12月の寒空の中。ひとりと郁代はSTARRYへと向かう道中で、会話を交わしていた。
「もう12月か〜。すっかりクリスマスムードね」
「あっはい」
郁代から会話を持ち掛けられたひとりは、いつもの如くぎこちない相槌を返した。郁代は続けて口を開いた。
「最近ずっとバイトと練習ばかりだったから、一ヶ月があっという間に感じたかも。あ〜、冬休みまであと少しだし、待ち遠しいわ〜」
「あっ私も…」
郁代がそう言うと、ひとりは切実そうな様子で言った。
「ずっと…待ち遠しかったです。学校行かなくて良いし、何よりけいくんにいつでも会いに行けるし…」
「何か色々な意味で重みが違う気がする」
ひとりのそのただならぬ雰囲気を感じた郁代は、引き気味になりながらそう言った。そして郁代はすぐに気を取り直すと、思い出したように言った。
「それはそうとリョウ先輩、中々曲ができないみたいだけど…」
「あっ難航してるみたいですね…」
ひとりがどこか不安そうに返すと、郁代はあまり心配していない様子で言った。
「まあ、締切は春だし大丈夫よね!」
郁代は続けて、楽しげな様子で言った。
「冬休みもバイトと練習漬けみたいだけど、クリスマスにはパーティしましょ!あと、店長さんの誕生日もあるみたいね!」
「クリスマスパーティ…」
ひとりはそう呟くと、どこからともなく星型のサングラスと付け髭と『フィンランド観光大使』と書かれた襷を取り出しながら言った。
「あっ次は必ず場を盛り上げてみせます!!」
「普通で良い!本当に何もしなくて良いから!ケータくんの傍で良い子にしてて!」
郁代が焦りながらひとりにツッコミを入れた時だった。郁代のスマホに、通知音が鳴った。
「?伊地知先輩からだわ」
郁代はそう言うと、ロインの画面を立ち上げた。ひとりもその傍で画面を眺めていると、そのロインの文面には、このようなことが書かれていた。
「なになに?12月24日、新宿FOLTでのSICK HACKワンマンライブに───」
郁代はそこで言葉を区切ると、大きく驚きながら言った。
「───SIDEROSと結束バンドが…ゲスト出演!?」
「何ですって…!?」
所変わって、ここは新宿FOLT。大槻ヨヨコは納得のいかない様子でそう呟きながら、この提案を持ち出した目の前にいる自分の憧れのバンドマン───SICK HACKのベースボーカル、廣井きくりに食って掛かっていた。
「いや〜、元々前座で出る予定だったバンドが出られなくなっちゃって〜」
きくりが言い訳をするように口を開くと、ヨヨコは尚も納得のいかない様子できくりに詰め寄った。
「あんな無名なバンド出したってメリットなんてないです!SIDEROSだけで十分です。真面目に考えてますか!?」
「ちゃんと考えたってば〜」
ヨヨコに詰め寄られたきくりは、困ったように言った。そしてきくりは、少し気まずそうにしながら続けて口を開いた。
「それに大槻ちゃんメンバー以外に友達いないし、友達作る良い機会かな〜って…」
「とっ友達はいます!」
ヨヨコは続けて指を折りながら、自身の身の回りにいる友達と思われる人間の数を数え始めた。
「ライブに来てくれるみんな…あとトゥイッターのフォロワーとか、楽器屋さんの店員とかも入りますよね!?…あと、この前私たちのライブを観てくれた未空イナホも」
「いやイナホちゃん以外全員入らないし、イナホちゃんも割とギリギリそう呼べなくもないくらいのラインだよ」
ヨヨコは、きくりのそのにべもないツッコミを受けて大きく落ち込んでしまった。
「じゃっ、そんな訳で当日よろしく〜〜〜!」
きくりはそんなヨヨコに手を振りながら挨拶をすると、スタコラサッサと帰ってしまった。
きくりが帰った後、未だに納得のいかない様子のヨヨコを見かねたあくびが、ねだるように言った。
「ええ〜、結束バンド良いじゃないっすか〜」
あくびのその言葉を受けたヨヨコは、何やら焦った様子で言った。
「何ふざけたこと言ってるの?みんな練習して!」
ヨヨコは心の中で、拗ねたように呟いた。
(結束バンド…後藤ひとり!突然廣井姐さんの前に現れた謎のバンド…。姐さん最近はいつもこのバンドの話ばかり!今までずっとSIDEROSと仲良くしてくれてたのに〜!)
