私がスランプから回復して一週間が経った土曜日のこと。
バイトが始まる前の朝早くから、私は下北沢駅へと足を運んでいた。…別に、またバイトをバックレようとしているとか、結局スランプはまだ回復してなくてヤケクソで一人旅に出ようとしているとか、そういう訳じゃない。
ただ───逢いたい人が、いるんだ。
「……お、あの電車か」
私はそう呟くと、ホームへとやって来た───さくらニュータウン方面行きの電車へと、いそいそと乗り込んだのだった。
そして、電車に揺られること数10分間。その電車はついに、さくら中央シティ駅へと辿り着いた。駅のホームで、私が辺りをキョロキョロと見回していると───私が逢いたかったその人の、声が聴こえた。
「あ、リョウさん!おはようございます!」
「おはよ。───ケータ」
天野景太。今まさに私の目の前で朗らかな笑顔を浮かべながら立っている、私の好きな人の名前だ。
私は逸る胸の鼓動を抑えながらも、ケータに会話を持ちかけた。
「…っ。先週の日曜日、さくらニュータウンを二人だけで散歩したいって一言言っただけなのに、まさか迎えに来てくれるなんて」
「当たり前ですよ。…だって、オレもリョウさんと一緒にいるの、楽しいですし!」
…まったく、ケータは本当に罪な男だ。こんなセリフをさらっと吐いちゃうんだもん。この言葉に深い意味はないと分かってはいても、どうしても期待してしまう。……私も随分腑抜けたもんだな。でも、一番憎たらしいのは───ケータのせいで腑抜けた私を悪くないと思っている私が、心のどこかにいることなんだけどね。
「…この女誑し」
「リョウさん、どうしたんですか?」
「ううん、なんでもない。……それじゃ、行こっか」
「?はい」
不思議そうに首を傾げながらも、私の後ろをついてくるケータ。…うーん。可愛い。
「…じゃあ、今日はオレがこの街の見どころを、たっくさん紹介してあげますねっ!」
「うん。…楽しみにしてるね。ケータ」
駅の外に出てから、ケータは辺りを見回しながら、頭を悩ませていた。…ケータが私を喜ばせる為だけにそんなに頭を悩ませてくれているという事実だけで、私の心は天にも昇るような気分だった。おいどうした山田リョウ。お前はそんなにチョロい女じゃない筈だろう。いつものクールさはどこに行ってしまったんだ死ぬな個性を捨てるな。
「まずはどこに行きましょうか。……あっ、リョウさん、水族館とか興味ありませんか?」
「…良いね。案内して欲しいな」
「はいっ!」
水族館か。静かでデートには最適だね。ケータはセンスが良いな。……まあ、ケータと一緒なら、きっとどこだって楽しいんだろうけど。
駅の地下街にあるという水族館に辿り着いた私たちは、透き通った水の中を泳ぐ魚やペンギンなどを、ただただ眺めていた。
「クラゲ、綺麗だなあ。……わっ、ペンギンだ!可愛い〜!」
「…むう」
目を輝かせながら水槽の中の生き物を見つめるケータを見て、私の心の中にはろうそく程度の嫉妬の炎が揺らめいていた。…私という絶世の美女がすぐ隣にいると言うのに、この男と来たら海の生物ばっかりに目を奪われよって。
「…私には、綺麗とか可愛いとか、一度も言ってくれたことないのに」
「…えっ?……うーん。リョウさんはむしろ、オレの中ではかっこいい括りの人だからな…。…綺麗だとはいつも思ってますけどね!」
「…そんな言われて初めて思い出したように褒められたって、嬉しくなんか」
ある。今すっごく嬉しい。顔から火が出そうなくらい嬉しい。ぼっちはともかく私は純度100%の人間なので、本当にただの比喩表現だけど。
「…あっ、リョウさん。そろそろ次の所行きましょうか!リョウさん映画好きって言ってましたし、次は映画館に行きましょう!」
「…うん。行く」
前に私とちょっと交わした雑談の内容まで覚えていてくれたケータ。あまりにも人間として出来すぎていないか…?もしかしてケータは、それだけ私のことを考えてくれてるのかな。…いやいや、思い上がるな。ケータは誰にだって優しい子だ。「私はケータの特別」だなんて、思い上がりも甚だし過ぎる。
……ケータのこの優しさは大好きだけど、こういう時は少しだけ、残酷にも思えてしまう。
「いや〜、面白かったな〜、スペースウォーズの最新作!」
「私も、あのシリーズは良く観てる。…まさかケータも好きだったなんてね。
……私たち、もしかしたら本当に相性良いのかも」
映画を観終わった後、私とケータは、映画館を出ながら会話を交わしていた。
そして、私は歩きながらふと、ずっと気になっていたことをケータに尋ねた。
「……ところでさ。水族館でチケットを買った時と言い、映画館でチケットを買った時と言い、ケータは今日ずっと、私の分までお金を出そうとしてくれてるけど……どうして?」
