ザクが立ち上がった、その光景に驚愕したのは他でもないキリー・ギャレット中尉である。
高高度から叩き付けられたザクの中身が無事だとは思えない。なのに何故、立ち上がる事が出来たのか。落下エネルギーを相手に偶然はあり得ない、しかし奇跡的な操縦で衝撃を逃した可能性は考えられる。
嫌な予感が拭い切れない、あの中に入っているのは本当に私の知る部下なのか。
銃口を向ける事は出来なかった。
味方に銃口を突き付ける意味を彼女は知っている。故に確信を持てない今、まだ味方に銃口を向ける事は、出来なかった。
通信での応答を求めるが、散布したミノフスキー粒子が濃いせいか、返事がない。地球の重力が影響してるのかも知れない、濃度はまだ、通信が途絶える程、濃くはなかったが、しかし、降下時、あれだけの引力を感じたのだ。ミノフスキー粒子が、重力下で、挙動が変わるのは十分に有り得る話。部下のザクが一歩、歩み出す。地面の感触を確かめるように二歩、三歩、ザクのモノアイが物珍しげに周囲を見渡し、そして手の感覚を取り戻すように、開いては握り締めるを繰り返す。
歩行する挙動が可笑しいのは、初めての重力下における歩行なので分かる。周囲を見渡すのも、スペースノイドにとっては聖地とも呼べる地球を初めて、目で見たので分かる。だけど、手を握り締めるのだけは、よく分からなかった。落下した時のダメージを確認してる? そんな繊細な奴だったか?
『おいおい、大丈夫かよ。あいつ』
キリーは、別の部下の声が聞こえたその瞬間、ザクバズーカの銃口を部下のザクに向ける。
「名前と所属を言え、聞こえているのだろう?」
『中尉!? な、何を⋯⋯!』
「引け、軍曹。中身が違う可能性がある」
『ば、馬鹿を言わないでくだせえ!』
「引けと言ったのが聞こえなかったのか?」
狼狽する彼に、キリーは彼の機体から離れる事を強制する。
『ら、落下の衝撃で通信機が壊れた可能性がある!』
「その可能性は、私も考えた」
『考えてもみてください! ザクはジオンの虎の子なんですぜ!? モビルワーカーとは訳が違うっ! 鹵獲されたからと言って、そう簡単に乗り熟せるものじゃないと中尉だって分かっているでしょう!?』
「その可能性も、考えた」
彼女の部下の言っている事は尤もな話。それはキリーも認めている。その上で彼女の勘が警鐘を鳴らし続けている。
『⋯⋯オートバランサーを一時停止、前のめりに崩れるように調整、地面に倒れる寸前にオートバランサーを起動し直せば⋯⋯恐らく、行ける』
通信機越しに女性の声が聞こえた。
部下に注意を促す直前、ザクが、まるで糸の切れた人形のように膝から前のめりに崩れ落ちた。やはり、落下の衝撃で機体が不調を起こしていたのか。いや、違う。キリー・ギャレットは喉元まで出掛かった注意喚起の言葉を発せなかった事を後悔した。
そのまま前に崩れ落ちるかと思えた次の瞬間、ザクは大きく一歩、右足を前に踏み出した。速い、今までに見た、誰よりも速いモビルスーツの挙動に、キリーは目を奪われる。引き金を引いたバズーカの弾道は、低く屈み込んだ敵機の頭上を過ぎ去った。
腰から引き抜かれたヒートアックスの赫々とした刃が横に振り払われる。
戦場では、良い奴から先に死ぬとは誰の言った言葉であるか。降下中に落下した仲間を気遣った彼が、結果的に敵機との距離が最も近い距離だった。
削られたザクの表面装甲が宙を舞う。
『想定よりも一歩、距離が遠い⋯⋯いや、モビルスーツ戦だから、これで良いのかな』
敵機の熱刃が通る軌跡は、部下のザクのコックピットを綺麗に抉り取る。爆発はせず、俯せに倒れた。応答は、ない。人類史上初となるモビルスーツ戦、最初の犠牲者は私の部下だった。
「おおおおおおおおおおおッ!!」
様々な感情からキリーは咆哮し、ヒートアックスを振り翳した。
◆
私、メアリーの目の前には、一機の機械人形。そして私と敵機の間で俯せに倒れた機械人形。手斧を構える薄紫色の機械人形の動作を見て、直感的に相対する相手が手練だと見抜く。
「⋯⋯識別色、恐らくエース級。私に勝てる? いや、為せば成る!」
必要な時に必要な決断を、愛すべき義父の教えである。義父は日和見ではあるかも知れないけど、事なかれではない。
