ノヴィス・ノア郊外。
いわゆるシリンダー型のスペースコロニーというのは、回転筒の上部と下部にそれぞれ大規模な宇宙港がある。輸送面から考えれば必然的に上部と下部にはそれぞれ商業・工場エリアや政庁などが集中することになり、その反面コロニーの中腹部は地価の低い、貧困層向けのベッドタウンと化す。
……いや。ベッドタウンなどという言い方は生易しいな。ここは紛れもなくスラムだ。
宇宙世紀の、コロニー内のスラムというのは、旧世紀的なバラックのイメージとは違う。
そこには上下水道があり、送電網があり、そこに住まう人々は快適な衣食住を持っているのだ。
だが彼らは紛れもなくスラムの住民である。スペースノイドの職と居住は常に不安定だからである。
十分な教育を受けておらずスキルも未熟な労働者は低賃金労働に押しやられ、一度収入が破綻すれば空気税や住民税などの租税が払えなくなる。
そうなると残された選択肢は二つ。コロニー公社や木星船団公社や連邦軍、はたまた小惑星鉱業関連企業などに『合法的に』身売りするか、無戸籍者となり小綺麗なスラムにとどまってインフォーマルセクターの経済活動に従事するか、だ。
そしてコロニーのメンテナンス事業やスクラップの再利用業者、消費財を作りだす小規模な手工業・軽工業の労働力もまた、こうしたスラムから供給されるのである。
ま、経済雑誌からの受け売りだけどね。サイド3ムンゾのお上品な地区で育ったわたくしはそのへんの実態を存じ上げませんので。
なんならサイド3のスラム問題や貧困問題は一時的にとはいえ解決しつつあるぐらいだし。それはギレン・ザビによる強圧的な手腕によって――つまり軍需産業の拡大と徴兵法の制定というカンフル剤によって、浮浪者を軍隊に収容しているだけなんですけども。
え、その財源はどこから出ているかって? ……スペースノイドって、移民とコロニー維持のために連邦当局から膨大な借金を背負わされてるんですよ。というか地球連邦政府自体がコロニーごとに課した『三世代ローン』*1の証券から生まれる狂気的なマネーサプライで宇宙移民事業を回してる破綻寸前国家でして。それを差し押さえてね、サイド6の銀行を通してごにょごにょすると、ね……。
ただでさえ成り立ってるのか怪しい債権でそんな火遊びをしたら、戦後の地球圏経済はどうなっちゃうかって? どうなっちゃうんだろうね……アハハ。
お気が付きになったでしょうか。ジオン公国が軍事力だけで経済をぶん回してる独裁国家だと思っていたら、地球連邦自体が軍事力で信用が終わってる債権をぶん回してる失敗国家だったのでした。笑うしかねぇや。おーっほっほっほっほー!
ちなみにこれも経済雑誌の受け売りです。わたくしの金融リテラシーは前世どまりなので、宇宙世紀の複雑な経済理論はちんぷんかんぷんでしてよ~。
もっとも、突き詰めてしまえば根底にはマルサス的な人口論と資源分配のお話があるのは前世とさして変わらない。むしろ地球連邦の政策は、極貧を搾取し続けることで地球圏のごく一部の自由世界を維持しているだけであり、それは農奴制然り歴史を俯瞰すれば珍しいものではない。ギレン・ザビ――ひいてはスペースノイドの第二・第三世代がいったいぜんたいなにを問題意識としており、その結果なにをしようとしているのか? というわけである。
さて、デュバルを引き連れてわたくしは街角を曲がる。
そこにはわたくしの箱庭がある。ア・バオア・クー内の工場がわたくしの軍事的プレゼンスを生み出す鉱山ならば、ここはより人の深奥に近い果実を産む果樹園だ。
すなわちここはニュータイプ研究所、その本部である。
◆
ニュータイプ研究所、通称クルル機関。