「えっ?……いや〜、はは。リョウさんのことだから、電車の行き帰りの分のお金しか持って来てなかったのかな〜なんて…」
ケータが気まずそうにそう言うと、私は思わず、あまりに心外なその言葉に少し腹が立った後、自分の信用のなさにがっくりと項垂れた。
「……いくら私でも、男子小学生にそんなにタカる訳ないでしょ。ケータはもっと、私を信用するべきだと思う」
「…オレが初めてみんながバイトしてる所見学した時に、オレの財布から昼食代を騙し取ろうとしたのは、どこのどなた様でしたっけ?」
ケータがイタズラな笑みを浮かべながらからかうようにそう言うと、私は何も言えなくなってしまった。
ケータはそんな私を見ると、茶化すように、そしてどこか慰めるようにして言った。
「あはは。冗談ですよ。じょーだん。もう気にしてませんから、大丈夫です。…でも」
ケータは続けて、どこか心配そうに私を見つめながら、口を開いた。
「あちこちにお金を借りているリョウさんを見ていると、オレ、少し不安になっちゃうんです」
「…不安?どうして?」
私がそう尋ねると、ケータは続けて、おずおずと口を開いた。
「…リョウさんは本当はすっごく優しくて頼りになる人なのに、お金にだらしないせいで、誤解されちゃうんじゃないかって。
……それに」
ケータは殊更に表情を暗くすると、そこで口を噤んでしまった。私がそっと促すと、ケータはまた、ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。
「……リョウさんがいつか、お金が原因でひとりさんたちに見限られたらって思うと、怖くて。結束バンドのみんなに限ってそんなことはあり得ないって分かってるんですけど、どうしても不安になっちゃって」
…私は、ケータのその表情を見ると、初めて自分の普段の行いを恥じた。私はバカ野郎だ。ケータにこんな悲しそうな顔をさせるのは───いや、そもそもお金のことで人に迷惑を掛けるのは『個性』では済まされない。
「…ごめんね、ケータ。ケータの言うことは本当にごもっともだ。……これからは、なるべくみんなにも迷惑を掛けないようにする。ケータを不安にだって、させない。
……だから、お願い。ケータ。どうか、私のことを───見捨てないで」
私は泣きそうになるのを必死に堪えながらそう言うと、ケータは微笑みながら言った。
「あはは、オレがリョウさんのことを見捨てるわけないじゃないですか。
…むしろ見捨てられるとしたら、オレの方ですよ」
───ちょっと待って。今の言葉は流石に聞き捨てならない。見捨てる?誰が、誰を?……私が、ケータを?
ある訳ないじゃん。そんなこと。…前だって、あれだけ言ったのに。ケータの分からず屋。
「……ねえ、ケータ。どうして、そう思うの?…どうして、そんなこと言うの?」
「リョ、リョウさん、どうしたんですか?急に…」
「答えて」
私たちは、既にさくら中央シティを抜け出していた。私はケータを近くの河川敷へと座らせ、ケータの左隣に腰を下ろすと、ケータの言葉を待った。
しばらくそうしていると、ケータはゆっくりと、その口を開き出した。
「……オレ、フツーの男子小学生なんです。───言っちゃえば、何の取り柄も特技もない、ただのガキなんです。
……リョウさんは、そんなオレの『フツー』な所を好きって言ってくれましたけど、それでもオレは、みんなと違って何も持っていないオレのことが……何も持ってない癖に、何かを持っている人や妖怪と同じ所にいけしゃあしゃあと居座って、その厚意に甘えているオレのことが───どうにも、好きになれないんです」
なんだ。そんなことか。…ケータは自分の周りのことは良く見ているのに、肝心の自分のことは、全く見れてないんだね。
───じゃあ、私が。他でもない私が、ケータの目になってあげる。
「…ねえ、ケータ。ケータの周りにいる人や妖怪……私も含めたみんなが、ケータにどんな気持ちを持っているか、教えてあげる。
───『LOVE』だよ。『LIKE』なんかじゃない。
「……えっ…?」
ケータが心底驚いたようにそう言うと、私は徐ろにケータを抱き締めながら言った。
「……わわっ!?リョウさん!?」
「好きだよ、ケータ。
……ケータ、さっき自分で何も持ってないって言ってたよね。でも、違うんだな、コレが。ケータは、この世でケータ以外の誰も持っていない、凄いものを持ってるんだ。
───私からの、恋情だよ」
私がそう言うと、ケータは困ったように、そしてどこか満更でもなさそうにして言った。
「……もう。女の子のともだち妖怪と言い、ひとりさんと言い、みんな物好きなんだから。……オレなんかのどこが良いんだか、まったく」
