「ケーコちゃん、ぜったいに辿り着いてね」
振り返らず、はるかは駆け出していった。
それが彼女を見た最後だった。
「先生が、はるか先生が!」
シャトルの扉に泣きすがる広瀬の姿を見つめながら、慶子はどこまでも冷静だった。努めて、冷静にあろうとした。彼女の悲痛な叫びを聞いてなければ、泣いていたのは私だったはずなのだ。いや、本当にそうだろうか。
事実は正反対だ。観音は広瀬の肩に腕を回して落ち着かせようとし、まひろとユイも沈痛な面持ちでその様子を見守っている。慶子だけが、その輪から外れていた。彼女たちに加わることを拒否する自分がいた。
『99、98、97、96』シャトル発射のカウントダウンが無情にも流れ始める。
慶子は広瀬に歩み寄ると、敢えて観音から奪うようにして彼女の腕を強く掴んだ。そうでもしないと動かせないと思ったのだ。100のカウントが終わるまでに、準備を整えなければならない。
厳粛で冷徹で公平無私な指揮官としての人格が、今必要なのは同情ではないのだと気遣いを拒む。彼女たちへの責任はあれど、負い目を感じるのは後でいい。
広瀬は怯え、震えていた。四肢からは力が抜け、予想に反して抵抗らしい抵抗もみせなかった。なんだ、必死さは見かけだけで、はるかを呼ぶ姿は悲しみのポーズじゃないかと胸の内につぶやく。が、彼女の垂れた前髪の間に覗く、訴えるような目に気付く。慶子は怯んだ。
彼女に心の奥底を見透かされそうになったからではない。その瞳の中に慶子は自分の顔を見た。実際に映っていたのかどうかはわからなくとも、鏡で確認する必要などなかった。慶子は、驚くほどに無表情だった。ああ、彼女たちにこの顔を見せることになるとは。
しかし心の空隙を慰める猶予は残されていなかった。急ぎ足で広瀬の腕を引きながら、慶子は残りの仲間にシャトル内の壁面に集まるように呼び掛ける。シャトルの貨物コンテナ内は軍用の長距離輸送機のように、中央部に貨物を固定し、壁面に人間を固定するためのシートが取り付けられている。
『64、63、62、61』乗客ではない慶子たちの準備をシャトルは待ってくれないようだ。
慶子は素早く全員を着座させ、安全装置で固定し始めた。シャトルの姿勢制御技術はかつてより格段に向上しており、また制震構造も信頼性が高いため、立ったままでも宇宙まで飛び立てると喧伝されている。だが、これ以上無用なリスクは避けたかった。
『34、33、32、31』
広瀬の装置を操作していると、彼女は耐えかねたように口を開いた。
「慶子さんは、平気なんですか?」
カウントダウンと30基を超える巨大なエンジンの始動音が機内を埋め尽くしても、彼女の声は突き刺すようにはっきりと聞こえた。
「どうして平気なんですか?」
平気なわけがなかった。違うと言いたかった。慶子には彼女の気持ちが痛いほどわかった。少なくとも、頭の中ではわかっていた。慶子を非難しようとする気持ちでさえも。それでも彼女に同意することはできなかった。いや、同意するわけにはいかなかった。
「今は」慶子は言葉を選びようがないと感じた。
「今は前に進むしかありません、はるか先生のためにも」
広瀬は何も答えなかった。彼女の表情は憎悪や憤慨ではなく、悲嘆と困惑のままだった。前者でなくてよかったと慶子は場違いな安堵をおぼえた。彼女もわかってくれるだろう、今はその時ではないとしても。
『11、10、9、8』
全員の固定を確認すると、慶子もシートに着いた。
『4、3、2、1』
ロケットが噴射され、莫大な熱量がシャトルをうならせる。
絶え間ない轟音と耳鳴りの中で、慶子は理解した。広瀬は慶子を責めようとしたわけではない、非難しようとしたわけではない。
なぜ悲しむ素振りをみせないのか、なぜ悲しんでいないのか。どうして?