現在では正式にわたくしがその所長に就任し、サイド6本部には所長代理として二名の人物が常駐している。一人はフラナガン博士。もう一人はアストライア・トア・ダイクンだ。
「クルルさん、お久しぶりです」
「アストライアさま、ごきげんよう。お元気そうでなによりですわ」
変装のために髪を染色した女性、アストライアがわたくしを出迎える。
クルル機関は大きく二つの部門に縦割りして組織させている。フラナガン率いる研究部門と、アストライアに運営権を与えた、被験体――チルドレンを集めてその面倒を見る孤児院のような部門だ。
こうした組織化にはもちろん理由がある。それは研究者連中の暴走を防ぐためである。
まずもって、チルドレンたちは基本的に孤児出身だ。この宇宙世紀は一年戦争が始まる前から孤児が溢れかえっている寒い世相なのだ。わざわざ親御さんがいて豊かな生活を送っている子供を誘拐するようなアホな真似をする必要はない。児童労働が常態化している場所は採掘惑星や農業ブロックなどいくらでもある。
もちろん地球連邦政府は児童労働を禁じているが、悪辣観だが巧みな法制度・構造的差別によって、孤児らは『適法な』年季奉公……実質的な奴隷労働に従事している。 人道上の観点という大義名分を振り回して才能ある子供だけ引き取るのはわけないことだった。
ではここでクエスチョン。ろくな教育も受けておらず保護者もいない、自分の身を守るすべを知らない子供たちをニュータイプ研究者にポイッと投げ渡すとどうなると思いますか? 正解は違法な薬物実験や解剖が平然と行われる、でした。
十分な教育を受けた大卒院卒の公民たる研究者たちがですよ、倫理原則ガン無視で違法な人体実験したがるんです。わたくしが一体何人の研究者を公益通報でしょっ引いたとお思いですか。もう終わりだよこの宇宙。
根本的な原因を求めるならば、連邦政府が社会統合に失敗して経済格差も放置しているせいで人心が荒れに荒れて、社会エリートに十分な倫理観を根付かせる高等教育プロセスが破綻してる……みたいな話になるんでしょうけど、そんなんわたくしにはどうしようもねーですわ(笑)
そんなわけで彼らの暴走を防ぐために孤児院部門という枷を作ることにしたのだ。児童福祉の人員を雇いいれ、彼らに子供たちの人事権を与えれば必然的に非人道的な実験は抑制される。二つの部門で権限を相争わせ、分割して統治せよってこってす。
「また大口の支援をいただけることになったんです。子供たちを受け入れられる数も増えて……孤児院も新たな支部を作れそうです。これもクルルさんのご支援のおかげです」
「あ、いえいえそんな。わたくしはやりたいようにやってるだけですので……」
元来善性なアストライアという女性は、キャスバルやアルテイシアが壮健であると知ると、孤児院運営に精力的になった。本来は浮いた駒であった彼女を適当にわたくしのテリトリーに差し込んだだけだったのだが、思わぬ収穫かもだ。
……いやいやそうじゃなくてね。なんかさぁっ。アストライアの要望に従って、あとわたくしなりに文明人として当たり前のことやってたらさぁっ。……機関が健全化しつつあるんだよね。マジで慈善目的の孤児院みたいになってるっつーか。
あのさぁっ! だって孤児集めて人体実験やる機関なわけじゃないですか? 普通はIRBみたいな第三者機関置いて倫理規定クリアするでしょ。サイド6に本部あってジオンの管轄でもあるわけだから、両方のお役所さん通して予算もらうわけじゃないですか。孤児院部門はNPO法人化してあるから連邦政府からも認可もらわないといけないんですよ!? 事業報告に開示義務があるのにイカれた実験なんぞできるかーい!