「…ねえ、ケータ。私と一緒にいる時に、他の女の話しないで欲しいんだけど」
「な、なんか、ごめんなさい…」
まったくケータは女心が分かってないね。……でも、そうか。知ってたけど、ケータを好きなのは私だけじゃないんだよね。それどころか、何ならぼっちは、私がケータを好きになるよりもずっと前から、ケータのことが好きだった。
…そりゃそうだ。だってぼっちがケータのことを好きだったからこそ、私がケータを好きになるきっかけも出来たんだから。私がケータと出逢えたのは、ぼっちのおかげと言っても過言じゃない。……だからと言って、ケータを譲るつもりは更々ないけど。
───と、そんなことを考えていた時だった。ふと、私のお腹の虫が、空気を読まずに鳴き出した。
「あはは。リョウさん、お腹すいちゃったんですか?……じゃあこの辺で、お昼にしましょっか!」
私が恥ずかしさのあまりに悶え苦しむ中、ケータは笑いながらあっさりとそう言った。……おにょれケータめ、こっちの気も知らないで呑気にそんなことを言いよってからに。
…でも、空腹には抗えない。私は、ケータの言葉に静かに頷くことしか出来なかった。
「アッカンベーグル二つ、お買い上げありがとうございました〜!」
私に「ちょっと待っててくださいね」と言いながら『アッカンベーカリー』という名前のパン屋に入って行ったケータは、パンの入った二つ分の袋を手に持ちながら、店から出てきた。……え、まさか、私の分も買いに行ってくれてたの…?
「はい、リョウさん!このベーグル、このパン屋の名物でとっても美味しいんですよ!食べてみてください!」
「……それ、いくらしたの。そのベーグルの分のお金出すから、ちょっと待ってて」
「良いですって!オレの話を聞いてくれたお礼です!」
ケータはそう言って、笑いながら私にベーグルを差し出した。…話くらい、いつだって聞くのに。
私はそう思いながらも、ケータがそう言うならと、差し出されたそのベーグルをおずおずと受け取ると、口に運んで一口かじった。
「…美味しい」
「でしょ〜!さくらニュータウンに来たら是非食べてほしかったんです!だって、リョウさんってなんだかグルメなイメージありますしっ!」
私が思わずそう呟くと、ケータは心底嬉しそうに言った。……ケータは、私の喜ぶ顔が見たかったんだ。…そっかあ。……ふふっ。
ケータと私がベーグルを食べ終えると、ケータはふと、思い出したように言った。
「……あっ、そうだ!そろそろSTARRYに行かなきゃ!今は結束バンドにとって、かなり大事な時期ですからね!オレ、今すぐ家に行って、ウィスパーとジバニャンを呼んできます!リョウさんはオレの家の前で待っててください!」
「ケ、ケータ。そんなに急がなくても…」
私がそう言いかけてもケータは構わず私の手を取って、自分の家まで駆け出した。……ケータったら、意外と強引なんだね。
ケータに手を引かれながら赤い屋根のついた家まで来ると、その家の玄関でちょうど外出の準備をしていたケータのお母さんが、私たちを出迎えてくれた。
「あら、ケータと……リョウちゃんじゃない!あら〜、二人でデートかしら〜!……でもケータ、アンタにはひとりちゃんがいるんじゃないの?もしも浮気なんて不誠実なことしたら、ケータでもただじゃ置かないわよ…?」
「ち、違うよお母さん!リョウさんとは友達として遊びに行ってただけ!てゆーかそもそもひとりさんとも付き合ってないし!」
「あら、そうなの?」
「……友達として、だけだったんだ。…ケータのばか」
「…リョウさん?」
(まったく私の息子ったら、いつの間にこんな女誑しに…。……これだけ色々な女の子に好かれてるのに、逆になんで本命のフミちゃんには未だに振り向いてもらえてないのかしら…)
…良いもん。今はまだ、友達でも。……いつか絶対、私に振り向かせてやるんだから。
私はそんなことを思いながらも、招かれるがままに、ケータの家へとおずおずと上がり込んだ。
私は洗面所で手洗いとうがいを済ませると、ケータに案内されるがまま二階への階段を登り、ケータの案内の元、ケータの自室へと、おすおずと上がり込んだ。
「お、お邪魔します…」
「───ケータ君、なんですかこの女は!私はひとりさん以外をケータ君のお嫁さんとして認めた覚えはござあせんよ!!!」
「そうニャン!浮気は酷いニャンよケータ!!」
「あーもう、お母さんと言い二人と言い早とちりが過ぎるって!!オレとひとりさんは付き合ってないし、第一リョウさんとも友達として遊びに行っただけなんだってば!!!」
「……また言ったな、ケータのおたんこなす」
(……おや?もしやリョウさん、本気でケータ君のことを…?)
