己の音色を響かせて 作:匿名
「では、十回連続でタイミングが合うまで吹いてみましょうか」
『はい』
介抱をしてなんとか鎧塚が回復した後、制服に着替えダブルリードの練習教室にて、滝先生の指導が始まった。内容は単純、タイミングを合わせる事、連続十回。一度でもズレれば最初から。俺達は早々に達成し、廊下での基礎練習を言い渡された。だが先輩方はまだクリア出来ていない。最初は順調だったが慢心やら何やらが入るとミスが出てくる。
「…はい。もう一度最初から」
「ハァ、ハァ、く~キツ…」
「ほら、ぼさっとしている暇は無いですよ。さあ、構えて」
「は~い」
教室の中の声がくぐもって聞こえる。岡先輩が苦戦気味なのか不調が声に出ている。その後暫くすると滝先生が教室から出ていき、そのままフルートの教室へ向かって行った。
中を覗いてみればぐったりとした喜多村先輩と岡先輩の姿が。今までとは違う練習に心底疲れた様子。気が乗らなければ練習しなかった弊害を味わっている所だろう。
「先輩、苦しそう」
「あの二人はそこまで熱心でも無かったしな」
基礎練習は重要だ。疎かにすればミスに繋がるし、そこで妥協していたら吹けない曲も出てくる。ファゴットはあまり目立たないからと疎かにしていたツケが回って来たのだ。
ロングトーンをこなしリードから口を離す。次はビブラートだ。これはロングトーンが出来ていないと難しい。水を飲み一息付いていると後ろで誰かがコソコソとしていた。
「おい、そこの二人、何してる」
「ヴェッ!…す、すみません!」
「あわわ……ごめんなさい!」
そこに居たのは一年生二人。見つかった!見たいな顔しやがって。そんな顔するならコソコソしなけりゃいいのに。
「お前等、どこのパートだ?」
「あー、えーっと、低音でチューバやらせてもらってます!加藤葉月です!」
「ユーフォ担当してます……黄前久美子です」
「(低音かよ……)何でここにいる?パー練はどうした」
「それは、その…マウスピース洗ってたら、フルートの人達が泣いてるって聞いて、どんな指導してるんだろうって」
「…ふうん」
わざと不機嫌そうに鼻を鳴らすと更に身を窄める。面白いな、こいつら。もう少しからかいたいが、滝先生にこんな所見られると何言われるか分からないので程々にしておこう。
「あんな風に詰められるとメンタルが弱い人はそうなる。去年はまともに練習して無かったしな。サボってた奴にはいい薬だ」
「それに、今から全国へ行くには足りない物が多すぎる。個人の技量も、時間もな。それを全国行きまで仕上げるなら、そりゃあキツくもなる」
すすり泣きと滝先生の声が聞こえる教室に目をやりながら続ける。
「皆実感が無いのかもな、コンクールに挑むって事に。長くなったな。ほら、さっさと行け。物見遊山して、後で何言われても知らんぞ」
「は、はい!ありがとうございましたァー!」
「ああっ待ってよ葉月ちゃん!…し、失礼しました~!」
スタスタと帰っていく後輩共に笑ってしまう。あいつ、見捨ててったな。ユーフォの奴も可哀そうに。
「意地悪はやめてあげたら?可哀想」
「ハッ、序の口だ。あんな物」
ジト目で告げる鎧塚に、俺はそう返した。
「休日に学校で飯食うのって新鮮だよな」
「そりゃそうだ。今まで休日練習なんて無かったしな」
滝先生が顧問になってから土日にも練習が追加された。と言ってもやる事は変わらないのだが。運動部に混じってグラウンドの全力一周、息を長く遠く出し続ける訓練などパートによって様々だが言われた事をこなしていた。
意外だったのは土日の練習に部員がしっかりと参加していた事。元々やる気のある人間の多い低音やトランペットパートなんかは来るだろうとは思っていたが、遊び惚けてばっかりのホルンやトロンボーンの先輩達が来ているのは予想外だった。全員の前で醜態を晒したのが効いたのか今ではしっかりと取り組んでいるらしい。
滝野と二人でパンに齧り付く。土日まで弁当作ってられるかと母に一喝されたので仕方なくスーパーの手作りパンを購入した。このカレーパン美味え!