たしかに紋切り型のお役所仕事はいつも融通が利かないし、煩雑な規制や規定は現場に則しておらず邪魔くさかったりするものだ。それでも法治主義と近代官僚制による網の目は天網恢恢、社会悪を排して弱者の権利を守るために存在するのだ。……それがまともに機能してないのが連邦という国で、だからこそスペースノイドは戦争すら射程に入れた独立運動をしてるんだけどね。これこそ寒い時代だな、まったく。
「クルル特務大尉殿がこれほどの慈善家であったとは……感服いたしました」
あっ、やばい。ヅダおじさんが普通に尊敬の眼差しでわたくしを見ている。実際に現在進行形でニタ研預かりのガキンチョどもに頬っぺた引っ張られたりしながら遊んでやってる姿を見られてるので言い訳できねぇ。
転生して経験したなかで一番の勘違いモノの波動を感じます。
つーか原作のニタ研はジオンといいティターンズといいなんであんな倫理ガン無視の組織運営できたんですか。戦時中だったから? 軍部預かりだったから? その通りとしかいいようがありませんわねチキショー!
……はぁ。機関が健全化することそのものはいいが、わたくしが善人であるように見られるのは困る。機関上がりの使えそうな人材は手駒として軍人になってもらうつもりだし、いつかわたくし自身に施すために副作用が出ない程度の強化実験はするつもりなんだぞ。
もしこのことがすっぱ抜かれたら「孤児院で経済的徴兵」だとか「慈善家が裏で子供たちに人体実験」とか記事書かれたりしそうだ。どないかせな。
それに、わたくしがいくら統制しようといずれニュータイプ研究は外道外法に落ちるだろう。なにせ、戦争が始まるんだから。
◆
「――さて、戦争はまずもって避けられません。」
その晩、わたくしは機関の運営陣を集めて会議を開いていた。議題は、戦争に向けて機関をどのように振舞わせるか。もともとこの会議のためにサイド6に来たようなもんだしな。
「フラナガン博士? どうですの」
「はい。サイコ・コミュニケーターの基礎理論は完成しました。実地試験はこれからですが……この技術はモビルスーツなどの兵器管制に転用可能であり、すなわちニュータイプ研究は新時代の操作系を示したのです」
フラナガンのその言葉に憂いを覚える者もいれば、高揚を覚える者もいた。それはつまり、機関は戦争と無関係ではいられないということだからだ。
――だが、戦争はもとよりその時代を生きる者すべてを逃がしはしないのだ。
「――会議の結論をまとめましょう。今後の方針です。研究部門、とくに軍事技術関連はア・バオア・クーに移転。こちらは従来通りクルル機関の中核として活動してもらいます。研究部門でも民生関連や孤児院部門は『マルドゥク機関』として独立。サイド6に残すこととします」
喧々諤々の議論ののち……というか実質的にわたくしが経営陣にコンセンサスを取るためだけの議論だったが、会議はわたくしが当初想定していた通りの結論に落ち着く。
民生関係には育ってもらわないとな。これから始まる戦争は、原作知識があってもどう転ぶかわからない。連邦が勝つか、ジオンが勝つか。あるいは痛み分けに終わったり、ずぶずぶと一年を超して続くこともありえるかもしれない。だが、いつかは戦後が来るのだ。そのときのために民生部門にはサイド6に深く根を張ってもらう必要があるだろう。
なお、帰り道ではデュバルがやたらウキウキテカテカしていた。
なんでそんな楽しそうなのん?と聞いてみれば「あのサイコミュというもの……完成の暁にはぜひともヅダに載せましょう!」とのこと。
「デュバルさまは……お元気ですわねぇ」
「いやはや。これもクルル殿がヅダを改修してくださったおかげです。それになにしろ、これから戦争ですからな!」
「……そうですわね!」
ああ。考えてみれば、わたくしは非戦論者であっても反戦論者ではないのだ。一度始まってしまった戦争があるならば、そこで単なる駒の一つに貶められるつもりは毛頭ない。それに、盤上の指し手足らんとすることこそこのわたくし、エウティミア・クルルという女らしい在り方だろう?
ついにヅダの活躍の機会が得られる、ザクへの優位性を示せるぞとデュバルは快闊である。わたくしもそれに合わせ、高笑いをしながらグワジンへ帰るのだった。
おーっほっほっほっほー!
解像度を上げて描写すると末法すぎるぜ地球連邦