ただそう問いかけていた。
しばらくすると機体はふわりと浮き上がった。
慶子たちをのせて。ただひとり、はるかを除いて。
全てが計画通りに進むと慶子は甘く見積もっていなかったし、過剰な自信もなかった。しかし、これほどまで早くから軌道修正の必要が出るとも思っていなかった。
真っ先にはるかが脱落するとも。
―――
慶子たちは喫茶店からその足でヤマナシディビジョン内の盆地を移動した。Xの補給基地は盆地の外縁部、扇状地と山地の境界に位置している。
PLOGが隣接する基地の正面入り口は高速道路のインターチェンジに接しているため開けているが、基地の周囲のほとんどは耕作放棄地や山の裾野に覆われており、見通しは悪い。
慶子はこの山側から侵入するつもりであった。補給基地にあるシャトル離着陸用の巨大なプラットフォームを目印に山を下れば、自然と基地の外縁に到達できる。
山の中腹に車を停めると、一行は林道を下り始めた。慶子は先行して足場を確認しながら進む。険しい道というわけではないが、万が一にも基地に辿り着くまでに怪我人を出すのは避けたかった。盛夏は終わったとはいえ、草葉はまだ力強く茂っていて、踏むたびに青い匂いが漂う。
足元に夢中で自然に無口になっていると、はるかが楽しげにいった。
「動ける格好でってケーコちゃんから聞いてたけれど、身軽な服で来てよかった」
「さすが、賊になる準備は抜かりなかったわけだね」
観音が喫茶店での会話を蒸し返すと、はるかは不機嫌そうに頬を膨らませた。
「ふん!いいよ、それならXのものをぜんぶ盗って帰っちゃうんだから」
彼女たちのわずかなやり取りで慶子は顔がほころぶのを感じた。ちらりと振り返ると、Xの話題になったからというわけではなかったが、まひろと目が合う。
「私、こんなにハードだと思ってませんでした」彼女は恨めしそうな声をあげた。
「皆さんどうしてそんなに余裕そうなんですか?」
「幻のビールが私を待っていますからね、この程度で歩みを止めるわけにはいきません」
ユイは胸を張って、—いや胸に拳を当てて答えた。緩やかとはいえ、坂を下っているのに器用な人だ。
「ユイ先生ほどではないにしても、うちゅう行きと聞けば足取りも軽いものさ。備えあれば患いなし。あらら、広瀬君なんか黙っちゃってるよ」
まひろのさらに後方には、広瀬が肩で息をしながら上気した辛そうな顔でついてきている。疲れですっかり静かになってしまったようだった。
「あるわけないでしょう。ビールを飲むために宇宙へ向かう道中で山を下る備えなんて」
広瀬はぼそぼそと口答えするが、観音が笑顔で振り返ると慌てて顔を伏せた。
「足場が悪いのも、もう少しですから。ほら、見えてきましたよ」
そうこうするうちに目的地へとたどり着いた。
慶子が指差した先には、林と藪に混ざるようにしてフェンスが張られていた。高さ3メートルほどの高さの金網が境界を切り分けるように往く手を覆い、両端の先は林の見えないところまで続いている。
「このフェンスの先からが補給基地の敷地になりますね」
慶子はフェンスに慎重に近付く。科学技術の粋を集めた施設を守るにしてはあまりにも簡素な設備だった。規則的に地面に打たれた杭にただ金網が張られているだけで、有刺鉄線も忍び返しもない。あちこちに草やつたが絡みついていて、通電もしていないようだった。足で蹴って揺さぶると、軽い音を立てながら金網は抵抗もなく軋んだ。
「なんだか、ずいぶんとちゃちな柵だね」はるかがいった。
「Xのかつての盟友があれほど『壁』にこだわっていたことを踏まえると、いささかハリボテ感が否めないですね」とユイ。
「その『壁』も実際は大したものはできなかったわけですし、類は友を呼ぶというわけですか」
広瀬も息を整えながら、フェンスをしげしげと眺めている。
「世間的にはPLOGが監視していると見なされているので、それを見越して経費を省いたのかもしれませんね。感心はしませんが」
