「名実ともに、幻のビールになったという訳だ」
観音は不満そうな顔でつぶやいた。
「うちゅうと宇宙。届きそうだったその両方を、これほどまでに人類の手から遠ざけるとはね」
「まひろさんは何かご存知なのでは?」
ユイはどこか値踏みするような声音で尋ねる。
「私はビールに関してはあんまり。いわゆる独占の話もたくさん耳にしますが、社内よりもSNSやお客さんから質問されて初めて知ることの方が多いくらいです」
まひろは涼しい顔でのらりくらりと答えた。あくまで真正面から回答することを避けたいのか、単に彼女の性格によるものか、慶子は掴めない。ユイも納得していない様子だったが、それ以上追及しようとはしなかった。
「でもロボットが醸しているかもしれないなんて面白いですよね」
広瀬は目を輝かせながらいったが、すぐに「すみません面白くなかったです」と顔を伏せ小さくなってしまった。まひろはこめかみに人差し指を立ててピストルを撃つ真似をして、赤くなった広瀬をさらにからかってみせる。
二人の性格は正反対もいいところだが、慶子はその仲に偽りはないように思えた。
はるかは咳払いをしてから慶子に尋ねる。
「だんだん掴めてきた気がするけれど、ケーコちゃんのお仕事とビールにどんな関係が?」
観音は「わかってるくせに」と言いたげに、片眉をあげてみせる。
「答えはシンプルだよ、はるか君。さあ慶子君、この続きを説明してくれたまえ」
ビールの話を再開しようとするユイを手で制止しながら、観音は慶子に促した。
「はい。私の業務の話に戻りましょう。PLOGでは積荷リストを事前の申請として受け付け、補給基地に運ばれる実際の資材と照合することで、シャトルに過積載がないか確認しています。これまで申請の違反があったことは一度もなく、確認も半ば形式的なものです。ただ、気になる点が」
「というと?」
「数が合わないのです。検問を通過する際、申請を受けている資材より少ない量しか積まれていないことが多々ありました。具体的に言えば、シャトルが10回打ち上がる毎に重さ500kg、モジュールにしてコンテナ2つ分足りないのです。足りないこと自体に規則性がある代わりに、足りない物資に共通点は見受けられません」
「それは妙な話ですね」
広瀬はまひろに視線を投げたが、何も答えず彼女はかぶりを振った。
「そうなのです。シャトルのペイロードにすれば500kgは僅かなものですが、積み上げれば燃料のコストだけではなく、余計な課税も軽視できない額になります。そこで観音さんとこの話をしていたのですが」
「これは見落としか、意図的な見過ごしのどちらかだね」観音が続ける。
「ひとつの可能性は単なる見落としだ。シャトルへの積み込みに限らず、Xはロジスティクスのあらゆる工程を機械化し自動化しているだろう?そして自動化された積荷の管理も、自動だ」
「人間がチェックしていないってことですか?」広瀬が尋ねる。
「その通り。人間にはミスが付きものですから」まひろは他人事のような調子で答えた。
「とはいえ貨物をいかにモジュール化して効率化していても本来、積み込みは複雑な作業を伴う。モノの形は常に一定なわけじゃないからね。特に宇宙港なんて前例のない超巨大なプラットフォームを整備するとなれば必要な資材も頻繁に変わるだろう。そこにきて作業も自動化、管理も自動化。これで何が起こるかと言うと、大規模な見落としだ。オートメーションはヒューマンエラーが無い代わりに、新しい指令を受けなければ、同じエラーを吐き出し続けることになる」
「Xか彼に近い誰かが気付かない限り訂正されることはない、と」
ユイはまひろを見ながらいった。
「恐らく、ね。慶子君たちにもこの事実を伝える義務はないしね」慶子も頷く。
まひろは躊躇いがちに口を開いた。
「ボスは人間を信用していないのと同じくらい、いやそれ以上に、政府を信用していません。コストの中でも、税は彼が最も忌み嫌うコストです。課税状況のスクリーニングを定期的に行っているので、もしこれが見落としだとすれば、訂正されるのも時間の問題でしょう」
まひろの言には説得力があったが、慶子はその口調に彼女らしくない冷徹さを感じた。皆も同様にそれを感じ取ったのだろうか、テラスにはどこか重苦しい空気が流れる。まひろは肩をすくめてみせた。