ヨヨコはそう言いながら、普段自分にご飯やシャワーや金をせびってくるきくりの姿を未練がましそうに思い浮かべていた。あくびはそんなヨヨコを尻目にスマホを見ながら、しみじみと呟いた。
「最近廣井さんいなくて超平和っすよね〜」
───そして、その週の土曜日。つまりは結束バンドのライブの日。
「おはようございま〜す!」
「おはよう、ケータくん!今日は楽しみにしててねっ!」
「はい、もちろんっ!」
天野景太は、いつもの如くウィスパーとジバニャンと共に、開店前の下北沢STARRYに訪れていた。ケータは緊張のなさそうな虹夏の様子に安堵すると、他の三人の姿を見回した。
「リョウさん、喜多さん、ひとりさん。調子は大丈夫ですか?」
ケータがそう言うと、三人は口々に返事を返した。
「ばっちり。この私に任せておきなさい」
「私も今日は調子が良いわっ!ケータくんにかっこいいところ沢山見せちゃうわよ〜〜〜!」
「私も大丈夫だよ、けいくん。…私のこと、見ててね」
「おおっ、みんな頼もしい!」
三人の返事を聞いたケータが嬉しそうに言うと、ウィスパーもウキウキしたように言った。
「これは今日のライブが楽しみですね、ケータ君!」
「うん!しっかり応援してるぞ〜〜!」
「オレっちも今日は張り切って応援するニャン!」
───と、その時。ウィスパーが何かを見つけたように声を上げた。
「おや?みなさん、こちらに立て掛けられてある値札とグッズ類は何でございましょう」
「…これ、もしかして物販ニャン?」
ウィスパーの方に駆け寄ったジバニャンが首を傾げながらそう言うと、リョウは頷きながら言った。
「そう。CDとか、メンバーの私物とか、私たちのイメージカラーのリストバンドとか、色々売ってる。…良かったら何か買ってく?」
「…遠慮しときます。つかあーたイメージカラーのリストバンドとかそれっぽいこと言ってますけど、コレってただの結束バンドですよね?コードとか束ねる方の」
ウィスパーが思わずそうツッコむと、同じように物販を眺めていたケータが言った。
「わっホントだ!これただの結束バンドじゃん!しかもなんか高いし!」
「結束バンド500円にメンバーの私物5000円って…。ボッタクリにも程があるニャン…」
ジバニャンも続けて若干引きながらそう言うと、リョウはしれっと言った。
「活動資金を稼ぐ為だからしょうがない」
「しょうがなくねーよナメてんのか!つかこんなん買う人いんのかよ!」
ウィスパーがそう叫んでいると、虹夏が少し気まずそうに言った。
「いや〜、ありがたいことにいちゃうんですよね、コレが…。この前のライブにも来てくれてたファン1号さんとファン2号さんっていう、大学生くらいの二人の女の人なんですけど…」
「あの人達もう少しマシなもんにお金使えよ!そしてアンタはもうちょい悪びれろや!」
ウィスパーが大して悪びれる様子を見せない虹夏にそうツッコミを入れていると、その様子を見ていたケータとジバニャンは呆れながら囁き合った。
「…ねえジバニャン。オレ、虹夏さんのこと凄く真面目で頼りになる人だと思ってたんだけど、意外とそうでもなさそうだね…」
「虹夏ちゃんも案外どっかおかしいというか、いい加減なとこがあるニャンね…」
「だね…」
(結束バンドのグッズ、どう考えてもこのままじゃダメだよね…。ずっとこのラインナップのままファンの人達にお金を使い続けさせるのも流石に申し訳ないし…)
ケータはこの時名誉マネージャーとして、結束バンドのグッズ事情に深く深く心配を寄せたのだった。
───そして。
「…ってやばっもうこんな時間!?みんなそろそろライブの準備しないと!」
時計の針を見遣った虹夏が焦ったようにそう言うと、三人の顔が一気に引き締まった。
「じゃあ、オレは観客席で見守っています!みなさん、どうか楽しんでください!」
「うん!行ってきます、けいくん」
「行ってらっしゃい、ひとりさん!」
ケータはそう言うと、ウィスパーとジバニャンを連れて急いで観客席へと向かった。
ケータが観客席に着くと、そこには何やら眼鏡を付けた茶髪の少女が、結束バンドのファン1号、2号である女子大生の二人と会話をしている光景が目に入った。
(…ん?あの人、どこかで…)
ケータはそう思いつつ、一応ファン1号とファン2号への挨拶も兼ねて、その少女に自己紹介をしようと三人の下へ近づいて行った。
「あ、1号さん2号さん、こんにちは!」
「あ、ケータくん!こんにちは〜!」
「ケータくん!今日のライブ、私本当に楽しみにしてたんだ〜」
「ひとりさんたちの調子とっても良さそうだったので、今日のライブはきっと盛り上がりますよ!」
「ほんと!?楽しみ〜!」
(なっ何!?この男の子誰!?未空イナホ然り、ライブハウスって最近の小学生の中でのブームか何かなの!?)