それも今日で終わりだと慶子は心の中で付け加えた。にしても、部下が資料で指摘していた通り、このフェンスはひどいものだ。こうやって忍び込むのが私たちだったからまだよかったものの、もし悪意ある人物が気付いていたら大惨事が起きていたかもしれない。そしてその大惨事の責任を負うのは自分になるだろう。と慶子は余計に苛立ちを重ねた。
「まあ僕達にとっては都合が良いじゃないか。さっそく取り掛かろうか」
言い終わらないうちにどこからかワイヤーカッターを取り出した観音は、手際よく網目を切断し始めた。はるかが大きなため息をつく。
「わあ。あれっていいの?迷い込むって設定がいきなり台無しになったよ?」
「知りませーん。私は何も見てませーん」
はるかの問いかけにまひろは目を逸らして答える。
「聞くのも憚られるのですが、なんだか手慣れてますね」広瀬がこらえきれずに尋ねる。
「なんてことない。こんな安物で財産を守ろうとは不用心にもほどがある」観音は手を止めずに答えた。「肩透かしもいいところだ」
「この先もこれくらい簡単に進めると助かるのですが」
観音の作業を手伝いながらユイも呵責なく他人事のようにいった。もう慣れたとはいえ、彼女たちの行動力には隔世の感がある。
住居侵入の構成要件に抵触する様を目の前にして、広瀬は困り顔だ。計画の主犯でありながらも慶子は内心で同情した。
「いくら不用心とはいえ、このまま入っちゃって大丈夫なんですか?監視カメラとか」
「ええ。ですので、観音さんたちが格闘している間にこれを」
慶子はそれぞれに白い布の塊を手渡すと、自分のものを広げてみせた。
「これはツナギ?いや飛行服とかジャンプスーツの類かな、変わった手触りだね」はるかは興味深そうに生地を確認している。
「すごい!これってもしかして宇宙服じゃないですか」広瀬は目を輝かせた。
「正確には与圧服ですね。観音さんに無理をいって用意して頂きました」
シャトル、もとい宇宙船が飛躍的な進歩を遂げたことで、着の身着のままで宇宙に飛ぶことが可能になった。とはいえ、安全確保の観点から依然として乗員には与圧服の着用が奨励されている。慶子は職業柄、この『奨励』を無視することはできなかった。
過去の与圧服は大きく、重く、その野暮ったい形状によって地上での活動に全く向いていなかった。しかしXによる技術開発の恩恵によって、生命維持システムや換気ユニットが小型化され、優れた伸縮性をもった生地で縫製されたこの新世代の与圧服は、ジャージのように簡単に装着でき、服の上から着てもボタンひとつで密着させることができる。
シャトルを乗り降りする姿でさえもスマートに見せたいというXの肥大した自己顕示欲は、鈍重な与圧服を近未来的なスーツにまで昇華させたのだ。
憎きXの技術に頼るか、それとも安全をないがしろにするか。慶子の答えは明白だった。
スーツを装着したはるかたちは、くるくると回ったり互いに見比べたりしながらはしゃいでいる。穏やかではない気持ちの慶子にとって、彼女たちのちょっとしたファッションショーは慰めになった。
「それにしても変わった柄だね。後から染めたみたい」
白いスーツにはくすんだ青と灰色で渦のような模様がつけられている。ロールシャッハ・テストと日本画の波しぶき、たとえば神奈川沖波裏を混ぜたようなランダムなパターンだ。
「よく気付いたね、はるか君。いやあ大変だったよ。スーツは慶子君から預かったんだけどね、この模様を付けたいというから、転写してくれる業者を駆けずり回って探したのさ」
いつの間にか金網に人が通り抜けられるほどの穴を開けた観音がスーツを着ながら答えた。
「ケーコちゃんから?」はるかは再び白い目を向けてきた。
「こんな手に入りにくそうなものをどこから?」含みのある言い方だ。
「ええと、出自はともかくですね。これは偽装、ある種の迷彩です」
慶子は誤魔化すように咳払いしながら答える。
「これが迷彩?」