まともに戦っても勝てない事を察した私は、右手に握る手斧を横に放り投げる。
唯一の武器を手放した事で敵機のモノアイが手斧に引き寄せられる。数秒の隙、先程の歩行術の要領で、膝抜きからの前傾姿勢、俯せに倒れた機械人形の手斧を握り締める。
そのまま逆袈裟に振り上げるように熱刃を振るった。
だが、手応えはない。
薄紫色の敵機は大きく上半身を仰け反らせて私の一太刀を躱してのけた。大きく身体を開いて隙を晒す私の懐を見て、相手は手斧を片手に一気に距離を詰める。
相手が踏み込んだ、右足に合わせて、私もまた左足を振り上げる。
体重を乗せられていない当てるだけの一撃、だけど突っ込んで来た相手の鳩尾に蹴りを叩き込むことが出来た。
押し返すことは出来ない。ただ止めただけ、怯んだ一瞬の隙を付いて、まだ踏み込んだままの敵機の右足に、私の引いた左足で踏み付ける。
優に数十トンを超える巨体。体重を乗せた関節部への一撃は、容易く敵機の右膝を踏み砕いだ。
「今ッ!!」
姿勢を崩す相手を見て、私は手斧を振り被った瞬間、直感が働く。確信にも似た嫌な予感にオートバランサーを切り、膝を抜いて、全身が地面に落ちる。その頭上を砲弾が抜けていった。遠方に機影、この場にある機体とは、別のスリムな顔付き。右肩に砲身を乗せる薄茶色の機体を見て、直感で、彼が、特別な人間である事を察する。
「誰ッ!?」
──貴様は、誰だ!?
聞こえないはずの声が聞こえた気がした。
『面による制圧を行う! 各位、当てようとは考えるなよ!!』
通信機越しの声。機械人形、一個中隊による絶対不可避の砲撃が襲い掛かった。
◆
史上初となるモビルスーツ戦は、歴史に記録される事はない。
というのも公国軍としては、連邦兵にザクを鹵獲されたという醜聞を自ら晒す事もない。連邦軍としても誰がザクを鹵獲したのか不明であり、初めて見たモビルスーツに乗り込んで操縦し、敵機を撃墜するなんて信じられる話ではない。
記録として残されたのは、通信機に残された音声のみ。正体に関しては、憶測が飛び交うばかりの都市伝説に成り果てる。
数ある説の中で最も有力視されるのは、当時、少尉だったメアリー・スー。しかし、彼女は当時、参謀本部付けになる前提で士官学校を卒業しており、パイロットとしての訓練を受けていなかった。
故に、常識的に考えて、彼女では、あり得ないというのが通説となっている。
◆
⋯⋯タンタンタン。
南米アマゾン川流域、地球連邦軍総司令部の一室で足で床を叩く音が木霊する。地球降下作戦が決行された直ぐ後の事、大将であるゴップは表面だけは取り繕っていたが、机の下で貧乏揺すりを続けている。
彼は、理解している。今、自分に出来る事は、電話が掛かるのを待つ事だけ、作戦を立てるも先ずは情報を精査しなくては始まらない事を彼は理性で知っている。
しかし、しかしである。
地球降下作戦の対象になった拠点の中に、可愛い愛娘が勤務するニューヤークが含まれている。モビルスーツの脅威に関しての報告は目に通している。ミノフスキー粒子が散布される有視界戦闘において、モビルスーツは圧倒的な力を見せ付けた。
連邦軍の兵器の大半は、まだミノフスキー粒子の散布下の状況に対応していない。
故にニューヤークを始めとした防衛設備は今、丸裸も同然の状態に陥っている。
「報告が、入りました!」
ゴップはガタッと椅子から立ち上がり、ガンッと机の下で脛を打った。悶絶するゴップに下士官は狼狽するも一刻も早く情報を耳に入れたかったゴップは「早く、報告を」と震える身体で先を促した。
「はッ! オデッサ周辺の資源地帯、及び、北米大陸の拠点。キャルフォルニア、ニューヤークが共に陥落致しました!!」
「な⋯⋯なんと⋯⋯」
おお、メアリー。あゝ、メアリー。
愛娘を想ってゴップは口から魂が抜ける。
放心する大将に下士官は、慌てふためいて医療班に連絡を入れる。
そして情報は錯綜したまま、連邦軍の上層部に急報が齎された。
──ゴップ、ジャブローに散る!
多くの者が首を傾げる中、この一文だけで事の真相に辿り着けたのは、英国紳士を自称するナイスなミドルガイのグリーン・ワイアット中将だけである。