「観音さん、ふたつめは?」少しの間をおいて、はるかは再度切り出した。
「意図的な見過ごしだね。こちらの方が見落としよりも遥かに合理的な説明がつく。換言すれば、Xは敢えて多めに申請を続けているというわけだ。補給基地に発着できるシャトルの数と、それに積載可能な積荷は申請によって制限されている。こういった政府の規制につきものだが、一度決まってしまった制限や定量を変えるのは天地をひっくり返すくらい煩雑な手続きが伴う」
慶子は大きく頷いてみせる。
「Xが宇宙事業の全てを牛耳っているとしても、形式的だとしても、安全に関する規制は厄介なものだ。そして、まひろ君の言った通り、彼は人間嫌いの合理主義者だ。だから積載量が増えることを見越して、常に多めに申請しているのだろう。その度に生じる再申請の手間を減らすために」
観音はカップに口をつけてから続ける。
「あるいは、積載の効率化を進めた結果として空きができただけかもしれない。工程の全てが自動化されているのであれば、シャトルに載せる分をその他の調整なしに埋めるわけにもいかないからね。いずれにせよ、申請を減らして将来の事務コストを増やすことは避けたいのだろう」
「ははぁ」
はるかと広瀬は大層得心したという顔で息をついた。
「ははぁではなくて、ここからが本題だよ。慶子君、本当に話してなかったのだね」
「そうだったかな。いや、そうだったかもしれないですね」
観音の指摘の通り説明しなかった、わけではなかった。が、慶子が詳細を省いていたこともまた事実だった。慶子には、はるかをはじめとする友人たちが誘いを断ることがないという確信があった。一方でこの『計画』について吟味し信頼してもらうためには、面と向かって話す必要があるとも考えていた。最終的には、彼女たちの意志で参加してもらわなければ意味がないのだから。
「ケーコちゃんのお仕事が大変なことはわかったし、うちゅうのビールについてもわかった。シャトルに空きがあるのもなんとなくわかった!それで?」
「ええ、観音さんが仰ったようにここからが本題なのです。シャトルは宇宙港の建設に必要な資材に限らず、食品や生体サンプルといった有機物、平たく言えば生ものを安全に運ぶ機能を有しています。もちろん、人間も含めて」
観音はもう一度、補給基地に降り立つシャトルを大仰に指差した。今度は慶子も目を向けながら、「あれです」と答える。
「ちょっと待って」
はるかは何かに気付いたように声をあげた。
「まさか、まさかとは思うけど」
「ええ、そのまさかです」慶子ははるかに頷いてみせる。
「シャトルに乗って、うちゅうのビールを盗みに行くってこと?」
暫しの沈黙が流れた。
「はるか君、見損なったよ」「先生それはないです」「誓って盗みはやりません」
非難轟々とはこのことで、皆口々にはるかをなじった。まひろでさえ、あり得ないと顔をしかめてみせる。
「え?違うの?今までの流れで?」
「どういう流れなんですか」
「だって観音さんがあれに乗るって言うから」
はるかは「みんなひどい!」とむくれながらシャトルを指差した。観音が答える。
「焦っちゃいけないよ、はるか君。シャトルに乗り込むところまでは合っている。ただ、我々がやろうとしていることは全て違法な行為に含まれない」
「違法な行為って」「法に抵触するわけではない、ということです」
はるかを遮るように慶子が答えた。
「僕達はヤマナシディビジョンのどこかで偶然にも迷子になって、偶然にもシャトルの空いたモジュールに入り込んでしまって、中継ステーションでも迷った挙句、偶然にもうちゅうに運ばれてしまい、偶然にもそこにあった飲み物を口にしてしまう。それだけのことさ」
「なるほどなるほど偶然に偶然が重なってしまうと。一体それのどこらへんが合法なの?」
頬をふくらませるはるかに、観音はわざとらしく咳込んでみせる。
「ちょっと違う。僕は合法とは言っていない。違法ではないと言ったんだ」
はるかは仕返しとばかり呆れた顔をみせた。
「まあ、そう怪しまずに聞きたまえ。第一に、補給基地とシャトルはXの所有物だ」