「そのようなものです。現代における都市型迷彩とでも呼びましょうか。私が口で説明するより、見て頂いた方が早いでしょう」
はるかのこれ以上の追及から逃れるように、慶子は金網をこじ開けて敷地内に入る。フェンスの内側はコンクリートで舗装されていて、シャトルのプラットフォームに向かって体育館ほどの大きさの建物が規則正しく並んでいる。
何らかの倉庫だろうか。PLOGからは基地の外縁部を見ることはできなかったが、予想以上に建物が多い以外に特に変わった様子は確認できない。ここまでの首尾は上々だ。
はるかたちも恐る恐る慶子に続いて金網を抜ける。
広瀬は落ち着きなくあたりを見回しながらいった。
「監視カメラはともかくとして、ドローンは飛んでいないのですか?」
「シャトルがひっきりなしに離着陸を繰り返していますからね。シャトルのロケット制御技術が向上したとはいえ、これだけ大気がかき混ぜられると小型のドローンは安定した飛行が望めませんから」
慶子は耳をそばだてるようなジェスチャーをしてみせる。プラットフォームからはバーナーを絞った時のような突風の抜ける音が辺りに響き渡っている。
と、風切り音に混じって甲高い、モーターが駆動する音が聞こえてきた。
「慶子さん、あれを」
異変に気付いたのはユイだった。彼女は目を細めながら低い声で慶子の背後を指した。
ユイが指差した方向から、四つ足のロボットがこちらに向かってくるのが見えた。おそらくXの趣味だろう、黒と白と灰色で塗装されたそれは、大型犬くらいのサイズの胴体に、前後同じ形の脚が4本取り付けられている。
きちんと点検されていないのか、脚が曲がるたびに耳障りなノイズがモーター音に混じり、おかげで遠くからでも、その正体は明らかだった。
慶子たちに気付いたのか、地面を蹴って滑るように接近してくる。
「お任せください」と言うが早いが慶子は悠然と歩きだし、
「ケーコちゃん何して!」焦るはるかが止める間もなく、ロボットの前に立ち塞がった。両腕を肩の高さまで上げ、大きく広げる。
ロボットは急ブレーキで勢いを殺すと、その場で足踏みをしてから停止した。前方に取り付けられたカメラは、はっきりと慶子の姿を捉えている。
胴に折り畳まれていたアームが動き始め、慶子に向かって探るように伸びる。アームは触れるか触れまいか迷うような動きをみせたが、一拍おいて、ロボットは興味を失ったかのようにその場を離れていった。
「行っちゃった…」
固唾を吞んで見守っていた一行の元へ慶子が戻ると、はるかが口を開いた。
「いったい何が起きたの?」
「あれがこの補給基地の警備員です。ポインターと呼ばれる自律型のロボットですね。安価で汎用性が高く、警備ルーチンを与えれば、あのように動く監視カメラとなります」
「そのまま行かせてよかったの?」
「ええ。あの様子だとうまくいったようです。繰り返しますが、このスーツの模様は一種の迷彩です。見てわかるように人間相手では視覚的な偽装効果は期待できませんが、もし相手がロボットで、かつAIが情報を処理しているとしたら?」
「画像認識AIを狙って騙すわけさ」観音が付け加える。
「顔認識や骨格認識を混乱させるパターンがあるとは聞いたことがありましたが、これほどまでに実用的とは思いませんでしたね」ユイも感心した様子で身に纏ったスーツをなでる。
「この模様のせいで、慶子さんが何者かわからなかったわけですね。人間なら迷うはずないのに。Xの人間嫌いが役に立ちましたね」
その通り、と慶子はつぶやく。普通に警備員が常駐していれば、このスーツはほとんど役に立たない。だが巡回もロボット任せ、管理もAI任せであればチャンスはある。何よりXの人間嫌いに対する意趣返しになるという意味で、この迷彩作戦が成功したのは慶子にとっても痛快だった。
「ですがこの偽装も完璧ではありません。これを纏った我々が『何であるか』を認識することは防げますが、『何かがあった』ことまでは誤魔化せません。あのポインターも、他の警備ロボットや作業用の重機を引き連れて戻ってくるでしょう。動きましょう」
