様、赤ちゃんは何処から来るの!?」
ビシッと手を挙げて、問い質す私に、ゴップは一度、咳払いをした後に優しく答える。
「さあ? 私は、子供を作った事がないから分からないねえ⋯⋯コウノトリさんが、とあるコロニーから箱に詰めて持って来てくれるのかも知れないね」
「それ知ってる、サンタさん! 私はね、キャベツ畑って話を聞いた事あるよ!?」
「君の家はスコットランド系だったのかな?」
まあ兎も角、と義父様は穏やかに話を進める。
水星狸は、水星の過酷な環境でも夢を諦めなかった。毎日、実直で素直に精一杯生きる彼女には、お母さんに教えられた魔法の言葉がある。逃げたら一つ、進めば二つ。時には、逃げても良いと肯定しながら、だけど、やっぱり挑戦して欲しいと願いを込められた言葉である。水星狸の人生は、夢を叶える為に母星を飛び出した。時に躓き、挫けそうになり、心を闇に落として夜間に冷蔵庫を漁る事になっても、夢を叶える為に彼女は邁進し、水星と変わらず精一杯に生きることで彼女は多くのものを手に入れる。
最終的に彼女は夢を叶える。
人生の相棒足るお嫁さんを連れて、二人で水星の地を踏んだ。
「⋯⋯彼女なのにお嫁さん?」
小首を傾げる私に、御義父様は、多様性だねえ、と嘯く。
「私はね、君が好きになった子が同性の子でも喜んで御家に歓迎するよ」
「えっ? 必須タグにガールズラブの記載がないからそういうのは駄目なんだよ?」
「時折、君は不思議な事を言うねえ」
それ以上、触れてはいけないよ。と御義父様が優しく諭す。
御義父様は他にも沢山の物語を知っていて、例えば、地球を舞台にした格闘大会で繰り広げられる師匠と弟子の熱い絆の物語だとか、お前を殺すから始まるボーイミーツガールだとか。だけど私は水星狸の話が好きで、クロエにも語り聞かせた事がある。
「えっ、メアリーって、そういうのが好きなの?」
「クロエ、一応、言っておくけど、神様にも序列ってのがあるんだよ?」
「なんだかよく分かんない。けど、なんか大変だって事は分かったかな」
余談だけど、御義父様の一番好きなのは、師匠と弟子の熱い絆の物語のようです。男の子じゃなくて、ごめんね?
◆
青い機体を押し込んでビルの壁を突き破った時、クロエの視界に映り込んだのは二機のガンダムだった。
クロエは自己肯定感が増した分だけ、年相応の反抗期を迎えていたが、しかしメアリーに対しては口で反発しても意外と素直に受け入れている。というのもクロエの世話をするのはメアリーである事が多く、過酷なゲリラ生活の中でも、なんだかんだで融通を利かせてくれる為である。
メアリーとしては、セクハラ紛いの事をしてくる敬う気にもなれない上官と比較すれば、クロエの要求なんて可愛らしいもんで、順当に士官としての対応をしているだけなのだが、それがクロエには特別扱いして貰えているようで彼女の承認欲求を満たす。
結果的にクロエは、あまり人付き合いが得意な方ではなかったので、本能的にメアリーに見捨てられたら自分が終わる事にも勘付いており、気付いた時には、彼女は、口で反発してもメアリーに逆らう事が出来なくなっていた。
まだ無自覚だが、彼女はメアリーを主人として認めている。
本来であれば、彼女はゲリラと合流した時点で借りてきた猫と同じ状態になるのだが今となってはメアリーの背中にべったりである。トテトテとメアリーの後を追い掛ける姿を見たゲリラの同胞は、クロエの事をポメラニアンと認識している。