唐突に目の前に現れた男の子が先程まで自分と話していたはずの女子大生二人と仲良さげに話す様子を見て、ヨヨコは内心で深く困惑した。すると、1号はケータに、ヨヨコの紹介を始めた。
「あ、ケータくん。この子はね、今日初めてSTARRYに来たつっきーちゃんって子だよ!結束バンドのファンみたいなんだ〜」
「だっだから私はファンじゃ…」
ヨヨコがそう言いかけた時、ケータは自己紹介を始めた。
「始めまして、オレは天野景太って言います。小学6年生ですが、色々あって結束バンドのみんなのマネージャーみたいなことやらせてもらってます。つっきーさん!今日は是非楽しんで行ってくださいね!」
ケータのその輝くような笑顔とまっすぐな目を見て、ヨヨコは一瞬罪悪感に怯みかけたが、どうにか口を開いた。
「よっよろしく…。…小学生がバンドのマネージャーやってることとかまあ色々気になることはあるけど、とりあえず一つだけ言わせて。…私は別に結束バンドのファンじゃないから!」
「え、そうなんですか?」
「じゃあなんで今日見に来たの?」
「そっそれは…」
ケータと2号にそう言われてヨヨコは一瞬言葉に詰まったが、どうにか言葉を組み立てて言った。
「初めてライブの映像を観た時凄い衝撃を受けて…考えたくなくてもずっと結束バンドのことばっか考えてて…ネットでメンバーのこととか色々調べちゃって…」
ヨヨコはそこで言葉を区切ると、強調するように言った。
「今日だって気づいたら衝動的に来てただけ!」
「「それがファンなのでは…!?」」
「…うーん。もしかしたらつっきーさんの今の言葉は良い意味のものじゃないのかも…」
「ものの言いようって大事でうぃすね…」
「全くだニャン…」
ファンの二人のその反応を受けたケータは、ヨヨコがどこか本気でファン疑惑を否定しているような雰囲気を感じ取り、苦笑しながらそのようなことを呟いた。すぐ傍でやり取りを見守っていたウィスパーとジバニャンも、その光景に思わず口を挟んでしまった。
───その時。
「あっ始まったよ!」
2号のその一言とともに、結束バンドのライブが、始まりを告げた。
(ゲストやるレベルには達していない気がするけど…映像の時より悪くない。格段に良くなっている)
ライブ中、ヨヨコはずっと、結束バンドの演奏の品定めをしていた。彼女とて、一人のバンドマン。正当に努力して実力を上げている同業者に正当な評価を下すことは、当然のことであった。そして、キツい態度で誤解されがちだが、彼女は元来、面倒見の良い性格をしている。その為、彼女にとって見過ごせない結束バンドの改善点は、全て独り言として外界に放出されていた。
「宣伝力があまりないのかな。バンド名で検索した時に引っ掛かりにくいだろうし。あとSNSや動画配信サービスはどんどん利用してかないと。今の時代良い曲作ったってすぐに埋もれちゃうんだから」
「…勉強になるな」
ヨヨコの呟きを傍で聞いていたケータは、思わずそんなことを呟いていた。その呟きを聞き取ったヨヨコは、ケータの方を真剣な眼差しで見つめていた。
(この天野景太って子、本気で結束バンドの力になろうとしてるのね…。…けれど、それは茨の道よ。バンドなんて先が見えない世界に、そんな年頃から足を踏み入れるのは危険過ぎる。
でも───)
ヨヨコは天野景太に、どこか昔の自分を重ね合わせていた。
(無理だ。お前にできっこない。やめておけ。…そんなことを赤の他人から言われるのは、まっぴらごめんよね)
そしてヨヨコは、心の中の呟きをうっかり心の外側に落としてしまった。
「…頑張んなさい、天野景太。努力は、絶対に裏切らないから」
「…!」
天野景太はその言葉を聞いた瞬間、はっと目を見開いた────!