慶子たちは建物の影から影へと移りながら進む。道中にポインターと数回すれ違ったが、いずれも大きな反応は示さなかった。どの機体も慶子たちが何者か同定できず、処理に苦しんでその場をあとにした。予想していた通り、機体同士の情報の同期はうまくいっていないようだ。
「戸惑っている姿はちょっとかわいいですよね」
「確かに広瀬君に似ているかもね」広瀬のつぶやきに観音は軽口で答える。
「かわいいところがですか?」「もちろん違う」「そんな」
警備が手薄であることに安心したのか、一行の雰囲気は明るかった。慶子は観音の肩越しにまひろを観察する。やや緊張した面持ちではあるものの、普段通りの笑顔を崩さないままだ。基地への潜入に後ろ暗さを感じてはいないのだろうか。怪しい様子は見受けられなかった。
「敷地が広いことは覚悟していましたが、これほど建物が多いとは思いませんでした」
ユイは興味深そうにあたりを見回している。
「そうだね。こそこそと進む分には助かるけれど」
「宇宙港の建設と火星のテラフォーミングに必要な資材は、とてつもない規模になるはずだ。シャトルに積み込まれるまでの間に補給基地で保管される資材、コンテナも少なくないだろう」
「しかし妙ではありますね。PLOGの屋上から毎日のように基地を眺めていましたが、ここまで建造物が多いとは知りませんでした。ユイ先生の言った通り、倉庫にしては数が多すぎます。 だとすれば何の建物か。シャトルの管制は地上のプラットフォームと中継ステーションの2か所に集約されていて、極端に言えばプラットフォームだけでもシャトルの運用は可能です。他国にはもっと狭い補給基地もありますし、意図が掴みかねますね」
「まひろ君は何か知らないかい?」
「私は宇宙事業の部署にいたことがないので、何とも言えません。基地に入ったのも、今日が初めてなんですよ?」
まひろは肩をすくめてみせた。慶子は言葉を濁したのが気になったが、彼女の態度から察するに、これ以上聞いても答えてくれそうもなかった。調べてみたい気もするが、今はシャトルに乗り込むのが先決だ。
プラットフォームは目前まで迫っていた。ここまで近付くのは慶子も初めてだった。シャトルが離着陸する際に放つ突風が肌で感じられるほどだ。
シャトルを地上で受け止めるアームの駆動音だろうか、ロケットの轟音に混じって、アイドリングさせた自動車のエンジンに似た低音が辺りに響いている。
あとはモジュール換装が行われている間に、貨物コンテナに紛れてシャトルに潜り込むだけだった。正規の搭乗手続きを経ないためにタイミングを計る必要はあるものの、積み込み手順を熟知していれば問題はないはず。
慶子以外は基地の建物について、ああでもないこうでもないと話を続けていた。
「じゃあロボットたちの詰所とかはどうでしょう?」広瀬がいった。
「それにしたって数が多すぎる。稼働していないポインターは小さく畳めるから、これらの建物ひとつ分だけでも何千と収容できる。軍隊並みにたくさんのポインターを飼い殺すくらいなら、基地を囲むきちんとした壁でも建てた方が安上がりだろう」
「広瀬ちゃんも観音さんも、あんまり怖いこと言わないでよ」
はるかが不安そうな顔を見せた矢先だった。
「ちょっと止まってください」まひろが低い声で皆を制止する。
「怖い顔してどうしたの、え」声をあげそうになった広瀬の口を観音が塞いだ。
「慶子君」「ええ、見えています」
プラットフォームの近く、積み替えを待つコンテナの近くにポインターが集まっている。10機ほどが群れのように集まり、ポインターより大きなロボットを取り囲んでいるようだった。
「ハウンドか」観音が難しい顔をしながら小さくいった。
名前の由来となった猟犬と同じで、ポインターは目標物を発見することを主たる機能とする、ハウンドの廉価版だ。元となったハウンドは大型で情報処理能力も高く、能動的に目標物を追い込み、狩りをする。