「一日にあんなに同じ所吹いたの初めてだわ」
「今そっちはどんな練習してるんだ?」
「全体でこれってよりは個人に合わせた物やってる感じ」
カツサンドを頬張りながら呟く滝野。成程、タイミングやらはクリア済みか。
「滝先生スゲーわ。厳しいけど分かりやすく教えてくれるし、どうしたら良いかをサラッと出すから、上達を感じる」
「へぇ、良い感じなのか」
「練習は良いんだけどな……ちょっと空気がな…」
「何かあったのか?」
「何かあったって訳じゃ無いんだが……」
訳を聞くと一年の高坂の態度に吉川が快く思っていないらしく、頻繁に突っかかるのだと。高坂も結構言葉が強いから中世古先輩を挟まないとやりにくいらしい。
「しかも上手いからさ、注意する事もねぇし下手な事も言えねえしでよ」
「あー、そういう…」
「そうそう。もうちょいふわっとしてくれりゃあ可愛い後輩なんだけどな」
「ふーん。大変だな」
「ケッ、他人事みたいに言いやがって」
暖かな陽射しに当てられた机はほんのりと熱を持っている。このままだと寝てしまいそうだ。眠気覚ましに渋めのコーヒーを飲み干す。
「ふぅーもう腹パンパン」
「だな。午後の練習も乗り切ろうぜ」
「おう」
腹ごしらえを終えた俺達はすぐにゴミを片付けた。
それからも練習は続いた。言われた課題をクリアすれば別の課題が次々やって来る。そんな毎日だが、『出来ない』が『出来る』になる喜びは大きく、初心者が多い一年やサボり気味だった上級生も段々と練習に精を出す様になっていった。『目に物いわす』や『いつかボコる』など凄まじいヘイトを滝先生は買っていたが、そのヘイトが部員の団結に繋がっていくのを感じた。団結力の経緯はどうあれ、それが練習への意欲を呼び今では楽器の音が出ていない教室など無く、嘗て求めていた環境へとどんどん作り変えられていた。
「こっち、問題無し。そっちは?」
「うん。大丈夫」
そしてやって来た合奏当日。皆先生を見返す為に努力してきた。やる気十分と言った面持ちで熱意に満ちていた。
「約束の日になりました。練習の成果が楽しみです。では、お願いします」
クラリネットの先輩が息を吹き込む。チューニングB。前まではまばらなものだったが今では足並みが揃っている。
「……では、始めましょうか」
滝先生が手を挙げ、合奏が開始された。メロディーが奏でられる。リズム良く叩かれるシンバル、耳障りの良いホルン、様々な楽器の音が嚙み合って一体感を感じる。練習の成果か音程のズレも無くタイミングも合っていた。最初のトロンボーンなんざ酷かったのにこうも成長するとは。柄にもなく気分が高揚していた。曲はそのままテンポ良く進み、最後まで中断される事は無かった。
先生が手を止め、沈黙が流れる。この場を緊張が支配していた。ゆっくりと生徒を見渡した後、先生は笑顔で告げた。
「いいでしょう。細かい事を言えばまだまだですが、皆さんは今、合奏をしていましたよ」
緊張が解け、喜びに溢れる。先生の及第点には立てたのだろう。ホッと一息だ。
先生はその後サンフェスに向けた練習メニューを部員に配った。目を通せば休みなんて一日も無い。土日も夕方までビッシリと練習が組み込まれている。去年が酷かった分形なれば良いと思っていたが、これなら良い物が仕上がるかもしれない。そう思うとやる気が湧いてきた。
「譜面は明日配るので楽しみにしておいて下さい。さて、残された時間は多くはありません。皆さんが普段ドブに捨てていた時間をかき集めれば、これ位は余裕でしょう」
ああ出た、先生の毒舌。良い感じの空気だったのになぁ……
「サンフェスはお祭りですが、有力校が集まる貴重な場です。これを利用し、今年の北宇治は違うという事を知らしめるのです」
「でも、今からじゃ……」
「出来ないと思いますか?私は出来ると思っていますよ。なぜなら私達は全国を目指しているのですから」
そう信じて語る滝先生。この人の元でなら全国を、金を獲れるかもしれない。
気が早いかもしれないが、そう思うと俺は顔のニヤつきが止められなかった。
「それでは、無事サンフェスに出られるという事で、かんぱーい!」
『かんぱーい』
「…乾杯」
北宇治高校からアクセス良好なこのファミレスは値段も安く美味しいと評判である。
我々ダブルリードパートの四人はテーブルを囲みそれぞれドリンクの入ったコップを持ち乾杯していた。
「最近良い事無かったし、折角OK出たんだからパーっとやろうと思ってね!」
「そうそう。ここらでガス抜きにでもって思ったのよ」
「今日は私達の奢りだから、どんどん食べてね!」
ここは学生に優しいし!声高らかに言う喜多村先輩と此方におしぼりを渡す岡先輩に二人でお礼を言った。
「すみません。わざわざこんな……」
「いーのいーの。二人共一年の頃から頑張ってたし、歓迎会みたいなのも出来てなかったしで丁度いいって思ったとこだから。ほらじゃんじゃん食べなさいよ」
「…ありがとうございます」
そう言ってピザやらチキンやらを此方に寄せる岡先輩。鎧塚はドリアに手を出しており熱そうにしながらも口いっぱいに頬張っている。
「みぞれちゃん良く食べるねー。ちょっと意外」
「……すみません」
「ああ気にしないで。その方が奢り甲斐あるし。ポテトもどう?」
「……頂きます」
「はい、どうぞ。フフ、かわいい」
「これからは休日も練習ビッチリだから、今の内に堪能しましょ」
パクパク食べる鎧塚が面白いのか次々と鎧塚の前にポテトを差し出す喜多村先輩。餌付けしてるみたいだ。それを見ながら俺もピザに手を伸ばす。
「ん、美味いですね。このピザ」
「コレ前から食べてみたかったのよ。ん~~!チーズとろっとろ!」
岡先輩も同じピザを手に取る。チーズがふんだんに使用されているこのピザは一口だけでも十分にチーズのうま味を感じられる。上に乗ったブラックペッパーも効いていて良い味を出している。
友達と店に入ったのなんて何時ぶりだろうか。ましてや部活の先輩と行ったのは今回が初めてではなかろうか。我ながら自分の交流の浅さに苦笑する。自分にも後輩が出来たらこうやってファミレスに連れて行くのもありかな。そう思いながらコップに口を付ける。こういう空気も悪くない。今度誰かを誘ってみようかなんて考えながら次の皿に手を伸ばした。