(…まさか、そんなことってあるニャンか?……いや、先週あんなことがあったんだから、決してありえない話じゃあないニャンか…)
部屋に入ると、ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てるウィスパーとジバニャンを、ケータが制した。……おのれぼっちめ。ウィスパーとジバニャンにもばっちりケータの嫁として認められやがって。
ケータは、四人でSTARRYへと向かう道すがら、ウィスパーとジバニャンに事のあらましを説明していた。
「───なるほど、そういうことだったんでうぃすね」
「だから今朝、オレっちたちに留守番を頼んで外に出て行ったニャンねえ…」
「そーいうこと!やましいことなんて何もないんだっての!」
「……そんなに否定しなくたって、良いじゃん」
(……あー、ケータ君の悪い所が完全に出てますね、コレは)
(オレっちたちも騒ぎ立て過ぎたニャンね。反省ニャン…)
……ケータめ。いつか絶対に、理解らせてやる。
そして、私はケータたちを連れながら、再びさくら中央シティ駅から下北沢駅へと戻った。
「……今更なんだけど、リョウさんと一緒に行っちゃったら、みんなにも誤解されるような気が…」
「確かに…。ひとりさんは恐らく、発狂してしまうやも知れませんね」
別に良いじゃん。むしろそうなれ。
「痴情の縺れはアイドルグループやバンドが解散する原因のトップオブトップだから、それは避けたい所ニャンねえ…」
それは困る。かなり困る。───でも、もしもそうなったら一番悲しむのはケータだってことは私もぼっちも理解しているし、第一我々結束バンドの絆はその程度で千切れるほどやわなものじゃないから、絶対にそうはならないんだけどね。
そんなこんなで、私たちは、もはや自分の家に帰るようにライブハウス前の階段を降りると、その扉を開いた。
「こんにちは〜」
「やあ諸君。私は現在、愛しの天野景太くんとデートを楽しんできて最高の気分だ」
「……リョウ先輩、けいくんとデートって、どういうことですか?」
「…別に、言葉通りの意味だよ」
「……先週の日曜日から薄々思ってたんですけど、まさかリョウ先輩、けいくんのこと───」
「……まあ、ぼっちのご想像通りなんじゃない?…知らないけど」
「はいそこ、バチバチしなーい。二人がケータくんのことを大好きなのは知ってるけど、恋愛するならまずやるべきことをやってからにしようね〜」
「……ひとりちゃんもリョウ先輩も、初めて会った時との変わりようがえげつないわ…。男っ気のなかったこの二人を一人前の女にしてしまうなんて───天野景太くん、なんて恐ろしい男の子なのかしら…!」
「まったくでうぃすね…」
「我が親友ながら末恐ろしいニャン…」
そして、STARRYへと辿り着いた私は、いつものように清掃をしつつ、一区切りついた頃にフェスに向けた練習を始めた。
───ねえ、ぼっち。色気のいの字もなかったぼっちがたった数日間会わなかっただけで一端の女になった理由、今になってようやく分かったよ。ぼっちがケータと出逢ったおかげで、私もケータと出逢うことができた。ぼっちがケータを好きになったおかげで、私もケータを好きになれた。
……散々お金を借りて世話になってる後輩の男を奪うだなんて、クズとか言うレベルじゃないと思うし、第一今の私がぼっちに勝てるビジョンは正直全く浮かばないけど。
「───負けないからね、ぼっち」
「───勝たせるつもりなんてありませんから。リョウ先輩」
「……そう言えばフミちゃん、今頃何してるかなあ。最近遊べてないから、またどっかで一緒に遊びに行きたいな…」
「───ぼっち。ひとまずはケータの興味が
「───奇遇ですねリョウ先輩。私も、今ちょうど同じことを考えていました」
…私たちがケータに振り向いてもらえるまでの道のりは、まだまだ遠そうだ。
ぼリョウが組んだ協定:ケータが結束バンドのメンバー以外(例:フミちゃん)に意識を向けた時は、ケータの興味を結束バンドに集中させる為にお互い協力する。
でも、ケータが結束バンドのマネージャーとして真っ当に活動している時は恋のライバル。
尚、お互いたまーに自分たちで組んだこの協定を破り出す模様。
どっちだと思う?
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ぼケー
-
ケーぼ