「ハウンドの存在は想定内です。ポインターに比べればタフで素早く、脅威ではありますが、スーツの偽装はそれでも効果があるはずです」
「効果があるとしても、あれは群れだろう?猟犬同士を組み合わせれば、ポインターがソナーの役割を果たすことで処理能力が大きく向上すると読んだことがある。画像認識のノイズもかなり低減されるはずだ」
観音の疑念に慶子は答えられなかった。理屈としては、それでもなお偽装は見破られないはずだ。だが、ポインターにはないセンサーをハウンドが用いて慶子たちの存在を認識し、画像では判断できなくとも、捕縛しようとしてくる可能性は十分に考えられた。
「コンテナは目と鼻の先です。彼らが我々を認識して事態に対処するよりも早く走り込むことができれば…」
慶子がそう言い終わらないうちに、コンテナの影からいくつもの群れが歩み出てくる。
「ちょっとまずいんじゃないのかな」
瞬く間にプラットフォームの周辺を四つ足の大群が埋め尽くしていた。10機を1つの群れとすれば、全体で200機は超えるだろうか。モーターの駆動する甲高い音と、ハウンドに搭載されたエンジン音の重低音がひっきりなしに聞こえてくる。ロケットに混じっていた音の正体はこの群れだったのだ。
群れの統率者であるハウンドたちは、かしずくポインターから情報を集め、問題の所在を探っているようだった。Xのシステムと相性が悪くとも、製造元が同じである彼らは別だ。あれだけの大群が一斉に同期すれば、いつ慶子たちに気付いてもおかしくはなかった。
「一旦退きましょう」「退くってどこに?」「こっちだ!」
判断する間も惜しかった。一行は背を預けていた建物のシャッターを押し上げて飛び込んだ。中は薄暗く、湿った空気と工場のような化学臭で満たされていた。
「あれは問題じゃないか」観音でさえも焦った声でいった。
「まさか、あれだけの数がいるとは」慶子は力なく答える。
「ここでやり過ごせるか?」
「難しいでしょう。あの様子では既に哨戒は静的なものから動的なものへと切り替わっています。これから起きるのはスクリーニングと掃討です」
「掃討とは、穏やかじゃないな」
「ええ、国内に流通している彼らには殺傷能力のある兵器こそ備わっていませんが、投網装置などの治安維持装備の搭載は認められています。囲まれてしまえば、逃げ場はないでしょう」
シャトルの轟音とハウンドのエンジン音がシャッターを震わせている。煩わしい雑音に慶子は唇をかんだ。
「なぜ今日に限ってあんな大群が」
思わずまひろを見やる。薄闇のせいか、彼女の表情は読めなかった。
普段の警備体制では、せいぜい2ダースほどのポインターが敷地内をふらついているだけだ。慶子は着任以来、補給基地に出入りする全ての物資を管理していたのだから、あの猟犬の群れはずっと基地内に待機していたことになる。それが都合よく今になって出てきたというのだろうか?納得がいかない。
「ど、どうしましょう?」広瀬がおそるおそる尋ねる。
「今考えています」
必要なのは納得ではなく、解決策だ。なぜこうなったのかを考えるのは、宇宙に飛んでからでも遅くはない。
「あれは屋内まで入ってこれるのでしょうか?」
「当然だ。胴体から生えたアームはかなり器用だし、シャッターやこの建物自体が電子制御であれば入り込むのは更に容易い。僕達が見つかるのも時間の問題だろう」
「何か役に立ちそうなものはないかな?」
「ライフルでもあればいいんだけど、さすがに、ねえ?」
観音は自嘲気味に笑いながらいった。
慶子たちは暗がりの中で辺りを見回す。建物は見立ての通り、資材保管用の倉庫だった。柱やパーテーションのない中空構造で、貨物コンテナが基地に運び込まれた時のままで積み上げられているようだ。
「これが貨物コンテナであれば役に立つものはない、と思います」