そして、ライブ終わり。
「つっきーちゃん、物販も見たら?今日やってた曲のデモCDとか、色々あるよ!」
1号がそんなことを言うと、ヨヨコは、物販の方を軽く眺めた。
(ふーん、物販は割と充実してるんだ…)
ヨヨコがそんなことを思っていると、1号が言った。
「あ!新作リストバンド出てるじゃん〜」
(いやそれただの結束バンド!)
1号のその言葉にヨヨコが思わず心の中でツッコミを入れていると、1号は続けて言った。
「普通のリストバンドはライブでしか使い道ないけど、これはコード束ねたりできるからね!」
(いや本来の用途そっちだから!!!)
ヨヨコが続けて1号の言葉に心の中でツッコんでいると、その様子を傍から見ていたケータたちはヒソヒソと囁き合った。
「…ねえ、アレってオレたち口出すべきだと思う?」
「…1号さんご本人が納得してらっしゃるなら良いんじゃないですかね」
「そうニャン。売り上げが増えること自体は嬉しいことだからありゃほっといて良いニャン」
「…それもそっか」
言わぬが花。世の中には言わない方が良いことも往々にしてあるのだ。そのことを小学6年生にして良く学んでいたケータは、ファン1号がただの結束バンドを嬉々として買う様から、そっと目を逸らした。
「今日のライブも本当に良かったよ!」
新作のリストバンドを買ってご機嫌なファン1号は、ケータと2号、そしてヨヨコを連れて、ライブ終わりの結束バンドに声を掛けていた。
「じゃ〜ん!新しいファンの子、連れてきました〜!」
「えっちょ…」
1号が困惑気味のヨヨコを虹夏に差し出しながらそう言うと、虹夏は嬉しそうな様子で言った。
「え〜〜、嬉しい!ありがとう〜〜〜!」
「あ、そう言えば、新色のリストバンド買ったよ〜!」
「えっそんなの売った記憶…山田ッ!!売るなら売るってひと声知らせてからにしなさい!!」
「叱るところそこかよ!!」
「…リョウさん、次それやったらオレも流石にちょっと怒りますからね」
「…ケータ、謝るからそれだけは勘弁して」
結束バンドとそのファン達の騒がしいやりとりが耳に入る中、ヨヨコは静かに思考を巡らせていた。
(結束バンド…後藤ひとり!あのピンク髪の女か…!)
