「つまり、我々はアレに乗り込むというわけだ」
月ノ瀬観音はそう言いながら澄んだ青空を指差した。つられて一同が空を仰ぐ。
うろこ雲の混じった青空から、いくつもの黒いバツ印が降りてくる。地表に近付くにつれて、白い円筒形の巨大な構造物の姿があらわになる。観音の指すアレとは、Xのシャトルだ。そしてもちろん、バツ印の正体は円筒に刻まれた黒いXの一文字。シャトルは下部からスラスターを噴射しながら、地上の補給基地に降りてゆく。
シャトルは等間隔に次々と降り立ち、地表のアームに掴まれると円筒の半分を占める積荷のモジュールを手際よく交換する。その間に燃料の補給も受け、瞬く間に飛び立つ。自動化された一連の動きはモータースポーツのピットストップさながらのスピードであり、シャトルが接地している時間は10分にも満たない。
数珠つなぎになったXの鎖は一糸乱れぬ蟻の隊列のように黙々と資材を低軌道上の中継ステーションまで運び続ける。シャトルは中継ステーションで積荷を空のモジュールに換装すると、すぐさま落下し、地表に舞い戻るのだ。
宇宙開拓の浪漫とは無縁な機械的な作業がそこにあった。
慶子だけはその見飽きた光景を目に入れないようにしていた。コーヒーの注がれたカップを持ったまま、くゆる湯気に視線を落とす。こわばった顔が黒い液体に浮かぶ。慶子は表情を隠すようにカップに口をつけた。私がうつむいてどうする。しゃんとしないと。
「へ?乗る?あれって乗れるの?」
空を見上げて呆けていた天野はるかが、遅れて驚きの声をあげた。
「慶子君。まさかとは思うけど、はるか君にきちんと説明しないで呼んだね?」
「いえいえ。美味しいビールを飲みに宇宙まで行きませんかと、ちゃんとご説明しました!」
怪訝そうな視線を送られた慶子が慌てて答えると、観音は大きなため息をついた。
「間違ってはいないけれども。その説明だけで来てしまうはるか君も大概だね」
「もしかして、わかっていないのは私だけ?」はるかは不安そうだ。
「私もわかんないでーす!」
「あなたは聞いてなかっただけでしょう!」
目を丸くしているはるかに沖野まひろと広瀬が調子を合わせる。
慶子は少し頬が緩むのを感じた。
「美味しいビールを求める気持ち、大切にしたいですね」
「僕はそういう意味では言ってないのだけどね」
ひとり合点した顔で頷くユイ・アラモードの姿に、観音は額に手を当てる。
「よくもまあ珍妙な組み合わせを集めてくれたね、慶子君」
「珍妙だなんてとんでもない。ええ、皆さんお越し頂きありがとうございます」
改めて一同に向き直る。道連れに選ばれたはるか、観音、ユイ、まひろ、広瀬、そして慶子を合わせた6人は補給基地にほど近い喫茶店のテラス席で膝を突き合わせていた。
慶子の職場があるヤマナシディビジョンは盆地の底にあり、秋口でも昼間は暖かいが、テラスには彼女たち以外の姿は見当たらない。シャトルが発着する様がよく見えるこの喫茶店は、慶子が『計画』を披露するのに好都合だった。
広瀬が遠慮がちに口を開く。
「あのう。そういうわたしも実はよくわかっていなくて。もう一度教えて頂けますか?」
まひろは広瀬をひじで小突いてみせた。
「もちろんです」慶子は咳払いして答えた。
「私が宇宙事業の、ある要職に就いたことは、お話した通りです。惑星地上作戦群PLOGの当初の目的は、惑星地表面での作戦遂行に必要な人員・資材の整備と調査。また地球国土での宇宙プラットフォーム―つまり補給基地ですね―、これらの管理でした。そしてご存知の通り」
慶子は思わずまひろを見やる。彼女は広瀬にちょっかいを出すのに夢中な様子で気付いていない。あるいは、気付いていないふりをしているように見えた。
まひろは実業家Xの保有するコングロマリットに在籍している。雇われ人としてXに特別の忠誠を誓っているわけではないと、本人も彼女を連れてきた広瀬も話す。
一方でXは管理職を通じた体制をあまり信用しておらず、社員ひとりひとりからの報告を収集しているともとも聞く。Xは直属の上司とも言えるのだ。つまり、まひろ次第でXに計画は筒抜けという可能性もあった。慶子は彼女のことを信じたかったが、まだ確信を得られてはいなかった。
「私が就任した翌日にXと合衆国大統領の不和が起こり、事態は一変しました。官民共同の宇宙開発コンソーシアムは空中分解、地球外での作戦遂行の計画は白紙となり、調査のための予算も引き剥がされました。今ある人員だけで補給基地の監視を維持しているのが現状です」
「慶子君はそういうところがあるからね」
観音の苦笑はもっともだった。新事業は博打のようなものだ。当たれば大きいが外れても大きい。どちらにせよ難行苦行は避けられない。そして硬直的な組織、慶子の属するような組織は特に、この大役を経験者に与えたがる。
慶子は新事業を軌道に乗せる、数少ないスペシャリストのひとりというわけだ。比喩でもなく軌道から突き落とされたという意味で、PLOGは最悪のポストであった。
「まひろ君、何か言いたいことは?」
「ノーコメントです」まひろは短く舌を出してみせた。その真意は読めない。
「ケーコちゃんが大変なことになっているのはわかったのだけど」
はるかがおずおずと手をあげる。
「それと美味しいビールにどんな関係が?」
「私が説明しましょう!」
ユイは勢いよく立ち上がると身を乗り出して手を突き上げた。
観音は小さく「始まった」とつぶやく。
「ここヤマナシディビジョン、そして宇宙といえば!うちゅうです。うちゅうはうちゅうでも、宇宙ではありません。いや、正確には宇宙でもあるのですが」
はるかが目を白黒させるのを見て観音が助け船を出す。
「はるか君、うちゅうブルーイングのことさ」「ああ、あの!」
「そうです!うちゅうブルーイング。自社栽培のホップに並々ならぬこだわりを持ち、最先端の醸造技術獲得に余念がない、ジャパンにおいて有数のクラフトビール醸造所!