「慶子君が全ての中身を把握しているから、かな?」
「その通りです。資材のほとんどは組み立て用に既に加工されていて、我々人間が扱える大きさや重さを超えていますので」
「これも銃といえば銃ですが、どうでしょう?」
ユイは電動ドリルのような工具を持ち上げてみせた。
「リベットガン、ですね。押し当てて鋲を撃ち出せばなんとかなるかもしれませんが、あれだけの数です。残念ながら有効ではないかと」
「それもそうですね」
残念そうにいいながら、ユイは手にしたリベットガンをもてあそぶ。
そうだ。仮にライフルが見つかったとしても、発砲とともにこちらへ飛び掛かってくるであろうハウンドとポインターの群れには有効打になりえない。
群れの制御を止めるか、気を逸らすかしかない。しかし、この広大な敷地からロボットの制御装置を見つけるのは、特にこの状況からは現実的ではない。気を逸らせるものなど、あるのだろうか。
私たちは追い込まれたのだ。誰も口に出さなくとも、万事休すだ。慶子たちの焦った息遣いと、外から聞こえる猟犬たちのうなり声がやけにうるさい。
すると、苦しそうな顔でまひろが咳き込んだ。
「ごめんなさい、私こういうほこりっぽいケミカル臭が苦手で」
「うん、なんだかずっと放っておかれた家みたいなにおいがしますね」
広瀬がまひろの背をさすりながらいった。
「こんなときに悠長な」
「いや、広瀬さんの感想はあながち間違いではないみたいですよ」
ユイは近くにあったコンテナに指を押し当て、線を引いてみせる。指先は煤とほこりで黒く汚れていた。2か月も経たないうちに、これほど汚れるものだろうか。
「慶子さん、これらの資材に見覚えは?」
「あるはずですが、見てみましょう」
こんなことをしている場合ではないと思いつつも、何かが見つかるかもという淡い希望が捨てられずに、慶子はコンテナの扉を開く。中身は見慣れた鋼材やカーボンのパネルだった。
「特に変わったものはありませんが、おや?」
落胆しながら目を落とすと、資材に貼り付けられたシールが視界に入った。PLOGが確認する積荷リストの資材には、中継ステーションでの仕分け番号や、宇宙港で何に使われる予定かを示す記号のシールが貼り付けられている。慶子はシールが持つ意味の全てを把握していなかったが、経験から大まかな推測は可能だった。
「変ですね。これらはかなり前に宇宙港に辿り着いていなければならない資材です」
「というと?」
「私の記憶が正しければですが、例えばこの記号によれば、この資材は4カ月前に宇宙港に辿り着いていることを意味します。私が着任するよりも前から、この資材は倉庫に置かれていたことになる」
「積荷リストの漏れ、シャトルへの積載が申請より少ないことの裏付けになると?」
「その線もあります。しかし、これらの資材は500kgどころか数十トンの重量はあるでしょう。シャトルへの積み込みが過少だとしても、それだけではこの量が放置されていることを説明できない」
「つまり、宇宙港に十分な量の資材が送り届けられていない?」
「そう考えるのが妥当でしょう。しかしなぜ」
「宇宙港の建設がとてつもなく効率的に進められているか」
「実際には宇宙港の建設が進んでいないか」観音とユイは顔を見合わせる。
皆がまひろに注目した。Xが宇宙関連のインフラを支配している以上、宇宙港が実際にどうなっているのかは知りようがない。
「私も宇宙港のことはわからないんです。順調としか聞いていません」
まひろはうんざりした顔で答えた。観音とユイはなおも続ける。
「この基地に入ってから、いくつの建物を見た?」
「10棟以上、いやそれが列になって並んでいるので30棟は超えるでしょう」
「それらの全てに、こうやって積荷が残されているとしたら?」
「スキャンダルのにおいがしますね、それもとても大きなスキャンダルの」