(この人、全然目を合わせようとしない…。もしかして、私と同じタイプの人かな…)
当のひとりはそんなヨヨコの方を見ながら、勝手に親近感を感じていた。
「じゃあ私はこれで…!」
「みんなつっきーちゃんにサイン書いてあげてよ〜!」
ヨヨコが隙を見て帰ろうとすると、1号はそのヨヨコの腕を即座に掴みながら言った。
「え〜サインなんて考えてないな〜」
「あっ私も…」
(思ったより大人しい子だな…)
1号から差し出されたCDの前で頭を悩ませるひとりを見たヨヨコは、そんなことを思っていた。
そして、四人がサインを書き終えると、ひとりはおずおずとヨヨコにそのCDを差し出した。
「あっどうぞ…」
「ちゃんと作ってるじゃん!!」
ひとりのそのでかでかと書かれたサインを見た虹夏は、思わずそうツッコんだ。虹夏のツッコミを受けたひとりは、続けて言った。
「いやでもこのサインだと将来大量に書く時に疲れるかなって…」
「もうそこまで考えてんの!?」
「取らぬ狸の皮算用ってレベルじゃないでうぃすね…」
「ひとりちゃんの自己顕示欲、思いの外半端ないニャン…」
「うん。やっぱりみんな結構変な人だね、結束バンドって…」
(自己顕示欲は全然大人しくなかった…)
ヨヨコが結束バンドとケータのやりとりに耳を傾けながらそんなことを思っていると、すぐ近くでヨヨコの顔をまじまじと見ていたリョウはふとこんなことを呟いた。
「あれ?…なんか見たことある気が」
「きっ…気の所為では」
ヨヨコが心臓を跳ねさせながらもどうにか態度を取り繕いながらそう言った時だった。
「みんらぁ〜」
突如として開いた扉から、酔っ払った女性───廣井きくりが、その姿を現した。
「今日もライブ良かったよ〜〜。あの〜〜あへ〜〜、四曲目のエモの塊!!」
「廣井さん、今来ましたよね…?あと今日三曲しかやってないですよ」
虹夏が困惑した目付きできくりにそうツッコむと、気を取り直したようにワンマンライブ招待についての礼を言った。
「あっそう言えば、クリスマスのワンマン、ゲストで呼んでくださってありがとうございます!今たくさんライブしたかったので助かります!」
「いーのいーの」
郁代は少し不思議そうに、きくりに尋ねた。
「でも、どうして私たちを?」
「いや〜朝起きたら何故か送信履歴に入ってたんだよね〜。魔法みたいなこともあるもんだ!」
「酔っ払って誤送信しただけですか!?」
「あ〜…、これぞ悪酔い不祥事案件の一つ『朝起きたら送るはずのない人にメール送っちゃってたヤッベ〜!』ってヤツですね」
「何ニャンその不祥事案件…」
しかしきくりは、続けて口を開いた。
「でも私、素面でも結束バンド呼んでたよ〜?」
「ほんとですかー?」
虹夏が疑わしげに、きくりにそう言った時だった。
「やっぱり適当だったんじゃないですか…」
ヨヨコが、不満気に口を開いた。
「…え?大槻ちゃん?」
「えっいや違います!」
「うっそだー。絶対大槻ちゃんだって!」
きくりがそう言うと、ヨヨコは観念したように言った。
「──────ッそうです!私が大槻ヨヨコ!」
「えっ!?誰…?」
「ちょっ…待って……着替えるから……分かんないよね」
「あっうん…」
虹夏が素でそう返すと、正気に戻ったヨヨコはおずおずと着替え始めた。その様子を傍から見ていた星歌は、思わずきくりに尋ねた。
「あの子、アホの子なの?」
「あはは…」
きくりが苦笑いしながら星歌の問いを聞いていると、ひとりは徐ろにケータに抱きついた。
「あっけいくんは見ちゃダメ…!」
「おわっぷ!?」
ケータの視界を自身の胸で覆い隠すように抱きついたひとりは、自身に向けられたいくつかの視線と小声に気づくことができなかった。
「…アタクシあっちの方がよっぽど教育上よろしくないと思うんすけど、間違ってます?」
「いいえ、至極ごもっともですよウィスパーさん…」
「ひとりちゃん、もうすぐ中学生になる男子小学生にソレは流石にマズイんじゃないかしら…」
「愛とは時に人を盲目にするものニャンね…」
「ぼっちは暴走するとたまに大胆な行動に出るからね…」
五人がヒソヒソと囁き合っている内に、ヨヨコは着替えを終えた。
「これで分かった?」
「SIDEROSの…なんでここに…」
(全然同じタイプじゃなかったあ…。けいくん、私を慰めて…)
(ちょっひとりさん…息が…)
正体を現したヨヨコに虹夏が驚き、抱きつく力を強めるひとりによってケータが窒息しかけている時、きくりが声を上げた。
「え〜…大槻ちゃん、まだ納得できてなかった感じぃ?」
「そうです!」
「寄った勢いとは言え、私も結構考えてるけどな〜」
きくりはそう言うと、これまで閉じていた目を開きながら、声を一段低くして言った。
「それとも何?大槻ちゃんは私の目が節穴だって言いたいの?」
そう言ったきくりの目付きは、決して酔っぱらいのろくでなしのものなどではなく───SICK HACKのベースボーカルであり、一人のバンドマンである『廣井きくり』のものであった。その光景を見ていたウィスパーとジバニャンははっと息を呑み、目を見開いてヨヨコを見るきくりを、ただただ、見つめていた。
「そんな意味じゃ…」
ヨヨコは、初めて見たきくりのその目に内心困惑と若干の恐怖を抱きながら、それでもいまだに納得のいかないようにして言った。
「帰ります!結束バンド…特に後藤ひとり!私と姐さんのライブを台無しにすることだけは許さないから!