Xによって宇宙開発が進み、かつて国際宇宙ステーションなどがあった低軌道上は中継ステーション以外だけではなく、民間にも門戸が開かれました。それを黙って見ているうちゅうではありません。彼らは昨年とうとう宇宙空間に進出し、宇宙で初めてビールの醸造をやってのけたのです。その味はまさしくギャラクシー級で大ヒット!さらには新たに開発された無重力醸造法によって生産量と品質が安定したことで彼らのビールはより安価に、気軽に手に入るようになりました」
ユイは身振り手振りを加えながら、一息にまくしたてる。ものすごい熱量だ。
「でも最近は店頭に並んでいるのを見ないですよね」
広瀬の合いの手にユイは大きく頷いた。
「そうです、そこでまたXの登場です。慶子さんがお話されたように、2か月前に彼は宇宙事業から自社以外のアクターを全て締め出しました。当然、それらのアクターには低軌道上のステーションに設けられたうちゅうブルーイング宇宙支店も含まれます。X本人が味を気に入ったのか、それともただの気まぐれか、醸造中止には追い込まれなかったものの、地表の一般人の元にはビール一滴も届かない状態が続いています」
「本当に醸造は続いているのかい?」観音が尋ねる。
「ええ、私も不思議に思いました。聞いたところによると、ブルワー―ビールの職人のことですね―は、全員地上に降ろされ、醸造所は無人のはずです。彼らもさぞ無念だったことでしょう。しかし!Xらが管理する専用のホームページでは醸造が続いていて、新しいバッチもリリースされていることが確認できます。どうやら特定の人々の手には実物も渡っているようで、もちろんダミーの可能性もありますが、それにしては手が込んでいる」
「無人で醸造することなんてできるの?」はるかは首を傾げた。
「可能か不可能かで言えば可能でしょう。彼らのこだわりぶりからすると想像しにくいのですが、宇宙進出をきっかけに工程の多くを機械化したとも考えらます。仮に人の手が必要だとしても、最近の高度なロボットであれば代替可能と言えます。ブルワーの管理なく醸造されたものがうちゅうのビールと呼べるのかはクエスチョンが付きますが、それはそれ。醸造は続いていると考えるのが妥当かと」
慶子は少しだけコーヒーに口をつけて、ユイの続く言葉を見守っていた。
「そして極めつけはリストです」
「リスト?」
「シャトルで中継ステーションに送られる積荷リストの中にあったのです。ビールの材料が。モルトに酵母、大量の水、そして量が少ないのが気になりますがもちろんホップまで。パンを焼いている可能性もあります、それはそれで面白いのですが」
「ユイ先生、どうしてそんなことを知っているのですか?」
広瀬はユイと慶子を見比べながら言った。彼女は機密保持に心配しているのだろう、慶子は小さく首を振る。
ユイは広瀬の戸惑いに気付かない様子で続けた。
「シャトルの積荷リストは一般公開されています。私は単にうちゅうの宇宙進出から現在までの積荷を確認しただけです。量の増減はありましたが、ビールの材料は確実に運ばれ続けています」
慶子も補足を加える。
「積荷については私も確認しました。ビールの材料はここヤマナシディビジョンの補給基地からシャトルで運ばれています。もちろん、これも機密ではありません」
慶子は興奮した面持ちのユイを見つめた。ことビールが関わる時には裏表のない人だ。『計画』を具体的なものへと肉付けしたのは彼女でもある。リストの話を出した時、ユイは全ての符合が揃ったかのように吠えたのだ。そして目的地を『うちゅう』にすることを提案してきたのだった。
ただユイがいかに情熱を燃やしているとはいえ、また機密ではないとしても、一般公開されている膨大なリストからビールの材料を見つけ出すのは至難の業だったはずだ。
モルトや酵母は宇宙港の建設にしては異色の『資材』だったが、リストにそのまま名前が書かれているわけではないので見つけるのは難しい。Xは自社のデータ利用を厳しく制限しており、AIを用いて手っ取り早く検索することもできないのだから、尋常ではないマンパワーが必要となる。
加えて、それぞれの材料は同時に運ばれておらず、ユイの指摘を受けるまでPLOGで実物を確認している慶子でさえも、その存在に気が付かなかった。ユイのビールへの執念に慶子は頭が下がるのを超して末恐ろしさも感じていた。