クロエは自分の事を我儘だと自覚しているが、15歳の少女だと思えば、彼女が甘いものを食べたいと駄々捏ねるのは当然だと思うし、彼女が駄々を云えば、メアリーがお裾分けに作った菓子類を配ってくれるので、男所帯なゲリラ軍にとっては利益の方が大きかった。戦功的な意味でも、マスコット的な意味でも、重宝されている。
メアリーの事を甘えても良い相手だと認識した時から、クロエは無自覚ながら彼女に懐いている。
「御褒美は、甘いものが良いな」
それは彼女なりの精一杯の甘え方なのだ。
クロエはコロニー落としの被害者である。当日、偶然にも一人で隣町まで買い物しに行っていたクロエは、帰る家も町も失った。公国軍が地球に降下し、天変地異が地球を襲うようになる。クロエが乱暴を受けなかったのは、人類が、それどころではなかった事が大きい。
そして大幅に将兵を失った連邦軍は年齢条件を大きく緩めた緊急の徴兵を実施、その中には年齢を偽る者も多く、寄る辺のないクロエもまた年齢を偽って徴兵に応じる。
不思議と悲しく思った事はない。
コロニーを落とされた直後は、非常に現実に打ちのめされている余裕すらなかったし、徴兵に応じるまでは今日を生きるだけで必死だった。家も財産も失った多くの若い女性が身体を売る中、クロエがそれをしなかったのは、その発想がなかった為である。徴兵に応じたのもチラシを拾ったからで最初から選択肢にあった訳ではない。
様々な偶然が彼女を軍に引き入れて、生活が落ち着いた頃にはもう心の整理も付いてしまっていた。
彼女は本来、内向的な性格である。
自己評価は低い、誰かに甘えるだけでもハードルが高く、鼻を高くして強気に振る舞うのが精一杯だ。
彼女の承認欲求は、モビルスーツと連動している。
二機のガンダムを視認した時、クロエの頭脳が閃いた。迸る電流、瞬間、彼女が両手に握り締める操縦桿が火花を散らす。
人類の革新、ニュータイプの存在を嘲るように金髪の少女は白い機体と共に駆け出した。即断即決、速攻の先手必勝、巡り行く頭脳の信号を脊髄反射で凌駕する。忘れた訳ではない、だけど悲しい過去を置き去りにするように彼女は全身全霊の全力ツッパで駆け抜ける。まるで止まったら死ぬと言わんばかりの前のめり走法、踏み込んだ一歩がアスファルトの地面を踏み砕く、溜め込んだ一瞬の間から次の一歩で更に加速する。
赤いガンダムのパイロットであるシャア・アズナブルのセンスは、公国軍の中でも随一。ニュータイプが強いのは空間認識能力が高くなる事、超直感、サイコミュ兵器によるオールレンジ攻撃が使える事、パイロットとしてのセンスはニュータイプの能力とは別物である。
閃く剣筋、剥き出しのセンスが放つ一撃にシャアは左腕一本で応戦しながらも目を奪われる。
「……若いな」
退いた一歩に相手も一歩、踏み込んでくる。
立ち止まれは半歩、攻め込めば、応じて一歩、踏み込んで来た。
まだ完全に開花した訳ではない。
しかし、彼の魂に埋め込まれた革新の種が対峙する彼女の感性を感じ取る。
進歩とは、ニュータイプにだけ許された特権なのだろうか。
否、断じて否である。
踏み込む一歩が切り拓く彼女の道、それは確かに人類が持つ可能性の一歩だ。
何処までも直向きに一直線、眩いばかりに放つ輝きはまるで真っ白に輝く閃光のように。振り回すビームサーベルの残滓が白い羽のようにも見える。シャアの内に秘めるニュータイプの可能性が、ただ一人、等身大の少女に人類の可能性を見た。
眩いばかりの真っ直ぐな生き様にシャアは戦いの中で目を細める。
「若いが、羨ましくもあるッ!!」
皮肉にも、シャアの秘めた可能性を開花されたのは、オールドタイプとも称される少女の可能性の光だった。