…あと、天野景太。精々アンタの大切な人達の為に、頑張りなさいよ」
「…」
ヨヨコはそれだけ言い残すと、新宿へと帰って行った。
───そして、ヨヨコが言いたいことを全て言い終えると、ひとりに頭から抱き締められているケータの耳が、ピクリと動いた。
「ぷはっ…」
「け、けいくん。ごめんね。苦しかったよね。今、頭の向き変えてあげるからね…」
「いや離してあげなよ」
「い、嫌です…」
「なんでだよ」
息苦しそうにしていたケータに気づいたひとりはケータに抱きつく力を弱めて、謝罪しながら自身の胸から一旦ケータの頭を離した。そしてケータの頭の向きを変えると、再び抱きついた。傍でその光景を見ていた虹夏が頑なにケータを離そうとしないひとりにツッコミを入れている時、星歌がきくりを窘めるように言った。
「からかうのやめろよ」
「いや〜、あの子なんか真面目で可愛いから、つい」
「…きくりさん。お言葉ですが、そういうのは本当に良くないと私は思いますよ」
「…は、はい」
いつになく真剣なトーンでウィスパーに詰め寄られたきくりは萎縮して、緊張のあまりアルコールが少し抜けた。そしてきくりは気を取り直すと、結束バンドに向けて気まずそうに言った。
「お、大槻ちゃんに怒られたくないから適当なこと言っちゃった。みっみんな、頑張ってね…」
四人はすっかり沈んだ空気の中、きくりの方に顔を向けていた。
「あ、あはは。…みんな、これが大きなチャンスなことは変わらないから、気張っていこう!
…そしてぼっちちゃんはいつまでケータくんに抱きついてんの?」
虹夏は結束バンドのみんなを元気づけると、未だにケータの後頭部に抱きつき続けるひとりにツッコミを入れた。
「あっへへ…今日はずっとこのままでいようかな…なんて」
「ひとりさん、流石にそれはオレが恥ずかしくて死んじゃうから…」
「ごっごめん…。嫌、だった…?」
「…嫌、ではないけど」
「………!?〜〜〜〜っ!!!」
「わ〜待って待って!?どうしてまた抱きついてくるの!?また今度!また今度ひとりさんの家に遊びに行ったり呼び出したりするかもだから!その時にしよっ!ねっ!?」
「…また、今度。うへへ…。分かった。待ってるねっ…!」
「……はぁ〜〜〜ッ…」
相も変わらずに人目も憚らずイチャつき出した二人を見て、虹夏は大きく溜め息を吐いた。
────その日の夜、天野家にて。ケータは、眠りに就く寸前になって、ヨヨコに言われたことを思い返していた。
「…努力は絶対に裏切らない、か」
今まで、何か熱中できる一つの物事があったり、何か絶対になりたいものや目指したい姿があったりした訳じゃない、自分の人生。持ちうる時間を全てかなぐり捨ててまで手に入れたい何かがあった訳じゃない、自分の人生。
そんな、今までの自分にとっての『フツー』だった人生が、今この時、確かに変わっていってることを、天野景太は感じていた。
血の滲むような努力なんて柄じゃなかった、今までの自分。そんな自分が、今こうして、変わり始めている。今の自分の姿をメラメライオンやガチン小僧なんかが見たら、きっと「ケータならやれるぜ!」と不敵に笑いながら、勇気づけてくれるのだろう。そんなことを思ったケータは、頭の中のイメージの
(…ありがとうございます、ヨヨコさん。オレ、頑張ります。オレの大切な人たちの為に。そして───オレ自身の、夢の為に)
どっちだと思う?
-
ぼケー
-
ケーぼ