「ケーコちゃんたちが管理しているんじゃないの?」
「我々はあくまでシャトルに積み込まれる、とされる資材を把握しているだけです。補給基地自体は国有地ではなくXの私有地で、隣接する形でPLOGの敷地があり、資材はそこを通って運び込まれるということになっています」
「なっている、ということは違う場合もあるってこと?」
「あるかもしれません、が実際のところ、我々はシャトルに何が積み込まれているかを把握する術をもちません。もし仮に積荷リストと異なるものが積み込まれていると明らかになっても、残念ながらPLOGや政府は手出しできないでしょう」
「つまるところ、ジャパンの政府は補給基地への立ち入りやシャトルへの迷い込みを積極的に罰するインセンティブを持たないわけだ。公権力が及ぶ範囲ではないからね」
「ふーん」はるかは腑に落ちない様子だ。
「私有地に迷い込むのは?不法侵入じゃないの?」
「それについては緊急避難やら自救行為やら、違法性阻却事由のナンタラだよ。ねえ、広瀬君?」
「はい。ええっと、わたしたちは例えば、そう。熊に追いかけられます。熊から這う這うの体で逃げ出したのです。方向もわからなくなって困り果てていたところ、補給基地の巨大な発射台を目指して避難したわけです。私有地へ迷い込んだのは不可抗力です」
突然振られた広瀬はあたふたと言い訳を紡ぐ。はるかはあんぐりと口を開けた。
「もうちょっと、なんとかならなかったの?」
気まずそうにする広瀬をかばうように、まあまあと観音が続ける。
「熊の話を使うかどうかは別として、もっと大きな視点に移ろう。宇宙空間は国際宇宙法上—もっとも国際宇宙法がこの状況下で権威が残されているか疑問だけれども―、人類の共有財産として扱われる。いかなる国家も個人も占有できない、とされている」
「Xによる占有こそが合法じゃないから、シャトルに乗り込むのは違法ではないってこと?」
はるかは観音に先回りして尋ねる。
「かいつまんで言えばそんなところさ。とにかく、僕達がお縄につく可能性は低いということだ」
「大体わかりました。けどケーコちゃん、そもそも基地に忍び込むことなんてできるの?」
「はっきり言って警備は驚くほどザルです。人間の警備員がいないのですから」慶子が答える。
「四つ足のおっかないロボットとかが歩き回ったりはしていないの?」
「Xは数多のテクノロジー企業を傘下に収めていますが、お世辞にもロボティクスが強いとは言えません。特に自律型のロボットと自社インフラの統合はうまくいっていないようです」
慶子の説明にまひろは曖昧に頷いた。
「PLOGの建物からもよく見えるのです。彼らの警備ロボットが何もないところで止まってしまっているのを。ロボットがロボットを介護しているのはちょっとした見ものですよ」
慶子はその光景を思い出しながら苦笑した。動画に撮ってSNSに上げてしまいたいと何度思ったことか。ようやく、そんな苦汁をなめる日々も終わる。いや、終わらせてみせる。
まひろも手をひらひらと動かして、恐らく、消極的に肯定してみせた。
「シャトルは本当に安全なの?」
「シャトルも積荷も名声も、Xにとって大事な資産さ。厳密に言えば積荷と旅客用のモジュールの違いはあるけれども、何度も人間を送り届けている。安全性と耐久性は折り紙つきだ。僕も気に食わないが、この星の他のどんな宇宙船より安全だと言い切ってもいい」
観音は見透かすような目ではるかを見据えて付け加える。
「それに安全性とか、そういう問題なのかい?」
はるかは口をとがらせる。
「何もかも、お膳立ては済んでいるってことだね」
観音は両肩をあげてみせた。
「そうだ。据え膳食わぬはなんとやらだ。でも敢えて聞こう、他に問題は?」
「あるけど、ないです。Xの基地に忍び込んで、宇宙までビールを飲みに行く。どう考えても突飛で無謀な計画は、問題とは言えないみたいだから」
はるかはとうとう観念したかのように大きなため息をもって白旗を上げた。
「その通りですとも!万難を排してでも飲みに行く価値はあります。いや、こう言うべきでしょう。行かなくてはならないのです!」