色彩豊かな流星群の中、シャアは瞬間的に刻を垣間見る。脳裏に弾ける脳波が全身を駆け巡る。各個人に刻まれる時間の流れは、必ずしも同じではない。時は加速する。シャアの脳裏が刻んだ通常の三倍の速度は、流星群のトンネルを赤く染める。人類は皆平等ではありえない、少なくとも才能に関しては違っている。シャアは置き去りにする、これまでの全てを。操縦桿が火花を散らし、少女に向かって一歩、踏み込んだ。
彼という時間を刻んだ腕時計の秒針が、ギュンギュンと唸りを上げて回転する。
「世界で最もイカした曲って何か知ってる?」
ニュータイプが刻んだ光速のデジタル仕様の時計の先を、ネジ巻き式の時計が景気の良いエンジン音を唸らせて先行する。
「ポルノグラフィティよりアポロ、北米のジャンヌ・ダルクのお墨付きです*1」
ニトロを搭載したエンジンが爆音と共に大量の廃棄ガスを撒き散らす。
マニュアルシフトによるクラッチ操作は神業で、ニュータイプの補佐を受けてなおシャアの感性は後塵に拝する。廃棄ガスを真正面から受けても、芝の上を走る馬が力強く後ろ足で蹴り上げる土を顔に被ってもシャアはなんとか食らいつかんと力を振り絞る。交錯するビームサーベル、一歩、また一歩とシャアは押し込まれる。しかしまだ致命傷ではない、シャアは舌打ちを零して大きく飛び退いた。そして相手が距離を詰める前に構えを取る。
左腕のビームサーベルを半身で前に突き出すフェンシングの構えである。
相手が正規の軍人ではない事は、なんとなく分かる。
「正規の訓練を受けた軍人が、武術で民間人に負けるとあっては未来永劫の笑いものだッ!!」
一瞬の溜めから繰り出す連続の刺突は、ピンポイントに相手の急所を突く。
急所とは、相手には回避が難しいポイントの事。クロエは苦々しく思いながらも一歩、距離を取り、更に踏み込んでくる相手の追撃をビームサーベルで弾く。一歩、二歩と後退した後、彼女が右肩の装甲を犠牲にしながら半歩、踏み込んで切り返す。
クロエの承認欲求は、モビルスーツと連動している。
故に彼女は退かない。進めば二つ、逃げれば一つ。なんてメアリーは嘯くのだけど、クロエは、逃げれば失うのである。開戦後、全てを失って改めて積み上げた全てをまた失う事になる。
彼女には、今、これしかないのだ。
クロエという存在が放つ光は閃光である。速度が担保する強い光、駆け抜ける事で彼女は輝き続ける事が出来る。相手が赤い彗星でも、青い巨星でも、関係ない。彼女は、自分の価値をモビルスーツの操縦の一点だけで見定めている。故に、彼女は、どんな難敵が相手でも理由なく逃げ出す訳にはいかないのだ。
だが背後から感じる悪寒にクロエは大きく飛び退かざる得なかった。
「むうんッ!!」
数秒前まで陸戦型ガンダムが居た場所を青い巨星のヒートサーベルが切り裂いた。
完全に躱せた訳ではない、左腕を持って行かれている。クロエが冷や汗を流す中で赤い彗星と青い巨星の二機が、それぞれの獲物を片手に陸戦型ガンダムににじり寄る。ランバ・ラル大佐もまた加速する時の世界で戦う事の許された資格者である。彼の場合は感性というよりも経験だ。長年積み重ねた経験が実戦本位の勘となり、理屈を置き去りに根拠を後付けした直感で二人の天才が刻んだ時の世界に踏み入れる。
この場で資格が与えられなかったのは一人、片足を失った白いガンダムの搭乗者。アムロ・レイである。
「パインケーキだけじゃ足りない。パイン縛りならせめて、パインの満
クロエ・クローチェはなおも退かない。