「宇宙港の建設を看板に、Xは宇宙開発の進展を声高に主張している。その成果をもとに、やむを得ず支援している政府や企業は多い。仮に宇宙港がロクに建設されていないとしたら。Xが独占したせいで技術の進歩が停滞しているとしたら、彼に不満を覚える勢力にとっては大ニュースとなる」
「つまり大本営発表だったってことですか?それなら、このまま進むのは危険かもしれませんが、この発見を持ち帰ることができれば、もしかして」
広瀬が明るい声音で尋ねるが、慶子はそれを制止した。
「いいえ、これだけの物証があるとはいえ、ここはXの私有地内です。ことが露見して監査が入ったとしても、その時には物資はどこかに消えているでしょう。これは重大な発見ですが、私たちは前に進み続けなければならない」
「そうです、我々はXの秘密を暴きにきたわけではないのです。あくまで目的はうちゅうのビール、宇宙に到着できなければ意味がない」
ユイも腕を振って強硬に否定した。
秘密を暴く、か。広瀬の提案通りに逃げ帰るわけにはいかなくとも、ひとつの成果と捉えることはできるかもしれない。ただ、現状を打破するにはシールだけでは十分ではない。
思いもよらぬ発見について議論が紛糾していると突然、倉庫の外から大きな音が響いた。しまった。物資に気をとられている間に、ハウンドたちが潜伏場所の目星をつけたようだ。
「とうとう嗅ぎ付けられたようだね」
「どうしますか?ここで隠れてやり過ごすわけには、いかないですよね」
「はるか先生、はるか先生?何をされているんですか」
広瀬の焦り声に振り返ると、はるかは既にスーツを脱ぎ捨てていた。慶子はその意味とはるかの意図をすぐさま理解したが、
「先生いったい何を」そう問わずにいられなかった。
「わかってるでしょう?」はるかは事もなげに答えた。
冗談だと思うには事態は切迫し過ぎていたし、慶子に続いて、ここにいる誰もが即座にはるかの意図を理解した。
「私が引き付ける」
「そんな無茶な」観音も引きつった声で止めようとする。
「大丈夫!私、足には自信あるから!」
はるかはわざとらしい、明るい声を出しながら背を向けた。その背は引き留めようとするあらゆる努力を拒絶するかのようだった。
「ケーコちゃんなら、わかってるよね?他に方法がないって」
責めるわけでもなく、ゆっくりと、ただ淡々とはるかはいった。
「それは!」
慶子は言葉に詰まった。ハウンドたちは慶子たちが何者であるかを掴めていない。恐らく人数についても。迷彩を着ていない誰かが急に姿を見せれば、まさに気を逸らして、群れはその囮に飛びつくだろう。そうすれば、プラットフォームまで辿り着くのは可能かもしれない。
「ケーコちゃんは行きたいんでしょう?うちゅうに」
はるかは片足を持ち上げてひざに胸に当ててストレッチを始めている。日常の断片にしか見えない彼女の仕草が、かえって慶子には辛かった。
慶子はあの戸惑いの、はるかが喫茶店で最後に見せた憂いを帯びた表情の、正体にようやく気付いた。彼女が何を聞きたかったのかを。それは
「誰かが脱落したとしても、行きたいんでしょう?」
この問いだった。あの時に聞かれていても、私は正直に答えていただろう。それでも、私は自分からそうは言わなかった。申し含みもしなかった。
「その、通りです」
慶子は力なく答えた。答えざるをえなかった。
いつの時点からか、はるかはわかっていたのだ。誰かが囮にならなくてはならないと。そして誰が囮になるべきか、慶子はその決断ができるほど友人たちに対して非情にはなれないことも。
「ケーコちゃん、ぜったいに辿り着いてね」
辿り着けるといいね、ではなかった。
そうだ。はるかは覚悟のほどを尋ねたわけではなかった。いかなる犠牲を払おうとも、そして犠牲を誰かに強いるとしても行かなければならないと慶子が口にすることを期待していたのだ。
だから、今の私が言えるのは
「はい、必ず辿り着いてみせます」
その決意だけだった。
はるかは振り返らずに「うん」と小さく笑うと、シャッターを蹴り上げて駆け出していった。