黙していたユイが威勢よく答えた。うちゅう行きが相当に待ち遠しいのか、目には怪しい光を宿し始めている。その前のめりな姿勢はとても頼もしいが、慶子はわずかに不安を覚えた。
「ユイ先生はそうだろうけど、観音さんは?他の皆は?」
観音は腕を組むと不遜な笑みを浮かべた。
「この僕が、こんなに面白そうなイベントを見逃すわけがないだろう?宇宙にまで飛んで美味しいビールを飲んで、あのXの鼻を明かしてやるんだ。これより愉快なことなんてそう何度も拝めるわけじゃない。何より、これは慶子君の発案なんだ。見届けないわけにもいかないだろう?」
観音は慶子の案だと強調しながら、ウインクしてみせる。彼女が単なる責任逃れのためにそう言ったわけではないと、慶子は理解した。この計画に私が託しているもの、託したいもの。言葉にしていなくとも、見抜かれていた。全く、観音さんには敵わない。
「まひろちゃんは、いいの?」
「私は楽しいこと第一主義なので!もちろん行きます!」
まひろは不安をおくびも出さずに、あっけらかんと答えた。
はるかは、まひろが上司であるXとその体制に歯向かうことになることを案じているのだろう。慶子にとってもその点が特に気掛かりだった。Xが反抗的な人間、しかも内部の人間をどのように扱うのか、想像するだけでも恐ろしい。少なくとも、慶子が組織に背を向ける以上の苛烈な報復が待っているに違いない。報復を恐れる方が自然のはずだ。
ゆえに慶子は、広瀬からまひろを連れてくると聞いた時から、彼女について疑念を抱えていた。そして疑念だけではなく興味も。慶子とまひろ、属している組織や境遇は真逆であっても、この計画がもたらすであろう結果は近しいのだから。
「まひろ君、本当にいいのかい?」
観音は挑発するように腕をクロスさせながらいった。
「誰だって楽しいはずです、上司の吠え面を見るのは」
まひろも負けじと不敵な笑みでいった。はるかも観音もその答えに満足したようだ。
直接言及することを避けているのは気になるが、慶子も彼女は信頼できるように感じられた。
少なくとも、今のところは。
「わたしも、宇宙に行ってみたかったんです。皆さんとご一緒したいです!」
広瀬も続く。良くも悪くも彼女は不安要素ではなかった。はるかや観音に盲目的なきらいがあるが、彼女は明らかに隠し事ができない性格の持ち主だ。Xに近いまひろを計画に引き入れるためにも、また、まひろの意図を探るためにも、広瀬は必要だった。
彼女たちを巻き込むのが吉と出るか凶と出るか、損得勘定をしている自分に後ろめたさを感じるのは、気のせいだろうか。
「ケーコちゃん」
改まった様子のはるかに呼びかけられて、慶子はどきりとした。彼女のいつになく真剣な眼差しが、慶子の胸の内を見定めるようとしている。
「ケーコちゃんはいいの?私たちは観音さんが言ったように、どうとでもなるかもしれない。でもケーコちゃんは違うんじゃないかな?」
はるかの指摘はもっともだった。そして、彼女はあくまで慶子を気遣ってそれを聞いているのだ。覚悟はあるのかと。だからこそ真正面から答えなくてはならない。
「はい。この計画が成功しても失敗しても、私は難しい立場に置かれるでしょう。それは理解しています」
はるかは静かに慶子の言葉を待った。
「それでも、私は行きたいのです」
ほんの僅かな間だけ、はるかの顔が曇ったように見えた。
何が足りなかったのだろうかと、慶子が言葉を紡ぐ前にはるかは
「ならしょうがないね」
と小さく微笑んだ。そして、
「ケーコちゃん、私も連れてって」
はるかに憂いの表情はもう見えなかったが、それが見間違いだったと慶子には思えなかった。
欲しかった答えのはずなのに、胸をなでおろすができなかった。
「満場一致、すばらしい!我々は運命共同体と相成りました!」
そのまま飛んで行きそうな勢いでユイが立ち上がると、空になったカップたちが大きな音を立てた。それを合図に、皆も一様に立ち上がる。
「それで、いつ出発するの?」はるかが尋ねる。
「もちろん今からさ!まひろ君も言っただろう?Xは待ってくれない。さあ善は急げ、だ!」
こうして女6人の、うちゅうへの旅が始まった。
幻となったビールを求めて、宇宙まで駆けるのだ。
戸惑いを振り払う猶予は、残されていなかった。